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<ノベル>
――祈りを込めて。
太助(たすけが)、ヒュプノスの剣もタナトスの剣も使わない、恐らくもっとも困難であろう道を選んだのは、ふたつの剣を使うことによって、のぞみとリオネに嘘をつきたくなかったからだ。
剣を使えば、犠牲は確実となる。
ヒュプノスの剣ならばのぞみは一生目覚めることなく永遠に眠り続け、タナトスの剣ならばかの神子は永遠に喪われる。
太助には、それが、どうしても耐え難かった。
自分が今までにリオネにかけた言葉や、のぞみに目覚めて欲しいと願ったことが、どちらかの剣を使うことで嘘になってしまうのを、どうしても耐えられないと思ったのだ。
無論、どちらの剣も使わなければ大量の犠牲が出るかもしれないということに思いが至らなかったわけではない。
太助を可愛がってくれる優しく気の好い老夫婦、カフェであまいものを奢ってくれる陽気な人々、太助と親しくしてくれるたくさんの人々。
それらすべてを喪うかもしれないと知って、太助はどちらの剣も使わない道を選択した。
それは、太助が、自分自身の心の声に従った結果だった。
――すべての、あの重苦しい選択を行った人々が、自分の心が導くままに己の道を決めたように。
* * * * *
「へーか、ぽよんすー。あそびにきたぜー」
選択を終えた太助は、おばあちゃんから預かった贈り物の煎餅を手にカフェ『楽園』を訪れていた。
――投票は今日が最終日だという。
もう、そう遠くないうちに、結果が出されるはずだ。
太助はすでに、すべての覚悟を決めていたが、それでもどこかふわふわと落ち着かない気持ちを違う方向に向けるべく、一時の安らぎのためにカフェ『楽園』を選んだのだった。
先日のジズ襲来で建物の半分を吹っ飛ばされた『楽園』は、修理する時間もなかったらしく、未だ青空カフェの様相を呈しているが、こんな時でもそれなりに混雑している『楽園』の常連客たちは、特にそれを気にしている様子もなかった。
重苦しい選択で街が割れ、沈んでいる中、このカフェには穏やかな時間が流れている。
否、街に重苦しい空気が満ちているからこそ、人々は、この場所では穏やかで楽しい時間を過ごそうと思ってやってくるのかもしれない。
「あら、いらっしゃい、太助さん」
太助を出迎えてくれた森の女王レーギーナも、店内で忙しく立ち働いている森の娘たちもまた、いつも通りだった。
そのことにホッとしながら、太助は、おばあちゃんからの贈り物を女王に手渡す。
「これ、ばあちゃんがへーかに、って。いつもお世話になってるから、ってさ。お店がおわったあと、みんなでくってくれよな!」
「あら……嬉しいわ、なら、遠慮なく」
レーギーナは目を細めて微笑み、太助の差し出す紙包みを受け取った。
それから彼を店内へと誘う。
いつもの席に案内され、太助が瀟洒なデザインの椅子にぴょいと飛び乗ると同時に、まだ何も注文していないうちから、爽やかな香りのお茶と今月限定のスイーツである枇杷と白味噌餡の和風タルト及びアメリカンチェリーのクラフィティタルトが供された。
「では、これは、わたくしたちからお礼に。……お帰りの時には、おじいさまおばあさま用に、同じものをお渡しするわね」
「あ、まじで? やった、ありがとうな! じいちゃんもばあちゃんも喜ぶ」
贈り物にお礼の贈り物があって、きっと更にそれへのお礼の贈り物があるだろうことを想像し、太助は笑って礼を言った。贈ったり贈られたりで続いていく、他愛なくほのぼのとした軽やかな善意の輪が心地よい、と思いながら、器用に前脚でフォークを持つ。
「んじゃいただきまーす!」
元気いっぱいに挨拶をしてから、大きなタルトの攻略に取り掛かる。
「んー、うめぇー! びわの甘酸っぱさと白味噌餡の甘さって、すんげぇ合うのな! あめりかんちぇりーのタルトも美味ぇし、やっぱたまんねぇなぁ」
自慢の髭にタルトの欠片をくっつけて、太助はご機嫌だった。
彼の目の前の席に腰掛けた女王は、穏やかな笑みを浮かべて太助が舌鼓を打つのを見つめている。
その眼差しに慈愛めいたものを感じ、太助はフォークを皿に置いた。
そして、女王を見上げる。
「どした、へーか?」
小首を傾げると、レーギーナは大輪の薔薇のごとくに微笑み、
「あなたは、もう、選んだのね」
それだけ、言った。
何となく予測がついていた太助は、髭をひくひくと動かしたのち、
「うん」
はっきりと頷いた。
――覚悟ならば、もう、決めている。
迷うことはない。
最後の瞬間までやるべきことをやる、それだけだ。
「俺は、さ」
「ええ」
「この身体いっぱいに、『だいすき』を詰めてくれた人たちに報いるんだ」
この街に実体化して三年弱。
いろいろな事件があった。
いろいろな騒動があり、お祭り騒ぎがあり、絆を深める日々があった。
辛いこと、苦しいことに涙して、なお一層人々の温かさに救われた。
「たとえば、まっしろな画用紙に墨汁を落としたらだいなしになるだろ? でもさ、その前に、画用紙いっぱいにクレヨンで楽しい絵が描いてあったら、墨汁なんてはじくじゃん」
小さな前脚を大きく広げ、太助は身振り手振りを交えて自分の感じていることを伝える。
たくさんの事件に関わって来て、太助は変わった。
否、変わったというよりは、成長したと言うべきなのだろう。
たくさんの人たちが向けてくれた愛情、善意、優しい気持ち、たくさんの人たちが見せてくれた覚悟や矜持、凜と前を見据えた生き様。そんなものが、太助の心に力を与え、今の静けさを与えてくれている。
「俺にとっては、この三年が、クレヨンで絵を描く時間だったんだよ」
太助という真っ白な画用紙に描かれた、百の彩りの絵。
ともだちと一緒に見上げた赤い夕焼け、夏の暑い盛りに皆ではしゃいだ海辺の青、凍て付きそうな冬の日に積もった雪の白、漆黒の夜空に輝く金銀の月や星、草原の緑、だいすきな人たちの色とりどりの眼差し、幸いと喜びに上気した薄紅色の頬。
絶望の暗褐色に塗り潰されかけた胸をすっと開いてくれた、雨のあとの虹のような笑顔、笑顔、笑顔。
太助の日々には、彩りが満ちている。
太助ひとりではなし得なかったことを、その彩りが叶えてくれた。
その彩りが、太助を強くした。
「だから俺は、そのたくさんの色を俺にくれた人のためにも、俺に出来るせいいっぱいをやりてぇんだ。……そのために、マスティマの中にとけることになっても、俺は構わねぇんだよ」
太助の言葉に迷いはない。
そして太助は静かに凪いでいる。
それは、運命を受け入れる覚悟の整ったもののみが持ち得る静謐だった。
その静謐を創ったのもまた、銀幕市での日々なのだった。
「――……そうね」
女王は静かに微笑んでいた。
「その境地に太助さんが辿り着けたのは、この街のお陰なのね」
「……うん」
「幸せなことだわ……本当に、幸せなこと。わたくしたちと一緒ね、太助さん」
「ん、そだな」
女王の言葉に太助がにっこり笑った時、リーリウムが席に近づいてきた。
小首を傾げた太助が、姿かたちだけならば神代の細工物のように美しい乙女を見上げると、リーリウムは悪戯っぽくウィンクをして、言った。
「決まったそうよ」
その言葉に、太助は一瞬息を飲んだが、
「どちらの剣も使わない、ですって」
「!」
リーリウムの口からそれが発せられると、ぴんと尻尾を立てて椅子の上にすっくと立ちあがった。
――運命は指し示された。
ならば、もう、なすべきことは決まっている。
「よしっ」
自分自身に気合いを入れ、太助は椅子からぴょいと飛び降りた。
「行くのね?」
「うん。マスティマに、六十七億の絶望に、だいすきって言ってやるんだ……あの中に、俺のだいすきな人たちもいるんだから。その中に還って行けるんなら、それも、しあわせなことなんだよ」
きっぱりと迷いなく答え、笑う。
女王からも微笑が返った。
レーギーナは、太助に、老夫婦用のタルトが入った流麗な箱を渡し、
「そうね……見ているわ、太助さんの『だいすき』を。だけど、」
「だけど?」
「もちろん、また、お茶をしに来てくださるのよね? そのときに、お話も、聞かせて欲しいわ」
言外に、彼の無事を祈った。
太助の髭がひくひくと動く。
「……うん」
太助を描いた百彩のクレヨン。
それが、ここにもある。
――だからこそ、太助は、闘える。
「んじゃ、行って来る。ぜったい、まもってみせるから」
太助はぴんと尻尾を立て、背中に綺麗な箱を器用に載せて走り出した。
女王と森の娘たちの視線を感じる。
そこに、彼の無事を祈る色彩が含まれていることも、判る。
――空を見上げれば、巨大な絶望の塊がわだかまっている。
だが、それを恐ろしいとは思わない。
「俺は、俺に出来ることをやろう。……俺っていう画用紙に、たくさんの綺麗な色で、楽しい絵を描いてくれたひとたちのために」
ただ、静かで強い覚悟だけが太助の中にたゆたっている。
小さな胸をその覚悟で満たし、太助は走る。
この街が与えてくれた、彩り豊かなだいすきに報いるために。
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クリエイターコメント | オファー、どうもありがとうございました。
太助さんの心を、このノベルに預けてくださったことを感謝いたします。
多くは語りません。 どうか、選択のすべてに救いと安息が満ちていますように。
ありがとうございました! |
公開日時 | 2009-05-24(日) 18:40 |
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