★ なんでもない日にツンデレ・パーティー ★
クリエイター諸口正巳(wynx4380)
管理番号100-4605 オファー日2008-09-09(火) 00:31
オファーPC セバスチャン・スワンボート(cbdt8253) ムービースター 男 30歳 ひよっこ歴史学者
ゲストPC1 ベル(ctfn3642) ムービースター 男 13歳 キメラの魔女狩り
ゲストPC2 朝霞 須美(cnaf4048) ムービーファン 女 17歳 学生
ゲストPC3 ムジカ・サクラ(ccfr5279) エキストラ 男 36歳 アーティスト
<ノベル>

 唐突なんですが、3人は穴に落ちました。


 そうとしか説明できないことが起きたのだ、他にどう言えばいいというのか。
 誰が散歩をしようと言いだしたのか、それすらもはっきりしないし、言ってしまえばどうでもいいことだ。銀幕市のどこかを、セバスチャン・スワンボートと、朝霞須美と、ベルの3人は歩いていた。他愛もない話、時々噛み合わない話、漫才にしか聞こえない話を交わしながら。
 セバスチャンと須美の会話は多少ぎくしゃくしていたが、その男女の微妙な空気をベルは読めなかった。こういう空気は大人でも読むのが難しいもんです。しかし一時期などは互いが互いを避けていて、挨拶すら交わさないような状態が続いていたので、これでもいくぶん、いや、かなりましになったと言えよう。
 そうしてがたぴしゃ散歩を楽しんでいた(?)3人は、何の前触れもなく、穴に落ちていた。

 長く尾を引くのはセバスチャンの悲鳴。
 ほんの一瞬、きれいな鳥の鳴き声のような悲鳴を上げたのは須美。
 ベルは「あれっ」と漏らしただけだった。

「どぁああああああああっ、ぉわあああああああああっ、ぅおあああああああああっ、あああああああああ(以下略)」
「すっごい落ちてる。ね、これ、どこまで落ちるのかなー?」
「ほんと、すごく深い穴ね……尋常じゃないわ……」
 5分後、まだ3人は落ちていた。
 どこまで落ちても落ちても、どんなに目をこらしても、穴の底はまったく見えないし、セバスチャンの悲鳴は続いているし、顔や身体に打ち寄せる風はいつまでもやまないのだ。このまま地球の核を通過して、溶岩流を貫いて、ブラジルに飛び出してしまうのでは――須美はそんなことを考えた。セバスチャンはずっと叫んでいる。
「ほんとに……どこまで……」
 何とも言えない、生温かい風が、須美の顔にぶつかり続ける。前髪も、長い髪も、ばたばた騒いだ。須美はとっくに恐怖することも忘れていた。ただただ、落ちていく感覚。どこまでもどこまでも。目を閉じているわけでもないのに、見えるものは暗闇だけ。
 須美はゆっくり手を広げた。もしかしたら、飛んでいる鳥の気分になれるかもしれないと思ったのだ。セバスチャンの悲鳴も、いつの間にか聞こえなくなっているような気がする。もしこのまま底に落ちたら、身体は打ち身を負うだけではすまないだろうに、いろいろなことを考える余裕があった。
 ――ブラジルより、ウィーンに行きたいわ。
 ふと、須美は闇の中で視線を動かした。無意識が、気配を感じ取ったのだろうか。穴の壁が見えた。目まぐるしい速度で上へ上へと流れていく壁。まさしく自分は落ちている。なのに……
「ぅんにゃーぉ」
「えっ」
 一瞬、壁にトカゲのように張りついていた猫を見た気がする。白い猫だったか……キジトラだったか……よくわからないが……とにかく、猫の着ぐるみを着た人間くらいデカくて、紫の目をしていて、はみ出した前髪が真っ赤だったような気がして……見たことがある人が、猫の格好をしていただけのような気がして……。
「わ、っ!」
 づぼん、と音と衝撃が須美の身体を受け止めた。
 穴の底に到着したらしい。
 とてつもない深さの穴に落ちたはずなのに、須美の身体はほとんど痛みもともなわず、ごく当たり前に動かせた。骨折はもちろん、打ち身もこさえなかったらしい。ちくちくしたものが手や足や顔をくすぐる。
「……!」
 がば、とひと息に身体を起こせば、須美のまわりでワラが舞った。
 須美を受け止めたのは、うずたかく積まれたワラの山。
 須美は状況がよくわからないまま、きょろきょろ周りを見回した。一緒に落ちていたはずのセバスチャンとベルの姿がない。墜落の途中で見たはずの、へんな猫もどきもいない。はっ、と気づけば、肩にしがみついていたはずのバッキーもいない。須美はワラ山の上でひとりきり――しかも、いつの間にか身につけていた服が変わっている。
 淡いブルーのワンピースに、真っ白いエプロンドレスを重ね着にして、膝上までカバーするハイソックスは黒と白のボーダーだ。
「これって……」
 須美はもぞもぞワラの山を這い下りた。
 自分の記憶や勘が確かならば、次に見えるものはきっと――
「遅刻だー! ぅわわわわわ大変だ、遅刻ちこくー!」
「――やっぱり」
 須美の目の前を、白いウサギがあたふた横切っていく。
 誰がどう見ても『不思議の国のアリス』です!
 文章も書ける数学者ルイス・キャロル著!
 鬼才ジョン・テニエルによるすばらしすぎる挿絵!
 ほとんどの人はまともに最初から最後まで読んだことないのになぜかストーリーをだいたい知っているというあの『不思議の国のアリス』です!
 ――ということは……あのウサギを追いかけないとならないのかしら。私、どう見てもアリスよね。……アリスって、もうひとまわり小さくない? 年も身体も。何がどうなってるの?
 墜落中に引き続きあれやこれや考えながら、須美はウサギの姿を探した。探すまでもなかった。ちこくちこくーと叫びながらも、白ウサギはなぜか10メートルばかり向こうで足踏みしているのだ。まるで「追いかけ待ち」。
 ウサギは懐中時計を見ているし、ステッキを持ってスーツを着て、どこからどう見ても「あの」白ウサギに違いなかった。
 ――ウサギを追いかけるくらいならいいけど、足と首が伸びたり首の下がすぐ足になったりなんて、あんなのはいやよ。「私を飲んで」「私を食べて」は無視するから。いいわね。
「待って。今行くから」
 アリスとしてあるまじき台詞を口にしてから、須美は走り出した。
「遅刻だ遅刻だ! うわー、おーくーれーるーぅぅぅうう!」
 待ってましたのタイミングで、白ウサギも走り出した。


 あれは穴ではなくて、煙突だったのか? 落ちたところは、暖炉だったの? ワラがたくさん積まれていたけれど。
 須美と白ウサギがぱたぱた駆け回るのは、窓も扉もない、ひたすらの廊下。よほど大きな館なのか、走っても走っても、同じ光景ばかりが続く。須美は途中、これ見よがしに置かれたコーヒーテーブルと、「私を飲んで」のラベルつきの薬瓶を見つけた。無視した。どうせ身体が全体的に伸びるに決まっている。
 しかし何度も何度も角を曲がっているうちに、須美は白ウサギの姿を見失った。
 筋書きがあるのだとすれば、これまでは筋書きどおりかもしれない。
 白と黒のチェック模様の廊下を、途方に暮れて、須美は歩く。
「ちょっとちょっとおぜうさんちょっと、それじゃだめだ、それはよくねぇ」
「え!」
 唐突に、横合いから声をかけられた。肩も叩かれたような気がする。驚いて須美が足をとめ、辺りを見回してみても、誰の姿もどこにもない。
「ほらコレほれコレ飲むっきゃねえでしょコレ! ほれ!」
 ふよふよ、例の薬瓶が浮いている。
 薬瓶の横に、にやにや笑いが現れた。それから、じわりじわりと、奇妙な男の姿が現れる。赤い髪。紫の目。そしてはっきりしない色合いの、猫の着ぐるみ。須美は目をしばたいて、男を見つめた。にやにや笑いから現れたということは、間違いなくこのキャラクターは「あの」チェシャ猫なのだろうが――どこかで、見たことある顔だ。
「悪いけど、首が伸びるのはいやだから」
「ぅえっ? マジで?」
「ええ。白いウサギさん見なかった? ……チェシャ猫さん」
「ぅえっ? 俺そんなオーソドックスな名前じゃねえよ、ムジカ・サクラだ、知らねっかなぁー」
「知ってる。セバンさんから聞いたことあるわ。それで、白いウサギさん見なかった?」
「な、なんて冷たい、氷のような返し!」
 ムンクの『叫び』のように頬を押さえた拍子に、チェシャ猫ムジカの手から薬瓶がつるりと落ちた。床にぶつかった。割れた。怪しい紫色の薬が飛び散った。
「ああヤベエ、コレないとヤベエのにヤベエのにぃ」
「……そうだ。確かウサギさんは公爵夫人のお茶会に遅れるって言ってたのよね。当然、ウサギさんはこのお屋敷の外に出るでしょうから、私も外に出ればいいだけのことだわ。ムジカさん、外までの道はわかる?」
「公爵夫人の家もわかるぜ、なんせ俺は公爵夫人の猫だから。あの家、コショウだらけでいられやしねえんだ。それよかこの薬だよ、全部流れちまったアアア」
「じゃ、案内してくださいな。チェシャ猫さん」
「よしきた」
 ムジカはさっと顔を上げ、墨に向かって満面の笑みを見せた。
 すうう、とその姿の透明度が上がっていく。
「えっ、ちょっと……待って」
「ついてきな」
 そう言い残したにやにや笑いの口だけが、5秒くらい虚空に残っていた。綺麗さっぱり姿を消しておいてから、ついてこいとはなにごとか。
「もう」
 須美は深いため息をつき、結局ひとりで館の中を歩きだした。
 肩にバッキーのリエートの重みがないのは、少し不安だ。穴に落ちてからずっと叫び続けていたセバスチャンの精神状態もかなり気になる。ベルは……ちょっとやそっとのことでは動じないが……この不条理で愉快な不思議の国で、彼がじっとしているとは思えない。やっぱり心配だ。
 ――はやく、探さなくちゃ。
 何回も何回も角を曲がり、廊下を歩き続けた。何キロも歩いているように思えたが、不思議とあまり疲れは感じない。コーヒーテーブルも何度も何度も須美の前に現れた。「私を飲んで」というラベルつきの薬瓶も、形を変え色を変え、いくつもいくつも現れた。「私を飲んで」「私を飲んでってば」「ねえ私を飲んでよう」「お願いだから飲んでくださいお願いします」「飲んで飲んで飲んで」「飲―め飲め飲め飲め飲め飲―め飲め飲め」ラベルに書かれた薬瓶自身の台詞が、目に見えてテンパってきている。
「……なあに、結局、飲まなきゃいけないの? だから、手足と首が伸びるのは困るって言ってるのに……」
「ほらほらおぜうさん、そいつを飲んでこっちだよ」
 虚空から、チェシャ猫と化したムジカの声。
 仕方なく、須美はそばにあった薬瓶を取って、ひと息に飲み干した。びっくりするくらい、それはおいしい薬だった。アリスが飲んだ薬と同じ。パイとプリンとパイナップルと、七面鳥と虹色キャンディ、バタートーストを溶かしたような、夢の味。
 須美の脳裏に、手足と首が伸びたアリスの挿絵が、悪夢のように浮かび上がる。
 けれどもそれは取り越し苦労。彼女の身体は、するする縮まるだけだった。
「遅刻だあ! 遅刻ちこくー!」
 白いウサギの叫び声が、わんわんと館じゅうに響きわたっている。10分の1くらいのサイズになってから見た館は、まるでさっきとは違う世界に見えた。
「ほらほら見えるだろ、目の前の扉だよ。屋敷を出たらまっすぐ進むんだ、まあああああっすぐだ。そのうち何かが見えてくるさ」
「そのうちって……」
 ッハハハハハハハハハ。
 にやにや笑いを通り越した、ムジカの哄笑が館じゅうに響きわたる。耳がつぶれてしまいそうだ。須美はコーヒーテーブルの足の向こうに、小さなドアを見つけ出し、急いでドアを開け放った。


「嗚呼俺はこんなところで何をやつているのでせうね」
「ブドウ酒おいしいよー、セバン」
「ブドウ酒なんてありゃしねぇだろ。……? なんだ、すっごい違和感。まるでこの台詞を俺が言うべきではなかったのだぞとでも誰かが言いたいような……」
「ブドウ酒飲みなよー、セバン」
「なんでおまえはすっかりなじめてるんだ!」
 見たこともない家の外、見たこともない木の下で。紅茶以外に飲み物も食べ物もないティーパーティーが開かれている。セバスチャンとベルは、気づけば空席だらけのテーブルについていた。
 セバスチャンとベルの間には、シトラスカラーのバッキーがいて、こっくりこっくりと舟をこいでいる。ずうっとずうっと眠っているのだ。バッキーはムービースターの天敵なのだが、ベルはさっぱり怖がらず、バッキーの鼻先をつついたり、紅茶を垂らしたりしてちょっかいをかけているくらいだった。
 セバスチャンの出で立ちと言えば、デカいシルクハットにデカい胸元のリボン、道化師の服のようでいて礼装かもしれない奇妙な服、そしてなぜか履いても履いても脱げてしまう革靴だ。
 ベルは、ボサボサ頭からペンペン草のようなアホ毛をちまちま飛び出させてはいるものの、やっぱりデカい胸元のリボンに礼服だった。全体的に彼の色はピンク。
 セバスチャンは自分がかぶっている帽子を脱ぎ、「このスタイルは10シリング6ペンス」と書かれた値札がピンで留められているのを見て、自分の『役柄』を思い知った。
 イカレ帽子屋だ。
 ベルは――耳が犬耳のままだが――イカレ帽子屋とお茶会の席についているということは、三月ウサギなのだろう。セバスチャンは絶望し、ボサボサ頭をかきむしり、帽子をかぶりなおした。
「うおお……これは間違いなく『不思議の国のアリス』だ……そして俺はイカレ帽子屋点なんでなんでどうしてなんで(以下略)」
「あー……。僕も読んだよー。飛びだす絵本の、あのお話だよねえ? あれ……すごかった。面白かったよー」
 ベルは自分が今置かれている状況にほとんど動じていない。無表情なのでそう見えるだけだろうか。ともかく彼は紅茶の中にミルクと砂糖を入れまくっている。
「おい、ベル」
「なーに?」
「帽子屋と三月ウサギの何たるかを知ってるか?」
「知らない」
「『アリス』が書かれた当時、帽子屋というのは水銀中毒になりやすかったんだ。だからその、中には頭がちょっとおかしくなっちまった帽子屋もいたんだ。そして三月ウサギだ。ウサギっていうのは3月くらいから繁殖期に入るんだ。繁殖期の野ウサギはそれはそれはスゴイ勢いで跳ねたり蹴ったりするわけだ。その様子は当時の人から見たら、まあその、ウサギの頭がおかしくなってるっていう風に見えたのさ。だから、つまり、帽子屋と三月ウサギっつーのは! キチガ(以下自主規制)の代名詞だ! 俺たちがイカレ帽子屋と三月ウサギをやらされてるってことは、すなわち、俺たちがキチ(以下言葉狩り)ってことなんだよ!!」
「な、なんだってー」
 もちろん棒読みだ。
「……あのマンガ読んだな」
「なんのこと?」
 ベルが首を傾げるしぐさに、わざとらしさはない。
 セバスチャンは陶酔にも似た興奮から冷め、「これじゃほんとにキ(以下検閲により削除)みたいだ」とがっくり肩を落として、椅子に座りなおした。そう、彼は高説の最中、いつの間にか立ち上がってしまっていたのだ。
「ようよう、お楽しみ?」
「セバンさん! ベル! リエートもここにいたのね」
 聞き覚えのある声が飛んできて、セバスチャンとベルは顔をそちらに向けた。バッキーは相変わらずうとうとうとうと。
「す、須美」
「あー、ツンデレー。無事だったんだねえ」
 甘ったるい紅茶をごくごく飲むばかりのベルとは対照的に、セバスチャンは驚いて椅子からずり落ちかけた。そこにいるのは、須美とムジカ。しかも、須美はどこからどう見ても、物語の主人公――アリスに違いなかった。
 黒髪のアリス……17歳のアリスコスというのもなかなか……ふむ、実になかなか。
「いやあ……アリスかよ……」
「好きでこんな格好してるわけじゃないわ。セバンさんはイカレ帽子屋なのね」
「ちがう。ただの帽子屋。なぜなら俺はイカレてないから」
「ということは、ベルは三月ウサギ?」
「ちょっと待ってくれ、俺の主張を無視すんなよ。ところであんたは、髪を切らないほうがいいな」
「何言ってるの? セバンさん、大丈夫?」
「あんまり大丈夫じゃない感じだ。今のはいったい何だったんだ?」
 須美とセバスチャンのやり取りの横で、ムジカとベルはバッキーのリエートにちまちまちょっかいを出していた。リエートはつつかれるたびに首を振ったり耳をぱたぱたさせたりするのだが、基本的に目を覚まそうとしない。
「どうやってここまで来たんだ?」
「ムジカさんがときどき案内してくれたのよ」
 セバスチャンがムジカの顔を見ると、チェシャ猫はにやっと笑ってみせた。
「でも、私は公爵夫人の家に行きたかったのに……」
「だってよ、あの家コショウすげえぜ。知ってるだろ、公爵夫人は相当なヒスなんだからお前さんにブタのお守りを押しつける。トンチキめ! ほら公爵夫人はこんなカンジだ」
「それでも行かなきゃいけなかったんじゃないかしら。だってウサギさんは公爵夫人に会いに行くって言ってたんだもの。章を読み飛ばしちゃったみたいで落ち着かないわ。いえ、それより……どうしてチェシャ猫がティーパーティーについてきてるの?」
「面白そうじゃんか」
 ムジカはへらへら笑いながら、熱い紅茶の中に角砂糖を入れまくっている。
 セバスチャンはズレてきた帽子をかぶり直して、須美に詰め寄った。須美は詰められた距離ぶんだけ後ろに引いた。
「筋書きどおりに進めば元に戻れるかもしれないぞ。確信はないが、前例はある」
「でも、とっくにお話は破綻してるわ」
「アリスなんて、最初から最後まで破綻してるさ。それでも、最後のページはあるんだ。――公爵夫人とウサギが何たら、って言ってたな。白ウサギを追いかけたのか」
「ええ。いなくなっちゃったけど」
 いなくなっちゃった――そう言ってから、はっ、と須美はテーブルを見回して気がついた。ベルとムジカがいつの間にやらいなくなっちゃってるのだ。ムジカの『案内』にベルがのこのこついていってしまったのか、ベルが勝手にふらっと出かけて、ムジカも勝手にへらっと出かけていってしまっただけなのか……。ともあれ、多動児がいなくなってしまった。
「ベルもいないわ」
「あ、本当だ。ムジカもだ」
「もう。あの子をどうして家で引き取ってるかわからないの? ふらふらどこに行っちゃうかわからないからよ。世間知らずだし、ケガしても痛くないからどこに行ってもケガして帰ってくるし。そのうち首をなくして帰ってくるのよ」
「す……すまん」
「セバンさんと一緒なら大丈夫だって信じてたのに……っ」
 デレた。今ちょっとデレましたよね。微妙?
「あ、そ、その……すまん……」
 セバスチャンはあたふたと帽子を直し、須美の前のティーカップに紅茶を注いだ。
「まあ、ほら……紅茶でも」
「……」
「確かアリスはこのあと、ハートの女王のクロケーに行くんだ。それからニセ海亀とグリフォンと躍って、それから裁判所に行く」
「……そうやって聞くと、本当にストーリーが破綻してるわ」
「白ウサギとは女王の庭でまた会うはずだぞ。公爵夫人ともそこで会える。ウサギを追っかけるつもりなら、女王のところに行けばいいんじゃないか?」
「ウサギ? ウサギって、僕? それとも、これ?」
 間延びした声が不意に聞こえた。
 いなくなっていたはずのベルがもう戻ってきていた。隣には、ムジカのにやにや笑い。彼とベルの口元には、たっぷりチョコレートがこびりついていた。そしてベルの右手は、あわれな白ウサギの耳をむんずとつかんでいた。
「「あ、白ウサギ!」」
 須美とセバンの台詞が見事に重なる。ふたりはぱくっと口を閉ざし、ばつが悪いような恥ずかしいような面持ちをつき合わせ、慌てて目線をそらした。
「どこで見つけたんだ、そのウサギは」
「お城の庭だよー。うろうろしてたから。ウサギっておいしいよねー。だから、今晩のシチューにしちゃえばいいと思ってー」
 ウサギはおいしい! 今晩のシチュー! (ウサギにとっては)戦慄を禁じえない言葉を聞いて、観念したかのようにぐったりしていた白ウサギが、いきなりばたばた暴れだした。
「離して離して離して! どうかお慈悲を! 女王様のクロケーに遅れちゃう、どうか助けて! 離して! てゆーかアンタもウサギでしょ!?」
「えー? 僕は……キメラだよ。未完成のベルだよ、ウサギじゃないよぅ」
 依然として耳をつかんだままのベルの言動に、須美はほっと息をついた。
「どうやら、ベルも物語に取り込まれちゃったわけじゃないのね。ムジカさんはどうだかわからないけど」
「へへ、面白ぇじゃんこういうのも。なりきったらなりきったで透明になれるしさ。俺は俺だと思えば勝手に動けるしさ。楽しませてもらってるよ」
 ムジカはチョコレートタルトを1ホール抱え、にやにや笑いでぱくついている。セバスチャンは目を見張った。チョコレートタルトなど、どこから持ってきたのだろうと。ぴかぴかに光る銀の皿の上に乗ったタルトは、4人でも食べ切れそうにないくらい大きくて、豪勢なものだった。ベルの口のまわりを見るに、彼もあのタルトを食べたのだろう。
「ふたりとも、そのタルトはどこから盗んできたんだよ」
「お城の厨房からだよー。ムジカは透明になれるから忍びこむの簡単だったんだ」
「盗んだって認めちゃった」
「ベルもお城に勝手に入ったの?」
「ううん。僕はムジカに言われて、庭で暴れてたよ。暴れてれば、ムジカがお茶に合うもの持ってきてくれるっていうから。ペラペラな身体の兵士がいっぱいいたー。いっぱいぶっとばしたー」
「ああもう。ムジカさん、ベルを利用したのね」
「おかげでいい茶請けができたじゃねえか、終わりよければすべてよしってなもんだうんうん」
 ムジカはまるで悪びれず、城から強奪してきたタルトをテーブルの上にずどんと置いた。すでに大きなタルトは3分の1くらい減っている。
「これはせっかくだから食うしかないな」
「その理屈はおかしいわ」
「タルト嫌いか?」
「そ……そんなことない。ま、待って、会話が成り立ってないでしょ!」
 デレた? 今デレましたよね? 違うか。
「ほら、食えよ。俺も食うから」
 そう言ってフォークを須美に渡しつつ、セバスチャンはタルトを食べ始めた。仕方なく、須美もタルトを口に運ぶ。
 あの、不思議な館の不思議な薬と同じくらい、チョコレートタルトは美味しくて、甘くて、とろとろしていた。口の中から鼻に抜けていく、カカオと砂糖の甘い香り。タルトの香ばしさ。トッピングのベリーとグミの実の酸味が、チョコレートクリームの甘さを中和しながら引き立てる。チョコレートクリームには生クリームが混ぜこまれているらしい。さくさくしているような、ふんわりしているような、しっとりとした上品な甘味。
 盗んだチョコレートタルトは、夢の味。
「おめでとう」
「……今日は、なんでもない日よ。誰の誕生日でもないわ」
「だからこそだ、なんでもない日、おめでとう。俺と須美が生まれなかった日」
「……その歌、原作には出てこないの。知ってるでしょ? セバンさんなら」
「知ってるよ。でもイカレ帽子屋ときたら、『なんでもない日おめでとう』だろ?」

 プップクプップップー。
 プーックプップクプップップー。
 プップップーのプップップー。プーーーー。

 突然響きわたった、調子っぱずれのラッパの音色。
 そしてどろどろどこどこと、それに続く馬脚が立てる音。
 須美もセバスチャンも、ベルもムジカも、リエートも、思わず顔を上げる。
 トランプだ、トランプの兵隊とグリフォンの引く馬車(馬が引いてないんだから馬車とは言わなくない?)が、大挙してティーパーティー会場に押し寄せてきているのだった。
「こいつらです! こいつらのせいで遅刻したんです! ひいいお許しを! お許しをー!」
 ベルの手の中で白ウサギがぴょんぴょん跳ねる。
 トランプ軍の中にも白ウサギがいた。ハートの柄の服を着て、ラッパを吹いているのだった。グリフォンとロブスターが引く馬車(だから馬車じゃないってば)は、なぜか幌もドアもなく、まるで石の座席そのものだった。重厚な石の座席には、着飾った太った夫婦が窮屈そうに座っている。
 ――ハートの女王だ(それと影の薄いハートの王様だ)。
 ハートの女王と王様は、背丈こそ人間とかわりないのに、見事なくらいの2頭身。女王はハートの王錫を振りかざして、金切り声を上げた。
「死刑! こやつらの首をちょん切れ!」
「まあおまえ、落ち着いたらどうだ。まだ子供じゃないか。それにこの子たちがタルトを盗んだ証拠はないよ」
 きいきい声でわめく女王を、2頭身の王様がなだめている。
 セバスチャンは口の中にタルトのかけらを入れたまま硬直していた。歯が溶けそうだ。ムジカはにやにや笑いのまま。ベルは白ウサギを無表情でつかんでいたが、あまりにうるさかったので、ティーポットの中に押しこんだ。バッキーのリエートはウサギのあわれな悲鳴で目をさまし――あるいは正気に戻ったのかもしれない――脱兎のごとく須美に駆け寄って、彼女の肩までよじ登った。
 しかし王様と女王の目は節穴らしく、テーブルの上にずどんと乗っている食べかけのタルトに気づいていないようだった。
「おまえたち! おまえたちがわらわの城からわらわのタルトを盗んだと、わらわのジャックが言うておる。左様相違ないか!」
「まあおまえ、審議は陪審員がみんな席についてからにしようではないか」
 まわりでは、トランプの兵隊たちががたごとと傍聴席や陪審席を組み立てていた。どうやら、クロケーもニセ海亀の悲しい話と踊りもすっ飛ばして、ここでタルト裁判を始めるつもりらしい。陪審のトカゲやオウムやネズミが、どこからかいそいそと集まってくる。兵士たちはつっけんどんに、陪審員に石筆と石板を配っていた。
「これがそのタルトじゃねえのかなあ」
 突然、チェシャ猫ムジカが立ち上がり、テーブル上のタルトを掲げた。須美の制止はまるで間に合わないくらい素早かった。
「ムジカさん、何てことするの」
「この者の首をちょん切れ!」
 雷鳴のような女王の宣告。ムジカの口のまわりには、チョコレートがついたまま。しかし彼の姿は消えていく。チョコまみれのにやにや笑いを残して。
 陪審と兵士がどよめいた。
「陛下、消えてなくなってしまいましたぞ。ちょん切る首がなくなってしまいましたぞ」
「ええい、では次! そこな帽子屋!」
 怒鳴りつけるように呼びつけられて、セバスチャンが飛び上がった。原作の帽子屋と同じように、彼はカップを持ったままあたふたし始めた。
「な、なんでゴザイマショウ」
 へんなアクセントの敬語だ。敬語ではなくけえごと言うべきシロモノだ。
「貴様は何か知っておらぬか」
「あ、あーとえーと、ベル……三月ウサギがムジカ猫と結託してタルトを盗んできたそうなんですよはい」
「セバンさん!」
「よしわかった。この三月ウサギの首をちょん切れ!」
 ペラペラの兵士たちが、わっとベルに襲いかかった。ベルはきょとんとしていた。が、それも一瞬のこと。彼が前に差し出した左腕がばしゃッと星型に開いた。ペラペラの兵士たちは、わっと叫びながら全員逃げていった。その一糸乱れぬ動きは、イワシの大群のよう。
 混乱に乗じてセバスチャンも逃げ出そうとしていたが、須美がその服の裾をしっかりつかんでいた。
「そこの娘は見かけぬ顔だな。名は何と言う」
「……朝霞須美と申します、女王様」
「アリスか、よくわかった」
「え、違います。須美……」
「アリス、おまえの肩の眠りネズミが目障りだ。この法廷から即刻つまみ出せ! さもなくば首をちょん切るぞ!」
「この子はリエート、眠りネズミじゃないわ。私は須美、この人はセバンさん。三月ウサギはベル。チェシャ猫はムジカさんよ」
 須美はすらすらと、よどみなく言った。
「私たちはタルトを盗んだかもしれないけれど、貴方は私たちの名前と時間を盗んだわ」
 ハートの王様が、「ぷはっ」と驚いたのか笑ったのかわからない奇妙な声を出した。たぶん噴き出したのだ。その横のハートの女王は、一瞬あっけに取られていたが――見る見るうちに、その顔が紅潮してきた。桃のような色から、リンゴのような真っ赤に変わって、とうとうプラムのような赤紫になり、しまいにはブルーベリーのような真っ青になった。
 顔の色が変わっていくだけではない。怒りのあまりか、どういう理屈か、風船のようにハートの女王の身体が膨らんでいく。隣に座っていた王様はその肉に圧迫されてしばらくじたばたしていたが、数十秒後にはぷちっと潰れた。
 石の座席も、陪審席も、女王の身体が押しつぶす。
「だ、だだだだだ黙れれれれれれれぶぶぶぶ無礼者ッ、こここここここの小娘のくくくく首をちちちちちちちちょん切れ切れ切れ切れ切れキィイイイイイイ!」
 慌てふためいて逃げだす動物の陪審員。
 おろおろしながら、ぺらぺら兵士が右往左往。
 セバスチャンは口をぽかんと開けて、この光景を見つめていた。さっきからケラケラケラと聞こえてくるのは、ワライカワセミの声ではなくて、ムジカ・サクラの笑い声。笑い顔はどこにもないのに、哄笑だけは聞こえてくる。
「『貴方なんて怖くないわ』」
 須美は肩のリエートをそっと抱えて、女王の前に突き出した。
「『だって、貴方たちはただのカードじゃないの』」
 リエートが須美の手からジャンプして、女王の巨大な顔の鼻に、ぺたりと張りついた。あまりにも小さな口を開いて、かぷり、と女王の鼻の頭に噛みつく。
 世にも恐ろしい、悪夢のような断末魔が――


 朝霞須美とベル、
 セバスチャン・スワンボート、
 ムジカ・サクラの眠りを破る。


 目覚まし時計が金切り声を上げていた。
 須美は身体を起こす。まず目に飛びこんできたのは、枕元にちょこんと座っているバッキーのリエートと、彼(彼女?)の下にある一巻のプレミアフィルムだ。
「おはよー、ツンデレー」
 目をこすり、いつも以上に間延びした挨拶をしながら、ベルが須美の寝室に顔を出す。
「なんかさー、ヘンな夢見ちゃったよぅ」
「……ベルも『不思議の国』に行ってたの?」
「ふしぎ? ふしぎと言えば、ふしぎだったかもしれないけどー……うーん……僕は寝てたんだ」
 あくびをしながら、ベルはドアを閉めた。
 須美はフィルムを手に取り、首を傾げる。
 いつ、自分は眠りについたのだろう。セバスチャンやベルと散歩をしていたような気がするのだが。いつ、眠りに落ちて、チェシャ猫ムジカや白いウサギに振り回されるはめになったのだろう。
 須美は朝の支度をすると、今日の放課後、古本屋に行くことにした。セバスチャンが店番をしている、あの古本屋。きっとセバスチャンも、同じ夢を見て、その中で、夢のような味のタルトを食べたと言うだろう。ひょっとすると、ムジカ・サクラもそこにいるかもしれない。今日ムジカと会えなくても、いつか会ったときに聞いてみよう。不思議の国でいっしょにがたぴしゃパーティーをやらなかったか、と。
 もし、セバスチャンもムジカも、そんな夢を見なかったと言ったら?
 そんなときも、アリスと同じように、見た夢の内容を話して聞かせるだけだ。
「ありがとう、なんでもない日」
 外に出て青空を見たとき、須美はそう呟いた。



〈了〉

クリエイターコメントオファーありがとうございました。もっと早くにお届けしたかったのですが、結局ぎりぎりになってしまい、申し訳ありません。
ちょっとカオス文章で書いてみました。カオス系ノベルは久しぶりです。
アリスは最近になって文庫を買って最初から最後まで読みました。ストーリーはカオスですが、きれいな詩と偉大なる夢オチは、後世まで語り継がれていくべきものだと感じます。
公開日時2008-10-24(金) 22:40
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