★ 【悪の華】レッド・アイをもう一杯 ★
<オープニング>

 ケイン・ザ・サーカスを発端にした一連の騒動も無事解決し、銀幕市では市を挙げての大運動会が開催され、これも大盛況のうちに幕を閉じた。
 ケイン・ザ・クラウン率いるサーカス団と、ケイ・シー・ストラ率いるテロ集団は、大所帯であるためなかなか住居が定まらず、現在は悪役会が所有するビルのフロアで生活している。ビルの1階は悪役会事務所になっていた。悪役というのはクレバーでアナーキーな人物が多く、運動会にも参加せずに、だいたいがいつもどおりの生活を送っていた。
 竹川導次も運動会に顔を出すようなガラではないと、そして、今は解決しなければならないことがあると言って……市民の目が運動会に向けられた初日、部下を伴って表から姿を消したのだった。


 アズマ研究所からブラッカが対策課を訪れたのは、運動会が終わって間もなくだった。応対したのは植村だ。
「ミランダさんが?」
「ああ。また妙なことを口走っている」
 ムービーキラーと化したものの、今のところ何とか存在することを認められているのは、ミランダだけだ。それも、アズマ研究所での研究サンプルとして生かされている。出身映画が同じブラッカは現在もアズマ研究所にとどまって、彼女の様子を見守っていた。
 ミランダの容態はどういうわけか安定している。ムービーキラーによっていろいろ「症状」も違うらしい、というのが東栄三郎の判断だ。最近は、ゴールデングローブのシステムを応用した装置によって、より状態がよくなっていた……ハズだった。
「サーカスが襲撃される何日か前から、また言動が支離滅裂になってきた。そしてあのスタジオ戦の直前には大暴れだ。今も少し落ち着いたり、わめいたりを繰り返していて、不安定だ」
「うーん……しかし、例の事件と何か関連性でも?」
「そこなんだ。考えすぎかもしれないが……」
 ブラッカはそこでいったん口を閉じた。言おうか言うまいか、ほんの10秒だけ考えこんでいた。
「赤い星、赤い点、赤い光――ミランダはそんなことを繰り返し口走っている。ケイ・シー・ストラの目の話や、ヤツの心を透視したときに見えたイメージの話を聞いた。ソレが引っかかっているんだ」
「なるほど」
「そして昨日なんだが、何とか会話できるくらいには落ち着いて、俺に言ってきた。『ドウジを知っているか。ドウジはどこにいる』と」
 それを聞いて、植村はハッと息を呑んだ。
 そう言えば、竹川導次から連絡が来ない。運動会の初日、フランキー・コンティネントに会って話をつけてくると言ったきり……。
 ドウジと今すぐ連絡を取ったほうがいいのではないか。植村が携帯電話を取り出そうとした瞬間、対策課の入口が色めきだった。
「どあああああ、大変ですだ! どえらいことになりましただよおおお!」
 ケイン・ザ・クラウンだ。全身ススで真っ黒だったし、髪の毛も衣装もバクハツしている。彼は植村の顔を見るなり、体格に似合わない俊足で駆け寄ってきた。ブラッカは突き飛ばされ、勢いよくしがみつかれた植村は首がムチ打ちになりかけた。
「事務所が! 事務所が大火事で爆発したですだ! 事務所が火事とブッ飛ばされて、あわわわわ!」
「お、落ち着いてください、落ち着いてっ。悪役会で何かあったんですか?」
「襲撃だ。30名あまりがビルに火炎ビンと爆薬を投げこんできた」
 ケイ・シー・ストラがケインのあとに続いて現れ、冷静に状況を報告した。彼もケイン同様ススだらけで、全身から火薬の匂いがたちこめている。
「し、し、しかも、その殴りこみかけてきた連中というのがですだ、悪役会の……あたしらとおんなじ仲間なんでごぜえます! い、いったい何がどうなっているのやら、もうあたしゃサッパリで」
「つい応戦してしまったが、襲撃者はすぐに逃げ去った。しかし……このピエロの狼狽もわかる」
 ストラが静かに言うと、ケインは彼の顔を見上げ、植村の顔を見て、ソワソワしながら言いにくそうにつづけた。
「悪役会の仲間の中でも……ドウジ親分の取り巻きって言ったらいいんでございやしょうか……そう、最近、悪役会はふたつの派閥に分かれたなんて言われてますけんど……その……今回襲ってきたのは、ドウジ派の人たちだったんでごぜえますだ……」
 一瞬、場が静かになった。しかしソレは、本当に一瞬だ。すぐに電話が鳴り響き、市役所の職員が何人も駆け込んできた。
「3丁目で爆発事故です!」
「パニックシネマ周辺でボヤ騒ぎが……」
「10丁目で火事です! 黒塗りの車から火炎ビンが飛んできたと!」
 喧騒の中、市役所の前の通りで爆発音が上がった。ものすごい騒音を立てて車とバイクが走り去っていく。ストラが突然、銃のスライドを音高く引いた。
「この騒ぎを悪役会がもたらしているのだとすれば、われわれが沈静化に務めねばなるまい」
「えええ!? でも親分からはなんっにも指示が出てねえですだよ!」
「そこからしてすでに何かがおかしい。われらが指導者ドウジはあのアメリカ人に会いに行くといったまま何日も戻らん。その上でこの襲撃だ。ドウジはすでに死んでいるか……それとも拘束されているのか……どちらにせよ、今は動ける者が動かなくては」
「だからって鉄砲なんか持ち出さんでも。物騒じゃあごぜえませんか」
「……ダ・ヤア。消火活動で十分だったな。つい」
「フランキー・コンティネントか」
 黙って様子を見ていたブラッカが口を開いた。
「そう言えば、この間の捜索活動で、フランキーの居場所もわかったんだったな」
「電話の発信元が割れただけですだよ。ま、まあ、ドウジ親分はその手がかりを頼りにフランキーさんに会いに行ったワケでごぜえますが」
 ドオン、とまた近くで爆発音。
「私は同志とともに消火活動を行う。一刻も早くドウジを探し出せ」
 ストラは早口で言い捨てると、風のような素早さで対策課を飛び出していった。
 それとほぼ同時に、植村の携帯が着信した。相手は……竹川導次。アタフタしながら、植村は電話に出る。
「も、もしもし、竹川さんですか? 今、どちらに――」
『早く動いたらどうだ』
 笑い声を含んだその声は、ドウジのものではなかった。ゆったりと、紫煙でも吐いているかのようなため息が聞こえる。
『私の仲間たちが、銀幕市を焼け野原にしてしまうぞ』
 ガチャリ。
 一方的に切られた電話を持ったまま、植村は青褪めた顔で、その場に居合わせた人々の顔色をうかがっていた。

種別名シナリオ 管理番号820
クリエイター龍司郎(wbxt2243)
クリエイターコメント迷ったのですが、やっぱりシリーズ名をつけることにしました。しかし『静寂のシナリオ』もこのシリーズに入るような気がしますし、フランキー登場時からシリーズが始まっていたような気もします……。

さて、現在、悪役会が本格的に混乱しております。情報を整理しておきましょう。

・竹川導次が数日前フランキー・コンティネントに会いに行ったまま行方不明
・ドウジが向かった先は判明しているので今すぐ行ける
・銀幕市各所で悪役会所属のムービースターが暴れている
・悪役会事務所ほぼ全壊
・暴動を起こしているのはドウジ派?
・ケイ・シー・ストラはフランキーに会った時のことをあまり覚えていない(でも何か覚えてるかもしれない)
・アズマ研究所に収容中のムービーキラー・ミランダが、一連の事件に対して何か反応を示している?

なお、暴動の結果市内のあちこちで火が上がっていますが、消防署とハーメルンががんばっているので、PC様は「竹川導次の捜索」および「情報収集」に集中していただいて結構です。もちろん消火活動や混乱の沈静化に手を貸すのも可能ですが、あまりいろんな行動をプレイングに詰めこみすぎるのは非効率的です。フランキー・コンティネントを探すのもいいですが……。……気をつけてください。
調査や捜索の方法によっては、激しい戦闘になることが予想されます。人質捜索活動時に利用したバー(掲示板)は今でも利用できますので、プレイングの相談スレッドを立てるのもいいでしょう。しかしながら、参加者が全員必ずプレイングを合わせなければならないワケでもないです。
それでは、どうぞヨロシクお願いします。

参加者
ヘンリー・ローズウッド(cxce4020) ムービースター 男 26歳 紳士強盗
風轟(cwbm4459) ムービースター 男 67歳 大天狗
太助(czyt9111) ムービースター 男 10歳 タヌキ少年
リゲイル・ジブリール(crxf2442) ムービーファン 女 15歳 お嬢様
二階堂 美樹(cuhw6225) ムービーファン 女 24歳 科学捜査官
梛織(czne7359) ムービースター 男 19歳 万事屋
<ノベル>

 太助が市役所の外に飛び出すと、道路を挟んだ向かいのビルの1階から煙が上がっていた。火はさほど大きくない。消防車が来る気配はなかったが、ガスマスクの男たちがものすごい勢いで的確なバケツリレーをしている。太助は一瞬呆気に取られたが、ガスマスクたちの中に彼らのリーダーの姿を見つけて、駆け寄っていった。
「すとら!」
「プリヴェット。また会ったな、タヌキ」
「お、がいじんなのに俺がタヌキだってわかんのか。よくアライグマと思われるんだ」
「我が祖国では帽子の材料だ」
「え……」
 ケイ・シー・ストラが無表情だったので、冗談なのかどうか判断できず、太助はそろっと後ずさった。
「安心しろ。帽子は間に合っている」
「え、えーと。お、おまえら、バケツリレーうまいんだな。運動会出ればよかったのに」
「自粛した。――ところで、何か用があるのではないか?」
「ああ、そうなんだ。すとら、ヘンリー……」
「ケイ・シー・ストラね。科学捜査官の二階堂美樹よ」
 ツカツカやってきた美樹が、太助をまたいでストラに警察手帳を突きつける。太助は口をつぐみ、ストラは無表情で目を二度ほどしばたいた。
「ちょっといいかしら? 話があるの」
「聞こう、ジェーブシュカ」
 ストラはイヤな顔を見せなかったので、美樹は安心して手帳を開いた。
「フランキー・コンティネントに会ったときのこと、本当に何も覚えてないの? どんな小さなことでもいいから、話してほしいんだけど」
「目から光線とか出なかったか? フランキー光線」
「……顔はよく覚えている。右目に傷痕があった。……そうだな、右目は赤かったが、左目は黒かった。オッドアイの人間は初めて見た。光線は出していなかった」
 美樹と太助は顔を見合わせた。市役所で閲覧できるフランキーの情報では、彼は青と黒のオッドアイだったはずだが。
「他に赤い目の人は見なかった?」
「そう言われると――フランキーの取り巻きは皆赤かった気がする。今思えば不自然だな。そのときは何ら気にも留めなかった。……すまないが、場所も、何を話したかも、よく覚えていない。印象に残っているのは……『赤い目』ばかりなのだ」
「あれ? でも、フランキーに銀幕市のこと聞いたんだろ?」
「ああ」
「……ヘンね」
 ノック式のボールペンの芯をカチカチ出し入れしながら、美樹が唸る。
「なんだか、都合の悪いことだけ忘れてるみたい」
「私を疑うのか? 信用は無きに等しいだろうが、銃に誓って嘘は言っていない」
「ううん、違うの。『フランキーにとって都合が悪い』ことを、あなたは忘れてるのよ」
「忘れさせられてるのかも」
 新しい声がその場に加わった。普通よりもひとまわり大きいバッキーを抱えた、赤髪の少女。リゲイル・ジブリール。彼女を見たストラの顔が、少しだけやわらいだ。
「プリヴェット、ジェーブシュカ。先日のウオッカは20人で味わった」
「よかった。ケガも治ったみたいで」
 リゲイルがホッとした笑顔で、大柄なバッキーを抱えなおす。それを見て、美樹は次の質問を思い出した。
「ストラ、フランキーの周りで変わった色のバッキーを見なかった?」
「いや。覚えている限りでは、ヤツの周りにバッキーは一匹もいなかった」
「そう。じゃ、この件とは関係ないのかしら。……質問はおしまい」
 美樹は手帳にボールペンを走らせ、ポケットに収めた。
「続いて、お願いになるんだけど。……私たち、これからドウジを探しに行くわ。街がこんなことになってるんだから、きっと厄介なことになると思うの。できれば、護衛を頼みたいんだけど……」
 ストラはこれを聞き、チラリとガスマスクたちの作業状況を見た。ちょうどいいタイミングだったようだ。バケツリレーの先頭に立っていたガスマスクがひとり、素早く駆け寄ってきた。
「報告! 鎮火いたしました!」
「ダ・ヤア、ハラショー。――ジェーブシュカ、私も含めて5名同行しよう。残りには消火活動を続行させたい」
「ありがとう!」
「ニェ・ザ・シトー。われわれはいつでも貴様らの戦いの道具になる。せめてもの詫びに」
 ストラは背負っていたガリルARMを手に取ると、音高くボルトを引いた。
 竹川導次がフランキー・コンティネントを求めて向かった先は、美樹がよく知っている。ハーメルンが誘拐した人々を捜索する中でも、フランキーを追いかけ続けた美樹。彼女の携帯電話に、大胆にもフランキー本人からの打診があった。その着信をもとに割り出した発信地に、ドウジは向かい――今も戻らない。
「すとら、さっき言いかけたんだけど」
「何だ?」
「ヘンリー・ローズウッド、どこに行ったか知らないか? あいつ、悪役会だろ?」
「ヘンリー……あの奇術師か。まさに神出鬼没だ。ここ数日見ていない」
「あいつもフランキーに会いに行ったかもしんねー。ちょっと気をつけてくんないか?」
「ダ・ヤア!」
 敬礼こそしなかったが、ストラと彼の後ろの隊員4名が、キレイに声をそろえる。
 こんなところでも隊長になった気分だ、と太助はちょっと武者震いした。


 ゴオッ!
 銀幕市の上空で、風の塊が動いている。
 それには気づかず、車高の低いアメリカ製のオープンカーが、風の真下の車道を疾走していた。ガラの悪いサングラスの男たちが乗っている。後部座席の男が、下品な笑い声を上げながら火炎ビンを投げた。何を狙ったというわけでもないようだ。火炎ビン男の隣の席では、両腕が刺青だらけの男が空や窓ガラスめがけてリボルバーをブッ放している。
 と、
「おわーっ!?」
 哄笑が野太い悲鳴に変わった。
 いきなり問題の車が宙に浮いたのだ。電柱にぶつかりかけていた火炎ビンも仲良く一緒に、旋風に巻き上げられて、軽く5メートルは浮いただろうか。
 数秒後、オープンカーはアスファルトの地面に叩きつけられた。先ほどからこの車が暴走していたので、すでに人々は周囲から避難しており、車道や歩道に人影はない。その場には、煙を上げるアメリカ車と、のびた4人のヴィランズが転がるばかりだ。
 また、大きなモノが空から降ってきた。目を回している男たちのそばに、ドスンと豪快に着地したソレは、赤ら顔の大男。天狗の風轟だった。
「コラ、悪ガキどもが。火遊びはいかんぞ」
 仁王立ちで一喝してから、風轟は大きな身体をかがめ、車を運転していたモヒカンの顔を覗きこんだ。
「う、うう……テメエ……」
 モヒカンはうめきながら風轟を睨みつけた。その双眸は、目に焼きつくような赤い光を宿している。
「おぬしらで終いじゃ。まったく、悪ガキどもが連れ立って走り回りおって。いったい何がしたかったのじゃ?」
「『何が』……? 『したかった』……? ヒヒ、へへへへ。そりゃ……街をブッ壊したかったんだよっ、このクソがっボケ死ねっ――」
「ふうむ」
 小さく唸ると、風轟はポカリとモヒカンの脳天を錫杖で殴りつけた。モヒカンはバタフライナイフを抜いていたが、ソレを振り回す間もなくアッサリ気絶してしまった。
 隣に転がっている刺青男は白目を剥いていた。風轟は男のまぶたをこじ開ける。
 やはり、赤い目。
「気絶しただけでは直らんのか。やむを得んな。やはりアズマとやらの研究所に放りこんでおくかのう」
 アズマ研究所には、危険なムービーキラーをも閉じこめておける設備が整っているし、もしかするとアズマや研究員が赤い目のナゾを解いてくれるかもしれない。風轟は手にした団扇を一振りし、再び旋風を起こした。風に巻き上げられた男たちの中には、宙に浮いた瞬間に気がついた者もいたらしい。悲鳴が空に舞い上がり、細くなって、聞こえなくなった。
 風轟は地上で腕を組み、風にさらわれていく悪役たちを見送った。
「む?」
 周囲に人影はなかったハズだが、風轟の視界の片隅で、スッと何かが動く。
 10メートルほど向こうの、曲がり角。
 そこに、ステッキをもてあそぶ、紳士然とした男の影が――。
「……誰じゃ……?」
 風轟が目を細めてまばたきしている隙に――つまり、ほぼ一瞬だった――細身の紳士は煙のように消えていた。風轟は翼で軽くひと飛びし、曲がり角に降り立つ。
 誰もいない。誰かがいた痕跡もない……。
「天狗が化かされるとはのう。しかし……どこかで見たような風体じゃったなぁ」
 耳の下を掻きながら、大天狗はまた空を見る。銀幕市は、あちこちから白い煙を上げていた。しかし、もう物騒な音は聞こえてこない。


「な、なんだこりゃ」
 ベイエリア、倉庫街。アズマ研究所が使っている倉庫を訪れた梛織は、思わず、その「山」の前で立ち止まって目を白黒させた。ガラの悪い男や、いかにも人を喰いそうな二足歩行のモンスターたちが、研究所の外で山になっていた。ほぼ全員気絶しているようだ。スチルショットを手にした研究員が、呆然とした様子で悪役の山を見上げている。
「どうしたんだ、コレ」
 梛織は適当な研究員の肩を叩き、山をアゴで指した。
「たぶん市内で暴れてた連中だと思うんだけど。空から降ってきたんだよ」
「はァ?」
「本当だって。何がどうなってるのか、こっちもサッパリだ」
「……街ン中まわる手間が省けてよかったって考えとくか。なァ、悪いんだけど、しばらく見張っててくんない?」
「そりゃね。ここでまた暴れられても困るし」
「で、今、中にハカセいる?」
「いるよ。サンプルキラーのデータ取ってるはずだ」
 研究員に悪気はなかっただろう。が、梛織はそこで気分を害した。白衣の襟をつかみ、噛み付くような勢いで吐き捨てる。
「『サンプル』じゃねぇ。ミランダって名前があるだろうが!」
 研究員が何か答える前に、荒々しく手を離して、梛織は研究所に入っていく。ミランダが収容されている部屋は知っていた。あれから何度もここに来ている。
 ミランダはいつもの部屋にいた。特殊ガラスで仕切られた、そう狭くはない『観察部屋』の中に。しかし、梛織が最後に来たときとは、部屋の様子が違っている。まず、圧倒的に機材が増えていたし、壁には無数の傷がついていた。
 梛織がその部屋に入ったとき、東栄三郎は腕を組んでガラスの壁を睨んでいた。
「おいこらっ!」
「ぬおっ!?」
 さっきの研究員につかみかかったときよりも激しく、梛織は東に詰め寄っていた。
「なんで悪化してるんだよ! 絶対に治せって言っただろ!」
「落ち着け! 悪化したわけではない。精神レベルが不安定だというだけだっ」
「同じじゃんか!」
『…………誰か、来たのか? ドウジか…………?』
 スピーカーから聞こえてきた、気だるい声。梛織は東からパッと手を離し、ガラス面に駆け寄っていた。
「ミランダ! どうしたんだよ。どっか悪いのか? 大丈夫か?」
『赤い目……大丈夫か? 地下にいる……。私は地下にいた。ドウジ…………大丈夫か? 赤い目を見かけなかったか……?』
 パイプベッドに腰かけていたミランダが、ノロノロとガラスに近づいてきていた。ガラスに置いた梛織の手に、彼女は自分の手を合わせて、ガラスが息で曇るくらい顔を近づけてくる。
 ミランダの顔をこれほど近くで見たのは、梛織も初めてだった。
 彼女はマネキンのようにキレイな顔をしている。しかし目はうつろで、目の前の梛織ではない何かを見ているようだった。
「ミランダ。何か……見えるのか?」
『ドウジを助けろ。しかし、赤い虫を身体から追い出すには、血を流さなければならない。赤い地下の光はドウジのそばにいる。アレはもう、フランキー・コンティネントではない!』
 梛織は息を呑み、次の瞬間にはガラスから離れて、再び東につかみかかっていた。
「フランキーの野郎と何か関係あんのか、ミランダのこの有り様!」
「知らん! わからん! 息ができん!」
「クソッ!」
 梛織は部屋を飛び出し、研究所からも飛び出した。恐ろしいほどの勢いだった。途中、何人か研究員を突き飛ばしたかもしれない。外の悪役の山の前には、赤ら顔の大天狗が立っていたが、今の梛織にはその大柄な姿もよく見えていなかった。山の下でのびている悪役を乱暴につかみ上げる。
「オイ! フランキーのヤツはどこにいるんだ」
「コリャ、坊主。こやつは頭を打っておる。何か聞くなら他のならず者にしたほうがよいぞ」
「……あんたは?」
「杵間山の風轟じゃ。おぬしと目的は同じだと思うがのう。やはりあのフランキーとかいう若造が一枚噛んでおるのか?」
「ミランダが名前を言ったんだ。何も関係ないハズないんだよ」
 梛織は掴んでいた男を離し、適当に山の中のひとりを引っこ抜いて、ビシバシ往復ビンタをかました。うう、とうめきながら目覚めた男に、梛織は同じ質問をする。
 フランキー・コンティネントの居場所はどこだ、と。
 最初はゴネたりはぐらかしたりしていたチンピラ風の男だったが、梛織が彼を悪役の山の裏側に連れこんでからややしばらくすると、風轟のところに悲鳴とあわれな泣き声が聞こえてきた。梛織はすました顔で山の裏から風轟の前に戻ってきた。
「フランキーの居場所がわかった。どうも、ドウジの親分とはちがう場所にいるらしいぜ。俺、行ってくる」
「ひとりでか? ソレは感心せん。今はドウジを見つけ出すことのほうが先決じゃろう。先に問い詰めておいたが、こやつらは全員ドウジの子分のようじゃ。ドウジさえ見つけて話をつければ、今の混乱も片づくというもの」
「フランキーを野放しにしとくってことは、ミランダをほうっておくことになるかもしれないだろ! それに、このぶんだとどうせいつかはフランキーをとっちめることになるんだ。俺は悪役会に興味なんかない。ドウジのことは、ジイちゃんたちに任せる」
 風轟は梛織の目を見つめ、押し黙った。
 年経た風轟(40代のフランキーすら彼にとっては若造だ)から見て、梛織がこれからやろうとしていることは無鉄砲極まりない。力ずくでもとめるべきだろう。しかし梛織の目は、まっすぐで……本当に本当に、ミランダという一個人のためを思っていて……。
「ようし、あいわかった。ワシはドウジのところに行こう。おぬしも気をつけるんじゃぞ」
「OK。そんじゃな!」
 梛織は走り去っていった。風轟はその黒い背中を見送る。風轟に、梛織の身体のしなやかさがわからなかったわけではないが――それでも天狗は、自分の道を突き進んでいく若者に、一抹の不安を覚えた。


 竹川導次が消息を絶ったのは、ミッドタウンとアップタウンのほぼ境界線上にある一軒のビルだ。二階堂美樹の携帯にかかってきたフランキーの打診も、ここが発信源だという結果が出ている。公式な情報によればビルは地上6階建て、地下は2階まであるが、現在はどのフロアも使われていないハズだった。つい最近まで不動産会社のオフィスが入っていたが、昨今の金融危機の影響か、機材や備品をすべて残したまま代表者が夜逃げしたらしい。ビルの地下をフランキー・コンティネントがアジトとして使っていたのかどうか、知っている者は周囲にいない。地上フロアの不動産業者ならばあるいは知っていたかもしれないが……。
「これ、よかったら使って。シロウトのわたしより、あなたたちが使ってくれたほうが安心」
 リゲイルがストラ含む元テロリストに差し出したのは、彼女が手配したスタングレネードや催涙弾、麻酔銃やゴム弾だ。いわゆる非致死性兵器だった。ゴム弾を手にしたガスマスクのひとりが、くぐもった嘲笑を漏らした。
「ゴム弾? フン、オモチャじゃないか」
「口を慎め、ブレイフマン。全員装備を変更しろ。実弾の使用は避けるように。ただしハンドガンは念のため携帯しておけ。――ジェーブシュカ、9ミリくらいは許してくれるな。なるべく頭と心臓以外を狙う」
「うん。ありがとう」
「あれ、ブレイフマンいたの? ガスマスクかぶってると誰が誰だか……」
「すとら! ビルん中に何人いるかわかるか?」
「まるで虫の巣だ。地下に数十人」
「数十人!?」
 太助は一瞬身体じゅうの毛を逆立てたが、すぐに咳払いして胸を叩いた。
「俺、最近せんにゅうには自信あるんだ。おまえらとやりあったときと同じやりかたで、いっちょ様子見てくるぜ」
「竜になるのか? ハラショー。しかしそれでは『潜入』にはならない」
「ちがわい、スライムだよ」
「閃光弾とか持っていくといいんじゃない?」
「らじゃ!」
 美樹が、太助愛用の唐草模様の風呂敷に、物騒なスタングレネードを何個も包んだ。
「われわれも3名タヌキに続く。残りは待機していてくれ」
 ビルに向かって走り出した太助に、ストラが続こうとした。あっ、とすかさず美樹がストラのタクティカルベストをつかむ。
「ブレイフマン残しといてくれない?」
 ストラが微妙な顔になった。
「……ジェーブシュカ、貴様はわが同志ブレイフマンに気でもあるのか」
「ち、ちがうわよ。この間心証悪くしちゃったみたいだからできれば誤解を解きたいの。私たちが極悪人だって言ってるんでしょ?」
「ひととおり話は聞いたが、私は貴様らの捕虜の扱い方はむしろ紳士的であったと解釈している。ブレイフマンは……大げさなのだろう」
「リーダー、全部聞こえてますよ」
「――ブレイフマン、貴様は残れ。こちらのジェーブシュカのご指名だ」
「……ダ・ヤア」
 とてもイヤそうだったが、ガスマスクのひとり――ブレイフマンは美樹の隣で片膝をつき、待機体勢をとった。
「よろしく」
「……」
 ブレイフマンは無言。残りのガスマスクのひとりが、クスクス笑いながら彼の肩を小突く。ブレイフマンは無言のまま振り返り、「ハーメルン語」で罵りながらソイツを殴った。
「わっ、こんなときにケンカしちゃダメ!」
 リゲイルが慌てて仲裁に入った。その横で、美樹が空を見上げる。翼を持った大男が、ゆっくり降下してくるのが見えたのだ……。


 タヌキ色のスライムが、ずるりずるりとビルの中に入っていく。物騒なモノが入った風呂敷も、理屈は抜きにして、太助同様スライム化していた。風呂敷の中にいっしょに突っこまれていた通信機から、ハーメルンの声がかすかに聞こえてくる。
『クリア・レフト』
『クリア・ライト』
『ハラショー。出入り口を確保した。1階に敵の気配はない。タヌキ、地下への進路を確保してくれ。――われわれのガスマスクにはダークレンズを装着してある。気兼ねなく閃光弾を使え』
「らじゃ」
 廊下の窓から、埃をかぶった備品が並ぶオフィスが見える。太助が地下への階段を見つけるのは容易だった。埃や塵が積もった廊下に、真新しい足跡があったのだ。大勢の足跡は、寄り道もせず、まっすぐ階段に向かっていた。
「階段みつけたぞ。ついてくるんなら、足跡たどってこいよ」
『ダ・ヤア。進路を確認。3名前進する』
「なんかぐんたいに入った気分だ。なあ、すとら、ノーマン小隊ってしってるか?」
『あの資本主義のブタどものことか。知っている』
「…………うっわー……相性わるそー……」
『外には誰もいないわ』
『2階から上にも誰もいないみたい』
 美樹とリゲイルの声も、通信機から聞こえてくる。
『風轟さんが応援に来てくれたの。こっちは大丈夫』
『おう、若造ども。娘さんたちはワシがしっかり見ておるぞ、わっはっは。両手に華じゃ』
「気楽なもんだなー、もー」
 通信に割りこんできた陽気で野太い声に太助は軽く溜息をついて、再び前に進み始める。かすかなかすかな足音は、後ろについてきているハーメルンのものだろうか。
 階段を下る。相変わらず、多数の足跡が残っている。しかし、奇妙だ。ストラは地下に数十人の気配を感じ取っているし、足跡も新しいものばかりなのに、静かすぎるのだ。数十人もいるのなら、会話があったほうが自然なハズだが……。
「見ぃつけた……タヌキ君」
 ハッ、とスライム状の太助は視線をめぐらす。
 自分を見下ろす、見覚えのある顔。
 ヘンリー・ローズウッドだ、彼が何の前触れもなく、イリュージョンのように急に現れても誰も文句を言えない。なぜなら、彼はタネもしかけもない奇術を使えるのだから。
「見つかった! ちっくしょう!」
 太助は変身を解いて、すばやく物陰に飛びこんだ。ヘンリーは何もしてこなかったが、たちまち地下フロアが銃声と怒号で埋め尽くされた。硝煙のニオイが立ちこめ、そこらじゅうで火花が散る。
『援護する、タヌキ!』
「ヘンリーだ、ヘンリーがいる!」
 言ってから、太助はヘンリーの顔を思い出した。少なくとも、彼の目は赤くなかったのだ。
 しかし、どこからともなくわいて出てきた悪役っぽい男たちは、ほぼ全員がギラギラと目を赤く光らせていた。
『太助君、ムリしないで!』
『外には誰もいないわ。私も応援に行く! がんばって持ちこたえて!』
 太助は風呂敷を広げて、閃光弾を取り出した。ピンを抜き、特に投げる場所も定めないまま、無我夢中でブン投げる。
 どれくらいの光と音がフロアに響いたか、太助は知らない。目を閉じて耳をふさいでいた。ただ、毛皮がビリビリと震えるくらいの衝撃があったのは確かだ。衝撃と軽い銃声がその後に続いた。恐る恐る太助が顔を上げる頃には、フロア内は少し静かになっていた。少し、というのは、複数の足音が地下フロアになだれ込んできているからだった。
『エネミー・ダウン!』
『ハラショー。タヌキ、貴様の閃光弾のタイミングがよかった』
『オール・クリア――ウッ!』
 太助の視界の中で、パスッという小さすぎる銃声とともに、ガスマスクのひとりが倒れた。フィルムにはならなかったから、死んだワケではないようだが、太助は軽く飛び上がった。
 パスッ、パスッ、パスッ。
 映画の中でよく聞くこの音。サイレンサー付きの銃だ。
『ヘンリー! ヤツが撃ってきている』
 興奮したのか、ハーメルンたちの音声はそれきりハーメルン語になってしまった。太助の目の前のガスマスクが、ゴム弾銃を捨ててハンドガンを抜いた。
 ごうっ、と室内に猛烈な風が吹く。
 変わった銃声。スチルショットを誰かが撃った。
 風轟、美樹、リゲイルも、地下フロアに入ってきたのだ。
 銃撃はそこで、ピタリとやんだ。
「なに……ここ……」
 太助は見る余裕がなかったフロアを、美樹とリゲイルは見回し、ゾッとその身を震わせた。
 天井は鏡張りだった。無数のスロットマシンとビデオポーカーが映っている。そして、その下には、確かに無数のマシンが、整然と並んでいる。しかしそのスロットマシンのリールドラムには、何のシンボルも書かれていない。ビデオポーカーには、電源が入っていない。
 ビルの大きさは平凡で、地上フロアはそう広くもなかった。しかし、この地下フロアの広さは異常だ。まるで、この空間だけ常識から切り離されているかのよう。
 ムービーハザードなのか。
 心の中の奥の奥に、ナイフをさしこまれるような……不吉で不安定な印象を与えてくる空間だ。美樹はエネルギーチャージ中のスチルショットを抱き寄せた。この空気を知っているのだ。
 ネガティヴゾーン、あの、『穴』の底から行った異空間の空気に、この異形のカジノの空気はよく似ている気がする。
 美樹とリゲイルは顔を見合わせた。ふたりとも、考えていることは同じだ。彼女たちはネガティヴゾーンに行ったことがある。
「風轟さん、大丈夫? 具合悪くなったりしてない?」
 リゲイルは風轟に尋ねた。
「いいや。ちと冷えるがのう。なんじゃ、急にいたわられると、自分がえらく年を取ってしもうた気分になるぞい」
「ごめんなさい。ここ、なんだか、イヤな感じがして……」
 ザリ、ッ。
 電源が入っていなかったはずのビデオポーカーの画面が、一斉に光った。

「お前らホンマに殺る気あんのか?」

 ビデオポーカーの画面に、一瞬、チラリと男の顔のようなものが映ったが、すぐに消えた。本当に、一瞬だった。その光が消えたとき、フロアに低い声が響く……。
 ザザザザザザザザ、と固く冷たい音が、さざなみのように押し寄せる。
 それは、数十の男が数十の銃や刃物を構える音だった。見回せば、スロットマシンやビデオポーカーの陰に身を潜める男たちの、真っ赤な双眸が見て取れた。
 太助のそばでハンドガンを構えていた男が、ガスマスクを取り、体勢を低くする。ケイ・シー・ストラだった。太助のほうは見なかったが、手をかざして、「伏せていろ」とサインを出している。
 美樹とリゲイルの前には、団扇を構えた風轟がずいっと進み出た。
「ドウジさん……、ここにいるの?」
 リゲイルは、たまりかねて声を上げた。自分のバッキーを強く抱きしめて。
「ドウジさん、どうして、こんなこと! ドウジさんが命令してるの? そんなのおかしい。ドウジさん、脅かされてるんでしょ? そうだよね? だってこんなこと、ドウジさんなら、しないもの……!」
「俺らはこうあるべきやった。嬢ちゃん、悪役は、こうして……世間様に迷惑かけて、卑怯なマネもやって、恨まれて……追いつめられて……終いにゃ退治されるもんや。そういう定石がなかったら、映画ちゅうのは、もっと味気ないもんやった。……今回の騒ぎは、ちいと陳腐やったがな。お前らが俺を追うには、充分やったろ」
「アハハハハ! ああ失礼、君からそんな台詞が聞けるとは思わなかったものだから。続けて」
 ヘンリーの場違いな笑い声が、どこからか響く。
 太助はストラの制止を振り切って、スロットマシンの陰から飛び出した。
「親分! フランキーに会ったのか!? そんで、おかしくなったんだろ。すとらとおんなじだ。でてこいよ、助けに来たんだから……!」
 ガツン、とものすごい音がして、火花が飛び散った。
 太助の目の前のスロットマシンが袈裟懸けに切られたのだ。
 ドウジ――竹川導次!
 長ドスを振り上げて、彼が突進してきていた。彼の象徴たる隻眼がギラギラと赤く輝いているのを、その場にいた全員が見た。
 太助は慌ててドウジの第二撃を避けた。彼は人間よりずっと小柄で、すばしっこい。すぐに固いスロットマシンの陰に隠れた。スロットマシンにドウジの薙ぎが命中する。普通なら、長ドスのほうが折れるところだろうが、映画補正というやつだろうか――長ドスは刃こぼれもせず、スロットマシンが真っ二つになった。
 ストラが発砲した。だがそれと同時に、部屋のあちこちから銃弾が飛んできた。耳をつんざく銃声の嵐が、地下のフロアで跳ね回る。
 風轟が団扇を振った。銃弾すら押し返す凄まじい風が吹く。美樹とリゲイルの安全はかろうじて守られた。
 耳を押さえて座りこんだ太助をストラは抱え上げ、フロアの入口までひと息に走って、風轟の後ろに滑りこんだ。
「おうおう、これは気合を入れて風を起こさねばのう」
 風轟は一瞬ニヤリと笑い、むん、とひときわ強く気合を入れて団扇を振りぬいた。
 近くのスロットマシンが床から浮き、1メートルくらい宙を舞った。それくらいの暴風だった。赤い目の悪役たちも、当然、悲鳴やマシンといっしょに宙を舞っていた。
「――ごめんね、親分!」
 風轟の腰の横から銃口を突き出し、美樹がスチルショットの引金を引く。
 風轟の暴風でも、吹き飛ばずに後ろに一歩退いただけだったドウジ――彼の胸に、スチルショットのエネルギーは命中した。
 長ドスを振りかざして走り寄ってくるその体勢で、竹川導次の姿が静止した。『ドウジがゆく』のクライマックスの一コマを切り取ったスチルのように。
 部屋中からの攻撃が、戸惑ったかのようにピタリと止まった。
「よしっ……つかまえるぞ!」
 太助が前に出ようとした。
 リゲイルが身震いした。イヤな予感がしたのだ、とてもとても、イヤな……。
 風轟とストラもソレを感じ取った。ストラは手を伸ばして太助のシッポをつかみ、風轟が一本歯のゲタで背中をむぎゅと踏みつけた。

 パスッ!

 一コマだけ切り抜かれた世界に、一発の、押し殺された銃声。
 ドウジが隻眼を見開いて、次の瞬間には苦痛に顔を歪め、床に倒れた。

 パスッ!

 もう一発。

 ダムッ!

「ブレイフマン!」
 ストラが彼を咎めた。ブレイフマンが、ヘンリー・ローズウッドをまともにAKで撃ったのだ。AKの攻撃力は恐ろしく高い。胴体のどこに当たっても致命傷になりうる。幸い急所は外れたようだったが、部屋の奥にいたヘンリーは後ろに倒れた。サイレンサーつきの銃が飛んだ。ヘンリーは殺気と怒りに満ちた目つきで、右肩を押さえながら立ち上がる。
「ドウジさんが!」
「お、親分! おい!」
 リゲイルと太助は慌ててドウジに駆け寄っていた。無愛想な床に、血だまりが広がっていく。スーツも……シャツも……真っ赤に染まっていく。ただ、うっすらと開けてリゲイルと太助を見たその目が、茶色だった。
「ヘンリーさん、どうしてこんなこと……!」
「どうして? わかりきったことを訊くんだね。僕は悪役だ。悪役として……ヘンリー・ローズウッドとして動いてるんだ。それに、その這いつくばってるヒトがもとから大嫌いだしね」
「むう、おぬしか。街で火をつけてまわっておったな。見覚えがあると思えば……。おぬしもあのフランキーとやらに会うたのか」
「会おうと思ったけれど、追い返されたんだよ」
 ヘンリーはニヤリと、凶悪にも見える笑みを浮かべた。
「僕とは『会う必要』がない、だってさ。そうとも。僕は彼のやり方が間違っているとは思わないからね。……悪役らしくない悪役なんて、気持ち悪いと思わない? 自動車は空を飛んだりしないだろ? 蜘蛛が畑を耕すかい? ヤクザが堂々と警察や役所と協力するのも同じことさ。どうして親分が、自分の役割を放棄して平気でいられるのか――僕にはわからない!」
 まるで奇術だった。ヘンリーの血まみれの左手が、いつの間にかリボルバーを握りしめている。
「殺してやる。ちょっとはマシになったと思ったのに、所詮おまえは竹川導次だった……!」
「――やめて!」
 リゲイルが、ヘンリーの銃の弾道に割って入る。
 ヘンリーが引金を引こうとした。
 その前に、美樹がチャージ完了直後のスチルショットを撃っていた。今度の標的はヘンリー・ローズウッド!
 地下フロアが再び騒がしくなる。様子を見る限りでは、ドウジが撃たれたことで正気に戻ったものいれば、まだ目を赤く光らせて、武器を構えている者もいるようだった。混乱の中、硬直したヘンリーの姿が、人ごみにまぎれて見えなくなる。
「親分の血がとまんねーよ! 病院だ!」
「よしわかった。外に出れば風でひとっ飛びじゃ」
「ハラショー。退避するぞ。グレネード投擲!」
「ダ・ヤア!」
 風轟や太助たちが階段に向かうのを確認し、ハーメルンの5人が一斉に閃光弾と音響弾を投げた。
 密閉された地下においては、スタングレネードの威力も凄まじい。ものすごい光と音を背に、9人は走った。
 光が見えてくる。まだ銀幕市は夕方にも差し掛かっていない――
 銃声。
「うおっ!」
 先頭を走っていた風轟がたたらを踏んだ。
 すぐ後ろについて走っていたリゲイルと美樹にとっては、壁が急に目の前に現れたのと同じだった。天狗の背中という壁にものの見事にぶつかって、リゲイルと美樹はひっくり返った。運悪く太助とリゲイルのバッキーが下敷きになり、美樹のバッキーがボールのように飛んで、しんがりを守って走っていたハーメルンのひとりの顔面に激突した。
 銃声。
「うぬぅ!」
 風轟が後ろによろめく。
 撃たれている。
 風轟が前から撃たれていた。
「ぼ……、ボウズ……!」
 ビルの出入り口で、光を背負って、黒い服の青年が……ベレッタM84を構えている。
 黒い髪。大人びた少年にも、あどけなさを残す青年にも見える顔立ち。
 赤い目。
 梛織だった。スタジオで、銀幕ジャーナルで、この場の誰もが彼の顔と名前を見たことがあった。彼はヴィランズではない。いきなり銃撃してくるような人物ではない。
 風轟が担いでいたドウジを落としてしまった。そして風轟自身も、ゆっくり膝をつく……。
「いやあっ……、やめてぇぇえええ!」
 パシッ!
 梛織の放った弾丸が、リゲイルの左脇腹をかすめる。
(あ……れ……? これ……前にも……、こんなこと……あったような気がする。デジャ……ヴ……?)
 傷は浅いはずなのに、急激に薄れていくリゲイルの意識の中で、霞のように飛び散る赤い血。美樹が悲鳴を上げる。跳弾が彼女の右腕を抉る。ガスマスクが足を撃たれて、美樹の隣に倒れる。黒い迷彩服の胸に刺繍された名前は、ブレイフマン。
 ロシア語か、ハーメルン語か。ストラが叫び、銃を抜く。
 ゆっくり……すべては、まるで、スローモーションのよう……。
「すとらああああ! 撃っちゃ、ダメだあああああ!」
「ノル・ニェ……ッ! このままでは……全滅だ!」

 バムッ!
 バム!
 バムッ!

 最後に飛び散ったのは、梛織の血だった。ストラのジェリコ941が火を噴いたのだ。
 梛織が倒れ、ストラが倒れる。元テロリストは左脇腹を押さえて悶絶した。彼も撃たれていた。防弾ベストごしとはいえ、治ったばかりの肋骨に銃撃を食らったのは、かなりのダメージだったようだ。
「ぅわあぁあああっ! わぁああああっ! こんなのねぇよ! こんなのってねぇよぉぉ!」
 倒れていないのは、太助だけだった。
 血を吐くような叫び声を上げて、太助は走る。すでに意識がないドウジ、リゲイル。美樹も右腕の出血と痛みのために必死で、ほとんど動けない。ガスマスクは全員倒れていた。ストラと風轟のうめき声がかすかに聞こえる。
 銃を落とし、仰向けに倒れた梛織。太助は彼に駆け寄った。何度も会ったことがある。話したことも。一緒に事件を解決したことも。
「なお! おいっ!」
 梛織は目を開けてくれない。血が広がっていく。だが彼は、まだフィルムになっていない。
「これこれ、タヌキ坊主。泣いてはいかんぞ、男じゃろ」
「な、泣いてなんか……って、じーちゃん、へーきなのか!?」
「がっはっは! 短筒ごときに斃れるようでは大天狗なぞ務まらんわい!」
 腰に手を当てて風轟が豪傑笑いすると、彼の身体から潰れた銃弾が飛び出し、床に落ちて呑気に跳ねた。
「さて、事は急を要するな。前言どおり、ひとっ飛びじゃ」
 ゴオッ、と旋風が吹く。風轟の足元で、美樹はぎゅっと目をつぶった。
 目を開けたときには、全員が銀幕市立中央病院の入口にいた。もちろん、梛織も一緒だ。



 ――2時間後。
 梛織はベッドの上で目を覚ました。
 二階堂美樹、リゲイル・ジブリール、太助、風轟、ケイ・シー・ストラが、同じ部屋にいて、彼の顔をじっと見下ろしていた。
 驚いて身をよじれば、激痛が身体中を走りぬける。梛織が見た自分の身体は、包帯だらけだった。
「な、……なんだ、オイ。びっくりした……ぁ、ててててて……あちち……」
「目、赤くない!」
「なお! もとにもどったんだな!」
「よかったぁ……!」
「まったく寿命が縮まったわい」
「イズヴィニーチェ、貴様を撃ったのは私だ。許せ」
 梛織が見た5人は、皆傷だらけだった。手当てはされたあとのようだったが。
 梛織は、ボンヤリと覚えている。彼らを撃ったり悲しませたり、ヒヤヒヤさせたりしたのは、自分なのだと。
「……謝んなきゃいけないのは、俺のほうだ。ひとりで突っ走って、フランキーのところに突撃しちまった」
「じゃ、会ったのね。フランキーに」
「赤い目を覚えてる。でも、それだけなんだ。一応、グラサンと帽子装備していったんだけどさ。アイツを見たら……それっきり」
 バツが悪くて、梛織は5人と目を合わせられなかった。
「でも、場所は覚えてるぜ。ベイエリアとミッドタウンの境目あたり。スターヒルズ・ホテルのプレジデンシャルスイートに引き篭もってる。――ミランダは、どうなった?」
「特に何も聞いてない」
「そっか。……俺、ほんとに……ミランダさえよくなればって……それだけしか……」
「気持ちはわかるよ。スターがキラーになっちゃうのって……皆がつらいことだから」
 リゲイルの言葉に、梛織は顔を上げた。
 少し翳った空気を払拭するために、風轟がひときわ大きく息をついて、バキバキと肩と首を鳴らす。そして、梛織の枕元にドスンとデカい瓢箪を置いた。
「まあ飲め飲め、坊主! 傷には酒が一番じゃ」
「おっ? おー、どーもどーも!」
「ばっ、じーちゃん! 酒がいちばんヤバイだろー!」
「いや、ウオッカを毎日飲んでいたら先日の傷はすぐに治った。酒はいいものだ」
「はいっ、二階堂美樹、飲みたい気分でーす!」
「あ、わたしもわたしも。最近日本酒もけっこう飲むの」
「おーい。おーい、おまえらーっ」
「同志を呼んでもいいか?」
「おう、呼べ呼べ、わっはっは。酒盛りじゃあ」
「あー、もー。キズ開いてもしらねーぞ!」
 太助は酒で盛り上がる患者たちを見捨て、ひとり、病室を出た。
 すぐそこのICUの様子を、チラとうかがう。
 酒で盛り上がっている仲間たちも、忘れたわけではないのだ。むしろ忘れられなくて、空元気でもいいから、ずっと騒いでいたいくらいだった。
 竹川導次はかなり出血がひどく、一時は危篤状態に陥った。今は容態も安定しているが、依然として意識は戻っていない。
 悪役会の面々が、ICUの外でジッと黙って、親分を見守っていた。ケイン・ザ・クラウンの姿もある。悪役会も、ずいぶん数が減ってしまったものだ……。


 ――同刻。
 ベイエリア倉庫街、アズマ超物理研究所。
 バサリ、バサリと……奇妙な羽ばたきの音がそこに近づき……そして、爆発した。
 研究所が火を噴いた。
「おおっ、なんだ!? 何が起こった、何が爆発した!?」
 発明中や研究中の爆発などには動じない東が動じていた。予期せぬ爆発で、研究所の中は煙と叫び声と火花で満ちる。
「外に出ろ!」
「逃げろ!」
「所長、爆発はサンプルの収容部屋付近で……うわっ!」
 気絶させられ、拘束されていた、赤い目の悪役たちが一斉に目覚める。爆発音と銃声は終わらない。ほとんど戦闘力を持たない研究員たちは、慌てて倉庫から脱出していく。
「む、なんだ……? この数値は……」
 しかし東は脱出するのも忘れて、ゴーグルが示す数値に釘付けになった。
 ある程度完成した、ネガティヴパワーの測定装置が激しく反応している。まるで小さなネガティヴゾーンが動いているかのよう。ムービーキラーも常に大きなネガティヴパワーを放出しているが、その数値はミランダのソレとは比較にならなかった。
「ムービーキラーがココに……?」
 ハッ、と振り返った東の視界は、白煙と粉塵で真っ白だった。
 だが、その煙の中で――キチキチキチ、と黒い大きな何かが動いていた。まるで、巨大な蟲の脚のかたまりのようだった。異様な影は、徐々に東に近づいてくる。
 翅だ。黒い鞘羽と透明な翅が、ジジジと震えている。
 しかし、その脚と翅は、静かに縮んだ。まるで、しまいこまれたかのように。蟲の姿は消え、そのかわり、黒いコートを着た初老の男の姿が現れていた。
 逆光の中、ギラリと禍々しい光を放つ、男の赤い目……。
「やあ、ドクター・アズマ。私の『仲間』を返しにもらいにきた。仲間だ、返してくれ」
「……。もともと、押しつけられたのだ。収容する部屋にも困っていたところだ」
「そうか、ソレはいい。利害の一致というヤツだな、フフ。……ミランダはどこにいる?」
「突き当たりを左に行け」
「フム……、すまない。ここは初めてでな。案内してくれるか」
「……」
 東のゴーグルの中に、男の顔から割り出した銀幕市民情報が表示される。

 Franklin ”Frankie" Continent ID : csnh8798

 CITIZEN TYPE : MOVIE KILLER

 東はゆっくり、男を先導した。男が動くと、足音のほかに、キチキチパタパタと虫の蠢くような音もする。男はずっとスーツのポケットに手を入れていた。いつ背後から撃たれるかわかったものではないが、要求をのむより他はない。
 途中、赤い目の男が煙をかきわけて現れ、フランキーに耳打ちしていった。
「またヤツです。ヘンリー・ローズウッドが、渡したいモノがあると」
「私に会いたがっているか?」
「はい」
「わかった。とりあえず、『プレゼントを受け取ってきてくれ』」
「わかりました」
 すべては、歩きながら交わされた会話だ。振り返った東に、フランキーはニッコリと笑ってみせる。
 研究所はそう広くない。すぐに目的地にたどり着いた。
「この部屋だ」
 ミランダはまた錯乱しているようだった。
 ガラスを叩く激しい音と、彼女の支離滅裂な叫びが聞こえてくる。
「ありがとう」
 男は丁寧に東に礼を言うと、ゆっくり、ガラスに近づいていった。
 東はソロソロと距離を取る。しかし、ムービーキラーは東の行動など、もうどうでもよい様子だった。じっと、食い入るようにミランダを見つめている。
 不思議なことに、暴れていたミランダが、大人しくなっていった。ガラスを叩くのをやめ、手を押しつけ、じっと……男を……フランキーを見つめ返していた。
「フランキー! きさま!」
 怒声を上げて部屋に飛びこんできたのは、ブラッカだった。刀を抜き、裂帛の気合とともに斬りかかる――かと思いきや、彼はすぐに刀を落とした。ガクガクとその身体と首が震える。うめきながら、ブラッカは頭を抱えた。フランキーが、静かに振り返って……笑っていた。赤い右目が、火星よりも激しく輝いていた。
「『静かにしてくれ』。『刀を拾って、外に出て行ってくれ』」
 静かなフランキーの頼みを、ブラッカはすんなり聞き届けた。赤い目をしばたき、コクリと頷いて、刀を拾うと……自然な足取りで、部屋の外に出て行った。
 フランキーは、ガラスに向き直り、ミランダの手と、自分の手をそっと合わせる。
「ミランダ、感じるだろう。私たちは『同じ』だ。べつべつの身体でいる必要はない」
 フランキーのささやき。
 そして……彼が着ていた黒いコートが、ザワッ、とふくらんだ。
 生き物のようにはためき、広がった裾が、蟲の脚のカタチに変わる。鞘羽が開く。巨大な蟲が、ガラスの壁に張りついて……粉々にした。


『フランキー・コンティネントだ! ヤツがわが研究所を爆破してミランダを奪っていった! 赤い目の連中? みないなくなったぞ。フランキーについていったようだった。おお、そうだ、肝心なことを言い忘れていた――フランキーはキラー化している! ブラッカがアッと言う間に操られて、一緒に行ってしまった。我輩か? 我輩はこのとおり正気そのものだ! 恐らく、ヤツの姿を見たムービースターはみなヤツに操られてしまうのだ――これは驚くべきことだ!』
 市長とマルパスのもとに入った、東栄三郎からの連絡。
 それを聞き、ふたりは顔を見合わせる。竹川導次の暴走と入院の報も、すでに彼らの耳に入っていた。
「驚くべき能力だ。だが同時に、恐るべき能力でもある。放置はできまい」
「竹川さんも、黙ってはいないでしょうね……」
 市長は大きく息をつく。
 マルパスは後ろ手を組み、ツカツカと市長室のドアに向かっていった。
「マルパス、どちらへ?」
「竹川君を見舞いに行く。……竹川君を連れてきてくれた5人もまだ病院にいるだろう。今の所長の報告を伝えてくる」
「……わかりました、よろしくお願いします。――あ、……気をつけて」
 マルパスは静かに微笑みを返し、市長室を出て行った。
 市長は今しがた受話器を置いたばかりの電話をじっと見つめ、また溜息をつく。
 フランキー・コンティネント――このムービーキラーは、ムービースターの力を借りずに倒さねばならないのか。姿を見ただけで、ムービースターは彼の『仲間』になってしまう。
 彼がもし、白昼の銀幕市の往来に現れたら?
 柊は固唾を呑むしかなかった。



 To be continued…

クリエイターコメント情報を盛り込んだ結果、カナリ長くなってしまいました。【悪の華】1作目をお届けします。結果をまとめて箇条書きにしてみます。

・竹川導次、重傷で入院
・フランキー・コンティネントはキラー化している。飛べるっぽい。さらに、ミランダよりもパワーは上っぽい
・フランキーを見たムービースターは例外なく彼の支配下に置かれる。フランキーの支配下に置かれたムービースターは、大量に出血すると正気に戻る可能性がある
・フランキー、アズマ研究所の一部を破壊し、ミランダを拉致
・フランキーの現在のアジトは判明している
・ミランダとフランキーは「同じ」らしい?

……やっぱり、カナリ情報多かったですね。
【悪の華】シリーズは、それほど間を置かずに次回に行きたいと思っています。
今回はPC様同士でのバトルもあり、非常に書きごたえがありました。また、結果をごらんのとおり、ハーメルンを連れて行ったのは大正解です。ブレイフマンご指名は意外でしたが……(笑)。戦力もそうですが、彼らがいなかったら、PCさんがやむなく操られた梛織さんやヘンリーさんをケガさせたりして、もっと気まずいことになっていたかもしれません……。汚れ役はNPCがやればいいんです。彼らはそういう「都合のいいアイテム」です。
それでは、今後の展開にご注目いただけると嬉しいです。ご参加ありがとうございました。
公開日時2008-11-18(火) 19:20
感想メールはこちらから