★ 紅い月の宵、享楽に酔う ★
クリエイター高遠一馬(wmvm5910)
管理番号96-535 オファー日2007-06-05(火) 03:05
オファーPC ブラックウッド(cyef3714) ムービースター 男 50歳 吸血鬼の長老格
ゲストPC1 ベルヴァルド(czse7128) ムービースター 男 59歳 紳士風の悪魔
<ノベル>

「いらっしゃいませ、ベルヴァルド様」

 薄い霧に包まれた、夏の宵に似つかわしいものとも思えぬほどの肌寒い夜だった。
 仰ぐ天空には紙に描いたような赤い満月が浮いている。今しも赤い滴を溢しそうな月の下、ベルヴァルドはサングラスの下、赤い月よりもなお不吉な赤を滲ませた眸を細めて笑みを浮かべた。
 夜の底、原初の海の暗礁の最も暗い場所を彷彿とさせるほどの夜の森の程近く。 
 明治に建てられたその洋館は長の時をひっそりと眠り続け、そうしていつからかその館に住み着いた黒衣の壮年により覚醒を迎えたのだった。
 ブラックウッドという名の壮年は、館の最奥、ダンスホールとして使われていたのであろう広い部屋の中で、壁の一面に張られたガラスを背にしてアンティーク椅子の上に腰掛けていた。
 肘掛に片腕をのせ、赤いベルベッドの張られた背もたれに深く身を任せて、館の主は今にも押し開かれるであろう重厚な扉を見据えていた。

 夜霧がにわかに具象し、それがひとりの紳士の姿となった時、そこには闇夜に紛れそうな黒髪をきちんと結い纏めた少女がひとり立っていた。
 少女は気の強そうな眼差しをメイド服で包み、眼前に現れたベルヴァルドに向けて恭しげに腰を折る。
「主がお待ちでございます。――こちらへ」
「今宵は素晴らしい晩餐を開いてくれるそうだね。とても楽しみにしていたのだが、――君の主は私の到着を待ち切れずにいたと見える」
 少女が開いた扉を潜り入れば、その向こうに広がったのは真紅の絨毯が敷かれた長い廊下。廊下の幅は広めにとられてあり、しかし、それを明るく灯すための光源は廊下の両脇にぽつりぽつりと飾られているばかりだ。
 エントランスからすぐ前に見えるのは細く伸びる螺旋階段だ。光源はその先を示してはおらず、ゆえにその先にあるのは窺い知れぬ深い闇ばかりとなっている。
 扉が閉ざされ、森を巡る梢のざわめきが一息の後に遮蔽される。
 メイドはベルヴァルドの言に僅かに眉をしかめ、ちろりと検めるような視線を投げてよこす。
 ベルヴァルドは向けられた視線に喜色を表し、片手を持ち上げ少女の首筋をひたりと撫でた。
「ここ」
 言って、少女の細い首筋に残る微かな隆起を爪先でなぞる。
「君の主は私の到着を待ち切れず、食前酒の風味を確めていたようだ。――さぞかし美味であるのだろうね」
 少女の耳に甘い蜜をもってさわりと囁く。
 が、少女はベルヴァルドの言に眦を細めて身をよじらせた。
「私は主のためのものでございます」
「知っている」
 返された言葉に喉を低く鳴らしながら、ベルヴァルドはメイドの首に触れていた指先、爪の先端に小さな力をこめる。
 隆起していたふたつの痕はベルヴァルドの爪によって愛撫され、短く赤い線を一筋刻まれた。
「君は実に好い使用人だね」
 言い残し、ベルヴァルドは薄暗い廊下を案内無しに歩き出す。
 銀に閃く絹糸のような髪がやわらかく跳ね、ベルヴァルドの歩む軌跡に残像を描き出す。
 壁掛けのランプが廊下の隅にぼうやりとした影を落としていた。


 窓の向こうに見えるのは、得体の知れぬ生物の触手のごとくにうねる森の木々。その上にあるのは毒々しい赤を滲ませた望月だ。
 不吉な絵画を思わせる風景を背に、グラスの内で波打つ葡萄酒を躍らせる。
「大事な使用人に戯れを仕向けるのは止めていただきたいものだね」
 重たげな音を響かせながら開かれた扉の向こうに目を遣って、ブラックウッドは溜息を落とすようにそう述べた。
 ブラックウッドの待つホールの中に踏み入れたベルヴァルドは、後ろに流した銀髪を片手で撫でつけながら口角を吊り上げる。
「これは失礼。――今宵は晩餐にお招き頂き、ありがたく存ずる」
 含みのある笑みを浮かべたままで腰を折り曲げたベルヴァルドに、ブラックウッドは片眉を跳ね上げた表情で笑みを浮かべる。
「さて、今宵の晩餐の馳走は如何なるものかな」
 顔を持ち上げるのと同時、サングラスに隠れた赤い眼光がホールの隅に向けられた。
「君の好みに合えば良いのだけれど」
 言いながら、ブラックウッドは静かに椅子を立ち上がる。
「美酒も多く用意してある。――古来、美酒には美食と相場が決まっているからね」
 ブラックウッドの金の眼差しが、刹那、標的を検分する猛獣の色を呈した。
「――素晴らしい晩餐会だ」
 舌なめずりをして、ベルヴァルドが半歩を歩む。

 ホールの隅、大きな鏡が飾られていた。
 そこには薄闇に包まれたホールばかりが映されている。――ブラックウッドもベルヴァルドも、それを意識して許さない限り、鏡に己が姿が映る事など無いのだが。
 その鏡の向こうはホールよりは幾分小さな面積をもった寝室となっていて、天蓋のついた寝台の上には絡み合い横たわる一組の男のカップルの姿があった。

「覗きとは、また随分趣味が良い」
 ベルヴァルドの声が低い笑みを含む。
 ブラックウッドは靴底で低く床を軋ませながらベルヴァルドの傍らにまで進み、黒衣の悪魔と同様に頬を緩めた。
「先頃連発した『凶星』による事件をご存知かね?」
「ムービースターを殺める同胞だね」
「彼らは、かの事件の模倣犯なのだよ」
「――ほう」
 ブラックウッドの低い声音に、ベルヴァルドが愉しげに喉を鳴らす。
「目についたムービースター、……中にはそうでない者も巻き込まれてはいたのだろうが、ともかく手当たり次第に射的の的にしていたのだよ」

 寝台の上で睦まじく戯れているふたりは、改めて確認してみれば、確かにどこかで目にした事のあるカップルだった。

「クラシックカーであらゆる場所を放浪し、食事を摂るような気軽さで人殺しをしていた」
「左様。ご覧になった事はおありかな、ベルヴァルド殿」
 訊ねたブラックウッドに、ベルヴァルドは肩を竦める事で応えとなした。――それは肯とも否とも受け取る事の出来るものだったが、ブラックウッドは確認を挟む事なく笑みを洩らす。
「模倣というのは正しくはないのかな。――彼らは映画と同様、ただ彼らの欲望に忠実にあっただけなのだろうから」
「して、」
 笑んだブラックウッドを一瞥し、ベルヴァルドは歪んだ笑みを満面に滲ませる。
「晩餐のメインディッシュは彼らなのかな」
 問われ、ブラックウッドもまたベルヴァルドに目を送る。
 赤と金とが重なり合い、禍々しい旋律を紡いだ。
 メイドが掛けたのだろう。館の中にはヴァイオリンの音が静かに流れ、館を包囲する闇の息吹の音を打ち消している。
「タルティーニかね」
「お好きだろうかと思ってね」
 返したブラックウッドの言に、ベルヴァルドは愉悦を満面に浮かべ満面に笑みを湛えた。
「好い晩餐だ」


 ◇


 実体を得るに至り、ふたりは初めの内こそ事態を飲み込めずに戸惑っていた。が、自分たちと同様、実体を得て街中を闊歩しているムービースターたちが存外に多くあるのを知って、その戸惑いはすぐさま悪戯心へととって換わられた。
 ふたりは赤塗りのクラシックカーで街中を走り回り、目につく同胞やその周囲の者達を手当たり次第に射殺してまわったのだ。
 頭に当たれば高得点、首を射抜けばさらにプラス。車を走行させながらの射撃はなかなかに難しく、ゆえに愉しくもあった。
 が、そうしている間にふたりはヴィランズと呼ばれる対象となり、ヴィランズを狩る者たちによって狙われるようになってしまった。
 それまで程には自由闊達に動く事の叶わぬ身となってしまったふたりに、とある紳士が隠れ宿を提供してやろうと申し出たのは非常に幸運な事だった。
 ふたりは紳士が用意した豪奢な館の中の、やはり豪奢な一室を与えられ、不自由なく暮らす事が出来るようになった。
 美味い酒に美味い食事。家具や調度品は目にした事もないような高級品ばかりで、時にはふらりと射撃に出掛ける事をも承認してくれていた。
 ふたりは紳士に感謝を述べて、その反面で、紳士の財を乗っ取ろうという計画をも企てていた。
 決行は次に赤い月が空に張り付いた夜。
 眠りについた紳士の額を二、三発ばかり打ち抜いて、それで全ては済むはずだ。

 互いに欲望を貪りあっていたふたりは、しかし、ゴーストのように壁を抜けて現れた黒い死神を前に迎えて薄暗い部屋の空気を恐怖の叫びで劈いた。 
 そこにいたのは確かにあの紳士であり、もうひとりもまたひ弱な老紳士であるはずだった。
 だが、ふたりは本能のどこかでそれを感知したのだろう。
 
 眼前に現れたのは、逃れようのない絶望――死の象徴だった。


 ◇


「ご機嫌はいかがかな」
 ブラックウッドが甘い笑みを浮かべる。
 邪光を浮かべた金の双眸が捉えているのは、戦き震える男の顔だ。
 男はブラックウッドに向けてペティナイフを振り翳し、荒い息を断続的に落としながら目を見開いている。
 ブラックウッドは向けられた切先に構う事なく歩みを進め、やがて片手を持ち上げてナイフの刀身を静かに掴んだ。
「今宵はとても良い月夜だ。――ご覧、欠けの少しもない、完全たる満月だ」
 言って男の首にもう片方の手を伸べる。
 極上の蜜のような微笑と、魂の根幹をも蕩かすような低い声。
 恐怖に震えていた男は、ブラックウッドの双眸を真っ直ぐに見据えたまま、やがてふらりと腰を砕いた。
 倒れそうになった男の身体を両手で支え、ブラックウッドは男の耳に口を寄せる。
「朝まではまだ長い。――楽しもうじゃないか。……遊戯は君も好きなのだろう?」

「これはこれは、実に美しい」
 恭しく腰を折り曲げ、ベルヴァルドはダンスを申し込む時のそれのような所作で片手を伸べた。
 男は一頻りヒステリックに叫び続け、部屋のあちこちを転げて逃げ回っていた。
 両開きの扉、ガラス窓。その何れもが、まるで魔法のものであるかのようにびくりともしない。ガラスを叩き割ろうにも、幾度それを叩き続けてみたところで、何ら手応えは得られないのだ。
 彼はやがて連れ合いの男の名を叫び始めたが、男はもう既にブラックウッドの腕の中にあった。男の応えの代わりに向けられたのは、笑みで歪められた金色の眼差しだったのだ。
「あちこちをぶつけては、その華奢な腕が無下に痛めつけられてしまうでしょう? おお、おお、痣が出来てしまっている。無駄な足掻きはもうお止めなさい」
 憐憫をこめた声で男を呼んで、ベルヴァルドは部屋の片隅、角に身を寄せて打ち震えている男の細い腕を取った。
「可哀想に、こんなにまで震えて。――私たちが怖ろしいのだね」
 言ったその言葉の終わり、喉の奥を低く鳴らす。
 男は取られた腕を大きく払い、眼前の悪魔から逃れようと小さく暴れた。その拍子にベルヴァルドのサングラスがかつりと弾き飛んで、その下の真紅が薄闇をひっそりと裂いた。
 ベルヴァルドはしばし弾け飛んだサングラスの行方を見ていたが、やがてすぐに男の顔を確める。
「大丈夫、――怖ろしくはないとも。……さあ、それを私の顔に戻しておくれ」
 言って笑う。
 男が引き攣れたように息を呑んだ。


 満月がガラス越しに仄暗い光を放ち、部屋の中を薙いでいく。
 月光が浮かび出させたのはベルヴァルドの足元の影。影は自我を持ち得た触手のごとくにうねり、森の梢のそれと同様に――それ以上に禍々しい生物のように蠢いた。
「享楽の宴を始めよう」
 落としたのはブラックウッドか、それともベルヴァルドの方だったのか。
 影は宴のメインディッシュ、すなわち憐れなふたりのヴィランズの足元へ枝葉を伸べて、纏わりつく蔦のようにその身を縛り上げた。
「ようこそ、我々の晩餐へ」
 言いながら男の手を軽く取り、ブラックウッドは騎士が女王にするような敬愛をこめて唇を寄せる。
 呆然と立ち尽くしたままの男の前、片膝をついた姿勢で、ブラックウッドは男の手の甲に接吻を――否、唇がそれに触れるその寸前に、その歪んだ口角の内から刃よりも鋭利な牙が剥き出しになった。
「最上の享楽を味わい給え」

 柔らかな寝台の上、影によって目隠しをされもはや美しい一体の人形のようになった青年を優しく抱き寄せて、ベルヴァルドはその耳に唇を寄せる。
「極上の快楽を味わった事はあるかね? ドラッグを使ったそれよりももっとずっと素晴らしい快楽だ」
 言いながら男の髪を梳いてやる。
 男はベルヴァルドの指が耳に触れるたびに小さく身を跳ねらせて、うっとりと恍惚な表情を浮かべた。
「殺人をする時のあれもまた素晴らしい。――だが、私は君がこれまで味わってきた全ての快楽よりも遥かに勝るものを与えてあげよう」
 髪を梳く指先が青年の白い首筋をなぞる。
「……!」
 男が、びくりと喉を震わせた。
 ベルヴァルドの爪が、青年の頚動脈に食い込んでいたのだ。
「もっとも、私がそれを味わうのだから、君には無縁のものだがね」


 ◇

 享楽の宴はヴァイオリンの調べに乗って優雅に、淫靡に、途切れる先の見えない夜の糸と共に長く長く続いた。
 尽きる事のない快楽と、
 いつ終わるとも知れぬ苦痛と。
 美しい花が首をもたげて落とすそれに似た、小さな細い溜息ばかりが部屋の中を満たしていく。
 ふたりの紳士はそれぞれに大切な獲物を有し、時に意味ありげな視線を交わしながら、この素晴らしい晩餐会を貪り、啜り続けたのだった。

 やがて、赤い望月は遥か天空の彼方へと身を潜める。次いで現れた太陽の気配が東の端を色濃く照らし出したころ、快楽に満たされた部屋の中もまた陽光によって暴かれた。
 大理石の床を赤く染めるのは贄が噴き上げた血潮。壁にまで迸るその中で、黒衣の紳士たちは互いに爛々と瞬く眼光を交わらせた。
「さて、もうじき夜が終わる」
「享楽の時とは、実に早く過ぎ行くものだね」
「今宵は実に素晴らしい晩餐だった」
「喜んでいただけたのならば恭悦」
 言葉を交わし、彼らは互いの視線をそれぞれの食事へと落とす。
 ヴィランズであったふたりは、もはやどちらの息も絶えだえになっている。今しもフィルムに転じそうなその様でありながら、しかし彼らの表情には恍惚とした喜色が満面に浮かんでいるのだ。
 ヴァイオリンの調べが終わりを告げる。
 同時に、紳士たちはおぞましいまでに美しい微笑みを湛え、それぞれの獲物の喉笛に牙の切先を押し当てた。


「今宵はご満足いただけましたかな」
 
 大理石の床の上、乾いた音を立てて二本のフィルムが転がった。
 ブラックウッドは胸元から抜き出したナプキンで口許を拭いながら、大切なゲストであるベルヴァルドを一瞥する。
 ベルヴァルドはサングラスの腹を押し上げながら口角を歪め、丁寧な所作で腰を折った。
「実に良い夜でした。君が用意する食事はいつもとても素晴らしい。――またの宵が楽しみだ」
「いずれまたお誘いしますよ、ベルヴァルド殿。……またいずれ、良い月の晩に」
 
 言ってやわらかな笑みを浮かべたブラックウッドに辞去の言を残し、ベルヴァルドは館を後にする。
 送り出したのは昨夜と同じメイドだった。少女は密やかな熱を帯びた眼差しで紳士を送り出し、首筋に残る小さな疵に指を這わせる。

 朝を迎えた森の中、朝霧が白いもやとなって広がっていた。
 ベルヴァルドはその霧の中に一歩を歩み、次の時にはその姿を掻き消してしまっていた。

クリエイターコメントこのたびはブライベートノベルのオファー、まことにありがとうございました。

ゴシックホラーをとのことでしたが、な、なんと、ゴシックはこれまで意識して書いたことがなく、よって今回が初の試みとなりました。
…いかがでしたでしょうか。

また、相変わらずの遅筆、申し訳ありません。
少しでもお楽しみいただけていればと思うのですが。

それでは、またご縁をいただけますようにと祈りつつ。
公開日時2007-06-30(土) 00:30
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