★ 【チョコレートキングの挑戦!】激突! 地上20階 〜プリン軍曹の攻防〜 ★
<オープニング>

 銀幕市中に、甘い匂いが漂っていた。
 うっとりするような、それはチョコレートの香りだ。だが、誰も、その香りに心躍らせているものはいなかった。なぜならばその匂いのもとが、目下、銀幕市に脅威をもたらしているからだ。
 ズシン、ズシン、と重い地響きが、市街をふるわせる。
 昆虫めいた3対6本の脚で、それは立ち上がり、歩んでいる。脚が支えているのは、いくつものパイプやタンクで構成されたプラントのようなものだった。いくつも煙突らしきものが突き出し、そこからさまざまな色の煙を吐き出している。それが甘い匂いのもとであるらしかった。
 それは大きな工場がひとつ、脚をはやして立ち上がったようなしろものだ。かのキノコ怪獣さえしのぐ大きさのものが、湾岸の工場地帯から、街の中心部のほうへ向かってくるのを見て、いよいよ銀幕市も終わりかと、青くなったものも少なくない。

「『お菓子の国の冒険』というメルヘンチックなファンタジー映画からあらわれたようですね」
 植村直紀が手元の資料を見ながらいった。
「あれは『キングスファクトリー』といって、『チョコレートキング』が住むお城であり、彼のお菓子工場でもあります。……映画の設定では、チョコレートキングは温厚な人物ですし、あれも、各地を旅しながら子どもたちにお菓子を配っていくという……そのためのものなのですが……」
 困惑気味に話す。
 どこでどう間違ってしまったのか、キングスファクトリーは夢のお菓子工場ではなく、いまや要塞であり、兵器工場であり、敵軍の母艦のようなものだ。
 敵軍――。
 そう。それはときおり、バラバラと、その工場で「生産」されたとおぼしきものを吐き出しながら歩んでいる。それは文字通りの「お菓子の兵隊」たちであって、それらが引き起こす事件や被害についても、先ほどからひっきりなしに『対策課』に飛び込んできていた。
「私は市街地で起きている事件の処理を手配します。……あれについては、マルパスさんにお任せするべきですね」
 植村は、黒衣の司令官にそう言うと、現状、入手できただけの情報を記したファイルを置いて、忙しそうに駆け出していった。
 そしてマルパスは市役所の窓から、いまはまだ遠い『キングスファクトリー』の影を見据える。
 まぎれもない「戦争」が、銀幕市ではじまろうとしていた。

 ★ ★ ★

 ……あたしのプライヴェートタイムを返してよ!
 レディMは、天井の壊れたシャンデリアを仰ぎながら、心の中で悪態をついた。
 彼女の予定はいつも完璧だった。本来であれば、今ごろ彼女は一人で悠々とプライヴェートタイムを満喫しているはずだった。この地上20階の楽園──ホテル・銀幕ハイ・グランドの展望レストランで、キャラメルのたっぷりかかったシェフ特製なめらかチーズプリンを食べながら、銀幕市を見下ろす……。
 今日は月に一度の甘いもの食べ放題ケーキバイキングの日。レディMもその中で至福の時間を過ごしているはずだった。
 しかし、彼女の目の前にはプリンは無く、その手にはフォークも無い。
 変わりにレディMが手にしているのは拳銃だ。
 彼女は蹴倒したテーブルに身を潜め、拳銃の装弾を確認する。夕暮れ時の展望レストランには赤い太陽の光が差し込み始めていた。
 ただ、辺りは静まりかえっている。ばらばらに散乱するテーブルには生々しい銃痕のあとが有り、今まさに激しい銃撃戦が行われた直後であることを如実に語っていた。

 ──ガシャン!

 その時、大きな音を立てて、壊れたシャンデリアが床に落ちた。
「ひぃっ」
 レディMの後ろで、一人の少年が悲鳴を上げた。シッ静かに、と彼女が言う前に、銃弾が少年の頭上を掠めた。恐怖に目を見開いた少年は、自分で口を押さえ一緒にいた母親にしがみつく。
 レディMは眉をひそめた。自分だけならともかく、ケーキバイキングを楽しんでいた客は10人ほど居る。この一般市民たちをどう助ければ良いのか……。

「無駄な抵抗はやめたまえ」

 キッチンへと続く暗闇から、野太い男の声がした。
「このレストランは我がプリン小隊が完全に制圧した。それから全てのスイーツもな」
ぬうっと、白い影がフロアに姿を見せた。
「私はプリン軍曹。我々の目的はスイーツを奪取することだ」
 ぷるん、ぷるん。巨体を揺らしながら現れたのは、でっぷり太ったクリーム色の肌の軍人だった。型で抜いたような西洋人の顔が、レディMの隠れるテーブルに向く。
「我々は君たちの命には興味がない。我々が奪取すべきはスイーツ。すなわち甘いものだ」
一歩踏み出し、「君たちには、我々がスイーツとともに無事脱出するための人質となってもらう」

「──誰が!」
 ダンッ。その時、レディMの撃った銃弾がプリン軍曹の腹を貫いた。
 しかし軍曹はにんまりと笑う。
 軍服の穴はみるみるうちにふさがって、また元のプリンに戻ってしまった。
「私は君のような威勢の良いお嬢さんは嫌いじゃない。さあ、銃をこちらへ。エスコートして進ぜよう」
 
「分かったわよ」
潔く銃を捨てるレディM。ため息をつきながらも、さりげなく腰の携帯電話に手を伸ばした……。

種別名シナリオ 管理番号64
クリエイター冬城カナエ(wdab2518)
クリエイターコメント皆さんこんにちわ。冬城カナエです。
プリン小隊なるお菓子の軍隊に占拠されてしまった、ホテル銀幕ハイ・グランドの20階展望レストランに乗り込み、レディMを始めとする人質を救出。ついでに奪われたスイーツも取り返してあげてください(まあ、甘いもんなんかどうでもいいとか言わずに……)

導入は基本的に自由ですが、「レディMからのSOSコールを聞いて外から乱入する」「レディMのように、ケーキバイキングを楽しんでいて巻き込まれる」「たまたま通りかかる」などのいずれかになるでしょうね。乱入の仕方はご自由に。どこからどんな手段で来ようと構いません。

プリン小隊は、柔らかいお菓子で出来ているので基本的に銃は効きません。斬る武器もちょっと危険です(笑)。何かいいアイデアで倒してやってください。

B級アクション風に、ド派手にやりましょう!
ブッ飛ぶような、あなたのキャラのご参加をお待ちしております。

参加者
ベルヴァルド(czse7128) ムービースター 男 59歳 紳士風の悪魔
クレイジー・ティーチャー(cynp6783) ムービースター 男 27歳 殺人鬼理科教師
オーファン・シャルバルト(cned6481) ムービースター 男 17歳 エージェント
ジェシカ・ダイヴェル(cmur3608) ムービースター 女 17歳 エージェント
<ノベル>

「ん、これでイイかなア?」
 白衣の男は、鏡の前に血まみれの縫い針を置いた。そこは男性化粧室。鏡に映っているのは、白髪に緑色の肌の、ホラー映画から飛び出てきたような男である。
 否、彼は文字通り本当に映画から飛び出てきたのだ。彼の名前はクレイジー・ティーチャー。B級スプラッタホラー映画「クレイジー・ティーチャー」シリーズの主役であり、首からはそのトレードマークの血まみれのカナヅチをぶら下げている。
 耳まで裂けた口を適当に縫合し終え、彼はホッと息をついた。
「甘いものはイイけど、たまに縫い目にひっかかるのはカンベンだネ」
 彼はれっきとした死人であった。しかし彼は甘いお菓子を心から愛していており、このホテル銀幕ハイ・グランドのケーキバイキングの常連でもあった。……そう、死人に味が分かるのかと問うのは野暮というものだ。
「さて」
 手を洗い──彼は、こう見えても綺麗好きなのだ! 次には何を食べようか、そんなことに思いを馳せながらドアを開けた。
 だが、そんな彼の揚々たる気分は一瞬にして打ち砕かれてしまった。

「むっ?」

 フロアに姿を現した白衣の男を迎えたのは、カラフルな肌の色をした兵士たちだった。手にはサブ・マシンガン。ザザッ、と軍用ブーツの足を踏み出して、彼らは一斉に銃をクレイジー・ティーチャーに向ける。
 これは一体──?
 そう思ったクレイジー・ティーチャーの視界の端に、一箇所に集められ座り込んでいる一般客とレディ・Mの姿が目に映る。一般客たちが人質に? 何かのトラブルなのか?
 そして、彼は見た。
 銀色のトレイに乗った美味しそうなケーキ。あとで最後の仕上げに食べようと思っていたストロベリー・ショートケーキを、チョコレート色の兵士がシャベルですくい、アタッシュケースの中に放り込んでいる光景を。

「──イチゴが落ちるだろこのボケがァア!」

 白衣の殺人鬼は、一瞬のうちにキレた。
 奇声を発しながら、首から下げていたカナヅチを取り、力の限り兵士に投げつけた!
 ゴガッ、という音とともにチョコレート色の兵士の上半身が吹っ飛んだ。胸から上の部分が、まるで最初から無かったかのように。その部分が飛散して無くなったのだ。
 ゆっくりと床に倒れる兵士。
「チョコ伍長!」
 誰かが叫んだ。
 ドサリ、とその身体が床に触れたとき、レストラン内のサブ・マシンガンが一斉に火を吹いた。
 ──ダダダダダッ。
 今度は吹っ飛んだのはクレイジー・ティーチャーだった。放火の中心にいた白衣の男は、まるでダンスを踊らされるかのように宙を舞い、窓に叩きつけられた。
 一瞬。派手な音を立てて盛大にガラスが割れた。その物凄い轟音に、人質たちが盛大な金切り声を上げた。夕日の赤い光に照らされながら、悲鳴をバックミュージックに、クレイジー・ティーチャーは窓の外へ。地上20階の世界から放り出されたのであった。


 ★ ★ ★


 ──これで弾薬はOK。あとは決戦の時を待つだけだわ。
 そんなことを思いながらも、ジェシカ・ダイヴェルは小さな金色の箱を上着のポケットに入れた。別に誰と戦うわけでもない。謎のヴィランズと戦うわけでもない。しかし、今だティーンエイジャーの彼女にとっては決戦の時はすぐそこに迫っていた。
 ジェシカがポケットに入れたのは、手作りチョコレート。
 そう。今日はいわゆるバレンタイン・デーなのである。
 これは彼女の生まれたアメリカには無かった習慣であった。好きな男の子にチョコレートを贈り、さりげなく自分の気持ちを伝える。なんと便利なイベントではないか。
 彼女は銀幕市に来ることが出来たことに感謝しながら、ニコニコ……いや、ニマニマしながら部屋を出て、階段を降り、外へと歩いていった。
 そこは彼女が住んでいる孤児院の中庭である。彼女はきょろきょろと辺りを見回しながら誰かを探している様子を見せる。
「どこに行ったのかしら……。オーファンは」
 彼女が探しているのはどうやら、彼女のパートナーのようだった。
 彼女と彼女のパートナー、オーファン・シャルバルトはSFスパイアクション映画「ワイルドボーイ」から飛び出たムービースターで、毎日この銀幕市のトラブルを収拾するために活躍している。普段、ゆっくりと時間が取れないのだが、今日は久しぶりのオフの日なのである。
 ジェシカにとっては絶好のチャンスであったのだ。

 ブゥン。

 彼女が中庭の中央まで歩いた時、その後方から唸りを上げて走ってくるバイクがあった。
「?」
 振り向いたジェシカの近くまで走りこんでくると、これ見よがしに見事なステアリングで反転し、ライダーがジェシカの方を見る。
「オーファン!」
 ジェシカはその顔を見て、声を上げた。
 それは私服のままの少年、彼女のパートナーのオーファンだった。そして、彼こそがジェシカが今探していた人物であった。
「探したよ、ジェシカ。緊急事態だ」
 彼は、ヘルメットをぽんと彼女に放ってよこした。
「何があったの?」
「きみ、ケーキ好きだろ? ケーキバイキングに誘おうと思ったのさ。少しばかりドンパチが必要な会場だけど、ケーキがあるなら文句はないだろ?」
 グッと指を立てて、オーファン。ヘルメットの中でブルーの瞳がキラと光る。
「オーファン、冗談はそれぐらいにして。何があったの?」
 彼の言葉に、不穏な空気を感じ取ったジェシカは鋭く聞き返した。
「レディMからの救援信号だ。彼女が危ない」
ブォン、とバイクのエンジンを唸らせて、彼は続けた。「ホテル銀幕ハイ・グランドの、ケーキバイキングの会場がテロリストにのっとられたらしい」
「そんなことが!? ──オーケー、分かったわ」
 デートの話は無しになったわね……。ジェシカは心の中で残念に思いながらも、バイクのすぐそばに立つ。
 仕方ない。困っている人を助けるのが自分たちの仕事なのだから、機会などあとでいくらでもあるだろう。……などと、自分に言い聞かせながら、ヘルメットを被る。
「さ、行きましょう」
「そう来なくっちゃ」
 彼女が華麗な身のこなしでバイクの後部座席に飛び乗ると同時に、バイクは急発進し、猛スピードで走り出した。


 ★ ★ ★


 ヒュルヒュルと風が啼いている。ガラス張りの渡り廊下の上、ホテル銀幕ハイ・グランドの15階に位置するところに“それ”はあった。
 引き裂かれた白衣。それは恐らく元は人間だったものだ。あおむけに倒れたその死体らしきものから、血か体液か何だか分からない、どす黒い色をした液体がポタリ、ポタリと遥か下の地上へと垂れている。

「おや、こんなところに愉快な落し物が」

 カツッ。仕立てのいい革靴の音をさせて、その死体の脇に一人の男が現れた。
 いつからそこに居たのだろう。いや、そもそもどうやってこの渡り廊下の上にやってきたのか。
 黒いダブルのスーツを着、丸いレンズのサングラスをかけている背の高い老紳士だ。サングラスを掛け直し足元を見下ろす。
「さて、私のスイーツを奪ったお礼をしにいこうかと思っていたのに」
 風が、彼のスーツの裾をはためかせた。「……これは見捨てておけませんねえ」
 悪魔ベルヴァルド。それが彼の名前だった。B級ホラー映画「エグザイル 〜暗黒の放浪者」の中で、主人公を魔道に落とした、物腰穏やかな悪魔がここにいた。
 サングラスに隠された瞳の色は分からない。しかし、彼は何がおかしいのかククと笑った。
「このまま果てるならそれも良い」
 スーと、彼は手袋をしたままの手を死体に伸ばす。
「あまり美味しそうな魂ではないが、うち捨てていくのも不憫でしょう。私が頂戴しよ──」

 ──ガバッ!

 その時死体は膝を立てたかと思うと、突然、飛び上がって両足で地面を踏みしめた。一瞬だけまるでイナバウアーのように背中を反らせた絵を見せた後、ギュンと上半身を起こす。
 白衣の殺人理科教師、クレイジー・ティーチャーだった。
 ギラとベルヴァルドを睨みつけたかと思うと、すぐにしゃがみ込む。手を伸ばして、素早く拾ったそれは白くて丸いもの、すなわち彼自身の眼球だった。
「奇遇だネェェ、ベルヴァルド!」
 びちゃびちゃと、嫌な音を立てながら自分の眼球を元々あった場所にねじ込みながら、彼は言った。気分が高揚しているのか、手元が狂いなかなかうまくはめ込むことができない。
「キミもケーキバイキングかイィィィイ?」
「ええ、今、ちょっとしたデザートを食べようとしていたところです」
「そうかい、ボクは今殺されたところだよォ、見れば分かるかもしれないけどネ!」
 ベルヴァルドが肩をすくめて見せると、クレイジー・ティーチャーは目を見開き、ホテルを見上げた。銀幕ハイ・グランドの最上階を。
「いいねエ。殺されたのは久しぶりだ」
 怒りのあまり、握った拳からまた体液が飛び散った。
「レストランが謎の軍人たちに占拠されたようです。レディMからの通信を聞きました」
「知ってるヨ!」
「C・T。口が裂けていますよ。お怒りもごもっともですが、クク。いい男が台無しですよ」
 あくまで静かに話しかけるベルヴァルド。
「今の貴方にはエレガントさが足りませんね」
「エレガントォ!? それは甘いのかィィ?」
 クレイジー・ティーチャーは、その名に相応しい奇声で応じた。
「あのクソ軍人ども、──タダで済むと思うなヨ!」
 バック転し、常人ではありえない脚力で飛び上がった殺人鬼は、血まみれの身体のままホテルの外壁に張り付いた。そのまま、外から最上階を目指すようだ。
「やれやれ」
 残されたベルヴァルドはため息をつく。
「では別行動といきますか……」
言いながら、ホテルに目を凝らすスーツの悪魔。彼の恐るべき視線は外壁をすり抜け、中を自由自在に見ることができるのだ。
 マシンガンを持って動き回る兵士の姿が最上階近くにちらほらと見える。
「私は中から参りましょう」
 悪魔は、優雅に壁の中へ溶け込む。ホテルの中へと姿を消していった。


 ★ ★ ★


 ホテルの目の前にはバリケードが出来ていた。
 中に立て篭もったプリン小隊と警官隊が激戦を繰り広げていたのだ。
 内部の戦力の方が圧倒的に少ないはずなのに、最上階の人質たちのことを無線で伝えられてからは警官隊も中には踏み込めず、散発的な銃撃戦が起こる程度になっていた。
 このままでは事態は硬直状態のままだ……。
 そこにいる誰しもがそう思った、まさにその瞬間だった。

 ブルゥン! というエンジン音。パトカーに乗り上げ、そして高くジャンプしたのは二人の人物が乗った赤いバイクだった。
 10数メートルも飛んだだろうか。ホテルの正面玄関の目の前に着地したバイクは、そのまま盛大な音とともにガラスを突き破ってホテルの中に飛び込んだ。
 そのあまりのスピードに、警官隊もプリン小隊も唖然としたまま銃撃の一つもない。
 正真正銘の、鮮やかな、正面突破だった。
 ワンテンポ遅れて、彼らの後姿を銃声が追いかけた。しかしそれが届く様子はない。

 そして、警官隊の一人は見た。バイクを運転していた少年が振り返り、まるで“俺たちに任しておけ”と言わんばかりに、グッと親指を立てて見せるのを。


 ★ ★ ★


「ふむ、侵入者か」
 プリン軍曹は通信兵の持つモニター画面を見ながら呟いた。そこにはホテルの内部構造が三次元で映し出されている。彼らはこれで戦略を立てているようだ。
 ホテルの最下層に赤い光点が一つ。それが点滅しながら、猛スピードで移動をしている。
「どうも彼らは、人質のことをお忘れでいらっしゃるらしい」
 すっくと軍曹は立ち上がった。機敏な動きではあったが、出っ張った腹がプルンと振るえてしまう。
「ガム伍長!」
 そう声を張り上げると、返事は窓際から上がった。ピンク色の軍人が敬礼し、プリン軍曹の元へと駆け寄ってくる。この軍人も実にむにゅむにゅと柔らかそうな素材で出来ているようだった。
「お呼びでありますか、軍曹殿」
「うむ、伍長。人質は何人だ?」
「14人であります。男3、女9、子供2であります」
 その言葉にうなづくと、軍曹は窓際に寄り、狙撃を恐れるかのように柱の影に身を隠しながら外を伺った。
「キングスファクトリーの到着はまだのようだな……。よし伍長」
視線を窓の外に向けたまま、軍曹は言った。「今から館内放送をかける。それで侵入者が抵抗をやめないようであれば、子供から落とせ。一人ずつだ」
「イェッサー!」


 ★ ★ ★


「オーファン!」
 パートナーの背中にしがみつきながら、ジェシカは叫ぶように言った。彼女はいつの間にか特殊なゴーグルを──しかも彼女の可愛らしい容貌を損なわないお洒落なゴーグルを身に着けている。片手で表面に触れると、ピピッと電子音がして、このホテルの構造図を映し出される。彼女が警察のデータベースから拝借してきたものだ。
 彼女が侵入経路を調べている間に、ガガガガッと降り注ぐ銃弾の洗礼をオーファンは見事なドライビングテクニックでかわす。レディMのSOS信号を聞いたとき、車ではなくバイクを選んだのは彼の判断力の賜物である。
「5時と7時の方向に敵よ、そのまま前進して! まずは2階に上がってから非常階段に」
「了解!」
 オーファンはバイクを正面のエスカレーターに突進させる。ホテルの2階までは吹き抜けになっており、ショッピングセンターになっているのだ。
 もう動いてはいないエスカレーターをバイクで登りきった二人。クリーム色の大理石の床で反転して、廊下へとそのまま猛然と走っていく。
「右に曲がって、12時の方向に非常階段があるわ!」
 ジェシカの的確なアドバイスに、オーファンはバイクを操りながら角を曲がる。かくして前方に観音開きの鉄の扉が見えてきた。
「オーケー、ジェシカ。でもどうやってあの扉を開ける?」
「まさかわたしに降りて扉を開けろとでも?」
「言わないさ、ジェシカ。たまにキミのそういうところ怖くなるね」
 彼はそのままチキンレースさながらに、バイクを突進させた。
 スロットルのすぐ上にある赤いボタンを押し込むと、透明なシールドがブゥンと立ち上がり、乗員を保護するように前面に張られた。
「しっかり捕まって!」
 ギュッとパートナーを背中から抱きしめるジェシカ。

 ──バキッ、ゴゥンッ!
 耳をつんざくような轟音をさせて、二人のバイクは壁を突き破った!

 ヒューッと口笛を吹くオーファン。
「バイクで来て大正解だね」
 その言葉にジェシカはニコリと微笑んで応えた。そのままバイクは階段をエンジンを唸らせ登っていった。最上階を目指して。


 ★ ★ ★


『侵入者に告ぐ。侵入者に告ぐ。我々は女子供を含む14人の人質を確保している。ただちに抵抗をやめて投降したまえ。繰り返す。ただちに抵抗をやめて投降するのだ。今から5分以内に投降しろ。……さもなくば、人質を一人ずつ、この寒空に放り出す』

「おやおや」
 ベルヴァルドは赤い絨毯のしきつめられた廊下を歩きながら、その館内放送を聞いた。優雅に時計で時間を確認しながら、口の端を歪めて笑う。
「これは大変だ。5分で上階まで行くのは難しいかもしれませんね」
 言いながらも、その口調に焦りは全くない。
『これは脅しではない。今から5分以内に投降するのだ。子供を死なせたくなければな』
「投降もしませんし子供も死にませんよ」
 館内放送に対して、そんなことをポツリと呟く。
 くるりときびすを返して、歩き出す。ゆっくりゆっくりと歩いていくその方向は窓の方だ。窓に向かっていって、一体何をしようというのか。
 そこは大きな湾曲したいくつかの正方形のガラスが組み合わされた、デザイン性の高いガラス窓になっていた。その風景に。下界を見渡せる窓に、魔界でも思い出したのだろうか。彼は、フッと微笑む。
 ──いや、そうではなかった。
 彼の背中に向けられたいくつもの銃口。廊下の隅に、彼の両側に兵士たちが隠れていたのだ。
「無駄な抵抗はやめろ」
 兵士の誰かが言った。しかしその言葉は悪魔の耳には届かなかった。
 ベルヴァルドは、またくるりと身体を反転させた。まるでピアノを弾くかごとくに、なめらかに腕を振り上げる。
「食事の時間ですよ。良かったですね、久々の生餌です」
 サァーッと乾いた音を立てて、彼の足元で何かがうごめいた。

「──さあ、存分に喰らうがいい」

 ベルヴァルドのおごそかな声と、降り注ぐような銃声は全く同時にフロアに鳴り響いた。しかし悲鳴は上がらない。
 兵士の前に、まるで大きな壁が突然現れたのだった。ぬうと動かした大きな腕がやっと視界に入ってくる。。
 それは床から這い出すかのように上半身を突き出させた人型の魔物だった。ベルヴァルドの影に隠れていた使い魔である。
 使い魔は、ぐるりと視線をめぐらせるようにしてフロアを見渡した。兵士の数は、6人。彼らが撃ち込んだマシンガンの弾は、全てその暗黒の身体に飲み込まれていた。
 ジュゥ、と弾が飲み込まれたあたりから煙と、なんとも言えない腐敗臭のようなものが漂ってくる。
「ウ、ウワァァァッ!」
 魔物の大きさに、その醜悪な容貌と匂いに、兵士たちは一気に恐慌に陥った。
「化け物!」
 そう叫んだ兵士の下半身が飛んだ。いや、消えた。
 恐ろしい勢いで奮った使い魔の腕が、兵士の下半身をもぎ取ったのだ。
 ドシャァッ、と兵士の上半身が床に落ち、崩れるように溶けていく。
「あなたがたの魂も甘いと良いのですが」
 言いながら、ベルヴァルドはサングラスからちらりとその本来の目を覗かせ──嗤った。


 ★ ★ ★


 さて、一方。非常階段の中は、バイクのエンジン音で満たされていた。
 バイクに乗ったまま最上階を目指す、スパイのオーファンとジェシカがそこにいた。人質を窓から放り出すという館内放送は、幸か不幸かエンジン音の爆音に邪魔されて二人の耳には全く届いてはいなかった。
「オーファン!」
 ゴーグルにいくつかの光点を見つけて、ジェシカが声を上げた。
「上に3人、敵よ」
「了解。弾をかわせばいいだけだろ?」
 そう言い終えたオーファンの耳元を、銃弾がチュンッとかすった。「ジェシカ、しっかり掴まれ!」
 ヒュゥと口笛を吹いて、彼は一気にエンジンを全開にした。
 螺旋階段のところに立っていたのは赤と白とクリーム色の兵士だった。手には無骨なマシンガン。それを一斉にこちらに向ける。
「当たるかよ!」
 オーファンは容赦なく、彼らに向かってそのまま突っ込んだ。一番手前にいた赤い兵士が、哀れな最初の犠牲者となった。
 バイクに正面衝突され、壁に叩きつけられる。悲鳴を上げる間もなかった。壁に貼り付けられた首がガクリと垂れると、あたりにストロベリーの香りが漂った。イチゴムースで出来た兵士だったのだろうか……。しかし、二人がそんなことを思う間もないまま、どろどろと兵士は溶けていってしまった。
 ──ダダタッ。
 次の白い兵士は、かろうじてマシンガンを撃つことが出来た。しかし弾はバイク前面のシールドに跳ね返され、二人は無事だ。
「危ないじゃないか!」
 言いながらオーファンは左手から何かを放った。空を斬るそれが、キラリと光る。
 次の瞬間、兵士の顔に三連のフォークが縦に並んで突き刺さっていた。
「どこにあんなフォークなんか隠してたの!?」
「さっき二階のフロアで失敬したのさ!──いつでも美味しいものを食べられるようにね!」
 弾を撃ち続けているマシンガンを持ったまま、兵士はまるで気を失った人間のように足元をふらつかせた。その脇を猛然と走り抜けるバイク。
 白い兵士の手には暴れ狂う銃。そのまま兵士は、ふらふらと螺旋階段の手すりの方へと倒れ掛かっていく。そこは場所が悪かった。顔からフォークを生やしたままの兵士は、手すりの向こう側へ。遥か下の世界へとダイブしていった。
 
 残りのクリーム色の兵士は機転が利いた。
 銃を撃つのをやめ、サッと壁際へ。うまく二人のバイクをかわしやり過ごしたのだ。
「しまった!
 猛スピードで階段を登るバイクではあったが、後ろががら空きになってしまう。まさに兵士はそこを狙っていたのだ。銃で後部座席のジェシカを狙う。
 耳をかすめて飛んでくる銃弾に、キャアと悲鳴を上げる彼女。その声を聞いて、オーファンは必死にバイクを操った。背中にはシールドがないのだ。このままではジェシカが危ない!
「オーファン、これを使って!」
 強く、オーファンの背中にしがみつきながらも、ジェシカは左手を離して、何かを彼に手渡そうとした。
 慌てて受け取るオーファン。それは見たところ、装弾が六発のリボルバー拳銃であった。
「特殊な弾を入れてあるの!」
 頭を低くしたままだが、彼女は毅然とした声で言った。
「超小型のグレネードが入っていると言ってもいいわね。これが目標に当たった瞬間、中の火薬と油が飛び散って爆発を起こすのよ」
「つまり。撃ったらドカン、かい?」
「そうよ」
 ジェシカはニコと微笑んだ。「──お菓子をいただくには焼かないといけないでしょ?」
「俺は本当に君が怖くなる時があるよ」
 踊り場でタイヤをワザと滑らせ、壁を蹴るオーファン。ひょいと銃を右手に。そのまま左後方に向けて構える。
 
 プシュン。

 小さな破裂音のあとは、爆発の轟音と閃光が引き継いだ。クリーム色の兵士をこんがり焼いた爆風は、狭い空間の中で行き場を失って二人にも襲い掛かった。
「ワァオ!」
 背中から迫る爆風に追いかけられるようにして、オーファンはエンジンを吹かせた。
 みるみるうちに目の前に迫る扉。グッと構えて、それを一気にを突き破る!

 ゴワァァァッ!

 間一髪!
 非常階段から脱出したバイクは直角を描くように、ガクンと曲がった。バイクが今までに居た位置に炎の柱が襲い掛かった。壁が焦げてもうもうと煙を上げる。
 フロアの天井のスプリンクラーが動き、一斉に水を放射し始めた。オーファンはバイクを止め、シャワーを受けながら非常階段の様子を振り返って見た。
「火遊びは狭いところでしちゃいけないって本当だな」
「ええホント」


「ようこそ、ホテル銀幕ハイ・グランド最上階へ」


 その時突然、背中からかけられた声。
 二人は驚いて振り返った。
 長い廊下、その突き当たりにレストランが見えている。対角線上に立っている太った男。おどけたように両手を広げてこちらを見ている。隣りに銃を持った青い兵士。
「若いのに、たいした度胸だ。ただし言葉を解する能力は欠落しているようだな」
 クリーム色に茶色の髪。オーファンはハッと気付いた。この男が、レディMの通信にあった首謀者か?
「お前がプリン軍曹か!?」
「いかにも」
 太った男、プリン軍曹は揺れる腹を押さえながら笑った。
「君たちの勇気に応じて、約束通りこちらは人質に一人死んでもらおう」
 言いながら、プリン軍曹はサッと左手を下に動かした。
 そこで上がったのはキャァアという子供の悲鳴だ。
「まさか! 子供を!?」
「よせ!!」
 オーファンは、自分たちの危険を顧みず真正面からプリン軍曹にバイクを突進させた。
 彼らは撃ち返してはこなかった。パッと散開して、視界から居なくなる。そこへバイクで猛然と突っ込む二人が見たのは、ピンク色の兵士が5才ぐらいの男の子を窓から放り出しているところだった。
「や、やめろォ!」
 二人はバイクから飛び降りた。オーファンは窓に向かってあらん限りの力を振り絞って走った。しかし、間に合わなかった。
 彼の目の前で。男の子の水色のシャツの切れ端が、視界からスッと消えていった。


 ★ ★ ★


 風の中に何か違う音が混ざっているような気がして。
 クレイジー・ティーチャーは顔を上げた。
 風の中には火薬の匂いすら混ざっている。
 そうか火薬か。いいね。燃やすのはイイ。
 そんな風に彼独特の素敵な想像をしたところだった。
 
 空から何かが降ってきたのだ。

 ガッとそれを片手でキャッチするクレイジー・ティーチャー。それは物ではなかった。生暖かい生きている人間。5才ほどの少年だった。
「おやァ?」
 醜悪な容貌を持つ彼だが、子供は嫌いではない。むしろ好きなのだ。
「どうしてこんなところに落ちてきたんだい?」
「うゥ!」
 少年は何か応えようとして彼の顔を見、ひきつけを起こしたように固まったかと思うと、気を失ってしまった。
 無理もない。少年からしてみれば窓から放り出され、血も凍るような思いをした次には、ホラー映画から飛び出てきた男の腕の中にいたのだから。目玉の飛び出しかけた男に肉薄されて、気をしっかり持てる方が珍しい。
「もうお昼寝の時間かイ? 仕方ないネ」
 言いながら、クレイジー・ティーチャーは白衣の襟を開き、少年を背中にもぐりこませた。気を失ったままの少年をおんぶしているような格好だ。
「子連れ狼だネ」
 それを言うなら子連れ殺人鬼だろ、と突っ込んでくれる人はそこには誰もいなかった。
「子どもがいるなら外はヤァメタ」
 バリィィン! と大きな音を立てて彼は足元のガラスを割り、ホテル内に再度、侵入した。
「ほのお。燃えるモエル。いいアイディアだネ、ボクも参加するヨ!」
 そんなことを口走りながら、彼が胸元から取り出したのは赤いツヤツヤした外装のスプレー缶だった。そう、台所でこそこそ動き回る虫に主婦がお見舞いしているアレである。
 鼻歌交じりにもう一つ。彼が取り出したのはアルコールランプだった。
「この子が寝ていて良かったナ。良い子は真似しちゃいけないヨ!」
 
 ボボォッ。
 アルコールランプで付けた火にスプレーを吹きつけ、大きな炎を作り出すクレイジー・ティーチャー。その顔を、継ぎ目のひとつひとつを赤い光が禍々しく照らした。
「いいネ。火はいつ見てもキレイだネ。人が燃える炎はきっともっとキレイだネ。──ヒャホホゥゥ!!」
 
 突然、奇声を上げて、クレイジーティーチャーは走り出した。


 ★ ★ ★


「なんてことを……!」
 落ちた子供を助けようとしたオーファンとジェシカだったが、彼らにも余裕は無かった。
 子供を助けるために、躍り出た二人は格好の的になってしまったのだ。バイクは横倒しになっており、あらゆる方向から今まさに銃弾が彼らに襲いかかろうとしている。
「ジェシカ!」
 オーファンはパートナーの身体を抱え、右手をサッと振るった。
 ──ビュン!
 飛び出した鉤付きロープが天井に突き刺さる!
 そのままオーファンは跳んだ。ジェシカを脇に抱えたまま、兵士たちの頭の上を。ロープの力を借りて悠々と飛んで越していく。
 
 ダダダダダダッ!

 哀れ。窓際に取り残されたバイクは蜂の巣に。若い二人のスパイは窮状を脱出し、カウンターの上へと足を着く。すぐ側にいた茶色の兵士が、こちらに素早く銃を向けた。
「ヤァッ!」
 しかし、その兵士の鼻面に見事な膝蹴りを食らわせたのは、ジェシカだった。するりとオーファンの腕から滑り出ると、もう一撃。彼女はカウンターに手を付きながら、兵士の延髄に強烈な蹴りをお見舞いする。
「ジェシカ、早く!」
 体制を整えなおした彼女をオーファンが素早く腕を引いて、カウンターの中へと引き込む。その刹那、銃撃が後を継いだ。
 やり過ごして、ふうと安堵の息を漏らす二人。
「オーファン!」
 その時誰かに声をかけられてオーファンは驚いて足元を見る。驚いたことにそこに縛られた女が転がされていた。
「レディM!」
 後ろ手に縛られたレディMは、うなづくとともに顎でカウンターの奥をしゃくって見せた。そこには、縛られてうごめく人たちの姿が見える。ここが人質の居場所になっていたようだった。 よし。オーファンとジェシカは顔を見合わせて微笑んだ。
 うまいポジションに入り込めたようだ。これで人質のことは大丈夫だ。ひとまず対策を練り直して……。
 ──と、思ったときに、二人の耳に甲高い奇声が飛び込んできた。

「イィィヤァァァア! 燃えろ燃えろ燃えちゃってェイ!」

「ク、クレイジー・ティーチャー!?」
 オーファンは銀幕市内で会ったことのある男の声を聞いて、嬉しそうな声を上げた。
「加勢に来てくれたの!?」
 カウンターから顔を出した二人が、まず見たのは炎の固まりであった。
 それを追いかけるように現れた白衣の男。ただ、その様子はもはや尋常ではなく、オーファンが会ったことのあるクレイジー・ティーチャーとは、“かなり”違っていた。
 穴だらけの白衣に左手にアルコールランプ、右手に殺虫剤。目はいつもよりも飛び出し気味だし、髪はザンバラ。口の裂け目も広がっている。当社比1・5倍というやつだ。しかも背中に背負っているのは子供である。
 ──子供!
 二人はその少年の姿を見て、目を見合わせた。先ほど窓から投げ出されてしまった子供ではないか。
「C・T! その子を助けてくれたの!?」
 声をかけると、クレイジー・ティーチャーはやっと若い二人に気が付き、ニタァッと笑った。
「そうだヨ」
「貴様ァッ!」
 そこで怒りに震える声を上げたのは、プリン軍曹だった。
「おのれ、まさか……お前、死んだはずでは!?」
 マシンガンを手に、恐ろしい目つきで白衣の男を睨みつけている。彼には理解できないのだ。蜂の巣にして窓の外に放り出したはずのこの男がなぜ最上階に戻ってこれるのだ。
「あいにくネ」
 クレイジー・ティーチャーはコキと首の骨を鳴らせてから言った。
「殺されるのは慣れっこなのサ。──久しぶりでムカついたけどネ!」
 言いながら二、三歩足を踏み出すクレイジー・ティーチャー。腰を屈めて目の前に落ちていた何かを拾う。それは、彼の愛用の血塗れのカナヅチであった。
 ちろり。そのカナヅチの先を舐めて彼は笑った。
「さあ、どいつから脳みそブチ負けてやろうかァ!?」
 殺しても死なない男に、小隊の兵士たちはひるんだようだった。何人かが恐れをなしたように顔を見合わせている。
 まずいぞ、と焦ったようにプリン軍曹は部下たちに視線を走らせた。このままでは……。
 彼はキッと顔を上げて、クレイジー・ティーチャーとオーファン・ジェシカのペアを見すえた。
「愚かな」
 その言葉は彼自身をも鼓舞しようとするものであった。「いくら死なないと言えども、わが小隊が人数の上で完全に上回っているのだぞ! お前たちに勝ち目はない」
 プリン軍曹は、ザッと手を挙げた。その朗々と響く声に、10人程度残っていた部下たちは、一斉に銃を構え三人のムービースターに銃口を向けた。確かに人数では完全に負けている。
「たった三人で、この我々に勝てるとでも」

「三人? いや違いますね、四人です」

 背後からの声。
 ギョッとしたプリン軍曹が振り返ると、そこには窓際の席で優雅に紅茶を飲んでいる初老の紳士の姿があった。
 悪魔ベルヴァルドだった。
「い、いつの間に!?」
「気付くのが遅いのですよ。軍曹殿」
 彼が紅茶のカップをソーサーに置くと同時に、その影がブワァッと広がりフロアの床を埋め尽くした。
「グォッ、う、動けない」
 兵士たちは足を影に縫い付けられて、身動きが取れなくなってしまった。悪魔の使い魔のしわざである。途端に大混乱に陥るプリン小隊。そんなものを横目に見ながら、ベルヴァルドはもう一度、紅茶のカップを手に取った。
「C・T。それからオーファンとお嬢さん。さあ、君たちの出番だ」

「ありがとうございます、ベルヴァルドさ──」
「ウォリャァオィアア! 死ねエェェイイイ!」
 カウンターから顔を出した若い二人。しかし彼らの言葉よりもクレイジー・ティーチャーの奇声と行動の方が早かった。
 飛び上がった白衣の殺人鬼が振りかざすのは、血塗れのカナヅチだ。
「ヒ、ヒィィ!!」
 兵士たちはマシンガンを彼に向けた。最初のときにそうしたように。しかし殺人鬼は動きを止めて笑った。カナヅチを構え、口が裂けんがばかりにニタァッと。
「いいよ。撃ってみナ」
「し、死ねッ」
 兵士たちは目の前の恐怖に勝てなかった。誰かが引いてしまった引き金で飛び出した無数の弾丸。それが一斉にクレイジー・ティーチャーに集中砲火を浴びせた。
「当たるかよォッ!」
 恐ろしい脚力で高く跳んだ白衣の男。そのシルエットが美しく宙を舞ったのは一瞬だった。
 振り下ろしたカナヅチが一人の兵士の首を薙いだ。
 ゴロンと兵士の首が足元に転がってきたのを、ベルヴァルドはフンと鼻を鳴らして仲間の方へと蹴り返した。──グシャアッ。ぞっとするような音をさせてその首を踏みつけたのは、そう……我らが殺人理科教師、クレイジー・ティーチャーであった。
「やっぱりコイツが一番だネ!」
 自分のカナヅチにキスをして。彼は新たな犠牲者に、ギンと鋭い目を向けた。──結論から言うと、こうなった彼を前にしては他に誰も出番が無かった。

 いつもは明るい笑い声が響く、展望レストラン。ファミリー層にも大人気のこのスポット。今日は笑い声の代わりに、悲鳴と何かが潰れて飛び散る音がそこを支配したのであった。


 ★ ★ ★


 「さあて、あと残りは二人だけになりましたよ」
 重い腰を上げるようにして、ベルヴァルドが言った。カウンターを背に大きなアタッシュケースを抱えて座り込んでいるプリン軍曹と、隣の通信兵が彼を睨みながらも立ち尽くしている。
 シュルシュルシュル……ゴガッ。
 と、どこからともなく飛んできたカナヅチが、通信兵の上半身を吹っ飛ばした。
「──訂正するよ、ベルヴァルド。あともう一人だけだね」
 グレネード銃を構えながらオーファン。ニヤリとしながら隣りの悪魔を見る。脇にはジェシカが逃走経路を塞ぐようにして立っている。
 プリン軍曹はクリーム色の肌に大粒の汗をかき始めた。目の前には恐ろしい武器を持った若い少年と少女。影を操る悪魔。血塗れのカナヅチを持った白衣の殺人鬼。そんな面々が自分を見つめているのだ。
「ククク、ハ、ハァ、ファーッハッハッハ!」
 突然、プリン軍曹は笑い出した。気でも違えたのか? 思わずオーファンとジェシカはお互いの顔を見合わせる。
「もう終わりだ、諸君。あと10秒で、私の身体に埋め込んである爆弾が作動して、このホテルは崩壊するだろう!」
狂ったようにひときわ高く笑って、「こうしている間にもキングスファクトリーが街を制圧しているはずだ。君たちに感謝する。このイベントを最大限に盛り上げてくれたことをな」
「なんだって!」
 驚いて声を上げるオーファン。ジェシカがその腕を後ろからギュと掴む。
 ムービースターたちは驚いて顔を見合わせた。
「じゃ、爆発前に殺ッちャおっか?」
「まあ待ちなさいC・T。ここは私に」
 カナヅチを振り上げるクレイジー・ティーチャーを、静かに止めたのはベルヴァルドだ。
「9、8、7!」
 高らかにカウントダウンを始めるプリン軍曹。その前に進み出た悪魔はスーツの襟を正してから自らの手をかざすように伸ばした。
「では、メインディッシュを」
 ベルヴァルドの額が縦に割れた。そこから覗くのは赤い──血のような赤い色をした彼の第三の目であった。ぬらりと輝く目は焦点を定め、眼下の男を視た。
「6、5、4、3……ギュ、ギャアァ、か、身体がァァ!」
 でっぷりと太っていたはずのプリン軍曹の身体がみるみるうちに小さくなっていく。ベルヴァルドがその精気を吸い取っているのだ。つやつやだったその肌がみるみるうちに水分を失うかのように乾き、干からびていく。
 ジェシカが小さく悲鳴を上げてオーファンの背中に隠れる。その横でクレイジー・ティーチャーが面白そうに様子を見つめている中で、悲鳴もカウントダウンも消えていった。
「10秒経ったネ」
 しぼんで干からびてしまったプリン軍曹。おそらく腹にでも仕込んであった爆弾も、一緒に悪魔に吸われてしまったのだろう。その平べったいものが爆発することは、もう無かった。
「チョコレートよりは甘かったですね」
 しかしベルヴァルドは、第三の目を元に戻しながら小声でつぶやいた。彼はこっそりとプリン軍曹の魂を喰らったのだ。
「ボクは爆発しても良かったんだけど、キミたちはそういうわけに行かないしネ」
 程よく満足した様子の悪魔の隣りで、殺人鬼はあっけらかんと笑った。
「それはそうと、キングスファクトリーって何者だィイ?」
「そういった困ったムービースターが出てきたみたい」
 ジェシカは、こわごわとプリン軍曹の残骸を見ながら言った。
「たった先ほどから、銀幕市で暴れだしたようよ。キングスファクトリーっていうお菓子の工場が街を破壊しているらしいの。ラジオもインターネットもその話題でもちきりよ」
「大変じゃないカ!」
 クレイジー・ティーチャーはびっくりしたように言った。
「ッてイうか、何でそんな面白いところにボクがいないんだィィ?」
「キングスファクトリーは、銀幕市中心街に向かっているそうよ」
 ゴーグルに触れてコンピュータを操作しながら最新情報を話すジェシカ。
「なるほどね。ソレが元凶なんだ。じゃ、潰しにいこッと!」
 殺人理科教師は、嬉々とした声を上げた。両腕を振り上げながら雄叫びをあげると、背中の子供をジェシカに託し、自らはカナヅチを持ってレストランを喜び勇んで飛び出して行った。
「……なんて。忘れ物しちゃったヨ」
 と、戻ってきたかと思うと、プリン軍曹の脇にあったアタッシュケースをガバと開ける。その中にはうまそうなケーキがぎっしりと詰められていた。
「そうそうこれこれ」
 その中から、お気に入りのショートケーキをガッと掴む。
「ボクはこれを食べに来たんだかラ」
 ぺロリ。彼の裂けた大きな口は、ケーキを一口で食べるのには、この上なく最適だと言えた。


 ★ ★ ★


「何だか大変な日だったわね」
 去ったクレイジー・ティーチャー。残った人質たちを解放し、今は警察が現場検証を始めている。割れたガラスのせいで、妙に風通りのよくなった展望レストランの窓際に、若い二人が立っている。
「いや、でも本当に貴方やC・Tが一緒に居てくれたおかげで、この騒動を治めることができましたよ」
 ジェシカの言葉に応じながらオーファン。反対側に立っているベルヴァルドに声を──かけたつもりだったが、そこに彼は居なかった。
「あれっ?」
 慌ててあたりを見回すと、エレベーターホールにつながる廊下の辺りを歩いている老紳士の背中が見えた。
「ベルヴァルド、もう少しゆっくりしていっても……」
 声をかけると悪魔は歩を止めて、少しだけ振り返り横顔を見せた。
 口の端を少しだけ歪めて笑う。嬉しいようなほほえましいような、そんな笑みだった。
「スイーツは存分に頂きましたよ。それでは、また」
 そのまま彼は軽く手を挙げ、別れを告げて去っていった。
 悪魔は、若い二人のために気を使ったつもりだったのだろうか。
「せっかくなんだから、もう少し甘いもの楽しんでいってもいいのに」
 しかし当の本人たちは、そんな大人の気遣いにも気付いていないようだった。

 ──否、気付いていないのはオーファンだけだった。

「あ、そうだ。オーファン、あのね」
 ジェシカはごそごそとポケットから金色の小さな箱を出した。
「忘れるところだったわ。ちょっと作ってみたんだけど、食べてみてくれない?」
「何だよ、急に」
 きょとんとしたオーファン。差し出された金色の小箱を受け取り、リボンを外し、中を開けてみた。中身を見て彼は途端に嬉しそうになって声を上げた。
「うお、チョコレートだ! くれんの?」
「うん」
 言いながらジェシカはオーファンの反応を見た。素直に喜んでいる様子で、小箱の中に入っているたくさんの小さなチョコを──ハート型のそれを口に運んでいる。それは彼としては、あまり自然な態度だった。
「美味しい?」
「うん」
 知らないのかしら? バレンタインのこと。と、ジェシカは思う。わざわざ私が意味を教えてあげなくちゃいけないの?
「えーと、ありがとな」
 彼女が不安になったとき、ぽつんとオーファンが言った。その声があまりに小さくて。えっ? と聞き返すジェシカ。
「お、美味しいよ。だからもう帰ろうぜ?」
 するとオーファンは答えず、もらったチョコレートの箱をポケットに乱暴に押し込んでしまった。そのままさっさとエレベーターホールの方に歩いていこうとする。
 しかしジェシカはその彼の耳が赤くなっていることに気が付いた。肩を怒らせて歩くその姿の滑稽なことと言ったら。ふっと微笑むジェシカ。
「待ってよ、オーファン」
 笑顔になった少女は、彼の後を追いかけた。二人は並んで、仲良くエレベーターホールへと姿を消して行った。
 
 
 
(了)
 
 
 

クリエイターコメント冬城カナエです。皆様、ありがとうございました(^^)。
楽しんでいただけたなら幸いです。

わたし自身のスケジュールにより、本作の発表はチョコレートキング騒動の最後の方になってしまいましたが、事件自体は騒動の初期段階に位置しています。
このあと、クレイジー・ティーチャーは、諸口正巳ライターの『【チョコレートキングの挑戦!】キングスファクトリーの心臓』に乱入することになります。

どのキャラクターさんも、わたしがとても親しみの沸くキャラクターさんたちだったので、とても楽しく書かせていただきました。

初仕事でちょっと力んでしまい、予定よりずいぶん長くなってしまいましたが、どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。
公開日時2007-02-17(土) 13:40
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