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<ノベル>
★1.午後のお茶会
その時、シュウ・アルガは、『楽園』でのティータイムを楽しんでいた。
しとしとと雨が降る、少し肌寒いくらいの日だった。
梅雨という、この国独特の季節だが、そもそもは日本人であるシュウには馴染みのものだ。
ところどころに光を感じさせる、濃淡のある灰色の空と、細かな雨にけぶる街並には、なんとも言えない風情がある。
これは、この国に生まれ育った人間独特の感性なのかもしれない。
「うん……悪くねぇ季節だよなぁ」
華奢なティーカップに口をつけ、紅茶の芳しい香りを楽しみながら、窓の外を見遣ってシュウが言うと、
「そうね……慈しみの雨に洗われる町は、美しいわ」
大粒チェリーのコンフィチュールと滑らかチーズムースのタルトを切り分けていた森の女王が目を細めて微笑んだ。
梅雨という季節に合わせての装いなのか、今日の彼女は、シンプルなライトグリーンのドレスに、雨だれを思わせるカットを施された、大粒のアクアマリンを使ったピアスとネックレスを身につけている。
大きく開いた胸元を飾る、淡い青のアクアマリンが、店内のわずかな照明を受けて輝く様は大層美しいが、シュウの視線は、どちらかというと、アクアマリンよりも胸元に向かっていた……というのは内緒の話だ。
女王は気づいていたかもしれないが。
「はい、どうぞ、シュウさん。今日のタルトもとてもいい出来よ」
「お、サンキュ。うん、確かに美味そうだ」
女王が手ずから渡してくれたタルトは、じっくりと炊かれたチェリーの鮮やかな色合いと優しい甘酸っぱさ、上質な生クリームと一緒にふんわりと仕上げられたチーズムースが舌に嬉しい絶品で、フォークを手に、シュウはしみじみと頷いていた。
「美味い茶と菓子、隣には綺麗な女王様。幸せ以外のなにものでもねぇよなー」
「あら、どうもありがとう」
シュウの言葉に、レーギーナはくすくす笑い、それから、
「そういえば、シュウさん?」
「ん、どしたよ?」
「ベアトリクスさんは、どうなさったの? 最近、一緒にいる姿を見かけないようだけれど」
いつも彼にくっついている、未来の女帝の名を挙げて首を傾げた。
実は突っ込まれたくなかったところをピンポイントで突かれ、シュウは思わず詰まる。
「いや、それは……その。女王様が心配するようなことじゃねぇって、うん」
「あら、そうなの? でも、わたくし、気になるわ」
「いやいや、ホント、何でもねぇから」
「ずいぶん頑なね、今日のシュウさんは。……何か都合のよくないことを隠しているのかしら?」
「そんな、滅相もない! せっかくの楽しいティータイムなんだから、あいつのことなんか忘れようぜ? 俺、今はレーギーナさんのことだけ考えたい気分なんだ」
と、ぶんぶんと首を横に振り、本音をちょっぴり交えつつも何とか誤魔化そうとするシュウだったが、ふと視線を『楽園』スタッフが集うバックヤードへと向けたレーギーナが、
「……そういえば、リーリウムが『新作』を考えているのよね。もうじき夏だから華やかに涼しげに、というコンセプトらしいのだけれど、シュウさんなら、どんなタイプが似合うかしら……」
などと、誰に言うでもない風情で、不吉極まりないセリフを吐くに至って、
「すみませんごめんなさいプチ家出中なだけなんですホント勘弁してください」
ワンブレスで土下座を交えつつ白状していた。
シュウの言葉にレーギーナが瞬きをする。
「家出?」
シュウは溜め息をついて頭をかき回した。
「いや、家には帰って来るから家出じゃねぇんだけど。なーんかこそこそしてんだよな、最近」
シュウにとって、幼女帝ベアトリクス・ルヴェンガルドは友人の娘だ。
友人に彼女のことを頼まれているから、いつも気にはかけているが、結婚したことも自分の子どもを持ったこともないシュウには、何が正しくて何が間違っているのか、自分が何をどうすることが一番ベアトリクスのためになるのかなど、判らないことは多い。
ベアトリクス自身の気持ちをはかることが、ひどく難しいのと同等に。
判らないことばかりだからこそ、他愛ないいざこざや面倒ごとが起きるわけで、シュウは今、親って偉大だ、という真実を実感しているところだった。自分がきちんと『親』になれる日は来ないかもしれない、とすら思う。
「反抗期ってヤツかなぁ。……俺は別にあいつの父親ってわけじゃねぇけど」
大きな溜め息をつき、やれやれと首を振るシュウを、女王が意味深な眼差しで見ている。
「……判ってる、ちゃんと説明するよ」
シュウはもう一度息を吐いてから、観念したように口を開いた。
それは本当に他愛のない出来事だったのだ。
★2.複雑な親子愛
「本当の父上は優しかったのだ!」
恐らく発端はこの言葉だった。
ベアトリクスがあれこれと出してくる、小さな、細々とした、けれどたくさんのわがままに、シュウがさすがに我慢しきれなくなって彼女を叱った時、ぎゅっと唇を引き結び、ワンピースの裾を掴んだベアトリクスが、涙目で叫んだ言葉だ。
ベアトリクスの父親であるつもりはないし、そうなることは不可能だとも思っているが、友人との約束を果たすべく、自分なりの真摯さでベアトリクスと向き合ってきたシュウは、ついカチンと来て、
「ハッ、そりゃ当然だろ。お前みてぇなクソガキの親父になった覚えはねぇよ、俺も」
と、大人げなく言い返してしまったのだった。
実際の年齢、実はそろそろ四十路にも手が届こうかというそれを伺わせない大人げなさだが、そこはもう今更だ。
ベアトリクスはというと、シュウのそんな言葉に泣きそうな表情をしたあと、下宿先の大家さんが用立ててくれた、水色の可愛らしいワンピースの裾を更にきつく握り締めて、
「だ……誰も、そちを父などと思ってはおらぬ!」
精一杯の強がりでそう言った。
周囲から見れば、ベアトリクスがシュウを父と慕っていることは明白だったが、あまり実感のないシュウは、肩をすくめた程度だった。
「当たり前だろ。思われても迷惑だっつーの」
断言されてベアトリクスが詰まる。
震える声が、自分を鼓舞するべく威勢のよい言葉を紡ぐが、
「そもそも、ぶ、無礼ではないか! 余は偉大なるルヴェンガルドを統べる皇帝であるぞ! その余に、わがままだの、手がかかるだの、不敬罪として極刑に処されても文句は言えないのである!」
「ふーん、あっそ。……で?」
シュウは冷淡だ。
権威や権力などというものに、偉大なるウィザードは左右されないのだ。
「……もう、そちの顔など見たくもないわ!!」
「あ、そう。ちょうどよかった、実は俺もだ」
そして、どうやら、これがトドメだった。
ぐっと詰まったベアトリクスの大きな目に、みるみるうちに大粒の涙が盛り上がり、
「し……シュウのばかあああああああああ!!」
鼓膜どころかガラスまで破れんばかりの泣き声とともに、ツンデレと評判の幼女は、手近にあったぬいぐるみをシュウに力いっぱい投げつけるや否や、ものすごい勢いで下宿の部屋を飛び出して行ったのだった。
「……んで、まぁ、今に至るわけなんだけど」
そこから一ヶ月が経ったのに、ベアトリクスは、シュウと目を合わせようとはせず、顔を合わせれば逃げ出し、夜中にも下宿を抜け出してどこかへ行くという、反抗期を思わせる状態を続けているのだ。
「ぶっちゃけ、俺じゃもうお手上げなんだよな。何をどうしてほしいのか、マジでさっぱり判んねぇ」
実際の話、途方に暮れているというのが正直なところだった。
たまに面倒臭いとか鬱陶しいとか思いはするものの、シュウは、ベアトリクスのことを大切に思っているのだ。そんな相手に、ここまで避けられると、ちょっと切ないし、寂しい。
「……そうだったのね」
話をすべて聞き終えて、くすくすと女王が笑った。
エメラルドの双眸には、楽しげな、悪戯っぽい光が揺れている。
「よく判ったわ、そういう経緯(いきさつ)だったのね」
「え、なに、女王様って何か知って……」
「最近は、少女の失踪事件が相次いでいるようだから、心配ではなくて?」
「……」
唐突な話題変換だったが、今一番の懸念を指摘され、シュウは沈黙する。
ここ最近の銀幕市を騒がせ、また人々を不安がらせているのが、ここ半月の間に相次いで起きている、見目のよい少女たちの失踪事件だった。
身内の欲目かもしれないが、ベアトリクスは、容姿という点では申し分なく美しい。気品のある、長ずればさぞかし美しい女になるだろうという顔立ちの彼女なら、条件としてはぴったり当てはまる。
それらを脳裏に反芻し、しばらくして小さく頷くと、女王は微笑ましげに彼を見た。
「何か、大規模な組織に誘拐されてんじゃねぇかって言われてるし、あの事件。まだ犯人グループは見つかってねぇし……うん、正直、ちょっと怖ぇかな。もしもあいつが、って思ったらさ」
「ベアトリクスさんのことが大事なのね、シュウさん?」
「や、その……だって、なぁ。あいつ、俺の友達の娘だし。友達には世話になったから、約束は守りてぇし。……あいつのこと頼む、って言われたしな」
大切だという思いを直接口に出すことが照れ臭く、そう言うと、女王はまたくすくすと笑った。
「判ったわ」
「え?」
「わたくしが、シュウさんの疑問と懸念を晴らすお手伝いをしましょう」
レーギーナの言葉に、シュウはちょっとホッとした。
自分ひとりではどうにも出来ないことなのだ、助っ人がいてくれれば、心強いに決まっている。
「あ、マジで?」
「ええ。だから、今夜、もう一度、ここにおいでになって」
「今夜? ――ああ、なるほど」
それが何を意味するのか理解して、シュウは苦笑し、頭を下げる。
「ありがとう、レーギーナさん」
「いいえ、どういたしまして。他ならぬ、シュウさんとベアトリクスさんのためですもの」
「ああ、うん。じゃあ……また、今夜」
「ええ」
――つまり。
ふたりは突き止めようというのだ、ベアトリクスが何をしているのか、彼女に差し迫った危険がないかどうかを。
★3.パパ、お婿に行けないカラダにされる。
「さあ、では行きましょうか」
裾の長いドレスという、これから尾行を始めるとは思えない出で立ちなのに、気配や隙とは無縁な様子で歩き出そうとする女王を、
「待って女王陛下、待って」
シュウはわなわな震える手を突っ込みよろしく伸ばし、制止する。
「おかしいおかしい、どう考えてもおかしいよ、コレ!?」
立ち止まり、振り返って、何でもないような表情で首を傾げる女王だが、
「あら、どうなさったの、シエラさん?」
呼称もおかしい。
「いやあのどうかなさったのっていうか何もかもがどうかしてるっていうか」
「大丈夫、とても綺麗よ?」
「え、あ、マジで? ……って、そこで悦んじゃマズいだろ、俺……ッ」
前のめりに打ちひしがれながら、血を吐きそうな表情で自己ツッコミを入れるシュウは、目にも鮮やかな青の、裾の短いシフォンワンピースを着ている。というか、着せられている。
優しい風合いのシルク、一枚一枚濃淡の違うブルーに染められた生地を、ふんわりと、花びらのように重ねた、華やかでありながら清楚で涼しげな、とても美しいワンピースだったが、それは自分が着て『綺麗よ』と言われるべきものではないと思う次第だ。
「そもそもなんでこの格好……」
「もちろん、似合うからよ?」
「そこで真理みたいな表情で言われてもすんげー困るんだけど、俺!?」
待ち合わせの時間に『楽園』を訪れてみたら、いきなりツタに捕獲され、あれよあれよという間にお着替えをさせられてしまったシュウである。
森の娘たちの美★チェンジテクニックと、シュウ自身の顔立ちの秀麗さ、すらりとした身体つきによって、シエラちゃんは今、トップモデルばりのスタイルを持つ凛々しい美少女に大変身していた。
当然、まったく嬉しくない。
「ううう、こんなカッコ知り合いに見られたら、俺、お婿にいけなくなる……!」
――嫁には行けるかも知れないが。
「大体にして、何か理由とかあんのか、これ……」
深夜、下宿先からこそこそと出てきたベアトリクスの尾行を開始しようという現在、一気にテンションガタ落ちのシエラちゃんだが、もしかしたら自分には計り知れない意味や意義があるのかと女王を見遣る。
が、レーギーナはにっこりと微笑み、
「もちろん、あるわ」
「あ、そうなんだ」
「……わたくしの目を楽しませるため、という、一番大切な理由よ」
と、更にシエラちゃんを失意のどん底に突き落とすようなことをのたまっただけだった。
「あ、ああ、そ、そっかー、そうだよな、大事だよなー」
もはや笑うしかない。
「さあ、では、気を取り直して行きましょうか」
乾いた笑いを漏らすシエラちゃんを尻目に、女王がゆったりとした足取りで歩き出す。
ゆったりとして優雅でありながら、彼女の歩みは、空間を瞬間的に移動しているのではないかというほど唐突なまでに速く――そういえば、女王は、美★チェンジ被害者の背後に音もなく忍び寄ることにかけて、スプラッタ・ホラー映画の殺人鬼ですら恐れ戦くほどの天才だ――、気づくと位置が離れているような状況で、シュウは慌てて後を追いかける。
初めは踵の高いサンダルだったのを、ものすごい勢いで転倒しそうだからという理由で平坦なものに代えてもらったお陰で、歩行に不自由はない。……裾が短くて足元がスースーするのは大変気になるが。
しかし、もう、ここまで来てしまったらヤケだ。
やるべきことを速やかに終えて、速やかにシュウ・アルガに戻るしかない。
「そうだ、これは潜入捜査なんだ。俺は今、大事な任務のために変装をしているだけなんだ……」
ぶつぶつと自分に言い聞かせながら、音を立てないよう注意しながら、駆け足で女王の隣に並ぶ。
もっとも、そこで、
「何か、デートみたいだよな、このシチュエーション。…………俺が、こんな格好じゃなければ」
そんなことにハタと思い至る辺り、案外動じていないのかもしれない。
「あら、真夜中のデートだなんて、意味深で素敵ね」
「だろ? 次は是非、普通の格好でやりてぇな。女王様、デートに誘ったら、受けてくれるか?」
「ふふふ、もちろんよ。楽しみにしているわ」
「お、やった」
約束を取り付けて、シュウは、自分の置かれた状況も忘れて素直に喜ぶ。
――女王陛下の『普通の格好』がどれであるかは、今は考えないことにして。
前方を見遣れば、小柄な少女は、ためらうことも迷うこともなく、一目散に歩いていく。
「危険……は、今のとこ、ねぇみたいだけどな……」
この近辺で、つい三時間ほど前にも、十五歳の少女が消息を断っていた。
住民の話だと、黒ずくめの男が数人、目撃されたそうだから、やはり、碌でもない組織の仕業なのだろう。両方の可能性を考えて、警察と対策課が双方動き始めたという話も聞いていたが、まだ組織の根城が発見されたという情報はなかったから、用心するに越したことはない。
「で、どこへ行くんだ、あいつは……?」
ベアトリクスの周囲に気を配りつつ、何かあればすぐに飛び出せるように心構えをしつつ――この際、自分が今『シエラちゃん』なのは気にしないことにする――、歩くこと数十分。
「あれ、この辺りって」
周囲の風景が、夜とはいえ見覚えのあるものだということに気づき、それが、カフェ『楽園』へ至る道なのだ、と思い至った時だった。
きゃあああああ――――ッ。
どこかで、甲高い悲鳴が上がった。
声の質からして、少女のものだろう。
助けて、という泣き声が聞こえたような気もする。
「!?」
シュウは咄嗟に身構え、前方のベアトリクスを見遣る。
悲鳴に驚いてはいたが、彼女は無事だ。
そのことにホッとしたが、悲鳴の主を放ってもおけず、彼がレーギーナを見遣ると、女王はすべてを察した風情で微笑み、頷いた。
「悪ぃ、頼む」
「ええ……気をつけて」
女王がベアトリクスを保護すべく足早に歩き出すのを見送って、シュウは走り出す。何の関係もない他人だろうがなんだろうが、助けを求める声を無視することは出来ない。
それが、シュウ・アルガという人間なのだ。
「どこだ……?」
気配を注意深く探りながら、住宅街を走ること数分。
また、先ほどとは違う声で、悲鳴が聞こえた。
――近い。
「こっちか!」
素早く角を曲がると同時に、シュウの目に飛び込んできたのは、ぐったりと横たわる、華奢で美しい少女と、彼女を担ぎ上げようとする、黒ずくめの男たちの姿だった。
「てめぇら……!」
シュウは眉根を寄せて身構えた。
尾行に邪魔だからという理由で、杖は持って来ていないが、魔法がなければ戦えないなどとは、シュウは断じて言わない。
しかし。
「……今日は獲物に不自由しない日だ」
声は背後からした。
恐らく、待ち構えられていたのだろう。
「な、」
振り返り、態勢を整えるよりも早く、背中でばちりと衝撃が弾け、
「ぐ……!?」
その、ほんの一瞬で、シュウの意識は途切れた。
★4.魔法少女シエラ、推参ッ(わりとヤケ)!
目覚めてみれば、魔封じを施され、ご丁寧に両手首を枷で戒められた状態で、鉄格子で区切られた粗末な牢に押し込められていた。
「あー……何か、すっげぇお約束っぽい……」
あちこちから少女たちの啜り泣きが聞こえてくる。
気配の数からして、二十人以上が囚われているようだ。
同じ牢に閉じ込められていた少女たちから何とか聞き出した話によると、彼女らを攫ったのはこの場所と一緒に実体化したヴィランズたちで、少女らは、魔なる神に捧げられる生け贄として集められているのだという。
生け贄の儀式は三日後だとかで、古びた城と思しきこのムービーハザードの中は、ひどく慌しい雰囲気に満ちていた。
「まあ……多分何とかなるだろうけど……」
実は、見つけ出してもらえるアテはあるのだが、
「三日間で探し出してもらえる、って保障はねぇよなぁ……」
生け贄の儀式に間に合わないと、犠牲者が出てしまう。
かといって、今の自分に何が出来るかというと、微妙だ。
そもそも、杖がなければ魔法は使えないが、魔封じをされた現状では、自ら動くことは難しい。どうしようもなくなったら、肉体への負担を覚悟して実践するしかないだろうとも思うが。
「でも、魔神とか、放ってもおけねぇし……」
ともあれ、ベアトリクスがここに攫われたのでなくてよかった、と、まずそのことに安堵していると、城内が妙な騒がしさを増した。
ヴィランズと思しき連中の金切り声が聞こえてくる。
ざわざわざわざわ、という、妙に聞き慣れた音がした……ような、気がした。
「……んん?」
嫌な予感なのかいい予兆なのか、よく判らない感覚が背中を滑り落ちる。
「あ、やべ、俺この感覚超知ってる」
助けが来たのだ。
一応。
「さすがは女王陛下……迅速だぜ」
呟くと同時に、
がごんッ!
ド派手な音とともに、地下牢と地上とをつなぐ、重くて分厚い扉が吹っ飛んだ。
怯えた少女たちが悲鳴を上げる。
「あー、大丈夫大丈夫、味方だから、あれ。――少なくとも、女の子には」
しがみ付いてくる少女たちを慰めつつ、待つこと数秒で、次の瞬間、地下牢に雪崩れ込んで来たのは、非常に見慣れた緑のツタたちだった。見れば見るほど、津波を思わせる恐ろしい質量だ。
ツタに巻き込まれ、もみくちゃにされたヴィランズが、聞き苦しい声で喚いている。
憐れなヴィランズを次々と餌食にしながら、ツタの一部が、器用な手つき(?)で、少女たち及びシュウが囚われている牢の鍵を外していくと、少女たちの涙に濡れた顔が輝いた。
「よし、皆、こっちだ、こんな辛気臭ぇ場所とはとっととおさらばしようぜ」
少女たちに手を貸して立ち上がらせ、牢屋から出ると、他の牢の少女たちにも声をかけ、注意しながら階段を上っていく。
地下牢内を一撫でし、あっという間に鎮圧してしまったツタの群が、シュウたちを守るように周囲でざわめいていた。
ヴィランズと鉢合わせることなく進んでいたシュウたちを嘲笑うかのように、
「――……動くな!」
そんな野太い声が響いたのは、大広間に差し掛かった辺りだった。
「あ、レーギーナさん!」
広間の中央に佇む女王陛下と、彼女に向けられた無数の銃を目にして、シュウが思わず声を上げると、銃に気づいた少女たちが、不安そうに抱き合う。
大広間には、銃火器で武装した黒ずくめのヴィランズが勢ぞろいしていた。
全部で、五十人くらいはいるのではなかろうか。
彼らが手にした銃は、そのほとんどが、目を細めて自分を包囲する男たちを観察する女王に向けられていたが、そのうちのいくつかは、脱走者にも向けられ、彼女らを怯えさせる。
――が、実を言うと、シュウに緊迫感は皆無だった。
むしろ、ヴィランズ集団を憐れにすら思っていた。
何故なら、今、連中が得意げに銃を向けているのは、歩くムービーハザードとの呼び声も高い神代の森の女王なのだ。
もしも、無粋な鉄の武器で彼女をどうにか出来るのであれば、銀幕市の男性諸氏は、もう少し心穏やかな日々を過ごせていただろう。
しかも女王、どうやら怒っている。
そういえば、森の女王は、女性に無体を働く男が大嫌いだ。
正直、シュウなら、死んでも持ち込みたくないシチュエーションだった。
「この女の命が惜しければ、今すぐに牢へ戻――……」
「お待たせしてごめんなさい、シエラさん」
「いやあの助けは嬉しいんだけど正直シエラじゃねぇし」
「この数の銃を前にして、お前たちに勝ち目があると――……」
「ベアトリクスさんは、『楽園』でお預かりしているわ。あとで迎えに行って差し上げてね」
「あ、うん、ありがとう、そうする」
「貴様ら、人の話を、」
「では」
「え?」
「この、無粋で滑稽な、愚かな男たちを、二度と日の目を見られぬほどに、完膚なきまでに痛めつけて差し上げましょうか」
「どうやら死にたいようだな、我々を蔑ろにするとどうなるか――……」
「――主に、シエラさんが」
「え、俺!?」
レーギーナ自ら天罰もしくは神罰を食らわせるものと思っていたら、いきなり槍玉にあげられて、シュウが驚愕の声を上げるよりも早く、完全に無視されて、苛立ちと怒りを募らせる男たちを尻目に、女王の周囲で、黄金の薔薇が咲き乱れた。
「な、なんだ、これは……!?」
驚愕した彼らに銃を乱射する暇も与えず、どこかから吹き付けた強い風が、黄金の花びらを舞い散らせる。
花びらは輝きながら、一体何が起きるのかと目を白黒させるシュウを包み込み、その一瞬あとには、
「え、ちょ、も、これ……!?」
――何故か、シエラちゃんをお色直しさせていたのだった。
シュウは思う存分脱力した。
テンションが下がるどころの話ではない。
一体何が哀しくて、一日に二度も、男としての大切な何かを試されなくてはならないのか。
そのくらい、試練そのものの出で立ちだったのだ。
シエラちゃんの現在の衣装は、先ほどのワンピースよりも裾の短い、パニエでボリュームを増したゴスロリ風の黒いスカートに、下着じゃねぇのこれ、と突っ込みたくなるような露出度の高い黒のビスチェ。もちろん、その両方が、フリルとレースときらきら光る宝石ビーズで豪奢に飾られている。
頭には、魔女が被るようなとんがり帽子。
薔薇が飾られているのは女王の趣味だろうか。
サンダルは、スマートなブーツに変化していた。踵が少し高くなったことだけが不安だ。
胸元には薔薇モティーフのネックレス、手首には銀のブレスレット。
――そして、手には、いつの間にか、頭の先が渦を巻いた樫の杖。
魔封じは、なくなっていた。
「ああ、なるほど」
そのことに気づいて、シュウはにやりと笑った。
この際、魔法少女シエラちゃんになってしまったことは意識から除外する。
その辺りはもうヤケだ。
「人様に迷惑かけるような馬鹿どもは、ぶん殴ってでも更生させてやれ、ってな!」
何かがおかしいことを察したらしく、主導者と思しき男が兵隊たちをけしかける。
銃口が一斉にシュウを向いた。
少女たちが悲鳴を上げる。
が。
シュウの懸念はむしろ、ヴィランズが全員、女王によってこの場で挽肉にされるのではないかという方向を向いていた。ヴィランズたちのためにというよりは、この場にいる少女たちの健やかな眠りと心の平穏のためにも、なるべくならそれは阻止したい。
「そんな醜い鉄の塊を、いたいけな乙女たちに向けるだなんて……まったく、男という生き物は」
普段の恐ろしさとは違う、絶対的な力を持って蹂躙する存在の冷ややかな傲慢さを伴って、レーギーナの声が静かに、しかし誰の耳にも届く。
ざわざわざわ。
それに応えるように、大広間を包囲するツタがざわめくと、大蛇のようにのたくるそれらにぎょっとした兵隊たちの銃口が、少女たちから逸れ、壁を向いた。
中には、壁に向けて発砲したものもいた。
――その頃には、シュウの呪文詠唱は佳境に入っていた。
杖を媒介に魔力を循環させ、シュウは魔法を編み上げる。
「黄金なれユグドラシル、根源より来たれ/其は真理、其は虚空、其は未明の暴君/剣持て立たん、黄昏の王の命により/武骨なるニズヘグを踏みしだき、芯の海に花を咲かしめよ」
長い呪文、一般人には聞き取ることも出来ないほどの速度で紡がれるそれは、シュウが、この連中を、根城ごと一網打尽にしてしまおうと思っているからだ。そのために、滅多に使わないような大きな魔法を発動させようとしている。
そう、ヒトの命を啜る魔なる神を、その傲慢な神のために他者を犠牲にしようという利己的な連中を、ここがどこであれ、放っておくわけには行かない。
ぐらり。
古城が揺れ、
ふわり。
神々しい薫風が吹いた。
完成に要した時間は、わずかに数十秒。
それだけの時間を、女王のツタが稼いでくれた。
シュウは素早く印を切り、高らかに告げる。
「――……飲み込め、古(いにしえ)の海のごとくに」
シュウの、断罪めいた発動の言葉と同時に、
ご、ぉお、おんッ!
古城の床を、壁を、鈍い金に輝く巨大な根が突き破り、絡め取り、恐慌状態に陥って右往左往して、意味もなく銃を乱射するヴィランズごと飲み込んでゆく。
銃弾はすべて、さわさわと生い茂りゆく銀の枝が受け止めた。
黄金の根と幹、白銀の枝と葉を持つ世界樹ユグドラシル。
――罪と邪とを喰らい、何もかもを浄化して無へと還す、大技だ。
「とりあえず、三日くらい泣いて反省しな。そしたら、あとで、助けてやるから」
ただし、ヴィランズを全員無へ還すのはさすがに後味が悪いので、彼らに関しては、お仕置きを兼ねてユグドラシルに飲み込ませたあと、外へ出している。とはいえ身体の半分は根や幹にめり込んだままなので、ちゃんと反省して助けてもらわないと、衰弱死してしまうかもしれない。
ほんの数分前までは大広間だった、今や黄金の根によって覆い尽くされ、もはや原型を留めていないこの場所で、情けない泣き声や呻き声をもらす男たちをぐるりと見遣り、
「こんなもんでどうかな、女王様?」
ユグドラシルが、古城の地下に眠っていた巨大で醜悪な『神』を喰らい尽くしたのを意識の隅で感じ取りながらシュウが言うと、女王はくすりと、いつものように笑って頷いた。
「素敵だったわ、魔法少女シエラさん。華麗でありながら可憐で軽妙だなんて……こんな映画なら、わたくしも是非拝見したいわ」
そこで突きつけられる切ない現実。
足元のスースー感が身にしみる。
――頬を紅潮させた少女たちが、「お姉さま、素敵……!」とでも言わんばかりの輝く眼差しで自分を見ているのが判る。
実は男だとばれるのと、どちらがマシだろうか。
「あああ、一気に色んな気力が萎えていく……!」
シュウががっくりと前のめりに項垂れると、レーギーナはくすくすと笑った。悪漢が掃除され、彼女のご機嫌がなおったらしいことを察して、それに関してだけはほっとしたシュウである。
――遠くの方から、けたたましいサイレンの音が聞こえてくる。
シュウがレーギーナを見ると、微笑が返った。
少女たちを保護させるために彼女が呼んだものであるらしい。
「やれやれ、何か、疲れたな」
シュウは大きな溜め息をついて首を回した。
――ひとまず、事件は一段落したようだった。
残るは、あと、ひとつ。
★5.パパとビイの聖域
そのままでもいいのに、と、愉快犯そのものの表情で難色を示す女王陛下を、顔面からの土下座を含む一連の動作で説き伏せて美★チェンジを解除してもらい、何とかシュウ・アルガに戻って『楽園』へ戻ってみると、カフェの真ん中のテーブル、流麗な薔薇で飾られたそこにベアトリクスがいた。
少女の周囲を、総勢七人の森の娘たちが取り囲み、楽しげに談笑している。
「……ビイ」
シュウの視線は、彼女と、テーブルの上の大きなケーキに向けられていた。
真っ白な生クリームと、色鮮やかなベリーやチェリーで、楽しげに飾られたそれは、土台であるスポンジケーキが傾いていたり、クリームの塗り方が乱雑だったり、フルーツの飾り方が均一でなかったりと、サリクスの作品ではないことを伺わせたが、その中に心がこもっていることだけは、強く強く伝わってきた。
そして、ケーキの真ん中には、チョコレートで、
りつもあいがとう
という文字が、たどたどしく書かれている。
それだけで、これが、誰の手によって作られたものなのかが判った。
りといが逆だよ、とは、シュウは言わなかった。
言えなかった、の、かもしれない。
咄嗟には、言葉が出てこなかったのだ。
「今日は、父の日というお祝いの日なのでしょう?」
「ビイさんと一緒に、一ヶ月かけて準備したのよ」
「お父さんのために、何度も練習したのよね」
「内緒にするのも、大変だったわ。――楽しかったけれど」
花のように笑いさんざめいた娘たちが、口々にこの一ヶ月の『秘密』を暴露し、ほんの少し俯いたベアトリクスは、気恥ずかしさにか頬を赤くして、指先でナプキンをいじくっている。
彼女の照れた様子をとてつもなく可愛らしく思い、シュウは苦笑した。
「……だから、父親じゃねぇし」
それは、一ヶ月前とほとんど同じ言葉だったが、
「でも……ありがとな」
込められた意味は、まったく違った。
ぱっと顔を上げたベアトリクスが小さく頷き、幸せそうな、嬉しそうな、――無邪気な、花が綻ぶような微笑を見せた。
――ああ、やっぱり、俺はこいつを守らなきゃ駄目なんだ。
亡き友に頼まれたからとか、父親代わりとか、そういう理屈は抜きにしても。
ベアトリクスの無垢な笑顔は、禁忌や罪と無縁ではいられないシュウにとって、神聖で純粋な許しで、守るべきものだった。
それを穢さぬまま、彼女に、偉大で賢明な為政者への道を指し示すことが、自分に課された責務であり、友人との約束を果たすことにもなるのだろうとシュウは思う。
「さあ、お茶にしましょう」
そこへ、ティーセットを手にした女王がやってくる。
「ベアトリクスさんの力作を、存分に味わって差し上げて」
そこに否やを唱える必要のあろうはずもなく、笑って頷くと、シュウはベアトリクスの隣に座った。
「今日は特別な日であるから、余自らケーキを切り分けてやろう。感謝するがよいぞ」
えへん、と胸を張ったベアトリクスが、森の娘たちに支えられて椅子の上に膝立ちになり、ナイフを手にする。
おっかなびっくり、といった風情でケーキにナイフを入れるベアトリクスを見守りながら、この光景が自分のために展開されているのだという事実に、何とも面映い気持ちでシュウは笑った。
それはまるで、『今』という一瞬で鮮やかに切り取られた、冒すことの出来ない聖域のようだ。
鼻孔を、上質な紅茶の芳しい香りがくすぐる。
いびつにカットされて、ちょっと崩れたケーキが、白い皿に載せられて目の前に置かれる。
シュウが一体どんな反応を示すのか、ケーキは美味しく出来上がったか、喜んでもらえるのか……と、期待とわくわく感と不安とが入り混じった表情で、ベアトリクスがシュウを見ている。
シュウは彼女の期待に応えるべく、フォークを手にした。
――そのあとのことは、殊更書き立てる必要も、ないだろう。
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クリエイターコメント | オファー、どうもありがとうございました!
コメディタッチのバトルといつものアレとほのぼの、という、好きジャンルの遊園地のような状況で、大変楽しく書かせていただきました。 女王をお誘いいただいたことと同じく、素敵なオファーに感謝いたします。
シュウさんの格好よさ(とシエラさんの凛々しい美しさ)、ベアトリクスさんの可愛らしさや懸命さを、お互いが向け合う気持ちと重ねて、きちんと描けていればよいのですが。
なお、口調や行動などにおかしなところがありましたら、出来る範囲で訂正させていただきますので、お気軽におっしゃってくださいませ。
それでは、どうもありがとうございました。 少しでも楽しんでいただければ、幸いです。 |
公開日時 | 2008-07-23(水) 22:30 |
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