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<ノベル>
街のバーに、ウィズの姿はあった。端のテーブルで、黙々と酒を注ぎ、口へと運ぶ。機械的なようにも見える繰り返しが長く続けられているのは、テーブルの上に並ぶ酒瓶の数で分かっていた。
「ここにいたのね」
再び空になった瓶を握り締めていると、目の前に二階堂 美樹が立っていた。
「美樹ちゃん」
呼びかけた後、ウィズはへら、と笑う。自嘲のように。「何してんの?」
「何してんの、じゃないでしょう。こんなに、お酒飲んで」
眉間に皺を寄せつつ、美樹は言う。ウィズは「はいはい」と言い、手をひらひらと振る。
「気にしないでいいよ」
「するわよ。もっと、自分の体を労わりなさい」
「そんなん、どうだっていいし」
ぽつり、とウィズは漏らす。心底どうでもいいかのように。
「そんな事言わないでよ。気持ちは、私にも、分かるから」
だんだん語尾が弱くなる。美樹には、ウィズの気持ちが手に取るように分かっていた。大切な人を失った絶望、もういないという喪失感、二度と会えないという悲しみ。
嫌と言うほど味わったそれらの気持ちを、今ウィズが体験しているのは間違いなかったから。
「へぇ……分かるんだ」
ウィズは、くつくつと笑う。笑った後、顔を凍らせて「それで?」と言い放つ。
「分かったから、何だって言うんだよ? 可哀想だって言ってくれる訳?」
「別に、そういう訳じゃ」
上手く言葉が紡げず、美樹は口ごもる。分かっているのに、いや、分かっているからこそ、何を言っていいのかが分からない。
「ああ、そうか」
ウィズは、再びくつくつと笑い出す。美樹が何かを言おうと口を開いた瞬間、ウィズは立ち上がり、勢いよく美樹を壁に叩きつける。思わず「きゃ」と声を上げる美樹だが、それに構う事無くウィズは美樹の手首を強く握り締め、壁に抑え付ける。
「じゃあさ、慰めてよ」
強引に迫るウィズに、美樹ははっとした表情をする。逃げようともがくが、ウィズの力が強くて逃れられない。
後少しで、唇が触れ合う。あと3センチ。2センチ。1センチ……。
――パシーン!
気付けば、自由な方の手で、ウィズの頬を叩いていた。
突如叩かれた所為で、ウィズの手はゆるりと美樹の手を解放した。美樹は「ごめん」と謝る。
「……だから、使おうって、言ったんだ」
ウィズは赤くなった頬に手をあて、静かに言う。
「ウィズ、私」
「だから、ヒュプノスの加護を使おうって、言ったんだ!」
美樹の言葉を遮り、ウィズは叫ぶ。美樹は「ウィズ」と声をかけるが、ウィズはその問いかけに答える事無く「それなのに、それなのに」と言葉を続ける。
「こんな事になるなんて、誰が望んだんだよ? なぁ、誰だよ!」
「落ち着いてよ、ウィズ」
「落ち着け? 馬鹿言うな、落ち着いてる。俺は、落ち着いているんだよ!」
「ウィズ」
美樹は唇を噛み締める。目頭が熱い。なんと声をかけていいのかも分からない。
咄嗟の防衛本能で、ウィズを平手打ちしてしまった。それに関しては、申し訳なく思っている。だが、それ以上に美樹は悲しくて、辛かった。
露悪的に振る舞い、泣く事も出来ていないウィズ。そんなウィズの気持ちを分かっているのに、言葉が上滑りしてしまっている。ウィズに届かない、自分の言葉。自分の気持ち。
それが哀しくて、辛い。不甲斐ない自分が、悔しい。
「こんな事になるなら、実体化するんじゃなかった!」
ウィズの叫びに、しん、と辺りが静まり返った。その言葉は、余りにも哀しくて、切なくて、虚しくて。
バーにいた誰もが、口を噤んでしまった。
「ウィズさん、今の言葉、なんだよ?」
誰もが静まり返っていた中、声が響いた。声の主は、梛織。
「梛織か」
吐き捨てるように言うウィズに、梛織は再び「ウィズさん!」と叫ぶ。
「さっきの言葉、何だって言ってるんだよ!」
「言ったままに決まってるだろう! あんな気持ち、味わいたくなかった! あんな光景、見たくもなかった! 実体化なんてしなけりゃ、こんな事にはならなかったんだよ!」
ウィズの叫びに、美樹が嗚咽を漏らした。
「やめてよ……やめてよ、ウィズ!」
怒りを含んだ泣き声で、美樹は叫ぶ。「そんな事、言わないでよぉ!」
「そうだ、そんな事言わないでくれよ! あんた、俺に言ってくれたじゃないか。あの時、頼ってよって、言ってくれたじゃないか。あの言葉は嘘かよ!」
梛織も叫び、ウィズの襟元をぐいっと持ち上げる。ウィズは「はっ」と鼻で笑う。
「じゃあ、どうすりゃ良かったんだよ? 全て、実体化したからじゃないかよ!」
「あんたが実体化してなかったら、俺は、誰に頼れば良いんだよ!」
「知るかよ!」
――がっ!
ウィズの返答と共に、梛織はウィズを殴りつけていた。
梛織の拳は震えていた。ウィズの言葉は、否定だ。梛織にとって、大切な存在達を否定する、禁句でしかない。
守ろうとした存在を最後の最後で救えなかった辛さを、梛織はこの銀幕市で初めて知った。特別な存在を失う辛さに直面した事はなくとも、知っている。
だからこその、禁句。
「お前に何が分かるって言うんだよ、梛織!」
ウィズはそう言い、逆に梛織に殴りかかる。「肝心な所で護れなかった俺の気持ちが、お前に分かるっていうのかよ!」
「少なくとも、やさぐれただけじゃ分かんねぇよ!」
「何だと?」
「俺は海賊団じゃないし!」
ウィズと梛織は言い合いをしながら殴りあう。互いに一歩も引かない。手加減もしない。
「じゃあ、何でだよ。何で、来たんだよ!」
再び、ウィズはがっと殴りかかる。梛織はウィズの拳を受け止め、真っ直ぐにウィズを見つめる。
「俺は海賊団じゃないけど、その絆が堅いのは分かってる。だから、みんなに離せないなら、辛いなら、他人の俺に話せよ!」
ウィズの目が、じっと梛織を見つめる。
「何を」
「いくら俺が腕の立つ万事屋でも! やさぐれただけじゃ、分からんねぇし!」
ウィズの言葉を遮り、梛織は言う。ウィズは「くそ!」と吐き出したように言い、梛織の手を振り払って再び殴りかかる。
「お前に何が分かる! 目の前で失ったオレの何が、お前に分かるっていうんだよ!」
「だから、頼れよ、馬鹿っ! あんたも、オレに頼ればいいんだよ!」
「やめてよ」
殴りあう二人に向かい、美樹が口を開く。涙でぐしゃぐしゃになった顔で。
「俺はウィズさんに会えて良かったって、思ってんだぞ!」
「そんなもん、知るか!」
互いに殴り合い、蹴りあう。
「やめてよぉ……!」
より大きな声で、美樹が叫ぶ。そこでようやく、ウィズと梛織の殴り合いが一旦止まった。
二人とも、肩で息をしながら、その場に座り込む。そして、梛織は気付く。
自分が、泣いている事に。
「ウィズさんの所為で、何で俺が泣かないといけないんだよっ!」
梛織はそういうと、膝に手をつけながら立ち上がる。ウィズはぜいぜい言いながら、ぼんやりと梛織の動きだけを見ている。梛織は「クソッ」と吐き捨てるようにいい、びしっとウィズを指差す。
「復活したら、白桃とメロン持って詫びに濃いよ! っんの、ヘタレぇえぇ!」
「何だと?!」
ウィズの突っ込みを受けるまでもなく、梛織は店を走って出て行った。ウィズは何か言おうとし、何も言えずに唇を噛み締め「くそ」と吐き捨てるように言う。
「……ウィズ、帰ろう」
そんなウィズの目の前に、気付けばアゼルが立っていた。アゼルは美樹と目が合うと、深々と頭を下げる。
「ごめんなさい。ウィズが、酷い事を言ったみたいで」
アゼルの言葉に、美樹はただただ首を振った。不甲斐ない自分に、謝られる筋合いなどないのだと。
「梛織さんにも、謝らないといけないわね」
苦笑交じりにアゼルは言い、ウィズの前にしゃがみ込む。
「帰ろう、ウィズ」
「アゼル」
ウィズはぽつりと言い、目線をそらすように下を向いた。アゼルはきゅっと、小さく唇を噛む。
アゼルには、分かっていた。どうして、ウィズが美樹と梛織に酷い事を言ったり、冷たい態度を取ったりしたのか。
一重に、ウィズは甘えているのだ。同じように悲しんでいる海賊団の団員には、ぶつけられないから。何もいう事が出来ないから。だからこそ、美樹と梛織には甘えたのだ。
それが分かるから、寂しくて、悔しい。お互い様なのに。
「帰ろう」
三度目の呼びかけに、ようやくウィズは立ち上がる。アゼルは再び美樹に「ごめんなさい」と何度も頭を下げる。美樹は首を横に振る。そして、振り返らぬウィズの背に、美樹は言葉をかけた。
「またね」と。
バーからの帰り道、アゼルとウィズは無言だった。アゼルがウィズの傷を心配し、何度も「大丈夫?」と声をかけていたが、ウィズは黙って頷くだけ。
そうして、だんだん船が近づいてきた。もうすぐ、船に到着する。
決戦で、ぼろぼろになってしまった船に。
「……選択、間違ったのかな」
ぽつり、とようやくウィズが口を開いた。アゼルは「え?」と聞き返す。
「だからさ、ヒュプノスの加護を使えば、良かったんじゃないかって」
アゼルは足を止める。いや、足が動かなくなった。頭から冷水をかけられたような、そんな気分がして。
「そうしたら、こんな事にはならなかったんじゃないかって」
自嘲も混じったその言葉に、アゼルは「馬鹿!」と叫ぶ。
「何よ、それ」
「例えば、だ」
「何よそれ! だったら……だったら、最初から戦う選択をしないでよ!」
「アゼル」
憤るアゼルに気付き、ウィズは振り返る。アゼルは両手を堅く握り締め、じっとウィズを見つめている。じっと、まっすぐ。怒りで満ちた、強い視線で。
「私はね、ヒュプノスの剣を選択しようと思ってた。消えたくなかったし、ウィズと銀幕市に来て出来た友達と、離れ離れにさせたくなかったから」
「だったら」
戸惑うように言うウィズに、アゼルは「だけど!」と強く言い放つ。
「選んだんでしょ? ウィズ、戦う選択を選んだじゃない。戦おうって、決めたんじゃない。だから、今が、あるんでしょ?」
銀幕市上空には、もう何もない。いつもの日常。前と同じ日常。
欠けてしまったものは、あるけれど。
「だから、そんな事言わないで。言わないでよ!」
アゼルは、ぐい、と目をこする。自然と涙が溢れていた。泣かないようにしていたのに。ただでさえ、海賊団の皆が辛い思いをしていて、それに加えてウィズが酷い状態になっていて。ならば自分が頑張らねばと思っていたのに。
ウィズは呆然としたようにアゼルを見つめ、暫くして小さく「ごめん」と口を開いた。アゼルはそれを聞き、ゆっくりと首を横に振った。
分かってくれたら、哀しい事を言わないなら、それでいいのだから。
「帰ろう、ウィズ」
再びアゼルはいい、ウィズの手を取る。そして、静かに引っ張って歩き始める。
涙が再び出てこないよう、きゅっと、ウィズの手を強く握り締めて。
船に帰ると、心配そうな顔をしたハンナが一番に出迎えてくれた。
「お帰り、ウィズ」
ハンナが優しく声をかけると、ウィズは気まずそうに「ただいま」と答える。
「ウィズ、その怪我はどうしたんだい?」
体中に傷があるのに気付き、ハンナが尋ねる。
「なんでもない」
「何でもない事はないだろう?」
ハンナが更に言うが、ウィズは「大丈夫」を繰り返すだけだ。ハンナがどうしようかと思っていると、アゼルが口を開く。
「梛織さんと、喧嘩したの。美樹さんにも、散々心配をさせて」
「梛織というと、ウィズの友達だね。美樹は、ああ、あの元気で活発な、可愛いお嬢さんか。あたしの若い頃に似てたっけねぇ」
ハンナは二人を思い出しつつ、そう言って頷く。そして、優しくウィズに「おいで」と声をかける。
「傷の手当をしてあげるよ。そのままだと、化膿してはいけないからね」
ウィズがアゼルの方を見る。アゼルは「そうしなさいよ」と言って微笑む。もう、涙の後はない。
「ありがとう」
ぽつりと漏らすウィズに、ハンナは「当たり前じゃないか」と言って、にっこりと笑った。
傷の一つ一つを消毒し、ガーゼをあて、包帯を巻いていく。
「随分派手にやったんだねぇ。痛かったかい?」
「痛くない」
「そいつはいいね。この海賊団は、強い子が多い」
ははは、とハンナは笑う。優しく、暖かい手で、手当てをしながら。
「あたしはさ、一度陸に下りてたんだよ」
静かに、話しかける。ウィズからの返事はない。
「だけど、あたしには海が似合うから、なんて言われてね。海で生き生きしている姿が見たいだなんて言うもんだから」
「……誰に?」
そこでようやく、ぽつりとウィズが尋ねてくる。ハンナは静かに微笑み、胸のロケットペンダントを握り締める。
「あたしが、唯一愛した人だよ。もう、いないんだけどね」
あ、とウィズは言葉を呑む。
幸せだった日々が、ハンナの脳裏に浮かんでいた。昔は海賊をして、ひ弱な青年と出会い、結婚を機に陸に降り、そして別れた。二度と会えない別れを経験した。
「団長の人柄に惚れて、海賊団に入ったんだ」
「惚れてたの?」
尋ねるウィズに、ハンナは「あははは」と大声で笑う。
「人間性にね。本当に愛しているのは、一人だけさ」
静かに、ハンナは微笑んだ。そして、小さく「これでよし」と言いながら、包帯の端を始末してやる。
「……痛かったね、ウィズ」
「痛くなんて」
ウィズの言葉を遮り、ふわり、とハンナはウィズを抱きしめる。
「痛かったね、ウィズ。よく頑張ったね」
ハンナの腕の中はあたたかい。柔らかい。何処かいい匂いがする。
まるで、母親だ、とウィズは思う。目の奥が、ちりちりと痛んだ。
ウィズが帰ってきた事を聞いたルークレイル・ブラックだったが、未だにウィズの元にいけないでいた。呆然と、酒瓶の破片が散らばる自室で、座り込んでいた。
ウィズを慰める余裕など、どこにもなかった。ルークもまた、自責の念に囚われていたのだ。
家族である海賊団を大事にしていた。自分の全てを以って、守ろうとしていた。それなのに、肝心のギャリックを死なせてしまった。
不甲斐ない。
情けない。
その二つの思いが、ルークの心を際舐め続けていた。
どうして自分が生き残って、彼が死んでいるのか、と。
掌を、ふと見つめる。助けられなかった手だ。握り締めて真っ白になっており、掌には爪の跡が刻まれている。
無表情のまま見つめる先の手は、微かに震えていた。
「……ついていくと、決めていたんだ」
選択の時を思い出す。どちらの剣も使わない、を選んだ。本当は、ヒュプノスの剣を選択しようかとも思った。
だが、ルークはついていくと決めていたから。絶対の存在が「誰も死なせない」と決めていたから。だから、だから、だから……!
――がしゃん!
気付けば、何本目かの酒瓶が、壁に叩きつけられていた。
彼らしい選択。絶対の信頼。なんてらしいんだろう、と眩しく思った。
「家族だけは、絶対に守ると決めたのに」
ぽつり、とルークは漏らす。すると、コンコン、とノックの音が響いてきた。ルークはふらりと立ち上がり、ドアを開ける。そこにいたのは、アゼル。
「見つかったの」
震える声で、アゼルは言う。ルークが「何が?」と尋ねると、アゼルは「だから」と言いながら、叫ぶように言う。
「プレミアフィルム、見つかったの! 団長の、プレミアフィルムが!」
アゼルの言葉を聞き、ルークははっと息を呑む。そして、何度か深呼吸を繰り返した後、ゆっくりと口を開く。
「それなら、映写機にかけよう」
「え?」
きょとんとするアゼルに、ルークは「そうだ」と一人頷く。
「映写機にかける。いや、かけないといけない」
「ルーク?」
アゼルの問いに答える事無く、ルークは歩き出す。だんだん小走りになり、最終的には必死で走って向かっていた。
ウィズのところへと。
コンコン、とハンナとウィズのいる部屋のドアがノックされた。抱きしめていたハンナは腕を緩め、ドアを開く。
「ルーク、どうしたんだい? そんなに慌てて」
不思議そうにハンナが言う。ルークは「ウィズ」と小さく問いかける。
「見つかったそうだ」
「何が?」
「団長の、プレミアフィルムだ」
ウィズとハンナの目が、大きく見開かれた。ウィズは、小さく震えている。
「本当に、見つかったのかい?」
ハンナが尋ねると、ルークはこっくりと頷く。
「まだ、俺も実物は見ていない。でも、アゼルが教えてくれたから間違いないと思う。だから……映写機にかけようと思う」
ルークの言葉に、ウィズはゆっくりとルークの方を見る。
「映写機に、かける?」
「そうだ、ウィズ。団長のプレミアフィルムを、映写機にかけるんだ」
ウィズはゆらりと立ち上がる。
団長のプレミアフィルムを、映写機にかける。既にこの場にいない人を、フィルムと言う形で見る。
それはつまり、向き合うという事だ。
確かにいたという事を、今はもういないという事を、しっかり認識させる。そうする事により、団長の死と向き合うのだ。
「分かった」
ウィズは答え、ドアへと向かう。それに、ルークとハンナが続く。
――ぱたん。
静かに、ドアは閉められた。
部屋の中には、ハンナが使っていた救急箱が、ぽつりと取り残されているのであった。
<胸の残滓を各々が抱きつつ・了>
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クリエイターコメント | お待たせしました、こんにちは。霜月玲守です。 この度は大人数でのプラノベオファー、そして大事な心情の描写たちをさせていただきまして、有難うございます。
ウィズさんを中心として、書かせていただいております。それぞれの思いを出来る限り引き出せていれば、幸いです。 途中、皆様の思いを詰め込んだ文章を拝見するたび、胸が熱くなりました。
少しでも気に入ってくださると嬉しいです。 ご意見・ご感想等、心よりお待ちしております。 |
公開日時 | 2009-07-14(火) 18:30 |
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