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<ノベル>
RDは不機嫌だった。
もっとも、彼が機嫌が良い時など、そう多くはない。
大股に通りを行けば、道行く人は思わず避ける。圧倒的な巨躯に鋲を打ったレザーをひっかけ歩く、天を突くスキンヘッドの大男に、威圧感を感じないものはいないだろう。加えて、常にイライラしたような、憤懣やる方ないような、爆発寸前といった表情を、その凶悪な人相の上に浮かべているのである。
RDの肉体を支配するものは、常に怒りであり、苛立ちであった。
「おい」
秋空の下、聖林通りにただよう香ばしい匂いは、屋台の売る骨付きチキンだ。
「よこせ」
「いらっしゃい!」
店員は愛想よく、品物をひとつ手渡した。
雑誌でも紹介されたことのある屋台のチキンは、こんがりと旨そうに焼きあげられていた。
「……」
RDは受け取ると、平然とそのまま歩き出す。
「あっ、ちょっと、お客さん、お代――」
「……」
四白眼の眼光は、しかし、店員の正義と勇気を、瞬時に粉砕していた。あの眼を見て、RDに反論できるものがいたなら、間違いなく世界一勇敢な人間だったろう。そしてその勇者は、おそらく次の瞬間には世界一勇敢だった死者になっている。
ふん、と鼻を鳴らし、RDはチキンに噛みついた。
骨ごと、肉をかみ砕く。
その瞳に宿る剣呑な光が、いっそう鋭さを増したように思われた。
本当に喰いたいのは、こんなもんじゃない。
RDは不機嫌だった。
もしも彼がその衝動のままに行動したなら、とっくに『対策課』から依頼が出され――なにか紆余曲折があったかもしれないにせよ――最後はプレミアフィルムになっていただろう。
そうはならない程度の分別を、意外にもRDは持ち合わせていた。
しかしそれこそが、RDを常にいらだたせているものだったのだ。
それはあたかも、獰猛な肉食獣を檻で飼うに似ていた。
檻の中で、不自由な生を甘受するのか、それとも自由の空の下を、死と隣り合わせでい生きるのか。一体どちらが幸せかは、にわかには答の出せないことだった。
ゴリゴリと骨をかみつぶす。
RDの目は、知らぬ間に、通り沿いの商店を何某かの映画からあらわれたヴィランズが襲いでもしておらぬかと、あたりをさまよっていた。それは文字通り、獲物を探す獣であった。
「!」
車道を挟んで向かいの歩道――、そこに、ある男の姿を見つけたRDの顔に、陰惨な微笑が浮かんだ。
喰えぬのなら、せめて気晴らしができればよい。
ぺっ、と、チキンの骨を、彼は吐き出した。
「きゃ」
女の子はちいさく声をあげた。
「あ。す、すみません」
まだ小学生くらいだろうか。そんな相手であっても――いやそんな相手だからこそ、ランドルフ・トラウトは腰低く、頭を下げる。
「こちらこそ、すみませんねえ」
あとから来た母親らしい女性が、ランドルフに声をかける。
通りの角で、出会い頭に、女の子とランドルフはぶつかりかけたのだ。
少女はぎゅっと母親の腰にしがみついた。
「……」
ランドルフはせいいっぱいの笑みを浮かべ、足早に、母娘の脇を通り過ぎようとした。
「急に走っちゃだめでしょ」
背後で、母が娘を注意する声。
ランドルフは夜勤明けの帰路を急いだ。今日はいい天気だ。帰ってひと眠りしたら散歩にでも出かけよう。
そんなことを思いながら、歩くランドルフの感覚は、しかしそれをとらえてしまった。
常人ならざる彼の嗅覚が、焼けたチキンの匂いに気づく。
そして。
「……!」
きっ、と、普段の、容貌魁偉なれど温厚な眼差しの彼から想像もできぬような鋭い目を向ける。
クラクション――そして急ブレーキの音!
主人に会った飼い犬のような勢いで、車道を横切り、突っ込んでくる巨体がある。
ランドルフは、はっと、振り返る。
突然のことに立ちつくす母娘がいる。
舌打ちして、ランドルフは飛び出した。銃撃のように四方から飛んでくるクラクション。そして下卑た哄笑。
「どうだ、いい天気だな!」
RDは言った。
「こんな日は――腹が減って仕方がねえ!」
「くるな!」
ランドルフは叫んだ。
鈍い、なにか重いもの同士がぶつかり合う音がした。
ばちん、と音を立てて、RDのレザージャケットが――ランドルフのシャツが千切れ飛ぶ。がっしりと、RDとランドルフの両手が組み合わされ、真っ向から互いを押しあう格好になっていた。その姿勢のまま、膨れ上がる筋肉が、その容積を爆発的に増していく。
通りのあちこちで、悲鳴があがった。
ふたりに進路を阻まれ、急停止した車を捨てて、ドライバーが逃げ出していくのがランドルフの視界の端に映った。
そこにいるのは、2匹の鬼、だった。
頭に伸びた角が、かれらが人外であることを高らかに宣言している。いや、そんなものなくとも、5メートルにまで巨大化した様を見てかれらを人間だと思うものはいまい。
そう――
かれらは、人ではないのだ。
「はっはぁあ」
面白そうに、RDが――今や赤銅色の肌の鬼と化したRDの口元が歪んだ。そこから獣の牙が突き出し、興奮のあまりか、だらだらと涎が垂れている。
「ンだよ、挨拶じゃねぇか」
「黙れ!」
ランドルフは吠えた。
ふたりの怪力は拮抗しているようだ。
組み合ったまま、互いに一歩も引かず、さりとて押し切れもせずにいる。
ランドルフは後方へ首を捻った。そこに、腰が抜けたようにへたりこむ女性と、わんわん泣いている彼女の娘の姿があった。
「子どもを連れて早く安全なところへ!」
ランドルフの叫びにも、彼女は放心したようにすぐには反応しなかったが、娘に服をひっぱられて、はっと心を引きもどしたようだった。
「早く!」
緑青色の肌の巨人に急きたてられ、母娘は逃げていく。
そうだ、早くお逃げ。
怖い鬼から、逃げるんだ。
ランドルフは、自らの魂の双子とでも呼ぶべき存在へ向き直った。
そして、渾身の力とともに、雄叫びをあげるのだった。
「ぅおう」
RDが呻いた。
その巨体が、宙を舞う!
刹那の早業で、ランドルフがRDに背負い投げをかけたのだ。
けたたましい音を立て、そこにあった店のショーウインドウをRDの体が突き破る。
気がつけば――
周囲は、先ほどまでと様相を変えていた。
立ち並ぶビルの間を、どこか殺伐とした空気が吹き抜け、びょうびょうとさびしげな音を立てる。その風には、硝煙の匂いが混じっていた。
ランドルフのロケーションエリアだ。
ここでなら、どんなに暴れても、現実の銀幕市の市街が被害を受けることはない。
「ってぇな、この野郎!」
悪態をつきながら、RDが飛び出してきた。
身体のあちこちにガラス片が突き刺さっているのも気にした様子はなく、大きなものを無造作に抜き去ったら、その傷は見る間に癒えてゆく。
「仲良くやろうじゃねェか」
へへへ、とRDは笑う。
「断る」
「ンだよ。似た者同士だろ、俺たち」
「違う!」
ランドルフが相手に飛びかかった。彼を激昂させるだけのものが、RDの言動や声音にはある。
「バカが」
飛び込んできたランドルフの拳を、RDはかわした。さっきは油断したが今度はそうはいかねェぞ――そんな不敵な笑みのまま、すっと姿勢を低くし、そこから正拳を突き出す。
「ッ!」
砲丸でも食らったかのような、重い衝撃だった。
さすがのランドルフでさえ、身を折って吐き気にふるえる。その隙をRDは見逃さない。鉄の拳は、今度はランドルフの顎を正確にとらえ、フックを決めた。
ぐらり――、と、ランドルフの身体が傾ぐ。
さらに追い打ちの3発目。強烈なストレートを浴びて、数メートルばかり、ランドルフが後方へ吹き飛ぶ。
痛みに顔をしかめるランドルフ。鼻血がだくだくとあふれていた。
その様子に、RDは心底満足そうな、爽快そうな表情を浮かべる。こうしてなんの抑制もなく力を解放し、なにかを傷つけ、傷めつけ、破壊している間だけ、逆説的に、普段の彼を支配するどす黒い感情の呪縛から逃れられるかのようだった。
今のRDは純粋だ。
純粋な、闘争心だけがある。
「ふんっ」
ダメージにすぐには起き上がれないランドルフを横目に、RDは信号機のポールに手をかける。空気を入れた風船のように膨れ上がる腕、肩、胸の筋肉。腕にうかびあがった血管が破裂しそうだ。
その信じがたい膂力が、信号機を道路から引き抜いてしまった。
赤と緑の光が、断末魔の呻きのように瞬いてから消える。
新品のバットを試す子どものように、ぶん、と一度振ってから、RDは何のためらいもなくその凶器を倒れているランドルフめがけて振り下ろす!
がはっと、血反吐を噴くランドルフ。骨の砕ける音も、はっきりと聞えた。
RDは笑っていた。楽しくて仕方がない、というように、何度も何度も何度も何度も信号機を振り下ろす。叩けば音の出る玩具のように、打ちのめされてランドルフが苦痛の声をあげる。
「……っ――そぉおっ……!」
何発目かの攻撃を、しかし、ランドルフは受け止める。がっしりと信号機の、もはやぐしゃぐしゃになって何なのかわからぬ金属塊と化したそれを、上半身で抱え込むようにして受け止めたのだ。
「こ、こいつ」
RDは引き抜こうとするが、ランドルフは離さない。
「ぬぅうううう」
「な、なに」
RDは、自分の足が道路から浮くのを感じた。
信じがたいことに、あの体勢から、ランドルフは信号機ごとRDを持ち上げたのだ。そこで手を離しさえすればよかったのに、RDは思わず支柱にしがみついてしまった。その瞬間、今度は彼は投げ飛ばされている。
「ふん……っ!」
「うおおおおおおおおお」
ランドルフが信号機の支柱を大きく振り抜き、その力で飛ばされたRDは向いのビルの3階あたりの窓を突き破る。
常人ならもう10回くらい死んでいてもいいくらいだが、相手は常識の通じない化け物だ。
(それは私も……同じですがね)
ランドルフもまた、あれほど痛めつけられた身体を起こし、助走をつけて路肩に駐車されていた車めがけて走る。
その天井を踏み台に(べこり、と音を立ててランドルフの足跡がついた)、一息にジャンプして、RDがつくったビルの壁面の穴へと飛び込む。
これを予想し、待ち受けていたRDが、その場にあった事務机を投げつけてくるが、それもまたランドルフの予測のうちだ。ひとつを叩き落し、もうひとつを身をそらして避ける。
「おまえのような……」
ランドルフは一気に間合いを詰め、RDの腰を両腕で掴んだ。
RDはランドルフの肩をわし掴みにし、爪を立てる。指が食い込んだところから血の筋が流れおちたが、ランドルフの、RDを締め付ける万力のようなハグが揺るぐことはなかった。
「離せよ。おまえと抱き合う趣味なんざねェんだ」
「おまえのようなヤツが……っ、銀幕市にいちゃいけないんだ」
「あァ!?」
「おまえは、銀幕市には危険すぎる!」
「あーあーそうかよ! じゃあテメェはどうなんだ、えぇ!?」
RDは嘲笑とも咆哮ともつかぬ声を発した。
「俺が危険ならテメェだって危険だろうが! 俺たちは……同じなンだからよ」
「違う!」
圧倒的な筋力が、このまま相手の胴を潰してやるとばかりに、力をかける。
RDの反撃は、ランドルフの肩口に喰らいつくという野蛮なものだった。
ランドルフが声をあげた。あげたが、決して腕を緩めようとはしない。RDも容赦なく、彼の肉を喰いちぎる。鮮血が大量の飛沫となって迸った。
「人喰いの味がするぜェ!」
「黙れ!」
「いいか、覚えとけ、俺とテメェは……おんなじなんだ、よッ」
耳元で囁くように言うと、RDの長い舌が、ランドルフの首筋から耳の裏側までを丹念に舐めあげた。ぶるっ、とランドルフの体が震えた。
「ち、違う……」
ごきり、と腕の下で、RDの胴体がいやな音をたてた。うぐぇ、と喉の奥からあふれる呻き。
「同じで……たまるかァ!」
そのまま大きく身体を反らし、ブリッジ姿勢のまま、RDの脳天を床に叩きつけた。間髪入れずに、反転して立ち、RDの股の間に入ると太ももを脇に抱え込む。そのまま二回転をほど振り回したすえに、ゴミのようにRDをビルの外へと投げ捨てた。
怨嗟の咆哮が尾を引いて落下していくのを追うように、ランドルフもまた崩れたビルの壁から飛び出す。
再び道路に投げ出されたRDに一秒遅れて降り立ったランドルフは、傍にあった車を掴むと高々と持ち上げ、起き上がろうとするRDに向けて投げつけた。爆音とともに、エンジンが火を噴き、RDを包み込む。投げつける瞬間に、ランドルフは近くのビルの壁面のデジタル時計を見ていた。
もう時間がない。ロケーションエリアの制限時間が迫っているのだ。
だが、ランドルフの渾身の一撃も、RDをしとめられなかった。炎と黒煙の中から飛び出してくる、煤けた野獣。
「許さねぇぇぞぉおおお、死ねぇええぃ!」
憤怒の叫びに、ランドルフもまた雄たけびで応えた。
そしてふたたび、他者をねじ伏せ屈伏させるためだけに発達した筋肉の塊同士が、音を立ててぶつかり合う!
血と汗と埃が、舞い散る。
バラバラバラと、はるか頭上でヘリが飛んでいるのは、いよいよどこかのマスコミが動き出したか。近づいてくるパトカーのサイレン。悲鳴と怒号。燃えるガソリンの匂い。そして。
その瞬間、何が起こったのか、ランドルフは理解できなかった。
ただ突然に、足もとから自分が奈落に呑まれたのがわかった。
そして、熱をもった全身を一気に冷やすかのように浴びせられた水――。
「ンだ、こりゃあっ」
RDがつく悪態。
「あ――」
ざわざわと、野次馬たちの顔が、上からかれらをのぞきこんでいた。
ランドルフのロケーションエリアは時間切れだ。
ふたりが暴れ回った破壊の跡は、それとともに消え去っていたが、かれらが立っていたアスファルトの地面は、陥没し、どうどうと流れる水が渦巻く中に、ふたりは腰まで落ち込んでいる。これだけは、現実の出来事だ。
冷たい水が、文字通り、ふたりの熱を冷ましていく。
見上げれば、秋晴れの空をヘリが横切っていった。
★ ★ ★
『某月某日、聖林通りで、ムービースター2名による乱闘騒ぎがあったものの、うち1名のロケーションエリア効果により、被害は皆無。重量級のふたりが暴れ回ったせいか、道路が陥没し、古い水道管が破裂して周辺が一時断水したが、市水道局によると、水道管のもともとの老朽化がおもな原因との調査結果になった。水道工事のため、通りは×日まで通行止めになる模様』
銀幕ジャーナルを閉じ、ため息をひとつ。
今日も秋の日差しはやさしく、夜勤帰りにオープンカフェのテラス席でコーヒーを飲むランドルフを包んでくれた。
ふと、視線を感じて顔をあげると、そこにはひとりの女の子が立っている。
「あ――」
「……お怪我、なかった?」
ちいさな声で、おずおずと尋ねた。
「……。ええ。大丈夫ですよ」
「よかった」
にっこりほほ笑むと、少女はランドルフに一輪の花を差し出した。
野で摘まれたような、素朴な花だった。ランドルフの大きな手の中では、ひどくはかなく、よるべないように感じられるほどに。
バイバイと手を振って、駆けだしていく。
その背に手を振り返し、ランドルフはジャケットの胸にその花を飾った。
ふっ――と漏らした笑みは、私が花だなんて……というかすかな自嘲を含んでいたが、次の瞬間には、それも消え、ランドルフ・トラウトは花を挿した厚い胸板を、誇らしげに張ってみせるのであった。
(了)
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クリエイターコメント | とてもとても楽しく書かせていただきました!
いくら某様でもこんな日常的にカツアゲ的な行為(笑)をなさってはいないと思うのですがこの日は特にご機嫌が悪かったということで。
また銀幕市のどこかでお会いできればうれしく思います。
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公開日時 | 2008-10-07(火) 21:50 |
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