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<ノベル>
ハンスのマンションに戻ってからも、ルウの興奮は冷めなかった。
「すごかったね、ぱぱ。すごかったね、ハンス」
ふたりに買ってもらったクリスマスプレゼントを、包装も解かぬままに抱き締め、真っ白な頬を今ばかりは林檎のように紅潮させて早口に言うルウを、シャノン・ヴォルムスは目を細めて見詰めていた。
「るう、びっくりした。きれいだった。おいしかった。あとね、それにね、うれしかったね。さんにんいっしょ、うれしかったね」
少ない語彙で、一生懸命に自分の気持ち、幸せだと言う思い、感動、感激を伝えようとするルウは、とても可愛らしい。
「そうだな、とても嬉しいことだ」
シャノンは、座り心地のいいソファに近づくと、痩せた小さな少年の隣に腰かけ、ルウの頭を撫でた。
「俺は、ルウやハンスと一緒にクリスマスを過ごせて、とても嬉しい」
「うん、るうもぱぱとハンスとくりすますできてうれしい」
にこにこと笑い、ルウがシャノンに抱きつく。
シャノンは穏やかに微笑して、小さな小さな、五歳児くらいの大きさしかないルウをやわらかく抱き締め、その背を、頭を撫でてやる。
くすぐったげにルウが笑った。
抱擁を解き、窓の外を見やれば、もう、すっかり暗くなっていて、空には星が瞬き始めていた。
冬の太陽は、どこの世界の太陽であっても、薄情なまでの速さで夜の中へ帰って行ってしまうのだな、と、そんな詩的なことを思い、シャノンは自分のらしくなさに苦笑した。
「あっという間だったな」
「うん、どうしたの、ぱぱ?」
「いや……楽しい時間と言うのは、本当に驚くほど早く過ぎて行ってしまうものなんだな、と」
「ふうん……?」
よくは判っていない様子でルウが首を傾げ、それからクリスマスプレゼントの包みを手に取る。
「ぱぱ、あけていい?」
「ああ、勿論だ」
がさがさ、という紙の音、紙の匂い、そしてそれに重なるルウの声。
「わあ、きれいだね。ぱぱ、とってもきれい」
歓声を上げるルウに、シャノンは目を細める。
少年の笑顔、幸せそうに満ち足りたそれを見ていると、それだけでシャノンもまた幸せになる。
「綺麗だろう、三人で揃いのものを買ったんだ、ルウと俺とハンスとでお揃いなんだぞ」
「おそろい? いっしょ?」
「ああ、そうだ、一緒だ」
すごいね、いっしょすごい、そう言ってはしゃぐルウを、シャノンは慈しみの込められた目で見詰めた。
――クリスマス当日。
救世主イエスに何かの感慨があるわけでもないのだが、イエスの誕生祝という意味でなければ――そう、例えば銀幕市でのそれとか――、クリスマスとは賑やかで楽しい一日だ。そういう、お祭り騒ぎが許される日なのだ。
ならばそのお祭り騒ぎに乗っかってやろうかと、プレゼントとパーティの食材などを買いに、シャノンは、義息のルウと実子のハンスを伴って街へと出かけた。
シャノンもハンスも日頃から稼いでいる身だ、せっかくだからよいものを贈ろうと、ルウを喜ばせてやろうと互いに物色を重ね、見つけたのが今ルウの手の中で輝くものたちだ。
「俺が買ったのはシルバーのリングだな。内側に、俺とルウとハンスの名前が彫ってある。ハンスの買ったのは、ウォーター・サファイアのペンダントだ、ルウ、お前の目に似ていてとても綺麗だろう。……ほら、つけてごらん、きっと似合う」
頷いたルウが、細い細い指に銀のリングを通し、美しく輝く青の石がはめ込まれたペンダントを首にかける。
「ぱぱ、みて」
笑うルウの指先で、胸元で、贈り物が光っている。
まるで約束のようだ、とシャノンは思った。
何があってもルウを守る、ルウを幸せにする、という誓いのようだと。
「ぱぱ、ありがと。るう、とってもうれしい」
無邪気に笑うルウの姿を見ていると、愛しさが込み上げる。
血のつながりなどなくても、確かにルウは息子で、自分は父親なのだ、と、わけもなく思った。
「ルウ、シャノン、もうじき出来るぞ」
そこへ、鍋掴みをはめて琺瑯の鍋を持ったハンス・ヨーゼフがリビングへと顔を覗かせ、ふたりに声をかける。
一体何を作っているのだろうか、彼の周囲からはぷうんといい匂いがした。
「ご馳走を食べて、乾杯をして、それからケーキを食べよう。ルウ、おいで、手伝ってくれ」
ハンスに言われて、ルウが元気よく立ち上がる。
「うん、るう、ハンスのおてつだいするよ! おいしいごはん、たのしみ!」
ぱたぱたと可愛らしい足音を立ててハンスについてゆくルウの背を視線だけで追ったあと、シャノンもまた立ち上がった。
「ふむ。では……酒の支度もするか。今日のような日なら……」
呟きつつ、重厚な木造りの戸棚を開け、今宵の晩餐に合った酒をのんびりと物色する。――と言っても、ルウは当然としてハンスもあまり飲めないタイプなので、消費は主にシャノンがすることになるのだろうが。
ちなみに、下戸のハンスの自宅に何故こんな立派なキャビネットがあるかというと、当然、シャノンが持ち込んだからだ。当初は呆れ顔をしていたハンスも、今では諦めが入ったのか、いちいち買いに行かなくていいから便利かもな、などと言うようになった。
「まぁ……まずは軽く、赤ワインと行くか……」
呟き、ここ最近で一番の当たり年のワインを手に、ダイニング・ルームへと向かう。
肉や野菜やスパイスの入り混じった匂いが鼻をくすぐる。
「遅いぞ、シャノン」
見れば、ルウもハンスもすでに椅子に腰かけていた。ルウは、子ども用の背の高い椅子に腰かけて、わくわくと食卓上の料理を見渡している。
「今日はフレンチにしてみた」
シャノンが席に着くと、ハンスがそう言って、ルウのグラスにオレンジジュースを注いだ。そのあと、自分のグラスにも同じものを注ぐ。
「あんたはどうせ、酒だろう。……ああ、持って来てるみたいだな」
それへ頷いてみせて、シャノンは自分のグラスに赤ワインを注いだ。
芳醇な、深い香りが立ち昇る。
「じゃあ、とりあえず」
ハンスが、ルウがグラスを持ち上げる。シャノンもそれに倣った。
乾杯、という言葉を、グラスとグラスの触れ合う繊細な音が代弁した。
三人一緒にグラスに口をつけ、中の液体を飲み干す。
「いただきます。ハンス、これなに? これは?」
フォークを手に取ったルウが、興味津々と言った趣で、ハンスが取り分けてくれる様々な料理を指差すと、
「それはキッシュ・ロレーヌ。ベーコンと玉ねぎを使った、甘くないパイだな。タルトの場合もあるが……本場では、パイ生地を使うのが習わしなんだそうだ。そっちは、挽肉や野菜を詰めて焼いたパテだな、どちらもオードブル、つまり前菜だ」
必要に駆られてというよりは純粋に料理が好きで腕を磨いた節のあるハンスが、ルウに献立の説明をしてやる。
「そっちはニース風サラダ、まぁ、アンチョビやトマトやじゃがいもを使った具沢山のサラダで、スープはグリーンピースのポタージュ、肉料理は仔羊肉のキャフェ・ド・パリバター焼きにした。付け合せはじゃがいものドフィノワーズ……じゃがいものチーズグラタンってとこかな。パンはバゲットにクロワッサン、シャンピニョン辺りをそろえてみたから、好きなのを食べてくれ」
美味しいといって食べてもらえるのが嬉しいから、という理由で料理を好むだけあって、ハンスの作ったものはどれも美味しそうだ。
「……ん、この仔羊は、やわらかくて食べやすいな。臭みもないし」
「ああ、いい肉を使ったからな。……と言っても、そもそもラムってのは臭みが少ないものだけどな、マトンはマトンで味のある肉だとは俺は思うが。このキャフェ・ド・パリっていうバターは、香草をたくさん使って作るブール・コンポーゼの一種で、にんにくやハーブで風味がついてるから、アクセントになっていい」
「ハンス、すーぷおいしいよ。ちょっとあまくて、ええと……まろやか? っていうのかな?」
「そうか、よかった。ルウ、美味いならたくさん食えよ、冬を乗り切るためにもしっかり栄養を蓄えないとな」
「うん、ありがとハンス。あ、えーと、きっしゅろれーぬ? も、おいしい」
小さな銀のフォークとスプーンで、ルウが肉や野菜を食むのを、シャノンはグラスを傾けながら見ていた。
ルウは小柄で食が細い。
病弱なのはその所為もあるのだろうか。
一緒に食事をするときは、栄養価の高い、バランスのいいものを食べさせるように心がけているが、それでも、ルウの小ささ、か弱さには、時折心配になる。
「……シャノン」
と、不意にハンスに名を呼ばれ、小首を傾げて彼を見遣ると、ハンスは、更に山盛りにされた野菜サラダをシャノンに突きつけていた。
「……」
思わず沈黙するシャノンである。
「野菜も食え」
「いや、俺は、その……」
「……まさか、ルウの前で、ぱぱは野菜が食べられません、なんて情けないことは言わないよな? 子どもを健全に育む『食育』は、親の正しい食生活にかかってるんだぜ?」
調理を愛し、食材を愛し、美味しくバランスのよい食事を食べさせることを愛するハンスゆえの言葉だったが、しかし、シャノンと野菜(トマト除く)は決して相容れない仲なのだ。
これまでに銀幕市内で行われた食事会やパーティなどで、シャノンがどれだけあの怨敵と戦いを繰り広げたか、思い出すだけで目頭が熱くなるほどだ。やや誇張気味だが。
そんな訳で、できれば全身全霊で拒否したいシャノンだったが、ルウが不思議そうに自分を見上げているのを見ては、子どもっぽく駄々をこねることも出来ない。さすがの彼にも矜持というものはある。
「……ぱぱ、やさい、きらい?」
「ん、いや、そういうわけでは……」
「るう、やさいすきだよ。いろがきれいだし、いろんなあじがあってたのしい。おねーちゃんもやさいすきだっていってた」
純真そのものの眼差しで見上げられ、引くに引けなくなるシャノン。
おまけにルウが、小さなフォークで野菜サラダの中のアンディーブとトレビス、パプリカを刺し、それをシャノンに差し出してくれる。
「はい、ぱぱ、あーん。あーんしてもらうとおいしくなるって、おねーちゃんもいってたよ」
……シャノンに逃げ場なし。
のちにハンスは、そのときのシャノンの様子、愛しい義息に「あーん」してもらう喜びと、「あーん」の中身が野菜オンリーという苦しみ、そのふたつを同時に繊細な美貌に貼り付けた彼について、
「美形だから何でも様になるかって言うとそうでもないんだなって思った」
などと、しみじみした風情で親しい友人に語ったという。
* * * * *
ルウはストロベリー、ハンスはチョコレート、シャノンはチーズ。
小さな、ひとりかふたり用のホールケーキは、ちょっとした細工物のようで、小宇宙めいた完璧さを持っている……というのは、製菓まで好きなハンスの言だが、それらは確かに綺麗だった。
ルビーのような苺の赤、生クリームの白、艶やかなチョコレートのダークブラウン、ほんのり焼き色がついたチーズのベージュ。
菓子の楽しさは、甘味と同じく、その見目にもある、と、シャノンは思う。
――メリー・クリスマス。
モエ・エ・シャンドンのアンペリアル・ブリュットを開けて、ルウにはシャンメリーを注ぎ、そう言って、三人で乾杯をした。
ルウが、ケーキの上に乗ったストロベリーを、ハンスとシャノンにお裾分けして、ハンスはチョコレートクリームをたっぷり載せたココアスポンジをルウに食べさせてやり、シャノンはコクのあるチーズを使ったしっとりしたケーキを、ルウと、照れてぶっきらぼうになりながらも拒絶はしなかったハンスに食べさせてやった。
それは和やかで微笑ましい、故郷でのシャノンにはあり得なかったような時間で、神や救世主などというものは、シャノンには何の関係もないし、何の感慨も抱かせないが、救世主の聖誕祭というこの日の夜、自分の傍にルウとハンスがいることは、とても貴重で幸せな贈り物だと思っていた。
お腹がいっぱいになったからか、それとももう時間が遅いからか、ルウはシャノンにしがみついてぐっすりと眠っていた。
「……可愛い寝顔だな」
それを、シャノンの前のソファに腰かけて、ハンスが見ている。
「当然だ」
それが天地神明の理であるかのように断言しつつ、黙り込んだハンスに、シャノンは声をかける。
「どうした、ハンス」
すると、ハンスは、何とも言えない表情をした。
困惑しているような、照れているような、迷っているような、そんな表情だった。
「……いや、その」
言いかけて口を噤み、小さく溜め息をつくハンス。
シャノンは手を伸ばして、その前髪を梳いてやった。
しかし、唐突過ぎたのか、
「……ッ!?」
真っ赤になったハンスが、飛び上がるようにしてシャノンの指から逃げる。
「どうした、ハンス?」
「な……何でもないッ!」
別に、今更父親だからなどというつもりはない。
シャノンはハンスと、彼の母親のイライザを見捨てたに均しく、自分が憎まれていることも知っている。
情熱的な赤毛は、イライザ譲りのものだ。その燃えるような色を、ハンスの内面そのものだと思う。
それを見るたびに、シャノンは、イライザと、彼女の最期とを思わずにはいられない。
心底愛し、魂を捧げた女がこの世にたったひとりだとして、シャノンは――特に、この銀幕市で、他者を愛し慈しむことを思い出した彼は――、ハンスの母親であるイライザにも、特別と言っていい感情を抱いている。
銀幕市で再会し、言葉を交わし、仕事をして……互いの時間、互いの気持ちを見詰め合って、ハンスが自分のことを、どう思うようになったのか、今でも憎んでいるのか、少しは憎しみ以外の感情を抱いてくれているのか、シャノンには判らない。
それは、もしかしたら、父親の業なのかもしれない。
父とは、父になった瞬間、永劫に悲壮で孤独なのだと、どこかの詩人は言っていた。そういうものなのかもしれない。
それでも、シャノン自身は、ここでこうして静かなひとときを過ごせる自分を喜ぶし、傍にいてくれる義息や息子の存在を、喜ぶ。
そんなことを思っていたら、ハンスが、己のものとよく似た鮮やかな緑の双眸で自分を見ていて、シャノンは首を傾げる。
「なあ、シャノン」
「……どうした?」
「いや……その。さっきのシャンパンで酔っ払ってるんだと思って聞いてくれていいんだが」
「ああ」
「いつか……この魔法が消えて、夢が終わったら、俺は、あんたと過ごしたこの時間も、忘れてしまうんだろうか」
「……」
「俺はここで、色々なものを見つけた。ひとつとしてないものも、数多あるものも、見つけた。……それも全部、忘れてしまうんだろうか」
頑是ない少年のような目で呟き、ハンスが、少し照れ臭そうに、シャノンの隣に座る。
シャノンは、そっと、――ほんの少し躊躇いながらも、ハンスの肩を抱いた。
「ルウのことも、あんたとのことも、消えてしまうのかな」
ハンスは拒絶せず、少年が父親と語らうときにするように、シャノンの肩に自分の頭を預けた。その重み、その温度に、言い知れぬ安堵と、感慨と、愛しさとが込み上げる。
自分は確かに、この青年の父親なのだ、と、今更のように思う。
「……俺は、忘れたくないな。何も消えなければいいのに、このままならいいのに、って、思う」
膝の上で眠るルウが、シャノンの服の裾をぎゅうと握り締めた。
意味をなさない寝言の中で、ぱぱ、という単語だけが聞き取れ、シャノンは瞑目する。
「ああ……そうだな」
銀幕市にかけられた魔法、いびつな街のありよう。
それがいつまで続くのか、どうなって行くのか、誰にも判らない。
もしかしたら、彼らは、明日にも消えるのかもしれない。
「俺も、忘れたくないと、思う」
ルウにもハンスにも、忘れてほしくないと思う。
この、静かに心を満たす幸いと、互いに通う温かな感情を、忘れてほしくないと。
「……いつか、そのときが来るのだとして」
それでも、彼らが築いてきた日々に偽りはない。
この街でシャノンが得て来たものは、すべてが事実で、真実だ。
愛という感情を取り戻したシャノンが、驚くほど変わったのと同じく。
「俺には、陳腐な言葉しかかけてやれないが……その日のために懸命に生きること、最後まで後悔しない日々を送ることが、今の俺たちのなすべきことなんじゃないかと、思う」
シャノンの、ぽつりぽつりとした、雨だれのような言葉に、まさかそれで納得できたわけもあるまいが、ハンスは小さく頷き、シャノンにもたれたままで目を閉じた。
「……うん」
そのあと落ちた沈黙は、何故か不思議と温かく、シャノンはハンスの肩に腕を回したまま、反対の手でぐっすり眠るルウを抱いたままで、窓の外に広がる夜の風景を見詰めた。
夜空には、金や銀の星がちかちかと瞬いている。
――外はきっと、寒いだろう。
冬の寒さを知っているからこそ、部屋の中の……人と触れ合うことの暖かさが判る。
ゆったりと、穏やかに甘く過ぎていく、かけがえのない時間。
その、貴い時間を、愛しい子どもたちとともに過ごせる自分の幸いを、シャノンは静かに思った。
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クリエイターコメント | オファー、どうもありがとうございました! 幸せな年末を描くプライベートノベル群、【White Time,White Devotion】をお届けいたします。
ぱぱと子どもたちの、美味しくて楽しくて幸せなクリスマスの一時、最後にはちょっとしんみりと、をコンセプトに書かせていただきましたが、いかがでしたでしょうか。
穏やかで楽しい、何かが心に残る物語に仕上がっていれば、幸いです。。
なお、細々と捏造させていただいていますので、言動などでおかしな部分などがありましたら、可能な範囲で訂正させていただきますので、どうぞお気軽に仰ってくださいませ。
それでは、楽しんでいただけることを祈りつつ。 またの機会がありましたら、どうぞよろしくお願い致します。 |
公開日時 | 2008-12-25(木) 22:10 |
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