★ 欲望に身を焦がす者と、それを否定する者 ★
クリエイター西(wfrd4929)
管理番号172-4814 オファー日2008-09-30(火) 00:32
オファーPC 崎守 敏(cnhn2102) ムービースター 男 14歳 堕ちた魔神
<ノベル>

 世界を旅する人間にとって、港町は馴染み深い場所である。
 長く放浪するような職業のものなら、どこであろうと慣れ易く、違和感なく溶け込むであろうが――。それとは別の意味で、旅人と港は強い縁で結ばれている。
 というのも、ここは海路の入り口であり、物品輸送から大陸間の情報窓口など、とにかく利用すべき部分が多いのだ。小規模で、細々と漁で生計を立てているような所は別だが……きちんと整備された港町は、交通・交易の要所となりうる。
「すごいなぁ。活気はあるし、品揃えは豊富だし。買出しにはもってこいだ」
 崎守 敏 (サキモリ ビン)は、圧倒されるように、呟いた。人の出入りが多ければ、それを通じて各地の特産物も集ってくる。通常の売買もあれば、競りもあった。何らかの目的をもって、旅をしている人間には、決して無視してよい場所ではない。
 渡り鳥、冒険者と呼ばれる人種は、海路にしろ陸路にしろ、こうした交通のかなめとなる町を拠点にすることが多いものだ。情報が多く集うのなら、仕事もまた多く、入り込んでくるものであるから。
 ただし、多くの情報が飛び交えば、やくたいもない法螺も混じる。この辺りの判断が出来ない相手は、大抵長生きできない。この世においては、旅を続けることにも、才覚が必要になる。
「品物が新鮮なら、情報も新鮮、と。あとでカイトと一緒に、色々検討してみようかな」
 崎守には、目的があった。その為に旅をしている、と言っても良いほどだが、時間的な制限があるわけでもない。……少なくとも、この時期。彼は焦りとは無縁だったのである。
 だからこそ、暢気に構えていられるともいえるし、人格を損ねる事態にならずに済んでいた。崎守には旅をするうえで、相棒と呼ぶべき相手がいる。それもまた、崎守にとっては救いであったのだろう。

――うん? ……女性の、声?

 悲鳴が、聞こえた。大通りからは、少し離れた路地になるだろうか。常人には聞き取りづらいであろう声も、彼の鋭敏な感覚はそれを正確に捉えている。
 人が多く集まることによって……これまた必然だが、治安が乱れ易くなるのだ。――無論、町がこれを座視することはまずない。自警団を組織するか、国家に従属していれば、憲兵によって治安維持を行う。しかし、それも隅々まで行き届かせることは容易ではない。こうして良民が脅かされるのも、珍しいことではなかった。
 無論、崎守はそれを失念したことはない。自分の見かけが――実情はともかくとして――非常に頼りなく見えることも、承知している。余計ないさかいを避ける術も、今では完全に習得していた。
 しかし、この世の全ての人間が、常に賢明でいられるわけではない。中には、うかつな行いから、身を破滅させる弱者もいる。崎守がそんな事態に出くわした時、行うことはいつも決まっていた。

――見捨てるのは趣味じゃない。後味も悪いし、ね。

 買出しの荷物を手にしたまま、彼は声のした方向へと駆け出した。入り組んだ路地の先には、果たして……崎守の想像したとおり、そこにはガラ悪い男達に迫られる、幼い少女がいた。
 さんざん追われた後のようで、足元はふらつき、息は荒く、肩は上下している。彼女もこちらを視認したようで、すがるように向かってきた。
「助、けて――」
「わかってる。だから、安心して」
 男どもが、二人に追いついてくると……定番、というべきか。崎守の実力を理解できぬならず者は、下卑た笑みと共に凶器を取り出し、凄む。
「さあ、命が惜しかったらその娘ぼッ!」
 言い切る前に、その顔面に蹴りが叩き込まれた。
 崎守は、舐められる事を嫌う。そういう時は、まず機先を制すること。出会い頭に一撃を食らわせることが、何よりも有効だと理解していた。
「この一発で引き下がってくれたら、僕としても手間が省けて、嬉しいんだけど?」
 崎守としても、定型にはまったやり取りはしたくない。何より煩わしい時間は、短い方が好ましいのだ。
 もちろん、これで引き下がるような、品のよい連中ではない。口々に汚い言葉で罵り、凶器を振り回す。

――悪いことしてるんだから、痛い目にあうのも、仕方がないよね。

 崎守は、体術で次々と襲い掛かる敵をいなし、各個撃破していった。助けを求めた少女に、とばっちりが行かないよう、配慮した上で。
 ナイフで付かれれば、これを腕ごと捻り挙げ、呻く相手を尻目に次の標的の脇へとすり抜けた。ついでに足を払って転ばせれば、起き上がる手間の分だけ、彼に余裕が与えられる。そうしてまた、一人の急所を突き、気絶させ、次から次へと処理していく――。
 連中が全て、地べたを舐めるようになるまで、約一分。まさに、卓越した技量といってよい。
「さあ、片付いた。……怖かったろう? 大丈夫?」
 直前までの恐怖と、安堵からか、少女は座り込んでいた。崎守は手を差し伸べて、彼女を立たせる。
「あ、はい。――ありがとう、ございました。でも貴方は」
「僕? 僕は大丈夫だよ。心配されるほどでも……ああ、名前ね」
 少女の礼を聞き流して、態度の方に注目する。特に見返りが欲しくて助けたわけではないが、名乗る程度で満足してもらえるなら、これを拒む理由はない。
「さすらいの錬金術師。そう、名乗っておくよ。これも何かの縁だし――そうだね。近くのカフェで、一緒にお茶でもどうだい?」
 しかし、ここで素直に名を告げるのも、面白みがなかった。あえて謎のままにしておく方が、正義の味方らしくて、愉快ではないかと。そのように、崎守は思ったのだ。……まさに、子供らしい悪戯心である。
「はい、光栄です」
「光栄って……まあ、いいか」
 もっとも、少女にとってはこれがひどく輝かしく写ったらしく、崇拝するような目で見つめてくる。彼の誘いにも即座に了承した。……言い出した崎守の方が、ちょっと戸惑ってしまうほどに、その態度には誠意が溢れている。これもまた、子供らしい情景であっただろう――。


 そして、二人は宣言どおり、近くのカフェで一服することにした。崎守は悪乗りが過ぎたとはいえ、こんな時に注意を怠るほど愚かではない。きちんと周囲への観察を行いながら、少女を店内へと促す。
 込み入った事情に、首を突っ込んでしまった自覚は、これでもあるのだ。テーブルに付き、彼が黒茶を二つ注文してから、少女は語り始めた。
「私の名は、リラといいます。先ほどは助けていただきまして、本当にありがとうございました。改めて、お礼を申し上げます」
「いや、それはいいんだけどね。これまでの経緯を聞いてもいいかな?」
「あ、はい。……そう、ですね。あの人たちに追われていたのは、もとはと言えば、父の借金の為です。お金を借りたのに、返せなくなったから、娘の私を……」
 ここに来て彼女も状況を思い出したのか、神妙な表情で話している。熱が冷めたとでも言おうか、他人に対する警戒を思い出したように、口が重くなった。崎守はそれを茶化すでもなく、真剣に耳を傾ける。
「人身売買は、違法のはずなんだけど……ね。一応聞いておくけど、君のお父さんが、君を売りに出すことを了承したわけじゃ、ないんだろう?」
 痛い部分を突付くことで、話を促す。優雅ではないやり方だが、半端なままで終わらせるのも、気持ちが悪い。せめて、詳しい事情は知っておきたかった。
「もちろんです! あの――父は、なんというか、うかつというか、人が良すぎるのか……ちょっとした詐欺にも、引っかかりやすい人なんです。だから今回も、そうして騙されたんじゃないかと……」
 この世において、奴隷制度はすでに過去の物となっている。それは文化と経済が発達した証拠だともいえるが、現代において借金のカタに身を売る……というのは、さほど珍しい話でもなかった。雇用に関する法がゆるければ、それを悪用することで、いくらでも搾り取ることが出来るのだから。
「災難だね。……同情するよ」
 崎守は心から、彼女とその父を哀れむ。自己に自信を持ち、強者の余裕を身につけていなければ、とても現れない感情だった。また彼に限るなら、単純な優しさとも趣を異にし、確実な行動を保証する物でもある。
 困窮する人間はどこにでもおり、貧しい人からさらなる搾取を試みる小悪党も、相応にはびこっている。どの国家においても、末端にまで目を届かせるのは難しい。福祉にしろ治安維持にしろ、少し上の人間が腐れば、それだけで大勢が被害をこうむるものだ。
「ありがとう。ほら、リラも飲んでみるといいよ」
 運ばれてきた黒茶を一口。南部で取れた豆を原料とし、独特の芳香を放つこの茶を、彼は愛飲していた。苦味を楽しみながら、崎守は思案する。

――役所に逃げ込んで、裁判に訴え出るという方法が、無難なんだろうけど。さて、それで丸く収まるのかな?

 この場合、彼女を追い詰めている悪党は、それなりの勢力を持っていると仮定すべきであった。強引に事を運ぶからには、それを可能とするだけの力を持っているはず。
 役人への買収も出来ているとしたら、不利な判決が下ることも考えられる。崎守はいわば余所者だから、国家権力の腐敗具合も把握できていないし、安易な選択は取れないだろう。いや、そもそもこんな簡単な方法さえ、目の前の少女は選択から除外しているのだ。なら、最悪の状態であると考えるべきである。
「……苦いです」
 リラが黒茶を口に含むと、一口で微妙な表情を見せた。どうも、彼女にはお気に召さなかったらしい。
 崎守は、この苦味も味の一つとして、大層気に入っているのだが――これまた、子供らしくない感覚であったろう。
「ああ、紅茶の方が好みだったかな? ごめんね、気が利かなくて」
「い、いえ。いいんです。私、あまりこんな店にも、入ったことがなくて。何を注文したらいいのかも、わからなかったですから」
 つまり、それだけ貧しいということか――と、崎守は判断した。そして決意する。やはり、放って置くわけにはいかないと。
「ねえ、リラ」
「はい?」
 手持ちの外貨と物品の価値を、この国の貨幣に置き換えて、試算する。……とりあえず、人一人を買い取る程度の金額は、余裕でひねり出せるだろう。なら、後腐れなく解決も出来る。そう、彼は思っていた。
「僕には、君を助けられるだけの財がある。もう巻き込まれたことだし、これから話を付けに行ってもいいよね」
「ダメです」
 問いかけの形を取ったが、それはあくまで確認に過ぎないはずであった。しかし、彼は了承されるものと思っていたのに、リラはそれを良しとしない。
「……駄目?」
「ダメ!」
 子供が小遣いを欲しがっているわけでもあるまいに、ダメ、はないんじゃないかなぁ……と、崎守は抗議したくなった。が、彼女には彼女なりの倫理というものがあるらしい。
「……なんだって、貴方がそこまでする必要があるんです? 初対面の、義理もない相手に」
「ああ、なるほど。意図がわからないから、信用できないんだ。でも何も気にすることはないよ。これは僕が勝手にやりたいと思ったからで――」
「甘い言葉に酔えるほど、私は子供じゃないつもりです。……父は、何でも信用する人でした。一時でも優しくしてくれた人を、疑うことなんて出来ない人でした」
 だから、その分、自分が疑わねばならないのだと。そんな彼女の内心が、聞こえてくるような、痛切な声だった。
「それに、もしあなたに騙されたら……傷つくから。このまま、綺麗に別れるのが、多分。一番、いいんです」
 細々と、聞こえづらい声で付け足す。態度から見るに、疑い慣れてもいなければ、気性的にも合っていないのだろう。
 崎守の目には、リラのことが、子供にしか見えなかった。他人に甘える事を知らぬ、哀れな幼子に。なるほど、確かに父の失敗の徹を踏みたくはあるまい。それを案じて、安易に話に乗ろうとしないのか。

――だとしても、無償の優しさを受け取らずに、どうやって切り抜けるつもりなんだろうね。

 暴漢を退け、茶を奢る程度の安い正義感は認めても、大きな恩は認めない。この愚かしさ、狭量ささえ、崎守には愛しく写った。最悪の場合、自分だけでなく、父も巻き込むと考えている。だから、こんな大きな話となると、尻込みするのだ。
「……余計な事を言ったね」
「いえ――お気持ちは、嬉しいです。でも、これは私達の問題ですから」
「お父さんと一緒に解決するのが筋、と。ああ、わかったよ。これは僕が悪かった。……ごめんね、変な事を言って」
 崎守は、子供は嫌いではない。基本的に罪のないもの、守るべきものという意識があるから、手を差し伸べたくもなるが――。
 すで保護者がいて、その現状に立ち向かう覚悟があるというのなら、突き放すのも愛しみの形。彼は、手を引くことにした。
「他に、何か頼むかい?」
「いえ、結構です」
 もう、互いに言葉は交わさなかった。崎守はどうにもいたたまれなくなって、さっさと会計を済ませると、店を出る。
 店員に余分に料金を払って、リラに気を利かせるようにと頼んだが……これは行き場のない感情を、処理する為の手段でしかなかった。



 リラと別れた後、崎守は宿で相棒のカイトと合流していた。その一室で、憂鬱な顔を湛えた崎守を、彼の方が見逃すはずがない。
「何が、上手くいかなかったんだ?」
「……普通さ、そこは『何かあったのか?』って聞くところじゃない?」
「聞かねば、わからぬようなことか、それは。……敏の気が、沈んでいる。そんな時は、たいてい、何かに失敗していたものだ」
 カイトは、普段は無口なのだが、崎守のことになると、いくらでも多弁になれた。
 それに、互いに信頼しあう者同士として、長く経験を積み重ねている。言わずとも理解できる部分も、多くある。
「カイトには、隠し事もできないね。……でも、嫌じゃないよ、そういうの」
 崎守は、それでも視線を彼に向けようとはしなかった。それだけ微妙な気分であるという意思表示であり、カイトの方も一旦口を閉ざすことで、理解を示す。

――でも、やっぱりこのまま放置するのも……どうなんだろう。

 本人が拒んだからといっても、後味の悪さは拭えない。崎守は、このいたたまれなさをどう解消したものかと、頭を悩ませる。
「本当は、わかっているのだろう? どうしたら、いいのか」
「……嫌だって言うんだから、しょうがないじゃないか。手を差し伸べたところで、握り返してくれなきゃ、どうしようもないよ」
 カイトの指摘が、痛かった。
 確かに、強引にやってやろうと思えば、それで解決する話である。こちらが信用できないというなら、行動で示せばいい。勝手にやってしまう分には、問題ない……と考えることも、できる。
「人には、人を助ける権利がある。なら、人の助けを拒む自由だって、あるはずだろう?」
 だが、たとえそうしてリラを救ったところで、何になろう。意に沿わぬ救済は、相手にさらなる重荷を与えないか。納得のない行動に、意味はあるのか。彼には、それが疑問だった。
 カイトは、なんとなく察していた。細かく語らずとも、文脈を読み、隙間を想像で埋めていけば、まず正しい光景が思い浮かぶ。崎守が人助けについて悩んでいるのなら、相棒として――背中を押してやることくらいは、してやらねばならない。
「敏」
「なに」
「助けたいんだろう?」
「……うん」
「なら、悩むな。お前の気持ちは、きっと正しい」
 カイトは、崎守の気持ちはわかっても、詳細までは把握できない。それでも、彼は崎守の心を信じていた。

――僕が間違わないと、どうして言えるのだろう。でも、カイトが信頼してくれるなら……僕は、その想いを信じることが出来る。

 思い悩むのは、そこまでだった。崎守は、不貞腐れるのをやめ、部屋を出る。一人の少女に、優しさを差し出すために。
「思うまま、動け。何があっても、俺がいる」
 崎守は、振り返ってカイトを見やり、微笑んだ。
 もう、意思決定はなされている。二人には、それだけで充分だった。


 たとえリラに拒否されようと、成したい事を成す――。決意を固めた崎守は、元凶の金貸しを探すために動いた。
 この手の連中は、後ろ暗い組織と繋がりがあるものだから、冒険者組合を通じて情報が得られるかもしれない。彼は正式に冒険者として、組合に登録しているわけではないが――非正規の人間にも、仕事や情報を与えてくれるのが、この組合の強みである。
 その分だけ割高になってしまうが、別に悪事を働くわけではないし、手続きに問題は起こるまい。当の金貸しがどれほど権力に食い込んでいても、冒険者の集団は、一種の不可侵領域。一国の指導者ならばともかく、木っ端役人が手を出せる位置にはいないのだ。

――情報を引き出したら、殴り込みをかけようか。いや、今なら金で穏便に済ませられるのかな? 彼女と、彼女の父親を保護できれば、後はどうしようと知ったことじゃないし……。

 崎守は、よい意味でも悪い意味でも、子供のような感性を持っていた。時として、老成した人間にも似た聡明さを発揮する彼だが、そもそも今回の件は、私的な感情が元なのである。
 リラを哀れに思い、放っておきたくはないという心理。これが、全てだった。だから、この街の病巣を取り除いてやろう……と思うほどには、義務感を感じていなかったのだが――。
「あれ? ……リラ?」
「錬金術師さん。……また、会いましたね」
 時間を置かぬ再会であったはずだが、崎守はそれを疑いたくなった。リラの表情は、暗い感情によってかげり、一気に二年も三年も老いたように見えた。
 成長、ではない。まるで消耗したような印象さえ抱かせる、彼女の様子は、崎守の目からも異常に写った。
「父がね、死にました。――死んで、いたんです」
 彼が聞きだす前に、リラの方から口を開いた。全てがどうでもよくなったとばかりに、無気力な声で。
「それでね? ……私、これから売られるんだって。利子の分も、まだ返せていなかったらしいから」
「そんなの、僕がどうにかして――」
「いいの。どうせ、帰る場所はもうない」
 崎守は、あまりの急な事態に、いくばくかの混乱を覚えた。だが、やるべきことを見失うような彼ではないから、即座に申し出たのだが……これも、否定される。しかし、ここでめげるようでは、カイトの信頼に応えたことにはならない。粘り強く、言い聞かせるように彼は語った。
「僕が、探すよ。君が自由に生きられる場所を。だから、そんな風に自分を投げ出すのはやめるんだ」
「私を買う人が、変わるだけです」
「違う。僕は人を飼う趣味はない。君が君で居られるように、きちんと計らうから――」
「……ありがとう。私はそれを信じたいけれど、わからないの。父が死んだのに、私だけが生き延びている。それさえも、もう……」
 これ以上話しても、まともな会話にならぬ。少女が心に受けた傷の大きさに、崎守は配慮せねばならなかった。
 もっとも無難なのは、冷静に考えられるようになるまで、安静にすること。彼は、その為の方策を練った。

――カイト。君に任せても、いいよね。

 彼ならば、リラに必要以上の負担はかけまい。崎守は自分が泊まっている宿の場所を教えて、そこに向かうよう言い聞かせた。
「そこの六号室。カイトって人に伝えて。崎守敏の紹介だって言えば、ちゃんと対応してくれるから」
 まだ少女は、渋るような様子を見せる。崎守は口調を荒げることもせず、優しげに一言、付け加えた。
「せめて、お父さんを供養するまでは、君は死んではいけない。帰る場所がないなら、これくらい僕を頼ってくれても、いいんじゃないかな?」
 力なく、リラはうなづくと、彼の言に従った。他にすがる物がなかったからでもあるが、家族を盾にして、ようやく動かせたという事実は、崎守にとって苦い経験だった。

――さあ、この落とし前。どう、付けさせてやろうか。

 彼はもう、金貸しを敵と定めていた。か弱い少女を追い詰め、父を殺す(たとえ自殺であったにせよ)ような手合いに、遠慮する必要は感じない。
「死ねばいいんだ、そんな奴らは……!」
 拳を硬く握り締めて、彼は目的の場所へと向かう。冒険者組合を訪ねて、情報を得るという目標に、変わりはないが――。その後の行動は、予定していた物とはまるで違うことになるだろう。


 リラの父親に金を貸したのは、この港町でも名の通った人物だった。割とあっさりと情報を引き出せたのも、それゆえである。
 事務所の位置を調べると、ちょっとした準備を済ませ、早々に足を向けた。カイトも駆けつけてくれている。リラを部屋に置いてきているが、これは彼女が一人でいることを望んだためでもあった。
「付いてきてくれれば、確かに助かるんだけど――いいの? 彼女、結構落ち込んでるように思うんだけど、やっぱりカイトが付いていた方が……」
「本人が、望んだことだ。俺も、今はそれが一番いいと思う」
 意見が違うとき、崎守はカイトの言い分を尊重しようと決めていた。特に人の感情に関わる部分については、雄弁な彼より、無口なカイトの方が、不思議とよくわかるらしい。

――なら、しばらく様子を見ようか。僕らが戻る頃には、ちゃんと立ち直っているといいけど。

 少しの間だけ、彼女のことは棚上げにしておこうと思う。話をするのにも時間がいるなら、その間に済ませておきたいことがあるのだから。
 計画は立てている。殺したいほどに嫌悪を感じたのは、久々のことだったので、つい力が入ってしまったが、それくらいはよかろう。
「準備は、いいか?」
「もちろん。……じゃあ、乗り込もうか」
 事務所の外観は、立派な建物だった。周囲と比較して、幾分見栄えがいい……程度だったが、儲けた分は、別のところに費やされているのだろう。
 一般に開放されているらしい玄関を抜け、崎守たちが窓口に行くと、そこには見知った顔がいた。
「手前、ここに何のようだ!」
「おお、お前はあの時の!」
「ここであったが百年目――よくも邪魔してくれたな。借りは百倍にして返してやるぜ」
 リラと会った時に、叩き伏せた連中である。こういったならず者を従えている時点で、主の器量が知れようというものだが――今は、こんな雑魚に用はない。
「君達に用はないんだけどな……素直に道をあけてくれるなら、見逃しても良いんだよ?」
「抜かせ!」
 本気の言葉ではあったが、彼らにとっては挑発以外の何物でもない。激昂して襲い掛かるが、懐から取り出した銃で威嚇。一旦怯んだ隙をついて、脇をすり抜けて奥へ。出し抜かれた彼らは、崎守を追おうと試みるが……これをカイトが阻む。
「じゃあ、任せるよ」
「応」
 カイトの膂力は、常人を凌駕する。足止めどころか、あんな程度の低い賊は殲滅してのけよう。
 背後の戦闘を確認する間も惜しんで、崎守は駆ける。目的の場所は、もうすぐそこにあった――。


 荒っぽく扉を開けると、そこは執務室だった。たった一人の為にあつらえられた様に、値の張りそうな机と椅子、それに目を和ませる調度品。
「ノック位したらどうだ? 最近の子供はやんちゃで困る」
 そして、豚を思わせる肥満した身体が、椅子の上に乗っかっている。この場こそ、まさに崎守が目指した部屋に、相違なかった。手にしていた銃を、こっそり後ろでにしまうと、崎守はまず言葉の応酬から始める。
「どうも。失礼したね。まあ子供のすることなんだから、大目に見てよ」
「ふん。それに、どうも玄関の辺りが騒がしいな。……いや、今は静かになったようだが、これも含めて、貴様の仕業か?」
「わかってて聞いてるんだよね、それ」
 外見は愚鈍な肥満体だが、頭は人並みに回るらしい。相応に、度胸も備えているつもりなのだろう。不審人物にここまでの進入を許していながら、焦った様子がまったくない。
「ああ、僕たちの仕業だよ。まったく、手下どもの教育がなってないよね。お客様への対応の仕方が、まるでなってない」
「あとで指導してやるとしよう。……で、お客か。何が望みだ。融資か、借り入れか? どちらにせよ、穏便なやり方ではないように思うが」
「いいや、返済さ」
「――ふむ」
 こちらを見定めるように、男はじろじろと崎守を眺めた。そして、改めて口を開く。
「よかろう。誰のだ?」
「話が早くて助かるよ。……リラという名前に、聞き覚えはあるかい?」
「……ああ、父親の利子の為に、代金を身体を支払うことになった、あの娘か。なるほど。世の中、奇特な輩がいるものだ」
 汚らしい笑いが、部屋に響いた。頬は緩んでいるが、目は笑っていない。
「高いぞ」
 こいつはふっ掛けてくるつもりだと、崎守は理解した。いかに酷いやり口とはいえ、契約は契約。それを反故にするのだから、多少は色を付けて……となれば、崎守は断れる立場にない。
 それを瞬時に見て取ったのは流石、といってよい。弱みの付け込み方に長けた、死肉漁りの獣を連想させる。
「わきまえているさ。ほら」
 ポケットから袋を取り出し、その中身を見せ付ける。すると、袋の空き口からは、見事な宝石の輝きが、見て取れた。
「素晴らしい。ふむ、ふむ」
 ここから、おかしな……張り詰めたような雰囲気が、現れだす。返済能力があると判断されたので、今度は搾り取れるだけ搾り取ってやろうと、考えたのかもしれない。
「これであの子の分になるかな? ルビーだよ」
 袋には、大量の宝石が詰められている。ひとつ摘み上げて崎守は聞いたが、金貸しはここで欲望を剥き出しにしてきた。
「もっと。もっとだ。それだけ見せておいて、一つで済ませられるわけがないだろう」
 遠目から、その宝石を眺めても、価値の高さがうかがい知れる。しかし、どうもルビーには見えなかった。透明なダイヤとしか、金貸しの目には写らないが――奴にとっては些細なことだ。
「まだ足りない? おかしいね。一つでも、相当な価値になるんだけど」
「いやいや、わしはこれでも交渉は下手でね。宝石商に売り払うとしても、まとまった金額にするには……足りんな。ましてや出所の知れぬ宝とあっては、値切られて当然と思わんかね?」
 仕方ない、という風に、崎守は呆れた仕草を見せた。彼は渋ったが、金貸しの執拗な要求にも飽きたようで、ついには袋ごと投げ渡す。
「おお、おお、なんと品のない。宝石は、投げ捨てる物ではないよ」
 投げつけられ、床にバラけた宝石を掻き集める姿に比べれば、本当に品がないのはどちらか、明らかであった。しかし、崎守はあえて指摘しない。
 すでに、批判はされつくしているし……なにより。品性のない豚を始末する手は、もう進行しているのだから。
「う? お、ああ――」
 この石は、厳密には宝石とさえ呼べぬ。それは肌に触れると、人の中身を吸い上げて赤く染まる魔石――。原典は魔術から発祥した、錬金術の産物である。この作成に、彼はちょっとした手間をかけねばならなかったのだ。せいぜい光栄に思っていただきたいと、崎守は思う。
「ひぃ、ひひ、ひ……助け、て」
 石に指先から侵食され、もう腕の半ばまでを骨と皮だけにされながら、彼は命乞いをした。放置すれば、あと一分と経たず、男は亡骸をさらすことになろう。
「あんなに欲しがっていた物を取り上げるのは、心が痛むし……持っていきなよ。遠慮はいらないから」
「げ、ええ……」
 喉元まで侵され、もはやまともに口を利くことさえ、出来なくなった。そして、最後に蛙のうめき声のような断末魔をあげる。
「それが、欲しかったんだよね? ふふ、僕にとっては何てことないものだけど、墓石にするにはちょうどいいかもね。あははッ――」
 無邪気に高く笑って、崎守は立ち去る。あとに残るは、大量の宝石と、一人分の人間の皮。
 部屋に散らばった宝石は、人の血肉を吸収して、真っ赤に染まっていた。どんなルビーも叶わぬほどに、鮮やかな赤色を、その表面に映して――。



 崎守とカイトの二人は、宿に戻ると、今後の行き先について検討した。やり残したこと、リラの父親については、葬儀屋に依頼して、ささやかな墓を立てることも決定している。情報は充分に得られたし、これ以上この町にとどまる理由は、失せていた。
「リラは、どうしたい?」
 問題があるとすれば、リラのことだった。口にしたことの責任は、とらねばならないと、崎守は考えているのだが――。
「私は……全てを失った、人間です。特に希望も、ありません、けど……」
「けど、何かな? 出来ることなら、力になるよ」
「貴方達の旅に、付き合わせてください。私には他に、何も頼るものがないんです」
 やはり、そうせざるをえないか、と崎守は考える。旅には危険も伴うし、訓練も受けていない女の子を連れ歩くのは、少々厳しい。
 無理を通すだけの余裕は、あるのだが――と悩んでいたところで、カイトの一言。
「俺は、いい。守りきるだけの、力はある」
 だから、躊躇うなと。そう、言っているように聞こえた。……崎守の本心としては、この街で住み込みで働ける職場なり、庇護者なりを見つけて、誰かに託しておきたかった。
 しかし同時に、これでは無責任ではないか、とも思えるのだ。何と言っても、口にした事は撤回できないし、リラが不自由なく生きていける場所を、彼は作らねばならない。
 そして、この観点から見れば、共に旅をするというのは妙手ではあったのだ。問題があるとすれば、個人的な事情に、他人を巻き込むことへの後ろめたさだけ。それも、崎守自身が納得し、彼女が了承さえすれば、解決できることであって、決定的ではない。

――まあ、いいか。どこまで付き合ってくれるかわからないけど、やっぱり僕が引き受けなくちゃいけないことなんだから。

 彼は、ようやく決心がついたようで、ここで始めてリラと向かい合う。そして。
「そういえば、きちんと名乗っていなかったね。僕は崎守敏。ただの……そう、錬金術士さ。今後とも、よろしく」
「はい。お役に立てるように、頑張りますから。よろしく、お願いします」
 ついに、奇妙な縁から、少女を旅の仲間へと、向かいいれた。これが、後の世界にどのような影響を与える物か。この時はまだ、誰にも予想し得なかった。
 

クリエイターコメント このたびは、リクエストをしていただき、まことにありがとうございました。

 想像通りの、出来になっていますでしょうか?
 もし設定などで問題がありましたら、お気軽にご相談ください。
公開日時2008-10-21(火) 17:20
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