★ 【万聖節前夜祭にて】Whose DREAM is this world? ★
<オープニング>

 あなたは映画の中の存在なんです。

 そう告げられたときの胸のざわめきは今でもはっきり思い出せる。
 真夜中に暗闇の底を見つめているような。
 ぐらぐらと不安定な足場にぽつんと立っているような。
 どこからともなく子供のすすり泣きが聞こえてくるような。
 黙っていたらそのまま自分が壊れてしまいそうな気がして、僕は叫んでいた。
 なにを叫んだのかは自分でもおぼえていない。
 ただ、必死にあの男が僕の肩をゆさぶっていたのはうっすらと記憶にある。たしか、植村とかいったかな。
 そのあと、市長のはからいで住む場所をもらった。小さなアパートの小さな一室だ。でも、独りで住むにはちょうどよかった。
 その界隈には僕のように映画から実体化して間もない、つまりはこれからの生き方が決まっていないムービースターたちが多く生活していた。彼らの姿を見ると、たしかに映画から実体化していると思われる人たちがたくさんいて、市役所で聞いた話が本当のように思えた。
 そのときは、思えたんだ。
 いや、違う。思い込もうとしていただけなのかもしれない。

 僕が映画の中から実体化した存在なのだとして、だとしたら僕が映画の中で観ていた映画は、夢の中の夢ということになるのか?
 夢の中で夢を見ていた僕は、二重の夢から目を覚ましたということなのか?
 だったら、この銀幕市も、映画から人物が実体化してしまうという設定の映画の中、つまりは夢の中だということはないのか?
 夢の中で夢を見ていて、ようやく目を覚ましてまだ夢の中にいる僕。
 そうなってくると、夢の中の住人である僕にとっては夢こそが現実なのかもしれない。この世界は現実であるがゆえに夢、夢こそが現実である世界。

 どこまでが夢で、どこまでが現実なのか?

 いったいこれは誰が見ている夢なのか?

 僕はどうしようもなく不安だ。
 不安で不安で不安で不安で不安で不安で不安で不安で不安で不安で不安で不安で、しょうがない。

 そんなとき、人は変われるのだと、ある人から教わった。
 この銀幕市に実体化したといわれているたくさんのムービースターたちが、ここでの経験をもとに変わってきているのだという。映画という頸木(くびき)から自由になれるのだという。
 僕も変われるのだろうか?
 いや、変わらなければ、たったひとつの希望が絶たれてしまう。僕は変わらなければならない。
 この世界が夢であるかどうかを確かめるために。その夢が誰の夢であるのか確かめるために。
 変わるしかないのだ。

 他人を笑わせるためだけに生まれた僕が、人を殺さなければならないのだから。

「トリック・オア・トリート! お菓子をくれないと、いたずらしちゃうぞ!」
 ドアの外から子供たちの声がした。
 僕は手のひらにのせていたお菓子をそっと握りしめると、ドアの方へ向かった。

 今夜はハロウィン。
 僕はジャック・オー・ランタン。
 天国に行くことも、地獄に行くことも禁じられた存在。
 僕はジャック・オー・ランタン。
 ただ夢の中を歩きつづける旅路にピリオドを打つべく動き出した彷徨える者だ。



 ハロウィンのお菓子を食べた子供が謎の発熱により銀幕市立中央病院に運ばれてきたのは、その三十分後のことだった。

種別名シナリオ 管理番号245
クリエイター西向く侍(wref9746)
クリエイターコメント五つ目のシナリオになります。西向く侍です。
ハロウィン・イベントということで、ある独りのムービースターとジャック・オー・ランタンにまつわるお話をお届けしたいと思います。

ジャック・オー・ランタンを名乗るムービースターは、ハロウィンの夜に子供たちに配るお菓子の中に別のものを混ぜていたようです。
それを食べた子供たちはスター、人間を問わず高熱にうなされながら意識を失ってしまいます。その原因はいまだ不明です。毒物であるかもしれません。なんらかの呪いであるかもしれません。
皆様には一刻も早く犯人であるジャック・オー・ランタンを捕まえていただきたいと思います。
また子供たちに関しましては、それぞれのPC様の特徴を活かし、みずから治療を試みられてもかまいません。

参加者
ルイーシャ・ドミニカム(czrd2271) ムービースター 女 10歳 バンパイアイーター
りん はお(cuuz7673) エキストラ 男 35歳 小説家
神月 枢(crcn8294) ムービーファン 男 26歳 自由業(医師)
赤城 竜(ceuv3870) ムービーファン 男 50歳 スーツアクター
崎守 敏(cnhn2102) ムービースター 男 14歳 堕ちた魔神
<ノベル>

【序幕】

 ジャック・オー・ランタンって言葉の意味を知っているかい?
 なんでも『ランタン持ちの男』という意味らしい。
 この男、どうしてランタンなんか持っているのか不思議だろう?
 でもね、よく考えたら不思議でもなんでもないんだ。
 単純なことさ。
 よく考えれば誰にでも分かる。
 分からないかい?
 暗いからだよ。
 彼の世界は真っ暗なのさ。
 だから明かりが必要になる。
 自分が今どこにいるのか確かめるために。



【第一幕】

 ルイーシャ・ドミニカムがハロウィンの仮装イベントに参加することになったきっかけは、単純なものだった。
 日頃お世話になっている老夫婦に勧められたからだ。
 あまり乗り気でなかったルイーシャだったが、老婦人が手ずから作ってくれた衣装を渡されては無下に断ることもできない。
 しかし「早く着替えてみせてちょうだい」とせがんでくる老婦人に、子供らしくない苦笑をかいま見せていた彼女も、その数分後には、鏡に映る自らの姿に瞳を輝かせていた。
 純白の布地で作られたドレスは妖精の姿を模したものだった。襟ぐりや袖口、ふわりと広がったスカートの裾にも、ビーズをあしらったフリルが付いている。肘まである手袋と靴下は、細やかな模様のレース生地だった。もちろん背中では四枚の羽がきらきらと陽光を反射している。
「ルイーシャちゃん、かわいいわ。よく似合ってるわよ」
 老夫婦は口々にそう言っては、相好を崩した。
 その後、彼らにハロウィンの楽しみ方を教えてもらい、ルイーシャはさっそく家々を回ることにした。
 最初は仮装した姿で外に出るのが恥ずかしかったが、同じように様々な仮装をした子供たちがそこかしこで走り回っているのを目にすると、勇気がわいてきた。
「わぁ、きれいなお洋服ね。それ妖精さんでしょう?」
 ルイーシャを見つけた女の子のひとりがそう叫ぶと、あとは芋づる式に友達が増えていく。特にフランス人形を彷彿とさせる外見のルイーシャに、興味以上のものを持った男の子たちの反応は迅速だった。自分の仮装を自慢する子もいれば、単刀直入にメールアドレスを聞き出そうとする子もいる。
 ルイーシャも年齢にふさわしい笑顔でそれらに応えていった。
 ハロウィンの魔力は、見ず知らずの子供たちを自然と結びつけていくようだった。
「トリック・オア・トリート! お菓子をくれないと、いたずらしちゃうぞ!」
 そう口にするたびに、ルイーシャの小さな胸は幸せで満ちあふれていく。
 ちょうど十軒目の家でお菓子をもらったとき、ルイーシャはまた違う子供たちの一団と出くわした。
 二つのグループは時を待たずに、打ち解けあってひとつのグループになる。
 ルイーシャに一番に話しかけてきたのは、童話の赤ずきんの格好をした子だった。背格好からして、彼女よりは年上に見えた。
「やぁ。かわいい服だね。君の金色の髪によく似合っているよ」
 大人びた物言いに、少しだけ警戒してしまう。それに、フードを目深にかぶっているから気づかなかったが、女の子ではなく男の子だったことにも驚いた。
「おばあさまから作っていただいたの」
「僕のも手作りさ。まぁ、自分で作ったんだけどね」
「あなたが自分で作ったんですの?」
 ルイーシャが目を丸くする。まだお互いに子供だというのに、信じられないことだ。
「こういうのはけっこう得意なのさ」
 フードを取った少年の笑顔を見て、ルイーシャはなぜか眉をひそめた。その様子に少年も小首をかしげる。
 ぽつりと金色の髪の少女が言った。
「とても寂しそうな眼をしていますわ」
「へ?」
 あっけにとられ、少年はぽかんと口を開けてしまった。
 意識せず口にしてしまったのだろう。ルイーシャ自身も「え?」という顔になり、そそくさと顔をそむけた。頬から耳たぶまで真っ赤に染まっている。
「ご、ご、ごめんなさい」
 少年はすぐに笑顔に戻り「気にしないでいいよ〜」とぱたぱたと手を振った。
「それよりも、自己紹介がまだだったね。僕は敏。崎守 敏(さきもり びん)だよ」
「わたくしはルイーシャ・ドミニカムと申します」
「ルイーシャちゃんだね。お菓子はたくさん集まった?」
 はにかみながら手にした籠の中身を見せる。小さなものではパラソルの形をしたチョコレートや色とりどりの飴玉、大きなものではスナック菓子の袋などが入っていた。
 籠の隅っこにくしゃくしゃに丸めたお菓子の包み紙を見つけて、敏は悪戯っぽく微笑んだ。
「ルイーシャちゃんは食いしん坊だね。もうお菓子食べちゃったんだ」
 ルイーシャは白皙の頬をますます紅潮させ、ぼそぼそと言い訳を並べる。
「他の子たちがいっしょに食べようって……」
「実はね、僕も……」
 今度は敏が手籠の中を見せた。そこにお菓子はひとつもない。包み紙や空き袋が大量に入っているだけだ。
 「まぁ」とルイーシャが思わず笑みを漏らす。敏はぺろっと舌を出した。
「ルイーシャちゃん、いっしょにあの家に行ってみようか」
「ええ、敏お兄さま」
 二人は仲良く手をつないで次の家に駆けだしていった。



 今日の、りん はおの仕事は銀幕市立中央病院に花を届けることだった。
 店のミニバンを運転しながら、ふと車外に目を向けると、たくさんの仮装をした子供たちが家々を訪ね歩いているのが目に入った。
「そうか、今日はハロウィンか」
 花屋のアルバイトのお陰で、季節感だけは忘れずにいられるが、行事ごとまでは頭になかった。
「母の日のカーネーションみたいに、ハロウィンに使う花、なんてものがあれば忘れなかったんだろうけどな」
 そう漏らしつつも、今日がハロウィンだからといって特に何があるわけでもない。彼自身に子供がいるわけではなかったし、お菓子を配ろうにも仕事があるため、現に家にいない。
 中央病院が近づくと、いつものように救急車両のサイレンの音が聞こえた。ここに運ばれてくる緊急患者は多い。
 駐車場に車を乗り入れると、そのまま建物の入り口近くまでタイヤを転がした。出入りの業者だからこそできることだ。
 車から降りて後部ハッチを開く。トランクの中にはたくさんの花の鉢が並べられており、馥郁たる香りが鼻孔に満ちた。
 はおはこの仕事を気に入っていた。花は人々に安らぎを与える。それを届ける自分が、他人を幸せにする手伝いをしているような気分になれる。
 はおが花の鉢を抱えて、院内に入ると、異様な喧噪があふれていた。
 まず目についたのは仮装した子供たちとその親たちだ。キャスター付きのベッドで運ばれている者もいれば、床に座り込んで泣いている者もいる。
「今日は何かあったのか?」
 カウンターに伝票を持っていくついでに、顔なじみの事務員に訊いてみる。
「ハロウィンのお菓子を食べた子供たちが倒れてるみたいですよ」
 はおは、顔をしかめた。お菓子を食べた子供たちが被害にあっているということは、食中毒だろうか。とにかく幼い命が危険にさらされるのは、気持ちのいいものではない。
 花を所定の位置まで運んで、すぐさま外へと足を向けた。
 自動ドアをくぐると、すれ違いざまに、入り口近くに立っていた男と派手にぶつかってしまった。
「ふぎゃっ!」
 しょっちゅう転んでいるはおは、特に怪我もなく立ち上がることができたが、相手の男はそうはいかなかったようだ。足首をおさえてうずくまっている。
「大丈夫か?」
 立ち上がるのに手を貸そうと男の肩に触れたたそのとき、はおの手首で腕輪がりんと鳴った。
「え?」
 時が止まったかのように、はおの周囲の空間が凝結する。
 途端に流れ込んでくる心の闇。
 不安。そして不安。また不安。無限につづく不安。不安。不安。不安。不安。
「どうかしましたか?」
 手を貸そうとした男から逆に気遣われる。
「あ、いや、別に」
 はおは慌てて男の身体を持ち上げた。
 彼の腕輪は特別なものだ。知人から譲り受けた物で、『闇渡り』という名だった。
 その名のとおり、その腕輪を身につけた者は闇から闇へと移動することができる。また、元の持ち主の話によると、はおの特性によるらしいのだが、触れた相手の心の闇をのぞくことができた。
「ええっと」
 はおは必死に話題を探した。
「足は痛むか?」
「ええ、まぁ……」
「ちょっと待っててくれ。いま病院で湿布薬と包帯をもらってくるから」
「いいですよ。そんなことまでしてもらわなくても」
「いいから、いいから。ここの看護士さんたちとは知り合いだから」
 はおは男を無理矢理近くのベンチに座らせた。
 再び院内に戻りながら、はおは身震いした。覗いてしまった心の闇を思い出したのだ。
 はおには、あれだけの闇を抱えている人物を放っておくことはできなかった。



「トリック・オア・トリート! お菓子をくれないと、いたずらしちゃうぞ!」
 敏とルイーシャが玄関で声を上げると、勢いよくドアが開いた。
「がっはっはっは! オレのお菓子をもらわないといたずらするぞ〜」
 現れたのは、伝説の子供向け特撮番組ワルトワマンに出てくるパルタソ星人だ。両腕についた巨大なハサミで小さなチョコレートを器用につまんでいる。
 あっけにとられる二人の前で、パルタソ星人は左右にカニ歩きをしながら「フォッ、フォッ、フォッ」と不気味に笑いつづけた。
 完全に固まってしまっているルイーシャの隣で、敏がパルタソ星人を指さして叫ぶ。
「赤城のおじちゃん、ひさしぶりだね!」
「むおっ! なぜオレだとわかった?!」
 パルタソ星人が思いっきりのけぞった。
「自分が仮装したり、自分でいたずらするとか言ったり、微妙にハロウィンの趣旨間違っているし、さらにそんな仮装するなんて、赤城のおじちゃん以外ありえないよ」
「ぐっ、あいかわらずの笑顔できついツッコミしてくるなぁ。おじちゃん、困っちゃうよ」
「それにスノーもいっしょだしね」
 純白のバッキーがパルタソ星人の右足にくっついていた。まるでコアラのようだ。
「この方とお知り合いですの?」
 ルイーシャは若干身をひきながら敏の腕をつかんでいる。明らかにパルタソ星人を警戒している様子だ。
「赤城のおじちゃんとは、夏休みにいっしょに遊んだんだよ」
「はっはっは。あのときは楽しかったよな。お嬢ちゃんは敏の彼女かい?」
 ボッと、ルイーシャの顔面に火がともった。何か言おうとした敏を突き飛ばし、パルタソ星人に向かってわたわたと両手を振る。
「ち、ち、ち、違います! 敏お兄さまとはさっき知り合ったばかりで! まだ恋人とかそんなっ!! ね、ねぇ、敏お兄さま? え? どうして地面に寝そべってらっしゃるの???」
「……ちょ、ちょっとね。急に地面に寝そべってみたくなったのさ」
「がっはっは。さっそく尻に敷かれてるな。で、お嬢ちゃん、名前は?」
「わたくしですか? わたくしはルイーシャ・ドミニカムと申します」
 スカートの裾をつまんで優雅に一礼した。
「ルイーシャちゃんだな。おじちゃんは……」
 そう言って、パルタソ星人が突然変身ポーズを取りだす。
「あるときはワルトワマンのパルタソ星人、またあるときはジャーマー帝国のジャーマー帝王、しかしてその実体は……」
 パルタソ星人が両手を背中にまわした。
 そのまま数秒。
 わにわにと両手のハサミが開閉する。
 また数秒。
 真っ白な冷たい沈黙。
「ええっと……敏。すまんが、背中のチャックを下げてくれ」
「着るときはどうやったのさ?」
 よろよろと起きあがりながら、敏が弱々しくツッコんだ。
 敏の手を借りてようやく赤城の上半身があらわれる。今日は赤ジャージ姿だ。着ぐるみの下にジャージ……相変わらず熱くるしい、いや、熱い男だ。
「そういえば、どうして今日はジャーマー帝王の格好じゃないの?」
「あれは正装だからな。仮装じゃない」
 と、敏と赤城がくだらない会話をしている間に、今度はルイーシャが地面に座り込んでいた。先ほどまで元気に慌てていたにもかかわらず、だ。
「ルイーシャちゃん、どうしたんだい?」
 赤城が声をかけても返事がない。
 敏も不思議に思い、顔をのぞきこむ。呼吸が浅く荒い。瞳も閉じられている。
「赤城のおじちゃん! 大変だよ。ルイーシャちゃん、すごい熱だ!」
「なに?! どうしたんだ突然。さっきまで元気だったじゃねぇか」
 赤城がルイーシャの額に手を置いた。体温が異様に上昇しているのが感じられた。
 敏は鋭く目を細めて辺りを見回している。
「近くにあやしい人物はいないね」
「だとしたら、病気か? とにかく病院に連れて行こう。近くに診療所がある」
 赤城がルイーシャを抱きかかえて走り出した。
 あとをついていく敏の胸の奥で、嫌な予感がわき上がりはじめていた。



【幕間】

 ジャック・オー・ランタンがどうやって生まれたのか知ってるかい?
 彼はね、生前、とっても性悪な男だったんだ。
 どれくらい性悪だったかというと、神様を騙してしまうくらい。
 一度死んだ彼は、神様を騙して生き返ったんだ。
 僕たちムービースターは、夢の神様の力でこうして銀幕市に実体化したらしい。
 それって、ジャック・オー・ランタンと同じで、僕たちが神様を騙したことになるのだろうか?
 だって、神様は怒っているんだろう?
 こないだだって、たくさんの死神が襲ってきたじゃないか。
 僕たちは何も望んでいないのに。
 勝手にここに連れてこられて、おまえたちが悪いんだと言われる。
 きっと僕たちに罪はない。
 僕たちはジャック・オー・ランタンとは違う。



【第二幕】

「この診療所には毒を詳しく調べる機材はないですし、たとえばこれが呪いの類だとすれば完全に守備範囲外ですからね」
 こつこつとデスクに人差し指を叩きつけているせいで、試験管や試薬などが小刻みに揺れている。
 苛立ちを隠しきれない若者の肩に、鈴木誠三はやんわりとその皺だらけの手を置いた。
「枢くん、焦ってもしょうがない。我々はできるだけのことをするしかないのだよ」
「わかっています、鈴木医師(せんせい)。ですが、時間がないのも事実です」
 神月 枢(こうづき かなめ)の目の前で、六人もの子供たちが高熱にあえいでいた。
 神月診療所には患者を収容できるベッドが五つしかない。だから、一人は待合室のソファの上に寝かされている状況だ。
 最初の子供が運ばれてきてからすでに三十分が経過していた。その間、患者たちから血液を採り、まずは電子顕微鏡で確認したのだが、ウィルスの類は発見されなかった。発病しなかった子供たちの証言から、どうやらハロウィンでもらったお菓子を食べたことが原因のようにも考えられたので、様々な試薬をためして毒物を特定しようとしたのだが、診療所の設備ではいかなる毒物も見つけられなかった。
 打つ手がないとはまさにこのことだ。
「俺たちにできることと言えば、あとは残ったお菓子に異物が混入していないか調べることくらいです。それも、さっきも言いましたが、ここでは詳しく調べることはできません」
「中央病院の方はどうかね? 連絡は?」
 鈴木の問いに、枢は肩をすくめて首を振った。
「同じ症状の患者が大量に運び込まれているようですね。有効な治療法が見つかり次第、こちらにも連絡をもらえるように伝えましたから、電話がないということは中央病院の方でもまだ有効打がないということでしょうね」
 そのとき、看護士の一人が診察室のドアから顔だけを出した。
「神月医師、鈴木医師。また新しい患者です。どうしましょう? もうベッドがありません。断りますか?」
 最後の部分はもちろん声をひそめている。
「また子供なのでしょう?」
「はい」
「子供の患者を放り出すなんて、神月枢のプライドが許しません。倉庫にパイプ椅子がいくつかあるので、それを並べてベッドにします」
「わかりました」
 椅子の背もたれにひっかけていた白衣を手にとり、枢が立ち上がる。
「どうするつもりだね?」
「市役所に行こうと思います。今回の一件、ムービーハザードの可能性が高い気がするので。そうなれば、市役所の対策課が一番確実です。それに、ムービーハザードであれば、ソールが役に立つかもしれない」
 名前を呼ばれたからか、それまでデスクの上で筆記用具で遊んでいたバッキーが枢に跳びついた。腕から肩へ、そして定位置の頭上へと移動する。
「子供たちを頼みます」
 診察室を出ると、看護士たちがあわただしく駆けずり回っていた。ただでさえ人手が足りない神月医院だ。一人のスタッフが同時に複数の患者の世話をしなければならない。
 枢の胸に焦燥感がつのる。
「おいおい、どういうことだ? 医者は診てくれねぇのかよ」
 さっき報告が来た患者の関係者だろう。下半身だけ着ぐるみをつけている男性が看護士に食ってかかっていた。
 待合室の壁際にパイプ椅子が並べられ、妖精の仮装をした少女が横たわっている。
「ルイーシャさん?!」
 その少女には見覚えがあった。以前、市役所の依頼を受けて同じムービーハザードを解決したことがある。
 枢の優美な眉がひそめられた。ルイーシャの傍らに膝をついた少年が、赤いマントの下からなにやら怪しげな道具を取り出しているのを見とがめたからだ。
「すみません。待合室といっても、ここは診療所です。看護士たちの邪魔にもなります。このようなところで私物を広げないでいただきたいのですが」
 相手が子供だからといって居丈高な物言いはしない。子供だからこそ相手を尊重するのが神月枢という若者だ。
「あなたがここのお医者さん?」
 振り返った少年の面差しを見て、枢は彼がただ者ではないことをすぐに看破した。尋常ならざる生い立ちにより人を見る目は鍛えられてきた方だ。
「ええ、そうです。その道具は……魔学の類ですか?」
「魔学というよりは錬金術に近いかな。僕なりのアレンジがだいぶ入ってるけどね。ねぇ、お医者さん。この子の治療を僕にも手伝わせてほしいんだ」
 少年は笑顔だ。彼のことをよく知らない者が見たら不謹慎だと思うかもしれない。しかし、枢は彼の眼差しが笑ってなどいないことに気づいている。
「どうして手伝いたいなどと?」
「この子をね、助けたいんだ」
「ルイーシャさんとはお友達ですか?」
「あなたもルイーシャちゃんを知ってるんだね」
 枢が首肯する。
「僕は彼女とさっき友達になったばっかりさ。でもね――」
「でも?」
「――ルイーシャちゃんは僕が寂しそうだって言ってくれたんだ」
 枢の厳しい顔つきがゆるんだ。すっと手を差し出す。
「俺は神月枢。これから臨時で助手を務めるあなたの名前を聞いておきましょうか」
「僕はね、崎守敏だよ。枢お兄ちゃん」
 敏は枢の手をしっかり握り返した。
「おいおいおい、お互いに信頼が生まれたことはめでたいことだが、敏も医者(せんせい)も早いとこルイーシャちゃんを診てやってくれよ」
 赤城が地団駄を踏みながら言う。
「そちらの着ぐるみさんのおっしゃるとおりですね」
 枢がルイーシャの額に手を伸ばす。すると、ルイーシャの目がうっすらと開いた。
「神月…さま……ここ…は?」
「意識があるのですか?」
 これまで診療所に運び込まれた子供たちは、すべて意識を失っていた。中央病院の症例にも意識を保っていた者はいなかったはずだ。
 これが現状を打破する突破口になるかもしれない。枢の勘が予感を確信に変えていく。
「これからルイーシャさんの血液を採取します。敏くんは魔術的なアプローチでそれを解析してもらえますか?」
「わかったよ」
 それぞれに忙しく動きはじめた二人に、赤城が遠慮がちに声をかけた。
「おい、俺にできることはあるか?」
「そうですね。俺の代わりに市役所へ行ってもらえますか? この件に関して何かめぼしい情報がないかを調べてきてくださると助かります」
「わかった。子どもたちの側にずっといてやりたいのは山々なんだが、能力のあるスターでも医者でもない俺には何もしてやれんからな。それに市役所には俺も用事があったところだ。いってこよう」
「赤城のおじちゃん、よろしくね」
「おう! 敏こそ、ルイーシャちゃんを頼んだぞ」
 赤城はパルタソ星人の着ぐるみをその場に残して身軽になると、大股全力で診療所をあとにした。
 ちょうど赤城が入り口のドアをくぐるとき、入れ替わるようにして、ひどく狼狽した男が入ってきた。
「うちの娘は? うちの娘は大丈夫なんですか?」
 入るなり、今にも消え入りそうな涙声でそう言った父親を見て、「一刻も早く犯人をとっ捕まえて子どもたちを治させてやる」と、あらためて犯人に対する嫌悪をつのらせる赤城だった。



「これでよし!」
 はおは慣れた手つきで包帯を巻き終えた。
「ありがとうございます」
 男は苦笑気味に礼を言う。固く断る彼に半ば強引に治療を施したのは、はおの方だったから仕方がない。
 はおが男の隣に腰を落ち着ける。男はじっと前を向いていた。
 彼らが座っているベンチからは病院の入り口がよく見える。今もまた一人、仮装をした子供が運び込まれるところだった。
「誰か身内が?」
 男はびくりと肩を震わせた。
「違います。どうしてですか?」
「変な言い方だが、とても熱心に見てたからな。身内を心配しているのかと思って」
「身内なんかいません。実体化したのは僕だけだから」
「それは、なんだか悪いことを聞いてしまったな」
 はおは、すでに亡くなった身内のことを聞いてしまったような、そんな後味の悪さが口の中に広がるのを感じた。
 自分はムービースターではないので、スター特有の事情を正確に理解できるわけがない。しかし、彼の内部に渦巻く不安感がどれほどのものかは理解できる。
「ここに存在することがそんなに不安かい?」
 核心をついた質問に、男は目をむいた。その場を立ち去ろうとする男の腕を、はおがつかむ。
「放せ!」
「待ってくれ。俺は君を助けたいんだ。手助けがしたいんだよ」
「手助け? そんなことできるわけがない」
「やってみなければ分からないじゃないか」
 はおが食い下がる。
「だったら、これから起こる出来事をおとなしく僕に見物させてくれ。それが一番の手助けだ!」
「これから起こる出来事?」
 男の表情がまた変わった。とても気弱な感じで、まるで夕暮れの迷子だ。
「どうして、僕の決心を鈍らせるようなことを言うんだ。ようやく心を決めたのに。邪魔をしないでくれ。僕は、確かめたいだけなんだ……」
 弱々しくつぶやいて、男は頭を抱えた。誰にとはなく話をつづける。
「僕が映画の中から実体化した存在なんだとして、だとしたら僕が映画の中で観ていた映画は、夢の中の夢ということになるのか。夢の中で夢を見ていた僕は、二重の夢から目を覚ましたということなのか。夢の中で夢を見ていて、ようやく目を覚ましてまだ夢の中にいる。どこまでが夢で、どこまでが現実なのか? いったいこれは誰が見ている夢なのか?」
 後半は、はおに問いかけるように顔を上げた。
「不安なんだよ。不安で不安でしょうがないんだよ」
「不安なのはみんないっしょさ」
 それまで黙って聞いていたはおが、おもむろに口を開いた。
「ムービースターじゃなくたって、この世界が夢のように感じることはある。あの時ああしていれば、あの時こうしていれば……あいつは死ななかったかもしれない。実はあいつが死んでしまったこの世界はすべて夢で、朝目が覚めるとあいつがひょっこり会いにくるかもしれない。そんなこと、誰だって思っているよ。誰だって」
 静寂が訪れた。
 お互いに語るべきことはもう何もないかのように。
「それでも……」
 男が血走った目で病院の方を凝視した。
「この世界が夢なのか確かめる方法があるなら、僕は確かめたい」



「ルイーシャさんのバンパイアイーターとしての浄化能力が重要なポイントのようですね」
 枢は電子顕微鏡をのぞきながら、プリントアウトしたデータを敏に手渡した。
「そうみたいだね」
 敏は敏で、渡された資料に目を通しながらも、ものすごいスピードでキーボードを打ちつづけている。モニターには見たこともないような文字列が浮かんでは消えていく。
「そもそもバンパイアというものは疾病のひとつだという説があります。その仮説が真実であれば……少なくともルイーシャさんのいた世界において真実であれば、バンパイア・ウイルスとでも言うべきものが存在することになります。バンパイアイーターであるルイーシャさんの身体にはそのウイルスを浄化する抗体が存在するのでしょう。でなければ、バンパイアの血肉を喰らった際に、自らがバンパイア化してしまいますからね」
「その抗体がうまいこと今回の毒物も破壊しているんだね」
「ええ。だからこそ、ルイーシャさんには毒物が効かなかった」
 枢は凝り固まった筋肉をほぐすように肩を叩いた。顕微鏡の横に置いてあったカップを手に取り、冷たくなってしまったコーヒーをすする。
 衣擦れの音に気づき視線を移すと、ルイーシャがベッドから起きあがるところだった。
「ルイーシャさん、まだ寝ていなければいけませんよ」
「もう大丈夫ですわ」
 青ざめた顔にうっすらと笑みを浮かべる。
 ルイーシャの熱が下がりはじめたのは十分ほど前のことだった。子供たちを救う処方はないものかと、あらゆる角度から診療をしていた枢と敏の目の前で、彼女は自力で回復したのだ。今では意識もはっきりしており、こうして起きあがることもできる。
「ルイーシャさんのお陰で、なんとかこの毒物に対する血清を作ることができそうです」
「いえ、わたくしは何もしていませんわ」
 言いつつ、ちらりと敏の方を見る。
「熱が下がってよかったね、ルイーシャちゃん」
 キーボードの上を滑らせていた指を止め、座っていたオフィスチェアをくるりと回して、身体ごと向き直る。敏は赤ずきんのマントを脱いで、男の子らしい黒いシャツにズボンという格好だった。
「敏お兄さまのお陰ですわ。ありがとうございます」
「僕は何もしていないよ。ルイーシャちゃんが自分でがんばったんだ。実際、僕がやったことといえば、ルイーシャちゃんの血液の分析だけだからね」
 敏は事実を告げただけなのだが、そこはルイーシャが必要以上に力を入れて反論した。
「いえ! 敏お兄さまがそばにいてくださったからこそ、がんばることができましたわ。ですから、敏お兄さまのお陰です!」
 パイプ椅子の簡易ベッドから落ちんばかりに身を乗り出したルイーシャに、敏は目が点になっている。
 自分が口走ってしまった内容の恥ずかしさに今更ながら気づいたルイーシャが、顔を赤らめてうつむく。
 そんな二人に枢は微苦笑していた。
「青い春ですねぇ」
 しみじみと独りごちた後、はっと気づく。
 今のはあまりにおっさん的な発想ではなかったか。いかにも赤城あたりが言いそうな台詞だと思い、少しだけ気分が鬱になった。
「さて、枢お兄ちゃん。もう僕の仕事は全部終わったからね。あとは枢お兄ちゃんが血清を完成させて、他の子供たちを治してあげてね」
 敏がひょいっとオフィスチェアから立ち上がり、壁にかけてあった赤ずきんを取った。
「たしかに、あとは俺一人でも大丈夫ですが。敏くんはこれからどこかへ出かけるのですか?」
 枢の質問に、敏は悪戯っ子の顔で答えた。
「まだハロウィンは終わってないからね」
「これからまたお菓子を集めに行かれるのですか?」
 ルイーシャが寂しそうに見つめている。敏は「まぁね」とマントを羽織り、フードをかぶる。
 枢の顔つきがにわかに険しくなった。
「もしかして、犯人を捕まえようなどと思っているのではないでしょうね?」
 赤ずきんはウィンクすることで返事に代えた。
「いくら敏くんが錬金術師で魔術師だとしても、危険過ぎる。そういった仕事は大人に任せるべきです」
「犯人は子供を狙ったんだよ? 子供だからって、ただやられるばっかりじゃないってことを思い知らせてやるんだよ」
「その気持ちは俺も同じです。ですが……」
 言いかけた枢の前を遮るように、今度はルイーシャが立ち上がった。
「わたくしもご一緒しますわ」
 枢が「やっぱり」と「やれやれ」が同居した表情でため息をつく。
「二人なら大丈夫ですわ――って、べつに敏お兄さまが頼りないという意味ではありませんわよ」
 ルイーシャの一人ツッコミを「気にしないでいいよ〜」と敏が軽く流す。
「仕方がないですね」
 枢は白衣のポケットから薄型の携帯電話を取り出した。
「俺も仲間たちを使って情報を集めることにします。そろそろ赤城さんも戻ってくる頃でしょうし、何かあったらこの携帯を使ってお互いに連絡を取り合いましょう」
 敏が携帯電話を受け取る。
 ルイーシャが無邪気に尋ねた。
「わたくしたちが神月さまの携帯を使ってしまったら、神月さまはどうやって連絡を取りますの?」
 枢はぐっと言葉に詰まり、「もう一台持っていますから」とだけ言った。
「二台も?」
 と不思議そうに首をかしげる少女に、枢の代わりに敏が答える。
「ルイーシャちゃん、そこは大人の事情だからツッコんじゃダメだよ〜」
「え?! あ! そうでしたの。ええっと、では、女性から電話がかかってきたときはどのようにすれば……」
「いや、ぜんぜん違うから!」
 ひどくあわてた枢がありきたりなツッコミをする。
「違うのですか? あの、その、複数の女性と……」
「ルイーシャちゃん、そんなにはっきり言っちゃダメだよ〜」
「ちょっ! まっ! 誤解を助長するような台詞はやめろっ!」
 ちなみに、彼は医者の仕事用と裏の仕事用で携帯を使い分けているだけだ。
 たぶん……
「と、とにかく、何かあったらそれで連絡しろ!」
 すっかり口調が変わってしまった枢に、敏は笑いながら、ルイーシャは首をひねりながら「いってきます」と告げた。



【幕間】

 ジャック・オー・ランタンはどこにいるのか知ってるかい?
 彼は一度生き返ったあとも、悪行をあらためなかったんだ。
 だから、二度目に死んだとき、神様に天国へ行くことも地獄へ行くことも禁じられてしまった。
 天国にも地獄にも行けなくなったジャック・オー・ランタンは、独りきりで闇の世界を彷徨うんだ。
 僕たちはジャック・オー・ランタンじゃない。
 でも、よく似ている気がする。
 映画は、僕たちムービースターにとって天国や地獄のようなものだ。
 戻ることができれば永遠の幸せを手に入れることができる人もいるだろうし、戻れば地獄のような生活が待っている人もいるだろう。
 そして、普通の人間もそうであるように、天国と地獄に行く方法はだれにもわからない。
 僕たちにとっての映画が天国であり地獄であるとしたら、僕たちにとってのこの銀幕市は何なんだろう?
 ジャック・オー・ランタンが落とされた闇の世界と同じなのだろうか。
 だとしたら、僕たちにも必要なのかもしれない。
 闇を照らし出すためのランタンが。



【第三幕】

 赤ずきんと妖精が市街地に舞い戻った時には、すでに陽が斜めに傾きはじめていた。
 広大な銀幕市の全域から犯人宅を探し出す作業は、まさに砂漠で小さな石ころを探すようなものだったろう。しかし、被害者であるルイーシャの存在が、犯人を追いつめる鍵となる。
「わたくしがお菓子をもらった家は全部で十一軒ですわ。そのうち一軒は赤城のおじさまですし、その前のお宅でいただいたお菓子は口にしていません。すぐに敏お兄さまたちと出会いましたので。ですから、全部で九軒ですわね」
 その九軒を彼女は正確に覚えていた。その中に犯人の家があるはずだ。
 さらには敏がとっておきの秘策を用意していた。
「さぁ、いこう。ルイーシャちゃん」
 二人は一軒ずつ「トリック・オア・トリート」でお菓子をもらっていく。
 変化が起こったのは四軒目の家を訪れたときだった。
「トリック・オア・トリート! お菓子をくれないと、いたずらしちゃうよ!」
 敏が元気よく叫ぶと、家から出てきたのは土気色の肌をした不健康そうな男だった。
 敏が竹で編んだ手籠を差し出す。
 男は妙におどおどした態度で、無言のままお菓子を籠に入れた。ジャック・オー・ランタンのかぼちゃをかたどったチョコレートだ。
「ありがとう!」
 敏とルイーシャがお辞儀をするのと、チョコレートがぽーんと籠から飛び出すのは同時だった。敏もルイーシャもチョコレートには手も触れていない。竹製の手籠が、放り出したとしか思えなかった。
 なにが起きたか理解できずに、ただあわてふためいている男に、敏が解説をはじめる。
「この籠はね、ただの籠じゃないんだよ。魔導具なのさ。だから、毒物が入ったお菓子をこの中に入れるとね」
 地面に転がっているチョコレートを拾ってもう一度籠に入れる。またもやチョコレートは勝手に飛び出した。
「こうやって外に放り投げちゃうんだよ。さて、どうしてこんなことをしたのか教えてもらいたいな」
 天使の笑みで表面を飾ってはいるが、確実に脅し文句だ。
「なんでそんな目で僕を見るんだ? 僕は何もしていない。僕はただ……」
 男がよろよろと後じさる。
「僕はただ確かめたかっただけなんだ。そう、確かめたかっただけだ。何も悪いことはしちゃいない。悪いことはしちゃいない。悪いことはしちゃいない」
 ぶつぶつと呪文のように唱えている男を、ルイーシャがきっと睨みつけた。
「あなたのせいで、いったい何人の子供たちが不幸な目にあったと思っていますの? 神月さまが血清を作ってくださるからよかったようなものの。それがなければ、たくさんの子供たちが死んでいたかもしれませんのよ」
 血清という言葉に、うつろだった男の相貌に驚愕が走った。
「血清があるのか!」
「今ごろ神月診療所の枢お兄ちゃんが完成させてるよ」
 敏にとどめを刺されたかのように、男が玄関に膝をついた。
「それじゃ、見られないじゃないか。見られなきゃ確かめることもできやしない」
「何を見るつもりだったのです?」
「何って、それは……」
 男の口の端が耳まで裂けた――ように見えた。
「子供が死んでいく姿だよ」
「あなた、なんてことを……」
 ルイーシャがあまりのショックによろめいた。すかさず敏が支える。
「お兄さん、悪趣味だね。そんなもの見たがるなんてね」
「だって、見なきゃわからないだろう? 君たちは見たことがあるのかい? ムービースターがフィルムに変わる瞬間を」
「それこそ悪趣味ですわ!」
 ルイーシャの非難など耳に入っていない様子で男はつづける。
「みんな、ここが映画の外だって言うんだ。僕は映画の中の存在で、この銀幕市に実体化したんだって。でも、そんな証拠がどこにあるんだい? どこまでが夢で、どこまでが現実なのか。いったいこれは誰が見ている夢なのか。僕にはわからない。僕にはわからないんだよ」
 いつの間にか男は涙を流していた。
「わたくしも初めてこの世界にやってきたとき少しがっかりしましたわ」
 男が苦しんでいることを知り、ルイーシャの語調も少しだけ険がとれたものになっている。
「わたくしが住んでいたレアムスグドという世界はドラゴンの見ている夢なのです。みんな自分たちが儚い夢の中の存在だと知りながら生きていましたわ。ですから、この銀幕市に実体化したとき、普通に生きられると思っていたわたくしは、結局はここも夢の中であり、やっぱり自分も夢の中の存在だとわかってショックを受けました」
「それは君がもともと夢の世界の住人だからじゃないか。僕は映画の中を現実だと思って生きてきたんだぞ。そんなに簡単には割り切れない」
「わたくしが言いたいのはそんなことではありませんの。この世界は夢かもしれません。でも、そこでたくさんの人と出会って、たくさんの人と過ごして……」
「うるさい! 君に何がわかる!」
 男がルイーシャに飛びかかろうとし、敏が素早く右腕を振った。銀の腕輪が鞭状に変化し、男の腕をからめとる。そのまま身体ごと巻き付き、捕縛する。
「アハハハ!」
「何がおかしい?」
 敏の大笑に男が噛みついた。
「この世界が夢だったとして、いつまでも醒めない夢ならそれは、君の考える現実とどう違うんだい?」
「夢なら終わりがあるだろう! 現実とは違う!」
「自分で終わらせようとしてるだけじゃないの? 僕は嫌だよ。この世界を夢だからってだけの理由で終わらせるのはね!」
 敏が両手を広げるとともに、辺りの雰囲気が変わった。空気がぴんと張りつめる。ロケーションエリアを展開したのだ。
「ルイーシャちゃんは下がってて。この人には少しだけ痛い目を見てもらうよ。お仕置きだね」
 ルイーシャがロケーションエリアの範囲外に下がったのを確認して、マントの下から手の平サイズの水晶玉を取り出す。
「これはね、『アリスの夢幻球』といって、夢を見せる魔導具だよ」
 男が不安そうに、ごくりと喉を鳴らした。
「とっておきの夢を見せてあげるよ」



「この世界が夢じゃないかなんて誰にも確かめられない」
 はおは断言した。ここで断言できなければ、この世界で生きてなどいけない。大事な友を失った過去を背負ったまま生きてなどいけないのだ。
「彼はできるって言ったんだ」
 男はかたくなだ。
「どうやって?」
 はおもまた訊かざるをえない。
「もうすぐここで子供たちが死ぬ。この毒なら、みんなゆっくりと死んでいくって彼が言ったんだ。ムービースターも普通の人間も、みんなゆるゆると死んでいく」
「ゆっくり死ぬ? 苦しんで死ぬってことか?」
 はおは我慢できずに男の身体を揺さぶった。
「違うよ。そういう意味じゃない。ムービースターにとって死とはプレミアフィルムになってしまうことだろ? ゆっくりとフィルムに変わっていくんだ。ゆっくりとね」
 はおには、男の言っている意味がよくわからない。いや、意味はわかるが、理解できないというのが正しいか。
「ゆっくりとフィルムに変わることに何の意味があるんだ」
「わからない?」
 男の瞳が真っ直ぐに、はおの瞳を射た。不安と狂気が入り交じった色に、背筋を悪寒が走る。
「君は確かめたことある? 市長たちが言ってることが真実で、ムービースターは本当に映画から実体化した存在なのか。本当にムービースターは死んだらフィルムに変わるのか。僕はこの目で確かめたい。だから、僕はこれから起こることを、子供たちが死んでいく様子を見物したいんだ」
「そんなことのために! 普通の子供だっているんだぞ」
「普通の子供だって必要じゃないか。ムービースターがフィルムに変わるところと、普通の人間が死体に変わるところを両方見ないと、映画の中の世界というものが存在して、さらにこの銀幕市が現実の世界だって証明されないだろう」
「そんなことで……そんなことで自分の不安をぬぐい去ろうってのか!」
 ふだんは物静かなはおが、男の胸ぐらをつかみ上げた。それだけ彼の怒りは、そして悲しみは大きかった。



「そんなことのために、子供たちに毒入りのお菓子を配ったのですか!」
 ルイーシャは抑えきれない怒りを込めてスカートを握りしめている。
 男は、敏のロケーションエリアと『アリスの夢幻球』の相乗効果ですっかり神経を衰弱させていた。
 『アリスの夢幻球』は、相手の意識を閉じ込めてどこまでもリアルな夢を見せる魔導具であり、敏はそれを使って、男に夢を見せた。夢から醒めるとそれがまた夢で、またその夢から醒めるとそれもまた夢で……とまさしく無限につづく夢だ。さらに、敏のロケーションエリアの効果は感情の強調だ。ロケーションエリアの効果範囲内にいる者は、一定の感情だけが加速するように強まっていく。今回の場合は、不安感だった。
 ほんの一分間の意識拘束だったが、男には何万年にも思えたことだろう。
「そんなことで不安が消し去れるわけない。そんなの無意味だね」
 敏もまた憤まんやるかたない所作で夢幻球をもてあそんでいた。
「……もちろん不安は消えないよ」
 男が青ざめた唇をわずかに動かす。
「だって、それだけじゃ、この世界が現実で、僕たちが元いた世界が夢だってことしかわからない。だから……」
 男は小刻みに震える指先で地面に落ちたチョコレートを拾った。ジャック・オー・ランタンの包み紙が笑っている。
「そのときこそ、こいつの出番だったんだよ」



「そのチョコレートを食べれば、ゆっくり死ぬんだよ」
 男は、はおの手を払おうともしない。
「それは分かった。何度も言わなくていい。それよりも、こんなことをした黒幕は誰なんだ?」
 さっき男は『彼』と口にした。きっとその『彼』が毒入りのお菓子を子供たちに配っているのだろう。なぜならこの男がこうしてここにいる間も被害者は次々と運ばれてきているからだ。
「それは分かっただって? 分かってないよ。僕はね、最後にそのチョコレートを食べるつもりだったんだ」
「死んで償えるとでも思うのか?」
「償う? やっぱり分かってない。何のために子供たちにお菓子を配って、この世界が現実だって証明したのか」



「このチョコレートを食べれば、僕はゆっくり死ぬだろう」
 男が自ら命を絶つことを警戒して、敏が銀色の縛縄を強めた。
「僕がもし、本当に夢の中の存在で、夢の住人なのだとしたら、ゆっくりとフィルムへと変わる自分を確認することができる。もし僕が、本当は現実世界の存在で、ムービースターなんて存在じゃないとしたら、フィルムへと変わらないで死んでいく自分を確認することができる」
 ルイーシャは男の告白を聞き、一瞬気が遠くなるような不安定な感覚に襲われた。



「他人を殺して、自分を殺してまで、そうまでして確かめなきゃいけないことなのか」
 はおは、もう怒っているのか泣いているのか判然としない。
「それでも僕は確かめたかったんだ」
 病院の中から歓声のようなものが聞こえてきた。どうやら血清ができあがり、子供たちの病状が回復に向かいはじめたようだった。
「これで終わりだ」
 はおが宣言し、男はうなだれた。



「枢お兄ちゃんから、今電話があったよ。血清が完成したって。これで終わりだね」
 敏が携帯を二つに閉じる。
「終わりじゃない」
 男がうつろな目で空を見上げた。
「僕が配ったチョコレートは、彼にもらったほんの少しさ」
「彼? 彼って誰ですの?」
 ルイーシャが問いただす。
「彼はね、きっと見届けようとしているよ。一番見やすい場所で、子供たちが死んでいく様をね」
 敏が閉じたばかりの携帯を開いた。
「敏お兄さま、どうしたんですの?」
 敏は答える暇ももどかしく、急いで着信履歴から枢の携帯へと電話をかける。
 スピーカーからは、話し中の電子音の繰り返しがむなしく聞こえてくるだけだった。



 枢は携帯電話を白衣の内ポケットに入れると、オフィスチェアに深々と腰を落とした。
 銀幕市立中央病院へ血清が完成したことを伝える電話だったのだが、すでにそちらでも別のアプローチから血清が完成した後であり無駄骨だった。
「へぇ、さすがデカイ病院は違うな」
 赤城が、嫌みでもなんでもなく素直な感想を口にした。彼は市役所で有益な情報を得ることができずにすぐに診療所へ戻ってきたのだ。敏とルイーシャとは入れ違いだった。
「まぁ、あそこには優秀なドクターがいますからね」
「あっ、と。そういう意味じゃないぞ。あんたも良い医者だし、ここは良い診療所だ」
「わかっていますよ」
 人の命が助かったことにかわりはないのだから、医者としては何のわだかまりもない。しかし、ルイーシャと敏という幸運に恵まれた結果であったとしても、これほど早い段階で血清を生成できるのは自分だけだろうという、矜持めいたものを打ち砕かれたのも事実だ。
「俺もまだまだ、だな」
 自嘲する枢の背中を、赤城がどんと叩いた。
「とにかく、おつかれさん! さーて、これで子供たちもみんな助かるだろうし、犯人も無事に敏とルイーシャちゃんが捕まえたし、一件落着ってやつか」
 赤城が大きく伸びをして、がっはっはと大笑する。
「これがエンディングなら、まるでどこかの偉い放浪爺さんの話みたいですね」
「俺は印籠なんて持ってねぇよ」
 にやりと笑う赤城に、枢も嘲りを消した笑みを頬に流した。
 次の瞬間、看護士の悲鳴が診療所全体に木霊した。
 仕事柄悲鳴には慣れている赤城の方が反応は早かった。診察室のドアに向かって走り出す。あまりの急発進に、主人の足に抱きついていたバッキーのスノーが振り落とされそうになる。
 次に枢もオフィスチェアを放り出す。バッキーのソールもなんとか肩に飛びついた。
 まずは赤城がドアを開け、そのまま立ちつくした。枢は赤ジャージの背中にぶつかりそうになり急停止する。
「いったいどうしたんです?」
「こいつはヘヴィな状況だぞ。番組終了五分前、ヒーロー最大のピンチってとこか」
 赤城がじりじりと身体をずらし、それによって枢もようやく待合室の様子をうかがうことができた。自然と舌打ちしてしまう。
「動くな! 動くと、この娘を殺す!」
 一見奇妙な光景だった。
 なにせ父親が手にナイフを持ち、ベッド代わりのソファで高熱に苦しんでいる娘に、それを突きつけているのだから。
「何してやがるんだ? その子は娘だろうが」
 赤城がものすごい形相で男を睨む。それは悪役の演技ではない。彼自身の怒りの表れだ。
 赤城に妻子はいない。だが、長年子供たちを相手に仕事をしてきたのだ。いわば彼にとってすべての子供が、自身の子供だと言ってもいい。
「赤城さん、違う。この男は父親なんかじゃない。偽物だ」
「なにっ?!」
「緊急時とはいえ、俺たちのセキュリティが甘かった」
 吐き捨てるように言う。口調が乱暴になっているのは、枢もまた自分の間抜けさに対する怒りをたぎらせているからだ。
 当の患者が意識を失っているのだ。別人が身内を名乗ったとしても、患者の身元すら判明していない状況では、本当の父親かどうかなど誰にも判別しようがない。
「だったら、あの涙は偽物だったってのか!」
 診療所の入り口ですれ違ったとき、確かに男は泣いていた。
「僕はね、もともとコメディ映画の出身なんだ。人を笑わせるのが仕事さ。でもね、この銀幕市では映画の中の存在だって変われるんだよ。僕は変わったんだ。悲しい演技だってできるし、人だって騙せるし、子供だって……殺せる」
 赤城が視線を落とす。そこにはスノーがいる。
「この距離ではやめた方がいい。バッキーが奴を吸い込むより、ナイフがあの子の喉を切り裂く方が速い」
 男を見すえたまま枢が小声で伝えた。彼もまた今すぐにでも男に殴りかかりたい衝動を我慢している。
「俺が奴の気を引く。赤城さんはそれで奴の動きを止めてくれ」
 赤城は最初、『それ』の意味がわからなかったが、枢が男の視界に入らないように彼らの背後にある診察室のドアを指さしたので、『それ』に思い至った。
 ドアの横に赤城が借りてきたスチルショットが立てかけてある。スチルショットはファングッズのひとつで、相手近くに着弾さえさせればムービースターは一分間動けなくなるはずだ。それならバッキーよりも確実に相手の動きを封じることができる。
 赤城の言っていた市役所への用事とはこのことだったのだ。
 枢は大きく深呼吸し、男を下手に刺激しないよう口調を整えた。
「あなたはいったい何者です?」
 枢が注意を引くように一歩前へ出た。
 男がぐっとナイフを握る手に力を込め、枢がぴたりと動きを止める。
「僕は……僕はジャック・オー・ランタンだ」
「ジャック・オー・ランタン。ハロウィンにはぴったりの名前ですね」
「黙れ! 黙ってもうしばらく待て。それだけでいいんだ。僕の望みはそれだけだ」
「それは違うでしょう? その娘がゆっくりとプレミアフィルムへと変わることを見届けたあと、あなたもジャック・オー・ランタンのチョコレートを食べる。そうしなければ計画は完遂されないはずです」
 ジャック・オー・ランタンの顔がこわばった。
「なんでそれを知っているんだ?!」
 枢は敏からの電話で真実を知ったのだが、そこは巧妙に嘘を織り交ぜる。
「毒物を調べているうちに効果もわかりました。そのとき、俺も思ったのですよ。これを使えば、自分が何者なのか知ることができるんじゃないかと」
「君もムービースターなのかい?」
 枢はことさらゆっくりとうなずいた。
「それじゃあ、なんで血清なんか作るんだ!」
「子供たちの死など見なくとも、すでにムービースターがフィルムに変わる瞬間を見たことがあるからです。だから、俺には世界の証明など必要ないのです」
「本当なのか?」
「本当です。本当にこの世界ではムービースターはかりそめの存在。死ねばフィルムに変わってしまうだけ」
 ジャック・オー・ランタンが沈黙した。
 枢の額を汗がつたう。
「だったら……君がムービースターだというのなら、証拠にロケーションエリアを使ってみせてくれ」
 今度は枢が沈黙する番だった。
「できないのかい?」
「できます。できますが、俺のロケーションエリアはここでは……」
「できないんじゃないか!」
 ジャック・オー・ランタンが激高して、ナイフの刃先を少女の首筋に押しつけた。わずかに血がにじみ出る。
「もういいだろ! もういいじゃねぇか!」
 赤城が叫んだ。その目には涙が光っていた。
「なぁ、あんた。いくら自分が苦しいからって、関係のない他人を巻き込んじゃいけねぇよ。夢だの現実だの、俺にはさっぱりわからねぇ。わからねぇが、わかってみせる。わかってみせるから、俺に話をしてくれ。俺は、あんたにも笑顔になってもらいてぇんだよ」
 大仰に両手を振って声も嗄れんばかりに叫ぶ。赤城は、全身も魂もすべてを使って気持ちを伝えようとしていた。
「僕は……」
 ジャック・オー・ランタンの身体が小刻みに揺れている。
「だって、俺らは同じ街に住む仲間じゃねぇか!!」
 まさにちょうどその時。
 枢の白衣の内ポケットで、携帯がけたたましい着信音を鳴らした。
 赤城も驚き、ジャック・オー・ランタンも筋肉を硬直させる。
 ただ枢だけがそのチャンスを逃さなかった。
 スチルショットに手を伸ばし、素早く膝立ちになる。目をすがめて狙いをつける時間もない。とにかく相手に銃口を向けて、とにかく引き金を引いた。
 閃光が炸裂した。



【終幕】

 一分間という間はそれほど長くはない。
 しかし、男をひとり縛り上げるには十分過ぎる時間でもあった。
 枢が携帯に出ると、鼓膜を突き破らんばかりの勢いで敏がしゃべりかけてきた。
「枢お兄ちゃん、ちょっと前にもかけたんだけど、話し中でつながらなくて。もうひとり真犯人がいるんだよ! きっとそいつは診療所にいるはずで……」
「ああ、わかってますよ」
「え?」
「大丈夫です。こちらもすべて片づきましたから」
 枢は事情を説明して敏を安心させてから携帯を切った。
 彼の冷たい眼差しの先には、ジャック・オー・ランタンを名乗った男がいる。抜け殻のようになってしまった男は、ぶつぶつと独り言を繰り返していた。
「自分のわがままで人を、いえ子供を殺すなんて言語道断です。取り敢えず一発殴らせてもらいましょうか」
 振り上げた枢の拳を、横合いから赤城が止めた。
「もういいじゃねぇか」
 年長者に敬意を表したのか、それとも気持ちに整理がついたのか、枢はおとなしく赤城に従った。
「ねぇ、赤城さん、知っていますか?」
「何がだ?」
「ジャック・オー・ランタンはですね、『ランタン持ちの男』という意味なんです」
「知らなかったな。『かぼちゃのお化け』って意味かと思ってたぜ」
 赤城も枢も苦笑する。
「もしかしたら、彼にとって、いや、彼らにとってこのチョコレートは心の闇を照らす希望のランタンだったのかもしれません」
「こんなものが希望ねぇ」
「希望なんて人それぞれですからね。で、ジャック・オー・ランタンはそのランタンを誰からもらったと思います?」
 赤城は肩をすくめてみせた。分かるわけがない。
「神様の罰を受けて、天国にも地獄にも行けなくなり、闇の世界を彷徨うことになったジャック・オー・ランタン。それを哀れに思った悪魔が、ランタンを渡すんですよ」
「悪魔、か」
「そう、悪魔です。俺には、このジャック・オー・ランタンのチョコレートは悪意の塊に思えます。誰かが作ったというよりは、この銀幕市の地下深くに、黒々と渦巻いている悪意が、ある時形を持ってしまった、と」
 薄ら寒い想像に、枢の表情が暗く沈む。
「ま、悪意なんてものはそこら中に落ちてるもんだからな。もちろん善意ってやつも同じだけ落ちてると思うぜ」
 赤城がにやりと笑うと、枢もつられて笑ってしまった。



 はおは男を市役所に引き渡した際に、赤ずきんと妖精の仮装をした子供たちを見かけた。
 妖精が赤ずきんに「またいっしょに遊んでくださいますか?」と尋ね、赤ずきんが妖精に「いいよ」と元気に答えるのが聞こえる。
 とても楽しそうに語り合い、笑顔を振りまき、軽やかに駆けていく。
 『闇渡り』が鳴ったりなどしない。
 はおも自然に笑顔になっていた。
「うん、これこそがハロウィンってもんだ」
 はおはミニバンに乗り込むと、お客に花を届けるべく、鼻歌交じりで車を走らせた。

クリエイターコメントとにもかくにも、お待たせしてしまい申し訳ありません。
今回は平身低頭するばかりです。

参加してくださったPL様が少しでも気に入ってくだされば幸いです。
また、お気づきの点等ありましたら、メールにてご連絡くださると助かります。
公開日時2007-11-01(木) 10:00
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