★ 弐百鬼繚乱 ★
クリエイター西向く侍(wref9746)
管理番号252-7673 オファー日2009-05-23(土) 22:30
オファーPC カサンドラ・コール(cwhy3006) ムービースター 女 26歳 神ノ手
ゲストPC1 ミケランジェロ(cuez2834) ムービースター 男 29歳 掃除屋
<ノベル>

「サァサァ、みなさんお立ち会い。今宵も始まる素敵なショウ。オニィさんもオネェさんもお爺ちゃんもお婆ちゃんも、みんなみんな寄っといデ」
 満月を背景にぴょんぴょんと飛び跳ねるピエロ。
 黄金色の光に浮かび上がる影絵のようなシルエット。
 沈黙する真円、哄笑する道化師。
「ったく――うるさいったらありゃしないよ」
 カサンドラ・コールは忌々しげに吐き捨てた。殺気のこもった眼光の先では、彼女の存在などまるで無視して、ピエロが踊り狂っている。
 今すぐにでもそいつの息の根を止めてやりたかったが、そうもできない事情があった。道化師は、二階建ての古びた洋館の、さらにその中央にある塔のようなひときわ高い部分の、さらにそのてっぺんでダンスしているのだ。
 彼女の身体能力ではあそこまでよじ登るのは不可能だったし、彼女の武器ではそれほど遠くの獲物を仕留めることはできない。身に宿るチカラを使えば、簡単に始末できるのだろうが、それを実行してはあの男に何を言われるかわかったものではなかった。
 なぜならあの男は、今も彼女の背後で虎視眈々と彼女を馬鹿にするチャンスをうかがっているのだから。
 カサンドラの耳に、間の抜けたあくびが聞こえてきた。
「あんた、あたしを馬鹿にしてるのかい?」
 凄まじい勢いで振り返った彼女に、男は小首をかしげた。眠そうに目をこすり、「まだなんも言ってねぇだろうが」ともう一度あくびをする。
「そのあくびが、あたしを馬鹿にしてるってんだよ!」
「あぁ?」
 さすがに男の口調にも剣呑なものが混じる。
「眠いんだからしょうがねぇだろ。なに独りでイライラしてんだ?」
 カサンドラは舌打ちして、そっぽを向いた。
 男は憮然とした表情でボサボサの頭をかく。
 男の名はミケランジェロ。汚れ放題のツナギを着て、片手にモップ、もう片方の手にバケツという外見からは想像もつかないが、芸術の神であり、堕とされた神だ。
 やり取りからもわかるように、この二人、非常に馬が合わない。
 ひとりの若者を巡っての、感情的な対立があるという背景もある。だがそれ以上に、お互いの中の根本的な何かが嫌悪を呼び覚ますのだと、カサンドラもミケランジェロも理解していた。周りから見れば、それはいわゆる同族嫌悪のたぐいに思えるのだが、二人がそれを認めることなど決してありえない。実は認められないからこその、同族嫌悪なのだろうが……
 そのような二者が同じ依頼を解決するために、この洋館にいた。もちろん状況は偶然の産物だ。たまたま対策課からの同じ依頼を二人が同時に受けただけ。そうでなければ、この二人がいっしょに行動するはずもない。
「おい、刺青女」
 ミケランジェロが呼びかける。刺青女とはもちろんカサンドラのことだ。
 彼女は全身に百鬼の刺青を施している。『神ノ手』により刻まれたそれらは、強力なチカラを有する呪印でもあり、大切な想いの結晶でもあった。だから、彼女は、気安くそう呼ばれることを何より嫌う。
 カサンドラは故意に無視した。
 知ってか知らずか、ミケランジェロも無視してつづけた。
「なんで入らねぇ?」
 洋館の中に、ということだろう。
 対策課より依頼されたのはムービーハザード――『鏡の館』の沈静化だ。ハザード消滅の条件が何かは分らないが、虎穴に入らずんば虎児を得ずと言う。罠にしろ何にしろ、彼らには飛び込むという選択肢しかないはずだ。
「そんな考え無しなこと、できるわけないじゃないさ」
「あ、そう。俺は行くぜ」
 ひらひらと後ろ手に手を振りながら、のんびりと館の入り口へと向かう。
 ミケランジェロはきっと何も考えていない。というより、考えるのが面倒なのだろう。
 そして、それは普段のカサンドラも似たようなものだった。だからこそ――ミケランジェロと同じ行動をとってしまいそうな自分が嫌で、さりとてどうしてよいか分らずに立ち尽していたのだ。
 相変わらず、道化師は空で踊っている。
 さめざめとした月の光を浴びて、けたたましい笑い声を響かせている。
 カサンドラはたまらなくなり、怒りにまかせて刺青から鬼を一匹解き放った。指先から放たれた鬼――鎌鼬は、音もなく空を裂き、獲物を目指して飛ぶ。
 ぴたりと高笑いがやみ、ピエロの首と胴体が、きれいに二つに別れた。月が流した涙のように、二つのかけらは屋根のうえを転がり落ちていく。
 ミケランジェロは興味がないのか、振り返ろうともしない。紫煙が立ち上っているところを見ると、煙草に火をつけたようだった。
 カサンドラは聞こえよがしに地面を蹴りつけると、ミケランジェロのあとを追った。
 道化師にぶつけたはずの激情は消えていない。
 おそらくこれはミケランジェロに対する怒りだ。カサンドラは自分自身に苛立っているという可能性を、つとめて排除するように、自らに言い聞かせるのだった。



 館の入り口は、豪奢な――というよりも滑稽なほどにごてごてと飾り立てられた両開きの扉によって、閉ざされていた。
 カサンドラが足早に追いついたとき、すでにミケランジェロの軍手は猛獣の顔をしたノッカーなど無視して、いきなりノブをひっつかんでいた。
「邪魔するぜ」
 と一気に開け放つ。
 カサンドラはどんな敵が現れてもすぐさま対処できるよう、重心を落とし、人差し指と親指で刺青用の針を挟んだ。針を急所に突き刺し絶命させるのが、彼女の戦闘法だ。
 瞬間、網膜に差し込んだ刺激に、思わず目を細める。
 鏡だ。何十何百という鏡が、天井の明かりを反射してきらきらと輝いていた。それこそ、まばゆいばかりに。
 入ってすぐはそこそこの広さのホールになっていたのだが、壁に無数の鏡が嵌め込まれていた。いやむしろ、鏡で壁が造ってあるといった方がより的確な表現かもしれない。
 それらに映る、ミケランジェロとカサンドラの、何百という分身たち。
「ふぅん。伊達に『鏡の館』って名前じゃねぇんだな」
 ミケランジェロはきょろきょろしながら興味深そうにしている。
 鏡の壁はところどころ奥につながる通路になっており、彼らをあざ笑うかのように、その数はひとつやふたつではなかった。ここは客人を惑わせる意図をもって造られたのだろう。まさに、迷宮だ。
「ふん。招き入れておいて、これかい。たいそうなおもてなしだねぇ」
 カサンドラがため息をつく。
「めんどうだねぇ」
「めんどうだな」
 お互い同じ台詞を発してしまい、顔を見合わせて、あわてて視線をそらした。
 所作だけだと、恥じらう恋人同士に見えないこともなかったが、実際はまったく違う。カサンドラもミケランジェロも、不機嫌丸出しの眉と目と唇をしていた。
 しばらく沈黙が場を支配する。
 カサンドラは不用意に口を開いて、またミケランジェロと似たようなことを言わないように気をつけていたし、おそらくミケランジェロも同じようなことを考えているのだろうと思ってもいた。
 ふいにすべてが馬鹿らしくなった。
 なぜこんな奴のために自分が遠慮しなければならないのだろう。そもそも気を遣う必要など微塵もありはしない。
 カサンドラは踵を鳴らし、奥に向かって歩きはじめた。
 その背中にミケランジェロの声がかかる。
「んあ? おい、どこ行く気だ?」
「仕事をしに行くのさ。このハザードを消滅させるのが、あたしたちの仕事だろ?」
「なにかアテでもあるのか?」
「そんなもん自分で探すんだね」
 ひらひらと後ろ手に手を振りながら、さっさと迷宮の通路のひとつに足を向ける。
「ったく、相変わらずイケスカねぇ女だ」
 ミケランジェロは吸いかけの煙草を苛立ち紛れに床に投げ捨てると、新しい一本に火をつけながらカサンドラのあとを追った。
 カサンドラが先導し、ミケランジェロがつづく。館の入り口とはまったく逆の状況だ。
 二人は、時折、鏡にぶつかりそうになりながらも、迷宮内を進んでいく。
 迷路を抜ける有名な方法に右手法もしくは左手法というものがあるが、二人ともそんなまだるっこしいことはせず、ただただ本能の赴くままに歩いていた。ミケランジェロなどは紙と筆を持っているのだから、マッピングくらいすればいいのだが、その必要性も感じていないようだ。
 ムービーハザードの鎮圧には、実に多種多様な条件がある。ハザードの核であるボスを倒すことによって消滅するパターンもあれば、ただ単にそのハザードを経験するだけで消滅するパターンもある。今回の『鏡の館』がどのパターンに当てはまるかは、誰にもわからない。
 どうしても手探りになってしまう事例ではあるのだが、残念なことに、その手探りを最も嫌う男女がここにいるのだった。
「めんどくさいねぇ」
「めんどくせぇ」
 先ほどと同じように同時に呟いたものの、今回はミケランジェロのことが気にならないくらいに、カサンドラは別の意味で苛ついている。まだ探索しだして十分も経っていないのだが、早くもこのくだらない迷路にうんざりしていたのだ。面倒くさがりという点において、彼女は定評がある。
 カサンドラは無言で拳を握りしめた。
 ミケランジェロもモップを振り上げる。
 どうやら彼も同じようなことを考えついたようだ。
 二人とも相談したわけでもないのに、至極簡単な理屈によって、現状打破を成し遂げようとしていた。
 壁を壊していけば迷路もなにもあったもんじゃないだろう、と。
 今までの鬱憤を晴らすように、カサンドラは鏡を殴りつけ、ミケランジェロはモップの先端で鏡を割ろうとした。
「――っ?!」
「あぁ?!」
 鈍い音が響く。
 カサンドラの突きも、ミケランジェロの打撃も、なにか見えないチカラに弾き返された。鏡は当然ながら無傷だ。
 カサンドラの手の甲では刺青が銀色に仄光っている。『神ノ手』によって彫り込まれた刺青には、百鬼が宿るほかにも、決して傷つかないという特殊なチカラがあった。ゆえに彼女の拳が潰れるようなことはなかったが、それにしても、普通の鏡にしては、割れないとは異常だ。
「ただの鏡じゃねぇな」
 ミケランジェロが言う。
「そんなこと、言われなくてもわかってるよ」
 カサンドラは憎まれ口を叩きながらも、鏡の変化を感じ取っていた。すべての鏡が振動し、映りこんだ風景がぐにゃりと歪みだしていた。
「なにか様子がおかしいねぇ」
 そう言うカサンドラに
「言われなくてもわかってるぜ」
 今度はミケランジェロがやり返す。
「あたしは本当にあんたのことが気にくわないよ」
「奇遇だな。俺もだ」
 言い合いつつも、二人の意識は外へと向けられていた。カサンドラは針を唇にくわえた。ミケランジェロもモップから仕込み刀を抜き放つ。
 ただならぬ雰囲気を感じて、彼と彼女は我知らず背中合わせに立っていた。幾多の修羅場をくぐり抜けてきたその本能が、危機に瀕して、もっとも効率的な戦闘体勢をとったのだ。
「来るぞ」
 ミケランジェロが宣言し、カサンドラは神経を研ぎ澄ませる。
 鏡の中からぬぅっと手が出た。
 手だけではない。足も、肩も、頭も。ついには全身が平面世界から抜け出してくる。
 人間を産み終えた鏡は、その役割を終えたかのように、粉々に砕け散った。
「はぁ」
 ミケランジェロはその光景になんとも間の抜けた声を漏らした。
 一枚だけではない。無数の鏡面から、次々とわき出してくる人影。
「なんとも悪趣味だねぇ」
 カサンドラの苦笑が現状のすべてを表現している。
 鏡の向こうの世界から出現したのは、無数のカサンドラと、無数のミケランジェロだった。



「なんともまぁ、芸がないってのはこういうことだろうさ」
 鏡イコール分身。向こうの世界から出現する模造品。自らの影。もっと簡単に言えば、偽物。
 あまりにも使い古された展開に、カサンドラは辟易した。緊張感で収縮していた全身の筋肉も、自然と弛緩してしまう。しかしそれは、これだけの数の、おそらくは敵たちを前にして、少しばかり迂闊だったろう。
 偽カサンドラのひとりが針を手に襲いかかってきた。
 そのスピードたるや、本物に遠く及ばないものであったが、油断していたカサンドラは針の先で頬を浅く切られてしまう。
 文字通り己に対して舌打ちしながら、首筋の急所に針を突き刺そうとして……一瞬ためらわれた。いくらコピーとわかっていても、自分自身を傷つけるのは気分が良いものではない。
 咄嗟に拳を握りしめ、刺突から殴打へと攻撃法を変える。横っ面を殴られた偽カサンドラは派手に吹っ飛び、仲間たちの群れへと突っ込んだ。
「こいつら、力はたいしたことないね」
 ミケランジェロに声をかけたのは、いくばくかの気恥ずかしさからだ。
 自らと同じ姿をしている敵に情けをかけたとあっては、彼女のプライドにかかわる。そこに気づかれていないかと様子を探ったのだ。
「んあ?」
 カサンドラのそれは杞憂だったようだ。なぜなら、ミケランジェロもまた自分を殺せずに、仕込み刀の柄頭で偽物を気絶させたところだったからだ。
 ふっと、彼女と彼の視線が触れ合う。
 二人とも苦笑したのは、お互いの思考を悟ったからだ。
「この程度なら、何人来ても同じ」
「あぁ、まったくだ」
 矜持を取り戻すように声に力をこめる。
 カサンドラもミケランジェロも戦士だ。気持ちの切り替えは早い。己を殺す準備はできた。
 カサンドラは、右と左――両方から同時に打ち込まれる攻撃を見た。
 右の偽物は、針が届く前にこちらの針を腹部の急所に投げつける。左の偽物は――
 戦いの段取りを決めながら、このときカサンドラは今さらのようにあることに気づいた。
 きゅうっと唇の端がつりあがる。笑いのかたちだ。
 右の敵をあえて無視して、彼女は左へと向き直った。
「あははっ!」
 目の前の敵の脳天へ、喜々として針を打ち込む。即死し、千々のかけらとなって砕け散る偽物の――ミケランジェロ。
「こいつぁ、いいねぇ! 爽快な気分だよ!」
 ミケランジェロがすぐに気づいて絶句する。
「――てめっ?!」
 しかしすぐさま「ん?」と眉をひそめ、さらにはカサンドラにも負けず劣らずの愉快げな笑みを浮かべた。
「そいつぁ、名案だぜ!」
 仕込み刀が二度、三度と閃く。
 鏡の欠片となって儚く散華していくのは、すべてカサンドラの分身たちだ。
 なにも自分たちのコピーを自らの手で処分する必要はないのだ。ここに二人居るように、模造品も二種類あるのだから。
 普通なら偽物であろうと、仲間を手にかけることにも抵抗を覚えるだろう。だが、カサンドラとミケランジェロにとってはちょいと事情が違う。普段から犬猿の仲であり、機会があれば互いが互いに思い知らせたいと思っている間柄だ。
 ためらいなどあろうはずもなく、むしろ喜び勇んで敵を滅ぼす。
「しゃらくさいねぇ!」
 カサンドラの繊手が振られ、幾筋もの煌めきが四方へ飛び散る。
 そのすべてが確実に分身たちの急所を貫き、さらにはミケランジェロの姿をした者たちだけをターゲットにしているのだから、彼女の腕前の凄まじさがわかろうというものだ。
 ミケランジェロも負けてはいない。
「おっとっと」
 などとおどけつつ、自分の偽物の斬撃はのらりくらりとかわし、これまたカサンドラの偽物だけを一刀のもとに斬り捨てていく。剣の道に生きる求道者もかくやと思わせる太刀筋だ。
 迷いもなく。むしろ積もりつもった鬱憤を晴らすかのように。
 『神ノ手』と『芸術の神』は互いを討ち滅ぼし合うのだった。



 いったいどれほどの贋作どもを蹴散らしただろうか。
 たしかに一人のコピーが生まれるたびに鏡は一枚壊れる。つまり、一人を倒せば、鏡は確実に一枚減っていく計算だ。奴らも無尽蔵ではない。こうして虱潰しにしていけば、いずれ終わりが来るだろう。
 ところが、ここは『鏡の館』と呼ばれる場所であり、名は体を表すというが、それほどに据えられた鏡の枚数は多かった。
 カサンドラはもどかしさに歯咬みした。
 最初は楽しかったミケランジェロ退治も、これだけこなせばさすがに飽きてくる。もはや退屈な単純作業になりさがっていた。楽しみがなくなれば、あとは拷問のようなものだ。なにせ天敵とずっと顔を突き合わせていなくてはならないのだから。
 それはきっとミケランジェロもまた同じだったろう。動きに、精彩というか、やる気のようなものが感じられなくなってきている。
「……そろそろ飽きてきたところだし。一気に壊しちまおうかね」
 強がりでも冗談でもないつぶやきだ。彼女が本気になれば、一体ずつなどという地味な作業からはすぐに解放されるのだ。
 カサンドラは手にした針を朱唇にくわえると、精神を統一しだした。
 ミケランジェロも、彼女の変化に気づき、少しばかり距離をとる。
「何するつもりだ?」
 投げかけられた問いも無視して、カサンドラはさらに心を研ぎ澄ませる。
 全身を彩る百の刺青が、不可思議な光を放ちはじめた。『神ノ手』によって彫られた百匹の鬼たちは、それぞれに実体を有している。ピエロを倒す際に、彼女は鎌鼬を解き放った。今回は百鬼すべてを解放しようというのだ。
「さぁ、思う存分暴れな!」
 カサンドラの全身が神々しいばかりの光芒を纏い、現れたのは百の化け物たち。
 翼竜、九尾狐、グリフォン、ケンタウロス、火炎車、鬼火、般若、大蛇、コカトリス、ガルダ、ヤタガラス、夜行、ケツァルコアトル、鎌鼬、犬神、鳳凰、麒麟、がしゃどくろ、鵺、管狐、ケルピー、女郎蜘蛛、雷獣、牛頭――
 恐ろしくも禍々しい悪鬼羅刹のたぐいが、百鬼夜行絵図さながらに跳梁跋扈する。
 もはやミケランジェロだろうがカサンドラだろうが見境なしだ。
 喰い千切り、斬り裂き、圧し潰し、薙ぎ倒す。
「こいつぁ、スゲーな」
 本物のミケランジェロが避難するようにカサンドラに寄ってきた。
 嘘偽りのない称賛の声音に、カサンドラは少々当惑しつつ、その豊かな胸を張った。
「伊達や酔狂で『神ノ手』なんて名乗っちゃいないよ」
 ところが、事態は彼女が思っていた以上に面倒だった。百の鬼たちが、次々と鏡の化身を瞬殺しているにもかかわらず、一向に数が減る気配がないのだ。
「まさか展開の都合上、無限に現れるってわけじゃないだろうね」
 たとえば映画の脚本や設定にそのように書かれていたらおしまいだ。今までの作業はすべて無為徒労だったことになる。
「そういうわけでもなさそうだぜ。明らかに迷路が崩れてきてやがる」
 鏡はこの迷宮の壁面でもある。それらが減っていくということは、迷宮自体が崩壊していくということだ。たしかに、最初は手狭だった彼女らの周囲も、いまや百鬼が暴れ回れるほどに広がっている。
「ただ、外から見たとき、二階まであったからなぁ」
 カサンドラも思い出していた。この『鏡の館』は外見からして二階建てだった。すると、上階も同じような鏡の通路であり、そこからも模造品どもが湧いてきているのだとしたら、見た目以上に奴らは存在することになる。
 十中八九このままでも鏡の精どもを駆逐できるだろう。ただし、それには時間がかかる。カサンドラからすれば気の遠くなるほどの時間が。
「ややこしい依頼を受けちまったもんだよ」
 腕組みする彼女の隣で、ミケランジェロが一歩前に出た。彼はいつの間にやら絵筆を手にしている。
 カサンドラは訝しげに柳眉をひそめた。ミケランジェロの意図がつかめなかったのだ。
「俺も……かったるいのは嫌いだ」
 筆先は黒の絵の具にひたしてある。
 しゅっと筆が踊った。
 ボディペインティングの要領で、自身に模様を施していく。
 こちらが本業であるので当然かもしれなかったが、刀さばきよりも速く正確だった。
「あんた……そいつは……」
 カサンドラは目を丸くするしかない。
 ミケランジェロの全身に刻まれた文様は、見まごうことなく彼女と瓜二つの百鬼だった。服のうえからだというのに、違和感がないのは、魔法の効果なのかもしれない。
 ただひとつ、異なっているのは色だけ。カサンドラの銀に対して、ミケランジェロの黒。
 あの人が――先代の『神ノ手』が幾夜の時を経て刻み込んだ百の想いを、この芸術の神はほんの数秒で刻み込んでしまった。
 あまりの驚愕に、カサンドラは立ちすくむしかない。
 しかも、あろうことか――
「百で無理なら……二百は如何だ?」
 事も無げに言い放ったのだ。この男は。
 その言葉の意味するところは……考えるまでもない。
 ミケランジェロの全身が神々しいばかりの光芒を纏い、現れたのは百の化け物たち。
 翼竜、九尾狐、グリフォン、ケンタウロス、火炎車、鬼火、般若、大蛇、コカトリス、ガルダ、ヤタガラス、夜行、ケツァルコアトル、鎌鼬、犬神、鳳凰、麒麟、がしゃどくろ、鵺、管狐、ケルピー、女郎蜘蛛、雷獣、牛頭――
 色以外は、まるで同じだ。黒い百鬼夜行。
 カサンドラはその一瞬、芸術の神の背に、焼けただれた翼を見たような気がして、目をしばたたいた。
 単純に数が二倍に増えたことにより、時間は半分に短縮される。いや、それ以上の効果を弐百鬼はもたらしたようだった。相乗効果というやつだ。
 銀の鬼火が炎を放てば、黒の鬼火も炎を放ち、火勢は数倍にふくれあがる。
 黒の雷獣が稲妻を落とせば、銀の雷獣も稲妻を落とし、雷鳴は数倍に高まる。
 見る見るうちに『鏡の館』はその名の意義を失っていった。
 そして、その時が訪れる。
 すべての鏡を叩き割られたハザードは、まるで初めから無かったもののように、その存在を薄れさせはじめた。
「おい」
 カサンドラはもはや驚くよりも呆れ果てていた。この世の中に、これほどでたらめで、これほど凄まじいチカラが在ってよいものか、と。
「おい」
 『神ノ手』とはよく言ったもので、このチカラに比べれば、なるほど彼女のチカラは『手』でしかないだろう。
「おい」
 この男は『神ソノモノ』なのだ。
 カサンドラは先代とのつながりをも否定されたような気がして、嫉妬のあまり気が狂いそうになった。
「おい! 刺青女!」
「あたしはそんな名じゃないよ!」
 反射的に言い返す。
 ミケランジェロは面食らったようにあとじさった。
「……俺たちの仕事は終わったみたいだぜ。さっさとここを出よう」
 額に冷や汗をかいているのは、カサンドラの迫力に気圧されたからかもしれない。
 カサンドラはそんなミケランジェロを見て、ふいに肩の力が抜け、なんとなくため息が出た。この男がいくら神であろうと、いくら強大なチカラを持っていようと、この男はこの男なのだ。なにも変わりはしない。
「やっぱりあたしは、あんたが気にくわないよ」
 カサンドラはきっぱり言い切った。
「だから、それは俺も同じだ」
 ミケランジェロは今更何をと言わんばかりに言い返した。言うだけ言ってさっさときびすを返す。
 カサンドラはあとを追おうとして……やめた。あの笑い声が聞こえたからだ。
 振り返ると、ほとんど消え去ってしまった『鏡の館』の輪郭の中に、あの道化師の首が転がっている。
「サァサァ、みなさんお立ち会い。今宵も始まる素敵なショウ。オニィさんもオネェさんもお爺ちゃんもお婆ちゃんも、みんなみんな寄っといデ」
 カサンドラは静かに歩み寄ると、ピエロの首を見下ろした。
 満月を背景に妖艶な笑みを浮かべる女。
 黄金色の光に青白く浮かび上がる百の鬼。
 沈黙する真円、つぶやく『神ノ手』。
「あたしはね――」
 すっと足の裏を道化師の顔に乗せた。
「――最初にあんたを見たときから、こうしたかったのさ」
 一気にチカラをこめる。
 ぱすん。
 風船が割れたほどの衝撃もなく、生首は破裂した。
 何事もなかったかのように、場を静寂が支配する。ムービーハザード『鏡の館』は完全に消滅したのだ。
 さらに振り向くと、ミケランジェロの背中はだいぶ小さくなっている。
 道化師にぶつけたはずの激情は消えていない。
 おそらくこれはミケランジェロに対する怒りだ。カサンドラは自分自身に苛立っているという可能性を、つとめて排除するように、自らに言い聞かせるのだった。

クリエイターコメント今回はオファーありがとうございました。

お二人の関係。こんな感じかなぁと自分なりの解釈をもとに描かせてもらいました。
もしイメージと大きく食い違う部分がありましたら、遠慮無くご連絡ください。

また鏡の設定をオファーから一部変更しています。こちらの方がよりエキサイティングかと思った次第です。ご了承ください。
公開日時2009-06-02(火) 19:10
感想メールはこちらから