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<ノベル>
落ち込んだり、寂しくなったり、不安だったり。そんな時、人は無意識に膝を抱えてしまう事がある。母の胎内にいた、穏やかで安らかな時間を求めるように。
草木も眠る丑三つ時、と呼ぶには違和感を覚えるダウンタウン。人通りは少なくなったとはいえ、24時間営業のコンビニやファミレス、深夜営業のカラオケやスナック、果てには寿司屋だのケーキ屋だのまでが通りを昼以上に明るく賑やかに彩っていた。
「いや、起きているのは人ばかりか」
レンハルト・ローゼンベルガーはポツリと独りごちて夜の雑踏を抜けた。
一本路地を折れる。途端に夜の闇に静けさが横たわり街の喧騒は瞬く間に遠い世界のものとなった。ビルの谷間。街灯もまばらでさすがに人の姿もない。もしこんな道を通る者があるとすれば、それは少なからず脛に傷持つ奴に相違あるまい―――とすると、自分もその仲間に加わるのか。レオンハルトは内心で舌を出す。前言撤回。
暫く道を進むと申し訳程度に照らしていた街灯がチカチカと明滅して消えた。街灯の傍らには凍えた冷気が漂っている。まるで冷凍室を開けた時のような冷たい空気がふわりと香るようにレオンハルトを包みこんだ。
三日月のもたらす月明かりを頼りに道を進む。
心のどこかで引き返せと警告音。我ながら不思議なほど後ろ向き。違う。“ヤツ”のロケーションエリアに入ったのだ。別段装いが変わったり、街並みが変わったりはしない。ただ、何となく、ここにいてはいけないような気分にさせられる。無意識下に働くそれが人を遠ざけているのだろう。だから目撃者が存在しない。
だが明確な意思を持って会いにきた者、意識して会いに来た者を遠ざけるほどの力はないようだ。
レオンハルトはロケーションエリアの中心を目指した。そこに“ヤツ”がいる。
レオンハルトが銀幕警察署より銀幕市内で殺人を繰り返す超能力犯罪者を追うよう協力を求められたのは、数日前の事だった。犯人は特定されていない。ただ、遺体の状態や犯行の状況からヴィランズによる犯行である事は明らかと思われた。
『人』が犯した犯罪であれば『人』が解決すべきである。安易に楽な手段を選ぶ事は『人』の中に腐敗を招き入れる事になる。だが、時に『人』の手に余る犯罪も存在する。
レオンハルトは被害者の霊に話を聞き、そこから犯人の出身映画を割り出した。女性ばかりを狙った猟奇殺人。犯行の手口も状況も映画のそれと酷似。
この時間。犯人が襲うのは決まって―――。
レオンハルトはふと足を止めた。そこに女が倒れている。赤いコートに髪の長い女。血は流れていない。微かに胸元が上下している。まだ息がある。
女の傍らに子どもが立っていた。まだ小学校にあがるかあがらないかくらいの小さな子どもである。碧眼にこげ茶の巻き毛。愛らしい顔立ちのあどけない少年。けれど、その手には不釣合いな裁ちばさみ。
「おじさん、だれ?」
きょとんとした顔で舌足らずに少年が尋ねた。
レオンハルトは無表情を湛えて答える。
「死神」
少年はそれに怖気づいた風もなく。
「ふーん」
「君は何をしているのかね?」
「ママ……」
そう呟いて、少年はふと何事か思い出したように傍らの女を振り返った。にこやかな笑顔で。
「ママ!!」
歓喜の声。そうして手に持っていた裁ちばさみを振り上げる。
「!?」
レオンハルトは咄嗟に少年の手を掴んだ。
「さむいよママ……さむいよ……」
少年が呟くと辺りは更に冷気を増した。白息に少年の声が低く淀む。
「おじさん…じゃまするの?」
その声に反射的にレオンハルトは手を離していた。
刹那、少年を中心に何かが爆ぜた。
レオンハルトは倒れて気を失っている女性を庇うように覆いかぶさった。少年を中心に巻き上がる乱気流、或いは小さな竜巻。その風圧に押し飛ばされそうになりながら風が止むのを待った。先にこの女性を安全場所へ退避させた方がよさそうだ。
少年の力。サイコキネシスというよりエアーPK。やはり、か。ならば次にくる攻撃は―――。
レオンハルトは女性を抱えるようにして立ち上がると同時に後方へ飛んだ。
彼のいたコンクリートの地面に鋭利な刃物で切り裂かれたような亀裂が走る。かまいたち。
―――来る。
直感だけで駆ける。建設途中の剥き出しの鉄骨まで容赦なく切り裂く威力。当たったらひとたまりもない。
「ママをかえせ!」
大気の大鎌がレオンハルトに向けて放たれた。設定通り。ならば既に降霊済みだ。エアーマスターの能力を持つ霊の力。
「残念だが、彼女は君のママではない」
レオンハルトは開いた手で風を凪いだ。切り裂くように放たれたそれが少年の大気の大鎌を相殺する。
「!?」
少年が地団駄を踏んだ。思い通りにならなくて癇癪を起こした子ども。闇雲に振り回される腕から、四方八方にかまいたちが飛び散った。
レオンハルトはずれたフレームレス眼鏡を無造作に指でなおすと、赤い目を冷ややかに細めた。
子どもらしく直情的でまっすぐ。どんなに巨大な力を秘めていようと下手な策を打って来ない分、御しやすい。
風にのって飛び立つ少年にレオンハルトは女性を抱えたまま後方のビルへ駆けた。それと同時に、風の塊をまるでボールを下から投げるような仕草で放り投げる。その先にあるのは建設途中の現場の片隅に置かれたコンクリート用の砂山。それが粉塵のように舞い上がる。煙幕。
それも風を操る少年には効果は一瞬。だが、その一瞬の目晦ましに意味がある。
空から獲物めがけて飛翔する鷹のように、レオンハルト目掛けて滑翔する少年を迎え撃つ彼の手に最早女性の姿はない。
少年の手がレオンハルトに伸ばされた。彼の頭を掴むように。
少年に向かって掲げられるレオンハルトの手。真っ直ぐに。大気のバリア。自分にではなく少年の内側に向けて。
「捕まえた」
呟き。どちらのものか。
「さあ、懺悔の時間だ」
刹那。少年の動きが止まる。
頬をポツリと濡らすもの。少年が誘われるように見上げた空。
「あめ……」
夜の帳にとけた黒絹のカーテン。雨に沈むのは先ほどまで広がっていた街の景色ではなく、大河。底が見えないのも、向こう岸が見えないのも降りしきる雨のせいか。
レオンハルトのロケーションエリア。
「聞こえるかね? 君が殺めた者達の声が」
その言葉を合図に何人もの女性が川を渡り、少年の元へ舞い降りた。レオンハルトは静かに瞑目する。
それは少年が殺めてきた女たちだった。その怨嗟、彼女らの苦悶の声が少年を包み込む。
少年に切り裂かれた内蔵を引き摺りながら、少年の体にしがみつき、腕を掴み、髪を引っ張り。襲い来る女たちは霊であるが故に風では退けられない。
「あ…あ…あああああああああああ!!」
少年の絶叫。
伸ばされる怨念のこもった女たちの、腕、腕、腕……。夢にまで現れ、毎夜魘されそうなおぞましいリアル。
「あああ!! や…やだ……いたいよ…やだよ…たすけてママ!! たすけて!!」
涙混じりの少年の声。耐え難い苦痛。
「助けて……」
悲鳴の合間に漏れ聞こえる啜り泣き。
繰り広げられる阿鼻叫喚の地獄絵図。それは筆舌に尽くしがたい修羅であったろう。
「お願い……助けて」
少年の声にレオンハルトはゆっくりと目を開けた。
善悪もわからない幼児だったが、それでもこの世には赦される事と赦されない事があると、身に染みただろうか。
―――更正の余地は?
その答えを知りながらレオンハルトは広げていた手をゆっくりと閉じた。展開していた彼のロケーションエリアが収束していく。
荒い息を吐いて蹲り、帰りたい、帰りたい、還りたいと膝を抱える少年。それを一瞥してレオンハルトは踵を返した。
「……やさしいね、おじさん」
そんな少年の呟きがレオンハルトまで届いたかどうか。
風にのって一息にレオンハルトとの間合いを詰めた少年が腕を振り上げる。彼の背に向けて放たれる大気の大鎌。
レオンハルトはそれを鷹揚に振り返った。
既に、彼の拳銃は抜き放たれている。
銃口は少年の額にピタリと合わされていた。
この至近距離だ。
銃弾は少年の額に孔を穿つだけでは留まらず、その首から上を粉砕していた。
飛び散る血肉を躱ように後方へ退く。
「還りたまえ。己のあるべき場所へ」
『母胎回帰願望』
帰りたい、帰りたい、還りたい。
自らの御せぬ力で母の体を切り裂き生まれてきた子ども。母のぬくもりを求めて、帰りたい一念だけで女の腹を切り裂き内臓を取り出し、その中で眠る。
やがてぬくもりのなくなった“かつて母だったもの”を処分する、哀しき殺人鬼。
だが同情には値しない。
足下に一巻のフィルムが転がった。
感慨はなく。
ビルに逃がした女性はその内目を覚まして帰路につくだろう。
レオンハルトはプレミアフィルムを無造作に拾いあげると、ゆったりとした足取りでその場を後にした。
どこからともなく吹き付けた暖かな風が、凍えた冷気を吹き飛ばすように、彼のブロンドの髪を撫でつけ、夜のダウンタウンを駆け抜けていった。
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クリエイターコメント | オファーありがとうございました。 その節はありえないミスでお手数をおかけして申し訳ありません。
楽しんで書かせていただきました。 イメージを壊していない事を祈りつつ。
また、会える日を楽しみに。 |
公開日時 | 2009-03-24(火) 19:30 |
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