★ 嘆きの川にて世を嘲り ★
クリエイター唄(wped6501)
管理番号144-3634 オファー日2008-06-26(木) 00:37
オファーPC ミケランジェロ(cuez2834) ムービースター 男 29歳 掃除屋
ゲストPC1 ムジカ・サクラ(ccfr5279) エキストラ 男 36歳 アーティスト
<ノベル>

1.第一の円或いは第二の円

 名画と言われる絵画は何を経て生まれるものか。つい先日、銀幕ロマネスクという名も新しい出版社から新刊が発売されていた。
 タイトルは『世界の名画』どの世界のどの地域にも必ず一冊はある本の題名は、国外のとある出版社が元々少ない経費を落とし、無理にこの市へ刊行したものである。
 内容ですらありきたりの、現代美術がさして上手くもない写真家によって撮られ、豪華評論家と称した一般人にも近い人物達がそれらの作品にある鑑賞すべき所を長い御託を並べながら解説する。だが全くもって売れる要素の無いその本の、辛口評論と称されながらも載る一人の人物に焦点を当ててみよう。

『つうかこの絵エロくね? 造形美なんてよく言うぜったく描いた奴ぁ裸婦みたさってトコだろ? 駄作だ駄作何点数つけろだ? 無理だね描いた奴の顔めっちゃみてみてぇ』
 いくら乱雑な作りの内容とはいえ、彼――ムジカ・サクラほど、これから数世紀に渡るであろう美術界に残る名作をコケにした人間は居ないだろう。この調子でほぼ全ての作品を語りつくした男は次の作品にこう言葉を残している。
『こいつか、悪かぁねぇな馬鹿だがな。 ああこっちの話だ名画っつーより遺作だろうなぁっくくくく笑うトコじゃねぇ? あー悪い悪いところでパフェ食ってからまたな』
 対談式に書かれた記事内容。ムジカがそう言いながらパフェを食べるシーンまでが短文で載せられ、その最中に別の評論家達が賛美の声を上げる。数行それが続いた後。
『遺作は大人気だねぇ俺は嫌いだがな。 おい黙るなよそこ!』
 散々他の作品に悪態をついてきたムジカに評論家達の反応が無言として表現され。

『くたばって大人気になれるんならあれだ、この世の芸術家はくたばっちまえばいいって話だよなァ。 近代美術の大バーゲンだぜ? やってらんねぇ! ……あー、パフェ追加チョコはさっきの三割り増しでな』

 『世界の名画』には初期ページに全て評論家の名前が載っており、名前は勿論、対談で各々が発言する内容の総称。そして彼らの職業までがはっきりと記載されていた。

 ムジカ・サクラ。齢三十六歳。アーティスト。
 数々の芸術作品を手がける『現代の生きる芸術、その一部』数多の名を使う、その行動は奇妙にも奇怪。本記事でもその辛口にして奇抜、新鋭のアーティスト達を鼻で笑うその口ぶりすらまさに芸術である。


2.第三の円

 ここ数年、喫煙者に対しての規制が厳しくなりつつある。やれ肺癌だの、やれ吸っていない者にも有害だの、最後には全館禁煙というプレートと喫煙はこちらで、と掲げられているガラス張りの部屋まで出来たのだから。
 暇つぶしに来てもガラス越しに見えるものは『サイモン・ヘクター最期の記念展』抽象絵画が切り出されたポスターのみであった。
 ミケランジェロが察するにポスターに使われた絵は喜びを表現したものだろう。色彩鮮やかなキャンバスに数人の男とも女ともつかぬリアリティよりは人の形だけをした姿が描き出されている。
「解せねぇ……」
 ツナギのポケットからライターを取り出し、その蓋を何度も開け閉めする。
 煙草には既に火がついており、時折口で揺らせては灰を落とした。常日頃持ち歩いているモップも汚いながらに肩にかけられ、腰に巻かれた画材道具一式が徹底的に汚れているという事実が更に、ミケランジェロという男をこの銀幕市近代美術館の黒い点として際立たせていた。

 広葉樹が立ち並び、白亜の城とも見えるこの建物に数ヶ月前、自分は壁画を創作した。半ばアクシデントにも近い創作ではあったがミケランジェロ自身としては自分が生んだ作品の一つとして、暇という名のサボりを繰り返しながらもこうやってその顔を眺めに来ているのである。
(禁煙、禁煙……ったァく、たまにゃ喫煙デーでも作れってんだ)
 何度も足を運んでいるのはいいが、ここ数週間。煙草を吸っている所を見つけられた途端、職員から喫煙所に案内されているのもまた事実。こればかりは吸わなければいい、という問題ではなく、一服終えてから美術館を回るのが定番となってきた。
「見る価値あるんだろうな」
 手元には一冊のパンフレット。目の前にある『サイモン・ヘクター最期の記念展』に展示された数作品が簡素に載っているこの紙束は、美術館入り口に『世界の名画』なる本と一緒に置いてあった無料のチラシである。
 もう一冊『世界の名画』に関して、表紙に載っていた作品があまりに幼稚である事、何処にでもありそうな題名である事。更には有料の一冊、そんな理由からミケランジェロは手にも取らずにここまで来ていた。

 サイモン・ヘクター。この絵画展でメインを飾る画家にして天才、更には故人であるという理由から主には海外で脚光を浴び、ここ銀幕市で蒐集家の好意もあり命日に記念展を開くに至っているらしい。
 美術館床に描いた自身の作品、ないし単なる時間潰しにこの場所へ来る者としては毎回展示品が変わるのは良い事だが、当たり外れがあるのもまた然り。
 ただ、この記念展はただ一瞬、己の紫色がポスター一つ、パンフレット一つを視界に入れる度に何処か懐かしいような、けれど敵意すら覚える感情に半ば導かれるようにしてミケランジェロにしては珍しく、配布物にまで手を出して来てしまったのだから、これは期待して良いのだろうか。
(ま、外れる時は外れるだろうな)
 煙草を押し付け、パンフレットを画材道具の中へ押し込む。
 何かと文句を言いつつもサイモン・ヘクターという人物にミケランジェロは期待していた。
 ムービースターではない、ただの人間が自分の心を揺るがす絵画を生み出したという事実に、そしてポスターに使われた絵の何処か絶望すら思わせる『人ではない何か』が奏でる狂喜の旋律に。

 展示品は主に抽象画が多かった。
 人の感情を表したもの、それがただの果物であったり生物の一種類であったりに至るまで、様々な形を崩し、再形成されたような世界。それがサイモン・ヘクターの世界らしい。絵画もあれば、まれに彫刻も織り交ぜた近代美術と言うにはまさに相応しい。全ての作品が全く違う持ち味を奏でながらも、こうして展示されている所を見ると元々は一つの作品ではないのだろうか、そんな錯覚すら覚える。
 何より、芸術家というカテゴリが旧時代の工房化――芸術家一人が居たとして、それに続く弟子達が作品を仕上げる事も多かった――とは違い、現在では一人の描き手によって生み出されるものだから似た失敗作の一つや二つあるだろう。しかし。
「化け物だな、こりゃあ」
 作品がまばらであれば工房化のそれかとミケランジェロは笑うだろう。失敗作の一つを見つけても口元を緩めながら、矢張り人間なのだと肩を浮かせるようにして帰るだろう。というのに、いくつもの展示品を見た最後に飾られた絵画はまさにサイモン・ヘクターという人物がその場で焼け死んでいく様を描いたような。

「地獄、か」

 人が死に逝くその時に、何を見るのかミケランジェロは興味が無い。知っていたとしても自分はその光景を感じ取れる感性の全てで受け止め、描くのだから。
 結果、その『描いた』作品はこの美術館で今も人の目に見えるよう門を閉じたまま佇んでいる。
 一言で言うなら妙な気分だった。地獄に焼かれる人間か、生き物の形を象ったかすらも分からない。影すら黒に近い赤で塗りたくられ、塗料が盛り上がっても見える。肉を切り取り貼り付けたと言われても不思議ではない、もしも普通の人間ならば吐き気すらもよおしかねないこの絵画が、けれど神々しくすら見えるのはひとえに、中央に佇む女の表情に安堵するからだろう。

「女は今まで様々なモチーフとして描かれてきたなぁ。 エバに始まってマリアヴィーナス母の日にゃ日本中が女の顔で溢れかえってやがるどうだ分かるか?」
「母の日はしらねぇな」

 自分の背後に人が居る。淀みなく水が流れ出でるように言葉を紡ぐ男の声は少し枯れていて、どこか聴いた事のある声色だった。
 何をしているのか、自分に何が言いたいのか。ミケランジェロは言葉にするより先に、母の日について答えただけだった。矢張り、己には人間の行事などを完全に理解するという事柄が欠けているようだ。最近は少しづつ、全てを受け入れる事は出来ても。
「そうか知らねぇかそりゃ良かった。 女はいわば死だ生きて死ぬ生まれ出でるという事実は女にあり死は女が連れてくる、再生と死なんつーモンじゃねェ生まれると死ぬだ。 なァ?」
 親切に解説をしてくれているとも思えずに、ミケランジェロはただその男の声に耳を傾ける。
 あえて後ろは見ない、背筋を這いずるような視線と鞘に収まった刀が今まさに抜かれんとする、殺気すらも感じられる瞬間に、丸くなった背中を左右、どちらにでも転じられるよう身構えた。

「さて今日俺の食ったチョコレートは何になるとお前は思う? あ?」
 男の指先が展示品解説欄を叩く。
 それはサイモン・ヘクターがこの絵画を死に際に描き、画廊にて息絶えたという痛ましくも、芸術界に残る勇ましさを讃えた記事であった。
 描けぬというならば息をしている意味がない、生前の画家はそう口にして、本当の最期に今世紀に残る作品を残し逝ったのである。
「血だな、それはお前の血になる」
「そうだ正解俺の血だ肉にも流れるチョコレートがだすげぇだろおいなぁ。 こいつの食ったパンもこいつの血となり肉となるそして最後にゃこの絵画になるわけだわかるか」
「……さぁな」
 それは理解出来ない。と、視界をずらせば後ろの男の姿が解説欄のガラスに映る。真紅の頭髪にサングラス、スーツ姿だが着崩していてどこか掴めない笑みを浮かべているのが分かった。
「イエスかノーは言うべきだと思うがなぁ、そうだこいつもよく曖昧な依頼ばっかり持って来やがるから俺も結構苦労したんだぜケーキ食いながら描くなんてありえねぇだ……」
「おい」
「あァ? なんだ折角俺が喋ってやってんだ聞いと――」
 町中に流れる音楽のように言葉を口ずさむ音色だと思った。背中に張り付く相手の気配にミケランジェロの息は次第に苦しくなってくる。もう消えてほしい、居なくなって欲しい。次に口にするならそんな言葉だろうと、口を開きかけ。

「そうだな俺がわるかった喋りすぎちまった、とりあえずおまえもこいつもな――俺の作品分かるだろ」

 がりり。そんな擬音が鳴って出そうな笑みが、男の口元に浮かんだ。
 逃げなくてはいけない、精神と感情がミケランジェロの全てに訴えかけてくる。死なない、死ねない身体をもってしても人間の感情は恐ろしい。何より作品群に危害を加えるわけにはいかない。例えそれが、相手の言う通りサイモン・ヘクターの作品ではなく、赤髪の男が描いた物であったとしても。
「ッ! おま……」
 モップを軸に背中を翻そうとし、腰に違和感を覚えた。尾てい骨に押し付けられている、この冷たい鉛の感触は紛れも無く銃口だ。

「感性の地獄ってェやつァ堪能したろうなぁ今度は見てみねェか、現世の地獄ってやつをよ」

 自分の身体に心臓があって、動いている。それを実感出来る一瞬だった。当たった銃口から逃げるように身体をスライドさせると、絵画には当たらないものの解説を書いた立て札は盛大な音を立て美術館の中央から端へと弾け飛ぶ。
「見たくねぇ、な! そんなもん!」
 時計のような鈍い心音が自分から聞こえた。
 ミケランジェロが男へ振り返り、相手の側を通り過ぎようとしたその時、確かに相手は自分に視線を合わせ、歪ませた唇を広げながら、実験用のモルモットが必死に抵抗する様を見るように首を前へと突き出してきたのだから。

(くっそ、どんだけ奇天烈なゴーストライターだッ!)

 ミケランジェロは止まらなかった。逃げる足も、吐き出す息も、足音となって美術館を後にする。
 広葉樹の並木道が悪魔の手になったような気がする、一斉にこちらへ手を伸ばし、今にも身体の自由を奪っていってしまいそうな程広がる視界。
「待てよ待てって俺が言ってんだろうがァ! いやぁお前愉快だねェ前よりずっと愉快だぜ!!」
 背後の大げさな足音は驚いた事に、自分と同じ速度でぴったりと後をつけてきている。
 前とはいつの事だろうか、分からない。もっとも理解する時間すら、今のミケランジェロには無いのだ、腰にぶら下げた画材が大きな音を立てる度、足のバランスを崩さんばかりに大きく、前へ進む。
「ッ、くそ……。 おまえみてぇな奇天烈におっかけられて待つ馬鹿が居るわけねぇだろうが!」
「奇天烈、キテレツねェあぁそんな言い方もあンのかそりゃ嬉しいねェ。 あ、そっちあんまり走らねェ方がいいぜぇ?」
 赤髪の男は炎のように声を荒げ、至極楽しそうにミケランジェロを追っていた。一切の息を切らせずに紡がれる流れを聞き逃すのは容易く、いつの間にか美術館を出て通りに来てしまったのだと、車道を走るいつもの光景に足を踏み出しそうになり、あと一歩の所で踏みとどまった。
「くくく、ちぇーぇ」
「こんの、やろ……ッ」
 自分の言葉を無視すると知って赤髪の男は『走るな』と言ったのだろう。背後からは相変わらずテンションの高い子供が悪戯に失敗して発するような、そんな音を出しながら着実に相手は距離を縮めてきている。

「おーい兄ちゃん! 車道に飛び込むんじゃねーぞー! 危ないからなぁ」
 ミケランジェロが歩道から飛び出そうとしたのを見て、一台のダンプカーから男が顔を出し、手を振ってきた。
「今はそれ所じゃねぇ!」
 当然、口先だけで交わすものだから「なんなんだ、あいつは」そう、また別の方向へ走り出した自分へ向けて声を投げつけるのも聞こえる。
 自分の足はこんなにも遅かっただろうか、相手の銃はこの大通りで誰の目にもとまらないのだろうか。
 次から次へと浮かんでは消える疑問は視界に映る景色と同じように、ミケランジェロが走る速度と共に置いてゆかれる。
「魔法の町ってェのはいいもんだなァ、得物もってようがしったこっちゃねェらしいぜ? ははははは!!」
 まるで今考えている事を見透かしたような、声。
「ちッ……」
 反論は許されない、人通りが多いと見た場所を避けながらミケランジェロは足が棒切れになるまで走り続けた。次第に狭まっていく視界に、ここが広場から遠く離れた路地裏である、そんな事実に安堵し口の端を緩めた途端、肩に火が当たるのを感じた。

 ぐちゃり。べち、っ。

 銃声など聞き取る余裕など無かった。たん、たんと後ろからは男の足音が聞こえてくる。同時に自分の右肩からは真紅の水が溢れて、黒いツナギに濡れた染みを作っていく。
「ぐ……うっ、くそ……――!」
「なんだまだ元気じゃねェか結構。 ああ白い服でも着ててくれりゃあ映えるのになぁ知ってたか?」
「は……、白には赤が映えるから……なァ」
 路地の壁に背中を預け、ミケランジェロは初めて赤髪の男と向き合った。相手の眼光を睨み返すと憎悪にも、また芸術家が作品を見る瞳にも似た眼を細め、不機嫌そうに首を左右に振り、もう一度。

 がちっ。

 くず折れるとは多分こういう事を言うのだろう。容赦無い弾丸は次にミケランジェロの膝を撃ち抜く。
 声の出ない感覚に見上げた視線が地べたに落ちた。モップが、音を立てて地面に転がる。
「生ぬるいなァ立てよああ立てねぇのか、やわだねェ。 そうだおまえ今朝何食ったよ? 朝飯ぬいてんじゃねェだろうな」
「さ、さァ……」
 お前には関係が無い。そう言葉にするより先に今度は腹に炎が投げ込まれる。足音は次第に近づいて、赤髪の男は腹を折って蹲るミケランジェロのすぐ近くまで距離を縮めていた。
「今流れてんのはおまえの今朝食ったモンだろうがちゃんと覚えとけよなァ。 あぁもしかして昨日の晩飯だったかもしれねェなぁ。 どうよ朱とは血の色だ美しいよなァおまえの血はこ汚ねェなァ」
 ミケランジェロから言葉は吐き出される事が無い。胃から這い上がってくる血液が喉を割り、ツナギと同じような漆黒のコンクリートへと飛び散る。
 流れは平らではない地面へ落ち、赤い水は次第に斜めを描いて排水溝へと落ちていく。

「お、おたが……さ、じゃ……」

 一度大きな痛みを越してしまえばどんどんと痛覚は麻痺をしていく、地べたを這いずった視線をもう一度、男へと向けるとミケランジェロはここ数十分、もしかしたら数分かもしれない、起こった出来事全てが馬鹿らしいとでも言うかのように肩を震わせた。
「お互い様かそんなわけねェだろボケ、おまえと同じでたまるか俺はチョコレートとパフェとシガレットで出来てんだぞコラ」
 容赦無く背中へと、男は靴裏でミケランジェロを踏みつけてくる。
 そうだ、この赤髪にサングラスの男は自分に一番近い所に居るのだとミケランジェロは本能で完全に理解した。
 身体の細胞が静かに死を迎え、再生していく間、狂気を孕んだ赤髪の男は鈍い黄金に輝く銃のトリガーを引きながら何度も自分の背中を、首筋を踏みつけては流れた血へと言葉を吐きかける。
「最期の言葉ってェのはなんでも傑作になるもんだよなァ、でもくたばっちまう寸前になァにも言いやがらねェ奴も居るんだぜもったいねェそう思うだろ? 俺なら――」
 きっとサイモン・ヘクターもこの相手と同じ場所で衣食を共にし、最後にはゴーストライターへ傑作を書かせるという大役を任せ事故か故意か、死んでいったのだ。
 後世へ名を残す代わりに差し出した命、それが名画を残した画家だったのだろう。
 今この男が紡ぐ言葉は何処か哀愁めいていて、銃弾で負傷した全ての傷が癒えて数秒、ミケランジェロは相手の言葉を聞き続けついに仕込み刀、ならぬ仕込みモップへと手を伸ばした。

「それで何が出来るってンだおまえよく考えろろくすっぽ動けやしねェじゃねぇか、俺がまた鉛でもぶち込めばそれだけロスタイムがあるそうじゃねェのかなぁどうよ」

 背中、首と踏みにじっていた足が頬に当たり、身体が大きく横倒しになる。
(俺を知ってる、か……あぁ、知ってて当然だな)
 死という概念を持たずに生き続ける。それがミケランジェロだ。
 そして、目の前の男は自分と対にしてまた、全く違う、そんな存在。ならばどうすれば良いだろう、路地に流れる血の跡は異常なまでに達し、モップを掴んだ手袋は白という色を既に失っていて。

「……じご、く」

「ああ地獄だ最悪だおまえなんか見るだけで腹が立ちやがる、なんだ地獄はこれからじゃねェのか」
 震える喉はまるで自分が恐怖に怯えているようにも聞こえ、赤髪の男は一度言葉の旋律を止めるとミケランジェロに至極、真面目な口調でそう言った。
「形創る者にとっての地獄おまえにゃ分からねぇだろそうだろだが甘い、現世を知らねぇおまえに俺は越えられねェ」
 男の言う言葉は果たして力量差という事なのだろうか、それは分からない。ただ、煉獄から這い上がろうともがく亡者のように、ミケランジェロはモップを手にし、コンクリート上をたどたどしく歩く。
(越えられねぇ……越えられねぇのか……――誰がだ?)
 心の中で復唱しながら、自らの血を染みこませたモップは更にその中で一枚の作品を仕上げてゆく。地獄、赤い髪の男が描いたサイモン・ヘクターの絵画もそんな一枚であった。
 作者だという赤髪の男に血と肉と言わしめたあの絵画。今、ミケランジェロは地獄ではない、次の舞台を描こうとしていた。
 炎の中で泣き叫ぶ人間の姿、たが頭上に光るそれは、天の光。――すなわち救いである。

「煉獄……山頂の、地上楽園じゃねェか――」

 時計の秒針が止まるかの如く。今まで口を動かしていた男はミケランジェロの方陣を見るなり口を閉ざし、辺りには楽園から出でる光が満ちた。
 目も眩む程の光の波、ミケランジェロは黒いツナギの袖で目を覆い、微動だにしない赤髪の男の背後をとった。相手の後ろに立ってみれば分かる、自分より少しだけ背が小さい。人間であるという事。
「そろそろ黙りやがれ、色メガネ」
 筆代わりに使っていたモップから刀身を引き抜き、相手の首筋に突きつける。

 かりっ。

 一瞬、何が起こったのか分からずに今度はミケランジェロが口を閉ざした。
 小さな音、それは最初こそ鉛弾を発するそれにも聞こえたが、よく見てみると男は握っていた銃を下に落とし、口に咥えた菓子を噛み砕いているだけであり、いつの間にかサングラス越しに笑うような、泣くような視線がこちらを見ている。
「おまえが死なねぇ事くれぇ知ってるさ、本気だと思ったかこのぶぁああか!」
「な……ッ! この野郎ッ!」
 肩の力が抜けていくのが分かった。けれど男は死なないと分かった上で発砲したと、あながちミケランジェロも分かって逃げていたのではないか、そう図星をついてきたのだから、更に今までの緊迫した状況が水に流れるようで。
「本気で撃つ奴があるか! っ畜生!」
 残る血と共にそう、吐き出しながら。ミケランジェロは頭を掻き毟って、疲れと共にそのまま眠りにでもついてしまいたくなる。
「はっはははははは! いいねぇまだそんな元気があるなんざぁからかい甲斐があるってもんだ……あばよまたな」
 緊張の糸が切れた途端、倒れそうになった身体をモップで支え、ミケランジェロは飄々と取り落とした銃を拾い、自分の横を通り過ぎていく男の後ろ姿を見送った。

「……二度と、ごめんだ」
 呟くミケランジェロに男は笑い声を上げ、こちらを見た。手には黒い拳銃が握られており、一瞬にして心臓が脈打ちだすのが分かる。相手は、自分を――。

 ばぁあーん。


3.第四の円

 かの有名作家、夏目漱石はこう言っている。
『芸術は、自己の表現に始まって、自己の表現に終わる』
 そうかと思えば、イギリスの批評家、ラスキンはこう言った。
『偉大な芸術とは、芸術的才能による純粋な魂の表現である』

 ベイエリア倉庫街の片隅にあるビル二階、物置にも近い一室で鈍い銀色の髪が蒸し暑い夏の風に揺られながらソファの上、一冊の本を捲っている。
 『世界の名画』本のタイトルはそれだ。
 誰がこの場所にそんなありきたりの本を置いたのか、謎ではあるが相変わらず黒いツナギに暑いと腕まくりをした猫背は、本日昼過ぎに起床し今までずっと、ページを捲り続けている。
 中には、くだらないと称される『自称名画』や評論家達の聞くに耐えない見解はまさに、この本に金銭を払って読む事の意味を消していて。それでも、作品解説を眺め黙々と読破するその姿は何一つ文句を言わず、ただ時折あくびをするだけだった。

『芸術は肉を付けた科学だ』
 フランスの詩人、コクトーはそう言っている。
『絵画は無声の音楽であり、音楽は有声の絵画である』
 また、イギリスの詩人、コールリッジはそう言ったらしい。

 体重を背もたれにかけるとソファが軋む。モップは相変わらず自身の近くに立てかけてあり、ちらりと横目で未だ血の色が消えぬそれを見やると、大きく伸びをして『世界の名画』を投げたミケランジェロはこう言った。
「誰だ、こんなもん買ってきた奴は……」
 瞳の紫色に暗い影を落として、ソファへ横になれば投げられた本が目に付き、口元を曲げ、眉間に皺を寄せた後反対方向へ身体をずらす。
 取り残された『世界の名画』その評論家の一人、燃え上がるような赤い髪にサングラス。その下で輝く真紅の瞳が印象的なムジカ・サクラのページは、折り曲がってしまう程に何度も、見返した痕跡が残っていた。


 路地裏でもう一度、標的へと向き直ったムジカはミケランジェロを何度も撃ち抜いた銃ではなく。玩具の銃を向け、放ち。その後、豆鉄砲を食らった鳩の如く、立ち尽くす相手へ大音量の笑い声を残し去ったという。
「馬鹿だなお前銃くらい見分けろよアホ! ははははいや俺が楽しいからいいのかせいぜい頑張れ俺を楽しませろ!」
 ミケランジェロにそんな気は毛頭無い。けれど、これが自分にとって受難の始まりであるとは露ほども知らずに。

『なんだ……その、パンはやめろ……』
 グラフィティ・ムービー「Michael-Angelo」から実体化した芸術の神、ミケランジェロはそう、寝言でこぼすのだった。


END

クリエイターコメントミケランジェロ様/ムジカ・サクラ様

お二人様共に始めまして、唄と申します。
タイトルや章の名前は地獄からライターが連想する物を考えつつ内容に沿った物を付けたつもりです。
ムジカ様にとってプラノベは初のようで、これも緊張しながら性格を掴ませて頂きましたが如何でしょうか?
捏造歓迎と御座いましたのでタイトル等も含む思った所々に盛り込ませていただきました。イメージではなければ申し訳御座いません。
とても拘りを込めて執筆出来た事、ラストの描写やミケランジェロ様とムジカ様の対峙シーン等はとても楽しく執筆させて頂きました。
気に入ったシーンがある事を祈って。また、シナリオなりでお会い出来るよう願っております。

唄 拝
公開日時2008-06-30(月) 22:20
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