★ 【御先さんの幽霊な日々】キミと居た時間 ★
<オープニング>

 それは空に曇りの一筋も無く、晴れた日の出来事である。
 アップタウンでも高級住宅街に当たる地区。立ち並ぶセレブ達の自己主張とも言える豪華絢爛な装飾に飾られた通りを、御先・行夫(みさき・ゆきお)のタクシーは珍しく『人間の客』を乗せ走っていた。
「お客さん、ここらよろしいでしょうかぁ?」
 ミイラよりは肉付きの良い行夫の顔も、相手が幽霊でなければ心持明るく見える。
「はい、この辺でいいです。 有難う、料金置いておきますね」
 弱々しい運転手の声に、客として座っている綺羅星学園の制服を着た女生徒は俯き気味にそう口にすると、行夫の細い手についた皮膚のような手袋の上へ、運賃を置くとすぐさま出て行ってしまった。

「……あーぁ……」
 自分は何か悪い事でも言っただろうか。
 久しぶりの『マトモ』な客だと言うのに、さして喋る暇も無く降りていく姿を大きな瞳で見守る。
 小心者の心は内部で自分が幽霊をひき付ける、陰気な空気を纏うから、客は話しづらかったのだろうかと考え、ため息を吐く。

「あの、この辺一回り、いいですか?」
「は、はい。 どうぞ、どうぞ」
 前方に居た客の後姿ばかりを眺めていたから、行夫はふいにかけられた声に二度返事をすると手の中にある料金を仕舞う。
(あぁ、あの方。 少し多く支払われたようですねぇ……)
 ものの五百円程度、アップタウンのお嬢様には気にならないのだろうか。
 返したい、とは思えど既に遅く以前の客はもう居ずに。代わり、と言ってはなんだが既に次の客が乗っている。
「ええと、お客さん。 どちらま――」
 バックミラーを動かし、さて次の行き先は何処だろうと尋ねる手前、行夫の口はそのまま。大きく開いたまま固まってしまった。
「……でッ!?」
 口の端に皺を寄せ、某有名絵画のように固まる行夫から壊れたCDの如く、言葉の名残が喉をついて出る。
「このへん。 アップタウンをずーっと。 ……一周してほしいんです。 人を、会いたいから」
 客は一般的に言えば美しい少女であった。
 髪は長い艶のある黒髪、時代錯誤ではあるが前の揃った前髪などは、細い眉にきつい印象を与える目を一層引き立てている。服も綺羅星学園の制服。――それが八つ裂きにされたように赤く、染まっている事を覗けば、本当に。
「い、いやっ! お、お客さん、そ、その……こ、こここ、これはタクシーで……!」
「タクシーでしょ? 分かってる。 私は友達に会わせてほしいの。 私と同じ、黒髪でショートの……綺羅星の制服着てるもの、きっとすぐわかるわ」
 綺羅星学園。それこそ星の数程居る生徒だ、そんな手がかりだけならば分かる筈も無い。それに、行夫はそもそもこういった『成仏出来ません』というタイプのお客様や『呪ってあげます』というお客様には気持ちの問題で弱いのだから、ひいひいと鳴る口が可も不可も伝えられない。

「私、ね。 包丁持ってきたの。 友達、びっくりさせようと思って……なのに、気づいたら家に居たの。 ねぇ、これって……わたし……わたしどうしちゃったんだろう?」
 行夫が何も言わない事をいいことに、少女は語りだす。
包丁、確かに彼女は眩い光をどす黒い血で染めた刃物を持って、タクシーの後部座席に座りながら。

 以前、この少女と幼馴染の少女は銀幕市外でお隣同士。家族ぐるみの付き合いだった。
 一方は古風な日本家屋の家、友達は和洋揃った所謂現代のセレブそのもので。家同士の付き合いは幼い頃から続き、彼女達の関係は幼少の頃から何も変わらずに過ごす筈であったのだ。家も考え方も古い、そんな簡単な理由で少女が小学生の頃、苛めにあった時も。止めに入る友達の対応は実に模範的だったと言えたらしい。
「でも、ね。 いなくなっちゃうみたいだったから」
 いつしか確実な物になっていた二人の友情は、同時に一つの狂気を孕んだ『約束』という芽を発芽させるに至った。

『裏切ったら、殺すからね。 ずっと一緒だよ? 約束!!』

 本当に幼い、まだ幼稚園の頃。そうだ、笑いながら言うほんの子供の約束だ。不気味な表現をとったとしても形式的なもの。
 分かってはいる、少女も思いながら高校一年。二つの家は共に銀幕市へと娘を転校させ、ついに一つの切欠が起こった。

「無視、されちゃった。 ううん、別に新しい場所だもの、そんなの普通にある事だってわかってる。 でも、なんかあの子が他の子と仲良くなるの許せなかったから……」

 ぐ。そんな音すらリアルに聞こえる。刃物を握る少女の白い指は、けれど自分には己が死んだ、そしてその致命傷すら都合の良いように見えないのだろう。
分からないのであれば彼女は幽霊のムービースターではない、現状の銀幕市でムービースターならばどんな形であろうとある程度『自分を知っている』。
 そうだ、これは本物の幽霊なのだ。
 ずっと一緒に居る。そんな約束を問いただそうと持ち出した、脅す為だけの包丁は握られたままの。
「けど私は家にいた。 どうして無視したの? って。 あの子を問いただそうとしたら家に戻ったのよ? もしかしたら、殺したんだって思ったのに……」
 タクシーは走らない、行夫の恐怖と少女の狂気を乗せているのだから。
 ただ、コメディタッチとはいえ、幽霊を見てきた行夫には少女が現実にあった事を知れば居なくなる。成仏に直結するのだと思い立った。
「じ、じじじじ、じゃあ、お、おきゃくさんは、何処にいらっしゃりたいので……?」
 この一言で成仏したい、とでも言ってくれればどれだけ嬉しいだろう。ついでにそのまま消えてくれたならこれ程嬉しい事は無い。が、行夫の直面した現実という名の非現実は甘くない。
「私が自分の家に居た理由。 ううん、私が家に帰った時間に行きたい……。 そして確認したいの」
 自分が死んだのだと分かれば、時間を遡りたいという世迷言は言わなくなるだろう。とはいえ、時間を戻そうがショック療法的な方法を取れば自分が呪われそうだ。
「な、何を、確認、されるんでしょう?」
 震える声に迷いの無い音声が一つ。

「殺したって思ってた……あの子。 なんで、生きてるのかな、って」

 ここでようやく、行夫には彼女の友人が誰であるか。理解出来た。
 少女は何も悪戯にアップタウンをうろついていたのではない。
 短い、黒髪の綺羅星生徒。あの俯き気味の後ろ姿に吸い寄せられるようにして、彼女はこのタクシーへと吸い寄せられたのだ。ふいに、悲しげな声を発していたあの客と少女の影が重なり、行夫の記憶の中にただ一人、先程塞ぎこんだ制服姿を浮かび上がらせた。
 会わせれば済むというわけではない、少女はきっと死ぬ間際に起きたショックで記憶が飛んでしまったのだろう。
 彼女に、死んだという事実。幼馴染と最後に出来たなんらかの思い出を見つけ出し、知らせなければならないのだ。

種別名シナリオ 管理番号599
クリエイター唄(wped6501)
クリエイターコメントこんばんは、唄です。二本目のシナリオをお届けに参りました。
今回は心理描写重視のシリアスです。戦闘は見ての通り御座いません。
御先さんの所に現れた少女に死んだという事実をなるべくソフトに教え、かつ幼馴染の少女と何があったのかを解明して下さい。
どう解明するか、或いは何があったか予想して動いてみるのも良いかと思います。

また、このシナリオで少女の幽霊はPCの皆様にも見えます。
が、幽霊は本物です。ムービースターやヴィランズではありませんのでバッキーに食べさせる等の処置は出来ません。

参加者
フレイド・ギーナ(curu4386) ムービースター 男 51歳 殺人鬼を殺した男
ルーファス・シュミット(csse6727) ムービースター 男 27歳 考古学博士
小春(cfds6440) ムービースター 女 25歳 幽霊メイド
三嶋 志郎(cmtp3444) ムービースター 男 27歳 海上自衛隊2曹
<ノベル>

■ 此の先

 雲が殆ど顔を見せない本日、足元で行儀良くしているアベルは朝早く。ルーファスの行動を知っているかのように、数冊の分厚い表紙で飾られた本を持ってきた。
 犬である彼が文字通り『持ってくる』というのは不思議なニュアンスではあるが、何処で覚えたのかテーブルクロスに、主人が良いように置いてある――ここではあえて片付けていないと口にしてはいけない――本を器用に鼻で押し、丁度包むようにして引きずってくるのだから、飼い主としては鼻が高い。
「そうですね、アベル。 良い気候の中で読書……というのもそろそろ出来なくなってしまいますね」
 ルーファスは考古学博士である。
 本や知識の類ならば欲していて当たり前であるのだが、実体化した映画の影響だろう。冒険家の一面も潜んでい、まれに良い気候。風や日光、何より外に居て適度な温度の時のみ、外出して銀幕市内の自然と共に今まで得た知識の復習をするようになっていた。
(しかし、歩いてゆける所はもう殆ど行ってしまいましたし……)
 地図で見る場所というものは、大抵小さく見える。自然公園も春の内に行ったし、聖林通りも一通りは回った。特に言えば、そこでのスイーツ巡りが一時自分のブームだった事もある。
「それでは、たまに別の足でも使いましょうか? アベル、今日はお留守番をしていて下さいね」
 分かったような、分からないような。
 長い茶色の毛皮を持った家族は目を丸くし、尻尾を千切れんばかりに振りながら首を傾げる。そこに、ルーファスは手を乗せると更に一度、「わん」と元気な声で彼は返事をしてくれた。

 映画から持ってきた通信機器はあまりにも旧時代の物と知ったため、屋敷には保管するだけとして。今は細く使いやすい携帯を常にポケット内に偲ばせるのがルーファスである。
「……銀輪タクシー様ですか? はい。 あの、車をお願いしたいのですけれど」
 連日銀幕のスター達や買い物帰りのおばちゃん達、はたまた道に迷ったムービースターを運んでいる銀輪タクシーは丁度、この天気の良い日に大繁盛しているのか、あまりルーファスの聞きなれない運転手をそちらに向かわせると言う。
「はい。 はい、分かりました。 いえ、気にしないで下さい。 では、お待ちしております」
 忙しいという状態について何度も謝る窓口に声をかけながら、ルーファスは『とりあえず』と教えられたアドレスと名前を見て一つ、何かを思いついた風な吐息を漏らすのだった。

(御先行夫さん。 ですか……ムービースターさんなのでしょうかね?)
 聞けば和名に聞こえるが、それにしては随分と不吉にも聞こえる気がする。
 これは勘というものなのだろうか、銀輪タクシーから知らされた電話番号を元に、ルーファスはこの不吉さを払いのけるように明確に、携帯のボタンを押し始めた。

 +++

 食事中に携帯が鳴った、と思うと同時に反射神経の良い三嶋志郎は応答し、さして内容も聞かぬうちに頷いてしまった。聞き取れた事と言えば、タクシー運転手がアップタウンの真ん中で困っているらしい。それ位だっただろうか。

「ッ! ひ、ひぃぃいいいい!! け、携帯が鳴りましたよ! 携帯が鳴りましたよッッ!」
「!! な、ななな、紛らわしい音を鳴らすんじゃない! もう少しで心臓が……くっ!」
 多分、御先行夫は今こうなった『事態』の後、すぐに対策課に連絡をしたのだろう。現在は運転席にべったりと張り付き、動こうとはしない。因みに、助手席にも金髪の男が膝を抱えてたまに聞こえる小さな音――それが例えばペンが落ちた音だったとしても――に驚きながらも、同じように『へばりついている』。
「お前らなぁ……、携帯は鳴って当たり前だ。 そんなに怖いなら貸してみろ、ほれ」
 窓越しから手を伸ばせば投げるが如く、寄越してくる行夫の携帯を取ると志郎はすぐに口を開いた。

 対策課から出る依頼達成料金は志郎にとって、なかなか美味しい手間賃となっている。この銀幕市外から比べ、どれ程の位置にある給料なのかは分からなかったが、それで満足できるのだから気にする事ではない。
『もしもし? もしもし、あの……――』
「三嶋志郎だ。 いや、この携帯は御先行夫。 ……あー、そうだな、銀輪タクシーの物だが、何か?」
 聞いて、これはれっきとした仕事の話という事実を思い出し「何か御座いましたか?」と言いなおす。

 今までは別の映画から実体化したムービースターの色恋沙汰に巻き込まれたり、はたまた戦争もどきに巻き込まれたりと対策課から来る依頼は志郎にとってもある程度、楽しめる依頼ではあったが。
「そりゃ無理だ。 御先行夫、ってタクシー運転手は今……そうだなァ」
 携帯電話から伝わる声の主はルーファス・シュミット。屋敷から遠出をしたい、という理由でのタクシー手配のようだが。今現在、志郎が見る限りご指名である、御先行夫のタクシー内は別の客人で既に、定員オーバーなのだから。
「人が来るのであれば私は降りようか? いやなに、道は近い。 タクシーが無くとも困りは……」
「あらあら! いけませんわ! フレイド様!! 御先様と祠堂様のご依頼をお受けになられたのでしょう? 今更投げ出されてはお二人がお可哀想ですもの!?」
 後部座席には二人。艶めいた黒髪と柔らかな眼差し、服はお仕着せ――メイド服をこう言う――を纏った小春。
 そして、今回最大の難関にしてある意味、本当の依頼主である祠堂楓(しどう かえで)が小春よりは多少きつい顔つきだろうか、ただ黙りこくったまま手元を見ている。

『依頼、ですか……?』
「あぁ、どうにも依頼主さんはムービースターの類じゃないらしくてな。 こっちの面子もちっとばかしややこしい。 悪いがタクシーは別の所で頼んでやってくれないか?」

 運転席の行夫は流石に仕方がない。彼が『楓』という少女の幽霊を呼び寄せてしまった原因なのだから、泣こうが喚こうが最後まで見届けさせるつもりだ。が。
「私もタクシーは別に頼むとしよう。 ……――君、手を離してくれないか?」
「お願いしますぅぅうううう!! 一人じゃ心細いんですよぉおおおお!!」
 志郎が着く前からきっとこんな状態だったのだろう。助手席の男――フレイド・ギーナは半ば行夫から強引に車内に引きずり込まれたらしく、時折隙を見ては外に出ようとしていて。
「ですから、これは祠堂様の問題でございます!! お二人共! いいえ、三嶋様も親身になって下さいまし!!」
 行夫がフレイドを止める理由は理解出来るが、ある種では同族でもあるこちらは『幽霊のムービースター』小春からまで静止の声が飛んでくるのだから。
 青眼に見事な金髪、体系とて悪くない筈のフレイドは何が悲しいかな、ここ数分タクシーから『降りる』『降りない』で完全に律した空気を壊していた。

『そのようです。 ……では三嶋さん、そちらの状況と人数、肝心の少女のお話を簡潔にして頂けませんか?』
 騒がしい車内に居ては適わないと志郎は一人、行夫と窓一枚挟む場所で全く進展しない依頼に頭を悩ませている最中である。聞こえてくる携帯の声にまた、頷き要点を口にする。
「ん? おい、ちょっと待て。 あんたまさか……!?」
『ええ、成り行きとはいえご縁ですし。 協力を志願致しますね』
 有無を言わさず切られる電話に、志郎の口は半分開いたまま。横からは行夫の期待の眼差しと、車内からは相変わらずフレイドの言い訳じみた足掻きを聞きながら。

(なぁ、俺はやっぱり、この仕事を引き受けて正解だったのか?)
 志郎は晴れ渡った空を見る。澄み切った空気とは正反対の、淀んだタクシー内。生きている者とそうでない者。それらになんら悪意が無かったとして、自分は映画の中で『人を生かす仕事』に就いていたのだ。
(はなから死んでられちゃ、意味がないわな……)
 ちらり、と視線をやれば依頼人の楓はまだ俯いたまま、何も言おうとしない。それもそうだろう、彼女は自分が『死んだ』事実も分からないまま彷徨い、同じように『分からないまま』他人から恐怖の目で見られているのだから。口を噤んで当然である。
「仕方ねぇな……」
 そうやって考えてみれば楓が哀れにも見えて、志郎は一人ごちると青空の下。一つの提案を押し出した。


■ 問答


 数分前、まだ男達が騒がしかった時分、小春は取り残された少女の幽霊に向き合った。
「私は小春と申します。 お嬢様のお名前を伺っても?」
 幽霊が出たと口々に言うのは構わないが肝心の名前を聞いていない。実体が無くなってしまっても一つの意識は自分を持っているのを知っていたから、俯き気味な表情をどうにか笑顔にしたくて。
「祠堂……楓。 です」
「祠堂様、ですのね。 素敵なお名前でございますね」
 暫く無言を貫いてから独り言のように呟かれた言葉に安堵しながら、小春は楓の名を復唱する。彼女は自分達と話をする気があるのだと、そう思うだけで嬉しく。
 柔らかな笑みを絶やすことなく相手の顔が上がるまで、小春は楓に話続けたのである。

(祠堂様、このままではお可哀想……)
 先程志郎からまた一人、ルーファスという人物がこの事件に関わる。と、伝えられた。大きな目をぎろぎろと輝かせて喜ぶ行夫に、ならば自分は要らないだろうと矢張りどこか苦手意識を漂わせるフレイド。
「で? どうするよ。 ルーファスは図書館と対策課で聞き込みしてから来るってよ。 俺達も動いた方がいいんじゃあないか」
「ええ、私もそう思いますわ。 その、本当にこのままでは祠堂様がお可哀想ですもの。 ――その……」
 今現在タクシーに居る人物で冷静に判断が出来るのは小春と志郎だった。先にタクシーに居たフレイドは明らかに乗り気ではなかったが、何かしら止めてくる行夫と彼なりに何か思いつく事があるのだろう。なんだかんだと言って車内に留まってくれてはいる。

 八方塞とも、万事順調とも言いがたい。志郎は重い腰を上げる状態ではあったものの、祠堂楓と名乗る少女の霊を彼なりに穏便に、成仏させようと後部座席に座り、今では行夫に行き先を支持しながら現状での指揮を取っていた。
(助かりましたわ……。 私ではこうはゆきませんもの)
 小春は幽霊のムービースターである。この中の楓以外は皆ムービースターではあるが、自分だけ幽霊であるという事。それは異端である証でもあった。事実、買い物の行きに騒がしいタクシー――行夫のタクシー――を見かけ、大変だと乗り込んだはいいが先客に本物の幽霊、幽霊嫌いである行夫と、彼がしがみつきながら引き止めるフレイドも半ば冷や汗をかいている状態。
(あのままでは、きっと祠堂様は幽霊であるというショックよりも自分を見る他人の目で悲しまれていましたわ……)
 人の好き嫌いがどうなるわけではないと、小春は知っているから逆に今ようやく静寂と皆が落ち着きを取り戻していった事に安心する。

「君が言う『ナンパ』に私は参加したいと思わないが……。 そもそも普通の人間は時間を巻き戻せない。 現実から言えば無理だろう」
 事もあろうに志郎が提案した事と言えば楓を連れて遊びがてらの散策であった。提案自体は軽いニュアンスで言われたものだが、言葉に関して鋭いのかフレイドはすぐにそう口を挟む。
「おい、ナンパをナンパって言っちまったら終わりだろう。 なんだ、確かに人間の時間が巻き戻せない、というのは俺も同感だがな」
 楓が後部座席の中央に座っているならば、彼女から見て左斜め前にフレイドが座っている。彼はこちらを振り返る事無くミラーを覗きながら時折口を挟んでいると言えばいいだろうか。
 少女の霊を挟んで行夫側に小春、反対に志郎を載せたタクシーは現在進行中で銀幕市を走行していた。
「あらあら。 フレイド様、女性は素敵な殿方にお声をかけて頂くのが少なからず嬉しく思えるのでございますわ」
 小春の言葉に、前方から生唾を飲んだ音が聞こえる。
 ムービースター、とはいえど幽霊。同じ女という事もあり小春は何処かしら、楓の境遇や行動を気にしていた。
 実際、彼女の名前を聞き出せたのは小春が少女に念入りに話しかけた賜物だろう。映画の中とはいえ、自分を殺した者への恨みから成仏の道を閉ざしてしまった自分。今の生活に慣れ親しんではいても、ふと実体化した映画を思い出す状況に出会ったのだから、見捨ててはおけない。

「そうだな、考えられる例は三つ。 一つは何かしらの事件に巻き込まれた後遺症。 二つは全て君の思い込み……凶器がある時点でこれは少しおかしいかな。 三つ、は……た、例えば実行したが何らかの理由で失敗した。 どうだろう?」
 志郎はタクシーに乗り込む前に行夫へ行き先を伝えてしまったから、フレイドや小春に行き先は分からない。が、走行し続ける車内でその間が悪いというように。ようやく、落ち着きを払った柔らかいテノールが響いた。
「後遺症……だって、そんなのわからないもの……」
 騒がしい車内から一転、ようやく事件を解決する気になった者達の気持ちが伝わっているのだろうか。楓は凶器である包丁から離さなかった視線を一度だけ、前方へ向けると呟く。
「確かにフレイド様の仮説では一番目がとても理解しやすいと思いますわ。 三つ目も興味深いですが、その……それからの出来事がどうだったのかと思いますと……」
 言いたい事はフレイドも小春もこの時点で同じだった。
 幼馴染の少女が今生きているという事実よりも楓が『死んでいる』という事実に気づかない事。それをなんとか自発的に思い出して欲しい。この話題に触れそうになる度に、二人は同時に声を上ずらせ、語尾を落としてしまうが。
「ゆっくり考えてもわからないか? そりゃ、俺も色々あんたについては調べてやるが、自分も努力しないと解決なんざしないぞ?」
 三人の会話を聞いていた志郎が口を挟む。行夫は運転と背後の気配に気を取られ何も出来ないではいたが、時折会話に頷いているようだ。
「考えても……。 私は、その……――ちょっと前に引っ越してきて」

 祠堂楓という少女が銀幕市に引っ越してくるのは、彼女が幼馴染である今回の重要人物、三條初音(さんじょう はつね)より少し前だったと言う。
 互いに家族付き合いのある家とはいえ、所詮は別の家族を持つ者同士だ。まさか同時に引越し、とは行かず楓が演劇を習いたいという理由で銀幕市の綺羅星高校へ志願した所から全ては始まっているらしい。
「では、祠堂様はその三條様を銀幕市にお誘いした、という形でお引越しされましたの?」
 小春の問いに楓は首を軽く捻ってから、頷く。
「一緒に行けたらいいな、って。 初音も進路とかあるし、無理になんて言えなかったけど……でも、一緒に行けるみたいだったから」
「実際そこまで思い出せるのならここ最近の事は『無視された』という所までしか思い出せないのかい? いや、無理に……思い出せとは、い、言わないがね」
 刃物を持ち出した経緯について、楓はさも昨日の事であったように言葉にする。なのに、その後肝心の初音と出会ったのか、それすら口に出来ないのだ。フレイドは彼なりにしっかりと向き合ってはいるようだが、結局の所解決方法に拘りは無いらしい。次々と質問をしてはため息混じりにタクシーの窓ガラスをつついては、また質問を繰り返した。

(祠堂様が亡くなられた理由……。 三條様と喧嘩の後、もしかすると……)
 そのまま自殺をしてしまったのではないかと、小春は思う。自分が会ったわけではないが、行夫によると三條初音らしき少女も何処か俯き気味な様子を見せていたというのだから。
「お気を落とされませぬよう。 祠堂様」
 思い出せない、それは死ぬという事実もそうではあるが、楓にとって大切な友人との『なんらかの思い出』までを消してしまっている。
「焦るのはなんだ。 捜索は足が基本だ。 歩きの情報ってのはバカにできないもんさ」
「アクティブなのはいいものだね。 だが私はいっその事、その少女と合わせてみるのも手だと思っているがどうだい?」
 ナンパだろうが遊びだろうが楓を連れまわしているのだからその最後でもいい、友人同士合わせるのも一つの解決策なのではないか。フレイドの言う事はもっともだったが、それはもし、楓という少女が死んだという事実を理解した後にしなければどう転ぶか分からない提案とも言えるだろう。

「私は……やはりもう少し様子を見た方が宜しいと思いますわ」
「だな。 すぐ向かうにゃちっとばかし……ん?」
 今すぐでなければ小春も志郎もフレイドの意見を否定できない。当の提案者はある程度発言をしたかと思うとすぐに、車窓の一点だけを眺めるようになってしまった。
 が。同時に、行夫から預かったままの携帯が志郎の手のひらで振動を始める。銀輪タクシー以外にアドレス登録の殆ど無い携帯は、この事件に関わって既に二時間は経過しているだろう。
 番号だけで発信した者が誰であるか頭の中で確認し、着信ボタンは静かにプラスティックの中へおさまった。

 +++

「そちらはどうですか? はい。 こちらもどうにか。 『理由』の一つは大体掴めましたよ。 ええ、三嶋さんなるべく祠堂さんから離れてお話できませんか?」
 タクシーを拾いに行夫へ電話をかけて事件に関わったルーファスは一人、対策課をつてに情報を調べ、ある程度祠堂楓という少女の『現在』を把握するに至った。
『今タクシーから降りた。 どうだ? その理由、ってのは』
「はい、まずは祠堂さんの死因についてですが、ここ数件起こっている殺人事件の被害者のようです。 これについてはあまり今の彼女と関連性がありませんから、多くは検索しませんでしたが」
 図書館のデータベースをネットワーク内から引き出し、得た物は出血多量によるショック死。陰惨ではあるがこれが祠堂楓を死に追いやった事実であるという事だ。ルーファスとしては、彼女が知っている身内に殺された可能性、はたまた事故死までを想定して考えてはみたものの死因から取れる上手い情報と言えばそれ位のものであって。
『やっぱ地味にやってくしかない……ってオイ! こら! あー、少しかわるな』
「? はい」
 携帯の向こう側で志郎の焦ったような声と共に、「お話させてください」という女性の声がルーファスの所にも聞こえてくる。騒いでいるわけではないように聞こえるのは良い事だが。
『もしもし、ごきげんよう。 突然申し訳御座いません、私は小春と申します……』
「こちらこそ。 ルーファスです。 あの、どうか致しましたか?」
 タクシーを降りた、という志郎の言葉からして全員で移動している事は間違いない。そんな中で一人抜けた状況が悪影響を及ぼしていないか気になる所ではあったが、電話越しに伝わる小春の声がルーファスを携帯口に近づけた。
『祠堂様が自殺ではない、と聞こえましたので。 本当なのかと……』
 楓には聞こえていない、と小春は付け足す。志郎が一人降りた事が気がかりだった彼女は、こっそりと二人の会話を聞いていたのだと。確かに、口を噤ませ相手側の音を聞いても何かあったような騒ぎは確認できない。
 決して盗み聞きと非難できないそれに一つ、また胸を撫で下ろして。
「はい。 祠堂さんは自殺ではありません。 学校側にも連絡を入れましたが特に悪い噂の類も無かったようです」
『そうです……か』
 小春の安心したような、それでいて不安を灯したままの声。ルーファスもそうだ、『悪い噂』簡単に言えば苛め等の年齢的に考えられる要素の事実は人としてあまり口にしたくない物なのだから。
「そうです、祠堂さんの親しいご友人の名前は三條初音さん。 で、間違いないですね?」
『え? ええ、そうですわ。 間違いございません』
 だが信用を疑う反面、学校からもう一つ別の情報も手に入れる事が出来た。恐らく、それを聞く限りでは楓に『悪い噂』の事実は無いと思われる、そんな情報。
「その三條さんですが、銀幕市に引っ越して間もないというのに近々実家に戻られるようです。 ……そうですね、ご両親の為に戻られるそうですよ」
『ご両親の、為。 ですの?』
 受話器越しに、ルーファスは頷く。
 仲は良くても祠堂家と三條家は別の一族だ。両親の稼ぎも違えば家のしきたりも違うのだろう。結論から言えば初音の家は彼女が銀幕市に来る少し前から経済難にあっていたらしい。
 何より今回、娘を地元に呼び戻すのは初音自身の願いであり、生活に苦労する両親を支えたい一念での希望だった。

「他殺という事はそれ以上追求しようがないですが、三條さんが祠堂さんの死に関わっていない以上、互いを会わせるのはまだ危険かもしれません。 私の方から三條さんのお宅へは伺うつもりですが……」
『私も連れて行ってくださいませ。 いいえ、ルーファス様は先に行って下さっても大丈夫ですわ。 絶対に、私も連れて行ってくださいませね』
 銀幕市での思い出は少なくとも、楓と初音の間に良い思い出はあるだろう。彼女達の楽しいひと時を思い出せる物を借りに行くと、そう告げる前に小春はおとなしくも、強い声でルーファスにそう言うと携帯を切ってしまう。
 流石に、同行者を想定しなかった携帯前では今までの情報を書き綴ったメモを持ったルーファス一人、目を開けたまま数秒間固まってしまったが、小春の言葉を思い出しようやく笑みが戻ってくる。
(頼もしい方もいらっしゃるのですね)
 楓に何か思う事があるのだろう。小春の熱心な言葉を微笑ましく、かつ頼もしく思いながら「いってきます」とバロンをひと撫でし、ルーファスは屋敷を後にするのだ。


■ 結果


 フレイド・ギーナをここ数時間蝕んでいるのは、たった一つ。映画の中に居る自分だった。銀幕市に実体化してから心を独占しているのは生への執着。殺されるという運命から免れた、視線が向かう先は少年少女と言った対象を尽く避けたいと願う思考。
 映画というものは不思議な境界線で区切られている、実際に罪と呼ばれる事ですら正当化されかねない世界。けれど、しっかりと観る者は居て、いつしか彼らの反感を買うと正当化された罪が罰となって覆いかぶさってくる。
 人気キャラクターが出なくなったアニメ番組を思い出してみれば分かるだろう、出なくなったキャラクターはつまり視聴者という観る者からの支援を失ったのだ。
「ところで、だが」
 つい今しがた、小春という幽霊のムービースターが行夫のタクシーから去った。なんでも、もう一人の協力者と一緒に行きたいらしく、現在車内には男三人と少女一人になってしまっている。
 女同士で口をきく者が居ないと車内は随分と静かで、時折行夫の震えたような運転に危ないと志郎が口を挟んでいる程度だ。どちらにせよ、小春が抜けた事によって楓に話しかける者は居なくなっていた。
「なに? ――なん、ですか……?」
 フレイドが楓に話しかける。そんな事、彼女自身思ってもいなかったのだろう。
 この事件に巻き込まれた当初、楓という幽霊を見た途端引き返そうとし、志郎や小春――彼女が現れた時も正直冷や汗をかいていた――が全体の空気を落ち着いた方向へ持っていくまでは時折、震え混じりで言葉を交える。そんな、状態だったから『死んでいる事』を知らない相手としては『怖い』ないし『理解の出来ない』存在に映っているに違いない。

「人を殺す、その覚悟が君にあるのか?」
「脅しです。 びっくりさせようと思っただけだもの。 無いわ、あるわけないじゃない……。 ただ……――」
 楓は確かに脅しのつもりで凶器を持ったと口にしていた。だが、記憶がおぼろげな今となっては、それが脅しだったとしても初音の生存を確認するまでは『殺しに来た』と言っていても不思議ではなかったのだから。
「ただ、なんだい? 殺したかもしれないと思って、結局死んでいなかったから脅しだと安堵したんじゃないか?」
「それは」
「わからない、じゃあ済まされない。 君たちは仮にも未完成なんだ、衝動で動いたとしても責任を取れるように準備をするべきだと思わないか?」
 ここ数時間の経過からしてみれば珍しく、フレイドが饒舌になった事で志郎は黙りながらこちらを眺めているようだ。自分自身、さして思う所無く口をついて出る言葉がおかしくて仕方が無い。
「ここは映画の中じゃあない。 知っていると思うが、何か一つを行うという事は後戻りが出来ないと思って然るべきだろう。 君が友情を信じていたのなら、その手にとった行動はどう考えられる?」
 ここでおかしすぎて笑い出さない自分にフレイドは信じられなかった。
 信頼を壊す行為。培ってきた何かを壊す行為は現実も映画も変わらず持ち合わせる物の一つであり、単に後者はフィクションという壁や次回作という名の服を着ているから、何かと繕う事が出来る。それだけなのに。

「――裏切り? もっと初音の事、見ててあげれば良かったのかな。 こっちに来た時も落ち込んでた、あんまり笑ってなかった。 元気、無かった……」
 小春の居た席へ移った楓は窓ガラスを指でなぞる。包丁を持った手は今にも凶器を落としそうに傾き、彼女の関心は幼馴染へと向いているようだった。
「さぁ、どうだろうね。 ……しつこいようだが、君たちの時間は元には戻せない」
 彼女達が交わした幼い頃の約束をフレイドは知らない。表面的には巻き込まれた時、少しだけ聞いたがあまり興味は無い。あるのは、現在楓という少女がおかれた状況であり、生きていようと死んでいようと二人の関係は取り戻せない所に行ってしまった。
 本当に、それだけだったのである。

「あの日、ううん。 初音に無視された日ね、ほんとにあの日だけだった。 私もこっちに来て間もなかったし不安ばっかりだったし、あっちもさ、元気ないしで。 ね……」
 今まで晴れていた空が静かに影を落とし始める。憂鬱な六月の気候と共に行夫のタクシーは不機嫌にエンジンを鳴らすと。
「お、お客さん。 ……つ、着きましたよぉ」
 志郎が指示した場所への到着を告げるのだった。


 包丁を持って歩いていた。まだ綺羅星の冬服を着たままの祠堂楓は。
 アップタウンに越してきた、三條初音がそう言った場所に行き、引き返し、学校づてにもう一度幼馴染の住所を聞きなおして。歩いていた。
「初音、どうして? アップタウンに部屋なんて借りてなかったでしょ? ここ、全然違う……」
 お互い銀幕市に来て間も無い、家に行き来するのは初めてで、いつもは学校で会っていた相手の顔。姿。
 翳っていくのが辛くて、慣れない土地に越してきた不安は二人とも自分の事を考えるだけで精一杯だった。綺羅星学園からは少し遠い、初音のアパートに来た時。楓はただ、全てが知りたかったのだ。
 
 どうして元気が無いのだろう。
 どうしていつものように一緒に笑ってくれないのだろう。
 どうして嘘をつくのだろう。
 自分の持ってきた包丁だって、怖いことしないで、馬鹿やらないで、根暗ね。
 自分が腹を立てるのも気にせずに、ずけずけと言って欲しかったのに。

 +++

「わかりますか? 仲が良かったから、知られたくなかった。 毎年一緒にお祭りに行って、帰りに私の家でバーベキューして。 その家だってもうすぐで無くなっちゃう。 だから余計に、知られたくなかった……」
 染みだらけの畳の上、綺羅星学園の制服を着た短髪の少女――三條楓はルーファスと小春、二人を順に眺めた後、押入れの方を見た。
「……傷、でございますか?」
 先程からルーファスは厳しい顔つきで初音の言葉を聞いている。小春は時折、相槌をうつがそれも話の終盤に差し掛かり声が薄くなっていく。
 楓の事でやってきたと告げるや否や、どこか生気の無い、短い髪にした少女の顔は一度歪み二人を迎え入れた。
 狭い廊下、洗濯機すら他の部屋と共同で使用する仕組みにされたそれは時代を感じさせる。部屋にあるのは勉強机と整頓された本棚。別のスペースに押入れがあり、そこには真新しい傷が一つ、出来ていた。


 楓が包丁を持って来た時、初音はただ、嬉しかった。幼い頃の不気味な約束を蒸し返してくる、未だに時代錯誤な所に安心すら覚える。
 幼馴染はただ、きっと、脅すため程度の気持ちで自分をけしかけに来たに違いない。昔みたいに笑って、危ないと、殺す気かと少しでも笑っていれば相手もきっと、少しだけはっとした顔をして、ごめんなさいと言いながら包丁を取り落としたに違いない。愚かな話だけれど、これが二人の約束だから。
「どうして、ここに。 来ちゃった……かな?」
 いつもアップタウンでタクシーを降りて、歩いて家に帰った。
 全ては楓に知られたくなかったから、来たばかりなのにまた離れるなんて言えなかったから。
 まだ、包丁を持った楓は自分の目の前で小さく震えている。凶器は、構えない。だから。初音は言葉と一緒に同じ少女の身体を押しやり、押入れに押し付けると刃物を取り上げ彼女の顔のすぐ横に、刺した。

 一緒に居たかったのは間違いじゃない。
 一緒に過ごしたかったから、少しだけでもと無理を言って銀幕市に引越しをさせてもらった。
 一緒に、過ごす時間がこんな風になってしまうなんて、思ってもいなかったから。
 自分の行動が見栄でも構わない、けれど楓にだけは昔のままの自分を見ていてもらいたかった。
 取ってしまった行動の後、落ちた包丁を持って力無く帰っていく。そうだ、元々楓に殺意なんて無かったのだから。


「ね。 楓の、なんていうかなあ。 うなだれる……ううん、寂しそうな姿。 なんだか忘れられなくて……」
 これが今持っている写真。と出された笑顔の二人を見て、ルーファスはやりきれないとため息をついた。楓と初音、二人は互いに勘違いをして、一人はそのままこの世を去ってしまったのだ。
「では三條様はその……祠堂様が……」
「うん、お通夜には参加。 しました。 今週中に実家に帰る予定、です」
 親友の死は知っているらしい。小春は口に手を当て、肩を震わせる。ルーファスがその背中を撫でるが、止まらない。映画の中とはいえ一度は死んだ身、目から溢れそうな感情はもしかすると血の涙かもしれない。
 安いガラス窓に木の縁が香り出す。外はそろそろ六月の雨だろう、初音の方を伺えば次にどうして良いのか分かりかねた様子でルーファスを見返し、少女らしい笑顔で微笑んだ。

「死んでしまったのはどうしょうもないから。 お願い、します」


■ 言葉


 アップタウンの住宅街からは随分離れてしまったように思える、あちこちに木が生い茂る公園内。行夫のタクシーは志郎の言伝通りに止まったのだろうか、車体は駐車場からはみ出してしまっている。
「ったく、危ねぇな。 おい、ちょっと降りてみないか? 学生ならたまにはこんな場所もきたろ」
 元々どこぞの映画で撮影でもあったのか、ブランコ、滑り台。色褪せた動物の乗り物という質素な配置の公園は誰の記憶にもある風景の一つのようだった。
「ほう。 デートらしいな」
「そりゃ言いっこなしだろうが……」
 曇り空に志郎と続いてフレイドが出る。行夫は楓が降りるのを待っているのか、タクシー内からてこでも動かないつもりのようだ。実際、行き先をここに指示した本人が何度か「来いよ」と言えば戸惑った表情の彼女は物音一つ立てずに車内から降りる。
「聞いてりゃこっち(銀幕市)に来てからそう経ってないらしいからな、何度か運転手に言って行き先を変更させたが……どうだ?」
 志郎はルーファスとの会話やフレイドが質問している答えをずっと聞いていた。そして隙を見ては行夫へ行き先の指示を出していたのだ。
(無難な所を選んだようだが、彼女はもう思い出しているんじゃないか?)
 相変わらずフレイドは楓から離れて彼女を眺めていた。志郎の横にエスコートされながら小股で歩く速度は非常に遅い。

 幼馴染である初音との最後に出来た『思い出』を、楓は確かに思い出していた。
 タクシーの中で自分達に話したという事は、もしかするとあと一息で自分が『死んだ』という事実にも辿り着くだろう。
 いや、もう辿り着いていてもさほどおかしくない。

「こういう所で昔、遊んだわ。 男の友達は居なかったから、なんだか今日は新鮮……」

 ブランコに座り、空を見上げた楓に、志郎は黙って彼女のやりたいようにさせている。
 鉄の鎖がなる度に、ぎいぎいと錆付いた香りと静かに曇りゆく空から小さな涙が零れ落ちてくる。払おうとはあえて、せずに少女がこちらを向くまで。志郎は「どうだろう?」とフレイドを見た。
(効果アリとは言いがたいが……)
 『死んだ』と思わせる材料が少ないのかもしれないと、志郎の訴えにフレイドはタクシーに寄りかかり大げさに肩を竦めた。頬に当たる、雨の粒が次第に大きくなってゆく。

「とてもね、おかしい夢を見ているみたいよ」

 暫しの間、空を眺めていた楓は何かを思い出したように志郎を見た。その目は吊りあがっているものの、どこか優しげな印象を受ける。
「なんだ、その夢ってのは」
 聞き返せば、遠雷が空を翔る。水は次第に大きく降りかかり、このまま当たっていると濡れた犬になってしまいそうで、タクシーへ戻ろうかと志郎は指を指す。公園の、向こうから電話だけで聞いたルーファスらしき声と小春らしき声が自分達を探しているのも分かった。
「私は初音の気持ちを無視しすぎてしまったから。 けど、やっぱり友達だもん、最後に伝えたい事があって」
「おい」
 タクシーへ、楓は戻らなかった。濡れた志郎と既に車内に戻り、自分を見ているフレイドに笑いかけながらただ、ブランコから降りて公園の入り口を見る。

「祠堂様、三條様は……!」
「小春さん、傘に入ってください」

 丁度、やってきたルーファスは片手に携帯、もう片手には傘を差して小走りで楓に駆け寄る小春を追っている。お仕着せの足は見えずとも、急いでいる女性の手に収まっているのは一枚の写真。
「三條様は、祠堂様とご一緒するのが楽しみで、嘘、を!」
 幽霊だけれど小春はムービースターだ。身体を透けて雨が通るが、行夫の連絡を受けて飛んできたのだろう、時折ノイズがかかった声を出した。
「そ、か。 うん。 それだけでも、嬉しい。 ね?」
 直接伝え切れなかった、互いの思い。越してきた当初からの嘘の理由、包丁をかざした裏切りの意味。それがもう今後本当の意味で伝わる事は、無い。
 何より楓は志郎に染みこんでいた雨の雫で、己がもう生きていないという事実を感じ取っていた。

 +++

 とてもおかしい夢を見たわ。
 私は一人で夢を追って、貴女を置いて出てきてしまうんだけれど、すぐに嬉しいニュースが舞い込むの。
 それは貴女が変わらず私の側に居てくれるってニュース。
 私は一人で舞い上がるのだけど、結局そんなものは一人で踊っていただけだった。
 それでも私は貴女が居る事が嬉しくて、幼い頃の約束を蒸し返す。
 いけない事だから怒られて当然ね。

 +++

 頭を過ぎる映像の数々。それらを走馬灯と言うには、ドラマチック過ぎて楓は泣くように笑った。
「私、死んでたのかぁ……」
 彼女の身体には雨粒の一つも降りかかってはいない。静かに消えていく、その身体だけが今まで高校生の未発達さを醸し出していたが、本当に見えなくなってしまう一瞬だけ、大人の女がそうするように、頭を抱えおどけた仕草をして。本当に。

 ――消えてしまった。


■ 行き先


 雨はまだ降り続いていて、楓が消えてしまった後。ルーファスは行夫が初音に返し損ねた五百円を手のひらの中で転がした。使い古されたコイン、持ち主のもとから置いていかれた、それ。
「あら、どうかされましたの? ルーファス様」
「ええ、三條さんは自分の家を見つけて欲しくないからアップタウンでタクシーを降りた、と仰ってました、けれど――」
 もしかすると、ずっと自分の状態を察して欲しくて故意に追いやすいよう、お金を多く置いていったのではないか。
「もっとも、今となってはもう遅いですが、ね」
 ルーファスの言葉に小春は小さく頷き、志郎は苦虫を噛み潰したような顔をしながら雨の中、またタクシーを降りた。容赦なく降り注ぐ水に上着を傘代わりにして。
「ま。 今更だが、俺はこの仕事を請け負ったことを後悔してるさ」
 自分はこれから対策課へ行って事件について話さなければならない。それが、志郎の仕事だからだ。人を、死んだ人間を生き返らせる術の無い一人の。語り部としてだけ、この世に彼女を残せる仕事へ出向く道。

「私は、もう一度買い物をしにいかなければなりませんわ」
 降り続く雨は自分に影響しないと小春は言ったが、ルーファスが持っていた予備の傘を結局借りて帰り道を辿った。手にはまだ二人の少女が笑顔で映る写真が残されていて、きっと買い物よりも先に、この写真を返しに行くのだろう。
 タクシーから離れていく手前、小春は写真の中で微笑む二人に首を傾げ、親指で愛しげに紙切れに写る少女の頭を撫でた。

 +++

 光と雲の間、夕焼けが見え隠れする。フレイドはただ何を思うわけでもなく、いつもの廊下を一人で歩いていた。
「あれ、先生まだ居たの? って、居るわね。 ここ学校だもの」
 これから光は消え、赤い空は黒い漆黒となってこの学校へ降りかかる。
 そんな中、フレイドの見た事がある光景の中で、見た事のある少女が自分に笑いかけ、教壇に一輪の花を置いた。なんという花かは分からない、色も夕暮れ時のそれに染まっていて分からなかった。
「綺麗でしょ、先生。 私ね、この花の色が……」
 一輪でブーケのような、花を愛でる少女。
「――ああ」
 記憶の中で見た事はあっても綺羅星学園の制服でもない、少女のブレザーがフレイドに背を向ける。瞬時、彼女の焼けたブロンドが視界へ迫り自分が相手の首へナイフを押し付ける、その感触を実感する。そうだ、なんて――柔らかい。
「とても……」
 飛び散る真紅の花は、とても綺麗だと思った。


「お客さぁん、皆さん帰られちゃいましたよぉ」
 夕暮れは同じだった。肺を通ってくる空気だけが血に染まっていないもので、フレイドはタクシーの助手席から青眼を見開いたまま、飛び起きる。苦手なものが無くなってすぐ、自分は睡眠の中で映画のワンシーンに紛れ込んでいたらしい。
「……ッ!? ……――あ、あぁ」
 夢かと認識する暇もなく、居心地が悪いタクシーから降りて夜の帳が下り始めた銀幕市の空を眺めた。
「いやぁ、なにはともあれ憑かれなくて良かったですよぉ。 可哀想な、話ですけれどね。 お客さん」
 有難う御座います。覇気の無い声で礼を言われフレイドは一瞬立ち止まり、行夫を一瞥すると口の端だけを歪め、笑う。

「可哀想? そうかねェ?」
 戻らない世界で一人の少女が旅立った。話だけ聞けば可哀想なのだろう。けれども、楓という少女には少なからず助けようとした者達が居たのだから。
 ただ、フレイドの言う通り時間が遡る事はあり得ない。だからこそ、否定した言葉に誰もが憧れを持つのだ。

『全ての時間が元に戻れば、どれだけマシなものだろう』

 +++

 泣きながら帰ったけれど、どうしても伝えたくて残した手紙だけが家にあって。
 玩具みたいに壊れていく身体がとても、悔しかった。
 ねぇ、それだけがもう、酷く心残りなの。


End

クリエイターコメントまず【御先さんの幽霊な日々】キミと居た時間にご参加下さり有難う御座います。
エンディングは良い物なのか、悪いものなのか。これは各PC様でご判断下さるのが一番だと思いました。
一見、救われないように見えていて皆様が関わる事で少女二人は幸せだったようにも思います。
因みに、ラスト近くに出てきた名も無き花は一応、ネリネという花になっております。

プレイング全てを採用出来ませんでしたが、せめて皆様の考える中間を目指したつもりです。
また、皆様お一人お一人文字通り弄り倒させて頂きましたのでやばかった! というシーンが御座いましたら申し訳ありません。
それでは、個別の後書きにつきましてはシナリオ承認がされました後、ブログにて記載したいと思っております。お気にとめて頂けましたらそちらの方もご覧ください。
また、別のシナリオ、機会にも皆様とお会いできる事を心より願いつつ。

唄 拝
公開日時2008-06-17(火) 19:00
感想メールはこちらから