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<ノベル>
ぽかぽかと心地の良い、ある日の午後。
保護者宅の母親――かーちゃんが言った。
「アーちゃん。『まるぎん』まで、おつかいに行ってきてほしいの」
差しだされたのは、エコバッグとメモ用紙一枚。
内容はちょっとしたおかずの買い出しで、そう難しいものではない。
「お願いできる?」
アレグラはこくりとひとつ、頷くと、
「アレグラ、おつかい行く! かーちゃんの手伝いする!」
小さな手を伸ばして、買い物セットを受け取った。
やる気を出したというよりは、目の前に差しだされたので思わず手に取った、という方が近い。
どうやら、特別任務を与えられた気分でいるらしい。
「気をつけて行ってくるのよ」
アレグラは母親の声を背中に、意気揚々と出かけて行った。
玄関の扉が閉まる音を聞いて、動き出したのはラーゴだ。
居間で飲んだくれて寝ていたのだが、うっそりと身を起こす。
緩慢な動きで立ちあがり、すれ違った母親に「出かけてくる」と無愛想に告げる。
ラーゴの行動が何を意味するかなど、一家を支える母親にはお見通しだ。
「二人とも、晩ご飯までには戻ってくるのよ」
もとより、簡単なおつかいならそう時間を取ることもあるまい。
ラーゴは胸中でひとりごち、急ぎ足で家を後にした。
ラーゴがついてきたことに、アレグラはすぐに気付いた。
気付いたけれど、特に声を掛けることはしない。
銀幕市に実体化してから、彼はことあるごとに、その定位置にいたように思う。
以前はその行動に圧迫を感じることがあった。
しかし今は、それほど不快には感じない。
どうしてだろう、と、不思議には思うものの、アレグラはすぐにその思考を中断した。
今考えるべきはおつかいのことであって、よくわからない感情のことではない。
そのまま互いに声をかけるでなく、アレグラとラーゴは一定の距離を保ったまま『まるぎん』をめざした。
一緒に行くと告げたわけではない。
お互いがお互いを許容する不思議な距離が、そこにできつつあった。
もっともアレグラ自身は、意識してそうしていたわけでは、ないのだけれど。
『まるぎん』に到着したアレグラは、入り口に積まれていたスーパーのカゴをひとつ取り、引きずるようにして歩き始めた。
見かねたラーゴが、
「アレグラ。私が持とう」
と申し出ても、彼女は断固として譲らない。
「ラーゴだめ! これはアレグラが頼まれた!」
かーちゃんの言いつけは絶対!と言わんばかりの口ぶりで、身の丈に余るカゴを手に、ずんずんと店内の奥へ進んでいく。
予想していた返答ではあったが、彼女が構わないというのなら、従うしかない。
ラーゴは気を取り直し、ひとごみに紛れかけた小さな背中を追った。
しかし、追いかけていたアレグラの足はすぐに止まって、動こうとしない。
通路の真ん中で思案しはじめた。
「いったいどうしたというのだ」
「うるさい。ラーゴはだまってる!」
問いかけに応えず、アレグラはうんうんと唸り続ける。
ああでもない、こうでもないとつぶやいているのは、食材やお菓子の名前などだった。
立ち止まった場所から一歩も動かないところを見ると、どうやらおつかいに頼まれた物品を、必死に思い出そうとしているらしい。
「その中にメモがあるだろう。見たらどうだ」
アレグラの手には、母親から託されたエコバッグがある。
一緒に渡されたおつかいメモが入っているはずだ。
「そもそもメモというものは、忘却する記憶を補助するためにあるのだ。今がまさに、その使い時であろう」
何度ラーゴがそう勧めても、アレグラは頑として受け入れようとしない。
スーパーの通路の真ん中で、うんうんと唸り続ける子どもの姿は実に奇妙であった。
何よりとても、通行の邪魔になっていた。
ラーゴは通りゆくひとが彼女の邪魔をしないようにと、さりげなくアレグラのそばに立って壁になると、彼女の動きを待ち続けた。
そうして、見守ること数分。
「……お豆腐!」
やっとのことで顔を上げたアレグラが思い出したのは、その一品だけだった。
しかし、思い出せたことに満足したらしく、アレグラの表情は晴れやかだ。
ガンガンとカゴを床にぶつけながら豆腐売り場を探し歩き、目的の品をカゴに入れる。
破顔するアレグラの姿に、ラーゴの表情にも穏やかな微笑みが浮かぶ。
「努力したのだ、もうメモを見て良かろう?」
今度はアレグラも素直に頷き、エコバッグの中から正方形の紙を取り出した。
「何と書いてあるのだ」とラーゴが問いかけたので、アレグラは豆腐の他に記載されていたおかずと、その他に書かれていた伝言部分を読みあげる。
「『すきなものをふたつ、買っても良い』」
「ふたつ」
繰り返し、ラーゴがアレグラの表情を伺う。
彼女の顔は、今度はその数字に苦悶の表情を浮かべていた。
ひとまず必要なものをカゴに入れようと考えたらしい。
すぐに動きだし、目的のものを探し、歩く。
そうしてお菓子売り場にやってくると、いくつかの菓子を手にとっては戻し、また手取っては考えと、長考しはじめた。
問いかけずとも、彼女の苦悶は表情を見ればすぐにわかる。
すなわち。
――欲しいものを買いそろえるには、ふたつでは足りない。
ラーゴはその時、菓子売り場にあった子ども向けの駄菓子に目を向けていた。
組み立て式のオマケがついたもので、改造したら実に面白そうである。
ひとしきり彼が駄菓子売り場を堪能した後になっても、アレグラの選択に結論は出ていなかった。
よほど悩ましい問題であるらしい。
しかし、菓子一品の値段などたかが知れている。
万が一言いつけを守らなかったことに気付かれても、あの母親はアレグラを咎めたりはしないだろう。
レシートが気になるというのなら、受け取らなかったと言って捨ててしまうこともできる。
一品ごとの値段を問い詰めでもしない限り、いくらでも誤魔化す方法はあるのだ。
「そう悩まずとも、黙っとれば良かろうが」
ラーゴにしてみれば簡単な話だ。
どうしてそこまで悩むのかが理解できず、首をかしげるしかない。
軽く告げるラーゴの声に、アレグラの気持ちも一瞬、誘惑されかけた。
しかし今、彼女は、『かーちゃん』の期待を一身に負った任務中なのだ。
わるいことは、してはいけない。
改めてそう考え直したアレグラは、手にしていたいくつかのお菓子を棚に戻すと、生卵売り場へ赴き、カゴに入れた。
なんだかんだと欲しいものはあれど、やはり卵に代わるものはない。
菓子売り場に戻ってみれば、ラーゴが菓子箱を手にアレグラを待っていた。
それは先ほど、アレグラが選択しきれず商品棚に戻したものだ。
彼女が口を開くよりも早く、ラーゴが告げる。
「これは私が個人的に買うのだ」
反論を聞く耳も持たないようだった。
宣言通り、ラーゴは個人の買い物として会計を済ませるべく、レジへ向かってしまった。
アレグラはその背中を眺めて。
菓子売り場の棚を、ひとしきり眺めて。
そうして、もうひとつ。
別の菓子をカゴに入れ、自らも会計に向かった。
先に会計を済ませたラーゴは、アレグラが品物をエコバッグにまとめ終えるのを待って、店を出た。
一緒に来る約束をしたわけではないのだから、一緒に帰る必要もない。
さも当然とばかりに、アレグラは先を歩いて行く。
ラーゴは構わず、彼女の横に並んで歩いた。
歩きながら、先ほど『個人的に買った』というお菓子を差しだす。
「二つでは足りなかったのだろう?」
アレグラは差しだされたお菓子を横目で確認し、
「……」
少し先で足を止めた。
おもむろにエコバッグを漁り始めるアレグラに対し、ラーゴも立ち止まる。
目当ての商品を見つけたらしい。
エコバッグの中から品物を見つけたアレグラは、勇んでラーゴに押しつけた。
「お前の考えなんか、お見通しだ!」
それは先刻、ラーゴが「面白そうだ」と見ていた駄菓子だった。
思いもかけない出来事にじっと駄菓子を見つめるばかりのラーゴの手に、アレグラは真っ赤になりながら菓子箱を押しつける。
それまでの態度を思えば、こうした好意も恥に等しいのだろう。
「ありがたく、いただこう」
差しだされた駄菓子を手に取り、丁寧に礼を述べる。
ラーゴが受け取ったのを見届けると、アレグラはすぐに走りだした。
けれどその背中に、これまでのような拒絶の感情は見えない。
何も告げずに、後ろを歩くのも。
壁になるように、そばに立つのも。
気を回して、菓子を譲るのも。
アレグラの幼い思考回路であっても、その持つ意味は理解できる。
難しい言葉に置き換えることはできないけれど、少なくともそれは、悪意からくるものではない。
もっと、そう。
あたたかい感情からくるのだろうということは、わかるのだ。
そしてラーゴは、彼女のそうした細微な変化が嬉しい。
完全にうち解けることはまだ難しいかもしれない。
けれど、いつか必ず、この想いの通じる日が来るのだと信じたい。
ラーゴはまぶしいものを見つめる面映い表情で、先を行くアレグラの背中を追いかけた。
了
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クリエイターコメント | この度はご依頼いただき、誠にありがとうございました。 また私の不注意のために、再度オファーをいただくというお手間を取らせてしまい申し訳ありませんでした。 お詫びの告知後間もなく再オファーをいただけて、本当に嬉しかったです。
この度ご依頼頂いたPCさま方ですが、お名前や衣装、設定へのこだわりがとにかく素敵! お二人の関係も、いじらしく、あたたかく、書かせていただけて本当に幸いでした。 少しでもお二人の変化を感じられる作品となっていれば幸いです。
銀幕市の平穏と、PCさまの幸いを祈って。 それでは。 |
公開日時 | 2009-06-07(日) 22:10 |
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