★ さようならの時に ★
クリエイター唄(wped6501)
管理番号144-5459 オファー日2008-11-24(月) 01:23
オファーPC 晦(chzu4569) ムービースター 男 27歳 稲荷神
<ノベル>

 彼女がお別れを言う時、決まって小さな手は晦の頬を撫でた。
 柔らかな毛皮に、いつか顔を埋めたいと駄々を踏み母親を怒らせていたのも覚えている。動物と人間の子供は体温が近く、触れられても温もりを分け与えるというよりは共有する方が近かった。抱きしめて持って帰られるのは困ったが、それでもそんな店先でのやりとりが嬉しかったと、晦は思う。

 ***

「ほなな、行ってくるで? ちゃんと留守番しとるんやで?」
 居候先の雑貨店「clown's stage」から着物の男が出入りするのはここ数年、珍しい事ではなくなっていた。
 最初は彼――晦一人がこの雑貨屋で世話になるようになるこの雑貨店は、日本と言えど銀幕市なのだ、輸入物の雑貨は異国の情緒と香りに溢れていて和服の男が出入りをしようものならそれは非常に目立つ光景になるだろう。
 けれど、ここは実体化したムービースターの闊歩する市でもある。初めて晦を見た店主も驚きはしたが次に見せたのは笑顔だった。人間として見れば二十代の青年、その実態は稲荷神。まだ小さいその姿が愛らしく、店先のマスコットとして溶け込むのにそう月日はかからなかった。
 一人、晦という小さな雑貨屋の守り神が出来てからバイトが一人、そして磁石のように彼を追ってきた父親も最近は出入りして店主は暖かな人物の輪をとても喜んだものである。
 ここ数日の変化では、そのバイトも仕事を任される事が多くなり、小さな稲荷神も師走の銀幕市をところ狭しと駆け回る時期がやってきた。

(心配やな、あいつ一人で……)

 雑貨店の買出しの途中。片手にエコバックを持ち、数度振り返りながら歩く人間の晦はいつも眉間に皺を寄せている。自分が友人と思っている人間は確かに『いい奴』ではあった。が、世話になっている雑貨店もまた『大切な場所』には変わりない。
 何か一人で手に負えない事は無いか、失敗はしないか。こんな風に心配ばかりしていると、まるで自分が親――まではいかなくとも兄にでもなったようでくすぐったくなる。
(そんな事ゆーとったら、親父殿にげんこ食らうかもなぁ)
 考えただけでも口元が緩む。冷たい外気が人肌の温もりを奪ったが、店主のくれたマフラーが首元を暖めてくれる。全て思い返すだけで暖かくなれる思い出もある。買出しの品もクリスマス飾りの買い足しや正月の鏡餅など、家族が増えたからと幸せな買い物ばかりだ。
 スーパーまるぎんへ向かう道は雑貨屋を出て数十分といった所だ。随分歩いて、もう横断歩道を真っ直ぐ、横に曲がれば目的の建物が見えてくる。
「つごもり、ちゃん?」
「お?」
 掛けられた声は幼く、涙混じりである事に晦はすぐに気が付いた。
 横断歩道を渡ってすぐ、小さな影が見えるとは思っていたが近づくにつれその姿が見知った小さな少女のものだと気付き、彼女が少し涙に濡れた状態である事もすぐ分かった。相手も晦が仔狐の姿ではないがあの雑貨店に居る者だと気付き顔を上げる。
「どないしたん、おかんは? こんな所におると風邪ひくで?」
 涙を浮かべて佇んでいる少女と言えば迷子と相場は決まっている。まるぎんの周りはいつも、良く言えば『お母さん』になった女性が通りかかりやすい分、安心ではあったが見知った顔故に晦は彼女に手を伸ばした。
「いないもん!」
「せやったらわしが探したるさかいに……おい」
 大きく否定されて、差し伸べた手も小さな紅葉にぺちりと叩かれた。泣きつかれるか、また萎んでしまうかと思われた顔は晦を上目遣いに見て、頬を膨らませる。
「ままなんか大嫌い!」
 ああ。晦は頭の中で頷いた。親子喧嘩、それはいつの時代もそれが映画の中でもある普通の現象である。自分が親を尊敬の念で見つめるのと世間一般が必ずしも同じではないという事なのだ。ぷっくりと膨らんだ頬が寒いと告げるように、鼻をずるずるしゃくり上げる音でまた萎む。
「せやけど、われのおかんはわれのコト大好きやねんで?」
「うー……――でも、きらい」
「なんでや? 言ってみい、言ったら楽になるやろ? わしがきいたるさかいに」
 しゃがんで少女と同じ背丈に近づけば矢張り、寂しかったのだろう。彼女は差し出した手を今度は素直に受け取ると、小さなコートの上に抱きしめた。
「まま、今日もおそいの。 お仕事だって、いつもずっとおそいのよ?」
「それで悲しかったんか?」
「うん、ずーっとだから、おこったの。 だけど、やっぱり……」
 鼻づまりの声がひっく、と上を向くとまた涙が溢れてくる。それを男の固い手で拭ってやれば、力が強かったのか少女は少し笑ってされるが侭にした。彼女は晦が雑貨店に住みつくようになる前から居る常連の子供である。家庭の事情までは知らなかったが、来るのは大抵閉店時間ギリギリである理由はこれだったのか。
 仕事が遅い母を怒った少女は、それでも家の為と働く親に叱られてしまった。きっと、ほんの少しのずれが原因で起こったただの喧嘩なのだろう。それでも、晦は悲しくも思う。
「なんも、わしはわれのおかんにも、われにも謝れとは言わんで? せやけど、一人ぼっちっちゅーのは悲しいもんや、帰るだけ帰ったり? 明日まだおかんが怒りよっとったら一日一緒にあそぼ? な?」
 多分この喧嘩は一過性のものだろう、例え少し長続きしても少女は一日遊べばまた笑顔を取り戻してくれる。どちらが悪いとは決して言えない状況でそれを悟ったのか、抱きしめた晦の手を勿体無いというように手放した彼女はこちらから視線を外した。
「ぜったい? 明日ままがおこってたら、遊んでくれる?」
「せやな、絶対や。 わしが嘘ついたコト、あるか?」
「ある」
 がくり。肩を落とすしかないが、これは晦も何を言っているのかは理解出来た。いつもの店先、今度また触らせてと言った少女が来る日に時々自分が買い出しに行っている時の事だろう。
「……へへ、つごもりちゃんはわるくないってわかってるから、泣かないの!」
「ああ、もう。 泣いてへん! 泣いてへんから……人騒がせやなぁ」
 静かになった晦に今度は少女が手を差し伸べる。同じ背丈になった者として、紅い髪を撫でる手に、慰めるつもりが逆にその幸せそうな笑顔に救われた気にもさせられた。この分だと明日、母親が怒っていなくても彼女は自分を遊びに誘いに来るのだろう。それもまた、小さな楽しみになりそうで良いとする。
「よし、元気が出よったら帰れるな?」
「うん! ぜったい! やくそく、ね!?」
 涙の篭った声は相変わらずであったが、念を押すところを見ると彼女はしっかり帰路につけるだろう。立ち上がるまで待ってやると、嬉しそうにゆっくりと離れていき、最後の最後まで晦の髪を指でもてあそんで行く。
「いたずらっ子に育っとるんやろなぁ。 ――あ、買い物! しまったまだ何もかっとらへん!?」
 頭がくすぐったい、と顔を振って気付く、まだ空っぽのエコバックには寂しげなお使いリストが隙間風に揺られている。目の前の、小さな背中は夕日に染まりピンク色のコートは赤く染まっていた。

 買出しという作業は夕方という時間も合い極まって厄介である。夕食を控えた時間、作り置きのおかずはこういう時間に独り者や時間を有意義に使いたい奥様向けによく、売れる。タイムセールよりはマシであろうが、残り少なくなった品を買い、ついでに自由に使ってよいと言われた小額の金で奇抜な色のガムも買う。
 美味しいらしいガムは匂いがきつく、いつもは敬遠しがちだが友人が行きに強請ってきた為もある、たまには晦も口にしてみたいものだと手に取った。
 紅色の着物を着た男が白い、大きめのエコバックを下げている姿を持って帰る姿もここ数ヶ月見るようになった光景だ。晦もこういった買い物はした事が無く、最初は酷く手間取ったものだが『実体化』が当たり前になった銀幕市で、そう自分を酷い目で見る者も居なかった。そんな、暖かな目で見てくれる周囲に感謝が多かったせいもある、映画から出た『何か』が悪さや困った事をしでかせば解決に向かいたいという気持ちが高まったのも。
(またごねりよるな。 せやけど、明日は貸し切りやわ)
 帰り道、夜空はもう少しで銀幕市を覆う頃。小さな星を眺めながら、晦は北風に鼻を鳴らした。明日きっと来るだろう客人の為に今日は早く寝なければいけない。友人が遊びに出ようと五月蝿いかもしれないが、本日は我慢してもらおう。
(……――あいつ、ちゃんと帰りよったかなぁ)
 遊びという言葉で妙に高ぶった仔狐としての本能とは裏腹に、まるぎんから遠ざかり人も少ない道、異様な気配が近づくのを感じる。姿は見えない、だからこそ余計に少女が家路につけたのか心配でもある。

「なんや、嫌やな。 感が当たりよった」

 異様な気配がただの杞憂であれば良いと思っていた。けれど、曲がり角を曲がった先のコンクリート上に、黒い塊があった。晦の目の前に佇む、いや、絶えず蠢いている『それ』は紛れもなく銀幕市に元々ある物ではない。
 ヴィランズか、口にする前に蠢いていただけの『それ』は獣のような形をとって晦を襲った。

「こんなトコにおって、人様に迷惑かけよったら……どないするんッ!」
 駆けるという表現が相応しい相手の爪が晦の手を掠め、着物の袖を引き裂く。幸い深いものでは無かったが、ヴィランズであるという事は間違いないらしい。買出しの品を道路脇に投げ捨てるが如く退けると腰に下げた木刀を構える。
(こいつ、どこから出てきよったんや……それに……)
 賑やかとまでは行かないが、ここは住宅地である。いつ誰が襲われていても不思議ではない状態、何より晦を見つける以前この物体は『蠢いていた』のだ。現在は狼に似た、それでも十分すぎる程大きな身体からは、慣れ親しんだ銀幕市の人間らしい匂いまでを漂わせていた。
「食ったんか……」
 口にした事実は半信半疑だった。人間の匂いはするものの、この獣には『生きている』という息吹が感じられない。晦の中にある稲荷神の知識で言えば被害が出ているのならばそれが絶望的でも、まだ食われた生物の痕跡を感じられるというのが知る範囲である。
(わしの知らんトコ出身やってコトか? ……せやけどこの空気は――)
 新しい獲物を見つけた狼の影は晦の様子を伺っているようだった。最初の攻撃から生き物だったなら目のある部分でこちらを何度も首を振り、眺める。まるで、目の前に居る自分が美味であるか品定めをしているように。

(――妖怪……!)

 一通り眺め終わると鳥が獲物を啄ばむが如く、言葉を出し終える寸前にまた獣の爪が襲い掛かってくる。二度目の攻撃だ、流石に避ける事は容易く。木刀に一蹴された影はコンクリートに叩き付けられその姿を一時、闇に変えた。
「変形体やな……どうりで分からん筈や」
 倒れた影がまた動き始める。散らばったジグソーパズルが勝手に一つになるように、この獣は複数の妖怪。複数の意識が融合し合ったヴィランズだった。核である部分も既に黒一色で染められており、晦の混乱した頭ではそれが何であるか瞬時に判断は出来ない。
 ただ、感じる空気は肌をぴりぴりと刺激し、晦をも捕食しようとする野生のそれに似た敵意。
「稲荷を食うなんぞ千年以上早いで!!」
 影が全て集まり、また自分に攻撃を仕掛ける前に晦は住宅地から抜け出す為、走った。
 このまま自分だけを狙っていれば仕留める事も可能だろう。だが、晦はそれ以前に駆け出しの稲荷神だ。もし住宅地の人間が出てきてしまったなら野生の本能は確実に弱い人間を狙うだろう。守れなかった場合、それが一番怖い。
(しっかし、こいつの核はなんや……? ヴィランズ? いや――)
 速度を影が付いて来られるよう、減速しながら考える。一度コンクリートに叩き付けられた、獣が散らばった姿はどちらかと言えば『散らばっている側』がヴィランズの妖怪にも見えた。
 妖怪と一言で言っても様々な分類が可能である。自然界から発生する物、人間が恐れる感情や使用した物。どれも自主性に欠ける者の多い中、それらを踏まえて考えると核に当たる部分がヴィランズ自身であるとはあまり考えにくい。
(まさか)
 住宅地を抜ければ小さな公園に出る。ブランコすら無い、寂れた場所ではあるが逆にこの状況ならば晦にとって有利な状況だ。
 色褪せた象と豚の遊具前で晦は振り返り、木刀を構える。見据えた先には、息一つ切らさない黒い獣の姿。
「……われ」
 き、と睨み付け。飛びついてくる獣の足を叩き、草も生えぬむき出しの地に相手を倒す。手加減しての一太刀だ、影は散らばらずによろけながらも起き上がり、嘲笑うかのように喉を鳴らした。
「何を核にしとるんや!?」
 苛立ちと共に破邪の一太刀を浴びせた。核になる何かが居てはと最初こそは加減もしたが、明確に相手の姿が見えてくるわけでもない。もう一度『中心に居る何か』を見る為に振り下ろされた木刀は狙い通り、獣の形を崩す。

 ――稲荷神っちゅうもんは天罰も与えよるが、それだけやない。助けるのも、人間と共存するのもわしらの務めや。
 尊敬する父から賜った、破邪の力を帯びた刃の無い一振りは決して普段、致命傷を与える物ではなかったが、妖怪や成仏を拒む者に対して本来彼らが歩むべき道を正してくれる力を持っている。
 殺すばかりが全てではないと教えを繰り返し思う。そんな晦だったから、ほんの一瞬『それ』を見つけると一振りに殺傷能力が無いという事実に安堵すら覚えた。
『つご……ゃ……――ん』
 太い声だった。もう人の声ですらなかった。相手も自分を認識しているのか中心で蠢いているから、言葉を漏らされるまで分からなかった。数体の妖怪に憑かれ、精神を身の全てを食われた核は飛び散った影の中で蹲り、また形を成していく間だけ。晦と束の間の逢瀬をしたのである。
 小さな核、子供の手と足と顔を持った獣の内側。全てが黒く塗りつぶされているというのに、目だけは人間の光を灯していて、意識もあるようだった。

「おい、われ! 何しとった……ッ!!」

 帰れなかったのか、このヴィランズに掴まってしまったのか。言葉はまだ沢山ある。
 けれど、何も考えずに晦は小さな身体に手を伸ばした。黒い、まるぎんに行く前、更に今まで自分を抱きしめたいと喚き散らしていた彼女は既に妖怪のヴィランズだ。けれど関係ないと思考を散らしながらどす黒い肌へと手を伸ばす。

 ――共存できへん時はどないするん?

 焼き付けられた記憶の中で幼き日にそう、教えに対して疑問を投げかける自分が見えた。人間へ化ける事も出来ず、ただ興味だけで山を駆け回っていた頃である。
 延ばした手は少女に触れる事すら叶わずに、集まりつつあった影に侵食された。いや、正確には指先へ熱い炎を当てられたような痛みに襲われ引くしかなかったのだ。利き手は木刀を持っていたお陰か、そうでない手の指先に感じる激痛に晦は思わず喉を詰まらせたが、まだ力を失ってはいない。
「……ッ!? 絶対、ぜったい助けたるから……!」
 痛みに耐えながら声を荒げた。けれど、晦の言葉は獣には届いていない。姿を取り戻せばまた自分の方へと牙を向き、鋭い爪で襲い掛かってくる。
 至近距離からの攻撃を受け流すのは至難の業だった。手を伸ばせる距離に居た相手の爪はかろうじて構えをとった木刀に刺さり、利き腕だけで弾き返す。瞬時、片腕の骨が軋んだ。
(どないする? ……どないしよう?)
 何も浮ばない自分の頭脳に晦は焦った。滅してしまうだけならば今の状態でも不可能ではない、だがその選択はつまり核の死、少女の死を意味していた。なんとしてでも避けたい。彼女にはまだすれ違ったままの人間が居る。
 何より晦も夕暮れに『人であった時』の少女と交わした約束を楽しみにしている一人なのだから。
 木刀に宿った破邪の力は異端に宿った力を破壊するだけの物ではない。人や物にとり憑いた災厄ならば叩き落し、元の姿に戻すだけではなく災厄すらも本来あるべきものに戻す力があるのだ。
 攻防の中、晦は何度も獣の身体を手加減しながら打った。光と共にとり憑いた妖怪を浄化する為に、その中核の存在を助け出す為に。自身も万能の神ではない、小さな傷に眉を潜め、息を詰まらせながらも少女と憑いた影をあるべき姿に戻そうと尽力したのである。
 例え、その行為に光が見えずとも。

「なぁ、お前ら……そいつから離れてくれへんか……」

 泣き言が口からついて出た。あるべき姿へと戻す破邪の力で獣の頭を、胴を、と何度打っても浄化される気配は無い。確実にダメージを受けている筈なのに、核の人間を放そうとはしてくれない。
(滅してもうたら……終わりやん)
 牙を受けた木刀が軋む。爪を受け流す気力も少しづつ減っていった。獣を模した影の中には見知った少女が居るのだ。ヴィランズとして取り込まれ、滅してしまったならばそれは彼女の死を意味するだろう。

 ――共存できへん時は、滅してしまうん? わしらは、それでも生きへんとあかんの?

 破邪の木刀で、目の前の獣を討つ事は次第に困難になっていった。晦自身の体力、精神力の限界もあった。人間とは違い、稲荷神はタフに出来ているが精神の弱みが出来た以上攻撃はおろか、防御すらおろそかになっていた。
『つごもりちゃん』
 寂れた公園の中、獣と晦は互いを追いかけあう。
 まるで核になった少女が晦と遊んでいるかのような、虚しい二人きりの追いかけっこ。牙を向いた相手の肌を削る傷つけ合い。互いに笑わない、呻き声と相手の命を奪う為に追い、それから逃げる二人の姿。それでも、数度破邪の力を浴びた獣からは微かに少女の意識が確認出来る。
 獣が晦に襲い掛かり、弾かれた瞬間。白くなる意識の中で少女は断片的に自分の記憶を、想いを稲荷神に渡してくる。物心ついた頃から思い出せる限りの楽しかった事、悲しかった事、これから楽しみにしていた約束。
 誰かを襲いたくない、大切な人を想う気持ち。人として死を選ぶ選択。
「なぁ、それで……ほんま、それで……」
 流れ込んでくるのは彼女の願いだった。ヴィランズに取り込まれ少女の小さな身体は蝕みを受け入れるしか無く、放っておけば被害は拡大するだけだろう。彼女が晦に手渡した願いは、幼いながらに何処か大人びた判断だと言えるだろう。
『ぜったい? また――あそんでくれる?』
 けれど、思い出せる彼女の顔はぐずった時見せたそれで、晦は一度決意して振り上げた木刀を振り下ろしそこなった。幼い笑顔に気が削がれる、向かってくる爪に防御は追いつかず、かろうじて避けはしたものの、公園の側面に位置する民家へ衝撃波が走る。
 人気の無い公園だからこそ被害の拡大を防げてはいるものの、この騒ぎではいつ人が出てきてもおかしくは無い。現に数度窓から誰かの視線を感じる。慌てて、来るなと睨みをきかせるのが精一杯だった。

 ――ままを、まもって。

 獣が一際大きく唸った。実体化して間もない妖怪達の塊は腹を空かせていたのだろうか。人間の少女一人では飽き足らず、まだ稲荷神を、見た者全てを喰らおうというのか。疲労を訴えつつある身体で相手の一撃を防御する腕が悲鳴を上げている。
 突進してくる影の首元を狙って、晦は木刀を構えた。刹那という名の映像は永遠のように長く、打ち出した一撃は牙によって塞がれ、それでも強く放ったそれは不自然に獣の腹から背を貫いた。

 ――ままは、ずっとわたしをまもってくれたもの。いっぱいけんかして、いっぱい泣かして、もうままを困らせたくないの。 ね? でも。

 木刀は確かに妖怪達の核を破壊した。熱い感触、刃の無い物で貫いた相手の苦みの伝う手の平。雷に打たれたかの如く消えゆく影達の破片の中、最後に残った中核。少女は矢張り黒いままで晦に手を伸ばし頬に触れてくる。
 暖かい、手の平もまだ少女のままであるのだと知った時、異常なまでの後悔が晦を襲った。よろけ、木刀を引き抜こうとした腕は、それでも彼女が自分に触れていたいと願った為に距離は縮まり余計に深く相手を抉った。

 ――でも、わたしがいなくなったら、まま、きっともっと泣いちゃうかな。

 泣くだろう。だから他に道は無いのかと探したのだ。泣いて、明日など見えなくなる程になってしまうだろう。人も妖怪も情の通じた、ましてや血筋の者が先に逝ってしまうなど考えられもしないだろう。もっと良い方法があったのかもしれない。自分では役不足だったのかもしれない。
 心を満たす罪悪と悲しみのせめぎ合いを聞きながら、晦は哀れな妖怪と大きな傷口になってしまった少女を見送った。
騒ぎのあったこの場所に人だかりが出来るのにそう時間はかからないだろう。
 公園には一巻きのプレミアムフィルムが残るだけ。取り込まれた少女の遺体などは残らない。全てヴィランズである妖怪に食われてしまったのだから。
「わしかて、泣くわ……阿呆」
 近くでなければ聞こえない、小さな声で晦は呟く。フィルムは取らずただ、呆然と立ち尽くしたまま、騒ぎを聞きつけた人間が集まってくる。けれど事情は誰も知らない。
 携帯を取り出した誰かが対策課へ連絡を取ったと晦に耳打ちした。それでも、矢張り皆少女の事も彼女が消えた事も知らない。恐ろしい程、平和な夜空が広がっていた。

 ***

 対策課の対応は『事情を知らない』人間よりはまだ、『銀幕市』だけはあり親身ではあった。ヴィランズが暴れまわった直後に偶々晦が居た事実、少女が居た事実。全ては本当に偶然だったのである。
 消えた命について、対策課の人間は晦を必要以上に問いただそうとはしない。映画の中から出てきたヴィランズだけあり、彼らの方がよく相手を知っていたという事か。暖かな手の平を思い出し、今更ながら買出しへ行く前の自分を呪う他無かった。

 ――それでも生きて、幸せにならへんといけへんの?

 記憶の中でずっと、幼い頃自分が父に問いただした言葉が離れない。あの時、尊敬する偉大な稲荷神はなんと言っただろうか、そして分からないとばかりに口を膨らませた晦をどうあやしただろうか。
 父と子、母と娘。二つの状況が交差する。似た境遇にも見えた親子はしかし、こうも違う結末を迎えてしまうのだろうかと。そう、考えてあふれ出す感情に耐え切れずエコバックからガムを取り出し、口に放り込む。
「なんやの、これ。 全然美味くあらへん」
 声がこんなにも上ずってしまうのはきっと、ガムを噛んでいるせいだ。口の中がこんなにも苦いのはきっと、ガムが不味いせいだ。これを勧めたあの奇抜な兎に文句を言ってやろう。黒く塗りつぶされた感情を拭いながら、晦はありったけの力で自分の頬を拭った。

 自分の温もりしかない頬は、彼女のお別れの感触が残っている。
 彼女がお別れを言う時、決まって小さな手は晦の頬を撫でたから。



クリエイターコメント晦様

お世話になっております、唄です。
プラノベオファー有難う御座いました。オファー文に捏造をつけました所少し切ないシーンが多かった気も致しますが如何でしたでしょうか?
お任せの部分に好き放題してしまいまして、ヴィランズ等を考えるとこうなってしまいましたが、少しでも読み返して頂ける物を書けていればと思います。
ストーリーの組み立ては簡潔かつ、出だしとラストに長い曲になるような雰囲気で書かせていただきました。空気が合っていれば良いのですが。
また、これはしてはいけなかった!等御座いましたら申し訳御座いません。
シナリオなり、プラノベなりにてまたお会い出来る事を願いまして。

唄 拝
公開日時2008-12-01(月) 22:40
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