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<ノベル>
とてもあついあつい日のことでした。
『きょうはタローにお願いがあるの』
いつもあそんでくれる、だいすきな飼育員のおねえさんがいいました。
『あのね、こっちはお金。千円札に百円玉。いっしょにおべんきょうしたからわかるよね?』
タローのおうちは動物園です。
この町にきたとき、さいしょタローはひとりぼっちでした。
おかーさんもきょうだい達もみんなどこにもいなくて、さみしくて泣いていたタローを受けいれてくれたのは、この町の動物園のひとたちでした。
さいしょはさみしかったけど、今はもう平気です。だいすきな飼育員のひと達がいっしょだからです。
タローは町の動物園でまいにち楽しくくらしていました。
『お金はがま口にいれておくね。あと、こっちはスケッチブック』
そういっておねえさんはタローのくびにおサイフとお絵かき帳をかけました。
首をかしげるタローに、おねえさんはいいました。
『あのね、ここにかかれたものを買ってきてほしいの。お願いできる?』
はじめてのおつかいです!
タローはうれしくて、大きくしっぽをふりました。
■ □ ■
『対策課会議室にただちに大至急』
対策課の山西より、およそ社会人とは思えぬそんな主語も述語も説明も一切ないメールを受け取り、黒瀬 一夜 (クロセ イチヤ)はやっぱり来たか、と顔を顰めた。
恐らくは、アレだ。今日対策課に張り出された依頼の一つ。
偶然見かけ、その瞬間から一夜は嫌な予感に襲われた。
高校の先輩である山西に、こうして巻き込まれるのはいつもの事である。そして断れず、何だかんだとフォローに回ってしまうのも、一夜の気質というかこれもいつもの事だった。
事前に入手していたカタログをズボンの後ろポケットに突っ込み、ああ何で今日に限ってバイトが休みなんだとボヤキながら、バイクで駆けつけた銀幕市市役所。
ピーチバッキーのルピナ入りのヘルメットを脇に抱え、ノックと共に開いた扉の向こうでは――
「こっちのツナサンドも頂き〜」
「あっ、駄目ですよ! それ一夜さんの分なんだから、残しておいてあげないと……」
「何だ、賢児腹減ってんのか? しょーがねぇなー、オレの半分食うか?」
既に騒がしく打ち解けた様子の今回のメンバーが揃っていた。
「あ、いっちんやっと来たー。遅いぞ。イオナズンの差し入れ、食べる?」
今回の事の発端、発起人の山西。どうみてもボケ。
「イ、イオナズンってなんですか!? もう、また変なあだ名勝手に付けないでくださいよー」
バッキー運動会の準備会でも一緒になった、三月 薺 (ミツキ ナズナ)。明らかにボケ。
そして。
「おお、これで全員揃ったみたいだな。ヨロシクな!」
胸元の『熱血』の文字も眩しい赤城 竜 (アカギ リュウ)に、がしっと手を握られブンブン振られる。
弾みで赤城の肩のピュアスノーバッキーのスノーと、メットの中のルピナが震度6並みの勢いでガクガク揺れた。
これは、残念ながら、確実にボケだ。
(今回ツッコミ役は俺だけ、か……)
先が思いやられると、一夜は赤城に曖昧な笑みを返しながら、心の中で盛大に息をついた。
「始めに確認でーす。この中で、銀コミ行った事ある人―!?」
山西の声に、残念ながら手を上げる者はいなかった。
「ファン同士が交流するイベントなんかがあるって事は、知ってるんだけどな。行った事はねぇなぁー……」
困っている奴は放っておけない、とヒーローばりの熱い理由で今回依頼に参加した赤城の本業はスーツアクターである。
着ぐるみを着て演技をこなす俳優で、主に戦隊モノに出演している。
特撮ファンの間では通称『中の人』。そんな『本物』が銀コミのようなイベントに行ってしまって大丈夫か、一瞬一夜は不安を覚えたが、元々顔を出して出演していない為さほど問題はないと思われた。
ただ本物のマニアは、スーツアクターのアクションや体つきだけで、誰であるか判別してしまうものらしい。
現に特撮マニアの山西などは、先ほどから物凄いキラキラした瞳で、赤城を見詰めていた。
そんな山西の熱視線にはさっぱり気付かず、熱心に一夜持参のカタログを捲る赤城。
実はこのオッサン、ファンの交流コスプレイベントに仕事場から本物の衣装を拝借して、身分も顔を隠したまま2、3回コスプレ参加をした事がある、というお茶目な逸話を密かに持っている。
しかし、同人という分野に関しては、まったくの無知だった。
「それにしても、植村さんのファンブックが作られてるなんて凄いですよね〜」
たまたま対策課に来ていた所、運動会で顔見知りになった山西に声を掛けられ、この『植村さん本コンプリート作戦』に参加する事になった薺は、まだ自分がどんな事に巻き込まれたか、それすら分かっていなかった。
それ程、薺にとって同人の世界は未知の物だった。
学校の友達に相談した所。
――あのね、アンタさっきからコミケコミケ言ってるけど、正確にはコミケは東京の有明で開催される今回まるかぶりのアレで、コミケ=同人誌即売会の名称じゃないんだからね? コミケはコミケ。銀コミは銀コミ。全くの別物。まあ、最近オタクとかテレビと取り上げられちゃってブームだから知らない人は一緒くたにして、コミケ=同人誌即売会って呼んじゃってるのかも知れないけど。そんな事会場でウッカリ言ってたら、アレだよ? ガ○ダムをロボットと言った瞬間『ガ○ダムはロボットじゃありませんー、MS(モビルスーツ)ですーッ!』って怒るガンオタ位の勢いで突っ込まれるよ?
と、全く訳の分からない謎の解釈付きで、銀コミのカタログを買ってきてくれた。
持つべき物は友達である、たぶん。
「この本(カタログ)に載っている、植村さんの絵の所に行けばいいんですよね?」
「植村、対策課、なんて単語も要チェックだな」
「参加数は…わ、結構あるな……。これ見ると、同じジャンルは近い場所で固まっているみたいだな。ええと、植村さんって…ジャンル、なんだ……?」
「お、このページ、そうじゃないか?」
「えーでもテニスラケット持ってますよ? 違うんじゃないですか?」
「ぶはっ! こっちのページスゲー! 植村さんキラキラしてる!!」
「先輩、それも違うんじゃないですか? なんか貴族っぽいし。墺って書いてあるし」
「あ、植村さん発見! 対策課って書いてあります! やったぁ! ……でも、この闇村さん、ってなんでしょう、か?」
「ん?」
「うーん??」
「……まあとりあえず、それは置いといて。サークル名、とスペースNO.、か? 書き出していきますね」
色々と難航した植村さん本探しだったが、結局カタログから発見出来たそれらしきサークルは、男性アイドルに2サークル。よろずジャンルに3サークル。その他『植村さん本有り』と書かれている他ジャンルを集めると4サークル。
計9サークル見つかった。
「9、か。これなら案外いけそうだな!」
「ここの端に配置されているのは、大手という所で人気らしいですね。だから早めに並ばなければいけないな……」
「手分けして回った方が良さそうですね。誰がドコに行くか、担当決めましょうか。……あ、ちょっと山西さん! ちゃんと話し合いに参加してくださいー! 何見てるんですか!?」
「俺、ここの特撮ジャンルも行きたいー」
「ハイハイ、植村さん本コンプリート出来た後で、ね。先輩言い出しっぺでしょう、ちゃんとやって下さい!」
こうして作戦会議を終えた『TEAMゲッター』(命名山西)の面々は、万全の態勢で来る決戦の日に備えたのだった。
■ □ ■
お買いもののお店はたくさんのひとでした。
みんなおおきなカバンやリュックサックです。たくさんお買いものをするようです。
おひさまはきらきら、そらは真っ青です。
お店は外にありました。ひろいひろい公園に、たくさんの机とたくさんのイスがならんでいます。
タローは人と机のあいだを、すすみました。
おねえさんのおつかいは、ひとつではありません。たくさんお買いものをしなければなりません。
おねえさんがかいてくれたお絵かき帳のばしょを、タローはいっしょうけんめい目指します。
たくさんの人がタローを見ています。おつかいエライね、と言ってくれているようです。
タローはうれしくなって、どんどんどんどん先にすすみました。
■ □ ■
「えええええーっ!?」
「……何でこんなに人が?」
「すげぇな……!」
今回銀コミの会場である銀幕市平和記念公園に辿り着いた『TEAMゲッター』は、目の前の光景に驚き立ち尽くしていた。
人、人、人である。
銀幕市の何処にこんなに人がいたのだろう、というほど会場には人が埋め尽くされていた。
しかしそれは当然である。今回のイベント、市外からも一般客が大勢押しかけているのだ。
日々増えるムービースターの数。その為ジャンルの中には、実体化したスターの存在によりここが聖地と化したものもいる。
これでも例のまるかぶり日程の為、参加者は少ないのだという事実を、幸いな事に彼らは知らない。知る由もない。
驚きなのは、これがイベント開始2時間前だという事だ。
なんでこんなに朝早くから来る? っつーか並ぶ!?
スタッフに誘導されるがまま、一般待機列に並んだ一同は言葉もなかった。
これでも早いかな、と言っていたのだ。でも目的はコンプリート、念には念を入れ早めに集合したというのに、並ぶ列の先頭は遥か先だ。
じーわっじーわっじーわっ
み゛―んっみ゛んみ゛んみ゛んっ
緑に囲まれた穴跡地である今回の会場。早朝から、セミの鳴き声も盛大だ。
暑さ対策に目深に被った帽子のつばの先、見上げた空は何処までも青く高い。
「暑く、なりそうですね……」
薺の漏らした一言に、誰もが静かに頷いた。
戦いは既に始まっていた。
待つこと、2時間。更に会場後、入場制限でもかけられているのか待たされること1時間。
ぐるりと会場を回るように歩かされた末、やっと入場出来た会場内は、既に阿鼻叫喚の騒ぎだった。
「走らないでくださーいっ会場内は走らないでー……走るなって言ってんだろゴルァッ!!」
「場内で不審物を見つけた場合、直ちにスタッフに……」
「どうぞお手に取ってご覧くださ〜い。あ、未成年の方はご遠慮くださ〜い」
事前の打ち合わせ通り、既にメンバーは担当の持ち場へと散り散りで向かっていた。
買い物のコツを同業者のツテで聞きかじっていた赤城は、今回フル装備で万全の態勢である。
服装はいつもの動きやすいジャージに、背中には沢山入る大きめのリュックサック。汗拭きタオルを首から下げ、水分補充に清涼飲料水入りペットボトルも忘れてはいない。あとは、暑さにも若者にも負けない持ち前の気合い!
格好から見れば、赤城は完璧な一般買専参加者だった。しかし――
「お、ここだな。どうれどれ。植村さん本はー……っと」
「ひっ!」
赤城が向かったのは、男性アイドルジャンル。その端に配置された、植村さんサークルの2スペース。
周囲は、若い女性客ばかりだった。売る側のサークルも皆うら若き乙女達。
対して、齢50を迎えた赤城。しかしまだまだ現役、仕事柄鍛え上げられた体はジャージの上からでも分かる逞しさ。
これ以上のギャップはない。
その場で赤城は一人、明らかに浮いていた。
「うーん?」
値札には『植村さん本☆』と書かれている。表紙には少女マンガのような絵で、キラキラしたキャラクターがキラキラした笑顔をこちらに向けていた。しかし眼鏡はかけていない。が、手には持っている。ちょっと頬を染めて。
「ううーん?」
さて、これはどっちだろう。植村さん本なのか、そうでないのか。
首を捻った赤城は思い切って聞いてみた。机の向こう青くなったり赤くなったり忙しい少女に向け。
「お嬢ちゃん、これは植村さん本ってヤツで合ってるか?」
ガクガクと首を縦に振る彼女は恐らく発行者本人なのだろう。
周囲は哀れみの目でサークル主を見詰めた。その隣のサークルは、すわ次はウチか!?と戦々恐々としている。
そして、その男性アイドルジャンル。すぐ向かいの並びは特撮ジャンルだった。
ザワザワとした囁き。突き刺さる視線は赤城の尻。
(間違いない、間違いないって! あの美尻、赤城竜だって!)
(本人、マジ本人!? スッゲー生中の人、ウホッいい体―ッ)
前面を氷点下に、背面を猛暑に陥れた赤城は、
「よっし、1冊ゲットだな。次は……おお、お隣さんか! がははっ恥ずかしがらなくてもいいじゃねぇか、なあ植村さん本売ってくれ!」
周囲の視線にもその温度差にも一切気付かず、呑気に買い物を続けていた。
「あっつ……」
担当のよろずサークルにて難なく植村さん本をゲットした一夜は、休憩所横で販売していた飲み物を購入し一息ついていた。
Tシャツの裾を仰ぎ、服の下に空気を入れるも一向に体温は下がってはくれない。
黒いTシャツに黒い頭の一夜は、どうもこの炎天下では熱を集めやすいらしい。
「ったく、誰だよ。この時期こんな屋外でイベント開催しようなんて考えた奴は……」
銀コミの開催日開催場所変更の経緯を知らぬ一夜は、あっという間に温くなってしまったペットボトルの中身を飲み干しながら眉を寄せた。
「さてと」
再び歩き出した一夜の顔には、普段見られない黒い笑みが浮かんでいる。
自分の仕事は既に終わった。頼まれた事はきっちりこなす、それが一夜の性格だ。
やるべき事が終わった今、自分の為に動いてもいいだろう、という事で一夜は当てもなく会場を歩き始める。
目的は、あのいつも迷惑な先輩山西だ。
一夜は山西が出ている本を探し、本人に突きつけてやろうと企んでいた。
植村さんの本がこんなにも出ているのだ、あの先輩の本だってあったっておかしくはないだろう。
ニヤリと、一夜の笑みが深くなる。
少しくらい仕返ししたっていいよな、暑い日差しの中超個人的な依頼で借り出されるんだから。
初めて試みた下克上。しかし事はそう上手くいかなかった。
広い会場を半分ほど回ってみたが、ムービースターや長年対策課で努める植村等と違い、最近この街にこしてきた山西のような一般人の本は、中々見つからなかった。
「あー駄目かー……。ん?」
悪巧みを諦めかけたその時。
「アレ? おまえ……?」
「え? ……ッッッ! いいい、一夜先輩ッ!?」
不意に視界に入った少女に驚き立ち止まる。
後輩だ。高校の、弓道部の後輩。
激しく動揺する彼女がいるのは机の向こう側。サークル参加である。
こんな趣味があったんだ、と久しく会っていなかった後輩に驚き、何気なく落とした視線の先のモノに。一夜は、固まった。
「きゃあぁぁぁぁっ!!」
一瞬見えたのは、袴姿の表紙。黒髪の男と、左右の髪が上に跳ねた男。
慌てた後輩が机を揺らした。弾みで地面にぶちまけられる冊子。目に飛び込んできたソレは、ちょっとこの場では自主規制、な感じのそんな肌色の内容だった。
「ゴメンナサイゴメンナサイ出来心だったんです高校時代からこんな事妄想していたわけじゃ決してゴメンナサイーーーッ!!!」
必死の言い訳の悲鳴。突き刺さる乙女達の視線。
悪い事は考えるもんじゃないな、とサラサラと風化しながら一夜は白目のまま弱い笑みを浮かべた。
うっかり自分らしき人物と先輩がモデル(っつーかまんま)の本を発見て、それなんて自爆?
オリジナル創作ジュネゾーンでの出来事だった。
ジャンルは違うものの、カタログで『植村さん本有ります』の記載があるサークルの内、大手と言われる箇所の担当になった薺は、
「凄い……」
その列に目を丸くした。
配置図を頼りに、何とか辿り着いたサークルの場所。
入り口から一番遠い奥のそこに配置されていたそのサークルの前には、既に長蛇の列が出来ていた。
先程走らないでください、とスタッフより声が上がっていたから、走らずなるべく早足で。
薺は列の一番後ろを目指す。
列は4列も出来ている。それなのにこんなに長いなんて。
(凄い! 植村さん、凄―い!)
別にこの列に並ぶ全員が植村の本目当てではないのだが、そんな事はすでに薺の頭からは抜け落ちてしまっているらしい。
興奮で高鳴る鼓動。逸る心を落ち着かせながら、目的の列の切れ目を見つけ飛び込む。
「はぁ、ヨカッタ…並べたぁー……」
「……あの、スミマセン。ここ違いますよ?」
「え?」
列の最後、何やらプレートを頭上に掲げる少女に声をかけられ顔を上げ、薺は大きく口を開けた。
――ここは最後尾じゃありません。
「ええええええーっ!?」
プレートに書かれた文字に思わず声を上げる。
あっちです、と指をさされたの先には、少し離れた場所から更に続く人の列。
「嘘ぉ……」
暑さの所為だけでなく、クラリと眩暈を覚えた薺は、それでも何とか踏みとどまり真の列の終着点を目指した。
辿り着いたその先で、最後尾札を持たされ、そのすぐ1分後には後ろの子に札を託し、更に炎天下並ぶ事1時間半。
「……ホント植村さん、凄ぉ―い……」
疲労と眩暈と、不思議な達成感に包まれながら、薺は苦労の末やっと手にした『植村さん本』を抱え、笑みを浮かべた。
■ □ ■
おねえさんにいわれたとおり、お絵かき帳をさしだすと、さいしょおどろいた店のひともおねえさんのたのまれものをタローに売ってくれました。
ピラピラのお金。銀色のお金。
タローはひとりでもちゃんとお買いものができるのです。
『えらいね』『すごいね』
お店のひとも、まわりのひともみんなタローをほめてくれます。
『凄ッ、エイリアンだゼあのコス!』
『いや、どう見ても本物です。本当にありがとうございました』
『しっかし大丈夫か、アレ?』
『大丈夫じゃね? ほら背中のスケブに、無害って書いてあるし』
『つーかマジありえねぇ、エイリアンがBL買ってるよ!!』
『……コレ、もしかしなくても擬人化とかいけちゃうね』
『ヤバイッそれ萌えるッ!!』
『とりあえず写メッとこ。あ、スタッフには内緒で』
『さっすがリアルは違うね、この細かさ! って当たり前か、本物だし。これはイイ資料ですね』
タローはとても得意なきもちになりました。
■ □ ■
「……え? カタログに載っていない本がある!?」
買い漏れがないか他のメンバーと合流した一夜は、薺の情報に眉を上げた。
「ハイ。ここに来る途中、植村さんっぽい表紙を見つけたので聞いてみたらそのサークルの人がそうだって」
買っておきました、と薺が取り出した本は確かにカタログに表記のない、未チェックの本だった。
「そこのサークルさん曰く、結構突発で出しているところ多いみたいですよ? サークルカットはイベントよりも大分前に書いているから、当日出す本は変わってしまう事が多いって」
「オレもさっきすれ違った子がソレっぽい表紙のヤツ持っていたから、声掛けたんだが……」
肩を落とす赤城。どうやら声をかけたが逃げられてしまったらしい。
確かに父親位年の離れた男性に、秘めたる趣味を直球で聞かれては居た堪れないものがある。
くうっ、と悔し涙にくれる赤城の頬を、慰めるようにスノーがぺしぺし叩いた。
「拙いな……」
一夜は焦り顔で爪を噛んだ。
このままではコンプリートどころか、半分も買えていない可能性がある。
最近はカタログに頼らず、ネットで告知するサークルも増えている昨今。もちろんそんな事同人即売会初参加の初心者である彼らが知っている筈もない。
一夜自身、先ほど会場をさ迷い、その中から目的の本を見つける事がどんなに難しいか悟ったばかりである。
なんの情報もなくローラー作戦を敢行するには、この会場の広さと暑さ、人の多さでは無謀と思われた。
「このままじゃ作戦は失敗だ……。アレ、そういえば先輩は?」
未だ帰ってこないチームのリーダーの存在を思い出し、一夜は顔を上げた。
「ああ、賢児ならさっき映画ジャンルの所で、エイリアンと戦っていたぞ?」
「は?」
「え?」
赤城より、笑顔でさらりととんでもない事を言われ、一夜と薺は時を止めた。
「えええっ!?」
果して、駆けつけたその場所では。
「だーめーだっ! これは俺が先に見つけたんだ!!」
「ギィイギャアァぁ……ッ!!」
本当に、山西とエイリアンこと、T−06 (ティーゼロロク)が戦っていた。
最後の一冊である『植村さん本』を巡って。
「ギギャァ!!」
「負けねえ!!」
尻尾に飛びついた山西が、ぶうんぶうんと振られている。
飛びつかれたT−06も見た目は爬虫類と昆虫を掛け合わせたようなクリーチャーそのもの。しかしその体調は1メートル程とやや小振り。倒されないように、むしろ相手に怪我させないようにと必死だ。
「がははっ、いいぞ賢児! 頑張れよう! それでこそヒーローだ、男を見せろ」
「何無責任な応援してるんですか、赤城さん! 止めなきゃ!!」
大騒ぎの通路の中、薺は地面に散らばるスケッチブックと、T−06が買ったと思われる同人誌を拾い上げ、両目を見開いた。
それから慌てて、目の前の惨状に呆然と立ち尽くすだけのサークル主に声をかける。
「あのっ、この植村さん本ですが、本当にコレ1冊なんですか?」
「え? ああ、こっちの今日1日見本誌として使っていた、値札が付いた物でよければ……」
「ソレください! 是非お願いします!!」
頭を下げた薺は同人誌を受け取ると、勢いよく振り返り大きな声を上げた。
「山西さんもタローちゃんも、止めて下さい!! 2冊買えましたから……っ!」
「え?」
「ぎァ?」
薺の叫びに、ピタリと動きを止める1人と1匹。
「タローちゃん?」
今まさにルピナをけしかけ様と身構えていた一夜は、薺の叫んだ名にポカンと口を開けている。
「ハイ、タローちゃん。その子の名前です」
薺が広げたのはT−06が今日1日、ずっと首から下げていたお絵かき帳だった。
「ね? タローちゃん!」
「いギャァ!!」
名を呼ばれ、タローことT−06は嬉しそうに尾を振った。
既に地面に落とされていた山西が、頭上の空を裂く尖った尾の先端を慌てて交わす。
「いや、タローって……」
「ホラ、コレ!」
「おお、コイツはすげぇ! 植村さん本情報バッチリじゃねぇか! コイツはとんだ宝の地図だぁ!!」
かくして、はからずもタローのサークルチェックリスト(正確には買い物を頼んだ飼育員のお姉さんのリスト)を手に入れたメンバーは無事、銀コミで発行された植村さん本の全てをゲットする事が出来た。
その後、お礼に一同はタローの他の買い物を手伝ってあげた。
「ちょ、この本のタイトル『危険な…』『夜に…』て、BLだ、完ぺきR指定だろ、コレ…! 完全にコイツの飼育員、腐女子じゃないか……! 誰がこんなの買いに行くんだよ」
「BL?」
「え、アール何?」
「腐女子ってなんだ?」
「イギぁ?」
「……うあーもうなんで揃いも揃って今回皆ボケばっかりなんだよチクショーッ! 分かったもういい俺が行ってくる!!」
たぶん今回そーゆー意味で一番大変だったのは、終始ツッコまなければならなかった一夜かもしれない。
激闘の末、少年マンガのように心通わせた山西とタローは既に仲良しだ。
「あ? なんだ? タローこのラミカが欲しいのか? おお、エイリアンマザー。お前の母親だったりしてな、コレ」
「ギャッ! いギァッ!!」
「痛っ! コラ、暴れるなって……っとと。電話だ」
それまで腕の中抱っこしていたタローを薺に託すと、突如鳴り出した携帯に出た山西は『はいっはいっ』と元気の良い返事で買った植村さん本と共に、どこかに走り去っていった。
公園のベンチに腰掛けた一同は、徐々に撤収を始めたサークルと、未だ急がしそうに走り回っている銀コミスタッフの様子を眺めながら一息ついた。
いつの間にか、日は西に傾き始めている。
暑かった戦いも、やっと終わりを告げたようだ。
「本当に暑かったですね、今日は」
「ふう、いい汗かいたな。がははっ」
「無事本も全部コンプリート出来たしな。ああ、タローのお陰だよ。ありがとう」
「ギャギャ!」
「それにしても結構たくさんありましたね、植村さん本! やっぱり植村さん凄いなぁ!」
「そういや中身見る暇なかったな。どれ……。あ、本は全部賢児が持っていったのか、残念」
「どんな内容なんでしょうーねー! 楽しみだなぁ!」
「……まあ、あんまり見ない方が…いいんじゃないか? イヤ、どうしてって聞かれても俺も困るけど……」
互いに今日の健闘をたたえあう。不意に遠く戻ってきた山西の影に、一同は顔を上げた。
「あ、山西さん帰ってきた。お帰りなさーい!」
「アレ? 賢児お前持ってった本はどうした?」
戻ってきた山西の肩は心なしか下がっている。俯く顔も何故か涙目だ。
「先輩……?」
「邑瀬さんが……」
「え?」
しょんぼりと俯きながら山西は言った
「邑瀬さんがさっき東京から戻ってきて、買った本全部見てくれたんだけど…買ったの、間違いだって。植村さん本じゃなかったって……」
「ええっ!?」
そんな筈はない。
どの本も、カタログでチェックしたし、中身までは確認しなかったが、売っていたサークルの人にも聞いた。
何より、タローの買い物に載っていたのは、紛れもない植村さん本リストだった。
今日皆で力を合わせ買った本全ては、確かに植村さん本だった。
それなのに、どうして……?
「邑瀬さんが販売できるルート知っているからって全部買い取ってくれたんだけど……アレ、何か金額多い……?」
――その時。
突如こちらに向けられた抗えぬ視線の強さに、一夜と薺と赤城は、揃って顔を上げた。
遠く3人の視線の先。
落ちる橙の陽を背に、片手に本日の収穫『植村さん本』の全てが入った紙袋を提げたその男は、切れ長の目を更に薄く弓なりに細めた。
うっそりと微笑んだ唇に持っていったのは1本の人差し指。
秘密、だと。
そう飛ばされた無言の圧力に、背筋が粟立つ。これは、寒気だろうか。
そうして、山西の先輩である対策課 無駄美形こと邑瀬 文は、何の労力も使わずまんまと全ての収穫を皆の目前で持ち逃げしていった。
そして、一夜は悟った。
おかしいとは思っていたのだ。
何故山西が突然『植村さん本』なんて騒ぎ始めたのか、その理由。
全ては、諸悪の根源、邑瀬の仕業である、と――
「せ、先輩……」
でも、世の中には知らない方がいいって事がたくさんある。
今回のも、絶対に、確実に、明らかにそうだろう。
「しょ、しょうがないですよ! 今回は、ホラ俺達こういうイベントは初めてだし」
「え?」
「そ、そうですよー。それに、本はゲット出来なかったけど、楽しかったじゃないですか! 普段は出来ない貴重な体験いっぱい出来たし、ね! 山西さん、ありがとうございます!」
「ええー?」
「うん、まあ元気出せ賢児! そうだ、今度撮影所に遊びに来いよ! なんなら、エキストラとして出てみるか? がっはっは!」
「ええっ、マジっすか!? やりぃー!!」
こうして、この日彼らが汗水垂らして苦労の甲斐手に入れた『植村さん本』は、邑瀬さんにより没収され、後に全て彼の奥さんへと献上された。
そして、タローは――
『まぁタローありがとう!!』
買ったものをさしだすと、おねえさんはうれしそうな声でタローを抱きしめ撫でてくれました。
お買いものの途中、お店のひとが絵のついた紙袋をくれました。その中にたのまれものを入れ、タローは首からさげ動物園にかえってきました。
紙袋の中は、おねえさんにたのまれたものでいっぱいです。
重かったけど、おねえさんのうれしそうな顔に、タローもうれしくなりました。
『あら、タロー何つけているの?』
おねえさんが声をあげました。タローのお絵かき帳のひょうしでピカピカにかがやくのは、タローのおかあさんの絵です。
今日いっしょに買いものしてくれたニンゲンがタローにくれました。
おかーさんもきょうだい達もいないけど、タローはげんきです。
動物園のおにいさんもおねえさんも、やさしいニンゲンもみんなみんないっしょだからです。
だいすきな人達にかこまれて、タローは今日もげんきにこの銀幕市でくらしています。
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クリエイターコメント | 皆様、お疲れ様でした。 銀コミにてお買いもの、いかがだったでしょうか? 所々、ネタを散りばめ書かせていただき、とても楽しかったです。 少しでも気に入っていただければ幸いです。 |
公開日時 | 2008-09-08(月) 20:10 |
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