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<ノベル>
六月十三日、夜。銀幕市の住人にとって、特別な日。消える側も残される側も、後もう僅かと知っている中、大教授ラーゴはアレグラと共にナイトクラブにいた。
居候先と縁のあるそこは、アレグラを優しく迎えてくれる。もうそこまで迫るお別れを感じさせないくらい賑やかに、笑って過ごすと決めた人たちが集っている。それでアレグラが笑顔になるなら、ラーゴにとってここは何よりの「最後の場所」だろう。
アレグラはさっきからずっと、店中を走り回っている。楽しそうにはしゃいで、転びそうになると近くの席に座る誰かが助けてくれている。
それは私の役目だ貴様如きが何を不遜な……! などと胸倉を掴んで一人一人殴りたい衝動がなかったといえば嘘になるが、ありがとうだー! と全開の笑顔になるアレグラに免じて何とか堪えている。
(それを何故私には向けてくれないのか……っ)
くっ、と涙を堪えるような素振りで芝居がかって考えるが、取り立てて責めるつもりも詰るつもりもない。向けてほしいという果てしない願望なら尽きないが、それを近くで眺められる今が幸せだからそれでいい。
酔ってしまうのが勿体無くて、ちびちびとグラスを傾けながらひたすらアレグラだけを視線で追いかける。
一緒に来たはずのラーゴを忘れたように戻ってくる事もなく、笑いながら駆け回っている横差しに、ふとオペレッタと名前が浮かぶ。アレグラがあんなに小さくなってしまう前、確かにその面影を重ねて見ていた。
深く深く、亡くして尚執着するほどに愛していた。とてもよく似たアレグラにも同じく固執するほどだったのに、他の一切の記憶がない。
(自業自得だ、悔いはない)
何度も自分を改造し、アンドロイドに脳を移植し続けてきた結果だ。記憶の一部欠落や混濁は、予測の範囲内だった。少し胸が痛い時もあったが、今では受け入れているしそれでいいとさえ思う。
最初がどうあれ、今はアレグラが愛しい。銀幕市で、ちゃんと笑って泣いて怒って、多分に彼女が望んでいたまま暮らせている姿を守りたいと思う、これは「オペレッタの代わり」ではなくアレグラ自身に抱く感情だ。
今度こそ間違わず、愛していきたい。ここで過ごす時間がもう残り僅かでも、瞬きした時には消えているかもしれないほど近すぎる現実だとしても。最後の瞬間まで、ただアレグラを愛せる事は誇りに思う。
(ああ、そうだな。最後を飾る言葉があるとすれば、)
知らず、口許が緩む。アレグラを愛しく思う次くらいには、この場が、この街が、愛しい。
目を伏せ、賑やか過ぎる音を聞きながらそっと笑う。アレグラと二人の時間を邪魔するなと叫びたかった、それさえ静かに落ち着いている。
アレグラは店中を走り回り、優しい人たちに転びそうになるのを助けてもらったり、頭を撫でてもらったりしてぎゅーっとなった。
(皆、笑う。アレグラ、笑う。楽しい一杯!)
何をどう言えば、この「ぎゅーっ」とした気持ちが伝わるのか分からない。とにかく皆笑っているのが嬉しくて楽しくて、アレグラも知らず笑ってしまうだけ。
「アレグラ、ちーまま」
する、と宣言して近くにあったボトルを取り上げそのテーブルにあるグラスにとくとくと注いでいく。すると何故か楽しそうな笑が起き、チーママこっちもと色んなテーブルから声がかかるので、任せとけ! と注いで回る。
そうして走り回りながらふと視線をやると、ラーゴが目を伏せてどこか優しく微笑んでいるのに気がついた。
見間違いかと思って目をぱちくりさせ、ごしごしと目を擦る。それでも優しげな風情が変わらないラーゴを見て、何だかそわそわして、ちょっとだけにんまりしそうになった。
最初はラーゴなんて、大嫌いだった。煩く構ってくるし、いつも偉そうだし、何より悪い事を平気でするのが嫌だった。実体化してからもそれはあまり変わりなかったのだが、最近ちょっとだけ印象が変わってきた。
アレグラの知らないところで、どうやらアレグラのためにと色々頑張ってくれたらしい。優しいところもあるのだと知って、無闇に嫌いだとは思わなくなってきた。
(でも意地悪する、よくない)
アレグラ以外の人間には、まだ全然優しくない。だから言ってはあげないが、言わないだけでちょっと好きになった。ほんの、ちょびっと。
それは多分、この街に来ないと分からない事だった。この街はアレグラに色んな事を教えてくれた、友達も沢山くれた。お別れを思うと、泣きたくなるほど悲しくてちくちくするけれど。
「チーママー、こっちは来てくんねーのー?」
「チーママもジュース飲む?」
笑いながら遠く声をかけられたり、働き詰めのご褒美にとジュースの入ったコップをもらうと、やっぱりぎゅーっとする。あんまり嬉しくて楽しくて、とたとたとたとその場で足踏みをしたアレグラはアタッシュケースを開けて生卵を取り出した。
「アレグラ、卵やる! うまいぞ!」
たくさんのめとテーブルに置いてあるコップに生卵をそのまま突っ込むと、その持ち主らしい男性は恐る恐るそれを持ち上げている。
「えんよ、すんな!」
「えんよ……遠慮? いや遠慮つーか、つーか遠慮したいよーな気がひしひしと……っ」
さすがにちょっと無理と引き攣った顔で言う男性にアレグラは首を傾げ、それからぽんと手を打った。
「足りない、するか? ふはは、ならば好きなだけ食らうがいい!」
言いながら持っていた卵パックからどんどん卵を投入し、コップの中で割れたり割れなかったりした卵と酒が複雑に絡み合っている。飲むのかこれは飲まないと駄目なのかーっと凄まじく葛藤しているらしい男性を、うまいぞときらっきらした目で見上げる。
周りの女性が頑張れここは心意気で、親切を無駄にしたら後で分かってんでしょうねぇ等々男性を追い詰めているが、アレグラはよく分からないで首を傾げる。
飲むよ飲んだらいーんだろうっと半泣きになって男性がそれを飲もうとした時、横からそれを掻っ攫ったのはラーゴだった。
「貴様ら如きにアレグラの愛を飲めるはずがない! 見よ、これが私の愛の証……!」
言うなりものすごい勢いでコップを空けるラーゴに、何故か凄まじい拍手が送られる。それが何だか嬉しくて、口許がじんわりと笑いそうになって、アレグラは卵のパック追加を取り出した。
「まだある、のめ! のめのめー!」
「お姉様、素敵飲みっぷりーっ」
「姐さん、俺の代わりに……!」
感動っすとコップを奪われた男性が咽び泣き、周りはやんやの喝采を送っている。
酒を飲んだはずなのに、じゃりじゃりと音を立てて咀嚼しながら口許を拭ったラーゴの持っているコップに、アレグラはまたしても卵を注ぎ込んでいった。
「わ、私の愛を試そうと言うのだな、アレグラ! よかろう、好きなだけ試すがいい、これが私の愛……!」
「あいない、でものめー」
周りが囃すのと同じように拍手するアレグラに、ラーゴはまたしても──というか今度は卵だけのそれを、一気に呷る。
そろそろ、ちょっぴり顔色が気になるような違うような。
アレグラはそこまで気づかず、ただラーゴが皆から拍手されている状態が楽しくて仕方がなかった。
生卵二パック(勿論、殻付き)を飲み干したラーゴは、ふははははははとあまり焦点が合わない様子で笑いながら近くの椅子を引き寄せて身体を投げ出した。今動くと、大変危険な気がする。
それでも愛を証明してみせたと達成感に満ちていると、いきなり誰かが歌い出したのに気づいた。知らず伏せていた目を開けると、歌っているのとは別の誰かがそれに合わせて踊り始めている。
初めは何が起きたのかと驚いていたアレグラは、近くの女性に手を取られると一緒になって踊り、分からないまま歌詞を口ずさむ。歌うというほど歌えていないが、それは店の大半の人間がそうだった。
ああ。この街は最後まで、こんな風に賑やかだ。
賑やかなのに、穏やかで。泣きたくなるほど、愛しい。アレグラが笑っていられる、それだけで。
(感謝してもいい……、感謝、する)
この子が幸せになれる時間を、くれたから。ほんの少しでも分かり合える時間を、……側にいられる時間を。ラーゴにとって奇跡に等しい、優しい夢をくれたから。
消える時に何か言葉を残せるのならば、決まっている。
ちらりとラーゴが視線をやると、アレグラも彼をちらりと見上げていて目が合った。ふと、知らず優しく微笑み合う。消えるのなんて、怖くない。隣に、アレグラがいてくれるのだから。
──ありがとう──
大好きな、この街に。大好きを一杯くれた、優しい人たちに。大好きを教えてくれた、この街の奇跡に。
「ありがとう!」
だいすきな、なにもかもに。たった一つ残すとするなら、とびきりの感謝の言葉を。
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クリエイターコメント | 本当に最後の最後、しんみりしつつも楽しい夜を過ごされるお二人様を描かせてくださいまして、誠にありがとうございました。 最後の日、お互いを改めて意識し合う姿というのも、くすぐったくなるほどいいものですね。口にはしないけれど通じていたらいいなとひっそり願いを込めつつ、描写させて頂きました。
あまり暗くなりすぎず、重くなりすぎず、ふわりとした空気を目指し……、無事に着地できていることを祈ります。 お心に添う形で仕上げられていれば光栄です。
最後の大事な時間を綴らせてくださいまして、ありがとうございました。 |
公開日時 | 2009-07-03(金) 18:10 |
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