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<ノベル>
●≪暗黒≫の夢
淡々とした足取りで、七名の探索者が歩いている。
情報を集めるとはいっても、眼に映るものは空と海と地平線しかない。
朝とも夕ともつかない不安を誘う空の紫と、沈むことのない海。
その足元には、廃墟と化した銀幕市が亡霊のように横たわっている。
空も海も視界をさえぎるものは何もなく、下手をすれば方角さえ見失いかねない。
たまに何か見かけたとしても、それは歪曲した棒状のものであったり、海上を浮遊する顔面のモノリスであったり、およそ意味不明な物ばかりだ。
「見渡す限り、虚無的な空間に思えますね……」
願わくば、この『穴』のどこかに希望があるようにとつぶやき、ラズライトが足を止める。
先ほど能力を開放して確認してみたところ、ある程度の能力はその威力をほとんどなくしているようだった。
蒼水晶はかろうじて武器の形をとることはできるものの、それ以外の能力付加は具現できなかった。
司属霊・シトリンは、その肩の上でしきりに首輪を気にしている。
能力の一部ともいえるシトリンにゴールデングローブは不要とのことだったのだが、念には念をと、ラズライトが付けたのだ。
そのシトリンに関しても、やはり大幅に能力を抑えられている。
わずかばかりの雷の力を使うことはできるが、いつものように全力で戦うことは難しいだろう。
彼らムービースターが『穴』へ潜るためには、ゴールデングローブの装備は欠かせない。
ある程度の能力低下は、その代償だ。
ラズライトは能力低下も含め、自分が感じた心理的・環境的な変化や印象を逐一メモに控えていく。
「まるで、シュールレアリズムの世界だね」
紙のようにしなる時計だとか、燃えるキリンのたてがみだとか。
どこかで見た西洋絵画がこんな印象だったと、鎮はラズライトを追い越しながら思案する。
鎮はいつもの穏やかな印象とは裏腹に、眉間にしわを寄せて歩いていた。
彼が『穴』を訪れるのは今回で三度目だ。
この『穴』が出現してから、もう随分と時間が過ぎているように思う。
調査は遅々として進まず、時間が過ぎれば過ぎただけ、良くないことが起こっている気がしてならない。
今度こそ、だ。
今度こそは、この『穴』がどういったものなのか、少しでも詳しい情報を持ち帰らなければならない――。
「鎮様」
ふいに腕を掴まれ、思わず足を止める。
「速すぎます」
振り返れば、同行していた言祝が彼の名を呼んだのだとわかった。
気づけば皆よりもだいぶ先まで歩いていたらしい。
金髪の自動人形が、心配そうに鎮の顔を覗き込んでいる。
鎮の護衛として同行していた彼女は、緊急時には薄野を脱出させることだけを最優先に行動するつもりだった。
何が起こるかわからない場所だからこそ、もしもの時に迷わないように――。
「鎮、単独行動は危険じゃぞ!」
先を行く二人に気づいたゆきが、水筒を携え駆けてくる。
彼女も不安げな表情だ。
ゆきは己を奮い立たせるようにゴールデングローブの数珠を握り締めると、ためらいなく鎮を叱責した。
「はやる気持ちもわかるが、何かあってからでは遅いのじゃぞ」
これまで探索する者たちを見送るしかできなかったゆきは、今回こそはと皆に同行していた。
さして強力な攻撃力を持っているわけでも、特別な能力を持っているわけでもない。
『穴』へ向かうことそれ自体が、恐ろしいという気持ちさえ抱いている。
しかし戦おう、と思ったのだ。
この町を脅かす『絶望』に、自分なりのやり方で立ち向かいたかった。
率先して探索を行い、少しでも新しい情報を手にしようと思う気持ちは誰もが一緒だ。
しかし情報を得、持ち帰ることまでが彼らに託された任務だ。
無茶は許されない。
「うん、そうだ。……そうだね」
二人の視線に気を静める。
鎮は額に手を当てると、静かに息をついた。
「しかし、こうやって穴ん中に入ることになるとはな」
腕輪状にあつらえたゴールデングローブに触れながら、チェスターは注意深く周囲を観察していた。
潜入地点となる入り口はすでに遠ざかっている。
彼らの帰還を待つ援護部隊の姿は、もはや点ほどにしか見えない。
しかし、彼は常に進んできた方向――退路を把握し続けていた。
その隣で、メンバーの中で唯一緊張感を解いたケトがぼやく。
「なあチェスター。このゴールデングローブとか言う奴ってさー、ぜってぇキラー化しないっつー保証はないんだろー?!」
どうにもその性能の真偽について気になるらしい。
先ほどから首輪型のゴールデングローブをいじり続けている。
「あのな。それを言ったら、ここに居る俺たち全員ヤバイことになるだろ」
行動中の七名のうち、六名がムービースターで、一名がムービーファンだ。
もしこの装置が役に立たないとなった場合、彼らが無事に戻れる確立はほぼ皆無といっても過言ではないだろう。
「今はゴールデングローブを頼りに、探索を進めるしかありません」
二人のやり取りを聞いていたラズライトが微笑み、先へ行きましょうと促す。
そこで、先を行く六名を見つめ続けていたゲルダがふいに声をあげた。
「向こうに、影が見えるわ」
意味不明なオブジェとは違う、と続ける。
示された方角を見やると、確かにその付近だけ何か黒い影が集まりつつある。
「どうするの」
淡々としたゲルダの問いに、考えるまでもない。と、言い切ったのはケトだった。
「行くっきゃないだろ!」
彼らは未知の情報を集めに来たのだ。
誰ともなしに頷き交わすと、七人はその方角へ向かい歩き始めた。
●空と海の≪悪夢≫
まるで悪い夢を見ているようだ。
空と海だけのこの場所で、視界の先に見えていたのは異形の群れだった。
幸い近くに巨大なモノリスが佇んでいたため、七名はそこで待機している。
モノリスにはやはり顔面がついていたのだが、動く素振りもなければ敵意もないらしく、攻撃してくる様子はない。
顔面だけに多少の視線は気になるが、この際やむを得ない。
持参していたスチルショットを構え、異形の様子を伺いながら鎮がつぶやく。
「報告にあった『ディスペアー』だね」
空を泳ぐように身体をうねらせて泳ぐそれは、先の事件の際〈まだらの蜂〉から出てきたものに酷似していた。
探索へ赴く前、皆が資料を確認したのだから間違いない。
「あれが、『絶望』」
確認するようにゲルダが繰り返し、中空に浮かぶどす黒い生き物を見つめる。
感情のない瞳は、その情景をただ記録しているに過ぎない。
「そう深刻な顔すんなよ! 常に幸せ全開な俺が、絶望なんか吹き飛ばしてやるぜ!」
異形の群れを見たところで、ケトのポジティブシンキングは変わらない。
ゲルダの様子を不安げに見つめていたゆきは、ケトの言葉に思わず笑みをこぼした。
探索を始めてからずっと緊張の連続だったが、ここへ来て態度の座ったケトに、ゆきは少なからず励まされていたのだ。
「しかし、あの数を相手にするのは無茶というものじゃ」
「返り討ちにされるのがオチだな」
ゆきに続けてケトの声を受け流しながら、チェスターは手元の銃を確認する。
チェスターはケトほど楽観していなかった。
現時点では有益な情報を手に入れたとは言いがたいが、確実に任務を遂行するためなら、敵を倒すための無茶は不要だと考えている。
万が一の際には、撤退するのが良策だろう。
ディスペアーはさらに数を増やしつつあり、今敵に近づきすぎるのはあまりにも危険だ。
「それにしても、とんでもない数ですね」
メンバーの中ではある程度の攻撃能力を有しているラズライトでさえ、この数を相手にできるとは思えなかった。
能力を用いない通常戦闘用にナイフを携帯していたが、異形の群れはすでにナイフ一本で相手になる数を超えている。
大きなディスペアーを見たという報告はあったが、空と海を埋め尽くすほどの敵を見たことはあっただろうか。
「鎮様。おかしいと思いませんか」
それまでじっと異形の群れを見守り続けていた言祝が、視線を定めたまま続ける。
「……彼らはなぜ、仲間同士で戦っているのでしょう」
何のことかと、鎮は一瞬いぶかった。
しかしすぐに異形の群れを見やり、その言葉の意味するところを知る。
確かに、海から現れたディスペアーに対し、空を泳ぐディスペアーは攻撃を仕掛けているように見える。
空のディスペアーは羽とヒレをしならせ、海のディスペアーは節くれだった脚に、ハサミを思わせる鋭利な口で威嚇する。
海のディスペアーは現れては沈められ、なおも新しく這い上がってくる。
遠目に見ても、海から現れるディスペアーの方が劣勢と思われた。
「仲間割れでもしてんじゃねえの?」
ケトの言葉に、チェスターが眉間にしわを寄せる。
「……海から出てくるやつ。ここの光景には、違和感がある姿だな」
空のディスペアーが深海魚を思わせる外見なのに対し、海のディスペアーは、どこか昆虫に似た禍々しい姿態を持っていた。
空と海の情景が広がるこの世界に、その姿は確かに違和感がある。
「もしかすると、ディスペアーにも種類があるのでしょうか」
ラズライトのつぶやきに、まさかとチェスターが笑う。
「種類って?」
「ここの他にも、別のネガティブゾーンがあるとか」
思いつきでの発言だったので、ラズライトにも確証はない。
しかし、『穴』の底に広がる不可思議な空間が、このネガティブゾーンなのだ。
真偽のほどはともかくとして、持ち帰って他の探索部隊の報告と検討してみる価値はあるだろう。
その時だ。
……ぉぉおおおおおお ぁおお お おお お あ
七名が身を隠していたモノリスが、空を震わせるように声を上げた。
「なッ!」
ケトが思わずモノリスを振り返る。
鼓膜がびりびりと響くほどの大音声は、視線の先の『絶望』の元へも、しっかりと届いていた。
「……まずい」
鎮が、手にしていたスチルショットを握り締める。
どす黒い『絶望』の群れが、一斉に動きを止めていた。
●かの者の名は≪絶望≫
それまで敵対していた海と空のディスペアーは、モノリスの声に争うことをやめていた。
どうやら彼らの意向は、「人間を排除する」という一点のみにおいて同じらしい。
素早いディスペアーは、すでにこちらへ向かってきている。
後方の群れも、いずれ大移動を始めるだろう。
「鎮さま、撤退を」
ディスペアーの様子に、言祝が鎮をうながす。
「何で叫ぶんだよおまえー!」
モノリスが声を上げたことが、よっぽど信じられなかったのだろう。
ケトが蹴りを入れると、モノリスは再度おおんと遠吠えをあげる。
「馬鹿! 余計なことしてないで逃げろ!」
飛翔してきた海のディスペアーに向かって銃を放ち、チェスターが退路を示した。
その羽音は通常の虫のそれを超えて、はるかに不愉快な響きだ。
ゆきはすぐさま走り始めていた。
特に攻撃手段を持たない彼女は、足手まといにならないようにするしかないのだ。
「ゲルダっ、逃げるのじゃ……!」
同じく攻撃能力を持たないゲルダの手を引くものの、通常の大人の二倍ほどの体重を持つアンドロイドはぴくりとも動かない。
「まだ、記録できるわ」
ゆきは先にと告げ、再び迫りくるディスペアーを見つめる。
「って、待ってだからって俺を集中して狙うの反則ー?!」
先ほどから一番賑やかしくしていたからだろうか。
向かい来るディスペアーの攻撃をかわしながら、ケトが翼を広げる。
そのままチェスターとゆきのそばに舞い降りると、問答無用で二人を抱えあげた。
「おいっ、ケト!」
銃で牽制をしかけていたチェスターは、攻撃を阻害され不服の声を上げる。
しかし、ケトは聞く耳を持たない。
「俺たちは先に行って、皆を呼びに行く!」
翼を持つとはいえ、二名を抱え続けて飛ぶには相応の体力を消費する。
援護が間に合うならそれに越したことはなく、誰もその判断に異論はなかった。
ケトが飛び立ったのに続き、言祝が皆を促す。
「入り口まで、走ってください」
言祝の言葉に、ゲルダはまばたきもせずに彼女を見やる。
「記録は」
「さあ、早く!」
問いかけたゲルダの声をさえぎり、鎮がその腕を引く。
今度はゲルダも抗わず、鎮に従って走り始めた。
言祝、ラズライトがその後に続き、駆ける。
退路はチェスターが把握していた。
ケトは彼の示すまま、一直線に飛翔していく。
後方を行くゲルダたちとの距離は開いていったが、入り口までにその姿を見失うことはないだろう。
言祝とラズライトが時々に足を止め、迫りくるディスペアーを牽制する。
言祝が眼から放つビームは、異形の群れをなぎ払い、足止めに効果を発揮した。
近づくディスペアーはラズライトが確実に屠っていく。
ゴールデングローブを装備しているとはいえ、その力は一般人を超えるものだ。
力尽きたディスペアーは海の中にずぶずぶと沈み、後方から、さらに多数の群れが続いていた。
鎮は走りながら、たびたび後方を確認していた。
それは二人が心配なこともあったが、ディスペアーの行動に気づいた点があったのだ。
ディスペアーは言祝とラズライトが足を止めると、その先を行く鎮とゲルダに追っ手をかけなかった。
「たぶん、優先順位があるんだろうね」
ゲルダがその声に、ちらと視線を投げかける。
「それは、『あなた』か『あたしたち』か、ということね」
この推測が正しければ、ディスペアーは人間とムービースターの違いをかぎ分けているということになる。
だからムービースターである言祝とラズライトが足を止めた場合、彼らを優先的に仕留めるべく、人間である鎮を攻撃対象から外すのだ。
鎮は息を切らしながら頷くと、無言で足を速めた。
こんな些細なことでも情報だというのなら、彼はそれを何としてでも持ち帰らなければならない。
やがてゲルダが顔を上げると、目線の先に入り口がはっきりと見え始めた。
先に到着しているケトの姿も見える。
二人を抱えて全力で飛翔し、力尽きたのだろう。
待機していた者たちに支えられ、入り口の向こうへと運ばれていく。
「嬢ちゃん、幾ら座敷童子が幸運の持ち主だからって無理はすんな」
ゆきは突入部隊として、入り口まで同行していた京平との再会を喜んでいた。
また『穴』の入り口で、ゆきの無事を祈る男が居たことも伝え聞く。
「ラズライトと言祝がまだだ!」
運ばれていくケトを見送りながら、チェスターが援護部隊に叫んでいた。
しんがりの二人は、未だ入り口から距離のある場所を走っていた。
ディスペアーの群れが迫りつつある今、牽制をする余裕はもうない。
入り口を前に、鎮の足は止まりかけた。
しかし、そばを走っていたゲルダが、その腕を掴む。
「言祝は、入り口まで走れと言ったわ」
くずおれそうになる鎮の腕を掴み、ゲルダは最後まで、言われた通り走り続けた。
鎮とゲルダが援護部隊に確保された後、すぐにラズライトと言祝を助けるべく数名がディスペアーに攻撃を仕掛けはじめる。
「これはまた、凄い数だねえ」
結界を張って入り口付近の守りを固めていたエンリオウが、迫りくる敵の数に思わずこぼす。
「相手が悪すぎだよー!」
敵を引き離すべく前に出た芳隆だったが、彼の≪雷撃弾≫と≪暴威弾≫をもってしても、その数は撃ち落しきれるものではない。
レイはラズライトと言祝が入り口の向こうに戻ったのを確認し、ジムに合図を送る。
「入り口が閉じるぞ! 退け!」
ネガティブゾーンで暴れ損ねたRDは、ここでも思う存分力を発揮できないとあって舌打ちをした。
「クソっ、つまらん!!」
しかし彼の目から見ても、確かにここのディスペアーは数が多すぎる。
RDはぶんと腕をひと振りすると、指示に従って入り口の向こうへと退避した。
●―― Do Androids Nightmare of Despair?
『穴』から戻った後、一向は探索に赴いた際の一部始終を収録したメモリーと探索部隊が持ち帰った情報をまとめ、そろえてマルパスに提出した。
ディスペアーにも別の種類がいること。
ディスペアー同士が争っていたこと。
また、別のディスペアーが争っていた場合でも、人間やムービースターを見つけた場合は、その排除を優先すること。
そして、人間とムービースターが居た場合、ムービースターを優先して攻撃すること。
マルパスがひと通り資料に目を通したところで、それまで沈黙していたゲルダが口を開く。
「確かなことは言えないけれど」
『穴』の底にある世界で見た情景を思い返し、アンドロイドはぽつりと感想を漏らした。
「見据えるべき『絶望』は、ひとつだけではなさそうよ」
了
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クリエイターコメント | お待たせいたしました。 ご参加の皆さまはお疲れさまでした。 【ネガティブゾーン探索】をお届けします。
空と海の『絶望』による情報が、 次へと繋がる『希望』となりますように……。
それでは、またの機会にお会いしましょう。 |
公開日時 | 2008-06-28(土) 22:00 |
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