|
|
|
|
<ノベル>
目に痛いほどの青空だった。取島カラスは、眼鏡の奥の目を細める。日差しは暖かく、出かけるには良い陽気だった。
ふぅ、とため息をつく。銀幕市に魔法がかかってからというもの、本当に色々なことが起きた。楽しいことも、悲しいことも――本当に。
ふと、目の端に、父親と思われる男性の手を取りはしゃぐ、女の子の姿がとまった。じわり、と温かいものが胸に広がる。
色々と考えることはある。でも、今は目の前の約束を果たすだけだ。せっかくリディアと久々の休みが重なったのだ。心から楽しめばいい。それだけだ。
そう気を取り直すと、カラスは歩みを進めた。
リディア・オルムランデは、周囲におどおどと視線を彷徨わせながら、にぎやかな銀幕広場の片隅に、ちょこんと腰掛けていた。
以前よりは慣れたと思うが、あまり人ごみは得意ではない。加えて、リディアの美貌は人の目を惹きつけてしまう。思わず振り向いた通行人と目が合い、その度に曖昧な笑みを浮かべてやり過ごしていた。
今、銀幕市を大変な事態が襲っている。それは決して人ごとではない。リディアもムービースターだからだ。けれども、彼女の周囲の人々は、相変わらず温かかった。もちろんその中には、不思議な縁で父と娘という関係となったカラスも含まれている。そのカラスと久々に出かけられるとあり、つい嬉しくて、約束の時間より早く着きすぎてしまった。横に置いたバスケットに、そっと手を置く。
何気なく目を向けた先に、こちらに見とれている少年の姿があった。彼が、ばつが悪そうに軽く頭を下げたのを見て、リディアもつい、こくこくと首を振った。
それからしばらくの後、広場の中央近くで周囲を見回しているカラスの姿がリディアの目に映る。リディアは立ち上がると、バスケットを手に、歩き出した。カラスもこちらに気づき、歩いてくる。お互いに、自然と笑顔になった。
「久しぶりだね、リディ。元気だった?」
「お、お久しぶりです。……はい、おかげさまで元気です」
カラスがぽん、と優しくリディアの頭に手を置く。リディアは少しだけ身構えてしまったが、すぐに笑顔を浮かべた。父の手は、温かい。
「お昼まで時間はあるし、どこか、行きたいところとかあるかな?」
カラスの問いに、リディアは首を横に振る。
「わ、わたしは、とりしまパパと一緒なら、ど、どこでもいいです」
「じゃあ、とりあえず、聖林通りでも歩いてみない?」
「はい!」
カラスは、頷くリディアを見て歩き出そうとしたが、すぐに立ち止まった。リディアが不思議に思い、目を瞬かせていると、カラスは少し迷うような素振りを見せてから、口を開いた。
「ねぇ、リディ。手を繋いでも……いいかな?」
それを聞き、リディアは戸惑った。何と答えて良いのか分からず、視線を彷徨わせる。
「あ、嫌なら良いんだ。ごめんね」
カラスが申し訳なさそうな表情で言うのを見て、リディアは慌てて首を横に振った。そうじゃない。
「ご、ごごごめんなさい! い、いやってわけじゃな――ないんです! ちょっと、驚いただけでっ!」
そう言いながら、思い切って右手を差し出す。カラスはその手とリディアを交互に見、それからそっと握った。
そして二人は、ゆっくりと歩き出す。
聖林通りには、様々な店が並ぶ。それを二人で眺めながら歩く。いつものように街は賑やかで、活気に溢れていた。そのことに、少しだけホッとする。そういえば――とカラスは思った。今まで、リディアにプレゼントというものをしたことがない。
「リディ。何か欲しい物、ある?」
そう尋ねると、リディは繋いでいた手をパッと離し、ぶんぶんと振る。
「ほ、欲しい物だなんて――! そんな、こうして、お、お会いできただけで十分です!」
「それは、俺もだよ。ただ、せっかくなら何か、プレゼントしたいなって思ったんだ」
それを聞き、少し動きを止めてから、リディアは口を開く。
「あ、ありがとうございます! え、えっと……」
「無理矢理にじゃなくて良いんだよ。ただ、何かあればってことで」
急にきょろきょろと周囲を見回し始めたリディアを見て、カラスは思わず笑みをこぼした。彼女の精一杯の気遣いがありがたくもあり、微笑ましくもある。
「は、はい……あ」
頷き、顔をこちらへと向けたリディアの視線が、そのまま後方に向かった。カラスも、つられて振り向く。
そこには、小ぢんまりとした花屋があった。
「花が欲しいのかい?」
尋ねるカラスに、リディアは曖昧に頷く。
「あ、ええと……そ、そうじゃなくて……ちょっと、思い出したんです」
そう言って少しうつむいたリディアに、何と声をかけるべきか、カラスは迷った。
『思い出した』というのは、恐らくかつての世界、かつての親友のことだろう。リディアにとって辛い体験であったであろうことに、軽々しく触れるべきではないと思う。
でも。
「もし良かったら、俺に聞かせてくれないかな?」
聞いてあげることで、少しは楽になるということもあるかもしれない。そう思ったら、自然に言葉が出ていた。
リディアはそれを聞き、頷くと、少し考えてから話し始める。
リディアの故郷、レノアンクでは、豊作を神に感謝するために、毎年『花祭り』が行われるという。街中を花のシャワーが舞い散る中、『花娘』に選ばれた娘が、白いドレスを纏って、歌いながら街中を歩く。
リディアも、『花娘』を演じたことがあるとのことだった。
「……最初、あの、白いカサブランカが、アマリリスに見えたんです。ルカが、好きだったから……それで、ちょっと『花祭り』のことも、思い出して……」
「そっか。――リディ、おいで」
「あ……え? は、はい……」
カラスは、戸惑うリディアの手を引き、歩き出した。
人ごみの中を、縫うように進んでいく。
人と接するのは、まだ怖い。頑張っているつもりだけれど、まだ苦手だ。
でも、カラスの手は、こんなにも温かい。
リディアが連れて行かれたのは、一軒のブティックだった。ショーウィンドーには、可愛らしい服が並んでいる。
「いらっしゃいませ」
中に入ると、店主と思われる女性に声をかけられた。年齢は良く分からないが、フリルのたくさんついた服が妙に似合っている。
「何かお探しですか?」
「ええ、白いワンピースドレスが欲しいのですが」
「それでしたら、こちらに幾つかございます」
店主に連れられて、店の一角に向かうと、色々なデザインのドレスが置かれていた。カラスはそれをひとつひとつ見ていく。
「お二人は恋人ですか?」
店主に唐突にそのようなことを言われ、リディアは驚いたが、彼女が口を開く前に、カラスが答える。
「いえ、父娘です」
「そうなんですか。若いお父様ですね」
そう言って微笑んだ店主にぎこちなく微笑み返しながら、リディアは温かなものが体内を満たしていくのを感じていた。
カラスが口先だけの人間でないことは知っている。でも、素直に嬉しかった。
「そういえば、まだお店に出していないものがありました。お花をモチーフにしてて、可愛いんですよ。お嬢さんに似合いそう」
そう言って奥に向かう店主の言葉に、カラスとリディアは、思わず顔を見合わせた。
「あ、あ、ありがとうございました!」
「どういたしまして」
かしこまって言うリディアに、カラスは微笑み返す。
ブティックの店主が言ったように、奥から出されてきたドレスは、リディアにあつらえたかのようにぴったりだった。リディア自身も気に入ったようなので、買うことを決め、せっかくなのでそのまま着ていくことにしたのだ。リディアは嬉しそうに、自分の体を何度も眺めている。
「じゃあ、行こうか」
「はい」
カラスはデイバッグを肩にかけなおし、リディアの荷物を片手にまとめて持つと、もう片方の手を差し出した。
リディアは躊躇わず、その手を取る。
もうすでに日は高く上っている。
二人が向かった公園では、天気が良いということもあってか、人の姿をあちらこちらで見かけた。二人は、サッカーをしている子供たちを横目に、弁当を食べるのに良い場所を探す。
「……あ、あそこなんて、どうですか?」
リディアが指差した方には、大きな木が数本、まばらに立っていて、その間には、何人もの人が十分座れるだけのスペースがあった。
カラスは頷くと、荷物を持ってそちらに向かう。
お互いに持ってきたビニールシートを重ねて広げると、二人はその上に腰をおろした。そして、デイバッグとバスケットから、それぞれ弁当を取り出す。
「そ、そのトマトのサンドウィッチ、美味しそうですね」
「じゃあ、あげるよ。……はい、どうぞ」
「あ、ありがとうございます。じゃあ、わたしの木の実のジャムサンド、どうぞ」
「ありがとう。――うん、美味しいね」
「ありがとうございます! と、とりしまパパのお手製サンドも美味しいです」
笑顔でサンドイッチをほお張るリディアを見て、微笑ましく思いながらも、カラスは同時に、胸の痛みも感じていた。
彼女が、人間の食事で満たされることはない。彼女の飢えを癒せるのは、吸血鬼の血だけだからだ。人間であるカラスに、それを提供することは出来ない。
けれども、ただの人間であるが故に、彼女に与えられたもの、与えられるものもあるのだろうか。
それは、良く分からなかった。
でも、それでも願わずにはいられない。リディアの――愛する娘の幸せを。
昼食後、二人は公園の中にある梅園へと向かった。
そこでは、梅の花が咲き誇り、花びらをシャワーのように降らせていた。
「綺麗……」
リディアはそう呟くと、カラスの手を離し、踊るように歩く。
右足、左足、右足。
ドレスの裾がふわりとなびき、金色の髪が、流れる星のように煌く。
カラスはそれを見て、まるで花の精を見ているかのようだと思った。
もしかしたら、そこにいた皆が、同じことを思ったかもしれない。
「ねぇ、リディ」
「は……はい」
カラスが声をかけると、リディアがゆっくりと振り向いた。長いまつげに花びらが触れて落ちる。
「何か……歌ってくれないかな?」
その言葉に、少し首をかしげてから、リディアは笑顔で頷いた。
「……はい」
ひらり ひらひら 花びら舞う
まるで いのちの ひとひらみたい
忘れないわ めぐり めぐるときを
あなたと 一緒に 過ごせたこと
覚えていて あなたが ここにいる奇跡
あなたが たどった 希望の軌跡
美しい歌声だった。
周囲で梅の花を見ていた人たちは、一瞬何が起こったか理解できなかったようだった。
ただ、呆気に取られてこちらを見ていた。
リディアが思わずお辞儀をすると、拍手が沸き起こる。すると、彼女はどうして良いのか分からなくなり、おろおろとし始めた。それを見て、カラスは彼女の手を取る。
「行こう」
そして、走り出した。
花びらの雨の中をつき抜け、草原を横切る。
「ごめんね、リディ。歌わせたりして」
カラスが謝ると、リディアはゆっくりと首を振った。
「わ、わたしも、歌いたかったから……花娘をしたときも、たくさんの人が喜んでくれて……だ、だから……嬉しかったです」
「そっか……それなら良かった。素敵な歌だったよ。ありがとう」
カラスは、手を伸ばし、リディアの髪をくしゃりと撫でる。
「……そろそろ、帰ろうか」
「……は、はい」
日はもう傾いてきている。
素敵な時間は、こんなにも速く過ぎて行く。
帰り際、カラスはもう一度花屋に寄り、ピンクのオステオスペルマムの鉢植えを買った。それを、リディアに渡す。花言葉は変わらぬ愛、ほのかな喜び――それが、大切な娘とともに、いつもあるように。
カラスは、ムービーキラーと化した者は、どんなに親しくとも、大切でも、斃すと心に決めている。
それが、たとえリディアだったとしても。
――だから、どうか。
自分の首にかけてあった緑耀石を、リディアの首にそっとかける。
精一杯の、祈りをこめて。
「いつも、君が笑顔でいられるように、ね」
――どうか、君は堕ちないで。
「わ、わたしも……つ、作ったんです。お礼にしては、足りないかもしれませんけど……」
リディアは、荷物の中を探ると、小さなちりめん細工の匂い袋を出し、カラスの手に握らせた。ちりん、とついていた鈴が鳴る。
「そんなことない。ありがとう、大事にするよ」
それは、カラスの心からの言葉だった。
「それじゃあ、また」
カラスは笑顔でそう言うと、リディアから静かに離れる。
「は、はい……また」
そうしてカラスはゆっくりと歩き出す。
もう顔から穏やかさは消え、決意を秘めた厳しい表情に変わっていた。
その背に、リディアの声がかかる。
「わ、わたしは! ……わたしたちは、いずれ、かつての世界に帰って行きます。きっと――必ず。だけどわたしは、とりしまパパや、銀幕市の皆さんに出会えたことを、わたしを受け入れてくれたことを、本当に嬉しく思っています……だ、だから!」
ゆっくりと、噛み締めるように。
「だから、どうか……明るい気持ちを忘れないで! 幸せな夢を、絶対に忘れないで!」
カラスは立ち止まり、ゆっくりと振り返った。
「うん。俺は忘れない。――絶対に」
たぶん、上手く笑えたと思う。リディアも、はにかんだような笑顔を返した。
そう。絶対に忘れたりはしない。
リディアは、カラスの後ろ姿が見えなくなっても、しばらくそちらを眺めていた。
自分の伝えたかったことは、伝わっただろうか。言葉が上手くない自分がもどかしかったが、きっと、カラスなら分かってくれたと思う。
いつだって、希望は残されていると思うから。
手のひらの中の緑耀石が、茜色の日を受け、不思議な色に輝いた。
|
クリエイターコメント | この度はオファーありがとうございました。鴇家楽士です。 ぎりぎりのお届けになってしまいました。お待たせ致しました。
今回は、プレイングの雰囲気などから、どうしても梅の花びらの舞う中で、リディアさんに歌っていただきたいな……と思いまして、勝手に歌まで作ってしまいました。もしあまりお好みでなかったらすみません。 少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。
それでは、ありがとうございました! またご縁がありましたら、宜しくお願い致します。 |
公開日時 | 2008-04-09(水) 19:00 |
|
|
|
|
|