★ キャンディ・プレイは薔薇の色 ★
クリエイター犬井ハク(wrht8172)
管理番号102-1002 オファー日2007-10-13(土) 14:17
オファーPC 白亜(cvht8875) ムービースター 男 18歳 鬼・一角獣
ゲストPC1 朱鷺丸(cshc4795) ムービースター 男 24歳 武士
ゲストPC2 レーギーナ(ctzm3286) ムービースター 女 30歳 森の女王
<ノベル>

 1.魔の月曜日

 月曜日。
 毎週毎週、週の最初に巡ってくるこの日は、白亜(ハクア)にとっては悪夢もしくは胃痛の源だ。
 一体何故こんなことになったのか、今更誰に尋ねればいいのかもさっぱり判らないが――そして尋ねたところで碌でもない言葉しか返って来ないような気もするが――、それでも、やらねばならぬことに変わりはない。
 誰も、彼の代わりは出来ないのだ。色々な意味で。
「お、おはよう……」
 午前九時。
 白亜はいつものように、カフェ『楽園』へと出勤していた。
 何でこんなことになったのか、数奇な運命の巡り合わせの結果月曜日と金曜日に『楽園』で働くことになって早数ヶ月、時にはフリルだったりレースだったりゴスロリだったりメイド服だったりする悪夢にうなされつつも、白亜は律儀に『仕事』をまっとうしている。
 そもそもが生真面目で手抜きの出来ない性格の持ち主である。
 雇われたからにはきちんと勤めを果たす、これが白亜の信念だ。
 何もそんなところにまで信念を行き届かせなくても、と、漢女仲間たちからは突っ込まれそうだが、性分なので仕方がない。
「おはよう、白亜さん。今日も来て下さったのね、嬉しいわ」
 にこやかに彼を出迎えるのは、諸悪の根源と書いて神代の森の女王と読むレーギーナだ。
 この世界に実体化したばかりの頃は、人間の男への恨みと憎しみに凝り固まって事件を起こしたと聞いたのに、そんなシリアスな過去はどこへやら、今ではすっかり歩くトラウマ製造機としての立場を楽しげにまっとうしている。
 そんな女王の被害に遭うこと数回、すっかりトラウマを植えつけられてしまった現在、映画の中では百戦錬磨の策士として鳴らした白亜も、彼女の前では可愛い仔猫ちゃんである。
「あ、いや、その……」
 女王に正面に立たれると、思わず、自覚なしに背筋が伸びる。
 白亜の今の気分を正しく表現するとすれば、逃げ場のない聖戦に赴く極彩色の殉教者、もしくは全力で獅子の口に飛び込むウサギである。
 ――逃げ場をなくしているのは白亜自身の性質でもあるのだが。
 それを知ってか知らずか、レーギーナはまさに大輪の薔薇が開くような笑みを見せ、
「今日もとても素敵よ、お客様も喜ばれるわ」
 にこやかに言って、白亜を控え室へと促した。
「いや、あの、あまり喜ばれたくな……」
「あっ白亜さん! ちょうどよかったわ、新しい衣装を作ったの、試着してみてくださる?」
「白亜さんなら、きっと何でも似合うと思うけどね」
 どこをどう引っ繰り返しても『男』という性を捨てられない白亜が、女装姿を客に喜ばれたところで嬉しくないのは当然のことだったが――とはいえ昨今では慣れが出て来て時々……いやそこそこ頻繁に『仕方ない』と思ってしまうのも事実だ――、艶やかな振袖をアレンジしたと思しき、エアリーなのにシックなワンピース風衣装(裾短め)を手にわらわらと現れた森の娘たちに取り囲まれると、嬉しくないとかなんで自分がとか、そんなことを言っている余裕は一切なくなる。
「や、その、ちょ……」
 抗議、拒絶は無意味だった。
 確信犯的な黒さを持つ娘たちは、しどろもどろな白亜の言葉など一切聞き入れてはくれない。
「さあさあ白亜さん、着替えましょう」
「最近、自分で着替えてくださるようになったから、助かるわ。――もちろん、こちらで好きに着せ替えられるのも楽しいけど」
「もう少ししたら、お化粧の練習もしましょうか」
「あら……そうね、そうだわ」
 本人の意志まるっと無視で話を進められ、思わず白亜は涙を飲んだが、突っ込んだところで無意味なことは重々承知している。
「あの、と、とりあえず、着替えて、来る……」
 紅梅色の布地にすずらんが描かれた華やかなワンピース、袖がふわりと広がる可憐なそれを抱えて、白亜は逃げるように更衣室へと走る。このまま娘たちのお喋りに付き合っていたら、どんな冷や汗ネタが生み出されるか判ったものではない。
「白亜さーん、今日は、新作の『和栗となると金時のタルト』がお披露目なの。お仕事が終わったら、持って帰ってくださいねー?」
「うふふ、洋酒を少し強めに利かせた大人の味なのよ。皆さん、喜んでくださるかしら」
「そうね、喜んでくださるといいわね」
 さすがに(まだ)着替えを覗くほどセクハラ満開ではない森の娘たちが、扉の向こうで口々に言い、笑いさんざめくのを聞きつつ、白亜は溜め息とともに衣装を見下ろす。
「……何故だろう、何故こういう事態に……」
 知らないうちに、女物の衣装を手助けなしで着こなせるようになった。
 武人ではない歩き方が出来るようになった。
 接客用の丁寧な口調も板についてきた。
 『普通の人間』であるお客さんたちに笑顔を向けることも出来るようになったし、常連さんには自然に笑顔で接している。
 ついでに言うなら、先日、ちょっと強面の後輩まで出来た。彼らの女装姿は少々目にしみるが、『教育』が済んでまっとうさを取り戻した彼らは、付き合ってみると案外気のいい連中で、なんやかや言いつつ楽しく働いてしまっている瞬間がある。
「うん、今日も一日、頑張ろう」
 胸中を吹き荒れる懊悩と血涙に変わりはないが、やってやれないことなど何もないのだと、このアルバイトで学んだ気がする。
 そんなわけで、律儀で真摯な白亜は、今日も溜め息とともにお給仕に立つ。



 2.和み系悪夢、襲来。

 カフェ『楽園』は今日も盛況だ。
 特に、最高級の和栗と、甘味と香りの上品ななると金時を使った新作タルトの売れ行きは上々で、値段としては決して安くないのに、中にはワンホール持ち帰る猛者もいたほどだ。
「和栗となると金時のタルトと、ダージリン・ティーをホットで、ですね。かしこまりました」
 月曜日と金曜日に、美しい一角鬼が給仕に立つことは『楽園』の常連たちには周知の事実で、亜子ちゃんが男だと知りつつも、亜子ちゃん目当てに通ってくるお客は多い。
 そのお陰で、常連さんたちを喜ばせるために――同時に自分たちも楽しむために――、リーリウムが亜子ちゃん用の衣装を量産することになるのだが、自分は愛されていると喜ぶべきなのか、もう少し別の愛され方はないのかと悩むべきなのかは微妙なところだ。
「……でも、うん。確かに美味しそうだ、今回の新作も」
 オーダーを厨房に通し、別のお客さん用のお茶とタルトを受け取って店内へ戻りつつ白亜はつぶやく。
 これを少し多めにもらって帰って、友人たちとお茶をするのも悪くない、うん、だから頑張れ私、などと自分を励ましていた白亜は、
「ああ……じゃあ、この、和栗となると金時のタルトというのを頼む。ん、飲み物か……そうだな、なら、コーヒーをホットで。豆? あー……この、きりまんじゃろ? というヤツにしようか。ああ、よろしく頼む」
 高性能な耳に飛び込んできたその声を耳にして、思わずお茶とスイーツが乗った盆を取り落としそうになった。
「ま、まさか……」
 声には聞き覚えがあった。
 忘れようと思っても忘れられない声だった。
 闊達で、まっすぐで、裏表のない、あけっぴろげで磊落な声だ。
 聞いていて安心出来る、気持ちのいい声だ。
 ――しかし。
「と……朱鷺丸(トキマル)……!?」
 まさか、聞き違いであって欲しい、うん絶対に勘違いだ大丈夫、などと思いつつ恐る恐る振り向くと、そこには、白亜の切なる願いに反して、彼の想像通りの、黒髪に黒目、典型的な日本人といった、声と同じく闊達で凛々しい面立ちの、二十歳を幾つか過ぎようかという青年の姿があった。
 白亜の目が、驚愕に見開かれる。
「……!!」
 均整の取れた長身に、しっかりとした良質の筋肉がついた、好青年と表現するのが相応しいだろうその男は、白亜の出身映画の主人公・朱鷺丸だ。
 衣装こそ、その辺りの衣料品量販店で仕入れてきたと思しき、何の変哲もない代物だが、彼の顔立ちやまとった雰囲気、武人としての立ち居振る舞いには一片の変化もない。
「ど、」
 それらを確認したら、一気に動悸が跳ね上がった。
 手の平が嫌な汗をかく。
 別に、彼が実体化したことをどうこう言うわけではない。
 作中では争っていた、殺した人間と殺された鬼という関係のふたりだが、白亜は朱鷺丸に対して、恨みや憎しみの念は抱いていないのだ。むしろ、心を通わせることの出来た人間と、この平和な世界で再会出来たことを喜ばしく思うくらいだ。
 しかし、今のこの状況がそれを許さない。
 正直、兄や一族の次くらいに見られたくない恰好で絶賛お仕事中なのである。
 この姿を見られるなど、悪夢以外のなにものでもない。
「どうしよう……!?」
 ひとまず、大丈夫だまだ気づかれていないからおちつけ自分、と己を叱咤激励し、お茶とスイーツを待つお客さんのもとへ注文の品をお届けしたあと、引き攣った笑顔とともにバックヤードに引っ込む。
 ちらりと店内を見遣れば、朱鷺丸は、警戒心の欠片もない和み系笑顔を振りまきながらお茶とスイーツを堪能していた。
 当然、平安の時代にはなかった代物だから、物珍しさもあるだろう。平安の世においては、砂糖は薬の一種として珍重されていたくらいで、白亜とて、この世界に実体化して初めて砂糖の使われた菓子を口にしたときは、こんなに甘くて美味しいものが存在するのかと魂消たものだ。
 それは判る。
 判るが、さっさと食って帰れ、という気持ちを抑え切れない。
 とりあえず食ったら帰れ主に私のために、などと脳内に念じつつ、呪いすら込めて見つめていたら、朱鷺丸は近くの席のお客と賑やかかつ和やかに談笑を始めた。ついでに、コーヒーのお代わりと、フォンダン・ショコラまで追加で注文している。
 うん、そうだよね、そういえばあいつ、何か知らないけど人には好かれるタチで、いつもたくさんの友人たちに囲まれてたよね。っていうことはしばらく帰らないかなウフフ。
 白亜の脳内を吹き荒れた懊悩を現代風に訳すれば上記のようになるだろうか。
 時刻は午後一時を少し回った辺り。
 今日の営業は午後八時まで。
 そして問題の男は、どう考えても一時間二時間は居座るだろうと思われた。
 カフェ『楽園』での給仕には、店内をくまなく見て回り、隅々に目を行き届かせ、すべての訪問者に丁寧な接客をすることが要求される。どう考えても遭遇しないわけには行かない。
 ――いっそ逃げたい。
 もしくはどこかに隠れたい。
 しかし。
「……出来るはずがない。これは、仕事なんだから……!」
 何もそこまで律儀に責務をまっとうしなくても、と、漢女仲間たちが目尻を拭いそうな、悲壮なまでの表情で白亜は独白する。
 ならば一体どうすればいいだろうか。
 金髪の鬘(かつら)を被るとか、ニュンパエアに頼んで化粧を少し濃くしてもらうとか、いっそリーリウムに頼んで有名アニメのキャラクターの被り物でも作ってもらうとか、『二十代の男性に近寄ると蕁麻疹が出る』奇病に罹ったと偽って朱鷺丸への接客は勘弁してもらうとか、ぐるぐるぐるぐると色々なことを考え、ああでもないこうでもないと呻いていた白亜だったが、
「――……あ」
 唐突に、悪魔のような妙案を思いついてしまい、ポンと手を打った。
「そうだ、巻き込めばいい」
 彼にもこちら側に来てもらえばいいのだ。
 そうすれば、朱鷺丸に、白亜をどうこう言うことは出来なくなる。
 もちろん、男としての色々なものを危機に晒すこの妙案、何の罪もない朱鷺丸にそれを架してしまうことに対して良心が痛まないわけではなかったが、
「……うん、許せ」
 お茶とスイーツを堪能している、欠片も警戒心のない、油断しまくった姿に、うん、まぁ、いいんじゃね? 的気分が込み上げてきたのもまた事実だ。
「あの、女王陛下」
 だから、白亜は早速その妙案を実行すべく、厨房にてお茶を淹れているレーギーナにこっそりと耳打ちするのだ。
 そう、いい素材がいます、と。



 3.不幸なのは誰だ

 結論から言えば、白亜の耳打ちは採用された。
 知り合い……いや、(ある意味)心の友だからきっと喜んで受け入れてくれる、という白亜の説明を丸ごと信じたわけではなかろうが、白亜がかなり必死で推薦したのもあって、その気になったようだった。
 ならこちらへご案内して、という女王陛下の言葉に、バックヤードから見つめること数分。
 視線に気づいた朱鷺丸が白亜を見つけ、――そして盛大に茶を吹いた。
 それはびっくりするだろう。
 命を懸けて戦い、また心を通わせもした、冷酷非道で知られる鬼一族の参謀が、チラリズム街道を爆走するかのごとき裾の短いワンピースを着て、しかも化粧やアクセサリで装っているのだ。
 それで驚かないようなら、彼は朱鷺丸ではない。
「……ッ!?」
 ものすごい勢いで咳き込み、周囲を驚かせたあと、彼らに非礼を詫びる朱鷺丸に向かい、白亜は手招きをする。
 朱鷺丸が訝しげな表情をしたのを見計らって、白亜は身を翻した。
 従業員の待機場所であるバックヤードを通って打ち合わせや着替えなどを行う控え室へ戻り、しばし待つと、彼の性格なら、追いかけてくるだろうという白亜の予想は的中し、明らかに手練れのものと判る足運びで、朱鷺丸が小走りにやってくる。
 足音がほとんどないのも、映画の中と同じで、少し懐かしい。
 しかし、それを懐かしんでいる暇はないし、感傷に浸るわけにも行かない。
 朱鷺丸が控え室の扉に手をかけたのを気配で感じ、白亜は、艶然と微笑むレーギーナに向かって頷いた。レーギーナもまた、輝くように黒い笑顔とともにかすかに頷く。
「待て、白――……」
 扉が開き、朱鷺丸が中に踏み込んでくる。
 しかし、彼はすべてを言うことが出来なかった。
 何故なら、
「……ッ!? な、なんだこれは……!!」
 いつものように、デフォルトのごとくに、女王が展開したツタ地獄が、あっという間に朱鷺丸を絡め取り、芋虫のようなぐるぐる巻きにしてしまったからだ。
 朱鷺丸は手練れの武人だが、それも女王陛下の展開する美★空間の前には無力だった。殺意や敵意がそこに存在しなかった所為もあるだろう、なすすべもなく芋虫にされてしまっている。
 というか、そうでないと白亜が困るのだ。
「は、白亜、おまえ……実体化していたのか」
「ああ、貴方よりもずいぶん先に」
 憐れを催すほど絶賛緊縛プレイ中の朱鷺丸が、半ば呆然と見上げてくるのを見つめ、白亜は頷いた。
 映画内とは口調が少し違うのは、白亜と同じで、彼が銀幕市という現代社会に溶け込むために言葉遣いを変えている所為だろう。
「その……尋ねていいことなのか判らないが、今のその出で立ちは……」
「仕事だ、深く突っ込むな」
「仕事で、その恰好を?」
「……今台詞に『好き好んでやっているのか』という微妙な意味合いを込めただろう。誰が女顔の女装好きの変態だ、馬鹿たれ。末代まで祟るぞ」
「おまえに祟るとか言われると洒落にならんのだがっ! いや、というかそんなこと言ってな……」
「だが……何、心配は要らない」
「え」
 どこからどう尋ねればいいやら、といった風情の朱鷺丸に、白亜はお仕事用の、とっておきの営業スマイルを浮かべてみせた。
 それはもう、満面に。
 ――しかも黒く。
「貴方にも、すぐに仲間になってもらう」
「は……?」
 意味を掴みかねているのだろう、首を傾げる朱鷺丸に再度微笑んだあと、白亜は、『ワクワク』という擬音語がもっともしっくりくるだろう表情で背後に控えている森の娘たちに合図を送った。
「それでは、よろしく頼む。世界一の美女に仕上げてやってくれ」
 返る言葉は、もちろん『是』だ。
「ちょ、ま、待て、なんだその世界一の美女というのは……ッ!?」
 聞き捨てならない言葉を耳にしてか朱鷺丸が目を剥き、その後、明らかに男という性別で手を出してはいけない類いの衣装を手ににじり寄って来る美しい生き物を目にして更に目を剥いた。
「え、ちょ、な……」
 混乱最高潮、パニック寸前の朱鷺丸に、白亜は厳かに告げる。
「……心配するな、骨は拾ってやる」
 死なば諸とも。
 何て素敵な言葉。

 ――次の瞬間響いた、帆布を引き裂くような悲鳴は、幸か不幸か、店内のお客には届かなかったようだった。



 4.スウィートな試練

「ま、待て待て待て待て、冷静になれ。というかよく考えろ。どう考えてもおかしいだろう、これ!?」
 朱鷺子さん(そのまんまなネーミング)は背もあるし、身体つきもしっかりしているから、女性的な丸みを持たせるためにも肩口のふんわりした衣装にしましょうね、あまり色合いが淡いと膨張して見えるから、引き締めるためにも色は濃い目の寒色系で、アクセサリはあまり派手でないものにして、メイクはそこそこしっかりめにしましょうか、などと、四方八方から森の娘たちに群がられ、外見からは想像もつかない怪力で以って無理やり装わされた結果、ほんの小一時間でカフェ『楽園』の臨時従業員、朱鷺子さんが爆誕することとなった。
 衣装は、海底のような深い青の別珍生地を使った少しレトロなデザインのエプロンドレスに、レースで裾がかがられた純白のエプロン。頭は鬘でポニーテールにされ、繊細な絹のリボンでシックに飾られている。
 メイクは濃い目に、エキゾティックなイメージで、耳元には深い深い青のラピスラズリを使ったイヤリング。
 しっかりした身体つきや凛々しい顔立ちのため、さすがに完璧な女性にはなりきれていないが、少なくとも違和感はない。衣装とメイクがしっくり来ているので、なんとなく納得してしまうのだ。
 そしてそもそもこのカフェは本物の女性ではない漢女たちが数多く勤務する場所なので、お客も大抵のことでは動じない。白亜の後輩たちだって、すでにしっかりお店に馴染んでしまっているくらいだ。
 だから、ちょっと死にそうな顔をしている朱鷺丸もとい朱鷺子さんなど、特別珍しい存在ではない。
「……ああ、うん。よく似合うぞ、朱鷺子さん」
 まったく表情を変えないまま白亜が言うと、
「似合うと言われても変態と言われてもどちらにせよ傷が深くなる気がするんだが……!」
 血を吐きそうな表情で朱鷺丸がこぼす。
 普通に、何の疑問も持たずに男として生きてきた人間には、確かにダメージは大きいだろうが(何せ最初の白亜がそうだった)、しかし、それで斟酌するようでは何のために巻き込んだか判らない。ここでしっかり『楽園』デビューさせなくては、兄や一族が実体化した時の口止めにならないのだ。
 白亜は衝撃のあまり放心状態で棒切れのように突っ立っている朱鷺丸の肩を叩き、満面の黒い笑顔で、
「さて、では給仕に出るとしようか、朱鷺子さん。何、やり方くらいは教えよう、心配は要らない」
 そう言って、漢女デビュー寸前の彼を促した。
 沈着冷静な白亜には珍しく、ちょっぴりテンションが上がっているからか、この瞬間には、漢女が誕生するこんな素晴らしい場面に行き逢える自分は幸せ者だ、などと、少し壊れた喜び方をしてしまったくらいだ。
 もちろん促された方はたまったものではなく、
「じょ、冗談を言うな、何でこれでのこのこ外に出て行ける!? そりゃあここでは何の変哲もない一般人だが、わしは仮にも武士だぞ!? むしろおぬしがそこまで積極的に外へ出ようとする理由が判らぬわ!」
 動転のあまりか、非常に時代がかった、白亜にしてみれば懐かしい口調に戻った朱鷺丸が喚く。涙目なのは、どうあっても許容できない事態だからか、それとも、逃げられないことを本能的に悟っているからか。
 力ずくで引っ張り出してもお客さんに粗相をするだけだ、それでは申し訳が立たない、と、すっかり接客体質が身についた白亜は、朱鷺丸に、外へ出やすくなり、また心を込めて仕事が出来るようになる『魔法』をかけてやることにした。
 以心伝心というか何と言うか、すべてを察してにっこり笑ったリーリウムが、全長5cmくらいの針を手渡してくれたので、それを、
「ちょっと痛いぞ」
 などと言いつつ、朱鷺丸の手の甲にぶっ刺す。
 躊躇一切なし。
「あだっ!?」
 不意をつかれて思わず悲鳴を漏らした朱鷺丸が、
「な、何を……」
 手の平をさすりながら訝しげにこちらを見てくるのへ、
「今のは、女王陛下謹製の、『女言葉が自然に出てくる』ようになる薬だ。効果が現れるのはゆっくりだが、早めに解毒薬をもらわないと、明日からはすっかりお姐さん言葉で話すことになるぞ?」
 晴れやかに説明してやる。
 何故そういう毒にしかならないような薬を作っているんですか女王陛下、という、漢女たちの悲鳴が聞こえてきそうな代物だが、効果は覿面かつ絶大だ。強面の後輩たちも、あれでびっくりするくらい綺麗な女言葉になった。
 朱鷺丸がその被害に合ったことを――というか、遭わせたのは自分だ――気の毒には思うが、自分が遭う被害でなければ問題ない。
「んなっ!? ちょ、待……」
「今日一日、朱鷺子さんとしてしっかり働けたら、女王陛下にお願いして、解毒薬をもらってやらんでもない。……どうする?」
 森の女王と愉快な仲間たちの前では仔猫ちゃん状態ばかり晒している白亜なので、『楽園』での彼しか知らない人々が見たらさぞかし驚くだろうが、本来の白亜はこうなのだ。
 策でもって他者を危機に陥れる腹黒参謀、それが鬼一族としての白亜の、本来あるべき姿なのだから。
 無論、映画内での白亜を知っている朱鷺丸は、彼が冗談など言っていないことをよくよく理解しているだろう。
「な……何たる試練……!」
 思い切り涙目でぶるぶる震えていた朱鷺丸だったが、
「それで、どうする? 私と一緒に、出るか?」
 白亜の二度目の問いに、
「……」
 無言のまま頷いた。
「素直で大変よろしい」
 満足げに笑い、悄然とうなだれる朱鷺丸を背後に従えて、白亜はこの職場で初めてじゃないか、というほど意気揚々と店内へ向かう。
 微笑を交し合った娘たちが、ふたりの背後に続いた。

 カフェ『楽園』はまだまだ繁盛中だ。



 5.ランナーズ・ハイ来(きた)る

 朱鷺丸は武士の家系に生まれた筋金入りの武人である。
 性質は朗らかで豪放だが、根底に流れるものは戦士としての矜持であり信念だし、それ以外の生き方など考えもしないほど彼は武人だ。
 それが、である。
「まあ……とっても素敵よ、朱鷺子さん。亜子さんにお話を伺った時は本当に嬉しかったわ、こんなかたちで、おふたりの友情を確認することが出来たのですものね」
 繊細にして優美、理知的にして妖艶、神々しいほど美しい、それなのに何故か『逆らってはいけない』という危険フラグがビンビン立つ女性は、現在の白亜の雇い主であるらしい。
 それほど銀幕ジャーナルに目を通しているわけでもない朱鷺丸は、彼女が、銀幕市のあちこちで勃発した、激烈に目に痛いハザード空間の源、阿鼻叫喚の女装地獄における諸悪の根源であることまでは知らなかったが、少なくとも、彼女が男という生き物にとって危険な存在であることを魂レベルで理解していた。
 活き活きと接客している白亜はどう見ても素だったが――そう、すでにすっかりカフェ『楽園』従業員の一員である『亜子ちゃん』として身も心も馴染んでしまっている自分に白亜は気づいていないのだ、気づいた瞬間絶望しそうだが――、彼が、この店で働くに至った経緯も、なんとなく判るような気がする。
「こんなかたちで確認される友情というのもどうなんだろうと心の底から突っ込みたいのだが、恐らく無駄なんだろうとも思う」
 別に、友情の部分を否定する気はないし、白亜が本当にそう思ってくれているのなら面映い話だし、銀幕市に実体化した甲斐があるというものだ
 とはいえそれとこれとは話が別で、女言葉になってしまう恐怖感から、亜子ちゃんの厳しい指導を受けつつ接客に精を出して数時間。
 人間、必死になれば何でも出来るもので、そもそも平安時代には飲食店など存在しないのだから接客業に馴染みなどあるはずがないという時代考証以前に、根っからの武人であるがゆえに意図的に人当たりよく接するなどしたこともない朱鷺丸も、営業スマイルってこういうものを言うんだよね的笑顔を瞬時に身につけ、花畑を飛び交う蝶々のような軽やかさでお客さんたちの相手をするようになっていた。
 蝶と言っても恐らく薔薇色か極彩色だが。
「和栗となると金時のタルトに、オレンジ・ペコのファースト・フラッシュをストレートで、ですね。かしこまりました」
 平安人である朱鷺丸にはあまり馴染みのない横文字がすらすら出てくるのは、現代語での敬語が滑らかに出てくるのと同じく『楽園』マジックなのだろうか。ありがたいことはありがたいが、このまま自分の中で『朱鷺子さん』が定着してしまったらと思うと何やら空恐ろしくもある。
「……しかしまァ、賑やかだな」
 オーダーを厨房に通して、準備の整ったお茶と甘味の盆を運びながら朱鷺丸は独白する。
 誰もが楽しげで、幸せそうなのは、ここがそういう場所だからだろうか。
 民草の平安のために戦ってきた朱鷺丸には、それはとても素晴らしいことのように思えた。
「さて……」
 新しいお客にオーダーを取りに行こうとしたら、母親と一緒に来店していた小さな女の子が、床にフォークを落として困っていたので、新しいものを持ってきて手渡してやる。
 女の子はにっこり笑って、
「どうもありがとう、綺麗なおねえさん」
 可愛らしく手を振ってくれた。
 思わず笑顔になって手を振り返し、ハッと気づく。
「不味い……今一瞬、なんか、褒められて嬉しかったぞ、俺……」
 わずか数時間で朱鷺子さんが自分の中に定着しつつあることに青褪めるよりも早く、
「どうした、朱鷺子さん。お客様がお待ちだ、オーダーをお受けしてくれ」
 すでに正視出来ないくらい眩しい後光が射すほど頼れるプロフェッショナルぶりを発揮している白亜が、従業員を探してきょろきょろしている女性ふたり連れのテーブルを指差した。
 彼の手には、これまたプロフェッショナルとしか言いようのない美しさで、十客分ものカップ&ソーサーが積み上げられている。
 これも、ここ数ヶ月で培った技術なのだろう。
「いや……ああ、そうだな」
 頷き、注文を取りに行く。
 彼女らもまた、今日の目玉商品である和栗となると金時のタルトを選び、コーヒーと紅茶をチョイスした。
 朱鷺丸がかしこまりましたと笑って頭を下げると、まだ二十歳かそこらだろうと思われる娘たちは顔を見合わせ、微笑を交わした。
「あの、新しい従業員の方ですよね?」
「ああ、そうだ……ではなくて、はい、そうです」
「亜子さんのお友達なんですか?」
「え、……た、多分……?」
「おふたりともとっても綺麗で、あたし、羨ましい」
「本当。その服もよく似合ってます。お化粧も、どうやったらそんな風に上手に出来るんだろう……?」
「そ、それは、どうも」
 ありがとうございます、ともう一度お辞儀をして、注文を通してきますと朱鷺丸はその場を離れた。
 動悸が早くなる。
 ついでに言うと、息切れもしてきた。
「不味い。どう考えても不味い」
 綺麗とか羨ましいとか似合ってるとか言われて、『朱鷺丸』は勘弁してくれと仰け反っているのに、『朱鷺子』は頬を赤らめて喜んでいるのだ。
 わずか数時間でこの威力。
「こんなに恐ろしいところだったのか、カフェ『楽園』……!」
 何ヶ月も勤務していたら、白亜のように、自分では気づかぬまま馴染んでしまうことになるのだろうか。――恐らく、なるのだろう。
 朱鷺丸はそのことに心底戦慄した。
 しかし――しかも。
「こういう仕事も楽しい、と思ってしまう自分をどうしたらいいんだ……」
 女装はもちろん嫌だ。
 こんな試練を味わったのは生まれて初めてだ。
 しかし、善良な人々と笑顔で接し、また親しく声をかけてもらうのは楽しいし、それはこの世が平らかであることの証明でもある。その楽しさの前に、女装への拒否感がちょっぴり霞んでしまったのもまた事実だ。
 だからこそ、朱鷺子さんを受け入れつつある自分に朱鷺丸は打ちひしがれそうになったのだが、
「どうした、朱鷺子さん。背中が黄昏ているぞ」
 それを狙っていたかのように亜子先輩が声をかけてくる。
「い、いやその、何と言うか、」
「ああ……接客が楽しくなってきたのか?」
「う」
「それは素晴らしいことだ」
「そ、そうか?」
「無論。ならば全身全霊でお客様をおもてなしするのが我々に課された責務というものだろう。閉店まであと一時間、全力で突っ走るぞ」
「……おう」
 真顔で断言してしまう白亜も相当壊れて来ているが、そこで力強く頷いてしまった朱鷺丸もちょっぴりネジがずれていたと言うしかない。
 しかし、ふたりの心はそのときひとつだった。
 お客様に喜んでいただくこと、そのために自分が出来る最善を尽くすこと。
 『楽園』を出る人々が、すべて笑顔であるように努めること。
 それ以外に大切なことなど何もない、とすら、その瞬間には思った。

 それに命を懸けるべく、朱鷺子さんは、残り少なくなった時間の中、カフェ『楽園』を駆け抜ける。



 6.多分、恐らく、大団円

 そして、あっという間に午後八時になり、カフェ『楽園』は今日も無事閉店した。
「お疲れ様、亜子さん朱鷺子さん。よく働いてくださって、とても助かったわ」
 朱鷺子さんに『女言葉になる薬』の解毒薬を渡しつつ女王が笑い、森の娘たちが従業員だけのお茶会をするべく、薫り高い紅茶と今日の目玉商品、和栗となると金時のタルトを運んでくる。
「いや……その、うん。今日は特別よく働いたと自分でも思う。正直、最後の一時間の記憶が曖昧だ」
「わし、違う、俺も最後の一時間は無我夢中だったな。色々な意味で貴重な体験をした……」
 まだお給仕用の綺麗な衣装のまま、白亜はぐったりとテーブルに突っ伏していたが、目の前にタルトの載った皿が置かれた気配に顔を上げ、予想通りのものがあることを確認して笑顔になった。
 閉店後のこれが楽しみでアルバイトが続いている、というのもあながち嘘ではない。
 慣れない接客で思う存分疲れたらしい朱鷺丸が、身体が糖分を渇望する欲求のままタルトにフォークを入れるのを見遣りつつ、運ばれてきた紅茶に口をつけていた白亜は、
「それでね、朱鷺丸さんにも、出来れば月曜日と金曜日にシフトに入っていただけると嬉しいのだけれど、どうかしら?」
 女王のそんな言葉に、思わずお茶を吹きそうになった。
 朱鷺丸は驚きのあまり大きな栗の塊を咽喉に詰めたらしく咽ている。
「ちょ、え、そ、」
 恐らく、ちょっと待ってくれそれは勘弁して欲しいと言いたかったのだろうが、栗の塊が咽喉を塞いでいて言葉にはなっていなかった。
 朱鷺丸が週二回のアルバイトを拒絶するよりも早く、
「だって……ねえ? 白亜さんも、お友達が一緒なら、嬉しいでしょう?」
 レーギーナが美しく小首を傾げて問うた瞬間、
「ああ、そうだな、嬉しい」
 白亜は脊髄反射で頷いていた。
 朱鷺丸が目を剥く。
「な、な、な……!?」
 またしても涙目になっている彼に、白亜は、ふふふ、と黒く笑ってみせた。
「朱鷺子さんがいてくれたら、今までの二倍は頑張れる気がする」
 無論、気の好い朱鷺丸が、白亜にそう言われれば断れなくなると踏んでの物言いである。
 これぞ、死なば諸とも、旅は道連れ。
 同じ映画の登場人物たちが実体化してきたら、仲良く誤魔化し作業に精を出すことになるだろう。
「ぐ……」
 案の定、朱鷺丸は言葉をなくし、ややあってぐったりとうなだれた。
「受けてくださるわよね?」
 お願いではなく確認と言うのが女王クオリティである。
 有無を言わさず雇う気満々である。
「うう……」
 逃げられないことは理解しているのだろう、朱鷺丸は涙目で呻き、
「わ、判った……」
 血涙寸前の表情で、頷いた。
 女王が艶然と微笑み、森の娘たちは嬉しげに笑いさんざめく。
「では、これからもよろしく、朱鷺子さん」
 再会して初めての邂逅がコレで、新たに始まった付き合いがアレというのもどうだろう、と思いはしたが、深く突っ込んだ方が負けだ。白亜とてここからは逃げられないのだから、ならば、なるべく自分が快適な環境を作るに越したことはない。
 表情のそれほど豊かではない彼には珍しく、満面の笑顔の白亜が肩をぽんと叩くと、朱鷺丸はこの世の終わりのような表情とともに、力なく笑ってみせた。反論する元気も、軽口を叩く気力もないらしい。
「では……契約書を交わしましょうね」
 女王がにこやかに逃亡不可の死刑宣告を行う、そんな夜。
 白亜は、そろそろ『何故こんなことに』という根本を忘れそうになりつつ、今日はなかなかに充実した一日だった、何せまた後輩が出来たのだから、などと、ご満悦だった。

 次なる勤務日は金曜日。
 しかし白亜は、実を言うと、その金曜日を案外楽しみにしている。

クリエイターコメントオファー、どうもありがとうございました。

因縁のお相手との再会、ということで、今回の亜子さんは黒さ二割増でお届けしましたが……いかがでしたでしょうか。
朱鷺子さんには、なんと言いますか、強く生きろと申し上げたいです。でも多分、亜子さんには勝てませんよね、彼……。

ともあれ、楽しんでいただければ幸いです。

それでは、また、ご縁がありましたら、是非。
公開日時2007-11-24(土) 10:30
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