★ Hush-a-bye, baby ★
クリエイター高遠一馬(wmvm5910)
管理番号96-7457 オファー日2009-04-22(水) 22:40
オファーPC レオンハルト・ローゼンベルガー(cetw7859) ムービースター 男 36歳 DP警官
<ノベル>

「大丈夫よ、ヴィンセント。あなたは私がまもってあげる」
 そういって髪を梳いてくれるその手は、決して温度を持っているわけではないはずなのに、とてもあたたかく感じられた。それはまるであまり縁をもつことの出来なかった母親というものの温もりを思わせるような――。

 ◇

 助手席に放りやったままの携帯電話が着信を報せた。
 ちょうど、カフェでコーヒーをテイクアウトし、車に戻ってきたばかりだったレオンハルトは、コーヒーを口に運ぼうとした矢先に震動した携帯電話を手に取った。
 電話の向こうで話を始めたのは、とある州警察に属している知己だった。レオンハルトが属しているDP(Division Psychic 刑事部能力捜査課)オフィスがある街からは数百kmほどの距離移動を必要とする街を管轄とするその知己が話した内容は、端的にいえば仕事の依頼に関わるものだった。
 ――その街の一郭にある廃墟は一部の青年達の間でちょっとした“観光スポット”になっているらしい。むろん、歓迎されるべき理由でそうなっているわけではない。いわゆる心霊スポットとして名を知らしめているというのだ。
 その廃墟は立ち入り禁止のテープを貼られ出入りを制御されている。理由は、観光を目的として不法に立ち入った青年達の中の何人かが廃墟内で“事故死”しているためだ。それも一件二件ではない。数件、立て続けに生じているのというのだ。
 死亡事件があればなおさら、立ち入ることは難しくなるはずだ。だが、そこを興味本位で訪れる彼らにしてみれば、むしろそういった逸話が増えれば増えるほど、逆にその知名度を強めていくのだろう。観光目的でその廃墟を訪れる彼らの数は、増加こそしないまでも、減少もしていないらしいのだ。
 依頼内容は当然、その廃墟で生じている“事件”への対処だった。

 オフィスへの連絡を済ませるとすぐに、件の廃墟がある街へ向けて車を走らせた。日没の時刻はもう迎え終えている。廃墟に着くころには、おそらくは深夜遅い時間となっているだろう。
 あるいは、途中のどこかで部屋をとって少し休んでいくのもいいだろう。近辺への配慮を考えれば、むしろそのほうがマナーにかなっているという見方もできる。
 だが、レオンハルトは電話を切るとすぐに現場に向かうことにした。
 ――予兆、とでもいうのだろうか。いや、違う。断定。つまり、廃墟とは、あの場所に違いないという、予感めいたなにかがレオンハルトの記憶を強く波打たせ始めていたのだ。

 
 あまり好んで公にしてはいない過去ではあるが、レオンハルトは六歳を迎え祖父母のもとに引き取られるまでは、実の両親とともに生活をしていたのだった。ただし、それは決して幸福な記憶ではない。
 幼少の頃から不可視の存在――霊と称される彼らとの接触が可能だったレオンハルトは、長じるにつれ、その異能を畏れ蔑みはじめた両親や近隣住民たちから深く疎まれる存在となっていた。
 ――あの紅い目は悪魔に呪われた子だっていう証拠だ
 ――そうじゃない。あれは悪魔の寵愛をうけていることの証さ
 ――神に見離された
 ――気味の悪いことを言うらしいじゃないか
 近所に住む心無い大人たちは皆が口を揃えてそう囁きあっていた。そうして、その迫害から我が子を護るべき両親も、我が子を疎み、まるでレオンハルトがその場には存在していないかのように扱いはじめたのだった。
 食事も満足に与えてもらえず、寝床も用意してもらえずに、幼いレオンハルトは心身ともに限界に近い位置をさまよう日もたびたびあった。虐待だと、通報してくれるような大人も環境も周りにはなかった。そもそも、そういった環境下にあり続けていたレオンハルトにとっては、それが当然の現実なのであって、自分が保護されるべき弱者なのだということなど、絵空事のようにすら思えた。
 ただ、ひとりだけ。
 そう、ただひとりだけ、レオンハルトに笑顔を向けてくれる少女がいた。エミリーという名前のその少女はレオンハルトよりも少しだけ年上だっただろう。ただひとりだけ、エミリーだけがレオンハルトに微笑みかけ、名前を呼び、慰めてくれる存在だった。
 
 ◇

「大丈夫よ、ヴィンセント。あなたは私が護ってあげるからね」
 母親でさえ、レオンハルト――その当時はまだヴィンセントという名であった小さな彼に掛けてくれなかった言葉を、エミリーは当たり前のものであるかのように穏やかに優しく、やわらかな春の日差しのようなあたたかさをもって口にした。
 ヴィンセントが持つ異質な能力が際立っていたのは、果たしてさいわいしたのだろうか。おそらく通常ならば触れることもできなかったであろうはずのエミリーの手はすり抜けることなくヴィンセントの頭を優しく撫で付け、細く小さな体をやわらかく抱きしめてもくれた。例えエミリーの姿が、声が、ヴィンセント以外の誰の目に触れることがなかったとしても、彼女はたしかにそこにいた。いつもヴィンセントの小さな手が触れることのできる距離にいて、ヴィンセントがどんなに小さな声で名を口にしても必ず応えてくれた。
 いつしか、ヴィンセントにとって、エミリーこそが母親と呼ぶものにふさわしい存在へと変わっていた。もしかするときっと、他の子供たちはこういう存在を母と呼び、抱きしめられ、護られて、そうして健やかに大きくなっていくのではないのか、と。
 エミリーはそんなヴィンセントの言葉にくすぐったそうに微笑み、細い首をかしげて言った。「私はあなたのママにはなれないけれどね、ヴィンセント。でも、あなたが望んでくれるなら、私はいつだってあなたと一緒にいるわ」
 ヴィンセントはうなずいた。それでいいとうなずいた。そうしてエミリーの腕を目指して走り寄って顔をうずめた。
 ヴィンセントの目にしか見えない少女。エミリーの姿を目にすることのできない両親はそれを薄気味悪がって否定した。居もしないものの名を口にするのはやめろと、時には暴力すら揮った。小さなヴィンセントは父親の屈強な力によって壁や床に叩きつけられるたびに、家の中の家具やあらゆるものが倒れ、揺れ動き、割れ、飛び交った。エミリーの怒りだった。エミリーは約束通り、ヴィンセントを護ろうとしてくれていたのだ。
 だが、そんな現象に耐え切れなくなった母親が終いに音をあげたのだった。こんな気味の悪い子供は自分の子供ではない。そうであるはずがない。もういらない、いらない、いらない。はやくどこかへ捨ててきて。はやく、今すぐ、今すぐ!
 狂気じみて泣き喚く母親の声は家中に響いた。地下の物置に追いやられていたヴィンセントの耳にも、とうぜん、それは聴こえてきていた。エミリーの両手がその叫びを遮断しようとしてヴィンセントの両耳をふさいでも、それはまるで呪詛のようにヴィンセントの心を容赦なく切り刻んだのだ。
 両親は、まるで、いらなくなったペットを捨てるかのように
 ヴィンセントを否定したのだった。

 ある朝はやく目を覚ましたヴィンセントは、いつになく神妙な顔をしているエミリーを目にして首をかしげた。エミリーもぼくがいらなくなったの? 問いかけると、エミリーは大きくかぶりを振って泣いた。「それは違う、違うわ。あなたがいらなくなるなんて、そんなことがあるはずがない。違うの、違うのよ……ヴィンセント」

 その朝、エミリーはヴィンセントの父親が誰かと電話で会話をしている場面に立ち会ったのだ。
 母親はすでに気を病み、もうしばらく床に臥したままになっていた。
 電話の相手は超能力を研究しているという施設の職員だった。ヴィンセントの能力に関する噂を聞きつけたのだという。さらに言えば、そのヴィンセントに対する両親や近隣住民たちの仕打ちをも調査済みだったのだろう。ヴィンセントの親権や養育権をヴィンセントの祖父母に譲るようにと進言したのだった。そうすれば両親にかかる負担は軽減されることや、住居も新しく変えられるよう、金銭面的な補助やフォロー等にも協力を惜しまないことなど、様々な好条件を提示してきたのだ。
 もちろん、それには条件が伴っていた。――ヴィンセントを実験体として施設に渡すようにというものだ。もっとも、その条件を渋る要因など、両親にはかけらほどもない。父親は喜んでうなずいた。一日もはやく連れていってくれ、と。

 エミリーからその話を聞かされたヴィンセントは、けれどもうすでに痛める心など持ち合わせてはいなかった。
「エミリーとサヨナラしなくちゃだめなの?」
 その一点だけがヴィンセントの気がかりだった。
 エミリーは哀しげに微笑みうなずく。
「ええ、そうよ、ヴィンセント。――もうすぐお別れだわ」

 ◇

 ハイウェイを飛ばし、依頼をうけたその廃墟に着いたころには、やはり、時刻はもう深夜のそれを指していた。道途中、着いたらできるだけ周辺に迷惑をかけないようにしようと心を決めてきたのだが、その心配は無用だと知れた。
 廃墟の周辺に人の住む家はひとつもなかったのだ。まるでその廃墟を中心にしたその一帯すべてがゴーストタウンと化しているかのように。
 車を降り、レオンハルトは周辺の静寂さに気を向けながらも眼前の廃墟を仰ぎ見て唇を噛んだ。
 やはり、予兆は外れなかった。数件続く陰惨な事件の現場となっている廃墟はレオンハルトが幼少時代を過ごした家だったのだ。
 もっとも、あれから三十年の歳月が経ている。レオンハルトの心を揺らすものはもう何一つなかった。そもそも両親とのあたたかな記憶も皆無なのだ。親であることをあっさりと手放した両親はレオンハルト――ヴィンセントが家を後にするその時も、送り出すことをすらしてはくれなかった。父親はいつも通りにベースボールの試合に夢中だったし、母親は自室のベッドに臥したままだった。ヴィンセントも、そんなふたりを恋しがって振り向くこともなかった。互いが互いに関心を向けず、視界に入れずに。
 ただ、エミリーだけがヴィンセントを送り出してくれていた。バルコニーから身を乗り出して、いつまでもいつまでも、ヴィンセントを乗せた車が見えなくなるまで手を振り続けてくれていた。
「ぼくはもうここへは戻ってこないけど、エミリーのことはずっとずっと大好きだよ」
 そう言ったヴィンセントを、エミリーは強く抱きしめた。「幸せになってね、ヴィンセント。これからもずっとずっと、私はあなたの味方よ」

 家を取り囲むように張られた非常線をくぐり、鍵を破壊された玄関のドアノブに手を伸ばす。ガラス窓はあちこち破壊され、何者かがそこから中に侵入していったのであろうことが想像できた。鍵は新たにつけなおされたらしい痕跡が残されてはいるが、それもそのたびに壊されたのだろう。まるで意味をなさない飾りと化している。
 レオンハルトが足を進めるたびに床がギシギシと軋む。幸福な記憶のほとんどない家ではあっても、踏み入ってみると笑えるほど鮮やかに追想がよみがえってくる。間取り、柱や壁に残っている疵やシミ。どこに何があるのか、きっと目を閉じていてもさほど危なげもなく歩くことができるだろう。
 けれど、そこに、耽るだけの想い出があるわけではない。しかも今はそういった感傷にひたる気分にすらなれそうにない。
 そこここに満ち広がっている死臭。それはたぶんこの家で死亡したという青年たちが残したものだろう。それに混ざり、彼らの念もまたそこここに縛り付けられたままになっている。彼らは死してなおこの場に囚われ、出口のない迷宮を永遠に彷徨う狂人と化してしまっていた。闇の中、あちこちから呻き声が響きあがってきている。
 彼らの横をすり抜け、レオンハルトはバルコニーへと向かった。幼い頃、この家を後にする自分を送り出してくれたエミリーが好んだ場所。明るい日差しの降り注ぐ、この家の中で一番心地良い風が吹き流れてくる場所だった。
 バルコニーへと続くドアを押し開ける。古びたチェアーに腰かけて、エミリーは相変わらず少女の姿のまま、夜空を皓々と照らす月を仰ぎ見ていた。
「……エミリー」
 少女の名を口にしながら、後ろ手にドアを閉める。少女は数拍を置いた後、ゆっくりと肩越しにレオンハルトを振り向き、微笑んだ。
「ヴィンセント」
 レオンハルトがこの家を後にしてから捨てた名前を口にして、エミリーは籐編みのチェアーを立ち上がった。重みを感じているはずのないチェアーが小さな軋みをあげた。
「戻ってきてくれたのね、ヴィンセント。――ずっと待ってたのよ、私。……ああ、大きくなったのね。でもすぐわかったわ、私」
 くすくす笑いながら滑るように近付いてくる。そうしてレオンハルトのすぐ前に立つと、今はもう身丈の違うレオンハルトの顔を覗きこみながら口を開けた。
「これからはずっと一緒ね、ヴィンセント」
 言いながら表情をやわらかくゆるめる。それはレオンハルトがまだ子供だったあの頃によく見た、優しくあたたかな、大好きだった笑顔だ。でも今、それは優しくあたたかなばかりのものではなくなっていた。
「……ここに来た人たちをたくさん殺したね」
 レオンハルトの頬にエミリーの冷たい指先が伸ばされる。その爪先がレオンハルトの頬に小さな傷を描いた。
「だって、あの子たちはみんなヴィンセントじゃなかったんだもの」
「私じゃなかったから殺したというのか」
「そうよ。だって、私、あなたを護ってあげるって約束したでしょう? あなたとの場所にズカズカ入ってきて、ゴミとかをね、散らかすのよ、あの子たち」
「それだけの理由で」
「あなたがいつ戻ってきてもいいようにね、キレイにしておこうって思ってたのよ」
「……エミリー」
「もう、どこにも行かないわよね? ヴィンセント」
 言って微笑むエミリーの両腕がレオンハルトの首に回された。首筋に、凍りつくような吐息がかかる。「ヴィンセント。ずっと待ってたわ」
「私はもうヴィンセントではない」
 レオンハルトは静かにそう言い放ち、抱きついてきていた少女を引き剥がした。
 エミリーの表情は驚愕に満ちており、伸ばした手を懸命に動かしてレオンハルトの腕を掴もうとあがいている。
「何を言っているの? ヴィンセント。私……私が」
「私はもう、君に護ってもらう必要もない」
「ヴィンセント?」
「君はもう、ここではない場所へ往くべきだ」
「ヴィンセント!!」
 少女の表情が、その瞬間、一変した。
 空気が電流を帯びて迸り、テーブルやチェアーは大きく揺れて騒ぎ出す。ガラスが割れ、それらがヴィンセントを狙い飛んできた。
 ヴィンセントは表情ひとつ変えることなく、ほんのわずかに目を眇めた。同時、ガラス片は空中で微塵に砕けて床に散り、騒いでいた家具類はすべてが真っ二つに割れて静まった。
「無駄だよ」
 言って、エミリーの顔をまっすぐに見定めた。
 その瞬間、エミリーはレオンハルトの目の奥にレオンハルトではない“何者か”の気配を覗き見て――小さな悲鳴を口にした。
「解るだろう? エミリー。私はもう……君の加護を得なくてはならないモノではないんだ」
 おびえ竦むエミリーの両腕を掴みながら、レオンハルトはほんのわずか、首をかしげる。
「私を……“消す”の?」
 そうして声を震わせながら訊ねてきた少女に、レオンハルトはかぶりを振って応えた。
「……君は、私を護ろうとしてくれた唯一の味方だった。きっと、君がいてくれたから、私は今もこうして立っていられるんだ。だから」
 言いながら、エミリーの腕を掴んでいた両手の力をゆるめる。
「君には、君があるべき場所へ往ってほしい」
「……ヴィンセント」
「お別れだ、エミリー。今度は、永遠に」
 少女から手を離し、レオンハルトは静かに息を整えた。
「――永遠に?」
「……そうだ」
 レオンハルトがうなずくと、少女はひどく寂しそうな顔をした。そうして何かを言いたげに口を動かし、手を伸ばしかけて、けれどもすぐにそれを押し留める。
「……今度はあなたが私を送り出してくれるのね」
 問われ、レオンハルトはうなずいた。
「――強くなったのね、ヴィンセント。もう、あなたに私は必要ではないのね」
 言って、エミリーは小さく笑う。
 と同時、エミリーの身体が青白い光に包まれ始めた。そうして足もとから泡のように沸き立って消えていく。
「大好きよ、ヴィンセント。永遠に愛しているわ」
 指先がレオンハルトの頬に触れ、やわらかく撫でる。そうしてその次の瞬間、空気に溶けこむようにして消えていった。
 
 涼やかな夜風が頬を撫でる。

「おやすみ、エミリー」
 呟いた。
 応えるように、どこかで ありがとう そんな呟きが聴こえたような気がして振り向く。
 けれども広がっていたのは、懐古すら感じない生家を包む暗闇ばかり。
 

クリエイターコメントお届けが大変遅くなってしまいました。心よりお詫びいたします。

少女エミリーの描写はホラーよりも悲哀を色濃くできるよう努めてみました。個人的に、彼女はたぶんきっとすごく寂しくて、それで少しだけ狂気に陥ってしまっただけなのだろうと思えたので。
解釈・口調等、イメージと異なる点などございましたらお申し付けくださいませ。
少しでもお楽しみいただけていればさいわいです。

このたびはご指名ありがとうございました。
公開日時2009-06-01(月) 18:40
感想メールはこちらから