★ 無の境地 ★
クリエイター西(wfrd4929)
管理番号172-7688 オファー日2009-05-30(土) 00:46
オファーPC レオンハルト・ローゼンベルガー(cetw7859) ムービースター 男 36歳 DP警官
<ノベル>

 心の中の、悪魔がささやく。

『人は、頼る者すがる物なく生きてゆけるほど、強くはない。さて、汝はいったい何をもって拠り所とするのか。興味深い命題ではないか?』

 彼は、それにこう答えた。

「強くない、と断ずるのは、強くなられては困るからだろう。弱くなってもらわねば、付け込む隙がないからな。……人は、我が身を拠り所とする。それで充分だと、私は考える」



 レオンハルトは、初めて己が悪魔(そう定義して良いものであれば)と出会った時の事を、明瞭に思い出すことができる。
 あれは今でも苦い記憶であり、理不尽で理解しがたい出来事ではあった。……しかし数年もたってから考えてみると、あれにも確かな意味があったのではないか、とも思えるようになる。

――私以外の人間に、あれが押さえられるものか、どうか。

 無価値の名を冠する者、とあれは名乗った。
 まさか、本名ではあるまい。異名、通称のような物なのだろう。真名を隠すことで、正体を探られぬようにしているのか。ともあれ、強力な霊的存在であることは確かである。
 その彼の誘惑は、一般人にとってはとても甘く響き、心の壁を打ち砕いて、容易く堕落へといざなう。レオンハルトは、強靭な精神力――ある意味では貴重なほど無欲な性質によって、この誘惑を退け続けている。
 『無価値の名を冠する者』は、それでもなお諦めず、隙あらば思考に割り込み、己を言葉で惑わそうとする。レオンハルトとしては、無駄な努力はやめて、静かに生きることに慣れればよいものを、と考えてはいるのだが――。困ったことに、最近は彼もこちらの性質を見極めて、割り切った態度を取るようになった。つまり――。

『我が甘言に惑わされぬ人間は、久しぶりだ。そのしぶとさには、感動すら覚える。……容易くは、堕ちるでないぞ? ここまで苦労させたのだから、是非とも汝には、手強き好敵手であってもらわねばならん』

 現状をただ受け入れ、楽しむ道を、あの忌々しい悪魔は選んだのだ。早々に潰れても良し、長く楽しめるなら、それはそれで良しというわけだ。
 レオンハルトは、いまだに彼を頼らず、受け入れず……どうにか生き抜いている。あれに負けるわけにはいかないと、気負っている部分さえあるのだ。なにしろ、身をゆだねれば、以前の物とは比較にならぬほどの惨事を引き起こすかもしれないのだから。

「しかし、お前にとってはそんな感情でさえ、利用価値のあるものと考えるだろう。結局の所、私は付け入る隙を作らないために、常に余裕を保ちながら、自制心を働かせ続けねばならぬわけだ」
『難儀なことだ。いっそ諦めて、ゆだねてしまった方が、楽ではないか?』
「楽ではあっても、お勧めはしかねる道だな。そちらに全てをゆだねるということは、人としての死と同義。悪魔に操られ、己の意思で生きられないのなら、それは私にとって、意味のある人生とはならない」
『意味のある人生など、望むだけ無粋と言う物だ。全ては徒労にして無価値。人は何れ死に、星や宇宙でさえ、いずれは存在する事をやめる。そうなった時に、人一人の生き様が、何の意味を持とう。……快楽に従え。さすれば、一時だけでも良い夢が見られよう』
「説得が下手だな、無価値の名を冠する者。もし私が君の同僚として出会えたなら、まずその居丈高な態度と、大仰な言葉遣いを改めるように忠告するだろう。君の言い様は、あまりにも胡散臭すぎる」

 レオンハルトは、彼の言葉を真に受けない。適当に受け、捌き、日常の一部分として切って捨てている。
 救いがたいのは、彼の方がその日常を楽しみ始め、観察することに意義を感じ始めていることだ。

――堕落させることを前提とした、厭らしい観察だ。しかも、いずれ私が屈するであろうと、高をくくっている。これはどうも、愉快ではない。

 レオンハルトは、どこまでも不健全で、不本意な状況にため息さえついていた。実際、不利なのはこちらで、相手はいくら時間をかけても諦めない存在。人間の不安定さなど微塵もなく、ただ目的に突き進んでいく。
 追求する物が、一つで済むということは、あらゆる力を一つに集めやすい、ということでもある。レオンハルトは、悪魔の誘惑に、少々疲れていた。
 それが僅かな間ではなく、長い付き合いになることが確定的である以上、どうにもやりにくく思える。DP警官になるときでさえ、彼は悪事への素晴らしさを説いて止まなかった。このような異常者を相手にして、疲れるな、と言う方が無茶であろう。
 だから、仕事が入った時は、思わず喜んだ物だ。少なくとも、仕事に集中している間は、いまいましいあの男と話をすることさえ、稀であったから。


 弁護士から、DP警官へ。その転換には、色々な出来事が在り、レオンハルト自身の感情も、少しではあるが揺らぎを見せた。
 しかし、いつもの悪魔はこの時期、まったく口を挟まなかった。挟む必要性を認めていなかったからだ……と考えるべきだろうか。

『能力者である己を否定したいのなら、無能であることを初志貫徹するのが最良の道よ。そこからはみ出した時すでに、汝は捕らわれていた。――我にかかわらぬ範囲では、妙に隙の多い男よな』
「笑いたければ笑うがいい。私は、後悔していない。それが全てだ」
『まさに。最初から結論など決まっていた。汝はただ、物事を先送りしていただけに過ぎん。無能は異能を狩り立て、異能は無能の中で孤立する。それが、定めだ』
「決まっていた、定め、か。――後から訳知り顔で、高説を並べ立てる。その際の常套句として、良く聞く言葉だ。……別に、君が原因でDP警官になったわけではない。図に乗るのは勝手だがね」

 とにもかくにも、レオンハルトは職場を変えた。これは大きな転換期といって良く、彼はより多くの危険にさらされ、その対応に迫られることになる。
 これを、あの悪魔が利用しないはずがない。力への誘惑はさらに頻度を増し、より強い口調で堕落への道を指し示してくる。己の新たな役割を果たそうと、日々精勤しているレオンハルトにとって、これはひどくやかましいことであった。

『我の力があれば、迅速に、最小限の被害で解決できようものを。無価値な労苦を、あえて背負うか?』

 何も言い返さず、ただ沈黙を守る。
 悪魔の言葉を否定できないからであり、その力の有用性を理解しているがゆえに、うかつな対応はしたくなかったからである。

――頼るのではなく、解放するのでもなく、制御し、使いこなす。言うのは容易いが、行うのは……。

 難しい。そういわざるを、得なかった。強調するが、DP警官という職業は、危険が多い。攻撃的な能力者と敵対することさえ、珍しくない。そんな中、自分の身の安全を確保するだけならばともかく、仲間にまで気を回さねばならないのだ。
 個人でできることには限界があるのだから、人数をそろえて行動するのは誤りではない。それがわかっているから、レオンハルトとて、単独行動を願い出ようとは思わないのだ。――しかし。

『力を抑えたつもりであっても、所詮は汝も人の子。我が力を完全に統御することなど、叶うはずもない。強大な力は、持て余すのが道理というもの』

 ある日、仲間を救う為に初めて【無価値の名を関する者】の力を使ったが、あれほど力を抑えたにも拘らず――恐るべき破壊の力を発揮した。
 これは、余程の事がない限りは使うべきではない、と彼が痛感するほどに。

――銃撃を受けた、そこまでは、良かった。だが、あれに一時とはいえ、体を乗っ取られてしまうとは。

 仲間を短機関銃による銃撃から庇う為に、無価値の力を解放して銃撃を受けたのだが……あやうく、やりすぎてしまうところであった。
 力を使った結果、惨事を引き起こす。これを防ぐ為にも、乱用は避けるべき。しかし問題は、それだけではない。

――銃創が、次の日にはもう消えていた。この治癒能力は、もはや人のものではない。

 庇って負ったはずの怪我が、短期間で癒えていた。これに気付いた時、レオンハルトは、己の体が既に人のものではなくなりつつあると悟る。
 原因は、明らかだった。無価値の名を関する者。それを宿した副作用、あるいは弊害と呼ぶべき物だろう。だがこれに怯んでいてはならないと、彼は理解している。
 あれは、封じなくてはならないものだ。だから、自身の中で永遠に無聊を囲ってもらわねばならぬ。この運命を呪うのは簡単だが、そうしたところで、相手を喜ばすだけだろう。誰かに助けを求めたところで、彼の思う壺。ありとあらゆる策謀をつくして、己の体を奪いかかりに来ることは、間違いないことだ。
 ならば、とレオンハルトは思う。

「無、だ」

 全てのノイズから身を護る為に、心は常に「無」であり続けなければならない。
 欲望に身を任せてはならず、感情のまま振舞ってはならず、外界の刺激に過剰に反応してはならない。禁欲的な僧侶であっても、ここまではいくまい……と思われるほどの誓約を、レオンハルトは己に課したのだ。
 初めの内はぎこちなかったにせよ、月日を重ねていくうちに、彼の心は自然とそれに適応していく。
『見事な物だ。汝の精神は、すでに完成に近づきつつある。……言葉だけでは、もはや動かされまい』
「理解してもらえて、なによりだ」
 ついでに諦めてくれるのなら、言うことはないのだが。流石にそれは、ありえなかった。
『我にとっては、これまでにない、最難関の試練といえるだろう。多くの年月を費やすことになろうが、それもまた一興か』
「千年かけても、私は屈しない。二千年、三千年……万を数えることになっても、私は君に支配されようなどとは思うまい。これでもまだ、一興などといえるのか?」
『万年か! それだけ待てば良いだけであるなら、なんと単純なことか』
 悪魔は、堪えない。元が霊的な存在である為、時間の概念が生身とは違うのだろう。彼にとっては、数年もほんの数日程度の認識でしか、ないのかもしれない。
『しかし、耐え切れるか? 我は狡猾だ。骨身にしみているだろうが、その上凶暴でもある。――こんな存在を相手に、数千年、数万年と無の境地を維持できるものか? もしできたとしたら、それはもはや――』
「人ではない、か。今更、だな。そうしなければならないなら、そうするだけのこと。私にとっては、ごく当たり前のことだ」
 レオンハルトは、今日も変わらず、無の心を維持している。これが壊れる時は、彼自身が死ぬ時であり、その日はこの世に最悪の悪魔が降臨する日になるであろう。

「……」

 彼は、無表情で同僚に相対し、会話し、仕事をする。必要以上に喋らず、ただ無機質な印象を周囲に与え続けた。
 その結果が、平穏な毎日であると、多くの人は知らずに居る。彼が悪魔を抑えているから、本日も皆が暢気に生きていけるというのに。
 レオンハルトは、求めない。
 レオンハルトは、話さない。
 そうすることが最善で、他にどうしようもないのだと割り切った、貴き者の姿が、そこにはあったのだ――。



「頼るもの、すがるものがなくとも、人は水と食物で生きていくことができる。それでも足りねば、人は人であることを、やめればよい。人が悪魔と対等になれば、何者にも負けはするまいよ」
『それが、汝の答えか。――よかろう。思うまま、生きて見せるが良い。我にとっては、それも娯楽。汝が力尽きるのが早いか、この世が滅びるのが早いか……。見極めさせて、もらおうではないか』

クリエイターコメントこのたびはリクエストを頂き、まことにありがとうございます。
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公開日時2009-06-21(日) 19:00
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