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<ノベル>
はらりはらりと、雪が降る。
天に咲くという、決して枯れぬ桜が降りこぼす花びらのように。或いは、この世ならざるものの翼から抜け落ちた、純白の羽根のように。
音もなく降る雪を受け止めて、山毛欅の枝が冴え冴えと冬の天に伸びている。枯葉ひとつ残っていないその枝に、つかの間の白い花を咲かせ、粉雪は地に落ちる。
夜空を覆う雪雲は重く厚い。今夜の冷え込みは厳しいはずなのだが、しかし今日に限らずこの家と周辺の土地は天人の加護を受けている。
雪は冷たさを伴わず、春に飛ぶ綿毛のようにやわらかい。開け放たれた襖から離れに舞い込んだひとひらは、瑠意の頬を撫で、すいと消えた。
――静かな、夜だ。
天人主従の住まう、この古民家を訪れる客は多い。今日は大晦日であるからなおさらのこと、年が移り変わるひとときをともに過ごさんと、親しいものたちが幾人も集まっている。
片山瑠意も、そのひとりだった。
今は、賑やかな団欒が繰り広げられている居間ではなく、この離れに身を置いているけれど。
十狼に目線で促され、皆の輪を抜けのはつい先ほどのことだ。席を外す際、友人に随分と冷やかされた。反撃はしたものの、頬の紅潮を押さえるすべもなかった。
もちろん、十狼とふたりきりで過ごす時間を持てるのはとてもうれしくて、だからこそ――
まだ、動悸は止まない。
たった今、好機が訪れたのだと、そう思うからだ。
今日――今日こそ、十狼に伝えたいことが、ある。
この天人は、瑠意の気持ちなどとうにお見通しなのかも知れず、改めて告げるほどのことでもなかろうと思われるかも知れないが、それでも。
古木を切り出して造型し、磨き込んだ座卓のうえには、すでに心づくしの酒肴と茶菓子、人肌に燗をした徳利と杯、香しい玉露と湯呑みが準備されている。
座卓の横には、真新しい浴衣が、きちんと畳まれて置かれていた。
「宜しければ、着替えられよ」
瑠意の決心を知ってか知らずか、十狼は冷静とも思えるほどの清しい声で、きちんと畳まれた浴衣を指して促す。
手に取った瞬間、瑠意にはわかった。これは十狼が、手ずから縫ったものだということが。
収まりかけていた動悸が、また跳ね上がる。
「着替え……るのはいいけど、ここで?」
「そのほうが、くつろげよう」
「いや、くつろぐっていうか、その。……すみませんがあっち向いててくださいッ!」
浴衣に着替えるくらいで恥じらう必要がどこにあるのかと、怪訝そうな十狼の背を押して向きを変えさせ、瑠意は猛スピードで着替えを終え――る前に、気を利かせて早めに年越しそばを持ってきた刀冴がこの光景をみてすごい誤解をして引き上げ――
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手縫いの浴衣は着心地よく、しっくりと膚になじむ。
出鼻をくじかれながらも礼を述べれば、流麗な手さばきで杯が渡され、徳利が持ち上げられた。
美酒が、注がれる。
並べられている酒肴や茶菓子は、どれもこれも、天の恵みとはかくもあらんとばかりの新鮮な素材を卓越した腕で調理されている。
この天人が『全て』だと断じ、守るべきあるじの、あたたかで爽やかな人柄が伝わってくるような品々だ。
また、ひとひら。
ためらうように迷い込んできた雪片は、漂いながら溶けていく。
手を差し伸べるより先に、ついと溶けたのをふと目で追い――
(お兄ちゃん)
(――お兄ちゃん。お兄ちゃん)
少女の声が、聞こえたような気がした。
それは居間でにぎやかに過ごしているはずの、妹のように可愛がっている赤毛の少女のものではなく……。
甘い鼓動はつかの間凍り、哀しみが蘇る。
(……真名)
――やだっ、やだやだ、やだあああああっ! パパ、ママ、お兄ちゃんッ! 助けて、助けて――――ッ!!
あの日、瑠意は目の前で、義妹を喪った。
――守れなかった。
大切な、いとおしい真名を。
俺が、真名を守るんだ。
ことあるごとに、瑠意はそう言っていたのだ。
わぁい、うれしい。お兄ちゃんがいれば安心だよね。
真名は無邪気に顔をほころばせ、小さな手を打ち合わせていた。
よかったわね、真名。
真名も、瑠意兄さんを大事にするんだよ? いいね?
義父母は、微笑んでうなづき……。
もちろん。だって真名、お兄ちゃんが大好きだもの。
「すみません、十狼さん」
杯を飲み干して瑠意は呟き、しばらく目を閉ざした。
「もうすぐ、妹の命日なんです――1月4日。だから毎年、この時期になると……」
十狼はその先を促すでもなく、静かに聴いている。
「真名は、義父母の実の娘で……、だからふたりとも、とてもとても辛かったと思う。でもふたりは、俺を責めなかった。それどころか、怪我をした俺を気遣ってくれて……」
そして、瑠意は心を閉ざした。
養父母を心配させまいと、明るい笑顔を絶やさぬままに。
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「あの子は、ちょっと背伸びしているところがあって、民話や伝説が好きでした。特に、三保の松原に伝わる羽衣伝説に惹かれていて。それを題材にした能があるんだよって話したら――ああ、ちょっと俺、わけありで調べてみたことがあるんです。能なんてわかんない子どもだったけど――大人になったら見てみたいって言ってて」
――そも此衣の御ぬしとは。さては天人にてましますかや。さもあらば末世の奇特にとゞめおき。国の宝となすべきなり。衣をかへす事あるまじ。
――かなしやな羽衣なくては飛行の道も絶え。天上にかへらんことも叶ふまじ。さりとては返したび給へ。
「この話は、白龍という漁師に羽衣を隠されて困った天女が、舞を披露することで羽衣を返してもらい、天に返って行くという流れです。ほかの地に伝わる天女伝説では、漁師は天女の弱みに付け込んで自分の妻にしてしまうんですが、白龍はそんなことはしない」
――違う。
こんなことが言いたいわけでは、ないのだ。
ふと顔を上げた瑠意の目が、十狼の視線をとらえる。
そう、これは純血の天人。
神のいたずらがなければ、逢うことさえもかなわなかった異世界の住人だ。
せめぎあう、焦燥と信頼と慕わしさ。
こんなにも近くにいるのに、こんなにも遠い。
神音のコンサート会場で、焼けつくような渇望に囚われた、あのとき。
十狼にとって『絶対』な存在の刀冴に、自分は剣を向けた。
それは、天女の意志を斟酌せずに強引に我がものにしようと羽衣を隠した、身勝手な漁師に似てはいなかったか。
天女を愛でるなら、白龍のようでありたいと思ったものを。
それでも、あのとき、【凌牙(リョウガ)】を手にして、強く感じたのだ、
十狼は、自分の過去も欠点も、すべて受け入れてくれているのだと。
「十狼さん」
瑠意は、居住まいを正した。
想いを告げるまえに、伝えておくべきことがある。
謝意と、尊敬と。
つくさねばならぬ、礼と。
「俺はずっと、真名の命日が近づく度に自分を責めて、落ち込んだりしていました。でも、この街に魔法がかかって、刀冴さんや十狼さんや――いろんな人と出会って、つらいこともそれはたくさんあったけど、それでも、支えられ――教えられました」
自分を責める必要は、ないのだと。
自分はたしかに、義父母に愛されていたのだと。
「俺、十狼さんに逢えて幸せです。そばにいてくれて有難う」
十狼は、何も言わない。
自然なしぐさで、茶や茶菓子を供しながら、瑠意が感情を吐露するのへ耳を傾けている。
形の良い唇に、静かな微笑みが浮かぶ。
瑠意が自分としっかり向き合い、自分なりの答を見つけつつあることを好ましく思っている――そんな表情だ。
そして瑠意は、言葉を切り、息を吸い込む。
「最初は、ただ憧れていただけだったけど、いつの間にか強く惹かれていて――でもずっと、言えなかった。気持ちを伝えたら魔法が解けるんじゃないかと思って、怖くて」
――俺は、十狼さんが、……好きで……す。
意を決して放ったはずの言葉は、しかし語尾がかすれてしまった。
「瑠意殿」
「……はい」
「終わりのほうが、よく聞き取れなかったのだが。今一度、聞かせてはもらえぬか?」
「……!!」
この期に及んで何この羞恥プレイ十狼さんのドS!
ええいもう、なるようになれ!
「わかりましたッ! 何度でも言ってやる。俺は十狼さんに恋をしています。十浪さんのことが好きで好きでたまりませんッ!」
聞こえましたか!? と、身を乗り出せば、十狼は手にしていた湯呑みをことりと置き、真摯に向き直った。
「――十狼は、若がいるからこその『今』だと思っている」
「わかってます。十狼さんにとって刀冴さんは、なにものにも代え難い、かけがえのない存在だということは」
「そのうえで、申し上げる。……この魔法が解け、夢が醒めるまでは。貴殿が望まれるように、貴殿が求められるように、十狼の心を差し上げよう」
「……十狼さん……」
「貴殿の道を照らす、一条の光を捧げよう」
十狼を見つめる瑠意の瞳が、大きく見開かれる。
――除夜の鐘が、鳴り始めた。
百八の、煩悩。
眼(げん)・耳(に)・鼻(び)・舌(ぜつ)・身(しん)・意(い)の六根それぞれに好(気持ちが好い)・悪(気持ちが悪い)・平(どうでもよい)があって十八類。
この十八類それぞれに浄(じょう)・染(せん:きたない)の二類があって三十六類。それを前世・今世・来世の三世に配当して、百八となり……。
「ところで、瑠意殿」
「ん?」
「貴殿はいつまでそのようによそよそしく、十狼から離れているおつもりか」
「いつまで……って、ちょ、だって除夜の鐘が鳴ってる真っ最中……!」
しかし、瑠意のあえかな抵抗はすぐに封じられ、天人の腕に抱き取られた。
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お兄ちゃん。
お兄ちゃん。
大好きだよ。
幻想の羽衣だけが、天に還っていく。
亡き義妹の、やさしい声音と笑顔を残して。
――Fin.
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クリエイターコメント | 大っっっっ(中略)っっ変お待たせいたしましたァぁぁ! 【凌牙(リョウガ)】でざっくりやっちゃっていただきたいところですが、トロくさい記録者ごときにそんな光栄勿体ないので、瑠意さまの150越えの握力で頭を鷲掴みにしてくだされ。
オファー文を一読したとき、記録者も動悸が急上昇しました。おこがましくも瑠意さまの視点で、感情の動きを追わせていただきました。 ちょっと踏み込みすぎたきらいもありますので、もし、問題点などございましたら事務局様経由でご一報いただければと思います。可能な限り対応させていただきます。
お預かり中ずっと、瑠意さまに感情移入して十狼さまのことばかり考えていたものですから、今では十狼さまのお写真をチラ見するだけでドキドキする体質になってしまいました。いやホントに。 |
公開日時 | 2009-05-01(金) 19:00 |
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