★ 【ネガティヴゾーン探索】虚に還れと闇が嗤う ★
<オープニング>

 『穴』の向こうで待ち受けていたもの、それは見渡す限りの空と海だった。
 だがそれは、なぜか歩いて渡ることのできる海であり、その底を透かせば、銀幕市の廃墟がよこたわっている。
 そして生彩のない空には、奇怪な生物――ディスペアーたちが泳ぐ。
 そこはネガティヴゾーン。絶望の異郷。

 ムービースターを狂気に駆りたて、人間の心さえ騒がせる負の力に満ちた世界・ネガティヴゾーンで、調査隊は巨大な脅威と遭遇した。
 鯨に匹敵しようかという巨大なディスペアー「レヴィアタン」である。
 この存在と未知なる領域を前にした市民の選択は、十分な準備を整えてから、多くの市民の協力で、この領域の探索を行うというものだった。
 かくして、いっそう厳重な警戒が『穴』に対して行われる一方、アズマ研究所では急ピッチで「ゴールデングローブ」(ムービースターにとっての、ネガティヴゾーンにおける命綱だ)の量産が行われた。
 そしていよいよ、探索部隊が出発する日がやってきたのである。

「現在の『穴』の底には、例の『門』のかわりに複数の横穴が口を開けている。このそれぞれが、どうやら、ネガティヴゾーンの別の地域に通じているらしいのだ。そこで、志願者は何名かずつのパーティーを組んでもらい、それぞれ別の横穴の先へ偵察に赴いてもらう」
 マルパスが参加するものたちを前に説明する。
「むろん、足を踏み入れた途端に攻撃を受ける可能性もあるので、突入援護の部隊を編成し、警戒は怠らない。『入口』よりしばらくはこの部隊の警衛を受けながら、探索部隊を各偵察ポイントまで送り出す格好になるだろう。その後、突入援護の部隊は、万一『入口』が閉じてしまわぬよう、これを守護する形で探索部隊の帰還を待ちながら待機することになる」
 分担と連携を行うことで、今回の探索はより安全かつ効率的なものになるだろうとの見通しだ。マルパスは続けた。
「ネガティヴゾーンにはどのような危険があるかわからない。引き際を誤ると拙いことになるだろう。特に、レヴィアタンに遭遇した場合はすみやかに撤退し、情報を持ち帰ること。撤退にあたっても、待機部隊による撤退支援が行われる。この探索によって情報が集められれば、あの存在を滅ぼすための作戦にも着手できるだろう」
 それでは健闘を祈る、と言って、マルパスは金の瞳で、勇敢な挑戦者たちの顔ぶれを、もう一度見回すのだった。

 ★ ★ ★

 岩肌が剥き出しの横穴を抜けてしまえば、一気に視界が開けた。
 明るさに目が慣れてくると、全員がその広がる光景に息を飲むこととなる。
 ネガティヴゾーンについては、先の調査隊が持ち帰った情報を聞き及んでいたし、嘗て経験したことのない怪異をも、ある程度覚悟していた。しかし、実際こうして目の当たりにしてみると、何とおぞましいことか。
 見渡す限りの空と海。色彩は薄紫掛かっており、酷く濁った印象すら与える。その薄紫色の海に、一行は沈むことも、濡れることもなく立っていたのである。歩く度、水面を揺らす波紋も、状況が違えばあるいは幻想的であったかもしれない。しかし、今は不気味以外の何ものでもなかった。
 皆、殆ど言葉を発せぬまま、一歩、また一歩と踏み出す。
 時折、小波に見え隠れする奇妙なものに視線を向けると、無数の腕が如きオブジェが海面から生えていた。乳白色のそれが不規則に揺れる様は、亡者が死の国へと招いているかのようだ。
 また、足元には沈む廃墟が見て取れた。神に見放された滅びの街かと思しき建造物も、よくよく目を凝らしてみれば、それは正しく銀幕市。自分達のよく知る街が、まるで異なる面を晒しながら、海底で密やかに眠っているのである。
 陽なき天空に浮かぶは、歪な雲。
 快い潮騒の代わりに、生温い風が頬を掠める。
 方々へ視線を向けてみるも、一粒の希望すら伺えぬ情景は、ややもすれば心に灯した光をも消し潰してしまいそうな錯覚に陥る。
「穢れた蒼の地獄……」
 そう、誰かが呟いた。

 と、水平線の彼方で煌くものがある。
 見間違いか……否、そうではない。
 言い知れぬ不安を誘発する光が、ゆっくりと点滅を繰り返しながら、こちらへ向かって来るように見受けられた。
 異界に潜む、未知なる脅威が――。


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!注意!
イベントシナリオ「ネガティヴゾーン探索」は複数のシナリオが同時に運営されますが、一人のキャラクターが参加できるのはいずれかひとつになります。また、イベントシナリオに参加したキャラクターは集合ノベル「支援活動」には参加できません。
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種別名シナリオ 管理番号595
クリエイターあさみ六華(wtbv7387)
クリエイターコメント こんにちは。あさみ六華です。
 横穴の1つを担当させていただきます。

 補足として。
 このシナリオでは、戦闘が発生致します。ファングッズ等、装備は怠りませぬよう。
 なお、ムービースターのPC様は全員がゴールデングローブを装着することとなります。これにより、能力が制限されてしまいます(詳細は公開情報をご参照下さい)故、それを踏まえた上でのプレイングをお願い致します。
 その他、PC様の想いや熱い台詞等ありましたら、お書き添え下さいませ。

 それでは、ご参加お待ちしております。

参加者
新倉 アオイ(crux5721) ムービーファン 女 16歳 学生
柝乃守 泉(czdn1426) ムービースター 女 20歳 異界の迷い人
ガーウィン(cfhs3844) ムービースター 男 39歳 何でも屋
香玖耶・アリシエート(cndp1220) ムービースター 女 25歳 トラブル・バスター
シャノン・ヴォルムス(chnc2161) ムービースター 男 24歳 ヴァンパイアハンター
李 黒月(cast1963) ムービースター 男 20歳 半人狼
<ノベル>

●暗き光が世を閉ざす
 薄墨程の小さな小さな染みが、徐々にどす黒いものへと変貌するかの如く、彼方の光が瞬く毎に、払拭出来ぬ絶望と不安が身の内から漏れては血肉を汚す。
 どんなに強靭な精神を抱く猛者であったとしても、それは拒むことの出来ぬ闇。
 五感を奪われ、陽光すら届かない暗き水底に引き摺り込まれていく錯覚を覚えながらも、シャノン・ヴォルムスは無意識に胸元へと手を伸ばした。指先に触れた銀のロザリオと、ブルースターサファイアのペンダント。その感触は、支配されそうになる己が心に生きる希望と、愛しい者の笑顔を思い起こさせた。
 初め、香玖耶・アリシエート(かぐや・―)は何かが陽光に反射し、煌いているのかと思った。だが、天空に太陽はない。かといって、それに代わる光源が存在するわけでもない。つまり、あれ自体が発光しているということになる。
「呼吸が、辛い……」
 額に玉の汗を浮かべて、切なげに眉を顰めるは柝乃守 泉(きのかみ・いづみ)。あまりのおぞましさに震えが止まらないのだ。思わず隣にいたガーウィンの裾を掴み、へなへなとへばってしまう。込み上げる恐怖を強引に押さえ付けようと必死にもがいた分だけ、息遣いは荒くなる。
 すると、泉の頭に暖かいものがそっと触れた。ガーウィンの大きな手が、彼女の髪を優しく梳る。
「大丈夫……大丈夫だ」
 根拠のない台詞の半分は、自分に言い聞かせるためのものか。
 ガーウィンとて胸が潰れる程の禍々しい空気を感じ取れぬ鈍感な男ではない。だが、自分まで取り乱して、泉を一層不安にさせるのだけは避けたかった。
「……何よ……何なのよ。あり得ない。マジあり得ないんだけど!」
 今回、唯一のムービーファンである新倉 アオイ(にいくら・―)が吐き捨てる。
 先の捜索隊にも加わっていた彼女は、ネガティヴゾーンへ足を踏み入れるのは2回目なので、他のメンバーよりは落ち着いて行動出来るだろうと思っていた。けれども、幼児の落書きのような、それでいて狂おしい負の気に満ち満ちたこの世界に感覚が慣れることはなかった。
 鋭い瞳を光源に向けたまま、李 黒月(り・こくづき)が一呼吸置いてから、扱い慣れた武器に手を伸ばす。絶望に飲まれたら、終わりだ。
 光が近付くに連れ、それが全体の輪郭を浮かび上がらせる。
 黄昏色の空に、揺れる影。
 悠然と浮遊するは、異郷の殺戮者、ディスペアー。
 例に漏れずして深海生物に近しい容姿であるが、それらの持つ神秘的な雰囲気など、微塵も持ち合わせてはいない。一同が見ていた光は、敵の背鰭から発光されていたものであった。この光源で、餌を捕食すべく空を徘徊していたのだろう。
 『夢』という名の餌を。
「……来ます!」
 その言葉を合図に、皆が一斉に散らばった。
 迎撃体制は取れたものの、敵は思いの他、素早かった。
 一行の姿を認めるや否や、一陣の風を纏ったディスペアーが急降下し、刀身の長い刃物染みた胸鰭を黒月へ突き立てる。
 が、半人狼の青年は両手のトンファーで受け流し、機を見紛うことなく、後衛のシャノンが彼の肩越しからベネリM3の引き金を引く。乾いた銃声と共に、散弾が眉間にめり込んだ。
 追い越し様にディスペアーが体制を大きく崩すと、すかさず香玖耶の鞭が相手の背を打つ。通常のものよりずっと殺傷能力が高いそれは、彼女が召喚師になる以前に使用していたものだ。それを抜きにしても、恐らく彼女は軽々と敵を仕留めたであろう。
 怪奇なる声を放ちながら、屍が落ちていく。
「いやぁ、見事見事。なかなかやるじゃねぇか!」
 尻上がりの口笛を吹きつつ、ガーウィンが賞賛の拍手を送る。無論、3人の鮮やかな連携プレイを目の当たりにして、彼は素直に感心していた。だが、その他にもこの重苦しい空気を少しでも良い、薙ぎ払いたいという思惑があったのも、また事実である。
 暗黙の内にガーウィンの胸中を察した皆の表情が、僅かに和らいだ様子だった。
 それにしても、と泉が呟く。
「この程度の接触のみで済んで、体力を温存出来たのは有り難いことでしたね」
 事なきを得たと胸を撫で下ろす彼女へ、黒月が軽く頷いて見せてから、
「ですが、いつ、どのような強敵と出くわすか分かりません。ここは先を急ぎましょう」
 かくして、一同は促されるまま、その場を後にするのであった。

●手探りで進もうとも
 捜索の道すがら、アオイは新たに購入したばかりの携帯電話で、情報収集のためにと撮影を試みていた。
 以前、所持していた携帯は彼女が銀幕市に越して来て、初めて出来た友達との思い出が入っていた大事な物であった。それを先遣の調査の際、誤って海の中に落としてしまったことで、思い出そのもの、果ては記憶の一部まで失ってしまったかのような虚無感に襲われたものである。「心の中で覚えている限り、思い出はなくならない」などと、何処かで聞いた臭いフレーズも、この時ばかりはアオイにとって何の慰めにもならなかった。
 故に、今度は慎重に首からストラップを下げていたのだが……
「うーん……やっぱ、無理かぁ」
 何度試してみても、焦点の定まらぬ写真に溜息をつく。
「自身の瞳に収めよということか……」
 調査である以上は記録する媒体が必要と考えたシャノンもまた、薄型のデジタルカメラで撮影を行っていたが、シャッターを切ったものを確認してみると、其処にはある筈のないものが写り込んでいた。
 人の四肢、目玉、千切れた猫の足、腐った肉塊……どれもこれもが、あの海面に現れる奇妙なオブジェのほうが何倍も増しであると思わせるものばかり。
 それらを誰の目にも触れさせることなく、彼はそっと全消去ボタンを押す。

 長い人生の中、人の弱い心が絶望を生み出す瞬間を何度も見てきた香玖耶。この世界を満たす絶望に人の心が関わっているのであれば、造り主の弱さたるものが顔を出す場所が必ずあり、其処こそがこの世界の急所になるのではないかと考えていた。
 ならば、視覚を使わずして世界を観ることにより、新たな発見をする可能性もあるだろうと、精霊に接する時の要領で、ネガティヴゾーンの意思を追う。
 しかし、彼女の感覚に伝わって来るその全ては何処まで行っても闇、また闇。あらん限りの否定の意識がもぞもぞと体を這い廻り、仕舞いには喰らい尽くそうとする。
 強い吐き気と眩暈によろめく香玖耶を、黒月が抱き留めた。

「これ……本当に、私達の街なんですね」
 海面に膝を突き、泉が水没した廃墟へと視線を落とす。
 目前に突き付けられた街の姿はあまりにも残酷で、悔しさに唇を噛む。目尻には薄っすらと涙すら滲ませて。
「どうにかしないと、本当に銀幕市がこうなるんじゃ……」
 そのようなことを口にしたいわけではないのに、突いて出た台詞は、迷い人たる彼女の直感。抗いようのない運命なのだろうか、これは。自分達のしていることは、無駄でしかないのだろうか。
(「違う。違う、そうじゃない!」)
 頭を振るも、その動作に力強さは感じられない。
 と、瞬間、泉は弾かれたように立ち上がり、走り出した。
「おい、泉! 何処行くんだよ」
「単独行動は危険ですよ」
「ごめんなさい。でも、どうしても確かめたいんです」
 追って来るガーウィンと黒月の言に足を止めることなく、海原を駆け抜ける泉。鼓動が早鐘を打つのは、何も全力疾走しているからではない。
 やがて、足を止めたのは市の中西部――ダウンタウン南地区の真上辺りだ。主に住宅が立ち並ぶ、庶民の暖か味を感じられる地域も水底では文字通り、冷え冷えとした殺伐感を漂わせていた。
 生唾を飲み下し、建物の位置を1つずつ確認していく。
 あそこに見える豆粒大の屋根が名画座で、ふれあい通りのこちらが、スーパーまるぎん。とすると、ラストニア兄妹の住居、鎮国の神殿が丁度、この辺に――……見当たらないのである。
「そんな! どうして?」
 ますます弾む心臓。
 それでは、あの場所はどうなっている?
 恐る恐る覗き込む。だが、
「見えねぇな」
「ガーウィンさん!?」
 いつの間にやら泉の後ろにいた自称『世界一足が速い男』が、紫煙を燻らせながら、海底の一点を見詰めている。本来であれば、其処には彼の自宅兼事務所であり、泉にとっては居候先であるガレージが建っている筈の一角。しかし、海中に目を凝らしてみようとも、濃い青紫色に侵食されており、よく見えないのである。
 ほっとしたような、それでいてがっくりと項垂れる泉に、ガーウィンがやんわりと諭す。
「寧ろ、分からないままで良かったのかもしれねぇぜ」
「え……?」
 いうまでもなく、自分達はここへ調査に来ている。ほんの些細な情報でも収集出来れば、それに越したことはないのだろう。だがしかし、受け入れ難き事実は、時として心をも粉々に砕く。全てを知ることで、消えてしまう望もあるのだ。自分はともかく、大事な相棒にまでそんな思いはさせたくない。いつだって、彼女には笑っていて欲しいと、ガーウィンは純粋に願うのであった。
「もう、泉もガーウィンのおじさんも、足速過ぎだよー!」
 アオイや他の面々が揃った所で、ガーウィンが「わりぃわりぃ」などとおどけてみせる。
「にしても、全く奇妙な世界だぜ、ここは。ずっと歩き続けたら、陸にぶつかるかな。それとも世界一周して戻ってくるのか? そうだ。この海に煙草をポイ捨てしたらどうなるんだろうなぁ?」
「ちょ、ちょっと、おじさん。それって環境汚染じゃないの?」
「堅いこと言いなさんな。この世界そのものが汚染みてーなもんじゃねぇか」
 アオイのじと目にはびくともせず、火の付いたままの煙草を指先で弾き飛ばすガーウィン。海水に触れた途端、煙草はじゅっという音を残して波間へ消えていく。すると、幾許もせぬ内に、何やら半透明の塊が浮かんで来た。
「ぎゃッ!」
「ひっ!」
 泉とアオイが短い悲鳴を上げる横では、そのクールビューティな外見とは裏腹に、小さくしゃがみ込む香玖耶の姿。
 海面に現れたものは、表面に巨大な人面を模した葛餅が如き正体不明の物体であった。プラスとマイナスの磁石が引き合うように、異界の産物もまた、我らが世界の物質に強く魅かれる性質を宿しているのだろうか。
 黒月が女性陣を避難させつつ、すぐさま銃器を構えたシャノンが、人面葛餅を正確に打ち抜いた。それは紅き血潮の代わりにゲル状のものを飛び散らせながら、無念そうに沈む。
 ネガティヴゾーンにおいて、不用意な行動は予測不能の事態を招く。命取りであり、禁物である。
 後には、仁王立ちの泉と縮こまるガーウィンの微笑ましい光景があったという。
「いい加減にして下さい、ガーウィンさん」
「……すんましぇん」

●魔境の底に潜むもの
 騒動も一段落した所で、捜索は再開された。
 本当に、この世界は何処まで続いているのか。
 殆ど、何の情報も得られぬまま、誰しもの心に渦巻くものは、その疑問であった。
 建物も見当たらなければ、人間すらいない。生物といえば、時折鬱陶しく纏わりついてきては、苛立ちを煽る蝿程のディスペアーくらいなものである。
 相変わらず、ネガティヴパワーは衰える所か、歩けば歩いた分だけその強さが増すようにさえ感じる。ゴールデングローブを装備せずしてこの地を訪れ、キラー化した2人のスター達は一体、如何様なまでの狂気を味わったのだろう。彼等の痛み苦しみを思えばこそ、焦燥感が一層募っていく。黒月はブレスレット型のゴールデングローブを強く握り締めた。

 彼此、20分程度歩んだ頃である。
 香玖耶が、強張った表情で前方を指し示す。
「あれは、何かしら……?」
 その言に、シャノンが、ガーウィンが、目を見開いた。
 海原の真ん中に、大きな地割れがあるのである。地割れといっても、割れているのは海であるため、ここは『海割れ』と表現するのが正しいのかもしれない。固体となった海水に亀裂が出来ているその形状は、正しく峡谷だ。深淵は青黒くくすんでおり、何が潜んでいるのかは皆目見当もつかない。
 あまりにも自然の倫理に反する有様に、皆が言葉を失う。沈黙を真っ先に破ったのは、アオイであった。
「正直、今までは小遣い欲しさに依頼をこなしていたけれどさ。最近は、あたしも銀幕市を守りたいって思うんだ。あの街も、街の人も、皆大事だモン……。それに、元春や他のスターの人をキラーにしてしまうかもしれない、こんなワケの分からないヤバイ場所は絶対放っておけないって!」
 紡ぐ気持ちは気合の表れだ。こうして口に出すことで、彼女の活力となる。
「前回見たあのクジラのバケモノもマジあり得ないし。今度こそ、絶対なんか掴んで来てやるっ!」
 スターでなくとも辛い筈であるのに、重苦しさを吹き飛ばす笑顔の源は、多分、想い以外の何ものでもない。そのいじらしさに泉もまた、微笑み返した。
「行きましょう。私達の未来のために」

 捜索隊の靴音が、谷間に響く。
 足場になりそうな箇所を見付けては、下へ下へと海の崖を降りて行った。
「気をつけて。滑り易くなっています」
 香玖耶に手を貸しつつ、先頭の黒月が警告を発する。
「ああ。ここで足を踏み外して万が一にも怪我などしてしまっては、格好の笑い種だからな」
 冗談の1つでもつく余裕が出てきたのか、唇の端をニヒルに持ち上げるシャノン。緊張が解けてきたのは、他の面々も同じようで、
「やだ、おじさん。上向かないでよっ!」
 綺羅星高の制服姿であるアオイが、短いスカートの裾を押さえれば、彼女の足元を進むガーウィンも負けじとやり返す。
「見てねぇっつーの! 大体、俺はもっとこう、黒レースのアダルト且つセクシーなやつが好みであって、うさちゃんプリントパンツになんか、全然興味ない……って、ぎゃー、踏むな! 蹴るな! 落ちるだろが!!」
「……いっそ、落ちてしまえ」
 いつもならば、ここでストッパー役である泉の出番なのだが、残念ながら高所恐怖症である彼女は、半分腰を抜かしながらガーウィンにしがみ付いている。
「ガーウィンさん。後でじっくり話し合いましょうね……」
 弱々しくも突っ込んでみせる泉の健気さに、39歳チョイ悪オヤジが震え上がったとか。
 と、
「待って下さい」
「何――……」
 鋭い瞳を更に吊り上げて、黒月が香玖耶の言葉をジェスチャーだけで遮る。
 一瞬にして緊張感が走る中、彼が睨み付けるは下方の闇。
 亀裂の隙間に、何かがいる。
 蠢いている。
 一見してかなりの数であると判断出来るのは、それらが色とりどりの光を毒々しく瞬かせていたからであった。
 無言のままで、手招きする黒月。丁度、全員が身を潜められる程度の迫り出した崖を見付けたのである。ここならば、何者にも気付かれることなく下の様子を伺えそうだ。
 息を殺し、崖の縁からそっと身を乗り出してみると、其処には砂糖に寄り集まる蟻が如くディスペアーの群れ、群れ、また群れ。一行が敵の存在に気付くことなく谷を降っていたならば、今頃はあっという間にやつらの餌食となっていたことだろう。如何に雑魚であったとしても、この数をまともに相手して無傷で生還出来る確率は、那由他の時に身を置く香玖耶といえども、正直微妙な所だ。
 ディスペアー達は口から粘液を吐き出して、自身を繭のようなもので包み込んでいく。
「気持ち悪っ!」
 背筋を走るぞくぞくとした寒気を感じ、体を擦るアオイ。
 ディスペアーは、繭に入った切り動かなくなった。
「これは、どういうことなのでしょう?」
 高所の恐怖から幾分回復しつつある泉が、人差し指を唇に当てながら首を捻る。
 その間にも、謎という名のピースがシャノンの頭の中でどんどん組み合わさり、無慈悲な現実を紡ぎ上げていく。それまで事の次第を静観していた彼は突如、緊迫した声音で囁いた。
「こいつ等……成長しているというのか!?」
 動物は、種によっては成長過程において短期間で著しく形態を変えることがある。つまりは、『変態』である。
 地上の理が全く当てはまらない異世界で、深海生物に似た姿のディスペアーもまた、貪欲に生き延びるための変貌を遂げることは、矛盾しているようでもあり、それでいて何ら不思議なことではないのかもしれない。もっとも、ご覧の通り奴等の変態方式は魚類よりも、昆虫のそれに近しいものであったわけだが。
 ともかく、ディスペアーとは、育つものであるという真相を突き付けられたには違いない。あれを放置しておけば、銀幕市に待ち受けるは紛れもない破滅的未来。そして、その未来は直ぐ其処にまで迫って来ているのだとするならば――。
 狂った歯車が、嫌な軋み音を立てる。
 一同が目を覆いたくなる程の絶望に直面していようと、無常にもディスペアーの成長は止まらない。
 ここら辺が、潮時だろうか。
 情報を得られたのならば、深追いすることなく全員無事に、出来れば無傷で退くべきである。闇に捕らわれてしまわぬ内に。
 退却する準備を始めようとしていた矢先、シャノンの肩を軽く叩く者があった。黒月である。
「気になりませんか?」
 怪訝な顔を向けるシャノンに、彼が促した。
「あの繭です。ほら、先程から僅かに動いている……」
 危惧の念は、気のせいなどではなかった。ほぼ闇一色に近い暗がりに、他のものより一際大きな繭が地割れに挟まるようにして、息を潜めていたのだ。それが、一定のリズムを刻んでいる。初めゆっくりだった脈動は、どんどん力強く速まって……
 高鳴る鼓動。
 恐怖の衝動。
「……おいおい、まさか、第2のフウセンウナギ誕生なんてこたぁねぇだろうな」
 ガーウィンが代弁したのは、皆が抱いた蟠り。
 繭は今や狂おしいまでに激しく脈打ち――やがて、静止した。
 驚愕。
 世界が、異形の一粒を生み出した瞬間であった。
 中から姿を現したものは、アオイ以外の全員が嘗て拝んだこともないくらいの巨大なディスペアーだった。無論、レヴィアタンよりはずっと小さいのだが、雑魚よりは大きく、全体的に骨張った外見といい、生気の感じられない黄灰の瞳といい、まるで醜悪な魚型スケルトンそのもの。
 頭部を上方に跳ね上げ、がばりと大きく開いた口で手近な繭の1つを噛み潰すディスペアー。身の毛立つ咀嚼音が響き、口元からはじゅくじゅくとした液体が滴った。あのびっしりと生え並ぶ鋭い牙で突き上げられれば、一溜まりもないだろう。
 香玖耶は口を押さえ、思わず顔を背ける。
「質の悪いSF映画を観ているようだな……」
 退くことすら忘れ、地獄の光景を垣間見るシャノンが、唇を殆ど動かさずに発した言葉である。
 しかし、本当の地獄と化すのはこれから。
 後に思えば、これは正にうさちゃんプリントパンツ神の裁きであったのかもしれない。何の前触れもなしに、神の鉄槌は彼の者へと襲い掛かった。
 ぴし、と不吉な音に何事かと確かめる間もなく、ガーウィンの乗った迫り出し部分に大きな罅が生じたのである。予想外の事態に足場を失ったナイスガイが、大きくバランスを崩す。
「のわぁぁっ!?」
 咄嗟に伸ばした泉の手は虚しく空を掴むのみ。哀れガーウィン、真っ逆様に落ちていく。
「ガーウィンさん!」
「おじさん!」
 助けなければという一心で、後先考えずに泉とアオイが谷底へと身を躍らせる。続いて、香玖耶も。勇敢な女性陣に一歩出遅れはしたものの、残されたシャノンと黒月もまた、
「彼等を放っておけというほうが、到底無理な話だ」
「同感ですね」
 顔を見合わせ頷くのであった。

●虚に還れと闇が嗤う
「いてて……くそっ!」
 ガーウィンが無理な体勢で落下した割に軽い打撲程度で事無きを得たのは、ディスペアーを巻き添えての着地に成功したからであろう。
 だが、仲間の危機に他の5名が飛び込み勇んでみるも、端から形勢は不利であった。
 あのアンデッド染みた中型のディスペアーを中心に、繭になる前のもの達が余所者を排除すべくわらわらと集って来る。すなわち、一行は敵の群れに囲まれていたのである。
 最早、撤退することすら許されぬ逼迫した状況。こうなったら、自分達の力だけで活路を切り開くしかない。
 魔性の怒号が、鼓膜を震わせる。
 敵の威嚇に、けれども香玖耶は臆することなく、これ程までの絶望を宿す意思と接することが出来はしまいかと、先と同じ要領で密かに試していた。 だが、ネガティヴゾーンの住人に心があるのかという以前に、コミュニケーションすら取れないのであれば、これはもう断念せざるを得ない。
 何処まで追い求めてみた所で結局、彼等と自分達の道が交差することはないのだ。この荒々しい世界ではやるかやられるか、唯それのみなのである。
「悲しいわね。分かり合えないなんて」
 心底残念そうに長い溜息を吐き出して気持ちを切り替えると、扱い慣れた鞭に手を伸ばす。
 戦いの、始まりである。

「光り輝く聖なる乙女よ、お出でなさい」
 鞭を一振りして周囲のディスペアーを弾き飛ばすと、香玖耶は精霊召喚に入った。両手を軽く前に突き出せば、その部分を中心に全身が淡く輝き出す。エルーカ(召喚師)としての力が何処まで通じるのか判然としない世界で、これは一種の賭け、命を賭した勝負であった。
 掌から光の玉が浮かび上がると、精霊は現れた。白い靄のようなものが頭上を駆け回り、忽ち無数の朧の光玉が点々と舞う。ディスペアー達の持つ毒々しい光などではない。心安らぐそれである。能力が制限されている今、仄明かり程度しか作り出せなかったのだが、手練の彼等が立ち回るには十分だろう。
「有り難う。ゆっくり休んでちょうだいね」
 微笑み、香玖耶は精霊を労う。
 とはいえ、狭間の景が浮き彫りになった所で勢力関係が逆転するかといえば、依然事態に変化はなかった。
 ほんの少し動いただけで、持久力のない泉は直ぐに息が切れてきた。無理もない。この谷はネガティヴパワーの濃度がかなり高い地域である。それでも2本の剣を逆手に持ち、迫る敵の身を切り裂いた。
 と、相手を仕留めたことで緊張感が緩んだのか、足が縺れる。
 いけない!
 そう思った時には既に遅く、転倒し、左手の得物が滑り落ちた。ギョロ目のディスペアーが目敏くも隙を突き、泉に牙を剥く。
 反射的に投げナイフの柄を掴むも、投擲するには間に合わない。
 腕で頭を庇い、堅く目を瞑ったその時――乾いた音が、直ぐ傍で響いた。
 再び目を開ければ、落下したギョロ目が尾鰭で繭を叩き潰しながら、のたうち回っている。2度、3度とガーウィンがトリガーを引くと、痙攣していた体も、やがて動かなくなった。
「無茶すんなって。焦り過ぎだぜ」
 青白い顔の泉に手を貸し、次いで彼女の剣を拾い上げる。受け取る泉は、つくづく自分は何と無力な存在なのだろうと痛感した。数多の世を渡る者として、その経験を生かし切れぬ歯痒さに俯いた。でも――
「でも、負けるわけにはいかないんです。私が倒れても、私を信じて名前を呼んでくれる人がいる限り、何度でも立ち上がります。皆の笑顔を、守りたい」
「ああ。だがな、それでお前がくたばっちまったら、意味ねぇだろが。お前の笑顔を守りたいって思う奴もいることを忘れんな」
 くしゃりと髪を撫でるガーウィンの温もりを感じ、泉が顔を上げる。
「絶対、俺から離れるなよ」
 其処にあるのは、不変にして穏やかなる緑の眼差し。
 そう、もうちょっと……もうちょっとだけ頑張ってみよう。泣き言は全てが終わってからでも言える。
 互いの背を守るように足場を確保すると、2人は得物を構えた。

 黒月は応戦しつつも、いつもより技に切れが感じられないことに苛立ちを覚えていた。
 これが、ネガティヴからの守護と引き換えに、能力を制限されるという真の意味なのだ。途端に、腕より伝わるゴールデングローブの重量。これではまるで、ちっぽけな道具如きに魂を貪られているようではないか。
 おまけに、倒しても倒しても、次から次へと襲い来る敵数の多いこと。雑魚達が中型ディスペアーに従うような素振りを見せているため、意思の疎通は図れないくせに、統率だけはしっかり取れているらしい。つくづく厄介な連中である。
 悪戯に体力を削ってしまうだけの現状を打破するには、決定的な破壊を用いる他ない。
 トンファーを振り上げて、敵の顔面に強烈な一撃を打ち込みながら考えを巡らせていた、そんな時であった、背後から爆音が轟いたのは。
 シャノンのバズーカから放たれたロケット弾が着弾と同時に固体の海を深く抉り、敵を一掃する。辛うじて絶命しなかったものも、凄まじい爆風を受けて吹っ飛ばされていた。
 元々は対大型戦にと彼が携えた火器であるが、今はここより脱出することが先決だ。
「雑魚は任せろ」
 2発目を手早く装填しながら、顎で一方向を指す。中型ディスペアーである。今し方の爆風圏内にいた筈なのに、長い胸鰭を翼の如く羽ばたかせては悠々と谷間を泳いでいる。こいつに攻撃を集中しろ、と彼は言いたいのである。
「分かりました。シャノンさんも、どうかご無事で」
 黒月が海を蹴り行ってしまうと、息をつく暇もなく次の援護射撃を開始した。
 彼にもまた、守りたいと思う人達、そして大切だと思う人がいる。そうである以上、夢の神子の魔法による仮初の人生であろうとも、このような所で終わるわけにはいかないのだ。シャノンは生きるために、そして守るべきものを守るために戦い抜く。己が映画の世界では成し得なかったことを、せめてこの街では成せるようにと。
 強大な衝撃を敵陣のど真ん中にぶち込んだ所で、突然、ヴィジョンが彼の意識へと流れ込んで来た。それはよく見覚えのあるマンションの一室でペンダントを握り締めながら、懸命に祈るルウの姿であった。
 幼い彼にネガティヴ云々といった事の詳細は理解出来ていないが、この街が危機的状況に瀕していることだけは分かっていた。そして、大好きなシャノンが自分達を守るために、それら危険要素と戦っているのだということも。
 今朝も出掛けの際には不安気に声を掛けてきたものである。「行かないで」と。後ろ髪を引かれる想いのシャノンがルウと取り交わした約束は、必ず帰って来ること。
「ぱぱ、信じているよ」
 耳の奥で、少年の声が反響した。
 舞台が切り替わる。
「こういう時に何も出来ないというのは、歯痒いものですね」
 ジョシュア・フォルシウスはベイサイドホテルを抜け出し、自分の無力さに対する懺悔と、もう1人の自分であるシャノンへのせめてもの祈りを捧げていた。
「どうか、無事帰って来て下さいね。貴方がいないと哀しむ子がいるんですから。彼に主のご加護があります様に……アーメン」
 其処でヴィジョンは途切れた。時間にして、ほんの数秒の出来事である。
 心地良い熱っぽさがシャノンを包み込んだ。
 伏し目がちに笑みを零す。自嘲でも皮肉染みたものでもなく、麗しい大輪の薔薇が綻ぶように、ふわりと緩やかに、軽やかに。
「約束は、果たさねば……な」

 アオイは次々と展開される地獄絵図に一瞬たじろぐも、直ぐに踏み止まった。
 今回は友人より剣技の手解きを受けたのである。加えて、ゴールデングローブの制約を受けることもなければ、天性たる運動神経をも持ち合わせている。
 大丈夫、大丈夫。絶対やれる。呪文のように何度も繰り返し、じっとりと汗ばんだ掌でディレクターズカッターを握り直す。
 髪を靡かせ、駆け抜けては一閃、振り向き様にもう一振り。
 両断されたディスペアーの屍が海の中にずぶずぶと沈んでいくのを見詰めながら、けれどもアオイは一方で若干の罪悪感をも覚えていた。
 分かり合えぬ敵とはいえ、生命を絶つ剣の何と重いことか。勿論、ネガティヴの脅威を見てみぬ振りなど出来っこないし、だからこそ捜索隊へ志願したのだが、それでも切り捨てた分だけ、果てたもの達の人生や遺志を背負って生きていかねばならない。例え、正義の名の下に裁いたのだとしても、である。
 全ての戦いが終わる頃、自分は罪の意識に苛まれているのだろうか。それとも、銀幕市を救えたことに誇りを抱くだろうか。
 思春期の少女相応の葛藤、その答えは、まだ導き出せない。

●生きる為に戦うか、戦う為に生きるのか
 戦いは激しい攻防戦へと転じていく。
 シャノンの後方支援を中心とした皆のチームワークにより、雑魚はほぼ壊滅状態にまで追い込まれていた。絶対的不利な状況下で、彼等はここまで遣って退けたのだ。その奇跡ともいえる偉業は賞賛に十分値する。
 だが、どの顔にも疲労の色は濃い。こちらが集中力を欠く前に、けりをつけてしまわねばなるまい。
「貴方の相手は私ですよ」
 先駆となって中型ディスペアーの前に躍り出た泉が、ナイフを放った。得物は精彩なき瞳に真っ直ぐ突き刺さる。
 激昂の叫びを振り撒いて畏怖の牙が襲うも、華麗なステップを踏む泉。ひらりと交わした所へ、入れ違いにガーウィンの銃弾が死の雨となって降り注ぐ。
 悪友より拝借した銃を構えながら、彼は白い歯を覗かせた。まるで長年愛用してきたかの如く、これが良く手に馴染むのだ。
「あいつも気の利いたもん作りやがってよ」
 プリン5ダース分の満足度である。
 しかし、敵もやられてばかりではない。辛酸を浴びながらも、長く伸びた背鰭の先端を煌かせ、急降下で仕掛ける。
 命を刈り取らんと疾風となり、飛来する骸魚を迎え撃つは黒月。牙の一本でも圧し折る勢いで振るったトンファーの一撃と、邪なる刃が交差、火花が散る。
 ――重い!
 何と重厚で暴力的な衝撃を放つのだ、こいつは。
 黒月の攻撃は鋼鉄の前歯を欠けさせたに留まり、然したるダメージには至らない。
 畳み掛けるようにして、合流したシャノンの銃撃。既にバズーカは使い捨て、武器をFNP90に持ち替えている。至近距離からの機関銃の射撃は、弾数を無駄にすることなく、確実に化物を穿つ。
「能力が制限されるとはいえ、今まで積み重ねてきた経験まで消えるわけじゃない。少なくとも、その辺の人間よりは戦えるつもりだ」
 一定の間合いを保ちながら、終始遠距離攻撃に務める香玖耶、
「あの飛翔は反則よね」
 と、飛び退ろうとする相手の死角に焦点を絞り、鞭を繰る。
 その洗礼を嫌という程、身に刻み付けられた中型ディスペアーの体から鱗が数枚剥がれ落ち、大きく傾いだ。が、不安定な飛行ながら撃墜されることなく、空へと舞い上がる。
「あら、なかなかやるわね」
 見た目通りの力量に、香玖耶は唸った。
 察するに、奴等はスターを集中的に狙っている。ファンである自分ならば、意表を突いた攻撃を仕掛けることも、そう難しくはないだろう。アオイがこの戦いにおいて学んだ事実である。
 最早群れることを忘れた雑魚の1匹を一太刀で捉えると、彼女は駆けた。上手い具合に、相手はこちらの動向には少しも気付いている様子はない。激しく浴びせられる攻撃の数々によろめいた。
 今だ!
 背後より跳躍し、ディレクターズカッターを振るう。
 だが、それは空振りに終わった。何と、この重大な局面にして刃が費えたのである。
 ディレクターズカッターの持続時間は5分。長期戦での激闘は体力、集中力だけでなく、ファングッズのエネルギーをも削いでいたのだ。
「そんな!」
 即座にアオイの気配に気付いたディスペアーが頭を巡らし、がばりと開いた口で鮮血を渇望する。憎悪の念を込めた牙がアオイの喉笛を掻っ切らんと迫る。
「危ない!」
 寸での所で、何かが彼女を突き飛ばした。黒月の体当たりをまともに食らったらしい。
 幸い、転がるアオイは手足を擦り剥いただけで済んだのだが……
「あ、ありが――……!?」
 身を起こし、礼を述べようと後ろを見遣れば、苦痛に顔を歪める黒月が右腕を強く抑え、蹲っているのであった。腕から手首、指先へと伝った血が見る間に彼の足元を汚す。
 蹂躙に黒月の肌を裂いた魔物が牙を真紅に染めて、天へと猛り吼えた。アオイの恐怖心を煽り立てるそれは、嘲りにも酷似して。
「黒月さん! 黒月さん、しっかりして!」
 止まぬ流血に、頭が真っ白になる。
 ああ、そうだ。
 これは戦争だ。汚く、醜く、惨たらしい戦。
 そして、御伽噺やゲームのように一度失われた命が蘇ることは、もう二度とない。
「やだ。こんなのやだよ。死んじゃやだぁっ!!」
 パニックを起こし掛けるアオイに香玖耶が、負傷した黒月にはシャノンが駆け寄る。
「案ずるな。血の量は多いが、傷はそれ程深くない。命に別状はないだろう」
 腕を一見したシャノン、前以て泉より受け取ったビー玉を握ると、中に込められた癒しの蒼炎を傷口に翳した。

 勇者達が死闘を繰り広げている頃、銀幕市では北條 レイラ(ほうじょう・―)と結城 元春(ゆうき・もとはる)が仲間の無事を願っていた。
「わたくしは隣にいませんが、いつでも共に闘ってますわ」
「ふふ、気の強いアオイのことだ。俺が心配をすればする程、不機嫌になる顔が容易に想像出来る」
 それでも良い。表面上はどうあれ、自分達の祈りを彼女なら分かる筈、感じてくれる筈だから。
「無事に戻って来い」
 異界の病んだ空とは比べるべくもない澄んだ蒼穹に目を細める元春の横で、レイラが彼方へ一発の空砲を撃つ。
 想いは必ず届くと信じて。
 ――……!!
「えっ!? 元春? レイラ?」
 確かに今、よく耳に馴染んだ声が響いた気がした。当然、周囲に2人の姿はない。さりとて妄想でも幻聴でもなかった。
 ではあれは、紛れもなく彼等の意識……。
 途端に、体の芯から失われていた温かさがじんわりと広がっていく。
(「2人共ありがと。ちゃんと伝わったよ」)
 目尻から込み上げるものを、手の甲で拭う。
 普段なら照れ臭くて、どうしても言えない感謝を心に秘めて。
「何やってんだろ、あたし。こんなんじゃ、変わるものも変わらないって!」
 今更、綺麗事を吐く気はないけれど。
 強い絆は今日の支えであり、明日の糧となる。
 だから、望むことを諦めない。
 そしてもう一度、笑って帰るのだ。大切なあの人達の元へ。
「これを!」
 泉から放られた長剣を器用に片手でキャッチすると、改めてアオイは凶悪な深海魚もどきと対峙した。

「こんな危ねぇのがいつまでも存在してちゃ、こちとら迷惑なんだよ。俺は子供が安心して外で遊べる世界じゃねぇと、絶対嫌だ」
 それは亡くなった妻と、実体化していない娘への想いによるもの。ガーウィンの胸元のロケットが揺れる。
 彼が投げ付けたピンクの子豚型爆弾が命中し、自慢の胸鰭をずたずたに裂いた。
 これには堪らず、ディスペアーも巨体を仰け反らせて遂に落下する。
 もし、あれに知性があったならば、冷たい海の感触と共に、惨めな屈辱を存分に味わっていたことであろう。
「在るべき所へお還りなさい」
 叫喚を求めて尚、喰らい付かんと蛇の如く這いずり悪足掻きする相手に、香玖耶の鞭と泉の斬撃が双方から追い討ちをかける。生命の終焉は近い。
 それでもディスペアーは体をくねらせ、尾鰭を滅茶苦茶に振り回した。足払いを喰らわせるつもりであったのだろうが、破れかぶれの撃は切れを大きく欠く。
 黒月を戦線離脱させたシャノンが紙一重でこれを回避。
 そのまま体を捻って回転付けた蹴りが、嫌な音を立てて頭骨を砕く。
 間髪容れずにアオイがシャノンを追い抜いた。
 命と引き換えに放った執念の牙を跳ね除けると、勢いで振り翳した長剣を垂直に降ろす。
「でやぁぁぁっ!!」
 ――ばしゅっ!!!
 アオイの吶喊と、中型ディスペアーの最期の咆哮が時間差で重なった。刃が、眉間を深く強く貫いたのである。
 世界を真っ二つにしてしまい兼ねない壮絶な断末魔は長きに渡ることなく、弱々しいものへと変貌していく。同時に、彼の者の命もまた……。
 体液を吐き出して、擡げた頭がどうと倒れる。
 絶対的な脅威は、事切れていた。
 海底に沈み逝く亡骸へ、餞の言葉を掛ける者はなく。
 湿り気を目一杯含んだ風翔る音が、渓谷に反響する。

●葬送の焔は終わりの始まり
「こんなものがこの世界の何処かに未だ存在しているのかと思うと、ぞっとするわね」
 火の精霊、サラマンダーを召喚した香玖耶が、繭に火を掛けた。小さな火蜥蜴が吐くライター程度の炎でも火の回りは存外早く、やがては烈火となって空を舐めた。
「一段落、と言いたい所だが生憎、呑気に腰を落ち着けている間はないのだろうな」
「ええ……。戦いは、まだ終わっていませんから」
 燃え盛る谷を抜け、黒煙を望むシャノンの顔には、どんなに取り繕っても誤魔化しようのない疲労感が漂う。彼はこの後、黒月を病院へ送り届ける役目を担っていた。確かに負傷した箇所は傷跡すら残さず綺麗に繋がっていたが、蒼炎の力はあくまで表面的な癒し。流れ出た血液まで戻すことは出来ないのである。
 彼等の言う通り、地上へ戻って一時の休息を取れば、また辛く苦しい戦場に舞い戻ることとなろう。アオイは、三度足を踏み入れることになるかもしれない景色をしっかりと瞳に焼き付けた。
 不意に、泉が訝しげに猫耳をひくひくと欹てる。
 あれは、波の音? それとも……
 小首傾げる彼女の背後から追い駆けて来るのはお馴染み、ガーウィンの声。
「おーい、泉。置いてっちまうぞ!」
「え? ……あわわ、ま、待って下さいよ〜」
 違和感を残しつつも、慌てて皆を追う泉。

 捜索隊が去り、静寂を取り戻した海が不規則に小波立つ。
 醜めきオブジェの陰に、じっと形を潜めるものが、嗤ったような気がして。
 それっきり、気配は海へと飲まれていった。


End.

クリエイターコメント この度は当シナリオへご参加いただきまして、誠に有り難うございます。

 捜索活動、お疲れ様でした。
 各々が重みのある心情を抱いておられ、また絆の深さに感銘致しました。どうぞ皆様方の未来が明るいものでありますように。
 なお、今回の捜索で解けなかった謎が他WR様のシナリオで判明するということもございましょう。是非にも、合わせてご覧下さいませ。

 可能な限り皆様の素敵プレイングを生かしつつ、作り上げたつもりですが、PC様もPL様も、少しでもお気に召していただけますと、幸いです。

 最後になりましたが、ここまでお読みいただいた全ての方へ感謝を込めて。
 あさみ六華でした。
公開日時2008-06-28(土) 20:00
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