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<ノベル>
さほど広くもない庭に、花があふれていた。
万重に咲いた花弁を誇るように、天を仰いでいる。彩りは淡い桃色から紅まで、かと思えば先端に緑を残した白いものも混じっている。
風が吹くと華やかな花が万華鏡のように揺れ、目眩を誘った。
大教授ラーゴはダイニングテーブルに頬杖をつき、窓の外を眺めていた。混じり合う色の波に悪酔いしそうで、目を伏せる。目蓋の残像が、葉擦れのざわめきに合わせて幾何学模様を描いた。
「あれは、ラナンキュラスです」
男の声が花の名を告げる。
ラーゴは薄目を開け、向かいに座る人物へ目を転じた。眉尻の垂れた優しそうな男が、彼女に微笑を返した。
薄暗いリビングダイニングで、二人は向き合っていた。
寿命の近い蛍光灯が心許ない明かりを提供し、それを支えるように22インチのテレビが再放送ドラマをだらりと垂れ流している。
そんな無機物の努力もむなしく、床に転がる死体が家庭の温かさを台無しにしていた。
少年や少女、それに成人女性。
流れた血はすでに乾き、肉塊は腐敗を始めている。小蠅がさんざめきながら飛び交い、場違いな賑わいを演出していた。
ラーゴは男を見やる。
彼の前にはぶ厚い企画書と、使い古された出刃包丁。包丁は手入れがおろそかで、錆が浮いていた。
にこにこと笑いながら、男はラーゴに説明する。
「僕は、『家族』をテーマにした映画を作ります。父役は僕です。母役は貴女です。息子役はまだ決まりません。娘役はこの子です」
男はかたわらにうずくまる少女を示した。不愉快なフローリングの上にぺたりと座り込んだまま動かない。時折まばたきをするので、生きてはいるのだろう。
ラーゴがこの家に招かれた時から、彼女はずっとそんな様子だった。
男は熱心に、製作中の映画について説明をしている。胃の底にわだかまる重石を感じつつ、ラーゴは庭のラナンキュラスに意識を向けた。
ムービーハザードに、気がつけば巻き込まれていた。
ラーゴは原作を知らない。
事故で家族を亡くした父親が、『家族』をテーマにした映画を作ることで立ち直る――きっとそんな、感動ストーリーだろう。
監督と主役は彼自身、不在の妻と子供達は街で見かけた人物をスカウトする。
そうやってキャストを集めていたが……。
理想通りの役者など、そうそういようはずもない。「現実」には。
なかなか再生しない『家族』に、彼は苛立ちを募らせた。そして、ついに怒った。
妻の話し方が違うと言って殺した。
息子の駆けっこが遅いと言って殺した。
娘の演技が下手だと言って殺した。
口答えした役者を、逆らったからと殺した。
……監督にか、父親にか、そのニュアンスの違いは彼にしかわからないけれども。
役者を集めては降板し、いなくなってはまた集めた。
その繰り返しの末、今ここに少女とラーゴがいる。
不愉快なハザードに遭遇した己を、ラーゴは嘲笑したくなった。
正気を失った『親』が、熱意たっぷりに企画を語れば語るほど反吐が出る。
「喪失と再生の物語――」
などと彼は耳障りよく主張する。その思いが純粋だと勘違いしているから、さらに性悪だ。
帰らない人の面影を求めても、手に入れられるのは代用品でしかない。
ラーゴにも執着する相手がいるから、痛いほどよくわかる。そしてこの男が同類だと思うほど、嫌悪感が募る。
目を伏せると、同じ映画から実体化した、向日葵のような幼女の姿が蘇った。少女が満面の笑みを浮かべると――よく似た女性の面影が、一瞬だけ浮かんで消えた。
「……!」
心臓が跳ねる。
ラーゴは胸を、爪が食い込むほど押さえつけた。
彼女は誰だったか。どんな関係か。忘却の彼方から戻ってこないのに、焦がれる気持ちだけが不意に生き返る。幼い少女に執着心しているのか、彼女の面影に恋々としているのか。
よくわからないし、わかったところで何が変わるわけでもない。
思いは思いだ。
いちいち分類整理してラベルを貼らなくても、いい。
「……貴女は園芸が趣味でなければならない。特にラナンキュラスを愛していなければならない」
不意に、男の声が明確に聞こえた。
咲き誇る花に罪はないのに、彼の話を聞いていると忌まわしく思えてくる。
「貴女の得意な料理はオムライスでなければならないし、好きな犬はジャックラッセルテリアでなければならない」
わかりますよね? と男は念を押す。
ラーゴは静かに席を立った。
「下らん」
エゴイストに背を向ける。
翻るマントが男の鼻先をかすめた。それは、彼の顔から笑みを拭い去った。
「お前も裏切るのか!」
家族失格の役者は、降板『させなければならない』。男は包丁を掴むと、ラーゴに突進した。
しかし横合いから、衝撃がぶつかってよろめく。死んだように放心していた少女だった。
振り返ったラーゴに、彼女は叫んだ。
「逃げて!」
男は顔を歪め、少女の前髪を鷲掴みにした。
「お前も降板だ! お前なんか娘じゃない!」
凶器が振り下ろされる寸前、ラーゴは指を鳴らした。少女の姿が消え、男はたたらを踏む。
「貴様に……善だの倫理だの、語る心算は無い」
ラーゴは憤怒に顔を歪め、男と向き合った。物体転移で腕の中に招いた少女を抱きしめる。
いくばくかの同族意識と嫌悪感。だからハザードを放置してこの場を去るつもりだったが、子供を害するのなら話は別だ。
「戯けた夢に溺れる貴様に、付き合う者などおらん。尋ねてみるが良い」
ラーゴは唇の端で笑い、転がる死体に支配譜を貼った。
降板された母が、息子が、娘が、かりそめの命でふたたび立ち上がる。
「ひっ……!」
喉の奥がひきつれたような悲鳴。男は後ずさり、ダイニングテーブルにぶつかった。
「僕は監督だ、父親だ。従え!」
彼は手にした包丁を、タクトのように振り回した。
ぶぶぶ、ぶぶぶぶと小蠅の羽音を歌声代わりに、代用品の家族は父親のもとへ集う。
「従え! 従え! 父親だ! 監督だ! 偉いんだ! 絶対だ、あ、あ、あああぁあぁぁ!」
男の主張を、物言わぬ役者達が否定した。
ラーゴは震える少女を横抱きにして、家の外へ出た。彼女はラーゴの首に手を回して、泣いている。
ラナンキュラスは最初から最後まで、ただ美しく咲き誇っていた。
人がどんな思いを寄せても、花は花だ。
同じように、ラーゴの抱く思いが何であれ、あの幼女はあの幼女であることに変わりはない。
「勝手だのう」
ラーゴは呟いて、苦みの混じった微笑みを浮かべる。
ひときわ大きな風が吹き、ラナンキュラスの茂みを揺らした。
白から桃、深紅へと至るグラデーションに緑と黄の斑が混じる。ラーゴの記憶に美しさだけを残し、ラナンキュラスは消え去った。
振り返れば、今までいた家も何もかもなくなって空き地になっているだろう。そしてきっと、ハザードの結果である一巻のフィルムがぽつんと転がっているはずだ。
けれど確認する必要はない。
ラーゴは振り返らずに行った。
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クリエイターコメント | このたびはオファーありがとうございました。
『親』と『エゴイズム』に焦点を絞り、舌触り悪く後味良く仕上げてみました(そのつもりです)。 お気に召していただければ幸いです。 |
公開日時 | 2009-06-20(土) 20:50 |
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