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<ノベル>
空は快晴。
街は赤やピンクで彩られ、心浮き立つ賑やかさだ。中でも、聖林通りはいっそう賑わっていた。
「うわぁ、かわいいっ! 見てみて、誓さん、お姉ちゃん!」
白い髪を飛び跳ねさせて、これまた真っ白のミニスカートのワンピースを着た少女、ルシファはショーウィンドウに飾られた、赤いチェリーを目にはめ込んだウサギ形のショコラを指差して振り返る。満面の笑みで、赤い瞳をそれこそ宝石のようにキラキラと輝かせるルシファに、二人は自然と頬が緩むのを感じた。
「本当だね。じゃあ、思い切ってケーキに挑戦してみる?」
「はいっ!」
「待て待て待て、いきなり無理に決まってんだろ。っつーか今さっき買い込んできた材料を無駄にする気か、あんたら」
ふうわりと赤みを帯びた茶の瞳を細めてルシファを覗き込んだのは、黒を基調とした落ち着いた色合いの、ラフだがスタイリッシュに着こなした篠崎誓、それに対して元気よく返事をしたルシファに、紺のデニムパンツにラグランロングスリーブ、その上にマウンテンパーカーとボーイッシュな出で立ちの須哉逢柝は呆れ顔で、誓が両手に下げた荷物を指差した。
中にはスイート、ビター、ホワイト、ストロベリーチョコレート、それから少し大きめのハートのチョコ型、チョコカップ、ビスケットなどなど。
「これに小麦粉とか加えれば、作れない事はないよ」
「チョコカップが無駄になるっつってんだよ! 何個あると思ってんだ!」
ほわんと微笑む誓に、半ば勢いを削がれながらも逢柝は主張し続けた。
それもそのはず、ルシファがあの人とあの人と、あの人、それからあの人とー、あ、あの人も! ……などと指折り人数を数えた結果、八個入りカップ実に一ダース+αお買い上げとなったのであった。ちなみに、近頃は可愛いデザインのものが増え、また質も良くなっている。それにともなって価格も上昇するわけで、それを無駄にするような行為だけは絶対に阻止しなければならない。また、これだけの量のチョコレートを溶かすだけでも骨になるというのに、そこに更にケーキも作るなど、そんなことをしていたらバレンタインを通り越してホワイトデーに……それは言い過ぎだが、ともかくケーキまで作っている余裕など無い。
むぅ、とショーウィンドウに張り付くルシファに、逢柝はだめ押しの一言を付け加えた。
「ケーキじゃみんなに配れないだろ?」
言われて、ルシファは大きく頷いて笑った。それに頷くと、誓が口を開いた。
「切り刻めばいいんじゃないかな」
「ふえ?」
「怖いことをさわやかな微笑みを浮かべてさらっと言うなっ!」
* * *
場所は変わって、しかしこちらもショーウィンドウ。後ろ足だけで立つ狸がぺったりと張り付いているその姿は可愛らしいが、その目はいたって真剣である。
「こっちもいいなぁ……でもちょっとちっこいんだよな……」
しばらくにらめっこしていたが、お気に召さなかったようでその小さな狸は唐草模様のマントもとい風呂敷をひるがえして次なる店へと足を向けた。
と、何やら思案顔の見覚えのある顔を見つけて、声を上げた。
「ぽよんすー、ベラ!」
小さな手をいっぱいに上げて振る。声に振り返った少女は、小さな狸を認めて笑った。
「こんにちは、太助さん。奇遇ね、こんなところで会うなんて」
視線を合わせるように膝を折ると、背にかかった白い髪がさらりと流れた。
「うん。ちょっと探し物しててな。ベラはどうしたんだ?」
「ああ……太助さんは、ばれんたいんでぇって何か知ってる?」
困ったように微笑む顔に、太助はぽんと手を叩く。
「バレンタインってあれだろ? おいしいチョコをもらえる日!」
「ちょこ?」
首を傾げるベラに、太助はほら、と彼女の膝をぽふぽふと叩く。
「チョコレートのことだ。ベラも食ったろ? チョコレートケーキ」
「……あの、黒い三角形のお菓子のこと?」
うん、と頷いて太助は目をキラキラと輝かせる。
「あれはケーキっていう、砂糖とか小麦粉とか、いろいろまぜて焼いた菓子のことだな。チョコレートってなぁ、いろんな種類があるんだぜ。ミルクとかスイートとかビターとかな。ホワイトチョコレートっていう白いのとか、ストロベリーっていうピンクのとかもあるし。ガナシュにブランデーきかせてチョコレートでくるんだトリュフとか、ラムボールとか、トランペもいい。クッキーに混ぜてチョコクッキーとか、チョコチップ混ぜてもうまいんだ。ババロワにしてもうまいし、マドレーヌとかムースとかもいいんだ」
にこにこと笑う太助に、ベラは首を傾げながらも曖昧に笑う。それにはもちろん気が付いて、太助は服の裾を引いた。
「ま、ひゃくぶんはいっけんにしかず、ってゆーからな。行こうぜ」
「え?」
「チョコレートのおいしさをわからないってのは不幸だぞ。俺がおしえてやる!」
張り切って裾を引くと、
「む、そこにおるのはタスケではないか」
幼いながらも毅然とした声が、少し上の高さから聞こえた。太助が振り返ると、そこには真っ赤な髪を縦ロールにした少女が、同じく真っ赤なジャンバースカートに白いニットボレロ、茶色のタイツに白のブーツ、垂れ耳ウサギのニット帽をかぶって憮然と立っていた。
「ビィじゃんか。どうしたんだ?」
「な、なにって……下宿の娘達が騒ぐので、仕方なく出掛けてきてやったのだ!」
ふぅん、と頷くと、少女はついとベラへと視線を向ける。
「なんだ、娘。困った顔をしおって」
「そうかな」
「うむ。なんぞ困っている事があるなら、言うてみるがよいぞ! 余はルヴェンガルド帝国187代皇帝ベアトリクス・ルヴェンガルドであるからな。呼び難ければ陛下と呼ぶがよいぞ」
ふふんと胸を張るベアトリクス・ルヴェンガルドに、ベラはぽかんとする。
「皇帝……?」
ベラの反応が、この銀幕市に来てから初めてのものだったので、ベアトリクスはさらに胸を張る。ふとその腕を見て、ベラは首を傾げた。
「それ」
聞くと、ベアトリクスはぱぱっと背中に隠す。
「なっ、なんだ。これはっ、知り合いにもっ……もらっただけなのだっ」
「ああ……ううん、知ってる気配を感じたから。それに、それ、私の家族の鱗で作られてるものなの」
「ハリスのか?」
「そう。あの人、上手に加工したのね。よく出来てる」
二人の会話に付いていけず、ベアトリクスは苛立たし気に地団駄を踏んだ。
「なんなのだ、そちらはっ! 余のわからぬ話をしおってっ!」
まあまあ、と太助が口を挟んだ。
「なあ、ビィ。おまえ、バレンタインって知ってるか」
「む、余に知らぬことなどないぞ! おなごが好きな男にちょこれーととやらを贈る日のことだろう。下宿の娘達が言うには、“手作りが一番!”らしいぞ」
鳥を模した装飾の杖を振って、ベアトリクスは自慢げに笑う。
「手作り……」
呟くと、太助が首を傾げる。ベラが笑った。
「ばれんたいんでぇに何をあげようかと思っていたの」
「そうか。じゃあ、やっぱりチョコレートをたんまりとだな。ほら、かわいい猫チョコ袋詰とか。皆喜ぶだろ」
え、と目を開くベラに、太助は笑う。
「あーっ!!」
聞き覚えのある声に振り返ると、そこには思った通りの少女が駆け寄ってくる所だった。
「ベアちゃーん!」
「待て待て、やめとけ、マジで潰れちまうぞ」
台風の目よろしく突っ込んできそうな少女を止めたのは、男性と見まごう女性だった。その後ろで、静かに青年が微笑んでいる。
「ルシファではないか」
「うんっ! ベアちゃん元気だった?」
「う、うむ。変わりなく息災であるぞ」
さて、一行は更に賑やかになりそうな予感。
* * *
ところかわって、こちらはバレンタインコーナーの一角。
気合いを入れた女の子達が笑顔で、しかし真剣な目でチョコレートを選んでいるその中から、ルンルン♪と鼻歌でも歌い出しそうなほど上機嫌で出てくるのは、裾のシフォンフリルが可愛らしいチアロンTにミニスカート、膝上まであるお洒落な黒い靴下をフェミニンに着こなした、ジェシカ・ダイヴェルであった。胸元には小さな石がはめ込まれたネックレス、おそろいのブレスレットを身に着けており、歩くたびにしゃらりと踊った。
「やっぱりバレンタインは特別よねー。既製のもいいけど、本命はやっぱり手作りよ!」
「きゃっ……」
軽い足取りで店を出たところで、誰かとぶつかった。荷物を取り落としそうになって、ジェシカはしっかりと袋を掴み、ぶつかり体勢を崩している人の肩を支えた。その反射神経・運動神経は、さすがはアクション映画出身のエージェントだ。
「ごめんなさいっ、あなた大丈夫?」
「あ……はい。ぶつかってしまってごめんなさい。ありがとうございます」
にこりとやわらかく笑った少女は、丁寧にお辞儀をする。オフタートルに黒のセーター、ロングスカートを清楚に着こなす彼女は言葉遣いといい、その人柄がよく現れているようだった。
少女はジェシカを見てあら、と首を傾げる。
「なぁに?」
「あの、もしかして『ワイルドボーイ』シリーズのジェシカ・ダイヴェルさんですか?」
そうだけど、と答えると、少女は笑みを深めた。
「私、SF映画が大好きなんです。『ワイルドボーイ』シリーズも全部見ました。お会いできて光栄です、ジェシカさん。私、香我美真名実といいます。こっちはバッキーの聖」
バッグの中からちょこんと顔を出したのは、ミッドナイトのバッキーだ。
ジェシカは得心が言ったように頷く。バッキーがやってくるほど、この少女は映画が好きなのだ。それに、自分を知っている人が居るというのも、悪い気はしない。
真名実のその手に持っているものに気が付いて、ジェシカは袋を指差す。
「あなたも手作り?」
言って、自分の今しがた手に入れてきた戦利品を掲げてみせる。真名実は大きく頷いた。
「かーわいいーっ!!」
響いた声に、ジェシカと真名実は思わず顔を見合わせる。ふと目をやれば、反対側の通りで何やらきゃっきゃと騒ぐ人影が見えた。
「おなかふかふか〜」
「肉球さわってもいいか」
「ぬう、余が先に触るのだ!」
囲まれた中で、風呂敷をマントのように羽織った狸が、困ったような表情を浮かべてもみくちゃにされている。
「さわるのはいいけどな、あのな、」
「そろそろ行かないと、作る時間なくなっちゃうよ?」
そう苦笑するのは、黒髪の青年だ。
はたとして三人は手を止める。狸は少しばかりぐったりとして、ほてほてとベラの頭によじ上る。
「あー、ベラさんずるいっ、私も乗せるー」
「む、余も乗せるぞ!」
「ともかくっ、今はベラの手伝いあんどバレンタインのじゅんびが先だろっ」
頭の上から狸はびしぃっと少女らを指す。
「なあなあ、ベラ。『桃花』って食器も置いてあるか?」
「うん、トーコさんが絵付けもしてるの。頼めば好きな柄にしてくれると思うわ」
「よーし、決まりだ! みんなで『桃花』行って作ろうぜ。たくさんいる方が楽しいしな!」
「わーい、行く行く!」
桃子、という単語が聞こえて、真名実は声をかけた。
「あの、今『桃花』って聞こえたんですけど、もしかしてファンシーショップの?」
それには、白い髪に青い瞳の少女が頷いた。
* * *
「うーん……この時期のファンシーショップは女の子が沢山いて入りにくいなぁ……」
ねえ、ぶんたん。とシトラスのバッキーに話しかけながら、なんとなく人目が気になって、鹿瀬蔵人は聖林通りから横道へと入った。
無理も無い。身長二百二十センチメートル超のXXLサイズの青年というだけでも目立つというのに、枯葉色の作務衣に楽だからとバッシュを履き、幸せそうにショーウィンドウを覗いていたのだから。
しばらくうろうろと路地を曲がって行くうちに、蔵人は桃色の屋根を見つけた。
「へえ、こんなところにファンシーショップがあったのかぁ。バレンタインなのに空いてるし……どんなかな?」
扉を押すと、ころんころんと可愛らしい鈴の音がする。頭をぶつけないように、文字通りくぐって扉を抜けると、そこには桃色桃柄桃刺繍のあふれるパラダイスであった。ぬいぐるみやハンカチやらはもちろんのこと、食器類や装身具まで、非常に細かい細工を施された品の数々に、蔵人は目を輝かせた。
「うわぁ、可愛いなぁ。あ、このリボン、ちょっと色が濃いめだしぶんたんに似合うね」
幸せそうにほわわんと頬をゆるめる身長二百二十センチメートル鹿瀬蔵人。
クォーターで祖父譲りの銀の瞳に整った顔立ちであるのに、彼女いない暦=年齢な彼。彼女は欲しいしファッション誌などで勉強はするものの、彼女はやっぱりいない。それは彼女が欲しいと言いながら、そこまでがっついておらず、あんまりおしゃれでも本気でもないからなのであろう。どっちだ、君。
「ベラちゃーん? 帰ってきたなら声をかけ」
奥から出てきた人に、蔵人はびっくと大きな体を震わせる。っていうか、今聞こえたのって明らかに野太い男の声だったんだけどそこんとこどうなの。巨体故に隠れる事も出来ず(なぜ隠れる)、蔵人はただ立ち尽くした。相手もそれは同じだったようで、蔵人を見た瞬間、その動きは止まった。身長は蔵人より少し小さいくらいだろうか。がっしりとした体格に、可愛らしい桃色桃柄フリルのエプロンを着た、見まごう事無き男である。
「こんにち……は?」
(ええと、ムービースター? ムービースターだよね、多分……あんまり驚いたら失礼だ……)
ひとまず自分の中でそう決着をつけ、へらっと笑ってみせる。が、蔵人は気付いていただろうか。バッキーがいなければ自分だってそう思われかねない事を……。
「アラー、珍しいお客さんネ。なぁに、何の用?」
刺のある言い方に、蔵人は若干凹みながらも、相手が男性とわかって少し安堵する。
「僕、かわいいものが好きで……今の時期、他のお店はちょっと入りにくかったから、道を歩いていたらここについたので、つい……」
語尾がだんだんと小さくなっていく。
と、ガシッ! とその手を掴まれて、蔵人はヒッと喉を鳴らした。
「かわいいものが好き……?」
地を這うような声に、蔵人は心の中で滂沱した。
誰か助けて。
* * *
迷うから、と屋根伝いに行くベラを、路地の方からジェシカと真名実を新たに加えた七人が追いかけている。太助は順番にルシファやベアトリクスに抱えられていた。
真名実の話のよると、ファンシーショップ『桃花』は知る人ぞ知るファンシーショップで、その店を見つけるのすら至難の業と言われており、しかしその『桃花』のグッズを手に入れられるのは非常に幸福な事で、自分にぴったりな一品をハンドメイド&オーダーメイドで仕上げてくれるという。そうして『桃花』のグッズを身に着けて告白すると、叶うんだとかいう噂まであるらしい。ベラは首を傾げていたが、経営者側というのはまあそんなものであろう。
ふいに屋根から飛び降り、すとんと着地すると、ベラは指差した。
「あそこよ」
扉を押すと、ころんころん、と弾むような可愛らしい音がする。と、同時に野太い声が響いてきた。
「まぁあ、アナタ、わかるじゃないのっ!」
「いえ、そんなこと」
ベラは思わず固まった。なんだろう、この光景。でかい男が思いっきり顔を緩ませて、ファンシーグッズを間に語り合っている。
「あら。ベラちゃん、おかえり。良いものは見つかったかしらン?」
「はい、トーコさん。手作りがいい、って聞いて……それで皆さんが一緒に手伝ってくれる事になったんです」
心がこもっていれば何でも、がほぼ全員の一致した意見だった。プレゼントは必ず自分で選ぶのがいいとか、手作りがやはり一番だ、とも。それで、みんなで一緒に作ろうという話になり、こうしてやってきたのだった。
トーコと呼ばれた桃色桃柄フリフリエプロンを着た男は、鋭い視線で一同を見渡すとすっくと立って白い歯を覗かせた。
「いらっしゃい、ようこそ、ファンシーショップ『桃花』へ。店主の桃代桃子ヨ、トーコって呼んでネ」
ぱちり、ウィンクを飛ばすトーコ。
途端、太助はぶわっと尻尾を逆立てた。四つ足の状態で固まってしまっている。
逢柝は頭の中で、オでカでマな人じゃねぇか! と盛大に叫んでいた。最も、素直な彼女にはまんまドン引きした表情が乗っているので、苦笑する以外にない。
ジェシカは、この人みたいなタイプの人もいるのよね。でもそれはそれで素敵かしら……と、頼もし気な視線でトーコを見やる。
「トーコさん、おっきー! 可愛いー!」
「小麦の肌に、桃色のエプロンがよく似合っていますね」
「ええ、本当に。そのエプロンも、ご自分でお作りになったのですか?」
存外動じていないのがルシファと誓、そして真名実の三名である。可愛い女の子に、そして神秘的な笑みを浮かべる美声年に褒められれば、気分も上昇するというもの。トーコは上機嫌に、笑顔で応える。
「そちは……あれか、“ヨウジンボウ”とかいう奴か? それとも、巷で噂の“ベビーピンクの君”の同類とかいう奴か?」
失礼な事をぶっちゃけたのは、187代皇帝ベアトリクス・ルヴェンガルドである。が、その心に悪気がまったくないのだから、恐れるものなど何もない。さすが陛下。可愛いものには目がないトーコは、ちょっと違うけどまぁなんでもいいワ、と笑う。なんでもいいんかい。
「七十八点ネ」
ぽつりと呟くトーコに、一同は首を傾げた。
「合計得点よ。ま、合格としてあげましょうネ。ベラちゃんのお客様だし」
ちらりと逢柝を見やって、トーコはふんと笑う。
「あんたがねぇ、まったく元はいいのにどうしてそんなブサイクな顔をするのかしら。服も地味だし、女ならもうちょっと気になさい?」
「てめぇのせいだろうがっ?!」
「あらっ、言葉遣いまで汚いのネッ! 今直ぐに治しなさいっ!」
「すぐ治るようなモンじゃねぇし! あたしの勝手だろ?!」
ぎゃいぎゃいと騒ぎ出した二人の横で、蔵人がのほほんと茶をすすっている。
「いらっしゃい」
「お邪魔してます。いやぁ、ここは可愛いものが多くて和んじゃうよ」
にこにこと笑う蔵人に、ベラは笑う。
「あ、あの、あなたはバレンタイン、どういうものを貰えたら嬉しいですか?」
何度も繰り返してきた質問を、ベラは蔵人にも問う。蔵人は、そうだなぁ、と少し考える風をして、僕は母さんにあげるつもりだけど、と前置きして口を開いた。
「何をもらうとか、何をあげるとかいうより、喜んでもらおうって気持ちを込めるのが一番大事かな?」
おもむろに立ち上がり、一番上の棚からぬいぐるみを取り、ほにゃっと微笑んだ。
「僕はこの血まみれのくまさんと手作りチョコにする」
「くぉるおあ、それは女の子に見せんじゃねぇっつったろーがボケェッッッ!!」
ばきぃっという効果音とともに、トーコの正拳突きが蔵人の端正な顔に極まる。ふーふーっと肩で息をし、トーコはくるりと振り返る。
「さっ、チョコレート作るんなら、うちの厨房使っちゃって☆」
なんだその変わり身の早さはっていうかキモイんだよという逢柝の叫びは、誓によって阻止され、ようやっとチョコレート作りが始まるのであった。
* * *
ファンシーショップ『桃花』の厨房というのは、なんだか妙に広かった。壁ぎわにはゆうに五人は並べそうな作業台が左右に据え付けられており、四隅にコンロが据えられている。また、そのコンロの下にはガスオーブンがあり、冷蔵庫は一般家庭の約二倍ほどの大きさだ。この大人数で作業ができるのか一抹の不安があったのだが、それは杞憂だったようだ。
「それじゃ、始めましょうか」
ジェシカの声で、八人は準備に取り掛かった。
チョコレートのススメ その1〜板チョコを刻み、溶かそう!〜
チョコレートは、細かく刻み、湯煎しましょう。
刃物の扱いには十分気を付けてね☆
「ビィ、包丁の下に手を置いちゃ危ねぇよ?!」
チョコを刻んだらボウルに入れ、火に掛けます。
間違っても直接火に掛けたり
「ベラっ?! チョコから煙出てるーっ!」
お湯の中にチョコレートを入れないように気を付けてね☆
「ルシファちゃん、お湯の中に入れたら分離しちゃうよ」
チョコレートはただ溶かして固めただけでは表面に白い模様ができ、風味も口あたりも悪くなってしまいます。
テンパリングという温度調節を行って、見栄えも風味もよくしましょう。
間違っても素手でボウルを触らないでね、火傷しちゃうぞ☆
「言った傍から素手で触ろうとするなーっ!」
チョコレートのススメ その2〜それじゃ、それぞれ頑張って☆〜
「って、終わりかよ?!」
「作るものがバラバラですから、仕方ないですよ」
真名実のやわらかな微笑みに、逢柝はぐぅと呻く。突っ込みは大変だよね。
「お姉ちゃん、一緒に作ろうっ」
キラキラと目を輝かせて、ルシファは逢柝の腕を引く。後ろには手が届かないからと足踏み台が二つ並び、その横では誓が微笑んでいる。どうやら、ベアトリクスと三人で作るつもりらしい。
誓がいるなら平気だろう、と逢柝はできるだけ言葉を優しくしてどうにかやんわり断った。名残惜しそうに作業台へ戻っていく後ろ姿を見送って、逢柝は誓の視線に気付く。
頑張ってね、おねえちゃん。
唇だけでそう伝えてきた天使に、自分の思惑がバレバレなのかと思うと少しばかり悔しいが、ルシファ達に視線が反れたところで、逢柝は小さく、おう、と返した。
わざわざルシファの申し出を断ったのには、理由がある。彼女との買い物以外に、逢柝は自分用の買い物もしていたのだ。袋から出てきたのは、無塩バターや粉糖、薄力粉、打ち粉用強力粉などである。逢柝が作ろうとしているのは、タルトショコラアメール……簡単に言えば、チョコタルトだ。
ボウルに室温に戻したバターと粉糖と塩を入れ、泡立て器でなめらかなクリーム状になるまでかき混ぜ、卵黄を加えてよく混ぜ合わせる。次に牛乳も加え、同様にかき混ぜる。粉をふるい入れ、ゴムべらでさっくりと粉っぽさがなくなるまで合わせたら、ひとまとめにしてラップにくるみ、しばらく冷蔵庫で寝かせる。ここまでが、一段落である。
寝かせたら生地を伸ばし、タルト型にしき込み底にフォークでピケと呼ばれる空気穴をあけ、オーブンで焼き上げる。あとはバターを混ぜ込んだチョコレートに生クリームを加え、なめらかなクリーム状になったら卵黄も加えて混ぜ合わせ、こし器でこしたら先ほどのタルト型に流し込み、もう一度焼けば完成である。
ふと脇を見ると、ようやくレシピを決めたらしいベラが、生クリームを火にかけているところだった。
「石畳チョコ?」
逢柝がひょいとのぞくと、ベラは小さく頷いた。
「太助が言ってたように、猫チョコの袋詰めも引かれたんだけれど、型がなくて……それに、これは初心者向きだと書いてあったから」
そうか、と頷いて逢柝はあるものを探した。棚からそれを見つけ出すと、スプーン一杯分を生クリームに溶かし込んだ。驚くベラに、逢柝は笑ってみせる。
「はちみつを入れると風味が上がって、口当たりもずっとなめらかになるんだ」
「へぇ。……ありがとう」
真名実はビスキュイショコラ・オ・ザマンドを焼いていた。ココアとアーモンド入りのスポンジ生地である。さっそく使われているガスオーブンからはふんわりとココアの香りが漂っている。その間に、シロップとクレーム・オ・フロマージュを作る。クレーム・オ・フロマージュは、板ゼラチンを水につけてもどし、湯せんにかけて溶かす。ヨーグルトを泡立て器で軽く混ぜ、なめらかにする。ボウルにクリームチーズをクリーム状になるまで練り、グラニュー糖を加えて合わせ、先ほど戻したゼラチン、グランマルニエ、ヨーグルトを加えて混ぜ合わせる。これを冷やして固めると、チーズケーキのようなものになるのだ。シロップを塗ったビスキュイの上から丸い型を置き、余った部分は取り除く。半分に切ったダークチェリーを、断面が型の内側につくように並べ、丸のままのチェリーも円形状に並べる。その上からクレーム・オ・フロマージュを流し、もう一枚のビスキュイを乗せ、冷蔵庫で冷やし固める。あとは固まった後に、クレームガナシュを塗り、ココアをたっぷりとふりかければ、ヨーグルトのさっぱりとしたチーズクリームとダークチェリーの酸味が利いた、フロマージュ・オ・スリーズの出来上がりである。
さすが趣味が料理なだけあって、その手際は非常によく、まるで無駄がない。
「あら、それってトリュフ? さっき、ケーキを作っていなかったかしら」
隣で手をチョコまみれにしたジェシカが、真名実の手元をのぞき込む。その手で顔をこすってしまったのだろう、ジェシカの顔にはチョコレートがついていた。
「はい。ビスキュイが少し残ったので、ラムボールを作ってみようかと思いまして。ジェシカさんは、カルバドスのトリュフですか?」
作業台に乗った瓶を見て真名実が聞くと、ジェシカは照れくさそうに笑う。
「リンゴは知恵の実、愛の実ってね。本命ならやっぱりこれかしら、と思って」
冷蔵庫に持って行きながら、ジェシカは微笑む。
「幼なじみでね、仕事のパートナーだし、普段いつも一緒にいたりしてお互いを気遣うのは当たり前みたいになってる。だけど、バレンタインはやっぱり特別じゃない?」
その映画は何度も見た。幸せそうに彼を思い出すジェシカに、真名実はにこりと微笑んだ。
一方、その頃の太助。
「なあなあ、トーコ。俺が抱えられるくらいのカフェオレボウル、ねぇか?」
さんざトーコになでくりまわされ、なぜか誰かのココアのバッキーにつっつかれ(後で逢柝のバッキー、神夜だと判明)、半ばぐったりとしていた太助はぴょこんと起き上がって問う。
「あるけど、どうかしたのン?」
「うん、俺な、ちいさいものクラブっていう隊長やってるんだけどな。カフェオレボウルいっぱいにホットチョコレートを作って、みんなで飲みたいんだ。生クリームも浮かべてさ。考えてるだけでも、わくわくするなぁ」
おまえもそう思うよなー、とココアのバッキーを抱えながらにこにこと笑う太助に、トーコは(蔵人も)くらりと足をよろめかせる。
トーコはぐぐっと立派な拳を握りしめ、
「まっかせておいて! これはネ、とっておきの一品よ」
がさごそと奥から取り出したのは、十色のバッキーが並ぶ、可愛らしいカフェオレボウルだった。取っ手こそないが、まさしく太助が抱えられるくらいの大きさである。
「すっげー! これトーコが作ったのか?」
嬉々として太助が抱え上げると、トーコは笑う。
「ええ。二年前に越してきて、店を開けて、ちょうどその頃に魔法がかかってネ。その記念に作ってみたの。だから、アタシの思い出もいーっぱい詰まったカフェオレボウルなのよ」
そっかぁ、とボウルを上から下からと眺めていて、はたと太助はトーコを仰いだ。
「トーコって、ぎんまくしの出身じゃないのな?」
「ええ。まあ、ナリがナリですからネ。一応自覚はしてるのよ。銀幕市は元々、日本のハリウッドって呼ばれてた街でしょう、だから、アタシみたいなのでも大丈夫かと思ってネ。お店を出すまでは、さすがにちょっと苦労したけど……ベラちゃんも来てくれたし、太助ちゃんにも会えたし、やっぱりアタシにはこの街がいいみたい」
ただ、とトーコは付け加える。
「どうもムービースターと間違われちゃうところが、ちょっとした悩みかしらネ」
白い歯を覗かせて笑う顔は豪快そのものだが、その目はとても優しかった。
「……ビィちゃん、大丈夫?」
その奮闘ぶりを見守っていた誓は、 苦笑しながら声をかける。
「これ、くらい、……そちの手など借りずともっ、大丈夫っ…なのだ!」
ベアトリクスが挑戦していたのは、特大ハート形クッキー+αであった。小麦粉を引いた台の上に、しばらく寝かせた生地をめん棒で伸ばしているのだが、体の大きさは仕方がない。手が届かず、奥の方の生地が厚く寄ってしまっているのだ。
「とっ、ともかく、こっちの方はよく出来ているのだ。あっちは後で”ぎり”とやらのに使うのだ!」
言って、ベアトリクスはしゃきんと包丁を構え、華麗なる手付きでハート形を描き出す。彼女が作りたい大きさの型は、見つからなかったのだ。どれだけ巨大なのかと。オーブンにはギリギリ入りそうだったので、誓も敢えて口を挟みはしなかった。ただ、ちょっとした不安は漠然と感じていたし、ベアトリクスの大きな愛のこもったクッキーが失敗するのも嫌だと思ったので、ちょうど冷蔵庫にケーキを取りに来た真名実に、彼女の監督を頼んだのだった。
「誓さん、誓さん、ビスケットってこれくらいでいいですか?」
ベアトリクスのその向こうでは、ルシファがビスケットを砕いていた。これは逢柝の提案で、ビスケットを細かく砕き、あまったチョコレートを絡ませてフレークチョコを作る、というものだった。ちなみに、ハート形の一ダース程のカップチョコはほぼ冷蔵庫に納まり済みである。
「うん、いいんじゃないかな。じゃあ、もう一度チョコを湯せんで溶かして、混ぜよう」
「はいっ!」
ルシファが残り少量のチョコレートを溶かしている間、誓は自分が作っていたチョコを見やる。基本はカップチョコで、ルシファが様々な色のチョコレートを買っていたので、それを少しばかり拝借し、二重にしていた。つまり、下にホワイト、上にスイート、という案配である。
ベラがふと顔を入り口に向けると、二メートル超の男が入ってくるところだった。
「蔵人さん。どうかしたの、ぼうっとした顔をして」
「ああ、うん……いやね、トーコさんがエキストラだったって知って、びっくりしちゃっただけだよ」
蔵人の言葉に、ベラは首を傾げる。気にしないで、と笑って、蔵人もまたちらほらと空き始めたコンロに火を付けた。手に持った白い物体を見て、ベラが聞くと、
「ああ、マシュマロだよ。僕はトランペにしようと思って」
トランペ、とベラは記憶の糸をたぐる。そうだ、確か、太助が言っていた。
「トランペってね、すっごく簡単なんだ。お菓子をチョコレートに浸すだけだからね。トランペっていう名前も、そのまんまで浸すって意味なんだ。マシュマロだけじゃなくって、キャラメルとかキャンディーも美味しいんだよ」
言って、慣れた手付きで数種類のチョコレートをテンパリングし、次々にお菓子を浸してパラフィン紙の上に並べて行く。
「お料理、得意なんですか?」
「そうだね、親子二人の男やもめが長いし、家事全般は得意だよ」
おや、とベラは首を傾げる。
「でも、さっきはお母さんにチョコをあげるって」
「うん。母さんは映画俳優だったんだ。最初の役がはまりすぎて、早くに引退したらしいんだけどね。僕は写真でしか顔は知らないんだけど、俳優をやってたせいかな、母さんはムービースターになったんだ。それで今は一緒に暮らしてるんだよ」
あ、と顔を伏せるベラに、蔵人は気にしないで、と微笑んだ。
* * *
それぞれにラッピングまで済ませ、一同はトーコの入れた紅茶で和やかな時を過ごしていた。
「……でね、本命とは言わなかったからやっぱりストレートに言わなきゃわからないのかしらーって思ったんだけど、彼ったら耳まで真っ赤にしてたのよ。なんだかもう、嬉しくなっちゃって」
去年のバレンタインデーは、チョコレートキングのせいで散々だった。それでも思いを渡せたジェシカは、両手で頬を挟み、きゃーっと嬉しそうに語る。それを頷きながら聞き、ベラはさてどうやって渡したものか、と考えていた。すると、ジェシカがずいと前に出る。
「でもね、それってやっぱり、バレンタインデーが何か、っていうのをわかっていてこその反応だと思うのよね。ベラが渡したい人は、バレンタインを知らないんでしょ?」
それには素直に頷く。なにしろ、ベラ自身だって知らなかったのだ。
「だったら、やっぱりストレートに言うべきよね。好きよ、とか、愛してる、とか」
「ありがとう、でもいいと思いますよ。私は友達や家族、お世話になった方達にあげたいと思っているので」
「好きにも色んな種類があるものねぇ」
頷き合うジェシカと真名実。すっかり打ち解けたようだ。
「ハァイ、みんなちゅうもーく!」
手を打ち鳴らす音とともに響く野太い声に、全員が振り返った。
そこには満面の笑みをたたえたトーコが何やら箱を抱えて立っている。
「これはアタシからのセント・ヴァンレンタイン・デーにちなんだプレゼント。可愛い女の子たちに囲まれて、今日はシアワセだったわ」
そう言って、一人一人に大小の箱を手渡して行く。
「もしかして……チョコレート作りをしていた時に聞いてたことって、これのこと?」
ジェシカが聞くと、トーコはただ笑った。
「うわぁ、かわいい! レイドにあげる!」
「待て、ルシファ。桃色桃柄のスカーフをあの変態にやってどうする」
「そうだよ、ルシファちゃん。これはね、こうやって……」
言って、誓はルシファの手からシルク素材のスカーフを取り、首に巻いてやる。桃の花の刺繍はルシファの瞳と同じ、赤。淡い桃色が白い服にもよく映えている。
「こうしてた方が可愛いし、彼も喜ぶんじゃないかな」
ふわりと微笑む誓に、ルシファはそうかな、と顔をほころばせてトーコに突貫した。こればっかりは、逢柝も止める暇がなかった。
「ありがとう、トーコさん! 大事にするねっ!」
しっかりとルシファを受け止めて、トーコは微笑む。可愛い女の子が可愛く着飾ってくれるのなら、それが一番のトーコの喜びなのだ。
誓には、光沢のある白の刺繍糸で桃の花がアクセントとしてある白いハンカチ。
逢柝には、桃の花をモチーフとした赤いイヤリング。
太助には、マントを留めるための、少し大きめのやはり桃の花をモチーフとしたタイピン。
ジェシカには、桃の花のコサージュをあしらったチョーカー。
ベアトリクスには、その赤い髪によく映える白い桃の花をあしらった髪飾り。
真名実には、繊細で精巧な桃の花にリボンの付いた、シルバーのブックマーカー。
蔵人には、先端に桃の花をデザインした、紺色のネクタイ。
それぞれ、今の彼女らに最も似合うと感じたトーコ会心の作である。
「気に入ってもらえたら、嬉しいわ。可愛がってあげてネ」
トーコのウィンクに、笑顔でそれに応える。
と、真名実が冷蔵庫から赤とピンクのリボンでラッピングされた箱を持ってきた。
「トーコさん、これ、よかったら貰ってください。ピンクのリボンの方は、少し甘さを控えめにしてあるんです」
「アラー、可愛いラッピング! ンもう、真名実ちゃんったら、そんな気まわさな食ってもいいのに。でも、アリガト」
白い歯を輝かせて笑うと、真名実もにこりと微笑む。
「ベラさんにもあるんです。どうぞ」
「あ、……ありがとう。そう、私も」
言って、ベラが冷蔵庫へと向かうと、皆も冷蔵庫へと向かう。考えている事は、皆一緒だったようだ。
「今日はいい日だわ。アナタ達の恋が叶うよう、祈ってるわよ」
* * *
「あー、大分暗くなっちまったなぁ」
「そうだね。早く帰らなきゃ」
白い息を吐きながら、ルシファと逢柝は同じ道を行く。
「喜んでくれるといいなぁ、えへへ」
「そーだなー」
逢柝はこれから起こるであろう現象に口端をつり上げる。なんてったって、ヤツ用のタルトにはロリコンの四文字が踊っているのだから。もっとも、素直に渡すのなんか絶対無理だし、それくらいいいだろう。
逢柝の笑いに、ルシファが首を傾げる。その頭をなでて、逢柝はポケットに入れていた箱をルシファに渡した。
「これ、トーコさんにもらったのじゃないの?」
「そうなんだけど、な。あんまり可愛いから、あたしには向かないし。ルシファが貰ってよ」
「ふえ? で、でも」
「元々、自分が身につけるものじゃなくて、誰かにあげられるものってんで頼んだんだ。だから、ルシファが貰ってくれると嬉しい」
今まで、師匠と尊敬する姉御肌の女性と二人だけで暮らしてきた。だから、ルシファが自分の義妹となってくれた時は、嬉しかった。強くなければ自分も大切な人も救えない。そう思って強くなった。その強さで、ルシファが守れるのなら嬉しい。
もちろん、それは心の中で言うだけ。恥ずかしくて、口になどできない。けれど、ルシファはきっとわかってくれたに違いない。この子は、いつだって人を愛してくれるのだから。
「さーて、うるせぇヤツが来る前に、とっとといってやるか」
「うんっ!」
この後、逢柝の予想通りの怒声が響くのだが、それはまた、別の話。
ルシファたちと別れ、誓はラッピングを施したチョコを片手に、その扉をくぐった。
気怠げに投げ出された視線をふうわりと微笑んで受け止め、それを机の上に置いた。
「今日はバレンタインですからね。友人に付き合って、おれも作ってみたんだよ。よかったらどう? 日頃色々と貶めている所長に、感謝の意をこめて贈るよ」
嫌そうに眉根を寄せる彼に、誓はくすくすと笑みを深める。
結局そのチョコレートを口にする事となった彼は、あまりの辛さにペットボトルの水をがぶ飲みする事となるのだが、それはまた、別の話。
特大ハート形クッキーを抱えて帰ったベアトリクスに、同居人の一人であり同映画出身のウィザードは目を見開いた。
「べっ、別に好きだからとかそういうのではないからなっ」
そう前置きして、ベアトリクスはずいっとそれを押し付けた。
「一国の主としてだな、えっと、その……っ」
髪に負けないほど顔を真っ赤にして言いつくろう彼女の頭を軽くなでて、その特大ハート形クッキーを分け合って食べるのは、また別の話。
いつものように待ち合わせて、いつものようにバイクの後ろに乗る。
それはジェシカにとって、本当にいつものこと。けれど、今日は特別。去年と違って、穏やかに楽しい時間が過ぎたのだ。
たまたま止まった自販機の前で、ジェシカはついとその箱を渡した。
「今日は特別な日なんだから、何もごたごた言わずに受け取って!」
見つめ合うと素直になれないのは、乙女心というものだろう。
「別にまだ違うのよ! これはっ……まだ前置きだから!」
素直に本命と言えないもどかしさもあるだろうが、きっと彼はわかってくれるだろう。顔を、耳まで真っ赤にして。しかしそれはまた、別の話。
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クリエイターコメント | お届けが遅くなり、本当に申し訳ありませんでした。 愛のメッセージ(笑)は、書き入れてくださった方だけとなってしまいましたことを、お詫び申し上げます。 皆様、とても可愛らしいプレイングで、書いていてとても楽しかったです。心が和みました。 それが皆様にも伝わればよいのですが。
口調や設定などで何かお気付きの点がございましたら、お気軽にご連絡ください。 この度はご参加、誠にありがとうございました。 それではまた、どこかで。 |
公開日時 | 2008-02-15(金) 18:50 |
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