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<ノベル>
空は澄み、白い雲が泳ぐ。
日差しは柔らかで、穏やかな空気を作る。
その下で、人々が笑い、歌い、踊る。
(これがお花見というイベントか……)
ランドルフ・トラウトは、公園の入り口から、楽しそうに騒いでいる人々を見て、目を輝かせた。
誰も彼もが一体となって、このイベントを心から楽しんでいるように見える。それに、満開に咲き誇った桜の花も、とても綺麗だと思った。
こういうイベントが毎年行われるのであれば、銀幕市にいることも、さらに楽しめるように思える。
「ねぇ、おじちゃん。おはなみのばしょ、とれなかったの?」
突然後ろから掛かった声に、ランドルフが慌てて振り向くと、ショートカットの活発そうな少女が、満面の笑みで立っていた。
「ああ……はい。そうなんです」
ランドルフも笑顔を見せると、少女はくすくすと笑って、彼の手を取る。
「じゃあ、ミホたちといっしょにおはなみしようよ! トモくんもね、アイちゃんもね、サキちゃんもいるの!」
どうやら、ミホというのがこの少女の名前らしい。ランドルフはどうしようかと迷ったが、せっかくの厚意なので、甘えることにした。ただ、ミホは平気なようだが、自分の容貌を見て、他のメンバーが驚かないかと、少し不安にはなった。
ミホに手を引かれ、ビニールシートを引き、地面に座っている人々を避けながら、ランドルフは歩く。その時――
何かが、目の前で弾けた。
「……おじちゃん?」
気がつくと、ミホの不思議そうな顔が、眼下にあった。
ランドルフは答えずに、周囲を見渡す。
相変わらずの喧騒が、そこにあった。
(誰も気づいていないのか……?)
「おじちゃん? どうしたの?」
再びかけられた声に、今度は申し訳なさそうな顔で応える。
「ミホちゃん、すみません。おじちゃん、用事が出来てしまいました」
そう言うと、ミホは明らかに不満げな顔をした。ランドルフは、穏やかな声音で、語りかける。
「また会えますから。……ほら、おじちゃんは目立つから、街で会ったら、すぐ分かるでしょう?」
その言葉に、ミホはぷっと吹き出し、ようやく笑顔を見せた。
「そうだね」
「じゃあ、また」
そう言うと、ランドルフは踵を返し、公園の出口に向かって走り出す。
■ ■ ■
『レックス。桜が綺麗ね』
母は、本当に桜が好きだった。
長い睫に縁取られた瞳を、少女のようにきらきらと輝かせながら、落ちてくる花びらをそっと手で掬う。
『桜はね、亡くなった方への鎮魂の意味を込めて、植えられることも多かったの。だから、こんなに儚げで、美しいのかもしれないわね』
そう言うと、いとおしい子供を見るように、優しい目をした。
そしてその目は、自分にも向けられる。
その時は、何だか気恥ずかしかったけれども、今は、ただ懐かしい。
「すみません」
「……? あ、すみません」
浦瀬レックスは、我に返ると、声をかけてきた女性に、慌てて道を空けた。
女性は、会釈をすると、脇を通り過ぎる。
レックスは再び、大きな桜の木に目を向けると、落ちてきた花びらを、母がしたように、そっと手で掬う。
母の墓の傍らには、桜の木が植えられた。
それは、母の魂を、少しでも安らがせているだろうか。
そうであって欲しいと、レックスは切に思う。
一陣の風に、桜の木がざわめいた。そして――
(――!?)
頭を振り、周囲を見回す。
(何だ……? 今の……)
気のせいかもしれない。
でも、レックスには、どうしてもそうとは思えなかった。
気がつけば、足が勝手に動いていた。
■ ■ ■
春。
桜。
淡い色彩。
ひとひら。
風に舞う。
散る。
全て。
消える。
満開の桜並木を歩く来栖香介の脳内に、様々なイメージと音と言葉が浮かぶ。
どこかで花見でもしているのだろう。騒ぐ声が聞こえる。
声。
音。
ひとひら。
ふと立ち止まり、香介は桜を見上げる。
桜は、ただ花びらを零してゆく。
その姿を見て、多くの人々は魅了される。
それはきっと、桜が持つ魔力。
そこに、春特有の生温かい風が吹いた。
沢山の花びらが、踊るように、身を投げるように舞う。
生命を必死で削っていくその様は、どこか、狂気に似ている。
頭の中の音も、狂ったように鳴り響く。
その時、目の前を、何かがよぎった。
ひとひら。
春。
消え行く。
暗い。
恐怖。
ひとひら。
溢れて。
凍りつく。
そのヴィジョンは、一瞬だったかもしれない。長かったのかもしれない。
ただ、自分が消えていく恐怖だけは、しっかりと感じ取れた。
それは、香介自身もずっと抱えている感情。
ならば、放ってはおけなかった。
■ ■ ■
刀冴は、カフェでケーキを食べながら、花見を楽しんでいた。
このカフェのオープンテラスの傍に、桜の木があることから、前々から狙っていたのだ。店側も、そのことを分かっているのか、ケーキにも紅茶にも桜が入っていて、味だけではなく、見た目にも美しい。
頭上から降り注ぐ日差しも柔らかく、とても心地良かった。
刀冴が、今日三回目となるケーキの注文をしようとしたその時――
悲痛な声が、聞こえた。
慌てて周囲を見回す。
だが、別段変わった様子もない。
「……お客様? どうかされましたか?」
刀冴の様子に、ウェイトレスが少し戸惑いながら声をかけてくる。それに笑顔で首を振ってから、刀冴は口を開いた。
「いや、何でもねぇ。やっぱ、ケーキの追加は無しで」
急いでカフェを出たものの、行く当てがあるわけでもないし、何の目星もついていない。ただ、あの声を聞いたら、放って置けなくなっただけだ。
とても哀しそうで、切実な声。
何かあったのであれば、助けてやりたいが、いかんせん、情報がない。
何の手がかりもないまま、うろうろと歩き回っていたところ、馴染みのある姿を見かけた。つい、反射的に声をかける。
「おい! 来栖!」
刀冴の声に、香介が振り向き、そして、片手を挙げた。刀冴は、そちらへと早足で向かう。
「よぉ。あんたも女に助けを求められたか?」
「? ……ってことは、来栖もか?」
「ああ」
そう言って頷くと、来栖は再び歩み始める。刀冴も自然とそれに続いた。
「当てはあるのか?」
刀冴の問いに、来栖は前を向いたままで答える。
「ああ、一応な。行ってみなきゃ何とも言えねぇが」
■ ■ ■
古ぼけた家の応接室で、ランドルフ、レックス、香介、刀冴の四人は待っていた。レックスの傍らには、愛犬のブレイドが大人しく座っている。
しばらくして、四十がらみの温和そうな女性が、トレイに茶を載せて歩いてくると、皆の前に置いた。
「ごめんなさいね。お婆ちゃん、まだ落ち着かないの」
「失礼ですが、あなたの実のお祖母さまなのですか?」
ランドルフの問いに、女性は静かに首を振った。
「いいえ。私はここの管理人。普段は、物静かで優しいお婆ちゃんなんだけど、何だか今日は、取り乱してしまって……」
「お婆さんから何か聞いていますか?」
レックスが尋ねると、女性は少し考えるような仕草をしてから、口を開く。
「『リラシュシュが泣いている』とか何とか……私には、意味が分からないのだけど」
「そうですか……」
いずれにしろ、その老婆が来ないと、話は進まない。
四人とも、ヴィジョンを見たのは一回きりで、それ以降は何も起きていない。ここにたどり着いたのは、同じようなヴィジョンを見たという者を探していくうちに、その時間に、泣きながら街をうろついていた老婆を見たという目撃情報があったからだ。
助けを求めてきた人物は、今頃どうしているのだろうか。
そして、トン、トンという階段を下りてくる軽い音とともに、腰の曲がった小さな老婆が姿を現した。
彼女は、涙を流しながら、震える声で小さく言った。
「リラシュシュが、泣いてるよ」
「すげぇな……冬だ」
刀冴が思わず呟くと、皆も賛同するように頷いた。
杵間山の一角は、まさに冬だった。
しかも一面、吹雪いている。少しの間でも立ち尽くせば、あっという間に雪ダルマになることが出来るだろう。その影響を一同が受けないのは、レックスが風を操り、周囲を防護しているからだ。
「匂いは……しませんね」
ランドルフは、ブレイドと一緒に、何か変わった匂いがないか調べている。この状況では難しい作業だが、彼らの嗅覚であれば、何かしら捉えられるかもしれない。とにかく、前も見えない状態では、何を頼りに進んでよいのか分からない。
「とりあえずオレが道を作るから、あとは頼む。――refolo」
レックスの言葉とともに、突風が吹き抜け、前方に白い道が出来る。
香介と刀冴が先に行き、ランドルフとブレイド、そしてレックスが続く。
「……崖だ」
香介が片手で皆を制す。
彼の言ったとおり、その先は崖になっていた。
「ひぇー、危ねぇ。――ってこっちもだ」
香介の後ろから崖を覗き込んでいた刀冴は、急に向きを変えると、愛刀、明緋星を閃かせた。白い雪に血のように浮き上がった刀身が薙いだ何者かは、くぐもった音を上げながら、崖の下へと落ちて行く。
「向こうから来てくれたな」
いつの間にか周囲を、雪と同じ色をした狼の群れが囲んでいた。
「我が国の冬は厳しく、長かった」
老婆は、ぽつりぽつりと話し始める。
「本当に、気の遠くなるような長さだよ。毎年毎年、死人も出る。ひもじさと寒さを堪えながら、皆、春の訪れを待ちわびたんだ」
「はははははっ! ほら、来いよ!」
香介は狼たちを挑発しては、ナイフを投げ、蹴りつける。
「来栖……キレてんな」
刀冴はそれを横目で見ながら、目の前の狼を叩き切る。
雪の狼たちは、意外にも脆かった。ダメージを与えれば、あっさり崩れる。血も出なかったし、泣き叫びもしない。
その代わり、次から次へと湧いてくる。数は、増えるばかりだ。
周囲に目をやると、レックスは皆を風で守りつつ、狼たちも防いでいる。ランドルフはブレイドを庇いながら、太い腕で戦っていた。
いずれは、体力の限界が来る。
どうするべきか――?
「リラシュシュが泣くと、冬は一層厳しくなる。あの子は、とても寂しがりで、弱虫なんだ」
「その『リラシュシュ』ってのは……?」
レックスの問いに、老婆は茶を一口飲んでから、答えた。
「わたしたちの国の言葉で、『冬の坊や』という意味さ。冬を司るもの、あるいは、冬そのもの」
「――ちっ、数が多すぎる。――おい、リラシュシュ! あんたのために泣いてる婆さんがいんだよ! 隠れてねぇで出て来やがれ!」
刀冴が痺れを切らせて叫ぶと、高台に、周囲よりも大きな狼が現れた。
その姿は、美しく、威厳があったが、どこか、哀しそうに見えた。
『あなたも、僕が嫌いなの……? 僕のこと、嫌いなの? 嫌いだから、やっつけに来たの?』
「リラシュシュは、どんなに望んでも、忌み嫌われる。どうやっても、『春の娘』であるアナケミヤには勝てないんだ。彼女は、誰もが待ち望む存在だから。……ああ、可哀相な御子たち……そんな忌まわしい役目から、ようやく解き放たれたと言うに……」
老婆は、また泣き崩れる。
「んな訳ねぇだろ! あんたを助けに来たんだよ!」
『嘘だ! 僕を助けに来たんじゃない、アナケミヤを助けに来たんだ! 人間はみんな嘘つきだ! 嫌いだ! 嫌いだ!』
リラシュシュの悲痛な声で、吹雪の強さがさらに増し、狼が増える。
「くっそー! どうすりゃいいんだよ!」
苦々しげに言い放ち、また狼を屠った刀冴の後ろで、ランドルフが声を上げた。
「……匂いが」
「え?」
「匂いが、何というのか……変です。あの狼からは、生命の匂いがほとんどしません。まるで、半分死んでいるかのような……」
そう言いながら、ランドルフは、襲い掛かってきた狼に蹴りを入れ、粉砕する。刀冴もそれに続いた。
「リラシュシュとアナケミヤは二人で一人。リラシュシュが眠ればアナケミヤが起きる。アナケミアが眠れば、リラシュシュが起きる」
「……そうか」
刀冴は、小さく呟く。
「リラシュシュは、冬の存在。本来は、春にはいられねぇ。無理矢理アナケミヤを眠らせたもんだから、無理が来てやがるんだ。奴の力も弱まっている。アナケミヤを起こすのは容易いはずだ」
「でも、どうやって起こすんですか?」
ランドルフのもっともな問いに、刀冴は、口ごもる。
「それは……分からねぇ」
「いっそのこと、殺しちまえばいんじゃねぇ?」
ニタリ、と笑みを浮かべながら走り、香介はまた新たな狼を雪へと還す。
手には刀冴から貰った短剣、明熾星を持っている。あれだけ動き回っているのに、息は上がっていなかった。
「それは駄目です! リラシュシュを殺せば、アナケミヤも死んでしまいます!」
「じゃあ、どうすりゃいいんだよ!」
刀冴がまた狼を斬り、言い放つ。
ランドルフは口ごもると、首を左右に振った。
「……祭りだ」
突然、それまで黙っていたレックスが口を開く。皆の視線が彼に集まった。
「あの婆ちゃんが言ってただろ? 春の冬の境目に、祭りをする。それが、リラシュシュとアナケミヤが交代する区切りなんだ」
「祭り……なるほど! でも、何をすれば良いのでしょうか?」
「えっと……」
レックスは急いで記憶を探る。
「……冬が厳しいものでないように。春が、豊かなものであるように……」
「――歌だ! その時に一番合った、神に捧げる歌!」
「歌か」
唐突に、香介が動きを止めた。
「オレ、歌ってもいいぜ。何となくだけど、形になったし」
そう言うと彼は、大きく息をついてから、真っ白な空を仰ぎ見て、歌いだした。
溢れ出す想いに 誰が気づく
心冷たく閉ざしたままで
散れ 儚さを盾にして
逝け 在るべき処へと
今はただ、生命の息吹を待とう
香介が歌い終わると、辺りがしん、と静まり返った。
そして、景色が一変した。
白い雪に閉ざされた大地から、緑が芽吹き、うねり、手足を伸ばす。それはやがて、色とりどりの花を咲かせる。
白一色の世界が、徐々に色彩に染まってゆく様は、キャンバスに描かれていく風景画のようで、どこか実感が伴わない。
やがて、高台に、大きな桜の木が現れる。
そこには、長い赤毛を結わえ、白いドレスを着た少女が、微笑みながら佇んでいた。銀髪の少年を抱きかかえている。少年は、安らかに眠っていた。
ようやく、春が来た。
「皆さん、ありがとう。……あなたの歌、良かったわ」
少女――アナケミヤは、微笑みながら香介に言う。
「そりゃどーも」
どこか素っ気無い彼に、アナケミヤは笑みを大きくする。
「そうね……ラヤマヤの次くらいにね」
「ラヤマヤって誰だ? 来栖の歌、相当凄かったぞ?」
刀冴が尋ねると、アナケミヤは、今度はくすくすと笑った。
「あなたたちが話していた、お婆さん。彼女は、百年に一人と言われた巫女なのよ」
「……そんなら、一緒に来て歌ってくれりゃ、済んだ話なのによ」
「あの婆さん、声帯がやられてる。歌うのは無理だ」
香介がぼそりと言うと、それ以上は誰も何も言わなかった。
「皆さーん!」
そこに、ランドルフの明るい声が割り込んでくる。
一同がそちらを向くと、桜の木の下には、ビニールシートが引かれ、酒やジュース、菓子やつまみなどが並べられていた。
「お花見しましょうよ! 私、一度もやったことがないんです」
「はぁ、やけにバカでかいリュック背負ってると思ったら、中身はこれだったのか。用意がいいこって」
そう呆れつつも、刀冴も腰を下ろし、酒の缶を受け取る。
『母さんね、お祭りって好きよ。皆が楽しくなるでしょ? 岩の中に閉じこもった神様が、お祭り騒ぎが気になって、出てくる話があるわよね。神様でさえそうなんだから、人間もそうよ。毎日お祭りしていたら、争わなくて済むわ』
「何ニヤケてんだ?」
香介に声をかけられ、レックスは我に返ると、慌てて首を振った。
「……いや、別に。オレ、そのジュースがいい」
ラヤマヤは、「忌まわしい役目から、ようやく解き放たれた」と言った。リラシュシュも、アナケミヤも、決して『普通』とは呼べないかもしれないが、この銀幕市で、穏やかに暮らすことは出来るだろう。
花吹雪が、門出を祝うかのように、舞っていた。
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クリエイターコメント | この度は、ご参加ありがとうございました。 お待たせ致しました。『【サクラサク】花吹雪』をお届けします。 少しでも楽しんでいただければ幸いです。 またご縁がありましたら、どうぞ宜しくお願い致します。 ありがとうございました! |
公開日時 | 2007-04-17(火) 19:00 |
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