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<ノベル>
ここのところ降り続いていた雨は止み、青い空から、太陽が光を撒き散らす。
気持ちの良い五月晴れだった。空気からは、微かに夏の匂いがする。
ランドルフ・トラウトは、先ほど買った柏餅をほおばりながら、街をぶらぶらと歩いていた。今日は仕事も休みで、他に約束などもなかったので、行くあてはなかったのだが、こういうのも悪くはない。
「おじちゃーん!」
するとそこに、聞き覚えのある声がかかった。
「ミホちゃん!」
そちらを向くと、以前、ランドルフを花見に誘ってくれた少女の姿があった。走ってくるその姿には、やはり『活発』という言葉が似合う。その後ろには、ミホと同じ年頃の少女と少年が、ひとりづつついて来ていた。
ミホは、ランドルフの目の前までたどり着くと、軽く息を切らせながら、笑みをこぼす。
「おじちゃんの言ったとおりだったね! ミホ、すぐに分かったもん!」
そう言われ、ランドルフも、思わず口元を綻ばせた。後ろに目をやると、ミホの後ろについてきた少女と少年は、少し離れたところに立っている。
こういった反応には慣れているので、ランドルフは、二人に向かってなるべく丁寧に、優しく声をかけた。
「ミホちゃんのお友達ですね? 初めまして。私はランドルフです」
すると、少女と少年は顔を見合わせてから、それぞれ、口を開く。
「はじめまして。サキです」
「トモヤ」
それを聞き、記憶が蘇った。
「サキちゃんと、トモくんですね? ……ええと、アイちゃんは?」
「アイちゃんはね、おべんきょうがあるから、来られなかったの。このおじちゃん、顔はこわいけど、いいひとだよ」
ミホの言葉の後半は、後ろの二人に向けられる。それを聞き、トモはふてくされた顔で、「オレべつに、こわくなんてねーもん」と言い、サキは大きな目を瞬かせていた。ストレートな物言いに、ランドルフは苦笑するしかない。
ただ、何故ミホがこんなにも自分に懐いてくれるのかが分からない。サキやトモのような反応が多いということだけではなく、ミホは花見の時、何の躊躇いもなく、声をかけてきた。
そんなことを思いながらミホを見ていると、彼女と目が合う。思わず、笑みがこぼれた。それを見て、ミホも笑う。
「ランドルフおじちゃん、ミホたちとあそぼう!」
それを聞き、トモとサキを見ると、二人とも、目を輝かせている。どうやら、自分への怖さは引いたらしい。
「お母さんか、お父さんは? ミホちゃんたちだけで大丈夫なんですか?」
「だいじょうぶ。ママにはあそんでくるねって言ったから」
ランドルフが尋ねると、ミホは間髪入れずに答えた。
「そうですか……じゃあ、何をして遊びましょう?」
『遊ぶ』といっても、色々ある。それに、子供たちがどんな遊びを好むのか、良く分からない。
「みんなでサッカーやろうぜ!」
ランドルフが首を捻っていると、トモが口を開いた。そして、背中のリュックから、サッカーボールを取り出す。
「いいね! やろう! おじちゃん、こないだの公園に行こうよ!」
「わたし、お花のわっかも作りたい」
ミホが頷くと、サキも同意する。ランドルフに異論はなかったので、行く先は決定した。
公園は、以前に来た時と、様相が変わっていた。
咲き誇っていた桜の木々は、今は、瑞々しい緑を纏っている。
ちょっとした広場のようになっているところまで進むと、トモがボールを下に置いた。
「じゃあ、おじさん行くよ!」
そう言うと、トモがランドルフに向かってボールを蹴る。なかなか力強く、正確なパスだった。
「はい、ミホちゃん!」
ランドルフは、力を加減しながら、ミホへとボールを渡す。
「サキちゃん!」
ミホはそれを受け止めると、サキへパスする。サキは、真剣な表情で身構えていたが、足はボールに届かず、ボールはそのまま後方へと転がっていってしまった。サキは、慌ててボールを拾いに行く。
「サキちゃん、へたっぴだなぁ」
「しょうがないでしょ!」
トモがぼやくと、ミホは眉を吊り上げ、抗議する。
そこに、ボールを持ったサキが戻ってきた。どことなく、元気がない。恐らく、運動が苦手なことを、本人も気にしているのだろう。ランドルフは彼女の近くに行くと、腰をかがめ、穏やかに言う。
「サキちゃん、大丈夫ですよ。人には、得意なこととそうでないことがあるんです。それに、練習すれば、上手くなります」
それを聞き、サキは顔を上げる。
「ホント? わたしでもうまくなる?」
「はい」
ランドルフが笑顔で頷くと、サキの表情が明るくなった。
それ以降、やはりミスは多かったものの、サキは始終笑顔だった。それは微笑ましくもあったし、たった一言で、人は傷ついたり喜んだりするものだと、改めて認識させられる。
その後、クローバーで花輪を作ったり、四葉のクローバーを探したりして遊んだ。花輪が上手く作れないトモに向かって、「れんしゅうすればうまくなるのよ」とサキが言った時には、ランドルフは思わず吹き出しそうになった。子供を見ていると、色々な発見があるものだと思う。
「ハラへった〜」
なかなか花輪が思うように行かないトモは、それを投げ出すと、草原に寝転んだ。それを見たミホとサキも顔を見合わせ、口を開く。
「そういえば、おなかすいたね」
「なにもたべてないもんね」
ランドルフが時計を見ると、もう午後の二時を回っていた。子供たちが空腹になるのも無理はない。かくいうランドルフ自身も、腹がへっている。
(そうだ)
そこで、彼は思い立ち、ズボンのポケットをまさぐる。すると、くしゃくしゃになった、ラーメンの半額券が出てきた。
「ラーメン、食べましょうか」
彼の言葉に、子供たちは喝采を上げた。
「ありがとうございました!」
店員の声に見送られて、四人は店の外に出る。
「くったくった!」
「おいしかったね」
「うん。おいしかった!」
口々に言う子供たちを見て、心が和むのを感じながら、ランドルフは言葉を発する。
「もうそろそろ、帰った方がいいんじゃないですか?」
「あ! そうだ」
「わたしも帰らなきゃ」
そう言うトモとサキの横で、ミホは、何故かうつむいている。
「じゃあ、おじさん、またね!」
「今日はありがとう! ……ミホちゃんは帰らないの?」
「ええと……ママがね、まだ用事があるから、ミホはまだ帰れないの」
サキの問いに、ミホは笑みを形作ると、どこか寂しげに答える。
「そうなんだ。じゃあ、また遊ぼうね!」
「うん。バイバイ」
二人が帰った後、ランドルフとミホは、しばらく街を歩いてから、カフェに入った。窓から見える日は、少しずつ傾いて来ている。
「……ミホちゃん」
「わぁ! このパフェ、すごくおいしい!」
ミホは、明るい声を上げたが、どこか違和感がある。先ほどからずっと、空元気を振りまいているように思えるのだ。
ランドルフは、コーヒーを一口飲んでから、また口を開いた。
「ミホちゃん。そろそろ、何があったか、話してくれませんか?」
目が合うと、ミホは気まずそうに逸らした。そしてしばらく、無言の時が過ぎる。
「ミホね、じょゆうさんになりたいの」
「女優さん?」
「うん」
「素敵じゃないですか」
ランドルフがそう言うと、ミホはまたうつむく。
「でも……ママがダメだって」
「どうして?」
ミホは頭を横に振る。髪が、それに合わせてなびいた。
「わからないの。なんでダメなの? って聞いても、とにかくダメって言うだけなの。だからママとケンカして……いえでしてきたの」
「家出ですか……」
またしばらく、沈黙が訪れる。ランドルフは、少し考えてから口を開いた。
「ミホちゃんは、どうして女優さんになりたいんですか?」
ミホは、少し間をおいてから、目を真っ直ぐにランドルフへと向ける。
「みんなが……しあわせになれるから」
そして、溶けてしまったアイスクリームをスプーンですくい、口へと運んでから、言葉を続ける。
「がくげいかいで、おしばいをやったの。そしたら、みんながよろこんでくれたの。だから、じょゆうさんになったら、もっとたくさんのひとが、よろこんでくれると思ったの」
「そうですか……」
ランドルフは言葉を探す。
「でも、それならなおさら、お母さんと話し合わないといけません。家出なんてしたら、お母さんが悲しみますよ。ミホちゃんは、お母さんにも喜んで欲しいでしょう?」
それを聞き、ミホは、ゆっくりと頷く。
「……帰りましょう?」
ミホは、目に涙をためて、もう一度頷いた。
「すみません。ちょっと宜しいですか?」
「はい?」
カフェを出た途端、ランドルフは、いきなり三人の警官に囲まれた。
「ミホ! 無事なの!? ミホ!」
その後方で、女性が叫んでいるのが聞こえる。
「ミホちゃんのお母さんからご依頼がありまして。女の子が、不審な人物と一緒だという通報があったものですから」
「え? ――ええっ!?」
つまり自分は、誘拐犯か何かだと思われているのだろう。ランドルフは、思わず頭を抱えた。
「違うんです! 私は……とにかく、あの、違うんです! そんなんじゃないんです!」
慌てて弁明しようとするが、上手く言葉にならない。そのせいで、いっそう印象を悪くしてしまったらしい。警官の目つきが鋭くなる。
「とにかく、お話は署で……」
「ミホ! 早くその人から離れなさい!」
「ママのウソツキ!」
ミホの声に、周囲の視線が集まる。
「『人を見かけで判断しちゃダメよ』って、ママ言ったじゃん! ウソツキ! おじちゃんは、すごいやさしいもん! 悪いのはミホだもん! ミホがムリヤリ、おじちゃんにメイワクかけたんだもん!」
その剣幕に、警官は顔を見合わせ、ミホの母親は、呆然と立ち尽くす。
「あの……違うんですか?」
警官の一人が、恐る恐る声をかけると、ランドルフは苦笑しながら頷く。
すると、今度は別の警官が、厳しい表情を作り、口を開く。
「今後、紛らわしい行動は慎んでください」
「はい。すみません」
「そうですよ。何ですぐに連絡を――」
「最低! ママもケイサツのひとも最低! なんでおじちゃんに、ひとこともあやまらないの!? おじちゃんは、ちっとも悪くないもん!」
「ミホちゃん、ありがとう。……でも、いいんです。私はこういうの、慣れていますから」
そう言ってランドルフが、笑顔でミホの頭に手を置くと、ミホはその手を払いのけ、ランドルフを睨み付けた。
「おじちゃんのウソツキ!」
「……え?」
ランドルフは、思わず戸惑いの声を上げる。ミホは、大粒の涙をボロボロと零しながら叫ぶ。
「どうしておとなはウソばっかりつくの? ミホ、わかるもん。キライになられることに、なれっこになるひとなんかいないもん!」
「ミホちゃん……」
場が静まり返る。
ミホの言うことに反論出来る、『おとな』はいなかった。
「本当に、ごめんなさい。ミホがご迷惑をお掛けしたのに、失礼なことをしてしまって……」
「いえいえ。私は慣れ……お母さんも気が動転していたんですから、仕方がないですよ」
慌てて言い直したランドルフを見て、ミホの母親は、思わずくすりと笑う。
ミホは、泣き疲れて眠ってしまった。三人は、先ほどのカフェの中にいる。
もう、辺りは暗くなってきていた。
「……どうして、ミホちゃんが女優になることに反対されているんですか?」
ランドルフが問うと、ミホの母親は少し悲しそうな表情で答える。
「それは……私も、女優だったからです」
「そうなんですか?」
ランドルフがミホの母親を見ると、彼女は、小さく頷く。
「でも、全く売れなかったんです。どんなに努力しても、頑張っても、端役しかもらえませんでした。華やかな芸能界の裏側も、色々と見てきました。……そんな思いを、ミホには味わわせたくない」
「そうだったんですか……」
ランドルフは、一旦窓の外を見てから、また視線を戻す。
「お母さんのご両親は、お母さんが女優になりたいと言った時、どうでしたか?」
「母は応援してくれましたが、父には、大反対されました」
「でも、それでも、女優になりたかったんですよね?」
ミホの母親は、紅茶に口をつけると、頷いた。
「……はい」
「もし、お父さんの言うとおり、自分の夢を諦めていたら、どうだったでしょうか? 納得出来たと思いますか?」
ミホの母親は、大きくため息をつく。
「……あなたの仰りたいこと、分かります。結局、親の都合を押し付けたところで、仕方がないんだわ。ミホはミホだから。それはずっと分かっていたの。……でも、なかなか割り切れなくて……」
「ミホちゃんは、きっといい女優さんになりますよ」
ランドルフがそう言って笑うと、ミホの母親も、笑う。
「私も、そう思います。……これって、親バカなのかしら」
ミホたちの背中が小さくなるまで見送ってから、ランドルフも帰路へとつく。
「ウソツキ……か」
ミホの言った言葉が、何故か頭から離れなかった。
彼女の言うように、自分は慣れている振りをしていただけなのかもしれない。それは、大人として当然のことだと思っていたけれど、本当は、違うのかもしれない。
でも、あまり考え込むのは、らしくない。
そんなことを思っていたら、それに答えるかのように、どこかの猫が、にゃーと鳴いた。
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クリエイターコメント | この度は、オファーをいただき、ありがとうございました。 少しでも、楽しんでいただければ幸いです。 またご縁がありましたら、宜しくお願い致します。 ありがとうございました! |
公開日時 | 2007-05-02(水) 10:30 |
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