★ 緑の谷 ★
<オープニング>

「ふーんふふーん。あたしってば天才!自然に優しい栄養剤『ザ☆植木のおやつ』、これさえあれば皆様のお宅の植木は一切枯れることなんてありえないんだよね!」
 静かな森の中に、根拠のない自信に満ち溢れた甲高い声が響く。次いで、バシャバシャという派手な水音。
「おっと、やりすぎちゃったかな……まあいいか!前回は怒られちゃったしーぃ、今回はちゃんと実験してから売るもんね!」
 実験場その一って看板でも立てて置こうかなー、と呟く。
「とりあえず即効性にしといたから明日の朝には結果が出てるハズ!」
 帰って寝よーっと、と言ってさっさと背を向ける彼女の後ろでは、マントをかぶった鳩ほどの大きさの小さな影がげっそりとした様子で佇んでいる。それは顔に≪災厄≫と書いた札を張りつけていて、どこかよろりらとしたラインを引いて彼女について飛んでいった。
 ちら、と後ろを振り返ったその小さな影の口元に力無い、しかし希望を捨てきれない無理矢理な笑みが浮かぶ。
 その視線の先で何かが身動ぎしようとしていた。


ざわざわ―――――――ざわざわ。
かさり。
かさかさ かさかさかさガサリ。
ざ、
ざざざざざざざざざざざざ。

★ ★ ★

 あくる日の朝、銀幕広場に程近い自然公園で、不思議なことが起こっていた。
 一夜のうちに、公園の地面の半分が緑に覆われていたのである。
 この自然公園は住宅街に囲まれていて、森のように緑が生い茂り、それなりの大きさと人気を誇っていた。
 しかし、いくら森のようだといってもそれは遠くから見た場合であって、近くに行けばちゃんと石畳が敷かれた散歩道があり、木々や花壇も綺麗に整備されている。年代ごとに木を植えているせいか、大きな木は大きな木どうしで生えている場所が決まっていて、藪などに生えていそうな低木は道の脇を飾っている。
 ちなみに春先に黄色い悪魔を生み出す木は生えていない。
 大きな木の下には降り注いだ枯れ葉や木の枝が柔らかい腐葉土を作り出していて、小さな草こそところどころに生えているものの昼寝に最適な朽ち葉色のベッドと言うしかない空間をそこかしこに作り出していた。
 そんな、市民の憩いの場とでも言うべき場、綺麗に整備されている筈の石畳、朽ち葉色のベッドの上に、ポトスに似たハート型の葉をつけた植物が地面の色が見えなくなるまでに覆い被さっていた。
 しかし、その葉は確かにハート型だが、色彩はポトスとは似ても似つかない。葉脈の走るその葉は深い緑色で、茎は暗い紫色。葉の輪郭はきらりと陽光を反射し、重く沈んだ色彩の植物に明るさと美しさを与えていた。

 ここは、銀幕広場に近いということで、公園の中を突っ切って出勤する者や、学生服で通っている者もいた。
 朝の散歩に精を出す老人もちらほら見かけられたし、朝の鍛錬として現実にはあり得ない得物を持って素振りしている者や、汗を流しながら凄まじいスピードで公園を走っている者もいた。そんな中に、幼稚園の制服を着た小さな男の子の手を引く男性の姿があった。
「パパー、あそこのトリさん動かないよー?さっきまでげんきだったのに」
「うん?どのトリさんだい?」
 親子の会話を尻目に、転がっていったパン屑を追っていった鳩が植物の間に転がり込んだそれを啄ばもうとしていた。クルックー、と鳩特有の鳴き声を上げてポトスに似た植物に近付いた鳩は、紫の茎の間に鎮座するパン屑に嘴を近づけて啄ばもうとして、己が啄ばまれた。
 ばさばさばさっ、と翼が空気を叩く音に親子が振り返ると、植物に絡みつかれた鳩が必死に翼をばたつかせていた。
「わあ、トリさんがかわいそう」
 かわいそう、と言いつつも鳩に触れられるかもしれないという期待がその幼い顔に現れる。
 鳩に走り寄ろうとしていた我が子を微笑ましく見守っていた父親は、植物の葉が不自然に動いた気がして息子を呼び止めた。
「なーに、パパ?」
 男の子が立ち止まって父親の方を振り向くと同時に、鳩に絡み付いていた植物が鳩を完全に拘束した。目を白黒させる鳩を凝視して、父親は我が子を抱き寄せた。
「パパ?」
 今のを見たのは自分だけらしい、と悟って、息子を抱いてじりじりと後退りながら植物に目を凝らすと、深緑色の葉の下にカラスや猫の動かない体が見えた。恐らく死んでいるだろう。
 この場から逃げなければ―――
 そう思った矢先。
「きゃぁあっ!?」
「ひィイ!?タすけテー!?」
 ポトスに似た植物は本日の食事を始めた。

 この場にこの植物を知る者がいたかどうかはわからない。
 この植物は、『緑の谷』というアメリカのB級映画に出てきたもので、緑に覆われた深い谷の奥に巨大な金鉱脈が発見され、先を争うようにして集った人々に、谷を覆った緑――人喰い植物が襲い掛かるというコンセプトだ。
 獲物の消化方法は接着剤のように強い粘着性を持つ液体を分泌する蔓のような茎が獲物を絡めとり、ウツボカズラと酷似した消化器官に落とし込む。蔓に巻かれている時に下手に身動きしようものなら、刃状になった葉の縁に肌が切り裂かれ、血の凝固を妨げる分泌物で傷口は血が止まらなくなり、余計に体力を消耗する。
 作中ではそれほど動きは速くなかったが、銀幕市に実体化した「これ」は動物のような敏捷性を備えていた。それが何故なのかはわからないが、昨日の怪しげな液体がかかったのはこの植物であったという事だけは確かだったりした。
「動くようになるなんて、自分の天才性が怖いっ!」
 ちなみに怪しげな液体をかけた張本人は普通に捕まっていたりした。しかも勘違いして悦に入っていた。
「タ〜す〜け〜……アッ、ベティさン!来テくレタンデすネッテイテテッ!?何デ蹴ルンデすかァ!?」
「やっ、やだぁっ!パパー!」
 その他、公園に居た者を数名からめとり、その植物は大きくうねる。
 植物が動物のように素早く動くには莫大なエネルギーが必要な筈だ。動物のように何かを「食べる」ことでそのエネルギーを摂取しているのであれば、エネルギーの供給源を断てばその内に動けなくなるはずである。
 そう考えてか、それとも別の考えがあってのことか、人食い植物に抗い動いた者は一人ではなかった。


種別名シナリオ 管理番号217
クリエイターミミンドリ(wyfr8285)
クリエイターコメント皆さんこんばんは。ミミンドリです。

今回のシナリオには、以前書かせていただいた【エイリアンを作ろう!】に登場した騒動の原因、科学者「ビォンリ・ルゥ」なる人物が登場しています。そしてやはり騒動を引き起こしています(笑)
単純に言えば「人食い植物を倒せ!」というシナリオです。が、
植物という物は結構たくましく、生命力豊かです。
戦い方を少し工夫していただかないとなかなか倒せません。
植物は彼女が適当に選んだものですので、植物の弱点等は彼女は知りません。
しかし、頭を使えば非戦闘員のPC様方にも充分ご活躍いただけるシナリオです。
また、対策課に通報してから駆けつけたのでは、今囚われている3人はもう助からないかもしれません。
迅速な対応も必要です。
以上の事柄を踏まえた上でのプレイングを期待しております。

ただ単純な破壊では容易に倒せないこの植物を見事倒して下さい。

では、皆様の参加を心よりお待ちしております。

参加者
スルト・レイゼン(cxxb2109) ムービースター 男 20歳 呪い子
昇太郎(cate7178) ムービースター 男 29歳 修羅
李 白月(cnum4379) ムービースター 男 20歳 半人狼
<ノベル>

 スルト・レイゼンは苛々していた。それはもう最高潮と言って良いほどに不機嫌だった。
 それというのも朝から不運続きだったからだが、そのせいで負の感情を感じ取る能力の制御が利かず、いつもより随分と過敏になってしまっていた。克明に感じ取れるそれらのせいで機嫌はさらに急降下、悪循環極まりなかった。
 彼がこの日朝から対策課にいて、公園にムービーハザードが現れたという知らせを受けたのも、その不運の続きだったかもしれない。
 朝早くから舞い込む事件は、心臓に悪い。植村は叩き起こされた感のあるいまいちスッキリしない顔で、しかしはっきりとした声で情報を伝えた。
「馬?が一頭と、何人かの方が動く蔓に捕まっているそうですが、通りすがりのムービースターの方が救出に向かったという情報も入っています。金色の鳥を従えた和装の方と、白い髪のカンフースーツの方だそうですが」
 スルトはそのムービースターの特徴を聞いて、それが誰なのかを知った。そして、彼らなら……と今にも駆け出したい気持ちを抑え、自分は準備とフォローにまわることを決断する。
 スルトは白い呪布で覆われた手をぎゅっと握り締め、顔を上げた。
「その植物……の情報と、それから必要な物を急いで揃えてくれるか」
 真剣な表情で苛立ちを押し殺して言われた言葉に、植村も真剣な表情で頷いた。



 昇太郎は、少し前から妙に死を――死の気配を感じる事に眉を顰めて、その場に現れた。銀幕市に来てからは死んだ人間の魂を受け入れ転生させるという『輪廻』の役割からは解放されている彼だが、それでも死の気配には聡かった。苦痛や慟哭を伴う事の多い死は、彼の忌み嫌うものだからだ。
 精悍な顔を引き締め、人々が逃げる方向とは逆に走る昇太郎を、常に共にいる金色の小さな鳥がちらと一瞬気遣わしげに見たのに気付いたのか否か。昇太郎は人のいなくなった自然公園のほぼ中心で足を止めた。
 果たして彼が遭遇したのは、緑色の葉が散りばめられた蠢く暗紫色の蔓と、それに囚われた4つの人影、そして馬。否、4人のうち1人と馬はまだ蔓に囚われてはいない。1人は、蔓に巻きつかれた子どもを必死に取り戻そうとしている、恐らく父親らしき男。
 昇太郎は考えるより先に蔓の中へ飛び込んでいた。
 蔓を掴んで、泣きじゃくっている子どもから引き剥がす。子どもは皮膚が引っ張られる痛みに更に激しく泣きだすが、昇太郎は「堪忍な、坊。すぐ終るけん」と独特の訛りのある口調で宥めつつ蔓を引き千切る。
 父親が子どもを抱え込むのを目の端で確認する暇もなく、残りの二人の蔓にも手を伸ばす。
「イタイテ痛ッ!?もウチョット優しくしテくダさ……オヤ、初めましテ?」「これは後で採集してじっくり研究しなきゃ……!ああ楽しみ♪」などと好き勝手喚いている二人から蔓を力任せに引っ張る。葉が昇太郎の肌に擦れてサクリと皮膚を切り裂くが、彼は頓着した様子もない。
 しかしいくら剥がしても蔓は次々と彼らの体に巻きつき、昇太郎も絡めとろうとどんどん彼を蔓で覆い隠していく。単なる蔓であれば押しのけるだけですむのだが、非常に強い粘着質の液体を纏った蔓は力を込めて剥がさないと体から離れない。おまけに切り裂かれた傷は小さく浅いものの、数が多すぎる上に血が止まらない。徐々に動きを封じられていく。
 ふと、ひしめき合う蔓の隙間から、木の枝に巻きついた蔓からぶら下がる大きな袋状のものが見えた。そこに暴れる鳩が蔓にからめとられたまま引き込まれ、数秒後にそこに死の気配が現れる。
 食っている。
 動物を、食っている。
 昇太郎は、その左右で色の違う瞳でもがく二人を見て、その巨大なウツボカズラに酷似したものを見て。
「……それやったら、俺を喰え」
 せめて、彼らの代わりに。
 自分ならば、構わないから。
 どうせ、死ぬ事などできないのだから。



 李白月は朝の清清しい空気を吸いながらのんびりと散歩していた。
 白月はいわゆる女の子に騒がれそうなカッコいい顔立ちをしている。朝の光を眩しく反射する白い髪が揺れ、快活な笑みの浮かべられた端整な顔を縁取っている。
 テンポの良い一定の歩調で歩く彼が、出勤や通学で街が騒がしくなり始めたのを感じそろそろ帰るか、と思った時。
 白月は向かう先から響いてくる騒がしさが喧騒とは別物の狂乱であることに気付き、足を速めた。
「ハザードが」「逃げろ」「草が動いてる!」「対策課に」「人が捕まってるわ!」「馬が」
 走る人々が口々に叫んでいるのを聞きながら公園に入っていくと、そこには異様な光景が広がっていた。
 少し開けた石畳の上に、森の方から蔓植物が蠢きながら這い出し、その只中でもがく人影がひとつ、ふたつ、みっつほど。その人影のうちひとつの近くには黒檀の色をした見惚れそうなほど見事な馬がいて、蔓をもぐもぐと食べている。森に程近い、ざわざわと蠢く蔓が塊のようになった部分の上では金色の鳥が飛んでいた。
「なんだ……これ」
 思わず口からこぼれた声にはっとして、蔓に絡めとられた人々に駆け寄った。鼻を掠めた臭いに僅かに心拍数が上がる。
 これは――――
「おいっ、あんたら!大丈夫か!」

 ――血の臭いだ。

 蔓に手をかけようとすると、後ろ襟を強引に引っ張られてたたらを踏んだ。
「な、」
 振り返ると、先程から蔓をもしゃもしゃ食べていたあの見事な体躯の馬が白月を見下ろしている。そして、鼻先でふいっとある方向を指した。
 そこには、絡まりあい重なり合った蔓の上を金色の小さな鳥が飛んでいるだけだ。
 ――――否。
 そこからは先程からしている血の臭いが流れてくる。
「っ!人が!?」
 しかし、全く抵抗しないところを見ると、死んでいるのだろうか。
 人に纏わりついた蔓を退けるのに棍という長物は不向きだが、仕方ない。
 腹の底が冷えるのを感じながら、棍を握る。蔓に巻きつかれたら、身動きが取れなくなる。それを見て取ったのだ。先程この馬に止められていなければ、自分も絡めとられていたかもしれない。蔓の一本一本は簡単に千切れる植物だとしても、何百も絡みつかれたら面倒なことになるのは明白だ。
 そう思いながら後ろにいるはずの馬を振り返って、白月は赤い瞳を見開いた。
 馬がいない。
「アアッ、ベティさ――ン!!置イテかナイデ―――!?」
 車が通行するのを止める為の短い石柱にしがみつき、蔓が引っ張っていこうとするのに必死に耐えているフールが情けない声を上げた。
「ベティさんって……あの馬?」
 気を取り直して、子どもを抱えた男から救出にかかった白月が聞き返す。気を籠めた棍を回転させて、親子の周りの蔓を引き千切る。逃すまいと追いすがる蔓を棍で弾き、親子を片手で蔓の群れの中から引きずり出す。
「あ……た、助かった……」
 父親が尻餅をついてそう呟き、
「きもの着たおにいちゃんは?」
 子どもがふと、顔を上げて言った。
 父親がさっと青褪めて白月を見る。
「さっき助けてくれた青年が、あのなかに……!」
 折角助けてくれたのにまた捕まってしまって、と子どもを抱いた男はまた同じ失敗は犯すまいと体に張り付いたまだ動く蔓を剥がしながら後じさる。
「ってことは、まだ生きてんだな」
 この植物は、獲物を絡めとっているが殺そうとはしていない。葉に触れると冷たい痛みが走る事から、恐らく蔓に絡めとられた青年とやらはこの三人を助けようとして蔓に素手で触れ、あちこち切ってしまったのだろう。そして、そのままからめとられた。
「なんで抵抗しないで引き摺られてんだ……?気絶してんのか?」
「なんか自分を食えとか言ってたけど」
 今まで黙って思考を異次元に飛ばしていた、少女より少し上の年齢の若い女が唐突に口を開いた。黒いアイシャドウが仮装のようなイメージを抱かせる。
「食え?って、草に?草が人間食べんの?」
 こうして会話を交わしている間も蔓の中を進もうと棍を振るっているのだが、次々と蔓が伸びてくる為に全く進めていない。
「あれでしょ、たぶん」
 細い木にしっかりと抱きついて、木ごと蔓に絡められて動けなくなっている彼女が奇跡的に動かせる右手を上げて指した先には、樹上からぶら下がったいくつもの巨大な袋があった。直径は一メートルはあるだろうか。
「何だあの……ウツボカズラみたいなの」
 唖然として、テレビで見た覚えのある植物の名前を口にする白月に、アイシャドウ娘――ビォンリ・ルゥはうんうんと頷きながら答えた。気分は教師、とかいうつもりだろうか。
「たぶん元はもっと小さかったと思うんだけど、あたしの『ザ☆植木のおやつ』で巨大化したんだな!自分の才能が怖いわっ!」
「ってあんたが原因かよ!?」
 思わず突っ込んだ白月に、ビォンリ・ルゥは無意味に胸を張る。
「皆様のお宅の植木はこれさえあれば枯れることはありえないんだ!っていう薬を開発したの。ふふんすごいでしょ、きゃっ?!」
 胸を張った拍子にバランスを崩し、細い木から引き剥がされたビォンリ・ルゥは慌てて近くの「もの」に掴まった。
「エエエエエ!?ワタシノ弱さヲ甘く見ナイデくダさイヨ―――!?無理無理無理!無理デすッテ――!!?」
「しょうがないでしょ近くにある掴まれるものっていったらこれしかないんだもん!女の子に抱きつかれるんだからむしろ喜んで涙を流すのよ!」
「エッ、女ノ子ナンデすか?ダッテペッタンこイギギギギギギギッ!?」
「誰がぺったんこですってぇー!?いいもん次は胸を大きくする薬作ってやるんだから!」
 首を絞められて泡を吹いているフールと憤慨して次の薬の算段を始めているビォンリ・ルゥの漫才を呆れたように眺めて(その間も彼の手にした棍は回転し蔓を弾き飛ばしている)、白月は「で」と続けた。
「色々ツッコミたいところはあんだけど。結局、アレはなんなんだよ」
「ウツボカズラは知ってるんでしょ?ウツボカズラは虫をあの袋の中で溶かして吸収する。あのサイズだと動物とかが対象なんじゃない?」
 猛烈に嫌な予感。
「つまり?」
 白月が言うと、ビォンリ・ルゥはさっと視線を逸らして小さく続けた。
「……人間とか」
「バッ……!」
 白月が怒鳴る前にフールが絶叫した。
「キャ―――――――!?食ワレル!?タ〜す〜け〜テ〜!……ン?アレ、さッきノヒトじゃ」
 フールの素っ頓狂な声に、フールの向いている方向を見た白月が息を呑む。蔓に巻かれた人間が、ウツボカズラに似た、袋の な  か    へ  …  …
 白月の目にはそれがスローモーションのように感じられた。
 気付くとがむしゃらに蔓の中へ突っ込もうとした体は襟首を銜えられて吊り上げられている。少し離れた、下のほうから声が聞こえた。
「白月?」



◆5分ほど前、対策課◆

「『緑の谷』……その映画に出て来る植物なんだな。弱点とかはないのか」
「いえ、元の映画でもガソリンをかけて燃やしたとしか……。しかし、あそこは森ですから、映画と同じ方法で倒すとなると、近くの住宅街に燃え移って火災が広がる可能性があります」
 首を振る植村に、スルトは唇を噛んだ。
「そうか……仕方ないな。とにかく、他の物資は」
「それは用意できました。公園までは、車を用意したのですぐに行けます」
 植村から除草剤入りアンプルと救急キット、気休めかもしれませんが、と前置きされてライターを受け取る。相手が植物である以上、牽制に使えるのではないかということだった。
「うわあっ、う、植村さん」
 慌てた事務員の声に、揃ってそちらを向く、と。
 眼前。
 黒檀の毛皮に覆われた生きた壁。
 もとい、馬。
「……馬?」
 もしかして、と考えるより先にスルトは襟首を銜えられてひょいと持ち上げられた。
「は?」
 そのまま凄まじいスピードで対策課を出、スルトを銜えたまま道を疾走して行く馬を呆然と見送って、植村はスルトの「ちょっと待て――――――…………!?」とみるみる遠くなる声を聞いていた。
「……もしかして、公園に居たっていう……馬?」
 ということはわざわざ対策課に異常を知らせに来たという事だろうか?ということはムービースターだろうが、しかし、あの馬は喋れないようだったが、もし知らせに来たとしたらどうやって伝えるつもりだったのだろうか?
「全然気付きませんでしたが……いつから居たんでしょうか」
「植村さんたちがガソリンの話してる時から居ましたけど、あんまり自然にそこに居るんで、声をかけるのが遅れました……」
 すみません、と謝る事務員に、いえ、と植村は首を振った。
「あの速さだったら車より速いでしょう」
 間に合えば良いが。


「もしかしてあんた、前フールを攫ってった馬か!?ベティとかいう」
 以前受けた依頼が終ってフールと話している時に、凄まじいスピードで走ってきてフールをかっさらっていった馬と似ている。確か、フールは「ベティさン」と呼んでいた。公園にいた「馬」というのがこの馬のことだとすると、フールが公園に居るという事になる。
 車より速いスピードで道路を疾走していた馬は、ボトリとスルトを地面に落とした。そして明らかに憤慨した様子で座り込んだスルトの前に蹄を叩きつける。
 ぶるるるっ
「すまん、違ったか?」
 馬は荒々しく蹄を鳴らすと、時間がないとばかりにまたスルトの襟首を銜えた。
 出来れば背中に乗せてくれた方が楽なのにと思いながらスルトは吹き付ける風に目を細めた。
「しかし、植物か……根まで根絶しなくちゃならないわけだよな……」
 考えこむスルトの足下ではコンクリートの道路が川のように流れていった。
 馬は恐ろしく速かった。信号に当たると車の列を跳び越えて全くスピードを緩めずに走った。ものの数分もしない内に公園に着き、蠢く深緑色の葉と蔓が見えてスルトは顔をしかめた。その前で棍を自在に操り蔓を弾いているのは、あれは、
「白月……。……昇太郎は」
 彼の性格からして、ここから逃げたなんてことはありえない。では、何処へいったのか。
 スルトは先程よりは穏便に降ろされ、白月に声をかけようとした。
 突然、白月が蔓の只中に飛び込んだ。
 蔓に触れる寸前、馬がその襟首を銜えて吊り上げた。
「白月?」
 吊り下げられたまま振り向いた白月が知り合いの姿に声をあげる。
「スルト?」
 馬がバックして蔓の中から白月の体を下がらせる。
「アッ!エート、誰デしタッけ」
 蔓と若い女に絡みつかれている緑マントがスルトを見て場に合わない気の抜けた声を出した。スルトは首を傾げた。
「ん?フールだよな?前に会ったよな」
「エート」
「……。まさか忘れたとかいうんじゃないよな。あんな強烈な事件なかなか無いぞ」
「…………………………………エーット」
「いや、もういい……そういえば前もナナキの顔忘れてたって言うんで苛められてたよな、ナナキに」
「アァ、ナナキさンのトモダチデすか!」
 ぽむっと手を打ってナットク!と言いそうな風情で暢気な声を上げたフールに、彼にしがみ付いているアイシャドウの一際目立つ若い女が口を出した。
「誰?」
「エート、大家さン?」
「ふーん。てゆーかあんたさぁ、これ……」
「キャー?!セクハラ!?くすぐッタイデすヨ――!?」
「誰がセクハラよっ!そうじゃなくて」
 馬鹿と阿呆の会話は放っておいて(実際放っておいた方が無害な感じだった)、二人は真面目な話をしていた。
「昇太郎が居たはずだけど、白月は見てないか?」
「!多分、あれだ」
 白月が指し示した先。木の枝にぶら下がった大きな袋状の中から、感情の波が漂ってくる。それは突然の死の瞬間に誰しもが感じる爆発的な恐怖ではなく、それを通り越した静かで満足な諦念でもなかった。彼は、生きている。
 そして、彼の近くを常に飛んでいる鳥は心配するようにそれの周りを飛んではいたが慌ててはいない。
「すぐにどうにかなるってことはないみたいだ。けど、早く助けなければ」
「まだ生きてるか……良かった。そこの女の子によると「自分を食え」みたいな事言ってたってさ。うーん、そっか、捕まった人たちを庇う為に自分を食えって言ったのかも知れねーけど、こいつらにそんなコトバ通じるんかな」
 その巨大な袋は三つある。
 その内ひとつを埋めたとしても、残り二つ。
 白月の言葉に、スルトは目を瞠った。
「……馬鹿野郎が……!」
 自己犠牲。
 生贄。
 それは、スルトを否応無しに抉る。
 それは、過去の彼自身――
 ぎり、と歯を食い縛ったスルトの肩を白月が宥めるように叩く。スルトは二、三度頭を振って冷静さを取り戻すと、除草剤入りのアンプルを手に取った。



 体が焼けるように、痛い。
 酸が我が身を焼いていく。
 ずるずると皮膚が融け肉が融ける。酸の小さなプールで溺れ、肺の中に熱い液体が流れ込む。肺の中に、胃の中に、熱い液体が満ちる。それはすぐに痛みに変わった。
 痛い。
 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛イ痛い痛イ痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛イ痛イ痛い痛イ痛い痛い痛痛痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛痛痛い痛い痛い痛痛痛痛痛い痛い痛痛痛イ痛痛痛痛イ熱イ熱熱熱痛痛痛痛痛痛痛痛痛 痛
 昇太郎は痛みを頭の中から追い出した。
 痛みなど、慣れたものだ。そう言えばあの女(ひと)は悲しむだろうか。融けた顔でかすかに自嘲の笑みを浮かべて、昇太郎は静かに思考する。
 植物に融かされて喰われるなど想像もしたことが無かったが。この植物が生きていくために行動した結果のこの昇太郎の現状。
 ――生きたいんやなァ、コイツも。
 体から血液が出て行くのが分かる。首の皮膚が融かされて血管が切れたのだろう。
 こんな状況になっても、昇太郎は死への恐怖などなかった。生への執着など、このこころの何処を探しても見つからず何処からも湧いて来ない。
 ――羨ましわ。
 自分には、決して存在しない想い。
 この植物の、生物特有の純粋な生への執着。

 ――だが。

 ――他人サマに危害加えるっちゅうんは――……許せん事じゃけぇの。
 よく考えたら、例え自分が食べられたとしても、それでこの植物が満足するとは限らない。そうでなければ、被害は拡大する。
 ――いかんなぁ。何を呆けとったんやろな、俺は。
 融けた筈の耳に、いつも側にいる金の鳥の鳴き声が聞こえた。
 一挙に体の感覚が戻る。ごぼりと空気の泡が割れる音がして、酸の水の中で銀と薄翠の金銀妖瞳(ヘテロクロミア)を見開き、昇太郎は剣を抜き放った。



「しろいおにいちゃん!きもの着たおにいちゃん、どこにいったの?」
 幼稚園の制服を着た子どもが、白月に駆け寄って来る。
「んー、大丈夫大丈夫。着物着たにいちゃんもすぐに戻ってくるから、あっちの危なくない所で俺のカッコいいところ見てな。ほら、パパと一緒にさ」
 千切れた蔓を体から剥がすのに苦戦しているらしい父親に手を貸してやりながら、白月はにかっと笑った。人好きのする笑みに安心したのか、子どもは不安そうだった顔に輝くような笑みを浮かべた。
 ばグッ
 突然森の奥の一際大きなウツボカズラの袋が破裂した。
 フールを絡めとって離さない蔓に除草剤入りアンプルを刺していたスルトは、唐突な動きに自分の体が鋭い葉に切り裂かれるのもお構い無しに立ち上がった。
 破裂した植物の袋の破片と共に落ちてくる真っ赤な色の混じった液体と、その中に剣を握った人影を認めて、スルトと白月は素早く視線を合わせ、すぐに人影に視線を戻す。
「昇太郎!」
 スルトがその人影の名を呼ぶ。
 効果を失っていない酸性の水を頭から被っている昇太郎は全身を火傷しているかのような痛みに襲われていたが、耳は無事でしかもその声には聞き覚えがあった。
「スルト!何処や!」
 酸に目を焼かれて見えない事に舌打ちすると、ふわりと顔にあたる優しい風と、鳥の鳴き声が聞こえる。
「――」
 ありがとな、と一瞬穏やかな微笑みを見せ、昇太郎はすぐに顔を引き締めて周囲の状況を確認した。スルトの怒りと安堵が混じった声が投げつけられる。
「昇太郎!この馬鹿!」
「何でや!?」
 突然の馬鹿呼ばわりに目を剥くが、足元に忍び寄ってきた蔓を見てそれどころではない、と剣を構える。昇太郎と一緒に降り注いだ酸であたりの地面は軒並み焼けていた。昇太郎の落ちる直下にあった筈の蔓もすっかり融けていて、その点では助かったと言えるかもしれないが、自分すら融かす強烈な酸というのは、ずいぶんと化物じみた不自然な物を持っている。まぁ、化物として作られた映画の中の生物なのだから当然なのかもしれないが。
 白月は昇太郎の姿を眺めてぼんやりと目にしみるフリルとチョコレートの香りを思い出したが、あの色々な意味で大混乱の極地で彼の姿を見たのかどうかはよく覚えていない。見たとしても、他のモノのインパクトが強すぎて覚えていないかもしれない。
「初対面だったっけか?……ま、いっか」
 ばきッ
 頭上で妙な音が聞こえた。
 頭上を見上げた白月の目に映ったのは、「それ」を支えていた枝が折れたらしく落下してくる袋状の植物と、そこからこぼれだす赤い煙を上げる液体。
 その下。
 父親に手を引かれて安全な場所に移ろうとしている男の子――
「ッ、危ない!」
 咄嗟に父親の方を突き飛ばして男の子を抱え転がって避けようとする。
 ジュゥウウウウウウウウウウ
 嫌な、嫌な音。
 激烈な痛み。
「あ……ぐっ」
 背中が、焼ける。
「おにいちゃん?お、おにいちゃ……」
 子どもが白月の苦鳴を聞いて腕の中で泣きそうな声を上げる。
「…・・・だーいじょうぶ、にいちゃんはどこも怪我してません。な、だからパパと一緒にあっちで待っててくれな?」
 ぐしゃぐしゃと男の子の髪をかきまわす。男の子は「やー」と楽しそうなそぶりを見せたが、ふと不安そうに白月を見上げる。
「啓介っ!……き、君、その背中は」
「気にすんな。それよりほら、ちゃんと守っとけよ」
 苦痛を堪えて笑顔で言われた言葉に、父親は自分が痛そうな顔をして白月を見る。
 ふと、落ちてきた枝に絡まっていた蔓がしなって親子に向かった。
 白月は目を鋭く眇めて棍でそれを打ち払う。
「いいから逃げろ!」
 父親は気圧された様子で、しかししっかりと我が子を抱き締めて離れていく。
「パパ、おにいちゃんは?おにいちゃんはだいじょうぶなの?」
「おにいちゃんは強いから、きっと大丈夫だ。大丈夫でいてくれるよ、きっとね」
 子どもを宥めるというより願うように返す父親の背中を見ながら、白月は束の間の感傷に浸る。
「親父、か……」
 スルトの声が聞こえる。
「白月!?背中が……!」
「ヒィイ!?血が出テますヨ大量出血デすヨ――!?」
「あんたが怪我してるわけじゃないんだから落ち着きなさいよ!……うーん服が破れた時勝手に元に戻る形状記憶素材とか開発してみようかな……それとも金属繊維を……」
 酸の水を被って焼け爛れた背中はじくじくと痛みを訴える。青いカンフースーツは背中から流れる血で変色してしまっていた。
 そこに、蔓の群れを突破してきた昇太郎が駆けつける。
「大丈夫か、アンタ」
「見た目ほど酷くないぜ?白月ってんだ。よろしく」
「嘘こけ、血が止まってへんやろが。……昇太郎や、よろしゅう」
 除草剤入りアンプルを打たれたせいか枯れた蔓をばきばきと折りながらフールがのっそりと這い出す横で、同じように這い出しながらビォンリ・ルゥがちら、と逃走経路を探すように周囲を見回す。馬が「誰が逃がすか」とでも言うように彼女を吊り下げる横で、スルトはつかつかと昇太郎に近付いてスパーンとその後ろ頭をしばいた。
「何やのさっきから!?」
「少し怒ってるだけだ」
 スルトのむすっとした表情に昇太郎も困ったような仏頂面になるが、話がこの物凄く面倒な植物をどうするかということに移って真剣な表情を取り戻した。
「ここに来るまでに考えていたんだが……」
 この蔓は植物である以上何らかの種類に分けられるだろうが、少なくとも生命力のない植物ではありえない。たとえば夏に生える雑草だが、根まで根絶しないとまた生えてくるというのは周知の事だ。よって、タンポポのような太い根が一本地中深くまで伸びているならまだしも、クローバーのように茎よりも太い根が広範囲にわたって広がっていたら根絶は非常に難しいのだ。
 この植物は形状から言って、クローバーの方に近い。
 除草剤を注入されて徐々に枯れてはいるが、それが土の上の部分だけでは意味がない。それに、蔓の枯れるスピードが徐々に鈍っているように見えるのは、気のせいだろうか。
「除草剤入りのアンプルだけでは不安だ」
 一網打尽にする手段が必要だ、とスルトは言った。
「あんた、科学者なんだよな」
 馬に首根っこ銜えられて暴れているビォンリ・ルゥは話しかけられたことに気付くとぺたんこな胸を張って答えた。
「そうよ!天才科学者ビォンリ・ルゥとはあたしのことだもの!」
「マッドサイエンティストの間違いじゃねーの」
 突っ込んだ白月にも彼女は頷いた。
「そうとも言う!」
「言うのかよ!」
 突っ込みの瞬発力ならこの場の誰にも負けない白月が呆れて続けた。
「なんか、このヒトが変な液体を草にかけたせいで巨大化したとか言ってたけど、自分で」
「そうそう!あたしの『ザ☆植木のおやつ』のおかげで多分こんなに獰猛になったんだと思うわ!うふふふふふ、流石あたしっ!」
「そこ喜んで言う台詞とちゃうがな。もンのすごく迷惑やでアンタ」
 昇太郎も呆れて突っ込むが、他人の迷惑を顧みないからこそマッドサイエンティストと呼ばれる女は全く懲りなかった。
「早速サンプル採取して研究するんだから!ふふーん、それに葉っぱが一枚でもあれば再生しそうだしね!凄い生命力だわ」
 彼女の言葉に、彼らは切り裂かれた蔓を見下ろした。……そういえば、蔓の一片から栽培する植物も存在した筈だ。ということは、この植物も破片から再生する可能性が高い。
「説教は後回しにしてだ。この植物を石化させるとか凍らせるアイテムはないのか?」
 マッドサイエンティストたる彼女なら持っているのでは、という希望の元に訊ねられたことだったが、望む答えは別の場所から発せられた。
「それなら俺ができる。魔法だけどな」
 にっと笑った白月が腕を上げ、そこに嵌めた蒼いブレスレッドを見せる。
「その植物を全滅させたいなら、それだけに効くウィルスを作ればいいじゃない。ただ、やっぱりサンプルは必要だけど」
 きょとんとしてビォンリ・ルゥが言った。昇太郎が黒髪の中に一房混じった銀髪を弄りながら、考え考え言った。
「そのウィルスってどんくらいで出来るもんなん?」
「普通は何ヶ月もかかったりするけど、あたしの手にかかれば三日ね!」
「それは保険としておいて、やはり今、なるべく根絶させておかなくちゃならないだろうな」
「三日は待テませンしネー」
「なんかあんたに言われるとムカつくわっ!いいじゃないの一日で作ってやろうじゃないの!『ザ☆植木のおやつ』にサンプルのDNA入れて効果の属性反転するだけだもの!そんなの簡単だもん!」
 駄々をこねる子どものように癇癪を起こしてぶつぶつと何か化学式らしきものを呟き始めたビォンリ・ルゥを尻目に、3人は植物をとりあえず枯らす為の算段を進めていた。
「氷で土を覆って根っこを粉々にするとか、そういうのなら出来るけど」
「や、氷がとけた時に水が残るやろ。根っこも凍らせただけで死んだわけやあらへん。再生するかもしれんし、それだけやと足らんけ」
「でも氷系の魔法で動きを鈍らせることはできるよな。なら……あんまり使いたくないんだが、呪いをかけて枯らすことができる」
「そやなァ……つか、あのごっつうキツい消化液はどないする?いきなり枯らしたると流れ出すやろ」
「それこそ魔法で凍らせちゃえばいいんじゃねえ?少しずつ蒸発してくだろ、たぶん」
「なら、俺は援護にまわるけん、よろしゅう。アンタらは安心して魔法やら呪いやらに集中するとええ。露払いしたる」
「ああ、助かる」
「そんじゃ頼むな。頼りにしてるぜ『きもの着たおにいちゃん』?」



 昇太郎は刀を振るって群がる蔓を叩き切った。否、彼の刀は刃が潰れている。ならば、叩き折ったというのが正しいだろうか。どちらにしろ、切れ味の良い刀ですっぱり斬るより折ったほうが植物の組織に残るダメージは大きい。
 片端から叩き折ってゆくが、白月とスルトの周りに忍び寄る蔓を全て払い除けるのにはどうにも自身に忍び寄る蔓を後回しにするしかない。何しろ、数が多いのだ。
 しかし、自分に襲い掛かる蔓をいつものように防がないでおいたらあっという間に絡めとられて白月やスルトの援護をすることは難しくなる。
「じゃけぇ、俺に来る分も放っとくワケにもいかんしのぉ」
 独り言を呟いて、足に巻きついた蔓を足で引くだけで引き千切る。ふくらはぎがスッパリと切れて血が流れ出したが、昇太郎は躊躇せずに蔓を叩き折り打ち払い引き千切る。灰色の石畳は徐々に赤く染まっていった。
 スルトは両手に巻いた呪布を解きながら、白月を見やる。
 白月はそれほど余裕があるとは思えない。背中の傷は一応布を巻いてあるものの、広範囲すぎてとても足りないし、血も止まっていない。彼が半人狼でなかったらとっくの昔に貧血でぶっ倒れていただろう。魔法がどれほど体に負担がかかることなのかはわからないが、あまり余裕はない、と思う。
 とはいえ、自分もこれから貧血覚悟の最終手段をとるのだが。
 白月がブレスレットを掲げて集中するように宙を睨んだ。
 周囲の気温がみるみる下がり、地面を這う蔓に霜がかかる。
 スルトの手からぷしゅうと血が迸った。
 それは見る間に形を得て、剣の形を成す。
 掌に赤い紅い剣を握ったスルトは動きの鈍くなった蔓を切り裂いて、石畳に広がる蔓の中でもかなり太い、子どもの手首ほどはあるのではないかと思われる蔓に赤い剣を突き立てた。ぐるりと剣を回すと、蔓の中から透明な水が流れ出す。そこに痛々しい傷口も露わな手を押し付ける。

 瞬間――

 石畳を弾き飛ばして、数十もの蔓が一直線に地面から伸びた。

「何じゃ!?」
「キャ―ッ!?」
「ちょっと何よこれマジサンプル持ち帰りたいんですけど!!」
「あんたはいい加減反省しろっての!」
「白月!」
「わかってる!ハハッ、本領発揮ってか!」
 昇太郎が頭上に伸びる蔓を次々叩き切って、どさりどさりと落ちてくる蔓に絡まれる。威力はそれほど強くない一撃一撃が、鋭利な刃のついた蔓となると途端に凶器と化す。スルトと白月の周囲の蔓を瞬く間に切り倒した昇太郎は傷に埋め尽くされた手足から血を滴らせながら下からも上からも右からも左からも迫ってくる蔓を叩きのめす。
 スルトは己の血を媒体にして呪いを扱う事が出来る。先程の赤い剣も、呪いを応用して自分の血から作ったものだ。そして、今――彼は植物の中に血を注ぎ込んでいた。植物には水分を全体に回す管、人間で言えば血管のような物だろうか?根から茎から葉から、それはヒトの毛細血管のように植物全体を網羅している。そこに彼の血を流し込み、呪いをかけて枯らそうというのだ。植物のこの突然の狂乱はスルトの血液がいきなり流れ込み、急激に過剰の「栄養」が与えられた事によるショック症状のようなものなのか、なんだかよくわからないが、植物はこれがスルトの意思ひとつで呪いに変わる劇物だとは思ってもいないのだろう。ただ、与えられる「栄養」に狂喜してあふれ出す生命力を持て余している。
 スルトは眩暈を堪えて植物の末端の末端まで血液を注ぎ込む事に没頭していた。思った以上にこの植物は大きい。ああ、これは貧血決定だ――そう思うが、今更止められないし止める気もない。
 じっと動かないスルトの体に蔓が絡みつく。鋭利な葉がスルトの頬を浅く切り裂いた。
「じゃかあしいんじゃおのれら!」
 スルトの頬を好き勝手に切り裂いたそれを昇太郎は片手で握り潰しスルトから引き剥がす。葉を握り締めた拳から血が滴り、スルトは礼を言いたかったが、貧血による眩暈が酷く、口を開けない。正直、立っているのがやっとだった。
 昇太郎はスルトの真っ青な顔を見て眉を顰めたが、それについて問うている暇はなかった。
 白月は地上よりも地中に意識を絞って魔法を強力に発動させた。棍で振り払っていた蔓が足に絡みつくのにも構わず、己の腕に嵌っている美しい宝石に意識を傾ける。常は体に満たしている「気」をブレスレットに集中し、ブレスレットは陽光に蒼く美しい煌きを見せた。
 鞭のように振り回される蔓が根本から次々と凍り付いていく。
 同時に、スルトは血液が植物の末端まで行き渡ったことを確信し、呪いを発動させた。
 瞬く間に周囲で暴れ狂っていた蔓が茶色に変色し、水分を失ってカサカサの枯れ草の山になった。
 緑色を残しているのは、切りおとされてスルトの血の巡らなかった切れ端だけ。
「……終ったんか?」
 皆の心を代弁するかのように昇太郎が呆然と呟き、沈黙がそれに答えた。
「……あ、上あぶねーぞ」
 白月が思い出したように注意を呼びかけると、へたりこんだフールの隣に巨大な氷の塊が叩き付けられた。
「ヒイイイイイイ!?何事デすか!?心臓が5センチくライ飛び跳ネタじゃナイデすか!!全くもウ」
 ぷんすか怒っているフールの隣で氷となって砕け散っているのは、頭上に鎮座していたあの袋状の消化器官の中身、酸の水だ。フールは止せばいいのに指先で触って「痛イ!?こノ氷痛イデすヨ!」とか騒いでいる。その背後に破壊的な音を立てて別の酸の氷塊が落ち、フールはビクーンと飛び上がった。ちなみにフールのすぐ側には蔓を手に取ったビォンリ・ルゥがいて、自分の服の裾に遥か頭上から氷塊が落ちてきても全く気にしていなかった。ウィルスの構成式らしいものを延々と呟いている。
 白月は蔓の切れ端から芽が出ても困るので始末しなくちゃなぁ、と石畳をざっと見渡して、その数があまりに少ないのに驚いた。あれだけ白月や昇太郎が引き千切って切りおとしていたのに、思ったより少ないのだ。
 何故――という疑問はすぐに晴れた。
 あの黒檀の色をした馬が、蔓を片っ端から食べているのだ。人間並みの知能を持つ馬らしいとうすうす感づいていたものの、ここまで見事にフォローされると妙な気持ちだ。
「スルト、立てるか?」
「いや……ちょっと無理かもしれん」
「無理せん方がええで。顔が真っ青じゃけん」
 こうして厄介な植物との戦いは終わった、のだが。


 三人が三人とも血を流しすぎて貧血を起こした上に、金色の鳥に怪我を治してもらった昇太郎はともかく、スルトと白月は病院送りということで人を乗せるのが嫌いらしい馬に特別に乗せてもらい、まずは対策課へ「騒ぎの元凶に近い人物」としてビォンリ・ルゥを牽き立てていった。あの植物がまだ残っていた場合の、あの植物だけに効くウィルスを作らせる為である。
 馬に襟首を銜えられて対策課へ連行されたビォンリ・ルゥは、道々受けた説教にいじけて膨れっ面になり、それを見て彼女に憑いていたあの鳩くらいの大きさの小さな影、顔に≪厄災≫と書かれた札を貼り付けた奇妙な存在は爆笑して引っ繰り返り、昇太郎の肩に止まった金色の小鳥に遊ばれていたりした。
「何やろなぁ、これ」
「さぁ?そっくり返ってる所とかは見ててこっちが笑っちゃいそうだけど」
「呪いを感じるから、呪い神とかの一種なんじゃないか?」
「こんなちんまいのが?」
「たぶん……」

 銀幕市の長い朝は、こうして終った。
 ――一日は、まだ始まったばかりである。





 了

クリエイターコメントこんばんは、ミミンドリです。
シナリオを無事に……かどうかわかりませんがお届けいたしました。
ご参加くださったPL様方、ありがとうございました!
如何でしょうか。少しでも満足いただければ幸いです。
PCの皆様には朝っぱらからご苦労様でした、と声をかけたいくらいの時間帯のシナリオでしたが。
なかなか、時刻を指定したシナリオは私にしては珍しいと思います。とはいえ、時間に構っている暇などない内容でしたね。
今回、何か勘違いしているプレイングがないかとびくびくしておりますが、何処か間違っていたら申し訳ありません。
もし何かあれば、どうぞ遠慮なくお知らせ下さい。
では、また別のシナリオでお会いしましょう。
ここまで読んで下さって本当にありがとうございました!
公開日時2008-03-27(木) 21:50
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