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<ノベル>
日の光すらもほとんど届かない、薄暗く人気のない路地裏で、少女はそっと視線を落とす。
「……これで最後」
対策課から依頼を受けた山下真琴は、事件現場を中心に小石らしきモノを置き、至る所に不可視のトラップを張り巡らせていた。
彼女が置いた小石からほのかに立ち昇るのは、チカラある者だけが見ることの適う白く美しい炎だ。
ゆらりゆらりと不安定に形を変える炎、ソレが真琴の目となり手となって銀幕市一帯を監視する。
獲物は必ず、この『蜘蛛の巣』に引っ掛かるはずだ。
犯行時間は日が落ちてから深夜までに集中している。それ以外に今の所共通点は見られず、次の被害者を割り出すデータも揃っていない。
ならば。
神出鬼没であるのなら、そして、次の行動が読みきれないのなら、こちらから罠を張っておくまでだ。
その間に、可能な限りの情報を入手すればいい。
『仕込み』の途中、今回の調査メンバーと何度か顔を合わせたけれど、彼や彼女もまた独自のルートから犯人の割り出しに掛かっている。
「だけど、どうしてこんなことを……」
凄惨な現場を作り出した殺人鬼。
起こるはずのない事態を引き起こした、正体不明の殺人鬼。
自分たちムービースターに向けた途方もない憎悪は、果して何によって生まれたのだろう?
取島カラスは考えていた。
現場となった公園や廃屋を一通りまわってスケッチし、対策課経由で入手した被害者の服装や遺留品の写真を持って、これまでの事件やカフェで知り合った仲間たちと友人宅に集ってからも、ずっとずっと考え続けていた。
犯人の目的。
犯人が望むもの。
そして、何故こんな事態が引き起こされたのだろうかという疑問。
今、目の前には大量の映画雑誌とDVD、ビデオテープが積まれている。
被害者が一体何者なのか、そして加害者の手掛かりはないのか、一緒になって考え、探してくれる彼らをチラリと横目に見つつ、考える。
犯人の殺害目的が、もしこの友人たちに向いていたとしたら。
事件に直接関わらないまでもカラスの相談に乗ってくれ、こうして情報収集時には力を貸してくれる。
数多の修羅場をともに潜り抜け、時には家を行き来してプライベートを共有し、そうして気づけば半年が過ぎていた。
だから、怖い。
この夢がいつか醒めるかもしれないことが。
大切な、こんなにも『依存』してしまっている彼らを失う日が来るかもしれないことが。
その時にはおそらく、黒刃も自分の前から姿を消すということが。
思わず、目をきつく瞑り、頭を振る。
考えるだけで怖くてたまらない。
だからむりやり思考を切り替える。
いずれ訪れる夢の終わりではなく、今まさに目の前に置かれた、解くべき謎に意識を向ける。
「どうして……どうして犯人は、ムービースターばかりを狙うんだ……」
植村ははっきりと、今回の事件を『異常事態』だと告げた。
この言葉から連想される出来事に、カラスの思考は次第にのめり込んでいく。
頭を過ぎるのは、銀幕市全体を巻き込んだ甘ったるくも恐ろしい、2月の事件、だった。
「……パル、アナタは隠れてなさい」
ピュアスノーのバッキーをそっとカバンにしのばせて、流鏑馬明日はひとり現場を歩く。
銀幕市の住宅街の狭間にできた小さな児童公園は、日が落ちてからはパタリと人通りが途絶えていた。
ここでひとりの青年が死んだ。斧と思しき凶器によって、めった打ちにされて。
「この銀幕市内でだって、そうそう見られない現場。銀幕市だからこそ、あってはならない現場……」
眉をひそめた先輩刑事の姿が目に浮かぶ。
確かに、銀幕市の刑事課に配属されたばかりの自分の目にも、この事件は特異に映っていた。
今の彼女は、刑事というよりも対策課からの要請で派遣された調査員という形で事件に当たっている。
組織の人間にもかかわらず単独行動を許された『特例扱い』の自分。
短期間で次々と生み出された凄惨にして異常な事件現場は、その取り扱いもまた難しかったというわけだ。
いまだ犯人は知れない。
せめて彼らが死に瀕していた時の映像でもあれば話は別だったのだろうが、死してなお、ムービースターたちは完膚なきまでに破壊されたその姿を保ち続けているのだ。
「怨恨の線で洗うにしても……どこから手を付ければいいのかしら。パル、アナタは何か感じる?」
問いかけに、カバンの中でごそりと動いて、控えめにバッキーが首を横に振る。
「……そう……」
検死結果がそろそろまわってくると思うのだが、果たしてソレがどの程度役に立つのか、信頼できるデータとなるのかも分からない。
ソレでも次の被害者を割り出す必要があった。
隠された法則を見つけ出し、殺害の連鎖を止めるために。
ふと、どこからかひどく流麗な口笛の音色が耳に届く。とある映画のテーマソングでありダーティな英国ロックでもあるその曲名を彼女が知るよしもないのだが。
「だれ?」
静かに、けれど刺さるほどの厳しさを含んで、明日はその影に言葉をつきつける。
もし彼女がハリウッド映画のムービースターなら、間違いなく拳銃をつきつけていただろう。
「……あ、ええと、その……」
のそり。
影から外灯の下へ姿を現したのは、見上げるほどの大男だった。はちきれんばかりに筋肉で膨れ上がった巨躯に乗っている凶相は、間違ってもこんな時間にこんな場所で拝みたいものではない。
だが。
「アナタ……確か、対策課に来ていたランドルフ・トラウト」
こんな所でどうしたのかと、問うまでもないだろう。
明日の言葉に恐縮したように頭を掻き、彼――ランドルフは少女と呼べる程の相手へ丁寧に頭を下げた。
「驚かせてしまって申し訳ありません。私も何かお手伝いができないかと考え、このように歩いていたものですから」
「ムービースターを狙う、だから自分が囮に、というところ?」
「ええ、その通りです」
照れくさいのか、またしても自分のうなじをカシカシと掻きながら、頷く。
「被害者が実際にはどういう基準で選ばれているのかは分かりませんが、せめてこのような方法で何かのキッカケになればと」
そうして、ふっと目を細め、視線を周囲に巡らせる。
「……現場のいくつかで共通したニオイを感じているんですが……それ以上に血の匂いが濃厚で混乱してしまうんです」
スン…っと鼻を鳴らして、ランドルフは苦い顔をする。
昼の間に、彼は『最近、斧を購入した者がいないか』という調査も行っていた。しかし、数時間を費やして得られたのは、30歳前後の男が来た、という曖昧な証言のみである。
それでも、かろうじて残っているニオイを覚え、こうして、日が暮れてからは『覚醒』状態へと我が身を変えて歩き回っているのだ。
「……できるだけ早く犯人を止めたいのですが」
「同感だわ」
頷く明日の表情からは、どんな感情も読み取れない。
けれど、彼女自身が犯人に一種の『興味』を抱いていること、そして、それゆえに事件を解決したいと心の底から(職業意識とは別に)願っていることも、ランドルフには伝わる。
「そろそろ時間ね」
2人の間で一瞬だけ止まっていた時間を動かすように、明日は自分の腕時計を確認した。
「次のご予定は……と、私がお聞きしてもよいのでしょうか?」
「構わないわ。署で報告書をもらってから、山下真琴とカフェで落ちあう予定よ。彼女の方も仕込が終わる頃だから」
「なるほど……と、その……お嬢さんお2人の所にご一緒させていただくことは可能でしょうか?」
控えめな申し出を、いくぶん恐縮しながらランドルフは口にした。
追跡や格闘ならば何とかなるのだが、こと、情報収集や推理という段階に踏み込むと、どうにも自分ひとりの手に余ることを自覚していた。
気づけばこの銀幕市に実体化し、状況が分からず混乱して、それでもどうにか住む場所も働く場所も確保した。
身辺も落ち着き、余裕が生まれると同時に、この街のために何かをしたいと考え、対策課へ出向いたのだ。
そして、ほとんど反射的に調査へ名乗りをあげてしまったのだが。
ここに来て、自分がかなりの難問に突き当たっていると思いはじめてもいたのだ。
しばしじっとランドルフを見つめていた明日は、おもむろに踵を返し、
「警察は、協力してくれる一般市民を拒んだりしないわ」
どうぞ、と小さく首を傾げることで、彼女はランドルフを促がした。
遅い時間にもかかわらず、いまだ賑わいを見せる『Cafeスキャンダル』の、その一角に用意されたテーブル。
常連である真琴が確保してくれているそこで、いわゆる『捜査会議』が展開される。
覚醒状態を解いたせいで随分とだぶついた服をまとっていながら、それでも十分に巨漢と言わしめるランドルフを目にして、一瞬驚いたような顔をした彼女も、
「ええと、突然お邪魔してしまってすみません。よろしくお願いします、山下さん」
「あ、はい、こちらこそよろしくお願いしますね?」
彼の丁寧でおだやかな物腰に、微笑みを返すだけの余裕が生まれていた。
それに、明日のカバンから這い出てきたバッキーがキュルリとまるい目を更にまるくして真琴を見上げているのだ。
ほとんど初対面という男性に、いつまでもどぎまぎとしている場合ではない。
「……あの……この子、触ってもいいですか?」
「パル、いい? ……そう……いいみたい。どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
ほわっと微笑み、真琴はチョコチョコと自分のもとまでやって来たバッキーを優しく両手で包みこんだ。
もうこれだけで十分幸せな気持ちでいっぱいになれる。
可愛いものがたまらなく好きなのも事実だけれど。
これから始まる、物騒で陰惨な内容を話す前に、少しでもあたたかさを感じておきたかったのかもしれない。
「それじゃあ、はじめましょう」
この場を仕切るように明日は宣言し、そして自身の抱える分厚い封筒を開いた。
本来ならば非公開に終わるはずの『検死結果』や『聞き込み調査』の成果とデータが広げられる。
「これが、ちょっと気になるデータ、ね」
書類の束をひとつ手にして、指をさす。
「多少の差異はあるけれど、全員の指紋が一致しているわ……それから、現場からは被害者以外の指紋の検出はされていない、ことになっている」
検死結果のデータを確認しながら、明日は眉を微かにひそめて告げる。
「それは被害者が同一人物ということですか? ん……これって少しおかしな言い方ですね」
彼女の資料を覗き込みながら、思わず真琴も眉を寄せた。
「顔の判別はほとんど出来ないし、DNA検査もどこまで信頼できるかアヤシイ。だから被害者がどうかというよりは、演じた人間が一緒だった、と言う方が正しいわね」
「ああ……演じた人間が同じ……ですか」
何となく不可思議な感覚に捕らわれ、ランドルフは自分の身体を見降ろしながら、言葉を継ぐ。
「でも、ですよ。だとしたらコレは……」
「同一人物が演じた『ムービースター』に恨みを持つ人間……けれど、ここまで肉体を損壊させるほどの動機って何なんでしょうね」
指先でパルを撫でながら、真琴は俯き、ランドルフの言葉を引き継ぐように溜息をつく。
これから自分たちはその犯人と対峙することになるのだが、果たしてその時、相手の真意を問うことは出来るのだろうか。
「そこが問題、ね……」
明日は、人差し指で唇に触れながら言葉を探す。
完膚なきまでに叩きのめされた身体、なかでもひどい損傷を受けているのが頭部という所に、なにか特別な意思を感じる。
「考えられる犯人像はふたつ。ひとつは役者そのものへの怨恨、あるいは執着から派生し、そのキャラクターをも憎悪しているケース。もうひとつは」
「――加害者がその役を演じてきた役者だった、というケースだね」
3人の視線が一斉に声の主へと向けられた。
「取島さん」
「や。真琴君ならここにいると思ったんだけど、正解だった。せっかくだから、俺も混ぜてもらおうと思ってね」
少しはにかんだ笑みを浮かべて、それからカラスはどさりと、過去の銀幕ジャーナル、そして映画関連雑誌を机に置いた。
「予想外に早く、というのもアレかな。ちょっと興味深いことを見つけたから、捕獲前に共有したくてお邪魔させてもらったけど、いい?」
「あ、もちろんです。どうぞ」
「ありがとう」
笑って、カラスは真琴が引いてくれたイスに腰掛ける。
「黒刃、もういいよ」
背負っていたリュックの専用ポケットからミッドナイトカラーのバッキーを救い出すと、そのままテーブルに乗せてやる。
これで真琴の前には、白と黒、2匹のバッキーがころころと可愛らしく動くことになった。
「それで、アナタが見つけた興味深いことというのは、一体どういうものなのかしら?」
パルがめずらしそうに他のバッキーへ興味を示すのを横目にしつつ、明日はカラスへと問いかける。
「ぜひ私もお伺いしたいです。ええと……ご面倒をおかけしますが」
慌てて、窮屈そうな身体でイスに座り直しながら、ランドルフが彼女の言葉に続く。
「もちろん。ソレを説明するために調べてきたんだから面倒なんてことはないよ、ドルフ君。ただし、殺人鬼の持つ能力がどういった類かはまた別の問題、かな」
それじゃあ見てもらおうかな。
そう言って、山と積まれた資料の一冊を手に取って、該当ページを開いて見せる。
「年齢はバラバラ、当然体型もバラバラ、性別は一緒。顔はまったく判別不能、だなんて、いかにも素性を隠したがっているって感じはしたんだけど」
指をさす、そこに写っているのは、どこか切なさをたたえて遠くを見つめる俳優の横顔だった。
「多分、犯人は――湊マサユキ……これまでの被害者を演じてきた者だと思う」
「確かに斧を購入した場所、そして、警察で見せていただいた遺留品や現場に残っていたニオイは『30前後の男』と思しきものでしたが……」
「ドルフ君の嗅覚が裏づけになるかな。……とりあえず、身元不明の彼らの名前も出身映画も、ほぼ網羅しているよ」
「それがこのリストというワケね」
興味深げに、明日が画像とデータで構成された人物シートを手に取り、目を細める。
「取島さん、それをこの短時間で?」
「友人たちの協力に感謝しなくちゃね。ビデオと雑誌と写真の睨めっこでまだ目がチカチカしてるけど」
役者や監督のインタビュー特集や、マイナー映画まで網羅した情報専門雑誌の一冊を開き、指をさす。
「この作品を最後に、彼は映画に出演していない。浮き沈みの激しい業界だから、いつのまにか消えていてもおかしくはないんだけど……ただ、ひとつ気になることがあって」
そういったカラスの言葉は、緊張で張りつめた鋭い一言に遮られる。
「来た」
真琴が、つ…っとあらぬ空間に向ける視線。
それを正確にトレースすれば、彼女が何を発見したのかは容易に分かる。
『……見つ、けた……』
かすかな呟きと共に、ジリリ…っと、ノイズ混じりに呟く男の像が、このカフェという空間に結ばれていた。
闇色の世界に鮮赤を巻き散らしてきた男の、あまりにも弱々しく危うげな姿。
『……僕の存在を脅かす、罪人……』
「罠に、掛かったみたいですね」
真琴の瞳がきらりと小さく閃いた。
店員に一言声を掛け、膨大な資料やデータの上にめくらましと結界の呪を施して、真琴は最小限の荷物を手にした3人とともに店を飛び出した。
空を、厚い雲が覆っている。
アスファルトの道を、硬い足音が響き。
いくつかの角を曲がった先、どこかのビルの建設予定地となり鉄線で囲まれた敷地へと4人は辿り着く。
「この、ニオイだ」
再び『覚醒』状態となったランドルフの鼻が、『肉』のニオイを嗅ぎつける。
消しようがないほど濃厚な血のニオイをまとい、数々の現場を歩き、そしておそらくは『自分自身』を殺害していた男。
既に、殺害の対象となった者はその場から逃げているらしい。
がらんとした空間で、彼だけが白い炎に両足を掴まれ、身動きを取れずに佇んでいた。
「掛かりましたね」
自動結界に捕らわれ、身動きの出来なくなった男を、真琴はまっすぐ捉える。
殺人鬼……斧を持ったその青年はゆっくりと振り返り、そうして、なにかを見極めるかのように静かに目を細めた。
「……誰?」
ふと気まぐれを起こしたのか、雲の合間から顔を出した月の光を受けて、暗く深い瞳が、閃き、射抜く。
「警察よ」
その視線を跳ね返すようにキッパリと、明日が自らの身分を明かす。
「ムービースター殺害の容疑で、アナタを捕えにきたのよ、湊マサユキ」
「……警察……? ああ、そうか……うん、そうか。キミは、キミたちは僕の邪魔をするためにきたんだね? 僕の努力を、嗤いにきたんだね?」
目の前を、冷たい鉄の光が一閃する。
瞬間。
足止め代わりとなっていた術は薙ぎ払われ、問いに答えた明日ではなく、その隣に立つ真琴に向けて攻撃の刃が振りかざされる。
「まずはあんたから、消えてなくなれ――」
とっさに真琴は後ろへ飛び退く。
けれど、足がもつれ、体勢が崩れた。
「真琴――」
その身体をむりやり自分へと引き寄せる明日の力で地面に伏せ、辛うじて、彼の振り返りざまの第二撃目を免れる。
「……今のは、なに」
結界を破られた衝動だけではない、なにか途方もない暗闇に心臓を鷲掴みにされたかのような感覚に竦んだのだ。
顔面すれすれをかすめた斧の閃きが引き起こした、不意打ちのフラッシュバック。
刹那の間に脳裏に蘇った、生々しい『喪失』の記憶が真琴の思考と視界とを真っ白に塗りつぶしたのだ。
「真琴君、大丈夫?」
「平気、です……大丈夫」
気遣わしげなカラスの視線にも気丈な答えを返し、明日の手を借りて立ち上がりながら、殺人鬼を見据える。
「4人を同時に相手にするのはちょっと、骨が折れそうだね」
だけど、負けるつもりはないよ。
そう笑う、彼の顔は何故か泣いているようにも見えて、真琴の胸が軋む。
「待って。落ち着いて。俺たちは別に、君に危害を与えるつもりで来たんじゃない!」
「うそつき」
短い、たった一言でカラスを否定する。
そして、飛びかかり。
ざしゅり。
横から繰り出された空間を引き裂く鋭い明日の蹴りが、予想外に軽い殺人鬼のカラダをたやすく弾き飛ばした。
だが。
触れた瞬間、今度は彼女の中に『映像』が弾ける。
川。流れる。溺れる、あの子が溺れて、手を差し伸べた、けれど、でも、腕に強烈な痛みが弾けて――
「手が止まっているよ。ああ、ほら、お嬢さんも、あんたも、みんな動きが鈍くなってるよ」
みんな、みんな、消えて、なくなれ。
呪詛にように呟いて、斧を構え。
ぐわん。
「――いけない」
地面を蹴って跳躍、そして振り上げられた刃が、今度は彼女たちの前に割って入ったランドルフを襲った。
強靭な肉体は、たかが貧弱な青年が振り回す斧ごときの鋼でダメージを受けたりはしない。
だが。
斧の刃が、みしり…と音をたてて、顔の前で交差した腕にめり込んだ瞬間――彼もまた、真琴と同じ、いや、それ以上の痛みに胸を貫かれた。
心を抉る、映像。
消えてしまいたいほどの痛みと、消えてしまうことへの恐怖が、彼の心にまっすぐ突き刺さってくる。
血にまみれた両手。ごまかしようのない満腹感。口の中に残る甘美な味。目の前に転がるのは、犯してはならない罪の骸――
思わずよろめいて、片膝をつく。
ランドルフは打ちのめされ、殺人鬼から直接的なダメージではない痛手を引き受けることとなった。
「な……なんですか……これは、この光景は、一体……」
全身に、内側から震えが来る。
知っている。
これは罪の記憶、食人衝動に襲われた最初で最後の記憶だ。
「やあ、さすがに気づいたみたいだね」
「弾けたあの映像は、このヒトと接触することで引き起こされるもの……」
明日は頬から喉元へと伝う冷たい汗を拭い、呟く。
「……だから、ああもやすやすと彼らはこの男にやられたのね」
「そう、正解。記憶だよ……自分が犯した罪の記憶。ひた隠しにする、いまだ贖われていない罪のために、お前たちは消えるんだ……」
本当なら、そうなる必要はないんだけどね、と小さく付け加えて。
「ね、お嬢さん!」
結界の緩んだその隙を突くように振り上げられた刃を受けて、真琴もまた捕らわれる。
罪の記憶。誰かの存在を脅かすものの記憶。消えてしまうことで贖いとなるだろう、真琴の中の痛み。
少年。
先程一瞬だけ垣間見得た『兄の喪失』ではなく、あの『少年』の死が、もしかすると自分の為に死を選んだのかもしれない彼の記憶が、圧倒的な質量をもって襲い掛かる。
だが、それは一度、乗り越えた試練。優しいあの人の手を借りはしたけれど、それでも一度は振りきった記憶であり。
「土足で踏み込まないでください……これは、私の大切な領域です」
数枚の符を指に挟み、チカラを込めて、イカヅチをまとった呪を放つ。
「ぐ、あ……っ」
強烈な反撃。
そして。
ここで初めて殺人鬼は――湊マサユキは、苦痛の呻きを洩らしながら無様に地面へと這いつくばった。
全身に痺れが走り、髪や手足の先で青白い火花が散る。
「触れることで捕らわれるなら、触れずに攻撃するまで、です」
冷静であろうと深呼吸を繰り返しながら、ゆっくりと、真琴は彼を見つめる。
「でも、別にあなたを倒したいわけじゃありません」
ソレは彼女の本心だ。
「………へえ?」
目を眇め、口元を歪めて嘲笑う男に、
「40回目の斧を振り降ろした時、あなたは何を感じていたのですか?」
人を殺めても何も得られるモノはなく、そして当然、そこに救いなどないのだと告げるランドルフの台詞が重く響く。
カラスもまた、訴える。
「聞かせてほしいんだ。俺は、俺たちは、君がそうする理由を知りたいと願っている。何故自分自身を殺すのか、何故そこまで憎悪するのか、知り、理解し、そして君を救いたい」
『殺人鬼』となった者が抱える心の闇。
明日は、問いを口にはしない。
カラスやランドルフのように、自分の思いや考えや不安を言葉には変えない。
けれど、感じていたし、興味もあった。もし可能なら、問い掛けてみたいとすら考えていた。
「彼らは確かに映画の中からやってきた、アナタの演じたキャラクターかもしれない。でも、今は自分の意思を持ち、この世界に確かに存在している」
明日は厳格な思いでもって彼をまっすぐに見つめ、告げる。
「その命を勝手に絶つ権利は、アナタには、ない」
ソレは警察官としての言葉ではなく、自身の内側から真理として浮かび上がってきたものだ。
「他者の権利を侵害する……ソレは、犯罪以外のなにものでもないわ」
「罪? アイツらがよってたかって『僕』を消し去ろうとしてるのに?」
ピクリと頬が引きつり、問い返す、それはまさしく憎悪に揺れる瞳。
「考えたことがないんだ……そっか、だからそうして歩けるんだ……そうか……」
俯き、前髪によって表情を影に隠しながら、彼はゆっくりと、立ち上がる。
「……アイツらは……そこにいる。そこに存在している……だけど、ねえ、それじゃあ『僕』は誰なの?」
静かに、暗く、深く、落ち込んでいく声。
「僕は誰? 本当の僕は……どこ? 僕の顔をしたヤツらが、あっちこっちで僕以上の存在感をもって歩き回ってる。こんなの、こんな恐怖、本当に味わったヤツにしか分かんない!」
「でも」
弾ける喪失の記憶と、殺人鬼の斧とを術で跳ね返しながら、真琴は考え、惑いながらも言葉を続ける。
「……少なくとも、この街から出ることさえ叶えば、あなたは彼らと関わることもなくなると思うんです。あなた自身でいられると、思うんです」
ムービースターならば、この魔法都市から一歩でも外に出ることは、すなわち自身の消滅を意味する。
けれど、役者であれば。
演じた人間ならば、自分の存在理由が揺らぎかねないこの場所から、どこか遠くへ逃げることも可能ではないか。
「いや……真琴君、ソレは多分、無理だ」
「そう、彼には無理よ。ここからは出られない」
彼よりも先に、カラスと明日が否定を口にする。そしてその言葉は、真琴へではなく、彼女が説得すべき相手に向けられていた。
「役者本人は、この銀幕市の魔法が掛かるずっと以前に、既に他界していたんだから」
カフェで言いかけ、そのままとなっていた情報をカラスは口にする。
彼は姿を消した。映画の中からも、この世界からも、彼は永久に姿を消してしまったのだ。
あの、最期の記録だけを残して。
「つまり、彼もムービースターだということよ」
得心がいったというように、明日は頷く。
けれど。
「……僕を、ムービースターだと、言ったね?」
不穏な空気をゆらりと立ちのぼらせ、彼は黒い炎のごとき怒りと憎しみを歪な笑いに湛えて、顔を上げる。
「ああ、そうか……バッキーを連れてるキミたちは、選ばれた特別な人間というわけだ」
2匹のバッキーの目が、一方はカバンの中、一方はコートのポケットから殺人鬼に興味を示し、わずかに閃いているのを確認し、笑みを深める。
「僕は、僕のできる精一杯の演技をした。その時は、その役になりきった。でも……僕は、僕でしかないはずだった。たとえ、どんな名前で呼ばれようとも、湊マサユキであるはずだった」
彼の目はどこか遠くへ投げかけられている。
「なのに……」
噛み締められた唇、斧の柄を握り締めた手のひらから、一筋の血が流れ、伝う。
痛みの告白。
嘆きの自問自答。
「演じていたはずの僕もまた、演じられたキャラクターと同じだって言うなら、じゃあ、現実って何? 僕という存在は、何に寄って立つべきなの?」
ものすごく曖昧すぎて、恐ろしいじゃないか。
誰かの夢の産物でしかないなんて、ソレを現実として目の前に突き付けられるだなんて、どうしようもない苦痛ではないか。
「こんなの、耐え切れないだろ?」
不安定な揺らぎを見せながらも、彼は攻撃する。恐怖を振り切りように、全てを消し去った後に見つかるかもしれない救いにすがって。
「やめてください、湊さん! いけない!」
ランドルフに、明日に、カラスに、真琴に、一瞬の苦悩と精神の悲鳴をあげさせながら、ひたすらに、殴りつけ、薙ぎ払い、蹴りつけて、また襲い掛かる。
殴られ、払われ、弾き飛ばされ、蹴りつけられながらも、彼は自らの肉体が上げる悲鳴には耳も貸さずに斧を振るう。
「先生は、きっと大丈夫だからって言ってくれた。今は心がちょっとビックリしてるだけで、やがてこの状況を受け入れる準備を始めるだろうって言ってくれた」
でも。
ソレは叶わない。
それに耐えられるほどの強さを、手に入れることがどうしても出来ないほどに、衝動が自分を駆り立てる。
「だから、僕は消していく。僕の心を救うために。僕の平穏を取り戻すために」
「そんな、そんな平穏はまやかしでしかないと、本当は気付いているんじゃないですか!」
パルを、黒刃を、そしてその飼い主たちの身を守るように立ちはだかるランドルフの言葉を払いのける。
「あんたに認められなくたっていいよ。誰かの存在を脅かすもの、現実と虚構の境界を曖昧にするものたちには、贖罪の鐘を聞かせてあげるのが僕の役目だ」
そう決めたんだから、それに従う。
さあ、そろそろキミたちは観念するべきだし、僕は決着をつけたいんだと、彼はにこやかに死のリミットを宣告する。
「彼らは、彼女たちは、ムービースターはけして罪人なんかじゃ、ない」
明日がキッパリと否定する。
「アナタがとり憑かれている考え方を、あたしは否定するわ」
「私も……」
真琴が言葉を繋げる。
「私たちは誰かの存在を脅かしたいとは思っていないんです。そして、消えたいとも失くしたいとも思っていないんです」
何かを失う恐怖を、もう自分はイヤというほど味わっている。
「……存在するだけで、罪なのに、かい?」
笑って。
笑いながら、斧は振るわれる。
その間。
カラスはずっと機会を伺っていた。
自分の声が届く瞬間を、彼の心が一瞬だけでも誰かの声を聞ける状態になる瞬間を、攻撃をかわしながら待っていた。
彼は地獄で得た剣も、愛用のナイフすらも、ここには持ってきていない。
完全な丸腰で、殺人鬼の前に立つ。
「待って。ちゃんと聞いてくれ。俺は本気で君と話したいし、君を傷つけるつもりで来たんでもないんだ!」
「うそつき」
受身を取りはしてもけして反撃しようとしないカラスの髪が数本、斧によってはらりと散った。
それでも、彼は手を出さない。
胸の奥が歪むほどの痛みを訴えても、構わずに、向き合い、訴える。
「さっきもキミはそう言ったけど、でも、嘘じゃない」
嘘じゃないんだと、言葉を重ねる。
重ねられたその声に、彼は怪訝そうな顔をして、止まった。
術を放つ構えの真琴や、次の攻撃をいつでも繰り出せる態勢でいる明日、そしてそんな彼女たちを守る盾であろうとするランドルフを手で制し、カラスは彼と向きあう。
つかの間の、静寂。
そして。
「俺は君を間違えたりしないから」
まっすぐに告げ、差し伸べる手に、大きく見開かれる瞳。
「俺はキミのやってきた仕事を知っているし、君がどんな想いで取り組んできたのかも知ってるつもりだ……それから、喪失の、自分が消失していく恐怖も……」
調べてきたのだ。
バイト先のレンタルショップにはなかった。だが、その伝を辿った先に答えは用意されていた。
まるで記録映像のように鮮明に、彼は、彼としてフィルムの中で笑い、泣き、悩み、選んだ。
自分が自分である為に、これまでの自分と、これまで演じてきた者たちへの決別し、銀幕の世界から姿を消すと。
そして、ソレが彼の、事実上の遺作となった。
「でも、ここでこうして実体化できたなら、新しい人生を歩んでみるのもありじゃないかな?」
役者本人が実名で出演する形式の、不思議な映画。
なのに自分はたまたま実体化しただけの、ひとつのキャラクターに過ぎないという恐怖感。
けれど、ソレはけして悪いことばかりではないはずだ。
だから、カラスはポケットにしのばせていた石を取り出し、掲げるようにして彼へ向ける。
手にしているのは、緑耀石――ヒーリング能力を持つ、地獄で得た土産物。そしてこれまでの、記憶を引っ掻き回す攻撃に対して、カラスの精神を守ってくれていたモノ、だ。
「……俺も変わることができた……ここは、夢を現実に変える魔法が掛かっている街なんだから、君だって、変われるはずだ」
優しい言葉とともに届く緑の光が、彼の瞳に一瞬、穏やかな影を蘇らせる。
真摯な願いと想いが、彼の中に浸透していくのが、見て取れる。
研ぎ澄まされていた殺意が、薄れていくのが感じられる。
「キミは、優しい人だね……少し、うん、ほんの少しだけど……先生に似てる」
微笑む。
それはけして暗くもなく、嘲りでもなく、ただひたすらに、穏やかで、そして哀しげだった。
「だったら……」
「……だけど」
赦されるはずはない。許してはいけない。その衝動はなにものにも勝るもの――だから。
「罪は……償わなくちゃ、いけない……」
彼は斧を振りあげる。手を差し伸べてくれた、カラスに向けて。40回めった打ちにしてきた凶器で、救済者を殺すために。
「取島さん!」
「――危ない――っ!」
とっさに。
本当にとっさに、ランドルフはカラスを守るために行動してしまった。
殺人者が求める救い、罪人が望む贖いを、彼には瞬時に理解できてしまったから。
そしてソレは、かつて許されざる罪を犯し、そして自ら狩る側に回り、戦い続けた『記憶』のせいかもしれない。
あるいは。
フィルムへと戻すなら自分の手で、という、その想いが不意に頭をもたげた為なのかもしれない。
「―――っ!」
彼の豪腕が、そこから伸びる獰猛な爪が、空で捉えられた青年の心臓を貫き、天へと高くその身体を掲げる。
ごぼり。
吐き出された血液のカタマリが、腕を塗らす。
どうしようもない苦痛に眉をひそめながらも、彼の目には、なぜか安堵と感謝の色が浮かんでいた。
見つめ合う。
ソレがどれだけの時間なのかは分からないけれど、ランドルフの中に罪の痛みが植え付けられるには十分過ぎるほどだった。
口いっぱいに広がるソレは、後悔の味によく似ている。
「……つた、えて」
「え」
最後の息を吐き出すように、彼は小さくかすかに震えながら、ランドルフを、カラスを、明日を、真琴を見、言葉を紡ぐ。
「……先生に、ごめんなさい、って、伝えて……」
そして。
鮮赤に染まった彼の姿は、わずかな飛沫とともに乾いた音を立てて一巻のフィルムに変わった。
ムービースターの、あるべき最期の瞬間。
この街の絶対的ルールに則った、ムービースターとして生まれたものの運命の末路がそこにある。
その事実を、事件の結末を、4人は静かに見つめ続けた。
はじめに行動を起こしたのはランドルフだった。
彼はそっとフィルムを拾いあげ、明確なカタチにはなりそうもない『想い』にひたる。
「結局、私たちに彼の心を救うことはできなかったのしょうか」
「……わからない。けれど、アナタの手に掛かることを望んだのは、確かに彼自身よ」
明日のその言葉は、たぶん、気休めでも慰めでもなく、彼女と彼にとっての真実なのだろう。
そこへ、不意に電子音が割り込んできた。
パルがゴソゴソと動き、明日のカバンから明滅する携帯電話を押し上げた。
彼女は画面を見るまでもなくソレに出、二言三言会話して、すぐに切ってしまった。
「……明日君、誰から?」
言葉すくなに、カラスが問う。
「……同僚から。警察署内に安置されていた5人の被害者も、プレミアフィルムになったそうよ」
「それじゃあ?」
「ええ。彼らもまた、『ムービースターとしての正しい死』を迎えられたということになるわ」
「……彼の死で、正常な状態に戻ったということですよね? でも、じゃあ、どうして」
真琴が口にするのは、当然の疑問だ。
「そういう能力を彼が持っていた、ということなのかもしれませんけど」
「ムービースターに『死』を与え、触れるモノの中に『消滅』の記憶を揺さぶり起こす能力、か……」
カラスはランドルフの手に収まるフィルムに目を向ける。
ソレは、いつもの、度々目にしてきた『ムービースター』の見慣れたカタチでしかなく。
ただひとつ違っているとすれば。
フィルムの前面に大きく『Delete』と記された紙が一枚、ナナメに貼り付けられている点だけだ。
それもすぐに、塵となり、風に吹かれて消えてしまったのだが。
「……そういえば、先生って誰だったんでしょうか?」
どこかで引っ掛かっていながら、結局確かめ切れずにいた疑問を思い切ってランドルフは口にする。
「彼がすがった『先生』……たぶん、医者、それもカウンセリング関係じゃないかとは思うのですが……」
遺言を自分は預かった。
ならば、彼の言葉を伝えるべき相手を探し出さなくてはいけない。
「……調べてみるわ。多分、簡単に分かると思う」
その明日の言葉は、数日後、対策課を通じて3人の元に、『現実』となって届くこととなる。
*
明日からの連絡で指定された場所は、銀幕市立中央病院――5棟からなる銀幕市最大規模の病院の、その中央ラウンジだった。
ガラス張りの天窓から、日光が優しく降り注ぐ。
解放的で明るい、まるでお洒落なカフェテラスのごとき場所で、彼らを待っていたのは白衣の男だった。
年は30を越えたところだろうが、実際にいくつなのかは分からない。眼鏡すらも一種のアクセサリーに思える彫刻のように整った顔から年齢を推し量るのは難しそうだ。
「この人が、あの青年について話をしてくれるそうです」
明日の紹介に合わせて椅子から立ち上がり、優雅に一礼する。
「はじめまして」
医者というよりはむしろ芸術家か詩人と呼びたくなる線の細い精神科医を前に、思わずカラスが呟きをもらす。
「あなたは確か、ドクターD……【ENDLESS RED】シリーズの」
「ああ、わたしの名を知っていてくださるとは光栄ですね。有難うございます」
異能者たちが跋扈する架空都市の犯罪を取り締まる特別組織。そこで主人公たちへ常に犯人の心理状態や行動原理を示し、事件解明の糸口を見つけ出す参謀兼相談役の精神科医がそこにいる。
名を当てられた彼は、はにかんだ笑みを浮かべ、そして席を勧めた。
「さて、どこからお話を始めたらいいのでしょうか?」
全員が腰掛けるのを待って、ドクターはそう切り出した。
語るべきことも話すべきことも、彼は十分に抱えている。
けれど、口にできるものはごく僅かだ。
「すみません……その前に、よろしいでしょうか?」
「はい、なんでしょう?」
「その……実は先生宛の遺言を、彼から預かっておりまして」
やわらかな眼差しにどぎまぎしつつ、ランドルフは何よりもまず伝えなければならないことを口にする。
「遺言、ですか」
「ごめんなさいと、そう先生に伝えてほしいと彼は言っていました」
「……そう、ですか……」
目を伏せ、しばしその言葉の余韻に浸っているかのようだった。
「ドクター、もし差し支えなければ教えてくださいませんか? 何故彼は殺人鬼になってしまったんでしょうか? そこに至るまでに一体何が起きたんですか?」
そう問いかけるカラスの目は、自分自身の内側へと向けられている。
頭の中のリミッターが外れることで、別人になってしまう自分。
殺人鬼となった青年の悲鳴は、まるで自分自身であったかのように強く、抉られた傷として深く胸に残っている。
「流鏑馬さんからも同じ質問を受けたのですが、どう説明すべきか迷いますね」
組んでいた指を解き、彼はわずかに首を傾げてカラスを見る。
「……例えば、取島さん。あなたのように、もうひとつの顔を自分自身の中にしまい、コントロールできるようになるにはある程度の訓練が必要となるでしょうね」
「え」
「拝見しておりますよ、銀幕ジャーナルを通して」
不意打ちに驚くカラスに淡く微笑みかけ、さらりと種明かしをして見せてから、ドクターはゆっくりと、今度は祈るように両手を組んで、テーブルの上に置く。
「ヒトの心は、時にほんのわずかな衝撃で脆くたやすく壊れてしまうのです」
憂いを含んだ彼の表情は、青年の死を悼み、自らの力及ばなかったことへの懺悔で覆われていた。
「彼は記録映画から生まれた存在でした。だからこそ、限りなく役者本人であったわけです」
「それは、確かにそうかもしれません……」
あの時のことを思い返しながら、真琴が相槌を打つ。
彼は、ムービースターであるという事実にすら、許しがたいモノを感じているようだった。
「そして、自分という存在に耐えられなかったのだと思います……既にここにはいないはずの自分が存在しているということにも、そして、何人もの『自分』と一緒に存在しているという事実にも、心が追いつかなかった」
だから彼は選んだのだ。
自分を護るために自分の存在を脅かすものの消滅を願い、自分が自分であるために、自分は自分でしかないのだと信じ抜くために、自分自身を殺し続けた。
そうしなければ、自分が消えてしまうと思いこんで。
この強迫観念が彼の心をがんじがらめにし、狂わせ、ついには殺人へと駆り立てたのだろうと、精神科医は分析する。
「……それが、殺人衝動になるなんて……」
可哀相な人だと、ランドルフは思う。
面と向かって彼に、それを告げたりはしなかったけれど、哀しくなるほどに彼の在り方に同情を覚えずにはいられない。
「彼はムービースターを憎んでいた。けれど、アナタにはすがった……この矛盾はどう解釈すればいいのかしら?」
感傷に浸る者たちにさりげなく気を遣いつつ、明日は質問をはさみこむ。
「それは……人間である自己を憎みながら、その実、憎しみの裏側にある感情によって自分を護ろうとする本能と同じ原理なのかもしれません」
「……よく、分からないわ」
「では、別の表現をするなら……そうですね、彼は本当は誰よりもずっと強く、ムービースターという存在に想い入れがあり、そして、救われたがっていたのだと思います」
だから、最後。彼はカラスに襲い掛かりながら、ランドルフの攻撃を、ムービースターの手による『贖罪と粛清』を、望み、叶えた。
分かるような分からないような解釈をすっかり呑み込む気にはなれないが、もしかするとドクターにも、そして湊マサユキ自身にも分からない、なんらかの精神的作用があったのかもしれないと考え、納得することにした。
自分自身の心すら、すっかり理解できるものなどいないのだから。
明日は短く礼を言い、質問を打ち切った。
「もしまた何かありましたら……例えば今回のような事件の際にお声を掛けていただければ、多少はお力になれるかと思います」
そして、と医者は続ける。
「そして、もし彼の行動を生み出したモノを発見できたとしたら、その時は対策課を通じ、こちらからご協力をお願いするかもしれません」
そういって深々と頭を下げるドクターに、
「……あの、もしその時が来たら、こちらこそ、よろしくお願いします」
真琴をはじめ、全員が揃って頭を下げた。
ラウンジに注ぐ優しい光。
けれどあの青年の心はこの光に癒されることなく、そして道を外れた。
彼を脅かした消滅の恐怖。
自分たちをも巻き込んで弾けた、罪の記憶。
それを抱え込み、けれど抱えきれずに斧を振るうこととなった彼の悲痛な叫びが、そっと胸に刻まれる。
膨れ上がった心の闇。
彼を蝕んでいたものは、あの衝動と悲劇と能力の大元は、本当は何であったのか。
解けきれずに残った謎の答えを探しながら、4人は、安全を約束する白く清潔な箱庭と、そこで導く者に別れを告げた。
END
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クリエイターコメント | はじめまして、こんにちは。高槻ひかるです。 この度は連作キャンペーンシナリオ【死に至る病】第1弾へのご参加、誠に有難うございます。 今回は『斧を振るう殺人鬼』との対峙だったのですが、血みどろバトルというよりはむしろ内面描写をメインとした形となりました。 どちらかと言えば派手な陰惨さではなく静かなダークさではありますが、少しでも楽しんでいただければ幸いです。
>取島カラスさま 2度目のご参加有難うございます。 不安感や思いをメインにしたプレイングを拝見し、真摯な姿に胸を打たれまして。 自由に動かしてよいとのお言葉に甘えまして、地味にいろいろネタを仕込ませて頂きました。 そして今回は、戦闘要員ではなく、むしろ理解者としての説得メインな役回りとスタンスでお届けすることとなりましたがいかがでしたでしょうか? カラスさまを支えるご友人の皆様方にもよろしくお伝えくださいませv
>山下真琴さま 罠の仕掛け方がシンプルかつ効果的で、思わず『なるほど…』とうなってしまいました。 月夜見神社の戦う巫女さまということで、符術なんかもありかしらとか、こういう術の使い方も出来るかしらとか思いつつ、ドッキドキしながら書かせていただいたのですが。 少しでもイメージに近い描写となっておりましたでしょうか? そして、真琴様の持つ可愛らしさとクールさとがうまく表現できていればよいなと思っております。
>流鏑馬明日さま 刑事としての立場や考え方をプレイングに織り込んでくださり、とても楽しく、そして興味深かったです。 そのため、ご職業の強みを活かす形で情報収集し、確固たる意思をもって犯人と対峙するスタンスとあいなりました。 恋愛映画が好きだという明日さまの可愛らしい一面や、パルとの掛け合いがあまり書けなかったのが心残りではありますが、潔癖さや毅然とした強さを持ったカッコよさが出ていればと願っております。
>ランドルフ・トラウトさま 優しい視点と気遣いの表れるプレイングを有難うございました。 能力についていくらか拡大解釈をさせていただいた点もあるのですが、結果としてランドルフさまにはかなり肉体労働(?)を担当していただくことになってしまいました。 しかも、最終的に一番辛い役回りとなってしまったのですが、記念となる初依頼が少しでも心に残るものとなっていれば嬉しいです。
それではまた、銀幕市のどこか、あるいはこの連続する事件のいずれかでまた皆様とお会いできる日を楽しみにしております。 |
公開日時 | 2007-03-09(金) 23:30 |
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