★ 【サクラサク】ニーズヘッグは桜色 ★
<オープニング>

 銀幕市自然公園の芝生広場で催されたお花見は、いろいろあったが、とりあえず死傷者は出ずに幕を閉じた。地球の自然を知らず、宇宙と人に保護された動植物しか知らない黒衣の司令官にとって、その数時間だけでも充分に有意義であった。
 マルパス・ダラィエルは、花見の間、現実ではあるまじき巨大さの桜を飽かず見つめ、広場の一画に設けられた派手な宴会場を眺めていた。
 個性的なムービースターやムービーファンばかりが集まって一芸を披露したら、どういうことになるか――はじめからわかっていたが、結果はマルパスや他の参加者の想像のはるか斜め89度上を行っていた。
 しかし、それが魔法をかけられた銀幕市というものだ。
 人の生命に危険が及ぶような騒動ではない。
 唖然としてはいたものの、マルパスは基本的に、花見の様子を微笑を浮かべて見つめていた。

 ぽとり。

「……?」
 ぽとり、ぽた、ぼたぼた。
 宴もたけなわを超えて、植村をはじめとした対策課や、有志が後片付けを始めたときだ――巨きな桜から、黒いものが降ってきたのは。
 マルパスは最初、桜の実だろうかと考えた。しかし、花が咲いてからすぐに実などできるだろうか。黒衣の司令官は、落ちてきたものを拾い上げた。
 毛虫だった。
 あちこちから、主に女性の、絹を裂くような悲鳴がこだまする。宴が終わるのを待っていたかのようなタイミングで、桜の枝から黒い毛虫が落ちてきていた。
 しかしマルパスは、毛虫を見るのも触るのも初めてだったので、手袋をはめた人差し指と親指と毛虫をつまみ、「ふむ」と呑気に相槌を打った。

 ざわ……。

 桜の花びらが、広場の空気を満たす。視界と風は桜色に埋まる。桜を見上げたマルパスの目が、ふとするどくなった。枝が揺れていることに気がついたのだ。あの、むせかえるような桜色の中に、何かがいる。何かがこの巨大な桜の枝を揺さぶり、花を散らしているのだ。
 それだけなら、まだよかった。
 マルパスが見守る中、枝の揺れや、生じる音は大きく、荒々しくなっていく。とうとう、樹の悲鳴が聞こえた。ばきべきと無残な声を上げ、太い枝が、落ちてきた。桜色の血が、広場中に飛び散った。
 花見の参加者が、巨大な桜を見上げ、落下する枝から逃げる。毛虫と違い、この落下物は危険だ。桜が、あまりに大きすぎるから。揺らぐ枝と桜色の向こうで、何やら、黒いものがうごめいているのが見えた。得体は知れないが、桜同様、巨大なものだ。
「世界樹に咬みつき、枯らさんとする者」
 マルパスは呟く。
「ニーズヘッグ。貴様がそこに、いるのだな」


 マルパスは宴の中で、言っていた。
 この桜のあまりの大きさに、圧倒されていると。けれども、なぜこれほどまでに大きいのか、真相を知りたいという野暮な気持ちもあるのだと。
 見たこともなかった花を知り、護りたい。
 桜色の血に染まっていく広場で、軍人は、戦いを決意した。

種別名特別シナリオ 管理番号94
クリエイター諸口正巳(wynx4380)
クリエイターコメント銀幕自然公園でのお花見、楽しんでますか、楽しめましたか。あんまりにも大きな桜の木には、ものすごく大きな何かが潜んでいるようです。
動植物には疎いのに神話には詳しいマルパス司令は、桜を苦しめる「何か」をニーズヘッグと名づけました。
桜は大きく、太い枝が某CMの気になる木ばりに広がっているので、登ることが可能です。花が満開なので、地上からはニーズヘッグの姿をはっきりとは視認できません。
マルパスは巨きな桜に登り、ニーズヘッグを何とかしたいようです。どうか皆様、御助力願います。
きっと、夜には片がつくでしょう。
もちろんマルパスは、夜桜も見たことがありません。……実は、諸口も(笑)。

※募集期間が短めです。ご注意ください。

参加者
太助(czyt9111) ムービースター 男 10歳 タヌキ少年
八之 銀二(cwuh7563) ムービースター 男 37歳 元・ヤクザ(極道)
バロア・リィム(cbep6513) ムービースター 男 16歳 闇魔導師
沢渡 ラクシュミ(cuxe9258) ムービーファン 女 16歳 高校生
クレイジー・ティーチャー(cynp6783) ムービースター 男 27歳 殺人鬼理科教師
刀冴(cscd9567) ムービースター 男 35歳 将軍、剣士
ティモネ(chzv2725) ムービーファン 女 20歳 薬局の店長
梛織(czne7359) ムービースター 男 19歳 万事屋
<ノベル>

■なんかいろいろたいへんだったらしいですね■


 花見の席で繰り広げられた一芸披露大会は、対策課の意図を大きく外れて、阿鼻叫喚の光景が繰り広げられることになってしまった。対策課としては、皿回しやものまねやのど自慢程度のものを披露してもらえるだけでよかったのだ。しかしここは魔法をかけられた銀幕市だったので、そんな生ぬるいオーソドックスで使い古されたカビくさい展開なぞ望めるわけがなかった。
 爆発とかした。
 みんな踊ってたりした。
 男性が女装とかしてた。
 結婚した人もいるらしいぜ。
 というわけなので、渦中の真っ只中の世界の中心にいた八之銀二などは、心に一生消えない傷を負ってしまい、ニーズヘッグとの戦いが起こる前から瀕死だった。性格がアレな感じのクレイジー・ティーチャーも、彼的に許せない展開になってしまったようだ。太助と梛織と刀冴もヒドイ目にあったが、銀二よりはキャラが壊れなくてすんだだろうと自分を慰めている。バロア・リィムもいろいろやられたはずだが今は酔っ払って箱に詰められていいきもち。沢渡ラクシュミとティモネは、そんな男性陣の悲劇をあまり見なかったことにしていた。桜とっても綺麗ですね、ほんとそうですねうふふ。

 黙示録は終わりを告げ、黒い毛虫のあられが、しあわせな喧騒を締めくくった。



■桜の腕■


 ばらばらぼたぼたと落ちてくる毛虫が苦手な者は、すでに逃げ去っていた。薄紅の血飛沫を散らす桜の下にいるのは、毛虫に恐怖心は抱かず、桜の巨木を案じる者だけだ。
 ティモネなどは、なぜか黒い毛虫を捕まえて、口に持っていこうとしていた。やめろ腹こわすぞ、と太助が慌てて白い女を制止した。
「アオタケが美味しそうに食べてたから、つい」
 ティモネは笑顔で、ハーブカラーのバッキーを抱きあげた。
 黒い毛虫と花びらと枝が降るのは、密集する梢の上で、何かが這いずっているからだ。梛織は銀の目をすがめ、地上から、桜を侵すものを見極めようとしていた。傷つけられていても桜の枝と花びらはまだ多く、黒く大きいものであるということしかわからない。地上から7メートル以上は高いところにいるだろうか。
「なんだ……あれ。ずいぶんでけぇぞ。大蛇……か?」
「大蛇であれば、まさしくニーズヘッグだな」
「司令は、何か知ってるんですか?」
「あれ、ラクシュミ嬢! あぶねぇから帰ったほうがいいって。送ってくぞ?」
 バッキーを抱えてマルパスのそばに歩み寄ってきた少女は、ラクシュミだった。彼女はもう帰っていると思っていた梛織は、ぎょっとしてラクシュミの言葉をさえぎってしまった。
「ありがとう、梛織さん。でも、桜のこと、気になるから……。毛虫はハヌマーンが食べてくれるし、大丈夫」
 彼女の腕の中のバッキーは、よく見ると、もぐもぐ口を動かしていた。毛虫は現実のものではない。そして大きさもさほどのものではないので、1匹や2匹食べたところではバッキーも満腹にはならないようだ。
「私が持っているサクラの知識は、諸君が持っているものよりもはるかに少ない。ただ、あの上にいるものが、サクラに損害を与えていることは確かだ。……このサクラは現実のものではないだろうが、私や諸君に素晴らしいひとときを与えてくれた。危害を加えられているなら、救ってやりたい」
「そうだな、こんだけ楽しませてくれたんだ。ほっとくわけにはいかねェよ」
 刀冴は小さく笑って、肩をならすと、愛剣を担いだ。そして、ちらりと横目を銀二に向ける。
「なァ、兄弟? ……お互いひでェ目にも遭ったけどな」
「何のことかな、兄弟」
「おいおい、まさか『銀子』のこと忘れようとしてるんじゃ――」
「がぁーッ!! わぁーッ!! なんだろうっ、俺すっごく木に登りたぁーいッ!!」
 刀冴がある名前を呟いた途端、銀二は豹変し(いきなりブッ壊れたとも言う)、両手を上げて大樹の幹まで猛突進した。剣を担いだまま棒立ちの刀冴の足を、太助が蹴った。
「なんでそっとしていてやんねーんだよ! ひでーヤツだなおまえ!」
「……ああ、そうだな。『上』で謝る……」
「桜にのぼるんだな。よっし、んじゃ俺先に行ってるぜ!」
 ロープを腰に巻きつけた仔ダヌキは、ぶるると身体を震わせて、巨大な桜の根元まで走った。すでに銀二がよじ登り始めていたが、仔ダヌキはまるで幹を走るかのようにするすると登り、あっと言う間に銀二を追い抜いた。タヌキはイヌ科だが、木登りが得意な動物だ。
「お、速ェ速ェ。兄弟、もっとちゃっちゃと進めよ! タヌキに負けてるぞ!」
「負けて当然だ! 俺は人間なんだぞ」
 太助と銀二につづき、愛剣を背負った刀冴も、桜の幹を急いで登り始めた。急いだのは、太助と競争するつもりがあったからではない。義兄弟の手助けをしてやりたかったからだ。
 地上では、太助のロープが降りるのを待つ者が、桜色の天井を見上げていた。ときどき花びらと一緒に毛虫が落ちてくるので、油断はできない。
「俺も登れるけど、ありゃあのタヌキのロープ使ったほうが早そうだな。お姫様はどうします? 木登りしたいなら俺がエスコートしますよ!」
「……登ってみたいけど、ちょっと毛虫が気になる、かな……」
 太助の小さな身体は、すぐに桜色の奔流の中に潜りこみ、見えなくなってしまった。銀二と刀冴の姿も、完全に埋没するまでそう時間はかかるまい。
 味方が見えなくなった途端に、誰もが時間の流れが遅くなったように感じていた。固唾を呑んで、桜の悲鳴の沈黙の中、彼らはロープや合図が来るのを待っていた――。
「ハァーイ……ミンナそこで何してるのカナぁ……? ウフフフククククク……!」
 ずるっ、ずずず、ずるっ、ずずず。
 不気味な声と足音、そして何かを引きずる音に、誰もがゆっくり振り向いた。ひっ、と誰かが息を呑む。そこには、血まみれのブーケを手にしたネコミミつきの花嫁がいた。いやそれは新婦ではなかったしそもそも女ですらなかった。一芸披露の修羅場をくぐり抜けた、殺人理科教師の変わり果てた姿だった。
 彼はボロボロで毛虫まみれになったダンボール箱を引きずっていた。中には毛虫まみれの花嫁の死体が詰めこまれていた。……もとい、死体ではなかった。死体と見まがうほどぐでんぐでんに酔っ払ったバロア・リィムだ。
「あぁあ、くすぐったぁい……そこさわっちゃ、い・や・ぁ……イヒヒヒ」
 顔や身体を這いまわる毛虫を払いながら、花嫁バロアは夢心地。花見でしこたま呑んだのだ。
「銀子チャンはどこ行っちゃったのカナ? このコは銀子チャンのものナンだから、ちゃんと持って帰ってもらわないと先生困っちゃうんだヨネ。それで、話はチョットだけ小耳にはさんだんだけど、このチェリー・ブロッサムの上のほうにニーズヘッグってマルパスクンが名づけた黒い物体があってソレをみんなでブッ殺しに行こうって話になったって本当?」
「……ちょっと小耳に挟んだって程度じゃねぇくらい詳しくねぇか……?」
「Mr.クレイジー、そのドレス、とってもお似合いです」
「ウフフフ。死にたい?」
「いえ、それはちょっと。うふふふ」
 ティモネとクレイジー・ティーチャーの薄笑いが、桜の花びらの悲鳴すらかき消した。ラクシュミと梛織は同時に二歩ほど距離を取る。その場を動かなかったのはマルパスだったが、その冷静さがかえってあだになってしまった。
 クレイジー・ティーチャーが、のっそりとマルパスに歩み寄る。
「マルパスクぅン、ボクも協力するヨ」
「そうか。感謝する」
「司令、ちょっと冷静す……」
 ぎませんか、とラクシュミが何となく心配したのは、次の瞬間に起こる悲劇を予見していたためだろうか。
「チェリー・ブロッサムの上に!」
 がっし、とクレイジー・ティーチャーがマルパスの黒衣の襟首を掴んだ。
「ゥワァアープッ!!」
 マルパス・ダラィエルは確かにワープした。クレイジー・ティーチャーがほぼ真上に向かってブン投げたのだ。黒衣の司令官は、さすがに短く悲鳴じみた驚愕の声を上げていたようだったが、それもほぼ音速で遠ざかっていった。
 ちょ、と梛織とラクシュミがむなしく手を伸ばす。ティモネは笑顔で目の上に手をかざし、黒い弾丸を見送った。
 マルパスは花びらと枝の波を貫通し、桜色の只中に飛びこみ、埋没して、見えなくなった――。
「おー、行った行ったァ。ワープ成功だネ!」
「わ……ワープじゃねぇだろ、もっと安全に登る作戦があったんだよ、こっちには!」
 梛織がすかさずツッコミを入れた次の瞬間、弾丸マルパスがへし折ったものと思われる枝が、ばらばらと降ってきた。とりわけ太い枝が、バロアの眠るダンボールの中にポケットした。「ぎゅ!」という奇妙な悲鳴が上がる。
「バ、バロアさん! 大丈夫?」
「う……うぅう、朝れすかぁ……はぁい起きますぅ……バロナちゃんいま起きますからぁ……だからそこさわらないでぇ……ううううう」
 ラクシュミの心配をよそに、バロアは枝の直撃による怪我などは負っていなかった。ただ、深刻なほど酔っ払っていた。井戸から出てくる某怨霊のように、白いドレスのバロアが、づるづるとダンボールから這い出る。毛虫と花びらと酒の匂いにまみれた彼は、ぎこちない動きで起き上がり、のろのろと巨きな桜を見上げた。
「あれぇ……なんか、いるの……? なんか、いらっしゃるんれすかぁ……? 桜の、上に……」
「遅いよ、話に入ってくんのが」
「ぢゃあバロナ、ちょっと見てきますわぁ。おほほほ……ケケケケケ」
 酔いどれ花嫁の背中に、黒い非物質の翼が生えた。ふらふらと危なっかしく蛇行しながら、バロアも木の上に、桜色の中に消えていく。
「おーい、ロープ垂らすぞー!」
 そのとき、太助の声が花びらの渦の中から落ちてきた。



■巨きな桜の木の上で■


 あれは……、なんだ。

 白に近い無数の薄紅が集まって、視界のほとんどは桜色。枝の茶色も幹も茶色も見えないわけではないが、辺りは心地いい一色だけに埋め尽くされているように思えた。酔って眠ってしまいそうな春の香りが、肺の中を一杯に満たす。
 ああ、そんな、天国だというのに……。

 あれは、あの、黒い巨大な生物は、なんだ。

 ガリガリと音を立てて、ニーズヘッグは枝に牙を立て、その樹液をすすっているようだった。その長い体躯が動けば、細い枝と花は蹂躙され、血飛沫を散らして落ちていく。
「桜が巨大化してンなら、毛虫も巨大化してるってわけか」
 銀二がそう呟くまで、彼らはなかなか気づかなかった。それが、毛虫だということには。あまりに大きすぎて、毛むくじゃらの大蛇のようにしか見えなかった。
 ニーズヘッグは視界のガンだった。あれさえいなければ、きっと見渡す限り、一面の桜色で――まるで波打つ桜色の海原にさえ見えるだろう。しかし、黒い巨大な毛虫は、その美しい夢の光景に水をさしている。毛虫には牙があり、6つの目があり、何対もの脚があった。あれが昆虫の幼生であるならば、本来の脚は3対しかなく、余分はかりそめの付属脚だろう。
 あれが、昆虫と呼べるものであるならば。
 果たして、そうだろうか。
 毛虫の毛の間からは、ぞろぞろと絶え間なく黒い毛虫が這い出してきているのだ。ニーズヘッグをそのまま小さくして、毛虫にあるべき大きさにしたかのような毛虫どもは、かれの子供たちなのか。一体何のためにかれは生み出しているのだろう。
「綺麗な桜を……返してもらわないと」
 太い枝の上に、ティモネはすらりと立っていたが――いつ、どこから持ち出したものなのか、彼女は黒い大鎌を手にしていた。
「私の、思い出。思い出なんですから」
 ガリ、
 巨大な毛虫の、咀嚼が止まった。
 ティモネの殺気に気づいたのかもしれない。カカカカカ、と奇妙な音を立てながら、ニーズヘッグがコブラのように首をもたげた。
「お、やる気か!」
「おい、待て。足場が悪いんだ、無茶するな」
 刀冴が明緋星を構えて笑むと、銀二がすかさずその横に立った。彼が軽く前を蹴ると、桜の花びらの『壁』が、ぼはりと散った。視界が開け、ニーズヘッグの姿がはっきりと浮かび上がる。梛織がラクシュミの前に一歩出た、そのとき――
 桜色の上空から、黒いものががさりどざりと派手に落ちてきて、ニーズヘッグの脳天にぶつかった。大毛虫はへんな悲鳴を上げた。落ちてきたものも呻き声を上げた。
「あ、司令じゃん!」
 クレイジー・ティーチャーが高く放り投げたマルパスが、今ごろ落ちてきたのだ。彼は一体どのくらいの高さまで飛んでいたのだろうか、と誰もが呆気に取られた。実際には、木のてっぺん近くに今まで引っかかっていて、枝が折れたために落ちてきただけなのだが。
 ニーズヘッグの毛だらけの頭でバウンドしたマルパスは、体勢を整える暇もなく、今度は地上めがけて落ち始めた。
「やっべぇッ、落ちるぞ!」
「危ねぇ!」
「くそッ!」
「冗談じゃ……!」
 太助が走り、銀二が手を伸ばし、刀冴は反射的に銀二のベルトを掴んだ。刀冴の足を梛織が掴んだ。
「アレレ? なんか大ピンチ? しかもひょっとしてボクのせいだったりする、カナ?」
 クレイジー・ティーチャーは呑気に見守っていた。
 銀二の手はマルパスの黒衣の裾を掴んだ。
「……!」
 マルパスの軍帽だけが、地上に落ちていく――
「く、くそ、重い、し、くすぐってぇ、し……!」
 さすがに男性三人分の体重を支えるのはつらい。しかも、幹にすがりついている梛織の手の上を、ぞろぞろと毛虫が這っていた。
「ハヌマーン!」
 ラクシュミがバッキーを放し、梛織の身体を支えた。シトラスカラーのバッキーは、梛織の手と頭を這う毛虫をぺろりと平らげた。
「ま、守んなくちゃ、いけねぇ、人に、助けられ、てちゃ……」
 汗を流しながら、梛織は苦笑いした。
「カッコ、つかねぇ、なぁ」
 梛織に足を掴まれている刀冴も、必死だった。梛織ひとりに負担をかけさせるわけにはいかないが、銀二は体格がしっかりしているぶんかなり重いのだ。
「き、兄弟、離すなよ!」
「あァ、心配しなくたって離さん! 絶対離すか! くそッ!」
「司令! 手、伸ばしてください! 兄弟に手を!」
 銀二はもう片方の手を伸ばして、マルパスの足を掴んだ。
「八之君、もういい、……離せ!」
 マルパスは設定上冷静だった。パニックに陥って暴れないだけ、ましかもしれないが――それでも危機的状況だ。銀二と刀冴は、力みながらぞっとしていた。マルパスが手を伸ばさない理由がわかったのだ。
 彼は右腕を怪我している。出血を左手で押さえていた。折れているのかもしれない。
「嫌だ! たとえあんたの艦の乗組員だったとしても、お断りだ!」
 だが、邪龍の名をつけられたあの毛虫は、
 この状況を理解していたのか。
 それとも、脳天を一撃したものに復讐するつもりだったのか。
 ティモネとクレイジー・ティーチャーが睨む中、どすん、と幹に体当たりした。桜の大樹が、大きく揺れた。

 落ちる瞬間は、声すら出なかった。

 しかし、5人の落ちた先は、芝生の上ではなかった。ぼふん、というやわらかい感触と生物の温もりだ。しかも、そのやわらかな衝突は、枝から落ちてからすぐに訪れた。
『ま……、ま、まにあったあああ……!』
 ぜえぜえという息遣いが、5人の下から聞こえてくる。ばふう、とため息をついたのは、怪獣ばりに巨大化した仔ダヌキ。桜から落ちた5人は、太助のふかふかな腹の上に転がっていた。
「た……、助かったっぽいな……」
「あ、あの、梛織さん」
「あ!」
 ラクシュミの困った声が耳元から聞こえてきたことに驚いて、梛織ははじかれたように身を引いた。落下の瞬間、とっさにラクシュミを抱きかかえていたのだった。
「あー、命拾いした。太助、どうもな」
「諸君、怪我はないか?」
「怪我人が言うことじゃないだろう」
「私のことはいい。……まだ3人、木の上に残っているのか」
「よりにもよってあの3人か。桜も無傷じゃすまねェだろうなア」
 落ちてこなかったのは、大鎌のティモネ、クレイジー・ティーチャー、酔っ払いのバロア。ニーズヘッグを倒すだけなら充分だろう。ただし……、桜もろとも倒してしまう可能性が高いのだが。
 仰向けに転がったまま、太助も桜色の雲海を見守った。



■かじる蛇、のたうつ幼虫■


 幹に体当たりをしたニーズヘッグが、カカカカと音を立てながら、また鎌首をもたげた。その音は、牙がかち合っている音らしい。その円筒状の身体がうごめくと、黒い剛毛が波打って、邪悪なビロードのような光沢が浮かび上がった。
「Mr.クレイジー」
「ン? なにカナ?」
「桜を傷つけたくありません。暴れるなら、地上で……」
「ンー、ラジャ! それじゃア、叩き落そう! バロナクン、手伝ってヨー!」
 ブーケを振り回しながら、ネコミミ花嫁が大声を上げた。桜色の空の中を、泥酔中のバロアは相変わらずふらふらと飛び回っている。酩酊の中で、花嫁姿の魔道師は、クレイジー・ティーチャーの要請を何とか聞き取っていたようだった。
「はぁーい、やりまぁああす。やりまぁあああ――」
 ろれつも回っていないのに、
「すッ!!」
 バロアは魔法で衝撃波を飛ばしてみせた。
 だが、ろれつも回らないほど酔った状態というのは、魔法を放つのにふさわしい精神状態とは言えなかった。
「Oh!」
「あ」
 カカカカカッ!
 ぼわっ、と爆ぜるように飛び散る花吹雪。ニーズヘッグもクレイジー・ティーチャーもティモネも、魔の波をまともに食らって吹っ飛んだ。桜の枝も、相当数が折れたようだ。黒い翼で浮いているバロアさえ、自分が放った魔法のあおりを受けて、無数の花びらと一緒に空中で一回転した。
「どぅああああー、回さないで! あー酔いが回っちゃいますわー! ぁー」
 巨大な毛虫も、3人も、仲良くそろって落ちていく――。
「げ」
 桜色を見つめていた巨大仔ダヌキが、目を見開いていた。
 その顔面に落ちたのは、巨大な毛虫だった。
「ぶえっ!」
「あァ太助、動くな!」
 銀二が酷な命令を出した。その直後、太助の胸の上に、ティモネとクレイジー・ティーチャーと酒くさいバロアが落下してきた。太助の顔面に落ちた毛虫は、勢いあまって芝生の上に転がった。
「い、いってぇえ! ぜったい鼻血出るぞ鼻血ィ!」
「ィヤッホォォォオーイッ!! これで心置きなく殺せるじゃナイ! ヒヒヒヒャハハハァッハァッハァー!!」
 落下のショックなどものともせず、クレイジー・ティーチャーは太助の腹の上から滑り降りて、ハンマーを振り上げながら毛虫に走り寄っていった。しつこいようだが彼はネコミミつき花嫁姿だ。正気の沙汰とは思えない光景だった。
「ううぅ、お手伝い……気持ち悪い……でもお手伝いしますわぁ……」
「いや、しなくていい。お前はよくやってくれたから、もう何もしなくていい」
「あ、あぁ、銀子さん……」
 銀二が渋面で酔っ払い魔道師を制止し、ダンボールの中に詰めこんだ。


 魔法の衝撃と落下の衝撃を受けて、毛虫はカカカと呻きながら悶えていた。黒い毛には、桜の花びらがこびりついていた。
 がヅり、とその複眼のひとつにハンマーが突き刺さる。
 ぶズり、とその脳天に大鎌が打ち込まれる。

 カカカカッ、カッ、カカッッ!!

「嫌な、思い出に……しないでください……」
 ティモネは顔に張りつく髪も花びらも、払いのけようとはしなかった。毛だらけの頭に打ち込んだ鎌を、力をこめてひねった。ねじった。傷口からは、異様なオレンジの液体と、黒い小さな毛虫がぞわぞわと流れ落ちてくる。
 ティモネの美しい顔が、そのオレンジの飛沫で汚れた。クレイジー・ティーチャーが、渾身の力でハンマーを振り下ろしたのだ。

 カ、

 ニーズヘッグの身体は激しくのたうった。痙攣しているようだった。強張っていたその身体が、ゆっくりと無言でのびていく。
 ざわわざわわと、桜の枝から、花びらの驟雨が降ってきた。
「わァ。ファンタスティック」
 頭上をあおいだクレイジー・ティーチャーが、からからと喉の奥で乾いた哄笑を転がした。ティモネはうつむき、桜色の雨から目をそむけ、醜い毛虫の死骸を見つめていた。花びらはニーズヘッグの死骸の上に降り積もっていく。黒い身体が、埋もれていく。だが、花びらの渦の間からは、いつまでもその黒い毛の先が飛び出していて、その姿が完全に隠れることはなかった。
「桜は嫌いです……」
 ティモネは、微笑を浮かべて呟いた。



■神の秩序■


 やれやれ、終わった――。
 誰もが桜雨を浴びながら、芝生に降り立ち、ため息をつく。そして、広がる光景に目を奪われていた。空はすでに夜の黒。それを埋めつくそうとしているかのような、桜の花びらのあらし。まるでこの世のものとは思えない。語るにふさわしい言葉も見当たらない。駆け抜ける涼しい風にさえ、桜色の軌跡が残る。
 いつものサイズに戻った太助は、ぶるると身体を震わせて、毛並みにはりついた花びらを飛ばした。しかし、雨はやんでいないから、いくらはね飛ばしても、太助の毛は桜まみれのままだった。
 ラクシュミのバッキーは、もぐもぐと毛虫を食べつづけていたが、不意にぴたりと咀嚼を止めて、じっと巨樹の根元を凝視した。ラクシュミはその視線を追った。
「あ……」
 誰かが立っている。枝や毛虫が落ち始めてから、桜の下にいた人々は避難して、この場に残っているのは自分たちだけだと思っていたが――。
(闇に目をそむけたのは、あなたたちですね)
 降りしきる桜色の雨のせいで、桜の下にいる人物の容姿はよくわからない。だが、その声は聞こえたし、どうやら女性であることは何とか把握できた。
(わたくしは、『ラグナロク』という映画に登場した世界樹です。マルパス・ダライェル様。あなたの強い願望の影響を受けて、桜になってしまいましたけれど)
「じゃあ、あんたは、ムービーハザードじゃなくて、ムービースターだったのか」
(いいえ、あなたがたのようにはっきりした形は持っていません。そんなに練りこまれた設定を持っていなかったからかしら……マルパス様の願望に染まってしまったのも、こうしてすぐに消えてしまうのも……)
「……私は、闇に目をそむけたつもりはなかった。ただ、きみを救いたかっただけだ」
 戸惑ったように桜を見上げながら、マルパスは言った。
 ざああああ、と花が激しく降ってくる。枝という枝がかぶりを振ったかのように見えた。
(よくあるたとえです。白鳥なのです。水面に浮かんでいる姿は優雅でも、水面の下では流れに逆らうために激しく水をかいています。桜も同じ。美しいけれど、枝の間に無数の毛虫を飼っているのです)

(夢も同じ)

(すべてはバランス)

(美しい光の裏には恐ろしい闇があり、世界のバランスが保たれているのです)

「む、むむむ?」
 子供にはすこし難しい話だった。太助は桜を浴びながら首を傾げる。
「……すまん、なにが言いてぇんだ?」
 梛織は眉をひそめた。
「毛虫を殺っちまったら、まずかったのか……?」
(あれは、わたくしの闇でした。わたくしという存在のバランスを保つための……)
 皆、息を呑んだ。
 桜の樹が、消えていく。幹や枝まで、その茶色と緑が混じった色を、桜色に変えながら。まるでそれは、花びらで編んだレースを、するすると誰かがほどいていくかのようだった。
(さようなら、銀幕市の皆さん。わたくしのことは、早く忘れてください。現実の桜は、まだ始まったばかりなのです。……でも、忘れないで。世界のバランスのことだけは……)
 ざわ、
 ざ、
 ざはははははわわわわわ……。
(さようなら)


 毛虫の群れ、巨大な幹、那由他を超える花びら。血まみれのマルパスの腕に張りついていたものも、見えない風が消していく。
「殺してしまったな」
 黒衣の司令官は、呆然とした様子で呟いた。
「桜を殺してしまった……」
 刀冴は、尊敬してやまない司令官の顔を、黙って見つめた。言葉が見つからなかった。いつもマルパスの顔に影を落としている軍帽がないから、その灰色の髪も、焼け爛れた右目と額も、あらわになっていた。
 桜のあらしが、終わりを告げる。
 そして、銀幕自然公園にあるべき姿が戻ってきた。ライトアップされた桜は、夜の中に浮かび上がっていた。そう、嵐とその消滅に心を奪われてしまったが、まだ、現実の桜は始まったばかりなのだ。大雨でも降らないかぎり、あと数日はその桜色を楽しめるだろう。もう、誰もが、すっかり終わってしまった気持ちになっていた。
「うう、気持ち悪い……なんだこれ……僕に何が起こったんだぁ?」
 ダンボールの中から顔を出し、花嫁姿のバロアが呻き声をこぼした。手には、桜の枝を持っていた。さっきまで、杖のつもりで振り回していたのだが――。
「……?」
 バロアが見つめる中、その枝も、さらさらと桜色の飛沫になって消えていく。
 そう言えば、さっきまで芝生広場にあったはずの桜の大樹も見当たらない。
「……あー、頭がグルグルする……ううう……」
 手の中で起きた現象も、きっとアルコールが見せた幻覚だ。バロアはそういうことにして、また、ずるずるとダンボールの中に入っていくのだった。
「……綺麗だったね、桜。なんだか、私たち、知らないで悪いことしちゃったような気がするけど」
「でも、どっちみち消えるはずだったんだろ? ……そう思っといたほうが楽だぜ」
 広い芝生を眺めるラクシュミと梛織は、それきり、長いこと言葉を失った。
「また、桜の思い出ができました……」
 ティモネがぽつりと呟いた。どこにしまったのか、もうその手に鎌はない。


「えっと、マルパスクン」
 ネコミミ花嫁の姿は変わらず、しかしいつもよりしおらしく、クレイジー・ティーチャーはマルパスに声をかけた。
「そのケガ、ひょっとしてひょっとするとボクのせい、だヨネ? アイムソーソーリィだネ。ついついボクの身体のつもりでやっちゃったんダ」
「おまえさぁ、前は俺踏んづけていくしさぁ、もーすこし手加減してくれよ」
「いや……これは、私に架せられた罰のようなものだ。きみが気に病む必要はない」
「あ、俺、簡単に手当しますよ。でも応急手当ですから、あとで病院行ってください。……それから、夜桜でも見に行きましょう、司令」
 そう言う刀冴の後ろから、銀二が落ちていた軍帽を差し出していた。
 断ることはできないようだ。マルパスはうっすらと笑って、頷いた。




〈了〉

クリエイターコメント諸口正巳です。製作が遅れてすっかりギリギリでのお届けになってしまい、申し訳ありません。まだ北海道では桜が咲いていないので時期としては間に合っているつもりなのですが……、すみません。
ちょっと後味が悪いかもしれませんが、桜花の嵐の光景を想像して楽しめる作品になっていたら幸いです。お花見、なんかいろいろたいへんなことになってましたね(笑)。皆さんにとって、この桜イベントが楽しい思い出になりますように。
公開日時2007-04-24(火) 00:10
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