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<ノベル>
■ネズミが……8匹■
現実のピラミッドが抱く真実はべつとして、映画の設定では、ハムシーンのピラミッドは王の墓であり、宝物庫であった。そこに土足で足を踏み入れ、見つけたものを持ち帰ってしまった彼らは、所有者にとって墓泥棒のなにものでもないだろう。
だが探検家たちは、悪意を持ってこの墓に挑んだわけではなかった。見事なピラミッドがあらわれたとあれば、日本人の大概は写真に撮るだろうし、好奇心旺盛な者なら中に入ったり頂上まで登ったりしてみたいと思うのが自然だろう。
そして、ある意味では――。
この墓の主が起こした、嶋さくらの拉致や、銀幕市に呪いを撒き散らす行動も、悪意によるものではないのかもしれない。『ハムシーン』のファラオはヴィランズだった。設定にのっとって動けば、自然と、その行動は一般常識から言う「悪」になる。
しかし、銀幕市はえも言われぬ不安を抱えていた。
自らの設定を無視し、突然銀幕市を強襲したチョコレート・キングだ。
プレミアフィルムも遺さずに死んだ優しい王様の記憶は、いまでも件の戦いに関わった者の脳裏にこびりついている。焦げたチョコレートよりもしつこく、あの恐怖は離れない。
嶋さくらという大切な隣人を救わねばならない、という義務感の裏には、確実に、そんなかたちのない不安が根ざしているのだった。
しかもいまは、ナイトファントムという悩みの種も裏にある。悩みぬいて、彼らは仲間に怪盗を任せた。こうなれば、分岐点があったことを忘れて、自分たちが取るべき行動だけを考えなければならない。
「俺たちが呼んじまった騒ぎみたいなもんだしな。俺たちで後片づけしなきゃ」
「オフコース! さァ、気合入れてレッツゴー!!」
「危ねぇよ!」
クレイジー・ティーチャーはお気に入りの得物をぐぉうと振りかざし、自ら先頭に立って、ピラミッドに入っていった。梛織はクレイジー・ティーチャーの素振りで危うく頭をなくすところだった。殺人鬼は梛織に謝りもせず、ケラケラと笑いながら闇を進んでいく。
不死身のクレイジー・ティーチャーは、壁役を務めるのにうってつけだ。他のメンバーも、彼に遅れないよう、続々とピラミッドに入っていった。
仔ダヌキの姿の太助は、ぶるるとその茶色の体躯を震わせた。
「うー、怖かった。アイツ、目が笑ってなかったぞ」
「いつもだろ?」
「……ほら、さくらは綺羅星学園でしょ。CTにとっちゃ『大切な生徒』だもん。そりゃキレるよ」
浅間縁の言葉は冷静だったが、その表情にはあまり余裕がなかった。さくらとは、同じチームでこのピラミッドを探索したのだ。さくらがさらわれた一報を聞いて、ほとんど着の身着のまま、縁は駆けつけた。役に立ちそうなものはバッキーくらいだった。彼女自身、自分の戦力については自覚している。前で龍氷剣を鞘から抜いた取島カラスとは違うのだ。彼女には戦闘の心得もなければ経験もなかった。
それでも、頭の中ではどうしようもない感情が渦を巻いていて、何もせずにはいられなかった。
「やだもう、怖いィ! もう二度と来たくなかったのに! キャー、暗い! ちょっと押さないでよ!」
縁の隣を歩くリカは始めからやかましかった。時おり、縁の背中にすがるような仕種も見せる。しかし、きゃあきゃあと甲高い声を上げてはいるが、台詞はどうも台詞くさく、台本を大げさに読んでいるような節があった。その証拠に、リカ・ヴォリンスカヤの歩みが止まることはない。
縁にあまりリカにかまっている余裕がなさそうだということを見て取り、女性陣の後ろを歩んでいたルイスが足を速めた。足音さえ立たない、しなやかな動きだった。
「お嬢さん、怖いならこのオレの後ろに――ッと!?」
リカの手がひらめき、ルイス・キリングはすばらしい反応を見せた。悲鳴を上げていたリカが、目にも映らぬ速さでナイフを振るったのだ。どこからそのナイフを取り出したのかは謎だ。動作には一切の無駄がなく、半吸血鬼の感覚と身体でもなければかわせない一撃だった。
「あ、あら、ごめんなさい。いきなり後ろから音も立てないで来たものだから……」
「……いやぁ、驚いた。さすが、殺し屋さんは違うなぁ、動きが」
「やだ、もう。『元』殺し屋よ。何回言ったら覚えてくれるの? 今度私を殺し屋って呼んだらただじゃおかないから覚悟してね」
リカの台詞はやはりどこか棒読みで、笑顔もハメコミ合成のようにどうも不自然だ。ルイスはまた一歩後ろに下がった。リカの目つきがぎらりとするどくなった瞬間を見逃さなかったのだ。
「あ、待って! リカさん!」
カラスが声を上げた。
元殺し屋はナイフを振り上げていたが、すんでのところで投擲を思いとどまった。頭上をかすめるあやしい影に気づいたための反応だったが、暗い石の天井を這っているのは、同じ救出部隊のミリオルだったのだ。
カラスの制止がなければナイフが飛んでいたかもしれない――が、ミリオルは自分の危機も知らず、上機嫌で天井や壁に張り付きながら進んでいる。彼は嶋さくらの救出より、ピラミッド内部への潜入を楽しむことに重きをおいているようだった。先頭を進むクレイジー・ティーチャーの勇姿も、嬉しそうに見守っている。
「うっわぁ、すっごいなぁ! 石積んで造ってるんだ、この壁! あの先生、こんな硬い石壊してるし! すっごいや、来てよかったー!」
「おぅいミリオル、あんまりはしゃぐとリカ様に怒られるぞ」
「なんで私なのよ、ルイス!」
「おい、おまえら、ちょっとは静かに進めねぇのかよ」
「いや、梛織君、もうあきらめよう……」
ごらんの面子であるため、敵地に潜入して秘密裏にことを運ぶのは不可能だと言えた。蒸し暑いピラミッドの内部に、潜入部隊の堂々たる会話や足音、破壊音が響きわたる。かつてこれほどまでに騒がしい潜入作戦があっただろうか。
静かに進んでいるのは、取島カラスと浅間縁に、梛織くらいだろうか。先頭を行くクレイジー・ティーチャーは、通路脇に立っている神像や王像も容赦なく叩き壊して進んでいる。その金槌は、時おり石像ではなくミイラを粉砕しているようだった。
クレイジー・ティーチャーが奥から襲ってくる兵士を残らず蹴散らしてしまっているので、後ろについて歩いているメンバーは楽と言えば楽だった。
「……でも、なんか、変……」
懐中電灯の光だけでは心もとない、闇の中。カビと砂、褐色の埃の匂いが鼻をつく。肌はねっとりと湿った蒸し暑さに包まれているのに、背筋はやけに寒い。
縁は梛織から借りたペンライトをかざし、視線をさまよわせる。
クレイジー・ティーチャーのキレた哄笑や破壊の音に隠れて、何かが息を殺しながら動いている。少しずつ、少しずつ……しかし、確実に……ピラミッドは、行動している。
梛織もカラスも、その静かなうごめきには気づいていた。ルイスも、にやけてリカとやり取りしているだけのように見えて、感覚を研ぎ澄ませている。彼も気づいている。
太助は乾いた死の匂いに顔をしかめながら、慎重に、クレイジー・ティーチャーの後ろを歩いていた。
ゴ、ずずずづづづづ。
ゴ、コ、コココココ……。
このピラミッドにはじめに侵入したとき、彼らはいくつもの神像を見て、トラップに引っかかり、ミイラやスカラベにも悩まされていた。
しかし、いまはどうだ。やけに静かだ。
クレイジー・ティーチャーの戦闘力は確かに異常だが、一度に相手取れる数にはさすがに限りがある。相手は確実に侵入者の存在に気づいているはずなのに、差し向けてくる兵士の数はあまりにも少なかった。罠らしい罠もなく、一行は順調に前に進んでいる。
「なんかずいぶん上ったけどさ、なかなか頂上につかないよね。どうなってるのかなぁ」
異形の四脚で壁に張り付き、ミリオルが言った。不安げな色は微塵もなく、ただ、いつ頂きにつくのかという好奇心で、彼は目を輝かせていた。
しかし、その言葉を聞いた彼らは、約1名を除き、ぴたりと足を止めた。
「いま何て言った?」
「なかなか頂上につかないね、って」
「ちょっと待て。俺たち、階段なんか一段も上ってねぇぞ」
「えっ、だって、この道、ずっと坂道だよ」
咬みつくように尋ねた梛織に、ミリオルはきょとんとした表情でそう返した。一行は顔を見合わせた。そして、今まで辿ってきた道のことを思いだす。
迷路のように入り組んでいるわけではなく、曲がり角はあるものの、一本道であったはずだ。先日の探索で、これほど長い回廊を確認したチームがあっただろうか。いや、このピラミッドは現実のものではないのだから、構造や罠が変化するという常識外れな現象が起きてもおかしくないのだが。
「他に気づいたことは? ミリオル」
「うんとー、こっちのカベのほうが薄いんだ」
ミリオルは進行方向左側の石壁をにこにこしながら小突いた。マジかよ、と梛織も湿った壁にとりつき、耳を当てたり、叩いたりしてみた。
梛織には、この壁が薄いのか厚いのかはよくわからなかった。だが、壁の向こうから、何かが聞こえてきたような気がする。地響きのような、風の唸りのような……。
「いまさらだけど俺も思いだした。一本道だっだけど、ときどき左に曲がる角だけはあった」
「ということは、俺たち……何かを中心にしてぐるぐるまわってただけか!」
「上りながら」
「おうい、CT! ストップストップ!」
一行が立ち止まって話しているうちに、クレイジー・ティーチャーはだいぶ先に進んでしまっていた。太助が駆け寄ってズボンにしがみつく。
「テメェも潰されてェかァアアア!!」
「ぅわッ……!」
殺人鬼は反射的にタヌキを蹴り飛ばそうとした。金槌も振り上げていた。太助は一瞬死を覚悟し、首をすくめた。
「待て、落ち着け! オレが言うなって感じだけど!」
いつの間に走り寄ってきていたのか、ルイスが殺人理科教師の両腕を掴んでいた。
「前に進んでも無駄っぽいことがわかったぜ。とりあえず、こっちの壁壊してみねぇ? あんた、得意だろ」
「ン? この向こうに嶋クンがいるってことなのカナ?」
「多分な」
ルイスの答えは出まかせだった。壁を壊した先に嶋さくらがいる保障はない。しかし、クレイジー・ティーチャーというモンスターを操るには、こう答えておくのがもっとも効果的だった。
果たして、殺人鬼は壁に向かって金槌を振り上げていた。
「ィよぉぉおおおオ――――ッし、今すぐ助けに行くからネ、嶋クン!!」
ドゴン、ズドンと、容赦ない衝撃が壁を揺るがした。砂色の石壁はまるで雪や砂糖の壁のようにたやすく壊れていく。しかしこれほどの大音響を惜しげもなくさらしながら、やはり、王の尖兵が駆けつけてくる様子はなかった。
「……あら?」
クレイジー・ティーチャーが破壊工作にいそしむその横で、壁に寄りかかっていたリカが、ちいさく声を上げた。他のメンバーはクレイジー・ティーチャーの作業を見守ったり、周囲を警戒していたりで、リカの行動と声には気づかなかった。
リカが見つけたのは、積まれた巨石で構築されている壁の、不自然なくぼみだった。いかにも「手を入れてみてください」と言わんばかりの、お約束なへこみだ。
「何かしら?」
そしてあまりにもステロタイプな台詞とともに、リカはお約束の行動に出た。
くぼみの中に手を入れてみれば、奥で、ごとりと音がした。
■ようこそ、神の御許へ■
「あワッ!?」
彼らは珍しいものを聞いた。クレイジー・ティーチャーの驚愕の声だ。
クレイジー・ティーチャーが壊していた壁が激しい震動とともに開き、殺人鬼の姿が唐突に消えた。
落ちたのだ。
開いた壁の向こうから、生温かい、むせかえるような空気が通路に飛び出してくる。壁の向こうには、あまりにも巨大な空間があった。
「すっごい!」
ミリオルが歓声を上げた。
他の者は、壁の向こう側の光景を見て、しばらく絶句してしまった。
彼らは、石壁を隔てた大広間のまわりを、延々とまわっていたのである。ミリオルが言ったように、非常になだらかなスロープを上がりつづけていたから、壁に開いた穴は吹き抜けの大広間の天井付近にあった。クレイジー・ティーチャーがあえなく落下していった壁の穴から下をのぞけば、正方形の大広間の様子が一望できる。
太助が咳きこんだ。リカも縁も顔をしかめる。松明が燃やす油と、芳しい香油の強い匂い、乾いた死体とカビの臭気が入り混じり、大広間の空気を埋めつくしていた。悪臭は熱気を伴っていた。空気穴はあるようだが、巨石に囲まれた室の中で火を焚いているのだ――無理もない。
そして大広間の床の上に、ぎっしりと整列してひざまずいているのは、ミイラの兵士や神官たちだった。数は1000を超えているだろうか。ミイラというミイラがここに集結している。見回りにさえろくに人数を割かずに広間に集めていたのだろうか。殷々と響く太古の祈祷は、干からびた兵士と神官が唱えているのだろう。
よく見れば、意外なほど松明の数が少ない。だというのに、まるで天井で照明があるかのように大広間は明るかった。
ルイスが渋面で目を細める。この光は、陽光にそっくりだ――吸血鬼の血にとって、あまり好ましくない光だった。
「あ……」
ミイラたちが頭を下げている方向に目をやって、縁が生唾を呑みこむ。
太陽が、そこにあったから。
そこが、広間の『正面』ということになるのだろう。光り輝く黄金の玉座があり、そこには褐色の肌の偉丈夫が座っていた。頭に丸い鏡のような円盤のようなものを乗せている。広間を照らす光は、その日輪から放たれているのだった。
まさしく王であり、神だった。
ハヤブサの頭を持つ、日輪を掲げた神――あれは、ラーか。
30メートルは下にいるというのに、凄まじい威圧感と神々しさが、びりびりと伝わってくる。ミイラというおどろおどろしい典型的なモンスターを統べているとは思えない。あの王を見ていると、かしずくミイラたちでさえ暗黒のものではなく、誉れ高き砂の民のようにさえ見えてくるほどだ。
「あれ……王さま、だよね」
いままで無邪気にはしゃいでいたミリオルも、ほええっ、と圧倒された声を上げた。
「でもなんで、あんな鳥のマスクかぶってるんだろ?」
「いや、あれは……マスクじゃない」
カラスの表情は、強張っていた。
彼がそう言った瞬間、神たる追うの顔がぐいと上向き、壁に開いた穴を見つめたのである。猛禽の目はまばたきをした。確かにあれは、マスクではなかった。古ぶるしい祈りの文句が、王の一喝によっていちどきに途切れた。
『未だ神に仇なすか、禁忌を侵せし者どもよ! 星が遣わした貪欲の鼠どもよ! 立てよ、つわもの! 神に刃を向けし愚者は、死の翼に包め!』
1000のミイラの空っぽの眼窩は、残らず侵入者たちを捕らえた。1000のミイラの咆哮は、この場の空気を裏返したかのように乾ききっている。古い武器を手に、エジプトの亡霊たちは動いた。
「OKOK,Eveyrbody!」
30メートル下に落下して、両足と脊髄を複雑骨折したクレイジー・ティーチャーが、狂笑しながらガバと立ち上がった。
「ジェノサイドのつもりなら、望むトコロだぜェェェエィッ!!」
両足とも、支えとなるべき骨が粉々になっているというのに、彼は元気に暴れまわった。金槌がミイラ兵士の武器を叩き折り、干からびた身体を粉砕していく。
すべての兵士と神官が、殺人鬼に殺到しているわけではない。王の視線に従い、天井付近の壁穴にも向かっている。どういう理屈がそれを可能にしているのかはわからないが、ミイラどもはハエやクモやヤモリのように、垂直の壁に張りついて、かさかさとよじ登っていくのだった。
壁の穴から離れて逃げるべきか。それはできない。
王の前にある、アラバスター製の供物台を見てしまったから。
冷たい石の供物台の上には、ヤグルマギクや祭器に囲まれた嶋さくらが横たわっていた。見たかぎりでは、眠っているように見えた。そして、とても丁重に扱われていたらしいこともうかがえた。
彼女を助けるために、8人はここに来たのだ――。
「よォし! 美しい嶋嬢のためだ! ハデにブチかますから何とかして下に降りろ!」
「何とかして、って、漠然としすぎだろ!」
「あ、下に行くんだったら、ぼくがつれてってあげるよ。定員ひとりくらいだけど」
「ロープなんてちんたら下ろしてるバーイじゃねーな! あれくらいの広さなら大丈夫だだろ……俺にまかせとけ!」
太助がロープを捨てて、ぶルると武者震いした。ミイラたちが迫る不気味な潮騒が近づいてくる。ルイス・キリングは、穴の下を見て、にたりと笑った。
「……こんなにパサパサになるまで長生きなんかしたくねぇもんだ。ククク、燃えやすそうで何よりだぜ!」
ルイスは〈炎獄〉と名のついた刀を抜いた。長い詠唱はなかった。
ただ、
ごホぉおおおウッ、
そう咆哮を上げて、地獄の炎が渦を巻き、激しい勢いで壁を伝い落ちていった。
ルイスが放った炎は、言うまでもなく、下で暴れているクレイジー・ティーチャーをも
巻き込んでしまった。しかし、炎の中からはっきりと、彼の哄笑と怒号が聞こえてきたし、仲間たちは彼がいかに丈夫であるかを知っている。
水分を失った死体どもはよく燃えた。ただでさえ熱気でこもっていた空気が、汗も溶けそうなほどに熱くなる。ミリオルはルイスの魔法に大喜びだったが、カラスに叱咤のような催促をされて、慌てて壁の穴をくぐり抜けた。異形の四脚の爪は、石壁にがっきと食いこむ。ミリオルはその細い腕でカラスを抱え、ひょいひょいと垂直の壁を下り始めた。その動きとシルエットは、ザトウムシに似ていなくもなかった。
炎がなりをひそめるのを待って、そしてミリオルが降りていくのを追って、太助がしたしたと走った。
「でぇええええいやあッ!」
ば・ぼん!
仔ダヌキの身体が、まるで大広間を埋め尽くしたかのような、一瞬の錯覚。仔ダヌキは巨大化していた。ミイラと祭具、神像、壷が吹っ飛んだ。クレイジー・ティーチャーも、もしかしたら押しつぶされたかもしれない。ふかふかの茶色い背中に、リカがひらりと飛び降りる。縁は躊躇した。梛織が彼女の手を取り、助けた。最後に、太助にもミリオルにも頼らず壁から飛び降りたのは、ルイス・キリング。
『ぅわっ、あぢっ、あちちちちちッ!』
巨大タヌキが悲鳴を上げて身体を起こした。松明の炎が毛に燃え移ってしまったのだ。集中力をいちじるしく欠いてしまったために、太助の巨大化はあえなく解けた。ミイラの粉末を蹴散らしながら、縁が仔ダヌキに駆け寄り、上着を叩きつけて火を消し止める。行動が早かったので、太助の火傷はさほど大事に至らなかった。
「や、やっぱこんなせまいトコで巨大化すんじゃなかった……」
焦げて短くなってしまったヒゲをいじり、太助がうめく。そんな太助を抱え上げて、縁は真顔で走った――目指すは、供物台だ。
アラバスターの供物台は、上から見たものと同じものだとは思えないほど大きく感じられた。そして、ずいぶん遠くにあるように思えた。しかもその向こうには、太陽のような存在がいる。仁王立ちというほどではない、ただかれは、すっくとただ立っているだけだった。それでも、かれは神々しい光を背負い、凄まじい威圧感を放っている。
「あァアアアアアアあッ、どけェエエエえッ!!」
「おらぁアッ、殺れるモンなら殺ってみろッ!!」
カラスの人が変わったような裂帛の気合と、ルイスの叫び声が重なった。ルイスの絶叫は、殺人理科教師のものと差異がないように思えるほど、狂気じみていた。カラスが振り回す龍氷剣は、群がるミイラの兵士を袈裟懸けに斬り、腕を飛ばし、胴を断つ。敵の傷口からは、血も内臓も飛び出さない。ただ、砂のような褐色の粉末が飛び散って、斬られたミイラはわざとらしく回転しながら倒れてゆくのだった。
ルイスの刀と手から吹き上がる炎の中に、黒焦げの理科教師が、笑いながら何かを投げ入れた。危険な化学薬品だったらしい。爆発が起きた。赤と黒とオレンジの爆発を華麗にかいくぐり、燃えるような赤毛の殺し屋がナイフを投げる。ナイフは刃に炎を絡みつかせ、ミイラの喉に突き立った。刃の炎は、乾いた皮膚や衣服をたちまち焼き払う。
ミリオルの異形の脚を踏み台にして、梛織は黒猫のようにしなやかに跳んだ。ただ跳んだだけではなかった。伸ばした爪先はミイラの喉を潰す。乾いた音を立ててミイラの首は砕け、梛織は崩れゆく身体を足がかりに、また跳んだ。その姿は、舟から舟へ飛び移ったという古の武将のようだった。時にはトンボを切りながら、古い武器と皮膚をかわし、確実に黒猫が供物台へ近づいていく。
前へ前へ、進んでいるのは、8人だ。秘薬にもなると言われるミイラの粉末にまみれながら、彼らは徐々に神の許へ歩んでいる。
近づくにつれ、皮膚にはぢりぢりと汗が浮かび、炎天下の匂いが立ちこめてくる。無理もない。彼らは、太陽の化身に近づいているのだ。ハヤブサの両眼も、頭に頂く日輪も、これほどまぶしいものだったとは――。
『それほどまでに、我を討ちたいか。神を屠ろうというのか。それは即ち、大罪であるぞ』
「じゃあ、さくらを返して! 私たち、さくらを助けに来ただけだよ。ほんとは誰も殺したくないんだから!」
ほとんど目をつぶりながら、縁が叫んだ。王から放たれる圧倒的な何かが、自分の声をかき消しているのではないかという錯覚があった。
「私たち、ちゃんとケジメつけるよ。あなたのお墓にズカズカ入ったことは、謝るから! ……お願い、さくらを返して。あなたは私たちの『夢』なんだよ。『夢』が人なんか殺しちゃ、ダメでしょ!」
『人間ッ、我をたばかるか! では何故、かの黒鼠は我を屠らんとした。うぬらの同胞であろう』
王は声を荒げた。ミイラを異形の脚でひねり潰し、ミリオルが首を傾げる。
「ネズミ? ネズミさんなんて、チームにいないよ? タヌキさんならいるけど」
「誰のことを言ってるんだ。ナイトファントムか……?」
『夢の遣いを名乗るとは、片腹痛いわ。うぬらも星の闇に憑かれているのだろう。神たる我をたばかろうとも、そうはゆかぬ。懲りぬと言うなら、何度でも返り討ちにしてくれるわ』
待て。
王は何かを勘違いしている。
彼の怒りをかっているのは、墓荒らしの一件だけではないようだ。
誰かが弁解しようとした。王が知る何かを聞きだそうとした。しかし、ハヤブサの顔の王は錫を振り上げ、砂の奇跡を起こそうとしている――。
止めなければ、
クレイジー・ティーチャーとルイス、カラス、梛織が走る。リカがナイフを振りかぶる。ミリオルが背から生えた脚を伸ばす。
「だめ、」
「やめ、」
縁と太助は叫びかけた。
■女神が見放した■
だが。
『オ……!!』
突然、ピラミッドが、ごごうと揺れた。王が目を見開き、くちばしを開けてあえいだ。儀式の大広間から、急速に光が消えていく。王の日輪が、見る見るうちに錆びていくのだ。
『オ……、オ、ゴ、オオオオオ……!! わ、我が、力の、の、源……』
王から、神々しい威光が消えていく。みずみずしかった肌は、もはや見飽きたミイラと同じく、カサカサと音を立てながら乾いていった。ハヤブサの頭が、褐色の砂となって流れ落ちる。
『め、め、女神……女神の涙、を……何者だ……うぬラか……涙を、外し、タ、な!』
雷鳴のような声もしわがれ、B級映画にありがちなモンスターの声に成り下がってゆく。その言葉を最後に、堂々たる神は姿を消した。8人の目の前に立っているのは、骨と皮とほつれた包帯の、ミイラだった。歯の抜けた顎を噛み慣らし、すがるものを求めて両手を前に伸ばす姿は、一行が蹴散らしてきた兵士や神官よりもみすぼらしい。
「ヒヒヒヒ、これじゃ、弱いものイジメだネェ! ――ボクの生徒殺るなんて5000年早ェンだヨ、F××K!!」
クレイジー・ティーチャーはピー音混じりの怒号を張り上げ、金槌を振るった。王のミイラの両腕が、褐色の煙になった。
「――もう、眠りな。安らかに」
ぞ、
低く告げたルイスの刀が、王の残骸を貫いた。刃から噴き上がった炎が、一瞬でその身体を焼き尽くす。
「ああ。……あんたの名前、聞いてなかった。それとも、『名もなき王』だったのか?」
聞きたいことは他にもあった。だが、言葉も意思も失ってしまったミイラに、何が答えられただろう。
ルイスの呟きのあとに、カララ、と近代的な音が重なる。
「お?」
太助は、転がったプレミアフィルムに近づいた。ケースに入った一巻のフィルムには、特に異状が見られない。太助は恐る恐る伸ばした手で、ちょん、とフィルムを突いた。何も起こらなかった。
「ふつーのフィルムだ」
「何言ってんだ、おまえ何ヶ月銀幕にいるんだよ。俺たちが死んだらフィルムになっちまうのは常識だろ?」
「いや、えっと……」
梛織の突っ込みに、太助は頭をかいて口ごもる。カラスが黙って、ファラオが遺したフィルムを拾い上げた。大広間には、静寂が満ちていた。うごめいていたミイラたちも、すでに倒れ、ただの死体に戻っている。
縁とリカは供物台に駆け寄った。どういうわけか、嶋さくらを囲んでいたヤグルマソウも茶色く枯れて、すっかりドライフラワーになっていた。
「大丈夫? 息はある?」
リカは手を伸ばし、さくらの首に触れる。確かな脈の動きと温かさが、元殺し屋の手に伝わった。
「よかった、生きてるわ。さくらには私特製のマフィン食べてもらう約束してるんだから、生きててもらわなくちゃ困るんだけど」
「ち、ちょっと。い、いつそんな約束したの? リカのマフィンなんて食べたら……」
ずごん、と突然、大きな縦揺れが起こった。はるか彼方の天井から、石のかけらと砂が落ちてくる。揺れは止まらない。耳をつんざく音は、地の底からのぼってきているようだ。
「わっ、ピラミッド、くずれちゃうんじゃない!? これって『お約束』だよねっ!」
喜色満面でミリオルが天井をあおぐ。彼の中に危機感という言葉はない。
ここから脱出しなければ。しかし、この大広間にはどうやって来た? 壁の穴から飛び降りたのだ。出口はどこだ――どこをどうして走っていけばいい。
どぅ、ん――。
ピラミッドの中に、荒野が広がる。雑然と十字架が並ぶ荒野だ。十字架のひとつには、『Nameless King』と刻まれていたような気がする。
「ルイス!」
「もう一発ブチかましてやる。お姫様はちゃんと持ったか?」
「ああ!」
「じゃ、あとは逃げるだけだ!」
カラスがさくらを抱えていることを横目で確かめ、ルイスがまた、魔法を放った。
ピラミッドの監視係は見た。ピラミッドが、おどろおどろしい十字架の荒野の中に囲まれるのを。地響きを受け、ぼろぼろとその姿を崩してゆくピラミッド――その壁の一部が内側から吹き飛ぶのを。
どぅ、ん。
再び、ロケーションエリアが広がる、あの独特の衝撃がピラミッドから起こる。8人のさくら救出隊は、無駄のないシャープな動きで瓦礫をかわしながら、ルイスが開いた道を走った。さくらを抱えるカラスも、特に殺陣の心得がない縁も、まるでムービースターのようにあざやかに瓦礫をかわせた。
リカ・ヴォリンスカヤのロケーションエリアが、ルイスの領域と重なっているのだ。ミリオルは相変わらず歓声を上げていた。
ピラミッドは消えていく。砂の嵐は消えていく。銀幕市を覆っていた褐色の空気が、呻き声を上げて消えていく……。まるで夢のように消えてしまったピラミッドのロマン。あの乾いた熱気も、砂の匂いすら、銀幕市から消え失せていった。
しかし、すべてが消えたわけではない。
なかったことにされたわけではないのだ。
なぜなら、記憶も記録も、そこにあるから。
■おめざめ?■
何かが聞こえた。
水中に潜ったときのように、音はこもっていて、はっきりしない。
地響きでもあり、歓声でもあり、談笑でもあり……すすり泣きでもある。ああ、どういうわけか、寒気がする。悪い夢を見ているようだ。
何かが怖い。
この、闇が怖いのか。
目を開けたら、きっと、光があるはず……。
「あ、起きた」
取島カラスの声が上がった。カラスを押しのけんばかりの勢いで、浅間縁が顔を覗きこむ。ヒゲが焦げた仔ダヌキ、赤い目の少年が、顔を輝かせた。
「よかったぁ! これでほんとに一件落着ね!」
「マフィンをしまえ、マフィンを」
リカと梛織のおかしな漫才が聞こえる。
「よう。救出、遅くなってごめんなァ」
「あァアっ、嶋クゥン! 先生心配したヨ! ヒドイことされなかったかい、怖くなかったかい、ゴメンよぉ、先生がこれからずーっと24時間オールウェイズ見守っててあげるからネッ!」
「おいコラ、お姫様殺す気か!」
殺人理科教師が抱きしめてきて、半吸血鬼のヴァンパイアハンターが慌てて引き剥がす。
身体がだるくて、自分が何を見聞きしているのか、漠然としている。
それでも嶋さくらは、気がついた。
自分は助かったのだ。助けられたのだ。この人たちに。
「ありがとう」
さくらはささやいた。
嬉しくて、安心して、もうたまらないのに――なぜか、漆黒の空が恐ろしい。
「ありがとう、みんな」
〈了〉
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クリエイターコメント | 諸口正巳です。このたびはご参加ありがとうございました。人生初の海外旅行にエジプト選ぶほどのエジプト好きですが、あんまりエジプトエジプトしてもマニアックすぎてエジプトなので自分の中のエジプトを控えましたエジプト。 さて、今回のシナリオは水樹らなWRのシナリオ『ファントム・ハンディング』とリンクしております。大ピンチから救われた理由がわかるはずです。 それでは、またどうぞ、機会がございましたら、諸口正巳のシナリオで遊んでやってください。 |
公開日時 | 2007-05-16(水) 20:00 |
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