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<ノベル>
1
「ふーん……」
それが、話を聞いたあとの、佐々原栞の第一声であった。
相変わらずの無表情で、さして興味を引いた風でもない。
「そう――、そうですよね。おかしいですよね」
対照的に、三月薺は疑念をあらわに、膝の上で手をぎゅっと握りしめていた。
「男爵はまだ目覚めない。それに……少尉の部下の人まで……」
「俺、見たんだ!」
太助が、大声をあげた。
植村と、ノーマンに、喰ってかかるように、訴える。
「ポップコーンの匂いのするやつ! 薺も見たよな!? 少尉、そいつ、どんな顔なの!」
「どんなといわれてもな……。まず白人だ。身長は5フィート10インチくらいかな」
不精ひげの顎をなでながら、少尉は応えたが、今ひとつ要領を得ない。
「ほかになにか特徴は?」
植村に請われて、うーんと考え込んだ後、
「どちらかというとロリコンだ」
と応えた。
「関係ねーーー! って、小隊じゃなきゃ、ポップコーンの匂いさせてるはずもないし」
状況から考えて、太助たちの見た男が件の人物であることは間違いないのではと思われた。
「でもなんだか……普通じゃなかったですよ。ここがどこかもわからないって言ってた」
ふたりの証言に、上官はこわもての顔をいっそう曇らせる。
「とにかく、黒薔薇館に行って調べてみないと」
薺が言うのへ、太助が
「その前にさ。おれたち、オフィーリアのこと、よく考えたらなんにも知らないぜ。どんな映画から出てきたとか」
「あ、そういえばそうですね。植村さん、知ってます?」
「それが……」
植村は申し訳なさそうに首をふった。
「私も心当たりがないのです。仕事柄……というか、趣味も含めて、結構、映画の知識はあると思っているのですが……」
「そんなにマニアックなのかな」
「そのことなんやけど」
口を開いたのは、斑目漆だった。
さっきからひとり、対策課のパソコンに向かっていたのだが。
「俺もそこが気になってな。玄人向けのサイトで情報を集めてたんや」
画面を指す。薺に太助、植村は漆のうしろに集まってきた。
「漆さん、忍者なのにパソコンとか使えるんだ」
「……学校で」
「適応してますねー。それで?」
「ああ、これなんやけど」
画面には、漆の呼びかけに対して提供された情報とおぼしき書き込みがあった。
『お訊ねの件ですが、他のみなさんと同じく、「オフィーリア」「黒薔薇館」といった名前では特に心当たりはありません。これはふと思いついただけなので、あまり参考にならないと思いますが、『審判の城』の中で、主人公が絵を眺めるシーンがあります。その絵は黒薔薇と少女を描いたもので、少女の風体はおっしゃったものに当てはまるようにも思います』
「はあ? 絵?」
「よくわかんないけど……映画の中に出てくる、絵の中に……?」
「『審判の城』なら知っていますけど、そんなシーンのことは覚えてませんでした。……取り寄せて調べてみましょうか?」
「ああ。頼むで。カンやけど、これは“あたり”のような気がする」
御庭番衆――今でいえば諜報部員であるところの漆が言うのなら、調べる価値はあるのかもしれない、と、一同は思った。
「とにかく、あとは、行ってみるしかないですね。ここは一致団結して潜入捜査しましょう! ……あれ」
薺はソファーを振り返って、そこにぽつねんと腰かけていた少女の姿がないのに気づく?
「栞ちゃんは?」
「いないな。もう行っちまったのか」
「……。俺らも行こか。……急いだほうがええような気がする」
漆の声は抑えたものだったが、いつになく、その表情が硬いような気がして、薺はすこし不安げな顔になった。
2
「うーん、だめかぁ」
さらに、道すがらの出来事に、薺は声を落とす。
「どした?」
「うん。SAYURIさんを呼べないかと思ったんだけど」
「ええ!? なんで!?」
「このあいだ、オフィーリアさんが、SAYURIさんのことに、ずいぶん、興味があったみたいだから。SAYURIさんとお話してもらってるあいだに私たちが館を調べたらどうかな、って」
「大女優を囮って……薺、大胆だな……」
「でも忙しくて来れないって」
「そりゃあなぁ……」
そうこうしているうちに、彼女たちにとっては何度か訪れて見知った屋敷の前に来る。
漆は、うしろへ、目だけで、「ほな、もしものときは頼むで」と伝える。
ノ−マン麾下の兵士たちが、屋敷の周りを包囲するように散らばって、物陰に身を隠した。
そして、『黒薔薇館』の呼び鈴が、鳴らされる。
曇天の下、外から見る限り屋敷の空気はいつもと変わりはなかった。
植村が予想したとおり、不意の来客であっても、黒薔薇館は快く迎え入れた。
「いらしていただけて、とても嬉しいわ」
オフィーリアは子どものように喜んで、3人を歓迎する。
その無邪気な笑みに、薺はすこしだけうしろめたさを感じた。
オフィーリアが命じると、テーブルの上には、たくさんの飲み物やお菓子が並ぶ。
「ちょうど退屈していたところなの。また、このあいだのように、みなさんのお話が聞きたいわ」
黒曜石の瞳をきらきらさせて、お土産話がねだられる。
「そうだなー。タヌキが電車に乗る話でもすっかなー」
請われるままに語り出す太助。
薺は、話に聞くふりをしながらも、周囲に目を走らせた。やはり柱時計は止まっている。部屋の隅には微動だにせず控えている執事。薺はそっと携帯を取り出すと、気づかれぬように、執事を写真におさめた。
その頃――
対策課では、植村が、資料室から発掘したビデオを再生しているところだった。
『審判の城』はイギリス映画だが、奇才と呼ばれる、メジャーではないがごく一部のマニアには支持される監督の手による作品だ。内容は東欧の文学作品を下敷きにしたもので、ありていにいうと前衛的で、映像は美しいが、何を言っているのかわからない、というのが大方の評である。
一人の男が、ある朝目覚めると、見知らぬ城の中に閉じ込められており、その中をさまよううちにさまざまな体験をするというストーリーにはなっているものの、ただ意味深な出来事が連続するばかりで、特にこれといったオチもなく終わる。
物語の中ほど、なるほどたしかに、壁に飾られている絵を、主人公が眺めるシーンがあった。
「ああ、どちらが幸せだろう」
男は呟く。
「絵の中の少女も薔薇も、老いて朽ちていくことはない。だが彼女たちは孤独だ。ただ額のうちに立ち尽くしているだけなのだから。……けれど、この城にたった一人幽閉され、そしていつかは老いて死ぬ俺がもっとも不幸なのは間違いない。……いやしかし、この孤独から、いつかは解放されるという意味では、俺のほうが彼女よりましなのだろうか。わからない。俺は絵になったことがないからな」
そしてカメラは絵の中の少女を大写しにし、さらにズームしてゆく。
謎めいた微笑を浮かべる少女の絵のアップでそのシーンは終わり、次はまったく関係のない場面へと移っていた。
その絵についてはそれっきりで、映されることもなければ、台詞でふれられることもない。
だが、少女の絵の風体は、たしかにオフィーリアのそれと一致するようだが……。
映画の中の、さらに絵からムービースターがあらわれたなどという例があっただろうか。そしてそうだとして、いったい、黒薔薇館では何が起こっているのか。
謎の答をもとめて、植村はただあてどなくビデオを巻き戻し、資料の頁をめくるのだった。
3
「まあ、本当に?」
「ほんと、ほんと。珍しいもの好きだからさー、最初に電車ってぇのが開通したときも、乗りに来たタヌキは多かったんだぜ。だから今でも、遠出するときは、歩いたり、なにかに化けたりするより楽だから、電車に乗るんだ。……四国の電車でさ、ちょっと色黒でふっくらしたひとが乗ってたらタヌキかもしれないぜー」
「面白いお話だわ」
オフィーリアは笑った。
彼女の様子はいつもと変わりない。
だが、あるとき、ふいに――
「……すこし、失礼するわね。どうぞ、くつろいでらして」
とだけ言い残して席を立つ。
太助たちは顔を見合わせた。チャンスだ。
さて、そのとき、同じ屋敷の別の部屋に、いつのまにか佐々原栞の姿があった。
暗がりから、闇が凝縮したようにあらわれた少女は、昏い瞳でじっと、そこに眠るものの様子を見つめる。
むろん、それはカエル男爵である。
以前見たときとまったく同じ姿勢、同じ様相で、かのムービースターは横たわっている。
栞は近づくと、いつかしたように、傘で皮膚をつついた。
「……」
ひとしきりつつきまわすと、今度は服や肌をひっぱったり、叩いたり。
だが、男爵が目を覚ます様子はなかった。
「起きない」
ぽつり、と呟いて、男爵の肌をなでる。
「…………つめたい。……わたしといっしょ」
うたうように、彼女は言った。
「ここも同じ。わたしといっしょ。時間が、ゆっくりゆっくり遅くなって、止まってる。残るのはつめたい身体だけ。男爵も、死ぬの?」
「いいえ」
答えは、背後からあった。
栞は驚いたふうでもなく、まるで最初から、彼女と会話をしていたのだといった様子で、続けた。
「死なない? 死なないけど、動かないの?」
「かれとお話したいの、栞さん?」
オフィーリアだった。
フリルのついた黒いドレスのスカートを揺らして、黒薔薇館のあるじは歩みよってきた。
「……」
「起きるわ。わたくしが命じさえすれば」
オフィーリアの唇に、笑みが浮かぶ。
「この屋敷にあるものはみんなそう。ふだんは、ただじっとしているの。生命の時間が止まっているから」
「死なないの?」
「ええ、そうよ」
「どうして」
「ずっとここで、わたくしのお友達でいてほしいからよ」
栞はそこではじめて、オフィーリアのほうを振り向いた。
「……」
そして、彼女が、手に奇妙なものを持っているのを見る。
それは一枚のカンバスだった。
何も描かれていない、白いカンバスだ。
「ねえ、栞さん」
オフィーリアは微笑んだ。
「あなたも、わたくしのお友達として、この館にいて下さらない?」
カンバスの上に――
ゆらり、と、影が踊った。
何もなかったはずの白い画布の上に、まるで中空からわき出したように、じわりじわりと色が染みだしてゆく。そしてそれは見る間に、なにかをかたちづくっていく。
それは人型のようだった。
じっと、動かない栞。
オフィーリアの唇に、にっと、凄絶な笑みが浮かんだ。
「あ、ちょっと待って!」
薺が、太助を呼び止める。
「なんだよ」
「これみて、この絵!」
主人が中座したところ、薺と太助はトイレと偽って部屋を出る。
そして暗い廊下を、先日、男爵を見た部屋へと向かっていたのだが――
「あー、これって……?」
「さっきの執事さんだよ」
壁にかかっていた絵は、たしかに、薺たちを案内してくれた男のようだ。絵の中では、もうすこしルーズな服装をしていて、眼光は鋭く、どちらかというと人相が悪い感じなので、言われてみないと気づかない。
「誰が描いたんだろ。なんかやけにリアルじゃね?」
「うん。まるで生き写しだね。これも写真撮っちゃお。……あ」
そこで薺は、メールの着信に気づく。
「植村さんから返事だ。なになに……『さっき送ってもらった執事の写真。ずいぶん前に、悪役会から相談されていた行方不明のムービースターに似ているようです』。――!?」
ふたりは顔を見合わせた。
「お客様」
そこへ、かけられる、声。
まさに当人が、そこに立っていた。
「困ります。勝手に歩き回られては」
薺をねめつける眼光。
「す、すみません。……でも、あの……」
次の瞬間――
屋敷の外から聞こえてきたのは、はげしい銃撃の音だった。
4
だん、と音を立てて、オフィーリアの手からカンバスが弾け飛ぶ。
「!」
オフィーリアの顔に、それまで誰も見たことがなかったような、はげしい表情が浮かんだ。
「いよいよ正体あらわした、っつうところか?」
漆だった。
闇に浮かび上がる狐面――。
黒い手甲をつけた手が、それをずらすと、下からあらわれた瞳が、きびしくオフィーリアを射た。
「男爵は自分の意思でここへ来たんやない。いつまでも嬢ちゃんに付き合うわけにはいかんのや。そろそろお暇させてもらうで」
「……なんですって――」
つめたい声で、オフィーリアは言った。
「わたしから、お友達を取り上げようっていうの」
「友達やぁ?」
漆の冷笑。
「なんの術か知らんが、これが友達か!?」
「……理解してもらおうとは思いません。わたくしの気持ちなんて、貴方にわかって?」
「そらわからんわ。……そんなことより、答えてもらおうか。まだほかにも、こないにしたもんがこの屋敷にはおるんと違うんか?」
それには応えず、オフィーリアはぱっとスカートのフリルをひるがえして、駆け出して行った。
「逃がすか!」
漆の体が、まるで水に潜るように、影の中へ消えた。
同時に、屋敷中に響き渡る笛のような音。あちこちで、銃声と、ガラスの割れる音、あわただしい軍靴の音が聞こえてくる――。
銃弾が立て続けに撃ち込まれ、執事は呻きながら、どう、と倒れた。
「少尉ーー!」
「ちょ――、なにも、撃たなくても……」
「突撃の合図があった」
むっつりと、ノーマンは言った。他にも、小隊の兵士たちが屋敷に踏み込んできているようだったが……。
「なんか、その前から銃の音してなかった!?」
「うむ。不審な連中がいて、わが隊にもからんできたので、かるく表でやりあった」
「はあ!?」
――と、薺の携帯が鳴る。
「あ、植村さん!?」
「ノーマン少尉に伝えて下さい。黒薔薇館の外にいる一団は『悪役会』です」
「えっ」
「かれらも、行方不明者について、独自に調査していたようですね。で、あやしい屋敷の周辺に軍隊がいるのを見て、事情を聞こうとしたら銃撃戦になったという情報が先ほど入ってきました。そんなことしてる場合じゃないでしょう」
「……はあ、私もそうは思いますけど……。少尉、表のひとたちは敵じゃないんですって」
「おい、気をつけろッ!」
太助が叫んで、薺の前に飛びだした。
少尉に撃たれて倒れたはずだった男が、起き上がって、彼女に掴みかかろうとしていたのだ。タヌキの頭突きをくらってよろめく。
「ふん、しぶといやつめ」
再び、銃撃。しかし――
「効いてないぞ、少尉! また弾がポップコーンになってんじゃないのか!?」
「違うよ、太助くん、血が出てるもの! でも……っ」
この男はホラー映画から出てきたゾンビのムービースターなのか?と思わせるような、不気味な場面だった。たしかに撃たれているのだが、相手は倒れない。
「なんだこいつ――」
ノーマンは渋面をつくって、さらに撃ち続ける。
「しょ、少尉、やめて、撃たないで、事情を聞いてみましょう!?」
薺が、少尉の腕を引いた。それは彼の手元を狂わせ……
「!」
男が、のけぞって、声にならない叫びをあげた。
「……あ?」
がくり、と膝をつく。
「み、みろ。絵だ!」
太助が壁を指した。
少尉の銃が、誤って、絵の中の男の額を打ち抜いていたのだ。
絵とまったく同じ場所に、あるはずのない傷があらわれていた。そして、次の瞬間。
カラン――、と虚しい音を立てて、黒薔薇館の廊下にプレミアフィルムが転がる。
5
「っ!」
オフィーリアが、喉の奥に悲鳴を詰まらせる。
足元の影の中から、漆が飛び出してきたためだ。
漆が、オフィーリアの細い手首を掴んだ。
「や、やめて!」
悲鳴を上げる。この場面だけを切り取れば、漆がか弱い少女に乱暴をはたらいているようにしか見えないが――
「!」
漆の体が離れた。うしろから、彼をはがいじめにしたものがいる。
「……あ、あんた……」
白人の青年だった。漆はその顔に見覚えがある。記憶の糸をたぐるまでもない……きっと迷彩柄のワゴンで見かけた顔であるに違いないのだから。
「目ぇさませえ!」
体格は漆のほうが華奢に見えたのに、見事な背負い投げがきまる。
しかしそのときにはもう、オフィーリアの姿がない。
「くそ!」
悪態をついてから、ふと気づいたように、投げ飛ばした男にふれてみる。……そしてぎょっとしたように手を引いた。肌が異様に冷たかったからだ。
「……まるで、死人操りやないか……」
言ってから、自分の言葉の不吉さに、身をすくめる。
「……こっちよ」
と、どこからかあらわれて漆の袖を引いたのは、栞だった。
とことこと、暗い廊下を、まるでどこになにがあるかわかっている自分の家を歩むように、栞は歩いていく。漆は続いた。
「こ、これは……」
そして栞に導かれてくぐった戸口の向こうに広がっていた光景に、漆は息を飲んだ。
絵だ。
まるで画廊か美術館の倉庫ででもあるように、壁一面に絵が架けられ、
足元にもいくつもカンバスが立てかけられている。
ぞくり――、と異様な気配を漆は感じる。これは、ただの絵画ではない。
「……みんな死んじゃえばいい」
ふいに、栞が言った。
「でも死んじゃったら、もう動かないし、なにも喋らなくて、退屈。……絵もいっしょ。動かないし。……なにが楽しいの?」
くくく、と、部屋の奥の暗がりで、含み笑いが応えた。
ぼう――、と灯った蝋燭の火。燭台を手にしたオフィーリアが進み出る。
「でもこうしないと、生き物はいつか死ぬわ。ムービースターだって、いつフィルムにされるかわからない。……それをわたくしは、絵に変えて永遠にするの」
「永遠やて」
漆は言った。
「嬢ちゃんがそれがほしいんやったら、勝手にひきこもってたらええねん。望まんもんまで巻き込むんやない」
オフィーリアのおもてが、すうっと、つめたい無表情にかわった。
「そう……、そうね……。誰もわたくしと一緒にいてくれることを望まない。……だからここで……わたくしの手で永遠のお友達をつくろうとしたけれど……それさえかなわないというのなら……」
荒々しい足音。
漆たちのうしろから、薺に太助、そしてノーマン少尉が踏み込んでくる。
「オフィーリアさん!」
「なにやってんだ!」
そのとき――、オフィーリアの顔に、ふわりと、やわらかな笑みが浮かんだ。
それは薺と太助が、かつてのお茶会で見た、黒薔薇館のあるじの笑みだ。皆の話に興味深そうに聞き入り、小首を傾げ、手を叩いて喜び、優雅にティーカップを持ち、笑い、頷き、質問を投げかけ……
「薺さん。太助さん」
「オフィーリアさん、私……」
「残念だわ。でも、とても楽しかった」
「オフィ――」
「……わたくしの手に入らないのなら……みんな滅びてしまえばいい」
オフィーリアの手から、燭台が放たれた。
あっと思う間もなく、絨毯の上を火が走る。
「ああっ!」
その火に照らされて、薺は、壁に架かった絵の中に、カエル男爵を描いた肖像を見る。
「だ、ダメ!」
「絵だ! 絵を燃やしたら、男爵も燃えちまう!!」
飛び出していく、太助。
「少尉!」
「俺たちは消防団じゃないぞ、ったく。総員、消火にかかれーッ!」
号令にこたえる、オウ、という威勢のよい声。
「た、たいへん、119番しなきゃ!」
「うわっちちち!!」
交錯する怒号と悲鳴。そうこうしているうちにも、もうもうと煙はあがり、火が黒薔薇館を舐めてゆく。
漆は、火の手の向こうに、身を翻すオフィーリアの姿を見た。1枚の、カンバスを彼女は抱えていた。そして、ガラスの割れる音――。
*
その後……。
急行した消防車の活躍もあって、黒薔薇館はそのおよそ3分の1を焼くに、被害をとどめることができた。
ノ−マン小隊と、途中から外で争い合っていたはずの悪役会の連中も加わっての消化・救助作業が行われ、すべての絵画と、カエル男爵を含め、黒薔薇館の中にいた人間を助け出すことに成功したのである。作業が終わったあと、かれらのあいだには奇妙な友情が芽生えたようで、先刻まで撃ち合いをしていたことも忘れたように、煤けた顔で肩をたたき合っていたのは思わぬ怪我の功名である。
黒薔薇館に、これほどたくさんの人間がいたのは、驚きであった。いずれもムービースターであるらしかったが、一様に、かれらは外からの呼びかけにもほとんど反応しない有様だった。医師の診察によると極度の低体温・低血圧で、あたかも冬眠でもしているかのような、一種の仮死状態であるらしい。
そして、なにより不気味なのは……、かれらひとりにつき1枚ずつ、かれらを描いた絵画が存在していることだ。
ひとまず、カエル男爵を含め、助け出された人々は銀幕市立中央病院に収容された。
他には怪我人らしい怪我人もいなかったのが(太助がすこし毛皮を焦がしたのを除いて)、さいわいなことであった。
火災の混乱に乗じて逃亡したと思われるオフィーリアの行方は杳として知れない。
後日、『対策課』から正式に、ムービースター――いや、ヴィランズと認定したオフィーリアの身柄を補足する依頼が出されるだろう。
(了)
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クリエイターコメント | リッキー2号です。 おまたせしました。『黒薔薇館の秘密』をお届けします。 かくして、秘密を抱く館は業火に焼かれ、この物語は結末へと走り出します。オフィーリアとの最後の対決を描く次回シナリオにて、またお目にかかりましょう。
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公開日時 | 2007-06-01(金) 21:00 |
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