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<ノベル>
ひとりの男が、銀幕ベイサイドホテルから出てきた。
黒づくめの男だ。
ユージン・ウォン。
サングラスをかけていなかったとしても、人は彼の今の表情を読み取れまい。凍りついたような無表情だ。彼は足音も立てず、しかしつかつかとしっかりした足取りで、黒塗りの高級車に歩み寄る。黒服の男が、うやうやしく後部座席のドアを開けた。
乗り込む直前、ウォンの足がぴくりと止まる。
「やあ」
ウォンの風貌とはある意味対照的な、白銀の髪の優男が現れたのだ。男はウォンが放つ威圧感や、ウォンを取り巻く黒服の男たちの視線にも恐れることなく、近づいてきた。
ウォンが軽く手を動かせば、黒服たちは何も言わずに散り、あるいは車に乗り込む。この場には、ウォンと、その男――吾妻宗主だけが、残された。
「……リゲイルちゃんには、言ってきたんだね」
「ああ」
「納得してくれた?」
「いや」
「だと思った」
「『自分のせい』だと思っているようだ。あいつは」
「……あの子『も』、か」
ウォンは押し黙った。宗主の顔からも、いつものおだやかな笑みが消えている。ウォンは無言のまま、宗主に車に乗るよう促した。すぐには乗らず、宗主はまっすぐにウォンの無表情を見つめる。
「行くのかい」
「無論だ。だが、奴に会う前に寄るところがある」
「付き合うよ。どこへ?」
「対策課だ」
ふたりは車内に滑りこんだ。高級車は静かに、冷めた空気の中を走りだす。
「……あいつは、準備が良くてな。いつもそうだったが」
不意に、ウォンが話し始めた。まるで独り言のようだ。宗主はあえて相槌を打たない。
「『穴』には近づくなと、念を押していた。根回しまでしていたようだな。私は近づかないことにした。あいつの言葉を信じたからだ。あいつも行かないはずだと信じていた。だが結果はこれだ。私は……何もしなかったのだ」
車は角を曲がる。
ベイサイドホテル上階の窓のカーテンが、そのとき、ゆっくりと閉まるのを見た者は……いただろうか。
わからない。
蜂はモーゼと化したか。
彼が歩けば、人の気配はふたつに裂けて、彼に道を譲るのだ。〈まだらの蜂〉。ひいては、ムービーキラーそのもの。市民の多くは柊市長邸前で起きた惨劇をまだ知らないが、銀幕ジャーナルを通じ、ムービーキラー〈まだらの蜂〉がいかなる存在かはわかっていた。
幸い、〈まだらの蜂〉は物騒なサブマシンガンを引っ提げてはいるが、リオネを柊邸から連れ出してから、一度も発砲していない。彼の姿を見て、ぎょっとして、それから逃げだす市民も少なくはないが、〈まだらの蜂〉はわざわざそれを追いかけて殺すような真似はしなかった。ただ、ときどきよろめきながらも、ゆっくりと確実に、進んでいくのだ。
終焉に向かって。
「ああ。そう だ」
グクククク、と狐面の裏側に笑いを含ませながら、〈まだらの蜂〉が足を止めて振り返り、あとに続くリオネを見下ろした。
「ちょっと、そこ、座ろうか。ね?」
サブマシンガンの銃口で、〈まだらの蜂〉は銀幕広場の一画を示した。
そう、銀幕広場。リオネはずっと、生きた心地も抱けず、ただひたすら彼について歩いていた。いつの間にこんなところまで歩いてきたのかと、リオネも驚く。
いつも賑やかな銀幕広場に、今は、人っ子一人いない。ポップコーンやホットドッグを売る露店も、店員をなくして、ひっそりとたたずんでいる。耳をすまさなくても、聞こえてくるのは遠くのサイレン。それはたくさんの壁で跳ね返り、すっかり歪んでしまった音だった。
まだら模様のムービーキラーは、アイスクリームワゴンのそばのベンチに腰を下ろした。リオネはその隣に座る気にもならず、かと言って逃げだすこともできず、ただ、彼のそばで立ちすくむ。
〈まだらの蜂〉はそんなリオネを見ているのかいないのか、わからない。ただ、ミダスの足元からごっそりと引き抜いてきた黒いバラを、ばさりと膝の上に置いた。そして、花や葉を落とし、棘で指を血に染めながら、しかし器用に――縄をなっていくのだ。バラの茎は、まるで魔法のように、棘だらけのロープに変じていった。
彼の血が沁みこんで、まだら模様ができたロープ。〈まだらの蜂〉は、やはり慣れた手つきで、輪を作った。
「ほら。できた」
〈まだらの蜂〉は、まだらの輪をリオネに手渡す。
「それを、首にかけて。ほら、そしたら、そこを締めるんや。ネクタイみたいに」
なに、これ。
リオネがそう問うよりも先に、狐面の男は命じていく。リオネは、棘と血にまみれた輪を見て、ごくりと生唾を飲みこんだ。これが何であるのか、彼女にも、わかったのだ。
海賊が出てくる絵本やアニメや映画で見た。
これは、しばり首にするための――
「あはは。仕方ないだろ。誰もあんたを殺せない。だから、殺してもらわなあかん。こっちの端は俺がしっかり持っててやるから。なーに、大丈夫さ! だって、あんたは軽いだろ。何にも心配しなくていいんだ。あんたはそれを首にかけて、飛びこめばいいだけやねん。な 、わかるやろ? 簡単だ。仕方ないだろ。誰もあんたを殺せない。だから、殺してもらわな――」
『対策課本部より銀幕市民へ。外出を控えられたし。中央広場−杵間山山麓間の交通を一時的に規制する。走行中の車両は速やかに停止せよ。歩行中の市民は最寄の建築物内へ避難すること。繰り返す。対策課本部より銀幕市民へ――』
「……マルパスさん!」
リオネが顔を上げて、今にも落ちそうな空を見た。銀幕市上空に響きわたったのは、マルパス・ダライェルの声だ。反響する寂を含んだ声は、どこからか雷鳴を連れてくる。対策課が流した緊急放送にまぎれて、ロープの端を握った〈まだらの蜂〉が笑い声を上げた。
対策課が、〈まだらの蜂〉が現れ、害を成していることに気づいたという証拠だった。
「いいからはやくくびになわかけるんだ、神様」
マルパスの通達など意にも介していないのか、それとももう意味を理解していないのか――。狐面の男はリオネを見下ろし、歪んだ声で命令していた。
リオネは凶悪な輪に目をやった。輪は震えていた。輪を持つ手が、笑ってしまうくらいひどく震えているのだ。〈まだらの蜂〉が何を望んでいるのか、彼女にもわかっている。他者が傷つけることのかなわない身体ならば、自分で自分を傷つけてもらうしかない、と――狂っているはずの男は、そんな考えに辿り着いたのだ。
黒い棘は、持っているだけでも、ちくちくとリオネの手に食いこんでいる。血が出ているかどうかはわからない。
狐面の、薄汚れた顔が、無言でリオネを急きたてていた。
「……」
夢の神の子は、ゆっくり、輪を頭の上に持っていく。
「――ひゃっ!?」
突然だった、リオネを護る見えない力がきらめいて、思わず彼女は棘の輪から手を離した。魔法の壁は、棘の輪をも跳ね返したのか――
いや、違う。
ばづん、と狐面の男の右手首が砕けた。
ぱづん、ぱぎゅん、ぱづッ!
赤黒い血煙になって、狐面の男の右腕が消えていく。銃撃だった。棘のロープの端は、握りしめていた手首ごと地面に落ちた。リオネは耳をふさぎ、悲鳴を上げてしゃがみこむ。一方、〈まだらの蜂〉も黙って撃たれているばかりではなかった。身を翻し、赤黒い血飛沫をまき散らしながら、アイスクリームワゴンの後ろに身を隠す。アクション映画やバイオレンス映画――たとえば『死者の町』の、銃撃戦そのままに。
次いで、ロスから贈られたという大きなソテツの陰から、ふたつの影が飛びだした。
それまでリオネも、恐らくムービーキラーも、察知できないでいた気配が、それを機に爆発する。銀幕広場には、彼らが潜んでいたのだ。じっと、息を殺して。この瞬間まで、ずっと。
黒い光と冴えた光が、アイスクリームワゴンを叩き斬った。新たな赤い霧が吹き上がったが、砕け散るワゴンと壊れたパラソル、ドライアイスとアイスクリームが織り成す混沌から、〈まだらの蜂〉が飛びだしてくる。
「『う』ぅぅウウ『ウ』あ『゛』ァァアああああおおお『悪』ひょオオオぅ!!」
狐面の男が上げた叫び声は、風の音や獣の声や、歓声がない交ぜになったものだった。
レナード・ラウと斑目漆、どちらの声でもなくなっていた。
ワゴンの残骸を蹴散らし、ふたつの刃が走りだす。
それは、ティモネと取島カラスであった。
リオネが顔を上げたとき、車道をはさんだ向こう側で、小暮八雲が銃を構えなおしていた。〈まだらの蜂〉は、右腕を粉砕した銃撃者――八雲を目指して、足音も立てずに疾走している。
「大丈夫か!?」
リオネの身体が、引き締まった温かい腕に支えられる。顔を上げた神子が見たのは、李白月の顔だった。途端に、ぶわっ、とリオネの大きな目から涙が溢れ出す。
「だめだよ! みんなあぶないよ、にげて!」
「それはできない」
取島カラスは、リオネの後ろでそう言い放った。それきり、彼は〈まだらの蜂〉に向かっていった。
「誰も死ぬ気なんかないって。心配すんな。……みんな逃げちまったら、誰があいつを止めるんだ……?」
白月はリオネの肩に手を置き、まるで独白のような言葉を、彼女に言い聞かせた。
「でも、でも……!」
「こっから逃げたほうがいいのはあんたのほうだ。俺たちが何とかする。逃げたくねえなら、隠れてろ」
中身が詰まったポリバケツが転がり、段ボールの山が崩れる音が、白月の言葉をさえぎった。彼は振り返る。
「あァ、くそッ!」
八雲が燃えないゴミと血をまき散らし、悪態をつきながら、〈まだらの蜂〉の前から離脱しているところだった。〈まだらの蜂〉は――右手で苦無を振りかざしている。
右手。
八雲が吹き飛ばしたはずの右手が、生えている。何ということか、それは。
呪符や帷子が巻きつけられた、忍の手だ。
地面を転がる八雲の左肩と左の二の腕には、手裏剣がめり込んでいた。ずざあ、と地面を滑る彼の身体の上を、ティモネが軽やかに跳び越える。振り上げていた大鎌を、狐面の男に振り下ろす。
恐るべきほどに、たやすく!
ムービーキラーはティモネの一撃を避けた。大鎌の攻撃は、あまりに隙が大きすぎる。白と黒の女の懐に、〈まだらの蜂〉は当て身を食らわせた。
ティモネの息を呑む音。
しかし、狐面が振り上げた苦無は、飛び込んできた取島カラスが、サバイバルナイフで受けた。灰色の空と町に、火花が散った。
「なんで! なんでだよォ!」
裏返りかけるほどの強さで、白月が大声を上げている。
「もうやめろよ! なァ! やめろって!」
それは、誰に対してのさけびなのだろうか。
大鎌のティモネ? 取島カラス? マガジンを交換した八雲か?
〈まだらの蜂〉なのか、
自分なのか。
さ・さ・さ・さああああああああざあああああああ。
遠くで、荷台からドラム缶が落ちる音。いや、それは、雷鳴である。そして近くにあるのは、白月のさけびをもかき消そうとしているのは。
春を穿つ灰色の雨。
「私からも、どうか聞かせて、どうか」
濡れた鎌の柄は、いやに鉄臭い。血が洗い流されていくのだ。汗も血も、言葉も、冷たい、この雨が。
「どうして。リゲイルさんを泣かせたのは、どうして? 漆さんもラウさんも、あんなに……あんな……、どうして!」
雨粒を弾き飛ばして、11発の弾丸が飛んだ。
乱戦であっても、八雲の射撃に狂いも迷いもない。カラスや白月、ティモネの刃や身体をくぐり抜け、〈まだらの蜂〉に弾丸がめり込む。
誰かの悲鳴。
誰かの笑い声。
誰かの咆哮。
「神を! 殺させろ! 頼むから! なぁ! 邪魔せんといて! あ
は
は
!」
雨をも溶かす血を噴きながら、〈まだらの蜂〉の右の肘から、腕が生えてきた。ポーランド製のサブマシンガンをしっかり握りしめた、スーツを着た腕。八雲の連射のお返しとばかりに、弾丸がばら撒かれる。
カラスがものも言わずにティモネを突き飛ばした。〈まだらの蜂〉の弾丸が、彼の肩と腕にまともに食らいつき、脇腹の肉に突き刺さる。獣のような咆哮を上げて、白月が棍を振り上げ、弾幕の間に滑りこんだ。
「やめろっつってんだろ……! 何になるってんだよッ! ……ッらァ!!」
しかし、この一撃が、狐面をとらえる前に。
白月は見てしまった。
雨と血が、狐面の顔を彩る絵の具を溶かしたせいなのか、……ふと、男が泣いているようだった。それは気のせいだった。単なる思い違いである。きっと。
ゴロジデグレなどとは、言っていない。
このムービーキラーが望むのは、本当に、ただひとつ。
神の死、
魔法の終わり。
「ぅあッ!」
白月の手から棍は落ち、彼の白い髪と顔が、赤で汚れた。白月の隙をついた狐面は、電光石化、逆手に持った左の苦無で、白月の右目を切り上げていた。
「オイ! 大丈夫かよ!」
白月の動きが止まった。彼が目を負傷したことに、いち早く気づいたのは八雲だった。焦った叫びを上げて、八雲は銃の狙いを一瞬で定め、迷わず引金を引いた。
返す刃を振り下ろそうとしていた〈まだらの蜂〉の左手が、ばしゃん、と血煙になった。
八雲は得物をマグナムに変えていた。
続けて、歪んで汚れた狐面に狙いを定めたが、異形の右手の短機関銃に逆に狙いをつけられて、殺し屋は舌打ちし、びしょ濡れの地面を転がった。弾丸の掃射は、間一髪で避けた。いや、当たったか。アドレナリンのおかげで、どこが熱くてどこが痛いのか、よくわからない。
「あ『あ』゛。ハ……あはは……あんたたちにはわからないだろう、うねぇ。それはどうしてか? お館様が……雪の降る日に……死んだのさ。あワ……はは。俺のせいで。わからないだろう、だろう、ねぇ。だって……神様、お……オ……きょアアアアアああああ!!」
ご、ッ!
「えっ……、あ……!」
「な、なん……だ? あ……」
雨が。
やんだ、
雪が降り始めた。
〈まだらの蜂〉を中心にして広がった波紋が、銀幕広場を、銀幕市を、セピア混じりのモノクロに変えていった。これは……ロケーションエリアだ!
降りしきっていた雨が雪に変わり、ティモネとカラスの身体が、音を立てて捻じ曲がり始める。身体じゅうに角が生える。皮膚の色も、顔立ちも、何もかも、めぎめぎばがばがと変わっていって――
鬼とも竜とも人ともつかぬ、異形の妖怪が首をもたげた。
「は、ッ……あ……、こいつァ……」
八雲は膝をつき、自分の手を見た。
オートマチックも、マグナムも、べぢべぢと崩れて、落ちていく。
「な……、何が起こって……」
「あの 凍える夜」
狐面の男がささやいた。
「俺は無力だった。だからあんたも……無力なのさ。あはは は あはは わかったろ。さっさと、いいからはやくくびになわかけるんだ」
『よし、わかった。蜂同士、殺し合うとしよう』
モノクロの町に、錆びついた声が響いた。
「それってもしかして隠れてるつもりかい、リオネちゃん」
「ひゃ!?」
ソテツの陰から髪やドレスの裾や顔半分を思い切りはみ出させて、戦いを見守っていたリオネ――そんな彼女の背中に、やわらかい声が投げかけられた。
振り返れば、吾妻宗主が、いろいろと小脇に抱えて立っていた。笑みはあったが、うっすらとしたものだ。
「頭隠して尻隠さず……って言うけど、お尻どころか頭もまともに隠れてないよ。ほら……」
言いながら屈みこむと、宗主は抱えていたものをばさりと広げて、雪と雨を浴びたリオネにかぶせた。少し煙草の匂いがする、黒いブランケットだ。それから、彼は缶紅茶を差し出した。
「寒いだろ。カイロがわりに」
今はリオネもものを飲んだり食べたりする気にならないが、彼女は缶を受け取った。かじかんだ手には熱いと思えるほどに、紅茶は温かい。
銃声が聞こえる。
笑い声も。
その合間に、ユージン・ウォンが喋っているのだろうか。無言である可能性も高いが。
「できればここを動かないでいてほしいんだ。彼の目的はリオネちゃんだからね。ここで彼をなんとかするよ。ウォンさんと対策課にお願いしてきたんだ……さっきの司令の放送、聞いたでしょ? 彼はわざわざ人を追いかけて殺しに行ってはいないはずだから……隠れていればきっと大丈夫。もう、誰も彼には殺させないよ」
「……でもリオネ、あのひとにころされなくちゃならないくらい、いけないことしたんだよね」
白い息を吐き、リオネがぽつりと呟いた。
宗主は笑みを曇らせて、広場前の通りの様子を見る。
血まみれだった、
何もかもが。
「君がしたことは、確かに悪いことだ。でも、いいことでもあるんだよ。少なくとも、俺はリオネちゃんにすごく感謝してる。俺と同じ考え方の人は、いくらでもいるよ。……夢みたいな毎日だ。このときだって……夢と同じ」
「……」
「夢って、楽しくてきれいなものばっかりじゃないだろ? 君にとっては、この出来事も……『勉強』なのかもしれない。大人の神様になるための、ね」
宗主は微笑みかけてから、立ち上がった。リオネは彼を見上げ、ぎゅうと紅茶缶を抱きしめる。逃げ出そうとする様子は見せなかった。
「彼をとめてくる」
宗主はコートの前を開けた。もぞもぞと懐から彼のバッキーが出てきて、小さな目で宗主の横顔を見上げる。
「ラダ。みんながチャンスを作ってくれるはずだ。逃さないでくれよ」
『おまえの……おまえたちの思いに、俺は気づいていなかった。気づこうともしていなかったのか。「終わって」しまってから思い返しても、何の意味もない。リゲイル……レン……漆。俺は神の子同様に、おまえたちに対しての罪を……負ったのかもしれない』
どこから聞こえてくるのかわからないが、誰のものなのかはわかる声。
のたうつ異形の妖怪。右目から流れ出す血を止めていた白月。膝をついたまま、無力の八雲。そして〈まだらの蜂〉。
誰もが、ユージン・ウォンの到着を知る。
「赦せ、とは言わん」
ずおッ、と新たな波動が広場を駆け抜け、
ティモネとカラスの、当たり前の姿が一瞬で戻った。八雲の手にも、銃が戻ってくる。
だが、町の色は無慈悲なモノクロのまま。雨も雪に変わったままだった。
「俺がいつ、神の死を望んだ?」
じゃカッ、
これは、銃のスライドが戻る音。
「神には生きて罪を償ってもらう」
「お館様」
姿を現したウォンに向かって、狐面の男は首を傾げた。
「やっと、帰れた。お館様。俺はやっと帰れました……」
血と雨と黒と雪。男のスーツは、まだら模様。汚れて、塗装も流れた狐面は、もう無貌であった。よく見れば、その面には目出し孔のひとつも開いていなかった。
右手が上がり、サブマシンガンが火を噴いた。
その前に、ウォンの銃からも、弾丸が放たれていた。
ウォンの弾丸は狐面の眉間をとらえ、ムービーキラーの弾丸は凍えた空を撃ち抜いた。〈まだらの蜂〉は、倒れていたのだ。取島カラスが、傷をおして、ディレクターズカッターを振るっていた。とても起き上がれなかった、だから輝く刃が斬ったのは、〈まだらの蜂〉の左足首だった。
ユージン・ウォンは唇を引き結んだ無言の表情のまま、すばやく〈まだらの蜂〉に近づく。倒れたムービーキラーを見下ろす。有無を言わさず、その狐面に弾丸を叩きこんだ。
1発、
2発、3発、4発、
BLAmぐちゃBLAMごちゃBLAMBLAMくぢゃぱきBLAMびしょBLAMぱグッ!
『お館様、王大哥。大哥。お館様……殺すん、だ』
頭は血と肉の赤黒い塊になっても、その声は聞こえ、いびつな右腕が上がった。ウォンは動かない。銃口をムービーキラーに向けたまま、眉のひと筋すら動かさない。
ムービーキラーの腕が飛んだ。
宗主がディレクターズカッターを振り抜いていた。彼の肩から白いバッキーが跳躍し、地面に落ちゆく〈まだらの蜂〉の右腕に飛びつく。飛びつくなり、がぷりと腕に噛みついて、ぺろりと呑みこんだ。バッキーの身体よりも大きい異形の腕が胃袋に消えるさまは、まさに魔法であった。少しだけふくれた腹を抱えて、尻から宗主のラダが地面に落ちる。
ぅぎゅ。
とたんに、ラダの表情が微妙に変わる。変なうめき声を上げて、白いバッキーは白い腹を抱えてしまった。
「……黒刃!」
「アオタケ!」
カラスとティモネのバッキーも、合図に即座に従って、仰向けに倒れた〈まだらの蜂〉に飛びついた。
かぷ、と歯があるかどうかもさだかではないバッキーの口が、そのまだらの身体にかぶりついた瞬間――
『あ「お」゛ぎゃブぁぁああッ、この! 俺がッ! あ! 殺して! ばばばば、やる! ッてんだァああッ!』
ざん、と〈まだらの蜂〉の身体を内側から引き裂いて、
黒とも緑とも赤ともつかない色彩が、飛び出してきた。
その質量も大きさも、人間ひとりぶんのものを凌駕している。
姿かたちもわからない。無臭であり、無貌。真正面にいたウォンは反射的に伏せた。伏せなければならないという直感がそうさせたのだ。ウォンの頭上を飛び越え、それは……
翼か、あるいはヒレのようなものを広げて、銀幕広場の中央へ飛んでいく。
「まさか、リオネちゃんを!」
宗主が走りだす。八雲が彼を追い抜いた。走りながら、得体の知れないものにマグナムの弾を浴びせかけていた。
ぼフ、と翼を広げたものに、マグナム弾が命中する。
しかし、霧散した色彩は、すぐに集束した。そして、具合の悪いことに――
「うぉッ……余計なコト、しちまったか!?」
八雲が撃ち抜く前よりも、大きくなっていた。まるで銃撃の威力をそのまま自分の容積に加えたかのようだ。
黒い存在はリオネの頭上で静止した。
リオネがかぶっていたブランケットが落ちる。握りしめていた紅茶缶も。ささしゃしゃしゃしゃしゃしゃ6;f0qdf8.xue8.xuebk6;s0qdqaf8.xue8.xue8.puer@.rs@4dwbk0qdq@:t@s@4dwkorodw7.b\ d w 7 . r@.e 8.pue uyw@ 3 f f f f 0 o 4 u3 3 3 3 3 #########333#######1111 6 j5qa q@:f##311しゃしゃささささ さ さ ささささささ さ しゃ わ わ わわぁぁぁ……!!
ぞフ。
それは、消えた。
干からびた黒い灰になって。
冷えきった空気の中に、溶けていく。
ほどけて、
煙草の煙のように。
ティモネとカラスが、ウォンが、張り裂けた〈まだらの蜂〉の骸に目を落とす。
しかしそこに、無残な屍はない。緑と黒のバッキーがすんすんと匂いを嗅ぐ、ぼろぼろの黒いフィルムが2巻、そこに転がっていた。
雪が、完全に雨に戻っていた。
降りしきる初春の雨に打たれ、朽ちた黒いフィルムは、溶けて……消えてしまった。
「――サヨナラ」
カラスがかすれた声で呟いた。
「ごめんなさい」
フィルムが転がっていたところに、地面の黒い染みに手を当てて、ティモネがささやく。
「ごめんなさい、楽しい夢で、終わらせられなくて――」
その手をのぼって、緑色のバッキーがティモネの肩に腰を落ち着けた。
李白月は、その黒い染みから目をそむける。彼の顔、右目には、服を破いた切れ端が巻きつけられていた。布はすっかり血を吸って、真紅に染まっていた。
「……大丈夫か、それ。目が……」
何も言わず立ち去ろうとする白月に、八雲が声をかけた。白月は足を止め、布の上から右目に触れて、軽く首をかしげる。引きつった苦笑いが漏れた。
「さあ。どうだろな。なんせ自分のツラだから、どうなっちまってんのかわかんねえや」
「なあ。お前はさ、どう思う」
「ん?」
「あの神様のガキ、殺したいか?」
「まさか」
「よかった。……俺だけかと思っちまって」
銃をようやくしまいながら、八雲が呟く。
「俺はさ、こうやって映画の中から引っ張り出されたこと、……ちっとも迷惑なんて思っちゃいねェから」
「俺も毎日楽しくやってるさ。……そうだな。今度、リオネにそのこと、言っとくか」
白月と八雲が見たリオネは、ソテツの前で、立ち尽くしていた。
「……ラダ。おい、大丈夫か?」
宗主のバッキーは、相変わらず微妙な表情で腹をさすっている。宗主がその背中をさすると、白いバッキーは苦しげにあえいで、そのうち黒いフィルムの切れ端を吐き出した。
宗主はそれを手に取る。今しがた消えた黒いフィルム本体と違って、その切れ端はいくぶんしっかりしていた。掴んでも、崩れそうな気配はない。
「……」
そっとそれを灰色の空にかざして、透かしてみる。
ああ。
満開の……ひまわり。
満開の笑顔のリゲイル・ジブリール。
腕を組まれて、まんざらでもなさそうな笑顔の忍者。
正義の味方が、
わらっている。
わらっている。
ひまわりといっしょに。
青い空の下。
ああ。
きょとんとした顔。
そんな顔を、誰に見せたことがあるだろう。
銃ではなく、スプーンを手にして。
クリームたっぷりの、イチゴパフェを前にして。
レナード・ラウ、
きっとその香りと甘味の中で、彼は幸福だった。
こんなものと、
縁があったなんて。
この俺が、ねぇ。
ああ……。
★ ★ ★
翌日だ。
市役所の会議室に、マルパス・ダライェルと柊、植村の姿があった。昨日の今日なので、市役所の窓口は対応に追われていた。今回は、一般市民からも死者が出ている。ムービーキラーの脅威、得体の知れない『穴』への恐怖は、市民の臨界点に達しようとしていた。銀幕市から転居する住民の数は、増える一方だ。植村の仕事も終わりが見えない有り様なのだが、今は緊急の情報が入ったと、仕事の一部を灰田に任せている。
「昨日、ウォンさんと吾妻さんが〈まだらの蜂〉退治の前にいらっしゃって、これを」
植村がノートパソコンを起動した。ウォンから渡されたという動画を再生する。
「映像の乱れが激しいな。修正は可能かね」
「やってみるつもりです。ただ、とりあえず、今はこの音声を聴いてみてください」
ノイズばかりで、何も映っていないムービー。しかし、植村の言うとおり、不鮮明なムービーの中には、声が入っていた。ふたりの男の声だ。映像ほどではないが、音声も乱れていて、注意深く耳をすまさなければ聞き取れない。
『なん――だ、これは……どういうことだ』
『……ここ……は……』
『大丈夫か。しっかりしろ』
『俺ら…………底に……?』
『着いたはずだ。穴の底に。だがこれではまるで……』
『……』
『穴を降りたと思ったら、登っていたのでもいうのか?』
ザ――。
そのとき、一瞬、ノイズが晴れた。
ほんの一瞬だ。
『お、おい。大丈夫か!? おい……!!』
ムービーはそれきり、ぶつりと途絶える。
柊はこくりと生唾を呑んだ。マルパスは目を細め、植村に代わってパソコンを操作し、ムービーを途中で止める。
一瞬だけノイズが晴れた、その瞬間で。
「これは……空か」
「はい。そう見えます」
「声は誰のものかわかっているのかね?」
「ウォンさんは、レナード・ラウさん、斑目漆さんのものだろう、と言っていました。『穴』の奥に入って……その……ムービーキラーになった……あのふたりです」
「『穴』には、底があったというわけか――」
「昨晩ですが、ウォンさんは自宅にも来ました」
柊が言う。
「ミダスに言っていました。ミダスの力で、あの『穴』を埋めるべきだと。しかしミダスは昨日の事件でひどいケガをしてしまいまして、さすがにしばらくは動けないようです。前回の『穴』の調査でもケガをしましたからね。ダメージというんですか……それが蓄積してしまったようで」
「そうか。しかし、彼の回復を待つ間、市が何もせずにいるわけにもいくまい。ムービーの解析を進めるとしたら……『穴』周辺の監視の目を増やしてはどうかな」
「それは構いませんが」
「このムービーから、『穴』の内部がまったくの虚無ではないということが市民に知れ渡ることになるだろう。内部を探りに行こうと考える者も出てくるはず。今回の悲劇を鑑みれば、防がねばならないのは、新たなムービーキラーを生み出さぬことだ」
マルパスは軍帽を取ると、空が映し出されたラップトップの画面を見つめた。
目を閉じた。
対策課の片隅には、リオネがいる。
柊邸の周辺は警察に固められて、玄関先も玄関ロビーも修復中だ。学校に行く気にもならず、かといって町をぶらつく気にもならず、今は柊のそばで大人しくしている。結局、市役所もいつも以上に混乱していて、落ち着かないのだが。
「わ、わわわわわわ」
「あっ!」
山のような書類を抱えた灰田汐が、リオネの前で豪快に転んだ。
「だ、だいじょうぶ?」
「あああ、だいじょうぶだけど、住民票が住民票が」
灰田がばら撒いてしまったのは、銀幕市の住民票だった。リオネは拾うのを手伝った。……そのうち、ぴたとその手が止まった。
「このひと……」
「あ。それ、つい最近登録したムービースターね」
「あしや……どうまん……」
「リオネちゃん、知ってるの?」
「しらない。でも……リオネ、わかるの。このひと……うるしさんの、たいせつなひとだよ」
「うるしさん、って。ああ――斑目、漆さん」
「あやまってくる」
「えっ?」
「リオネ、このひとに、うるしさんのことおはなしする。それから……あやまらなきゃ。しおさん。これ、かりるね」
葦屋道満。
彼の住民票を握りしめて、リオネは駆けだした。「個人情報が」、と灰田が引き止める余地はなかった。彼女があまりに、真剣なまなざしでいたから。
「あ――」
そして市役所を飛びだしたリオネが感じたのは、春の香りだった。
まるで抜けるような青空。
昨日の泣きっ面が、嘘のような。
ちらちらと風が運んでいるのは、桜の花びら。
「もう、さいたんだ……さくら」
それはとても、晴れた日で。
けれど町は、とても静かだ。
泣くことさえできないほど、あまりにも……
フィルムの切れ端が、箱の中に収まる。
ユージン・ウォンがうたう静かな歌が、蓋が閉じると同時にとまった。
〈了〉
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クリエイターコメント | 終わりました。
一部、名曲『raining』より引用しています。 『アンインストール』からも引用しようと思いましたが、やめました。 どちらも聴きすぎると死にたくなる歌だから、かもしれないです。
ギリギリまで時間をいただいて書きましたが、ドラマの他にもけっこう重要な情報を練りこんであるので、どなたさまもご一読してくださると幸いです。 また、特別シナリオとは何をもって特別なのか? と考えた結果、今回、故人となったお二方とゆかりの深い未参加PC様のお名前を明記させていただくことになりました。諸口のスケジュールの関係でこれ以上の枠をご用意できず、申し訳ありませんでした。こういったかたちになりますが、お詫びをさせてください。
※ヒントみたいなもの:諸口はかな入力 |
公開日時 | 2008-03-31(月) 20:00 |
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