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<ノベル>
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漠然とした不安から生まれた騒動は、徐々に聖杯通りを満たしていった。
人々は足を止めて、振り仰ぐ。
十七階建ての古びたビルを。
不吉の象徴と呼ぶには平凡な、けれど違和感のある存在。
七瀬が駆けつけた時、数人の若者が笑いながら入っていこうとしていた。
「駄目です!」
思わず叫んで、一人に飛びつく。鬼気迫る勢いにひるんだのか、彼らはぶつくさ言いながら諦めて引き下がった。
ビルの周囲には、野次馬の輪が出来ていた。増えていく厚みとビルを見比べて、七瀬は軽くパニックに陥る。
「対策課……? 警察……?」
携帯電話を取り出したはいいが、どこに真っ先に連絡すべきなのか見当もつかない。指が迷う。
「やっぱりここは」
迷った時の編集長、と電話帳を開いた。だが、一回目のコールの最中で、誰かがビルへ歩み寄っていった。七瀬はその腕にすがりつく。
「駄目です! このビル、ミハエル・スミスのロケーションエリアなんです! だから、」
「そうなんだー」
場違いなほどのんびりした口調で答え、柊木芳隆はビルを見上げた。だが、目は鋭い。
「あの……?」
「見取り図と、設置された爆弾の位置および数を確認……てとこだね。ああ、これ、そこそこ威力のある魔法の道具。本職が来るまで、それでなんとかしのいでねー?」
安心させるように七瀬の頭をぽんぽんと撫で、柊木は一巻きのテープを渡した。地は黄色で、KEEP OUTの文字が延々と連なっている。本物ではないが、確かに効きそうだ。
「……あ、はい! 頑張ります!」
すべきことが明確に見えて、七瀬は力強く頷いた。
柊木は踵を返し、資料を求めて市役所へ急いだ。
●
「なんじゃ、面妖な」
ゆきは呟いて、途方に暮れる人々と共に周囲を見渡した。ありふれた日常が一変、ひびだらけのコンクリートに囲まれている。
妙に寒々しい場所だった。間取りからして住居のようだが、人も、物も、ドアもない。大きく取られた窓はただの穴で、ガラスは一枚もなかった。空っぽの、器だけしかない空間。
床には白い粉が撒かれ、所在なくうろつく人々の足跡を記録していた。
何かに巻き込まれているのだ、というのは想像がつく。が、それが何なのか、まだわからない。
壁には穴が塞がれた跡があり、そこからコードが伸びていた。数えるのもおぞましいほど、沢山。束ねられ、部屋の隅を這い、いずこかへとつながっている。
誰も、穴の中を確認しようとはしなかった。見てしまえば事態に直面しなくてはいけなくなる。それを、無意識のうちに忌避した。
逃げよう、と誰かが言いだし、人々は群れて動き出した。部屋を出てみればそこは廊下で、等間隔で入り口が並んでいる。
どこかに出口があるはずだ。きっと、必ず、そうでなくてはならない。
「ほら、行こう」
他人を気遣う余裕のあった大人が、ゆきに手を伸べる。その配慮をありがたく思いながらも、首を横に振った。
「すまぬのう。わしは、共には行かん」
それ以上の問答を避けて、逃げるように走り出した。他にも、巻き込まれた人間はいるだろう。どこで誰がどんな心理状態に陥っているのか、わからない。ここはたまたま均衡を保っているが、そうでない場面もあるだろう。
自分を助けるために動くのはたやすい。だが、手が届くなら、自分以外の誰かも助けたい。
ムービースターだとか、一般人だとか、関係ない。
人間が好きだから。人々は幸福になって欲しいから。
だから、ゆきは努力する。
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陽の当たらない一角で、鈴木字楽は悦に浸っていた。
「私は間違っていました……ねえ、ペトルーシュカ」
ミッドナイトカラーのバッキーに話しかける。粉だらけの床に置かれて不機嫌なのか、返事はなかった。
「爆破殺人……人体が粉々に飛び散る、悪趣味な方法……くくく。先日は惜しいことをしました、が」
呟くように語るように、熱っぽく喋りながら手を動かす。握られたカッターナイフは、壁面の穴を暴いていく。刃が、危なげにコードをかすめる。
蓋の役割を果たしていた詰め物を取り除くと、コードをたぐった。穿たれた穴から、ダイナマイトの束が引きずり出される。
「けれど、そんなものを見なくてもよいのです。そう、爆弾そのものを見ればいいのです!」
哄笑すると、字楽はしゃがんだ。無粋なビニールテープを取り除く。ほどけたコードに指を這わせると、喜悦の笑みがこぼれる。
「あぁ……あぁ」
眺めて、分解して、触れて。悪意なく作られた凶器は、どんな本性をさらしてくれるのだろう。
カッターの刃を戻し、伸ばし、少しだけ出す。鋭利であるように、先を一枚折った。
どこから手を付けようか、狂おしいほど悩ましい。
ふと顔を上げたペトルーシュカが、警戒の意味で鳴いた。背後から褐色の腕が伸び、字楽の肩を掴んで振り向かせる。
「ファッキン! 何してる」
答えによっては殺す、と顔に書いて、ミハエルは迫った。いつもは人当たりのいい笑顔を浮かべているが、それは表面上のことだ。職人としての領分を侵されてなお、笑ってなどいられない。
字楽は至極真面目に答えた。
「好奇心を満たしているのですよ。発火装置! 時限装置! 火薬! 配線! どんな構造になっているのか……どう繋がっているのか……どう作用するのか……。知ることができれば、どのように建物を抉るのか、……人はどんな風に霧散していくのか……くはは! 一瞬で終わってしまう爆破を見物するより、もっともっとエクスタシィじゃないですか! ねえ、ペトルーシュカ!」
段々とエキサイトしていく様に、ミハエルは怯んだ。手を離し、後ずさる。
「あんた……クレイジーだ。こんな現実よりくそったれな連中より、いかれてやがる」
「素敵な褒め言葉ですね」
字楽は、人間だ。バッキーという脅威を連れていても、か弱い人間だ。常識の範囲内で殺せる存在だ。
なのに、底知れないものが漂っていた。
相手が黙ったので、字楽は作業を再開する。笑いながら、カッターをメスのように握って。
ミハエルは足を振り上げた。無防備な脇腹に安全靴が刺さり、ウェイトのない体はペトルーシュカの上に転がった。
潰されたバッキーは気絶する。
「ぅ……」
咳き込む字楽の首に腕を回し、締めた。抵抗がなくなるまで。さらに続ければ殺せたが――やめた。無駄だ。
腕と足をガムテープで巻いて、転がしておく。
じきにビルは瓦礫となる。内包するすべてを押し潰して。
ダイナマイトを元に戻し、ミハエルは目をつぶった。
●
「店長スイマセン!」
エディ・クラークは勢いよく頭を下げた。
ダイニングレストラン『ヴァンサン』は、一瞬にして静まりかえった。
「行かせてください」
顔を上げて、頼んだ。
まだ準備中で客はいない。が、エディ一人が抜けただけで営業が難しくなるような、そんな状況であることは全員がわかっている。
店長は難しい顔で、沈黙した。
BGMとして流れるラジオは、緊急事態を告げた後、第二弾を待つ人々を苛立たせるかのように通常通りの放送を続けている。
聖林通りに廃ビルが現れた。ムービーハザードと思われるが、倒壊の危険があるので近づかないように。
スタッフの間に動揺が広がった。
あの後、皆で集まって『蝶の夢』を観た。作中で彼は、主役達の夢と希望が詰まったアパートを事務的に発破していた。いつものように振りまいていた笑顔も、きちんとした身なりもそこにはなかった。くたびれた姿で、巻き舌のスラングを話して、横柄に住人を追い払う。
優秀なウェイター。憎まれ役の発破解体屋。そして、残忍な爆弾魔。
どれが本当のミハエルなのかわからなくなった。それはエディだけではなく、皆の本音だろう。
互いに話題にすることを避けていたが、ラジオが現実を突きつけては向かい合わずにいられない。
壊れそうなビル。詳細はまだ報道されないが、どうしてもあの十七階建てのアパートが目の裏に浮かぶ。
杞憂だったらいい。だが、心配の通りならそこには彼がいる。
爆弾魔がミハエルとわかって、店は危機に陥った。犯罪者をかくまっていたのか、爆弾が混じった食事を出した責任はどう取る、果ては宣伝のために事件を利用したのだろう、とまで言われた。
客足は遠のき、従業員は罵倒され、食材を仕入れていた問屋も次々と縁を切った。
それでも店長は黙々と営業を続けた。赤字がかさんでも、かさんでも。
辞めていく人は多かったが、残った人もいくらか、いた。エディもその一人だ。
味とサービスは誠実なままだったから、最近では微々たるものながら利益を出せるまでに回復した。
かつての同僚が罪を重ねるのはつらい。そのせいでさらに店の評判が落ちるのは悲しい。
エディが行ったところで何も出来ないかもしれない。が、何もしないよりはいい。
店長は視線をさまよわせ、年かさのスタッフに声をかけた。
「クラーク君は出勤しているか?」
「……いいえ、電話があって、今日は用事があって遅刻する、と。場合によっては欠勤になるかもしれないから、と。メモをお見せしたじゃありませんか」
「ああ、そうだった。いやいや、年かな」
店長がほがらかに笑うと、緊張がほぐれた。ぎこちなくも、なごやかな雰囲気が戻ってくる。
「ありがとうございます!」
エディはエプロンを外し、店から駆け出した。
●
パンの材料を買った帰りに、聖林通りに寄ったのはたまたまだった。運命だとは思わない。偶然で片付かないなら、銀幕市は狭いから、という理由にして終わらせる。
トップスターの来臨にしては深刻な空気に、嫌な予感がした。
因縁のある場所の前で理由を知り――刀冴は足を止めた。
バー『耀』の入っていた雑居ビル跡。空き地になっていたそこには、到底新築とは思えないビルが佇んでいる。
その前には立ち入り禁止の黄色いテープと、警察官の姿。銀幕ジャーナルの七瀬がビルを見上げていた。
警察官の一人が拡声器を使って、危険性と避難を呼びかけている。玄関のドアがあった空間から、一階の窓から、まばらに人が出てくる。
「何があったんだ?」
刀冴は七瀬に声をかけた。わずかな逡巡を経て、彼女は告げる。
「ミハエル・スミスがロケーションエリアを展開しています。目撃情報によると、ビルの内部には多数爆薬が仕掛けられていて、……おそらく、スイッチ一つで発破解体できる状況ではないかと」
なぜ、が渦巻く。一般人の犠牲を、今さら気にするようには思えない。仕掛けの途中か、何か別の意図があるのか。
共に閉じ込められた時の彼は、真実悪人だったとは思えない。何が彼を変えたのか――あるいは、何も彼を変えられなかったのか。
わからない、が、なにがしかの覚悟があることは、わかる。
刀冴は玄関を見た。驕るつもりはない。救えるだろうなどとは思わない。ほんの少し、変わるきっかけを示すことなら、出来るかもしれない。
何より、最期に晴れの舞台を完成させてピリオドを打とうなんて、甘い考えを許したくない。
「これ、預かっていてくれ」
「はい……ぎゃ!」
荷物を七瀬に渡す。六十キロの小麦粉を受け取った彼女は、当然のように尻餅をついた。
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ミハエルが屋上のチェックに来ると、先客がいた。着物におかっぱ頭の少女は、警戒する様子もなく近寄ってくる。歩き回った足跡が、柔らかなラインを描いている。
やけに落ち着いた様子から、ムービースターだろうと察しをつけた。
「ファッキンな能力を使って、爆弾魔を退治するか?」
せせら笑って、手の中のスイッチを見せびらかす。ゆきは小首を傾げた。
「わしにはおぬしを無理矢理に止められる力は無い。せいぜい話を聞けるくらいじゃよ。良ければなぜこのようなことをしたのか、話してくれんかの?」
坂本刑事を殺したからだ。
当たり前のことを当たり前に答える。
「ほう」
それだけでは意味が通じないから、廃病院を発破解体したことも話す。
「ふうむ」
それから、爆破して、爆破して、爆破して――。
事実だけを、饒舌に、語った。
梅雨の時期なのに、今日は文句なしの快晴だった。特有の湿っぽさも薄れ、火薬を扱う人間には好ましい環境が整っていた。
それが逆に、憎らしくもあった。
「なるほどのう」
ゆきが呟いた。
ミハエルは心が軽くなった気がして、並んで座る彼女の頭を撫でた。
目を細めて天を仰ぐ。今からでも雨が降れば、計画は自然に頓挫だ。そういう偶然でもなければ、わかりやすく終わりを告げる。神様の慈悲を願う資格はない。血にまみれた手を組んでも、祈りは届かない。
沈黙が訪れたのは、話が終わったからだと思っていた。ゆきは相槌を打つだけだったから。
「ミハエル」
真剣な声を出して、ゆきは正座してミハエルと向き合った。
またか、と呆れた笑みを浮かべたくなる。人は人、だからその行為は殺人だ。何人が正論を説いたことか。それとも、自分すら騙せなくなった詭弁を肯定してくれるのだろうか。
答えがどちらであっても、ミハエルは納得できなかった。聞いたら押そうと、スイッチに手をかける。
だが、ゆきは否定も肯定もしなかった。
「怖がっていると認めるのじゃ」
「…………」
「坂本刑事を殺してしまったこと、ショックだったのではないか? 望まぬのに人殺しになってしまった。じゃからなんとか自分を正当化させる理由を見つけたのじゃろう? ……と、わしは思う」
あくまでわしの考えじゃが、と断りをつけて、ゆきは続ける。
「いつわりを繰り返すのはつらいのではないか? じゃが、認めるのは怖くて此処まで来てしまったのではないのか?」
「ジーザス」
ミハエルは顔を覆った。
「認めればハッピーエンドまでのルートが見える、なんて言わないよな」
「言えぬよ」
歯がゆい思いが、一言に籠もっていた。
ゆき達、座敷童は幸福を願う人々の心から生まれた。だからゆきは、人々の幸福を願い、与えることを存在意義だと思っている。ミハエルにも幸福になって欲しいとは思う。
嘘でも保証すればミハエルは救われた。わかっていたが、幸せを約束できなかった。
遠い遠い償いの果てに、幸福は待っているかもしれない。いないかもしれない。なのに太鼓判を押すなんて、出来なかった。
「ファッキンクライスト」
ミハエルは吐き捨てた。ゆきにはわからない言葉だったが、ひどく悲しそうな怒りを感じた。手を外すと、その下には穏やかな微笑みがあった。
ため息をついて、ミハエルはゆきの腕を掴んだ。
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「久しぶり……とでも?」
屋上に現れた柊木は、答えることなく表情を険しくした。
ミハエルはゆきを抱えるようにして対峙した。笑顔のまま、少女の首筋に刃物を添える。字楽から拝借したカッターナイフだ。頼りない武器でも役には立つ。
シグP230が、額を狙う。
火気厳禁なことぐらい、柊木にもわかっている。それでも構えているのは、特殊な弾丸を装填しているからだ。
「『ムービースターはフィルムになるために生きている』――そう言ったね」
「ああ」
「一般市民を手にかけても、まだそんな詭弁を使うのか」
「使えなくなったな」
「大量殺人を認めるんだな」
「オーライ、そういうことだ」
ゆきが口を開くが、ミハエルは発言を許さなかった。
柊木は、当然すぎる矛盾を提示する。
「きみ自身もムービースターではないのかね?」
「ガッデムライト、ヒイラギ」
人差し指に力が入るが、すんでのところでこらえた。素直すぎる。勝算があるのか、覚悟の開き直りか。応急処置として何ヶ所か導火線を切っておいたが、それでは不足だっただろうか。
「ではなぜ、真っ先に自分を殺さなかった」
「下らない選民思想さ。もしくはチキンだったから」
あくまで冷めた口調だった。
柊木は、怒りを孕んだ瞳でミハエルを見つめた。
「我々ムービースターは、この世界では異質な存在かもしれん。だが、この街でひとりのヒトとして生きていることに変わりはない」
「賛成だな」
重々しい声は、背後から響いた。
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間に合った、と言えるのだろうか。
ミハエルはゆきを人質にして、柊木との間には一触即発の空気が漂っている。
ラストシーンの直前に割り込んだような――だが、まだ終わってはいないのは事実だ。
刀冴は、気絶したままの字楽を床に下ろす。いったん外へ連れ出すべきだったが、それでは遅かった。
薄ら笑いを浮かべたミハエルを、見据える。
「ビルは空っぽで、残りはここにいる人間だけだ」
確認と、周知を含めて宣言する。彼は動かなかった。
「人は土に、建物は石に、ムービースターはフィルムに。否定はしねぇよ。今の異常が真実正しいとも思っちゃいない。けど、あんたを肯定することもできねぇ」
思い詰めた後、迷いながらも踏みとどまっていたら。エスカレートする途中でもいい、気づいたら。今日、この瞬間にわかってくれても遅くはない。
刀冴には、大切なものが沢山ある。ミハエルもまたそうならよかったのに、と思う。
「ミハエル、償える罪なら償え。そうすればこっちに戻って来られるかもしれねぇ」
「償えない罪もあるわけか」
揚げ足を取る、諦観したような言葉。
「ある。けど、償おうとも思わなかったら――もう人じゃない」
「おれはムービースターだ、人じゃない。だからその前提は間違ってる。……って、今朝なら言ってたな」
笑った。
刀冴は深い亀裂を感じた。人殺しを認めて、けれど悔いる様子はない。
あの日と今日、ミハエルは確かに変わったのだろう。途中の紆余曲折は知らない。結果として、彼は新しい道へ踏みだそうとしている。
止めるなら、今だ。
ミハエルがゆきを傷付けるより早く、送ってやる。刀冴にならそれができた。覚悟した後に迷うことはない。
だから、ためらったのではなく待った。
天人の感覚が、階段を駆け上ってくる気配を捉えていたから。
どこまで事実が広まっているかは知らないが、警察の阻止を振り切ってやって来る人間なら、相応の理由があるのだろう。
「ミ、ハエル、さん!」
「やあ。……エディ、だったか?」
ミハエルは思い出深い制服に目を細めた。
息を整える間も惜しんで、エディは声を張り上げた。
「店のみんなで、『蝶の夢』を見ました!」
ミハエルの顔に影が落ちる。かつての同僚が、寄り集まって。客の食事に小型爆弾を混ぜた、卑劣な犯人のルーツを見た。
エディは素直に、伝えた。
「仕事に対するミハエルさんは、とても真摯で、『職人の顔』をしてた。俺は、かっこいいと思ったな」
「サンクスアロット」
皮肉まみれの返事だった。
「この前、映画会社が撮影で爆薬を使う時の技術者を求人してるのを見たよ。この町にだって、きっとミハエルさんの居場所はあるよ。ミハエルさんの哲学はわかんないけど、ミハエルさんが本業にプライドを持ってるのは伝わってきたな。爆弾でしか事件を起こしてないのも、何か理由があるんだよね?」
ミハエルは頷いて、答えに代える。それ以上を主張することは、なかった。
溝が埋まらない。そもそも、埋めようと思っていない。
柊木は命じた。
「人質を解放して、こっちへ来るんだ」
優位は変わらない。刀冴という力強い味方が加わって、揺るぎないものになった。それでも、改心してくれるならその方がいい。
ミハエルは動かなかった。
「ヒイラギ、撃たないでくれ。プリーズ」
最後の単語に、憤った。ただ撃つなと言うなら、死亡と同時に発動する仕掛けがあるのだろう、という推測が成り立つ。が、そうではない。いざ自分の番になったら死にたくないと言っている。腐れている。
脇を疾風が通り抜けた。刀冴が愛剣、明緋星を抜く手も見せずに肉薄する。
「待つのじゃ!」
ゆきが叫んだ。その動きでカッターが皮膚に食い込み、じわりと血の珠が生まれる。
明緋星はミハエルの眉間に触れて、止まっていた。
うっすら泣きながら、ゆきはカッターを奪い取る。腕を逃れて、ミハエルと向かい合った。
「ミハエル、おぬしも人が悪いぞ! ものぐさをしては伝わるものも伝わらないじゃろ。おぬしがおぬしを守らねば、爆弾魔はただの人殺しじゃ。理解してもらえるかとか、そんなの後回しじゃ。言わねば考えてもらえぬ。諦めておっては何も始まらぬ。……じゃから、話すのじゃ。ついでに思ったことも言ってくれぬかのう。そのようにのらくらとかわしておってはわからぬよ。もし反省しておるのなら、せめて言ってくれねば伝わらぬ」
「ユキ」
少女の名を呼んで、ミハエルは目をつぶった。無数の言葉が浮かんでは消えて、最後に一つが残った。
「後悔している」
「甘えるんじゃねぇ!」
刀冴は吠えた。
「何かをやらかしてから、後悔したとか死にたくねぇとか思ったっていい。だがな、あんたは言い訳して逃げてるだけだ!」
「……ガッデムライト」
明緋星の柄で殴り飛ばした。全力だったら頭部が砕け散っていただろう。だから加減したことになる。意識してではなかったが。
ミハエルは飛ばされ、転がって滑って、へりに当たって止まった。粉が煙となってもうもうとたちこめる。
「ミハエルさん!」
エディが駆け寄る。
柊木は長く息を吐いた。こわばっていた全身の力を抜く。剣士に歩み寄り、ねぎらう前につっこんでおくことにする。
「衝撃で、爆破スイッチが入ったら大変だったよー?」
「……あ」
刀冴は気まずく目をそらした。まあ、彼なら爆破が始まった後でもなんとか出来る理不尽な力を持っている気もするが。
「ああ、つまらないですねぇ。ペトルーシュカ」
意識を取り戻していた字楽がもぞもぞと動きだしたので、ゆきはガムテープを剥がしてやる。
「爆弾の作り手の中身も興味深かったのですが……結局は、技術を持ったただの人だったということですか。幻滅しましたよ」
「人は、人じゃよ」
ゆきは、自分のために言った。
エディに介抱されて、ミハエルが起きあがる。頬骨が折れて血が出て、ひどい男前になっていた。時間が経てば腫れが出て、さらに形相が変わるだろう。
ふらつく体を支えてもらい、彼は立ち上がった。懐から小さなものを取り出し、柊木に向かって顔を歪めると――ウィンクしたように見えなくもないが――放る。
とっさの判断で撃った。
氷結弾と名付けられた弾丸は、氷の精霊の力が封印されたものだ。当たるなり、それを瞬時に氷で包む。
氷塊となって落ちてきたものを見て、慄然とした。手のひらに収まるような小さなスイッチは、もしかしなくても起爆装置だろう。下手に受け止めていたら、などと考えるまでもない。
笑っているのか痛みにしかめているのか、妙な表情でミハエルは歩いてくる。
彼を許せない。いかなる理由があろうとも、人の命を奪った。だが、もう人殺しはやめ、償うと言うなら、命尽きるまで足掻くのを邪魔はしない。その途中でまた闇に魅入られたなら、全力で排除するまでだ。
「よし、長居は無用だな」
刀冴は明緋星を鞘に戻し、皆をうながす。
六人は、沈黙したままビルを出た。
●
入り口では、銃を構えた警察官に取り囲まれた。実際に撃てるかどうかはさておき、威嚇にはなる。
「ヒイラギ、わがままを叶えてくれないか?」
発音は不明瞭だが、伝わったのだろう。ものすごく迷惑そうな顔をされる。
「煙草を吸ってみたいんだ。こんな仕事をしてると、機会がなくてね。確か君は、スモーカーだったと思ったから」
「煙草の火で自爆、はないだろうな」
「それはしない」
警戒されるのは当然だ。ミハエルはコートを脱ぎ、体中に仕込んでいたありとあらゆる危険物を取り出す。手品のように取り出した数々の品物を、警察官に向けて投げる。たちまちパニックになった。落下の衝撃で爆破するようなやわな物は持っていないが、それをミハエルが保証しても意味がない。爆発物処理班、とか叫ぶ声が広がる。
「パンツ一枚になるのは、さすがに間抜けだから勘弁して欲しいけど」
それでも、信じてもらえるなら全裸になってもよかった。
柊木はシャツのボタンに手をかけたミハエルを止め、お望みのものを取り出す。火をつけて、渡した。
ミハエルは紫煙を吸い込み、思い切りむせた。
苦い味。こんなものを好む思考回路がわからなかった。けれど、世界から謎がなくなったら発見の楽しみがなくなる。
深呼吸して、腕時計を見やる。もう時間だった。
ずっと支えてくれていたエディを、力の限り突き飛ばす。
十センチも離れればいい。事前に飲み込んだ時限爆弾は、一人を爆破する威力しかないから。
内部で炸裂する熱を感じて、ミハエルは仰向けに倒れた。
ソーリー、も、グッバイ、も、言えなかった。思っているだけでは意味がないと、教えられたばかりなのに。
悲鳴と怒号が入り混じる中、年経たビルは姿を消した。
後には、二巻のフィルムが折り重なるように落ちていた。
一巻は、黒い、ボロボロのフィルムだった。おぞましさを覚えるそれをが、ミハエルのものだと直感的に悟った。
「馬鹿……言わなきゃわかんねぇだろ。助けるどころか、動き出すこともできねぇだろ!」
刀冴は道路を殴った。
柊木はすいさしを拾って携帯灰皿に押しつけた。
ゆきは声を上げて泣いた。
字楽はペトルーシュカの名を呼びながら笑った。
「ミハエルさん、後悔したんなら、こんなところで終わりにしたら駄目ですよ。まだ舞台は途中ですよ」
エディは膝をついて、フィルムに手を伸ばす。けれど触れる前に、風化して崩れ去った。
爆弾魔は、もういない。
一流の発破解体屋も、もういない。
人当たりのよいウェイターも、もういない。
もう一巻のタイトルは『魚散る』――後で、坂本刑事が主演した映画だと判明した。
ずっと持ち歩いていたのか、今回だから持っていたのか、答えはわからない。
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クリエイターコメント | 床に白い粉が撒かれているのは、本来は、ダイナマイトを仕掛けた後に人間が出入りした形跡がないか、確認するためです。盗まれたり配線変えられたりしていては、大変ですから。 ……って本文で書くべきですが、挟む箇所を見失いました。 あと、ガムテープを持っていたのは仕事道具の一つだからです。っていうのも書(ry
(今回は、と但し書きをつけるべきか)ミハエルは嘘を言いませんでした。本心を言っているとも言い難いのですが、発言の中に嘘はないです。
悪党が改心するラストは納得できないことが多いのですが、自分で書いたら(それとも自作のせいか)、意外にいいものだと開眼しました。 まとめたいあれこれを入れたら、ありえない長さになりましたが。
これにてシリーズ完結です。参加してくださった方、読んでくださった方。おつきあいくださり、ありがとうございました。 |
公開日時 | 2007-07-01(日) 19:50 |
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