★ 絶対封鎖 ―To a thing to invade― ★
<オープニング>

 いったいどこからそれを掻き集めたのか、壊れた机や椅子、古い電子レンジなどのガラクタばかりで作り上げたバリケードが道を塞ぐ。
「入ってこないでよ」
「こないで、やめて」
「ムービースターはこっからさきに入ってくるなっ!」
 怯えの混じる制止の言葉は悲鳴じみた叫びとなり、それは容赦のない攻撃に転じる。
 どこからか、破裂音と風を切る音とがほぼ同時に鳴って。
 何故、と問うこともできないまま、ボーガンによって胸を貫かれたムービースターがひとり、ゆっくりと地に崩れ落ちた。



 その日、対策課の植村のもとへと持ち込まれたのは、市内で起きているいささか奇妙な現象と、そして数枚の写真だった。
「……これはバリケード、ですか?」
「正確にはもっと別の言い方があるのかもしれませんが……、ガラクタを積み上げて作りあげたモノがあちこちにできてるんです。それも、アパートの玄関だったり公園に抜ける小道だったりとごくあり触れた生活圏内に」
 少し前にファンタジー映画から実体化したエルフ族の青年は、そうして物憂げに植村に差し出した写真へと視線を向ける。
「……しかもそこに近づいたムービースターは例外なく標的にされます」
「標的、というと」
「しかけてあるんですよ、トラップが無数に……致命傷レベルのモノも多い」
 言いながら、なお彼の表情も声も暗く沈んでいく。
「私の友人も犠牲になりました。幸い命に別状はありませんでしたが、それまで当たり前に接してくれた相手からの突然の〈敵意〉に深く傷ついています」
 彼の友人は自宅に帰る道を塞がれ、ボーガンの矢に射抜かれたのだという。
 たまたま相手が強靭な肉体と驚異的な回復力を有していたから大事に至らなかったものの、これはイタズラの範囲をはるかに超えている。
 そんなものがこの街の至る所に作り上げられているという事実が恐ろしい。
「それはいつごろから?」
「分かりません。でも最近であることはたしかです……なぜあの子らがこんな真似をはじめたのかも、なにもかも、私には分かりません」
「“あの子ら”? ……子供がやっているんですか?」
「十代の子供がメインのようです。だからこそ余計に、哀しい……」
 青年は伏していた顔を上げ、まっすぐに植村を見据える。
「お願いします。あの子らの築いたバリケードはいつか自分たちをも破滅させる気がしてなりません。あの子らが誰かの命を奪う前に止めてください、そしてあの危険区域を正常な状態へ……」
 彼の切なる訴えは、憎しみではなく哀しみと、そして子供らへの愛情に彩られていた。
「分かりました。早急に手立てを考えましょう」
 その思いに応えるように、植村もまたしっかりと頷きをかえした。

種別名シナリオ 管理番号588
クリエイター高槻ひかる(wsnu6359)
クリエイターコメントさて今回は、ダークかつ、場合によっては少々あと味が悪いことになるかもしれないシナリオのお誘いに参りました。
街中に突如築き上げられたバリケード。
ムービースターだけを標的としたトラップ。
今のところ死者は出ておりませんが、それも時間の問題という状況です。
惨劇が引き起こされる前に、バリケードを解除し、子供たちを止めることが今回の依頼内容となります。
勿論、それをせずに別のアプローチをなさるというのもアリでございます。
ただし、十代の子供たちはいずれも特殊能力を有しない一般人であることを書き添えておきます。
また、ムービースターだと一目で分かる方ほど攻撃を受けやすくなりますゆえ、該当する場合には十分お気をつけくださいませ。

それでは対策課にて、皆様のご参加をお待ちしております。

参加者
ガルム・カラム(chty4392) ムービースター 男 6歳 ムーンチャイルド
沢渡 ラクシュミ(cuxe9258) ムービーファン 女 16歳 高校生
槌谷 悟郎(cwyb8654) ムービーファン 男 45歳 カレー屋店主
ルーファス・シュミット(csse6727) ムービースター 男 27歳 考古学博士
流鏑馬 明日(cdyx1046) ムービーファン 女 19歳 刑事
ジェイク・ダーナー(cspe7721) ムービースター 男 18歳 殺人鬼
<ノベル>

 ジェイク・ダーナーにとって、新しい日常はそれなりに楽しめるものだった。多少の違和感を覚えはしても、望むような〈普通の高校生活〉を送れている。
 例えば、日曜の昼下がり。
 パーカーのフードを被り、背を丸めて、ほとんど気配を感じさせないままに近所のコンビニに買出しへ出かけ、滞りなくその用事を済ませることだってできるのだ。
 何のトラブルもなく、何の気がねもなく、平穏なまま、コンビニから近所のレンタルショップへと足を向ける。
 だが、近道となる小道に踏み込んだ瞬間、足元に異物感を覚えるのとほぼ同時に耳元で風を切る甲高い音を聞いて。
「――っ?」
 反応が遅れた。
 額に、ノドに、胸に、腹に、飛んできた鋭いナイフが突き刺さる。
 深く深く。
 深く深く深く、命を奪うのに十分過ぎる攻撃をその身に受けて、仰向けのまま後ろに倒れこんだ。
「やった」
「やってやったな」
「ムービースターは入ってくんな」
 地面に転がりながらもちらりと視線を動かせば、生垣に隠れるようにして作られたガラクタのバリケードの向こうで囁きあう子供たちの姿が見えた。
「アレくらいならしとめられるってことが分かった。トラップの補強を――」
「……ひっ」「え」「な……なんで……っ」
 その台詞が、うわずっと悲鳴で途切れる。
「……おまえら、なにしてんだ……?」
 死体になるはずだった、とっくに死体になってなければおかしい致命傷を受けながらも、ジェイクは無造作に己を貫くナイフを抜き去り、ゆらりと立ち上がった。
 そうしてふつりと問いをこぼしながら、コンビニ袋の代わりに、一体どこから取り出したのか分からない大鉈を片手に近づく。
「……なんの、つもりだ?」
 がすん。みしり。みしみしめきり、がすがすがすがすがし――っ
 加減されずに振り上げられた重い刃が、ガラクタのバリケードを張りぼてのごとく粉砕していく。
 ほんの数瞬間前までの余裕も優越感も消え失せて、ただただ子供たちの目が恐怖と驚愕に染められる。
「……こんなことしたら、死ぬだろうが……わかってんのか?」
 暗く沈んだ声だ。
 破壊されたバリケードを、最後は蹴りで退けながらその身を割り込ませて来た相手を前に、パニックに陥った子供たちはついに悲鳴をあげて逃げ出した。
 蜘蛛の子を散らすように、あるいは脱兎のごとく。
「……ん?」
 自分の血で汚れた額をぬぐい、目を眇めてジェイクは逃げていく子供たちの後ろ姿を視線で追いかける。
 ふと。
 その中に同級生を見たような気がした。
 もう一度顔をぬぐって目を眇める頃には、もうどこにも彼らの姿は見つからなくなっていた。
 溜息がこぼれる。
 ジェイクはあっさり鉈を捨ると、コンビニ袋を拾い上げ、気だるげな足取りで対策課へと向かった。



 流鏑馬明日は情報収集と注意の呼びかけを兼ね、プロダクションタウン付近まで足を運んでいた。
 ここ最近、銀幕市で立て続けに起きているムービースターを標的としたバリケード傷害事件。
 対策課と銀幕署は現在、この件で強固な連携状態にある。
 被害届けはここ数日で二桁にのぼるが、それをどうこうしようにも、あまりに現場が点在しすぎていて後手後手に回っているというのが現状だ。
 だから予防策を講じる。
 バリケードとトラップの位置を調査し、その情報を署と対策課で共有する。
 更に人員を裂いて、トラップの仕掛けられた場所には近づかないように、見つけた場合は速やかに銀幕署か対策課へ連絡をくれるよう言ってまわっているのだ。
 その一環で、明日は、その筋では有名らしいカレー屋『GORO』にも協力をあおぎにきていた。
「――ということなので、もしこのお店にムービースターが来たら、気をつけるように声かけをお願いします」
 手短に現状と用件を告げる明日に対し、ゆったりとした雰囲気の店主――槌谷悟郎は困ったような表情を浮かべる。
「ふぅむ、うちのお客さんからウワサ程度には聞いていたけど、本当にそういうことやってる子たちがいるのか」
「ええ、残念だけれど」
「……そうか……」
 常連客から聞き及んでいたらしい彼は、腕を組み、考え込むような素振りを見せる。
 そして難しい顔をしたまま、カウンターごしに明日へ問いかける。
「ところできみは大丈夫だったのかな? その、トラップというのは?」
「ええ、あたしは大丈夫」
「でも、女の子をヒトリでっていうのは気が引けるなぁ」
 悟郎の視線が、今度は明日の腕に止まる。
「スーツの袖に血がついているよ。本当に大丈夫だったのかな?」
「これはあたしに向けたものではないから」
 バリケードの現状把握を目的とした警邏中、いまのところ大事に至ったケースはない。だから、大丈夫だという答え方をした。
 だが、実際のところ、明日もまた幾度か危険な目にあってはいるのだ。
 ただし自分が標的になったのではない。
 標的は、あくまでもムービースターだ。
 子供たちは一体どこから情報を得ているのか、一般人とまるで変わりないムービースターの高校生を明日と明確に区別し、そして攻撃を仕掛けてきた。
「その時、彼女をかばったので」
 痛みはない。自分と2つしか違わない少女の心の方がもっとずっと痛いだろうとも思う。
「ええとね、これはちょっとおせっかいで心配性なおじさんからの一種の提案なのだけどね?」
 悟郎はやんわりと笑みを浮かべた。
「一度わたしも様子を見にいってみようと考えてたんだ。ちょっと気になることがあるし、話してみたいこともある。もしかすると何か役に立てるかもしれない……だから刑事さんさえよければこれから少し動きたい。どうかな?」
 彼の顔を見る。
 その目の中の鋭い光、何かを計画し実行に移す際に絶大なチカラを発揮するだろうその閃きを、明日は正面から受け止める。
 そして。
「では、ご一緒に。あたしもできれば直接子供たちと話せる機会を持ちたいと思っているので」
 明日には子供らに伝えなければならない言葉がある。
 伝えておかなくてはいけないという想いがある。
「じゃあ、決まりだ。ちょっと待っててくれるかい? 店じまいの支度を大至急するから」
 そう言うや否や、悟郎はこちらが驚くほど鮮やかな手際でぱたぱたと、ものの十分ほどで店を『臨時休業』の札をかけられる状態にしてしまった。
「それじゃ行こうか?」
「ええ」
 バリケードを作り上げた子供たち。
 その子供たちが捕らわれているものが何か、明日は知らない。
 けれど、決定的な何かが起きる前に、取り返しのつかない罪へと彼らが踏み込む前に、なんとしても止めなければならないのだと強く思う――



 ダウンタウン北の片隅に佇む平屋の日本家屋、そこを訪れたのは身なりの整ったひとりの考古学者だ。
「あなたは……」
「突然の来訪、失礼します。私はルーファス・シュミット、対策課の依頼を受け、この事件に好奇心を掻き立てられたものです」
 ルーファスが対策課へ依頼を持ち込んだエルフ――アーレンの自宅へ赴くことに決めたのは、事件の前後関係と事態の前提条件を正確に把握しておきたいという、いかにも学者らしい理由によるものだった。
「もしよろしければ、これから少々お話を聞かせて頂けますか?」
「ええ、もちろんです。では、こちらへ」
 招き入れられた部屋は、ファンタジー映画出身者にはミスマッチな純和風の畳が敷き詰められた場所だった。
 古きよき日本の文化を思わせる色調と調度品が心地良い。
「どこからお話すればよいのでしょう?」
「そうですね、実はその件でまずひとつお願いがあるのですが……」
 ここを訪れた一番の目的を口にしようとした、まさにそのタイミングで、奥の部屋から襖をあけ、ふらりと頑強な肉体をラフなカジュアル服に包んだ青年が姿を現した。
「客人か、アーレン?」
「ああ、ちょうどよかった。あなたの方がいいかもしれません」
 アーレンは穏やかに微笑み、こちらへと手招きする。
「あなたが標的となったバリケードについて、対策課から依頼を受けてくださったルーファス・シュミット氏ですよ」
「そうか、あのことで」
 得心が言ったというように、彼は何度も頷き、そしてどかりと、ルーファスと向き合うようにアーレンの隣へ腰をおろした。
「で、何が聞きたい?」
「まずは彼らがいつ頃からこのような行動を取りはじめたのか、その時期とキッカケとして思い当たることは本当にないのか、といった点からでしょうか?」
「俺の感触としては、そうだな、あの子らはここ最近で急激に変わっちまった」
「具体的には?」
「……この世界で言うところのひと月足らず、といったところか」
「たったそれだけの期間であれほどのバリケードとトラップを……こちらへ伺う前、遠目にいくつか見てきましたが、ものによってはカモフラージュが非常に巧なものも伺えましたね」
「それまではな、ときどき自然公園まで時間を見て遊びにも行ったし、別段、特別なことなどなかったんだが」
 彼は俯き、自分の胸にそっと手を当てた。
 おそらくそこに、彼は子供たちのトラップであり敵意の象徴となるだろう〈ボーガンの矢〉を受けたのだ。
 ルーファスは眉を寄せて、思案する。
「……リーダーとなっている子供など、心当たりはあるでしょうか?」
「わからん。」
「では、あなたがかかわっていたという子供たち、彼らはある日を堺に“全員が”“一斉に”敵対者となったのでしょうか?」
「そうだな、たぶん、そうなる。少なくとも俺はそう思ったんだが、アーレン、お前はどう思う?」
「私は……、そうですね……ある瞬間に一斉に、というほどではないにしても、急激な変化だとは感じました」
 急速に広がっていっている、そう感じるのだとアーレンは続けた。
「貴重なお話を有難うございました。少々気になることもありますので、私はこれで」
 学者然としたスタイルで暇を告げる。
「いや、こちらこそ、頼む」
「なんのおかまいもせず、すみません」
 深々と頭を下げるエルフと戦士に答え、そしてルーファスは太陽の光が降り注ぐ外の世界へと足を踏み出す。
 そうして半ば無意識に、上着のポケットから取り出したチョコレートをひとつ、口に運ぶ。
 うっとりするような、舌への甘い刺激。
 糖分を補給しながら、考える。
 突如態度を変えた子供たち。
 しかも、子供たちはその数を着実に増やし続けている。
 何が起きているのか、何を起こそうとしているのか、そこにどんな意味が生まれるというのか。
 何かの言葉でもって子供たちの変化を定義付けることは果たして妥当といえるだろうか。
 思考の海に沈むあまり足元がおろそかになったルーファスが小石に躓き、あげく派手に通行人と衝突するのはわずか十数秒後の未来だ。



 自分のいた世界にはない空気が鼻先をくすぐる。
 ガルム・カラムは貸し出してもらった絵本を大事に抱え、図書館に向かってトコトコと通い慣れた道を歩く。
 通い慣れたと言っても、6歳という幼い身ひとつでこの銀幕市に実体化した彼にとっては、このルートしか知らない、という意味でしかないのだが。
 最近少しずつ知り合いは増えてきたけれど、まだまだ心もとない日々を過ごすガルムにとって、絵本と、そしてソレを与えてくれる図書館は貴重な存在だった。
 だが、笑みにほころぶその顔が固まった。
「え、あれ?」
 キョトンとしたまま、足を止める。
「どうして?」
 行く手を遮るように道の中心に立ちはだかるのは、壊れたタンスとイスと机とテレビがまるで芸術品のように組み合わされた壁だった。
 その合間からちらりと覗く顔がある。
「えとね、ええと……ここ、通りたいの」
 自分より少しだけ年上の少年たちに向けて、ガルムは困ったような泣きそうな顔で声をかける。
「くんなよ」
「入ってくんな!」
 思いがけずきつい拒絶をぶつけられ、びくりとガルムの肩が反射的に跳ねる。
「え、どうして、……どうしてそんな、イジワルいうの?」
「おまえが」「おまえが」「ムービースターだからだっ!」
 ひゅんッ――
 風を切る、鋭い音。
 ガルムの頬を、額を、目を、腕を、腹を、凶器に変わったパチンコ玉が襲う。
「い――っ!」
 せっかく借りてきた本、とても楽しかった素敵な絵本を守るためにきつく胸に抱きながら、訴える。
「いたっ……ひどいこと、しないで……っ……やめて……」
「消えろ」「いなくなれ」「でていけ」「来るな、ムービースターは入ってくるなっ」
 突き刺さる悪意、敵意、混乱した少年たちの攻撃がガルムを襲う。
「かえりたくたって、かえる場所がわからないもん」
 痛みと恐怖でうずくまる。
 それでも攻撃がやむことはない。
「こんなところ、ぼく、しらない……」
 ガルム・カラムが知っているのは、自分と同じような能力を持った子供たちの世界だ。
 はじけるようなはしゃいだ声がなにより似合う、毎日のようにどこかで何かが起きるけれど、次の瞬間にはケロリとしているような、まっ黒なお祭り騒ぎのような場所こそが自分のいた場所。
 ここは、知らない。
 自分と同じ『刻印』を持った『友達』は誰もいない。
 どうして自分がここにいるのかも、これからどうすればいいのかも、ガルムにはまるで分からない。
 帰りたい、帰りたい、帰りたいのに、帰れないのに、どうしてこんなことをするんだ、どうしてそんなこというんだ、どうして、どうしてひどい、ひどいひどい――
「……ひどい」
 ガルムの声音が冷徹さを帯びて変わる。
「やめてって言ってるのに、言ってるのに、どうしてこういうことするかなぁっ?」
 激情。
 ぐわりと空気が震える。
 変わる。
 比較的緑の多かったその場所にビルが立ち並び、薄闇が生まれ、瞬く間に上下左右に圧迫感を覚えるようなストリートへと変貌を遂げた。
 さらにガルムの傍では漆黒の水が生まれ、取り巻き、流動し、ぐにゃりと肉食獣の――黒い犬に似た形へと変じていく。
「いじめっ子なんか退治しちゃうんだからね」
 黒犬は主の足元で低く威嚇の唸りを上げる。
 滴るような闇色の『ケモノ』を前に、少年たちが抱く恐怖はさらなる驚異に支配された。
 しかし、傷つけられたガルムに容赦する気はさらさらない。
 やられたら、やり返す。やるときは、やり返されることを覚悟しなければならない。それくらいしておかなければならない。
 ソレが、『ルール』だ。少なくともガルムのいた世界では、そう決まっていた。
 だから、する。
 黒曜石の冷ややかで硬質な外面を持つ猟犬が、牙を剥いた。
 その時―― 
「ダメ、そんなことしちゃダメっ!」
 突如飛び込んできた制止の声。
 ガルムの体が、後ろからギュッと抱きしめられる。
「――え」
 やわらかでふわりとした服に巻かれ、彼女のまとうほのかな甘い香りがガルムの鼻先をくすぐった。
「ダメだよ、そんなことしちゃ。ケンカはダメ、誰かを傷つけて、取り返しのつかないことになったらどうするの?」
 真剣な声だ。しかるのではなく諭すような、優しさの混じるまっすぐな声。
「……と、いきなりごめんね? こんにちは、あたし、沢渡ラクシュミ。この子はバッキーのハヌマーン」
 ガルムを守るように抱きながら、自分の肩に乗るバッキーを紹介し、子供たちひとりひとりの目を見つめ、にっこりと笑って見せた。
「あたし、お話がしたくてきたの」
 彼女の肩に乗るバッキーのハヌマーンは白旗を振っている。
「差し入れもあるのよ? インドのお菓子、食べてみない?」
 子供たちはちらちらと視線をかわし、いきなり割って入ってきた彼女――流暢な日本語を話すインドの少女と、彼女の肩に乗るバッキーと、彼女の腕の中にいるガルムとを見比べる。
 沈黙。
「お話がしたいの。だって、ちゃんと言葉にして伝えなくちゃ、本当に言いたいことなんてなんにも伝わらないんだから、ね?」
 ひまわりのように明るい、眩しい光を振り撒くような小柄な彼女の声は、誰の胸にもまっすぐに届く。
「……きみも、そう思うでしょ?」
 ラクシュミはガルムにも同意を求める。
「……ふっ、え」
 やわらかくやさしい促がしに緊張の糸が切れたのか、残酷な意思を宿した表情が、くしゃりと泣き顔に歪んだ。
 景色がもとの図書館へ続く小道に戻り、黒の猟犬はとろりと影の中に落ちて融けて、
「こわかったの、いたかったよぉ、ねえ、どうしてこんなこと、するの……っ」
 うわぁあん……、と、ガルムは声をあげて彼女にすがりついて泣きだした。
「あのね、ヒトの心って、鏡みたいに反射することがあるんだよ? 好きって思えば好きって思ってもらえる、でも嫌いって思ったら相手だってきみ達のこと、嫌いになると思う」
 そんな彼を慰めるように両腕で抱きしめながら、ラクシュミはバリケードの子供たちへ、もう一度言葉を投げかける。
「ね、少しだけでいいから、お菓子を食べながら一緒にお話しよ?」
 やわらかく、穏やかに、それでいてどこか楽しいお茶に誘う気安さをおりまぜて、語りかけるように言葉を綴る。
 ざわりと、子供たちの中で何かが動いた。
 そうしてようやく何かを決心したのか、あるいはお菓子への好奇心に負けたのか、震える手で彼らはバリケードの一角をラクシュミのために開放した。



 彼はこわばった表情で、たったいま自分が読み上げたものをじっと見ていた。
 傍では友人が真っ青な顔で立ち尽くしている。
 怯えながら、震えながら、5人はそこにあるモノをただただ見つめていた。
「こわい」
 言葉にすれば、それだけ恐怖は伝播する。
 伝播した想いが、更なる感情を煽っていく。
 彼らに声を掛けるものがいた。
 大柄な男、笑いながら手を振り、やってきたその男に対し、子供たちの中で何かが決壊した。
「こないで」
「ここにこないで」「これ以上こないで」
「ここから先に入ってこないで」
「おねがいだから」「やめて」「うばわないで」「はいって、くるな――っ」



 綺羅星学園はある種とても特別な場所だ。
 ジェイクは教室の隅で大人しく午後の授業を受けながら、周囲を密かに観察していく。
 自分には、文通している友人のような『探偵趣味』はない。
 だが、面倒なことに巻き込まれて、いちいちトラップに引っ掛かり、いちいち疲れるくらいなら、その原因を取り除いた方が手っ取り早く自分が望む〈平穏な日常〉を取り戻せる。
 だから、考える。
 まるで探偵が推理するかのような手順を踏んで、思考を展開していく。
 銀幕市、とくに綺羅星学園の生徒や関係者は基本『殺人鬼』慣れしているらしく、こちらが攻撃を仕掛けない限りむやみな警戒をして来ない。
 ジェイクに対しごく当たり前に声を掛け、ごく当たり前に輪の中へ引っ張りこみ、ごく当たり前に接する。
 だがその中でひとりだけ、奇妙なほどによそよそしい態度に変わったものがいる。
 教室の隅で怯えたように背を丸めて、チラチラと周囲を窺っている同級生――細田シゲルがその典型例だ。
 今日の授業が終わった、それを告げるチャイムが鳴ると同時に即座に席を立ち、逃げるように教室をあとにする相手。
 それを、ジェイクは無言で追いかける。
 相手は逃げる。
 初めては早足で、次第に速度を上げて、ついには図書室に向けて全力で走りだす。
「……おい」
「ひっ、く、くるな、追いかけてくるなよっ」
「逃げなければ、追わない」
「来ないでくれよっ」
 明確な拒絶を示し、なおも走り去ろうとするその背にむけて、ぼそりと呟く。
「……どういうことか、わかるように説明しろ……あれ、なんだ?」
 その呟きが彼に届くのとほぼ同時に、太陽の降り注ぐ真昼の校舎が『夜』の世界に落ちる。
 どこからともなく聞こえてくるのは、陰鬱なメタル系の音楽だ。
 飲まれるような、それでいて奇妙な浮遊感を与える音に捕らわれながら、シゲルは自分がここに閉じ込められたことを知るだろう。
「……説明しろ」
「……やめてくれよ……」
 怯えを含んだ瞳の中に、ジェイクの姿が映りこむ。
 知っている、それは『映画』の中で、あるいはバイト先で、うんざりするほど見慣れたまなざしだった。
「なんてことすんだよ、閉じ込めたな、サイアクだ、ひどい、こんなこと、こんなことして、わかってるのか、おまえ、おまえのこと、みんな――」
「心証が悪くなる、というならいまさらだ……はじめから評判は地に堕ちてる。殺人鬼だぞ、おれは」
 パーカーのフードの下から相手を見やり、軽く肩を竦める。
「お、おまえ、やっぱりやるんだ、やるんだな、ぼくを、ぼくを、ぼくを殺して、のっとって、ぼくを」
「……どうして、そうなる」
「どうしてって、そんなの、そんなの決まってるだろ、そういってたんだ、だからおまえもぼくを」
 一体どこからそんな話になったんだと言わんばかりに、またしてもジェイクは溜息をついた。
 それが相手への呆れからくるモノなのか、自嘲によるモノなのか、判断できるものは本人を含めてここにはいなかったが。
「……、おれは、もう殺さない……」
「うそだ」
「ウソをつく意味はないだろ」
 殺さないと決めたのだ。
 ここでは、この場所でだけは、一切の罪を犯さないとそう誓ったのだから。
「……だいたい、討伐依頼も出ていない相手に手を出したらどうなるか、おまえの方がよく知ってるんじゃないか……」
 びくりと、彼は顔を上げる。
「おまえも、こんなことを続けてりゃ依頼の対象になっちまう……いいのか?」
「……でも、殺されるくらいなら、先にやらなきゃ……」
「だから、誰がそんなこと言ってんだ」
「……みんなだよ。みんなが、言ってる……予言書に書いてることはホントになるんだ」
「“みんな”が言ってりゃ、そうなるのか……? おまえ、一年以上もここで付き合ってんだろ? ……ムービースターならみんな、そうすると思えるのか?」
 シゲルの瞳が揺れる。
 今にも泣きだしそうな顔で、揺らぎながら、視線を床に落として呟く。
「でも、ホントなんだ。予言書なんだから」
「じゃあ、その予言書ってのはどこにある?」
「……行くの? ……行って、確かめるなら、止めないけど……」
 そういって彼は、自然公園の一角に作り上げたという、『城』の存在をジェイクに告げた。
 陰鬱なメロディが、ふつりと途切れる。
 余韻は何もない。
 空に太陽が戻る。
 30分間のジェイク・ダーナーの世界は、相手の言葉を待って効果切れとなり、シゲルは再び逃げ出した。
 もう追いかけるつもりはない。
 ジェイクはめんどくさそうに何度目か分からない溜息をついて、同級生の彼とは正反対の場所に向けて歩きはじめる。



 日常の至る所に築かれたバリケードの数は、大小、そして巧拙の差はあるものの、基本的にはムービースターの住居に続く道が塞がれているようだった。
 ルーファスは自然公園へと続く小道のひとつを選び、歩く。
 再び問い合わせた対策課から知らされたのは、現在、この付近で調査員たちが動いているといったものだ。
 動向を把握できているのはルーファスを入れて5人、らしい。
 もしかすると行動を起こしている彼らと落ちあうことができるかもしれない。
 その合間に、可能な限りの情報収集ができればと願い、ルーファスはあえてバリケードを観察できる場所まで近づいていた。
「……せめてどなたか捕まえられるといいのですが……」
 可能な限り穏便に事態の収集を望みたい、そう思いながら周囲を見回すその目に、ひとりの少年の姿が止まった。
 小学生くらいだろうか、困ったような顔をして、何度もバリケードの方を振り返りながらこちらに向かってやってくる。
「あ」
 ようやく目の前に立つ自分の存在に気付いたらしい。
「……失礼、少しお話を聞かせて頂きたいのですが、よろしいですか?」
 丁寧な物腰で問いかければ、相手はほんの少し迷う素振りを見せて、それからこくりと小さくうなずいた。
「いまそちらから出てこられたように思ったのですが、バリケードの関係者でしょうか?」
「バリケードの関係者って言うとなんか変だけど、まあ、うん。あいつら、バカなまねしてっから様子見に」
「なるほど。では、あなたはそれに参加なさらないんですか?」
「なんで? おれ、映画好きだもん。映画から出てきたスターも、同じくらい好きだぜ?」
 にっと笑ってルーファスを見上げる、その少年の頭の上にぴょこりとシトラスカラーのバッキーが姿を現す。
「だから、何とかして辞めさせたかったんだけど」
 ソレはどうやら失敗に終わったらしい。
「あいつらさ、なんかやばい。バッキー持ってるヤツも同じく敵だって言いだしかねないかも」
「……彼らが何を基準にあのような真似をしているのか、心当たりはありませんか?」
 過剰反応の裏側を知りたいと、ルーファスは純然たる好奇心を抱く。
「何か重大なことが起きたのでしょうか? 例えば近親者がヴィランズの犯罪に巻き込まれた、といったような?」
「いや、そんなんじゃないさ。おれの知るかぎり、あいつらみんな、自分が風邪引いた気になってるのと同じ状態になってるだけで」
 その例えは分かるようでよく分からない。
 だが、悪くない表現のように思えた。
「あいつらの言い分、筋通ってないんだ。そりゃここには、ヴィランズの犯罪だってたくさん起こってるけど、でもそれがすべてじゃないってのに。ムービースターアレルギーだ、あれじゃ」
「……なるほど……」
 ルーファスはゆったりとした仕草で眼鏡を押し上げ、視界を遮るガラクタのバリケードを眺める。
「あの中にはいま、どれくらいの賛同者がいるのでしょう?」
「たくさん、かな。はじめはおれの友達だけだったから、5人くらい。でもいまはたぶん、何十人、だ」
 ひと月で何十人もの賛同者、そのほとんどが十代。
 これは果たしてどう考えるべきか。
 これほど多くのバリケードを、これほど的確に町中に作り上げるには、組織の中心となる統率者がいなければ難しい、だがソレを為しているのはどういう人物で、どういう意図をもっているのだろうか。
 カリスマか、煽動者か、それとも……
「そういえばさ、あんた、あいつらの仲間?」
「はい?」
「対策課が動いてるって聞いてる。あいつらがさ、さっき〈びじょやじゅコンビ〉の刑事と、オッサンを見かけたって話してたから、そうかなって」
 ずいぶんな表現だが、彼の推理は正しい。
 そして自分の目的が比較的速やかに達成される予感に、ルーファスは口元をほころばせた。
「おや、それは好都合ですね。どの辺りで見かけたか、もう少し詳しく教えてくださいますか?」
「OK、何なら近くまで案内してやるよ。おれ、塾があるから時間ないけど、あんたってなんか方向音痴っぽいしな」
 彼のその評価は『正しい』と言えないが、あえて訂正はしなかった。



 机と椅子と電化製品とおもちゃで築き上げられたバリケードの中は思いの他広く、子供たちの秘密基地のように雑多なものであふれていた。
 お菓子も飲み物もおもちゃも詰め込まれている。
 規模は場所によってかなり違うらしい。そう、子供たちが教えてくれた。
「……でも、どうしてこういうことをしようと考えたの?」
 ラクシュミは自分のもってきたインドのお菓子をそこに広げながら子供たちに問いかける。
 アーモンドやココナッツの入ったバルフィを目にして、緊張していた子供たちもそろそろと手を伸ばす。
「あまっ」
「すごいあまっ」
「こっちもあまっ」
 別のタッパに入れてきたミルキケーキにもやはり同じ反応が返ってくる。
「おねえちゃん、これ、すごすぎ」
 けれど、その驚くような甘さがむしろ子供たちとラクシュミの距離を縮めてくれたようだった。
「でもその甘さがね、クセになるの。ヤミツキになるんだから」
 自分の手作りのお菓子で笑顔を浮かべる子供たちからは、とてもじゃないが、彼らがあんなにもひどいことをしているなんて想像もできない。
 どの子も不安定さは見え隠れしているけれど、基本、いい子のように思える。
「ここまで作り上げるのって、大変だったんじゃない?」
「うん、大変だった」
「でもやんなきゃいけないから。あいつらが入ってこないようにさ、ちゃんとやんないと」
「ちゃんとやんないと、やばいから」
 氷のように冷たい何かに凍えるように身を寄せあって、子供たちの心が揺らぐ。
「なにか、されたの?」
 思わず心配になってきて、ラクシュミは彼らの目を覗きこむようにして、問いかける。
「なにかあった?」
「……されてないけど」「でも」「あいつら、ひどいことするだろ?」「おれ、知ってるんだから」「殺すんだろ」「のっとろうとしてんだから」
 真剣な顔で、そしてひどく思い詰めた表情で言うのだ。
「……ムービースターは、オレ達の街を乗っ取ろうとしてるんだ」
 口々に告げるソレは、恐怖というほど明確なものではない、そこにあるのは漠然とした不安。
 つかみ所のない不安。
 なのにひどく強固な感情。
 この事件を知った時、ラクシュミは『彼ら』が何かのハザードの被害者じゃないかと考えた。
 ムービースターをムービースターとして憎み、怯え、排斥しようとする理由として浮かんだ最初の回答だ。
 けれど、そうではないのだ。
 彼らの心を支配するのは、『もしかしたら』という思いであって、具体的なもの、自分と関わりあった直接的な体験ではないようだ。
「ボクは……、ボクはひどいことしないよ」
 ラクシュミに寄り添うようにして座り込んでいるガルムは、手の中のお菓子に視線を落として呟く。
「こわいけど……ボクだって、気がついたら知らないばしょにいて、ぜんぜん知らない人ばっかりで、ぜんぜんわかんないルールでいろんなことおこってて、こわいけど、でも」
 ポツリポツリと、けれどどこか真剣さを帯びて、彼はいう。
「……でもボクは、この世界にもやさしいヒトがいるって、ちゃんと知ってるもん」
 子供たちの目が、ガルムを捕える。
 不安と怯えにまだ揺れてはいるけれど、黒いケモノを召喚し、自分たちに攻撃しようとしたことに恐怖を覚えたけれど、でも、彼の言葉のすべてを否定する気にはなれなくなっていた。
「おまえはそうかもしんないけど、でもやっぱり信用できないよ、ムービースターだからさ」
 先程よりはいくぶん落ち着きを取り戻しながら、それでも子供らは完全には警戒を解かずにガルムを見やる。
「でも、どうやってムービースターと一般のヒトを見分けているの? ほら、よっぽどじゃないとバッキーを連れてない限り、判別ってむずかしいと思うんだけど」
 ハヌマーンの鼻先を軽くつつきながら、ラクシュミは当然の疑問を口にした。
「間違って傷つけてからじゃ遅いよ?」
「まちがえないよ」
「ちゃんとわかってるもん」
 ほら。
 そういって子供たちは市役所のデータベース、そして銀幕ジャーナルのバックナンバーを広げて見せた。
「これ、どうやって?」
「集めた」「うん、集めた」「かしてくれるし」「図書館にもあるし」「応援してくれるオトナだっているし」「シンちゃん、顔がきくんだよ」
 どこか誇らしげに、彼らは笑った。
「シンちゃんって、誰のこと?」
 首を傾げ、ラクシュミは引っ掛かった単語を拾いあげる。
「会わせてあげるよ、お姉ちゃんに」
「会わせてあげる。シンちゃんに」
「会えば、わかるよ」
「ボクたちの言ってることが正しいって、おねえちゃんも分かってくれると思う」
 そんなふうにいって、子供らはラクシュミの手を引いた。
「ホントはおまえは連れていきたくないけど、特別」
「え」
 思いがけない言葉に、ガルムはここで中心となっている少年、カツヤの顔を思わず見上げる。
「シンジがどういうかは分かんないけど、お前も会ってみろよ。スゴイヤツだから」
 会ってみれば分かる、と彼らは繰り返す。
 ラクシュミとガルムは互いを見、そして、連れていってほしいと彼らに願う。



 プロダクションタウンから自然公園へ、悟郎は明日が所有する『バリケード配置図』から割り出した『中心部』まで軽トラックで出向いていた。
「ただのカレー屋さんじゃなかったのね」
 助手席から降りた明日が、荷台を覗きこみ、ほとんど動かない表情の上にほんの少し驚きの色を乗せて呟く。
「まあ、そこそこにだね」
 悟郎は、はにかむというよりは幾分罰の悪い顔で笑った。
 ここへくる途中に、馴染みのスタジオから撮影機材をいくつか貸し出してもらったのだ。
 本格的なものにするつもりはないが、子供たちに対するカムフラージュにはなるだろう、というのが理由だ。
 本当なら撮影クルーを丸ごと貸し出してもらおうとも思ったが、明日がソレを止めた。
 理由を問えば、刑事の勘だという答えが返ってきたのだが、それはそれで悟郎は気にいってしまったのだ。
 だから、機材だけを借りる。
 ついでに、対策課にも一応声を掛けてきた。
 もし合流したいムービースターが居れば喜んで力になる、という言伝も共に残しておいたのだ。
 バッキーを連れた撮影スタッフとその助手、という見方をしてもらえればいいのだが。
「……ひとつ、気になっていることがあるわ」
「なに?」
「子供たちが中心になってこの事件を起こしてると聞いて、その子たちの親はどうしてるのかしらって」
 刑事らしい着眼点だ、そう悟郎は評価する。彼女の思考は自分とはまた違った観点から物事を眺めている、それは新鮮だった。
「ああ、そうか。で、その答えは出たのかな?」
「ええ」
 頷きながら、彼女はなせか眉をひそめた。
「子供たちの親の中には心配している人もいた、けれどほとんどが……あの子たちのしていることにどこか肯定的だったわ……」
「そりゃいったいどういうことだ?」
「何かがおかしい、ということしか分からない。けれど、もし何かがあるとすれば、そこには力ある存在と、そしてソレを広めつつ煽動する首謀者がいなくちゃ始まらないと思うの」
 唇を指でなぞりながら、明日は自分の中に生まれた思考の道筋を辿っていく。
「そもそも、こんなに広範囲に様々なトラップを短期間で作るのに、各々が勝手に動いているとは思えない」
 子供たちは遊ぶ。
 ソレは明日に、かつて廃墟と化した遊園地で開かれたキメラたちのパレードを思いださせた。
 真夜中の狂想曲。
 そこにもやはり、中心となるべき『ハーメルンの笛吹き男』が存在していたのだから。
「おそらくそれが正解らしいですね」
「え」
 唐突に背後から差し込まれた声に、明日と悟郎は反射的に振り返る。
「お、にいさんは?」
「興味深いことをなさっていたので、私もこちらに参加させていただこうかと考えまして」
 はじめまして、というアイサツとともに、ルーファス・シュミットと名乗った青年は、そのまま二人の会話を引き継ぐ形で話し始める。
「首謀者は少年とのことです。ムービーファンではない、ごくごく一般の、13歳の少年が友人たちとはじめたのがキッカケのようなのです」
「その子と話すことはできるのかしら」
「やってみる価値はあるかと」
「んじゃ、手始めにおじさんがちょっとアプローチしてみるかな?」
 そういって悟郎はトラックからカメラをひとつ担ぎ上げると、バリケードの正面に陣取り、中に向けて通り過ぎるくらいよく通る声で問う。
「なあ、すまないが、おじさんたち、ここを通りたいんだけどな」
 悟郎はバリケードの正面から声をかける。
 中で動く気配がする。
 続けて、明日も声をあげる。
「ごめんなさい、あたしたち、この奥をロケ地にしたいの」
 こちらの呼びかけが届いたのだろうか。
 ごそり。
 ちらり。
 わずかに開けられた『監視用』と思われるガラクタの合間から、子供たちの目がいくつも覗く。
 警戒しながらもチラチラと、こちらの出方を伺っている。
 即座に攻撃を仕掛けて来ないのは、悟郎が肩に乗せたココアカラーのバッキーが首を傾げてそちらを眺めているせいだろうか。
 だが彼らが自分たちのために何かの行動を起こしてくれるより先に、遠くで、けれどけして遠すぎない場所から、耳をつんざくような爆発音が辺りを震わせた。
 鮮やかな炎が、明るい空に散る。
「なんだっ?」
「いまのは――」
 思わず驚きの声をあげ、次の瞬間、明日と悟郎はほぼ同時に、ルーファスはそれにわずかに遅れて駆け出していた。



 木々の緑を赤く染める炎。
 周囲に燃え移らないように配慮されてはいるけれど、ちょっとした風向きで、いともたやすく大災害へと発展しそうなトラップだ。
 ジェイクはまたしても溜息をつく。
 都合よく雨を降らせてくれるような能力者はここにはいない。
 だからジェイク・ダーナーの自身への消火活動は、最も原始的かつ非常に初歩的なものとなる。
 炎をまといながら水のみ場を目指し、その蛇口を捻るのだ。
 〈殺人鬼〉というのがどういう存在か、それを目の当たりにして驚いたのだろう。仕掛けてきた子供たちはもうバリケードの奥の奥にいってしまった。
 もしかすると自分の来訪を『瓦礫の城』の主に告げにいったかもしれない。それならそれで構いはしないのだが、しかし、問題はそこではない。
「……制服、ボロボロだ……」
「服よりあなたの体の方が問題だわ」
 背を丸めて服や顔を覆う煤を払い落としている自分を見る、あまり年の変わらない相手が視界に入る。
「ジェイク・ダーナー」
「……おれを、知ってるのか?」
「ええ」
 クリスマスに引き続き、銀幕署から脱走した二人目の〈殺人鬼〉の話は、その場にちょうど居合わせていた相棒から聞いている。
「あの時はごめんなさい」
「……?」
 明日は頭を90度に下げて、謝罪を口にした。
「あなたを逮捕したのはあたしじゃないけれど、同じ警官として謝らせてほしくて」
「…………別に、たいしたことじゃない」
 戸惑うような居心地が悪いような、そんな表情でジェイクは軽くかぶりを振った。
「ああ、ようやく追いついた。流鏑馬さん、足速いなぁ」
 見知らぬ男がさらにふたりやってくるにつけ、ようやくジェイクは彼らの関係性に気づく。
「あんたら、もしかして……」
「どうやらそのもしかして、ってやつだろうな」
「ずいぶんと派手にやられましたね」
 悟郎とルーファスの言葉に、肩を竦めた。あまりコメントを返すようなものじゃないだろう。
「ああ、そうだ。よかったらきみもどうだい、ダーナーくん? スタジオで大道具係の助手をやってる、その腕を貸してくれないか?」
 唐突としか思えない悟郎の提案とそれに続く台詞に、再びジェイクは驚かされる。
「なんで、あんたまでおれのこと……」
「うちの常連がさ、世間話のついでに噂していくのさ。なかなかいい仕事する新人が入ったってね。明日くんがきみの名前を読んで、ピンときた」
 予想外の言葉を受けて、返答に戸惑う。
「ま、そういうわけだから。ひとつ、よろしく頼むよ。おじさんたちと一緒にバリケードを開放しようじゃないか」
「せっかくですし、ね?」
「……、……わかった……」
 ウィンクを飛ばす悟郎と、そのとなりから穏やかに差し出されたルーファスの誘いになかば引き摺られるようにして、ジェイクはぼそりと了解の意思を返した。
「それじゃ、派手にやらかそうじゃないか。立て篭もってる彼らが思わず全員集まってくるような、派手なヤツでひとつ、な?」
 悟郎はニッと笑って、カメラを担ぎ直した。



 奪われる、あいつらに、奪われて、追い出されて、追い詰められて、そうしてボクたちは自分の場所を浸食されるんだ――



 ガルムとハヌマーンを肩に乗せたラクシュミは、まるで迷路のような樹木の間を通り、緑の世界から不意に視界が拓けると言った体験をして。
 そして、視界に飛び込んできたものに目を見張る。
 ソレは城。
 怯え、不安、揺らぎ、そういったものに満ちた子供たちが築き上げた瓦礫の城。
 そこに、彼はいた。
 シンジ。
 すらりと伸びた手足で、あどけなさを残しながらも酷薄な表情で子供たちの上に君臨する少年。
「裏切りもの」
 彼の第一声は、たった一言。
 胡乱な瞳が、ラクシュミとガルムを見下ろす。
「なんで連れてきた、そいつはムービースターじゃないか、近づけさせちゃダメだろう」
 眉をひそめる主に追従するように、少年を取り巻く集団が、次々と糾弾の声をあげる。
「そうだよ、忘れたのかよ」「だめじゃん」「なんで」「帰れよ、どうして」「カツヤ!」「どうして――」
 一斉に、子供たちがエアーガンを構えた。
 殺傷能力はないかもしれない、だが改造されていればその限りではない。
 ラクシュミはとっさにガルムを抱き寄せた。
「この街は夢を見てる。でも夢が醒めたら、ムービースターは消える」
 シンジは冷たく凍えた瞳でガルムへ言葉を向ける。
「そうならないように、こいつらはオレ達の街を侵略して、永遠の眠りに落とそうとしてるんだ」
「どうしてそんな話になるの?」
 不思議でたまらない、だから聞きたい、そのままストレートな感情で、ラクシュミは少年を見上げる。
「誰かがそんなことしようとしたの? いままで、そんなこと考えたりした? 銀幕市を乗っ取ってヒドイコトしようなんてムービースター、いたかしら? あたしは知らない、そんなひと」
「これまでは居なかったかもしれない、でもソレはまだ行動を起こしてないだけだ。分からないのか、これだ、これだよ、ここにそいつらの計画が予言されてるんだ」
 シンジが手にしているのは一冊の〈本〉だった。
「ここに予言されてるんだ」
「でも……そんなこと、しない」
 ガルムは、おずおずと、けれど勇気を振り絞ってシンジを見上げて告げる。
「もしかしたら、こわくて、自分のおうちに帰りたくて、あばれちゃうことも、あるかもしれないけど……でも、ちがうの……」
 ラクシュミの腕の中からするりと抜けて、自分の意思で彼の前に立つ。
 もしエアーガンが発射されたら自分がラクシュミを守ろう、そう思いながら、シンジに、そして自分より年長の子供たちに向けて訴える。
「こわがらないで……いやだよ、ボクはこの世界にいるのがこわくてこわくてかなしくてしかたないけど、でもせめて、なかよく、したい……」
 仲良くしたい。
 楽しい時間を過ごしたい。
 ソレは紛れもない本心なのだ。
「……なあ、シンジ、こいつらのいってること、信じちゃ、だめかな?」
「ぼくたちさ、ホントに悪いヤツだけをやっつければ良いんじゃないかな?」
「シンジ」
「なあ、しんじ、おれたち……」
 ガルムとラクシュミをここまで連れてきたカツヤが、改めて自分たちの主を見る。
 何かを告げようと、更に口を開き書けたその瞬間、
「騙されるなっ!!」
 シンジは怒りを込めて声を張り上げ、ガルムとラクシュミの言葉に揺らぐ彼を叱責する。
「騙されるな、そいつらも敵だ、おまえたちをそそのかして、目的をはたしたらお前たちをみんな殺しにかかるぞ!!」
「そんなこと、しない」
「するさ! 本性はバケモノじゃないかっ!」
 たったひとり、年端も行かない少年のその台詞だけで、穏やかに収まりかけた空気にぴしりと亀裂が入った。
 剣呑な雰囲気に逆戻りしてしまう。
「知ってるんだ、知ってるんだからな、おまえたちはオレたちを殺す、ムービースターとムービーファンは仲間なんだ、そいつらはグルだ、気を付けろ!」
「でも、シンちゃん」
「ダメだ、そいつらもダメだ、どうして分からないんだ、ダメなものはダメだ!」
 ダメだと、繰り返す。
 繰り返されるたび、揺らいだ少年たちの心は、再び不安に支配されていく。
「殺人鬼が来てる、すぐそこに報復しにやってきてる、他のやつらも同じだ、同じなんだ、夢の産物はいつだって簡単にひと殺しのバケモノに変わるんだからな」
 まるでソレを裏付けるかのように、派手に爆発音が響いた。
 子供たちがトラップに使用していたものとは格段に違う、色鮮やかなケムリが遠くで上がった。
 ついに侵略が開始した。
 シンジはそう吐き捨てて、武器を手に、瓦礫の王座から飛び降りると、ケムリがたなびく南の『バリケード』に向けてかけだした。



 居場所を持たないモノは、居場所を欲しがるもの
 居場所を持たないモノは、居場所をほしがり、居場所を奪うもの
 気をつけて
 侵略者は、そこにいる
 気をつけて
 何食わぬ顔で、それは、居場所をうばいにくる

 ほら、うばいにくる……まもらなくちゃ、うばわれる



「何をしてるんだ!」
 最も強固なバリケードの、その頂上に、太陽の光を背にして一人の少年が立つ。
 それに続くように、10歳くらいから18歳くらいまでの子供たちがずらりと並んだ。
 その手には、エアガンやボーガンが抱えられており、いつでも標的を撃ち抜く準備がされていた。
 威嚇と呼ぶにはあまりのも物騒な出迎えだ。
「ようやく現れたか」
 悟郎は溜息混じりに、ガラクタごしに少年を迎えた。
 彼の瞳に宿るのは、怯えとギラリとした敵意だ。
 悟郎を、ジェイクを、明日を、ルーファスを、新たに自分のテリトリーへと侵入した敵として認識し、きつい視線で突き刺す。
「あなたが首謀者ですね」
 実際に目にした彼は、想像していたよりもずっとあどけなさの残る少年だった。
 だが、ルーファスを睨みつけた『首謀者』とされた彼は、その強い眼差しで、バリケードの頂上から明日に叫ぶ。
「アンタ、刑事だろ? 刑事なら、この街守れよ、そいつらみんな捕まえて牢にぶち込んでくれよっ」
 射抜くように、憎しみと恐怖を映した瞳でもって、対峙する。
「そいつら、スゴイチカラを持ってるじゃん。そいつらは自分の世界に帰れないから、オレたちを殺して、自分たちの住みやすい街に変えるつもりなんだ」
「そうだよ」「そうだ」「ムービースターなんて、みんなのこらずいなくなればいいんだ!」
 ソレは心の底からの恐怖によって発せられたきつく強い言葉だった。
「ほら、そこの、ソイツ、その殺人鬼を、殺して追い出してオレたちのこと、守ってよ!」
「考古学者だって? ふざけるな、オレたちの街の歴史をメチャクチャに作り変えるつもりなんだろ」
「魔物を使うんだろ、まっくろなバケモノを連れた本物のバケモノを倒してくれよ」
「殺人鬼は殺人鬼だ、ボクたちを殺そうってしてる、ぜったいぜったい殺そうって考えてる」
「……ムービースターは、侵略者だ」
 怒りと怯えのこもった非難の視線は、ルーファスを、ガルムを、ジェイクを貫いていく。
「そいつらは敵だ、ダメだ、ムービースターに肩入れするムービーファンだって、“侵略者”の仲間だっ」
「では、あなたがたにそう囁いたのはどなたなのでしょう?」
 糾弾する彼に体し、初めに口を開いたのはルーファスだった。
「あなたがたは追い詰められている。けれど、その考えや感情は“本当に”あなたがたが個人で至ったものですか? 何者にも影響されず、己の経験から導き出された答えですか?」
 彼の問いかけは、厳しく、難しい。
「あなた方が本当に自分の意思で行動を起こされているとは、私にはどうにも思えません。集団パニック、集団心理、集団の中にいるから、個々の考えが複合意識へと変じてしまい、あたかも自分の意思であるかのように錯覚するのではないでしょうか?」
 そうして、シンジを見据え、問う。
「我々ムービースターを排斥しようと思い至った、その経緯を私は知りたいのですが……」
 その言葉を遮るように、声が弾ける。
「おまえの言葉なんか聞きたくない!」
 シンジの鋭い言葉に触発され、
「ちがう」「おまえらは敵だ」「殺さなきゃ」「やっつけなきゃ」「やっつけなきゃだめだ」
「お前らは、僕たちの世界をのっとろうとしてる“侵略者”だ――っ!」
 次々とパニック状態に陥った言葉たちが、悲鳴に変わる。
 ダメだ、子供たちを彼の傍においておくのはダメなのだ。
 伝播する。
 彼の悲鳴が、彼の言葉が、恐るべき速度で心の均衡を崩していく。
 そして、武器が、トラップが、発動する。
「――っ」
 ルーファスの旨を撃ち抜くはずの矢は、明日の足が直前で蹴り落とし、手刀で払い落とす。
 鮮やかで俊敏な動きは、まるで舞っているかのように無駄がなく、ルーファスの目を賞賛の色に輝かせた。
 悟郎を襲う銃弾はすべて、ジェイクがその身で受け止めた。
 それも無造作に。
「だめ、やめて、だめだったら、だめだめだめ!」
 視界を遮るバリケードの内側から、幼い――ガルムの制止の声が飛ぶ。
「やめて、おねがい――やめないと、おしおきしちゃうよっ!」
 声音が変わる、その瞬間、バリケードを越えて黒い猟犬がぐわりと跳躍し、子供たちの手から次々武器を飛ばしながら、同時に打ち出された銃弾を、矢を、刃物を、弾いていく。
 けれど、攻撃は止まない。
 止まない。
 誰の声も届かず、誰の言葉も言葉にならず、子供たちの悲鳴だけが次々と――
「いいかげんにしろ!」
 悟郎の声が、驚くほどに響き渡る大声が、空気を震わせた。
 高まり続けた感情、重なり続けた激情の叫びが、その瞬間、音源を切ったかのようにぴたりと止んだ。
 その場にいる全員の視線が、悟郎に集まる。
 そうすることに、そしてそうされることになれたモノの顔で、彼はゆっくりと子供たちひとりひとりに視線を合わせ、言葉を発する。
「きみたちはさ、彼らがムービースターだと気づかないうちは、悪意を持たなかったはずだろ?」
 表情を和らげ、けれどまっすぐなメで、ゆっくりと問いかけていく。
「きみたちの中に生まれた悪意、ソレって本当に個人の意見としてのものかな? 違うだろう? 人間が嫌いだって言いながら、ちゃんと大事な友達や家族がいるのと一緒。ムービースターを『ムービースター』っていうひとつの括りで考えちゃダメじゃないかな?」
「ムービースターだから、ただそれだけで、否定しないで」
 悟郎に続き、明日もまたまっすぐな視線で、けして相手から目を逸らさずに告げるのだ。
「あたしはムービーファンと分類される、でもちゃんと流鏑馬明日という名前があるの。あなた達にだって名前がある。ちゃんと、名前があって、それはあなたたちが傷つけてきたムービースターも同じ」
 一度息をつき、そして強い意思を宿して、シンジを捕える。
「あたしの友人に、とても、とても優しい人がいるわ。その人は子供が好きで、みんなのことが好きで、いつも自分が傷つくことなんかまるでかまわずに助けようって戦うの。誰かの盾になろうとするの」
 あの彼は、あの優しい超人は、今回の事件にも真っ先に関わろうとしていた。
 それを止めたのは明日だ。
 いつも自分を助けてくれるあの彼が、傷つくだろうこと、そして今度は傷つくだけですまないかも知れないという不安があったから。
「……それに……、誰かを失ってからじゃ、遅いのよ?」
 刑事というよりはむしろ『ひとりの少女』として、明日は告げる。
「……大切な人を失くしてからじゃ、遅いの。誰かの大切な人を、奪ってから気づいたんじゃ遅すぎるわ」
「そうだよ!」
 明日の言葉を引き継いだのは、ラクシュミだった。
 ようやく子供たちに追いついた彼女は、危なっかしげな足取りで、シンジたちの傍までバリケードの山を這い上がっていく。
 そして。
「話したらさ、わかることってあるでしょ?」
 伸ばしたその腕で、今度はシンジを後ろから抱きしめた。
「生きてるんだから……あたしたち、ちゃんと通じるでしょ? ほら、ちゃんとわかるんだから」
 シンジは表情をこわばらせたまま、小柄なラクシュミを彼女の腕の中から見やる。
「みんなのその不安ってね、なんだかすごく不自然な気がするの……ううん、不自然というのも違うかな……でもね、見てて怖くなる」
 自分に触れ、自分を抱きしめる腕に戸惑いながら、彼女をじっと見つめ、その言葉に耳を傾ける。
 彼の糾弾と攻撃が止んだことで、他の子供たちもまた、戦意を喪失したかのように動きを止めた。
 その沈黙にむけて、
「……ヒトを殺すっていうのがどういうことか、わかってんのか?」
 それまでずっと無言だったジェイクが言葉を挟みこむ。
「……おまえら、ヒトを殺す感触がどういうものか、知っているのか?」
 パーカーのフードの下から覗く瞳は昏い。
「取り返しがつかないあの感触、あんなモノ、ド素人に耐えられるもんじゃない……その覚悟、できてるのか?」
 彼の問いに答えられるものはいなかった。
 誰も。
 子供たちも、大人も、誰も彼に答えられず、彼の次の言葉を聞く。
「映画通りの殺人鬼なら、おれはとっくに殺られてた……そうだな、映画の中よりもずっとたやすく倒される」
 脚本家と監督が用意した『映画のお約束』はこの街にはない。
 代わりにあるのは、絶対的な銀幕市特有のルールだ。
 それに抗うことは並大抵のことではなく、そしてソレが履行されなかったことはおそらくほとんどないといっていい。
「それでも今おれがここで生きてるのは、退治されるような悪さをしてないからだ……他のスターにしてもそうだろ……死ななくてもいいやつだから、生かされてるんだ……」
 ぼそぼそと、しかし明確な意思でもって、ジェイクは対峙する。
「なのに、わざわざ殺すなよ……、殺す必要のない相手を殺しちまったら、今度はおまえらが、『殺人鬼』になっちまうぞ…」
 人を殺す。
 その感触を、その罪を、その両手で受け止められるのか。
 問いかけるジェイクの言葉は、かつて殺人鬼として凶器を振るい、そしていま平穏な日常を望んでいる彼だからこそ、重い。
「その不安をね、一度でいいからあたしたちに預けて?」
「罪を犯してほしくない、間違ってほしくないわ」
「どうだい、おじさんたちに一度だけでいいから任せてくれないかな?」
「貴方たちのために、私ができることをさせてください」
「あのね、ボクは、なかよく、したい……」
「……どうすんだ?」
 ラクシュミが、明日が、悟郎が、ルーファスが、ガルムが、そしてジェイクが、告げる。
 子供たちへと、バリケードの外から内側に向けて。
 差し伸べられる手。
 差し伸べられた手。
 ソレをとるか否かは、子供たちにまかされている――







 銀幕市立中央病院の小児科棟には、メンタル面に不安を抱える子供たちのために作られた遊戯室がある。
 行動療法を初めとしたリハビリの中で、治療を促がしていくというものだ。
 バリケードを築くことで自分を守ろうとした子供たちはいま、そこに通いながら、日々を過ごしている。
 中には悟郎の提案した解体作業に参加する子供もいる。
 ムービースターも一般市民も関係ない、医療現場というよりも、ある種の教室で、子供たちはゆっくりと回復を目指す。
 そうして、リハビリという名目を持ち、彼らはバリケード解体作業に参加するのだ。
 ムービースターは隣人だ。
 そして、彼らは忌むべきモノではない。
 彼らを侵略者と見做す必要はないのだということ、一度できた心の壁を少しずつでも取り除くために、その過程として象徴となったバリケードをひとつひとつ壊していく。
 その解体作業を、率先して指揮するものがいた。
 槌谷悟郎だ。
 彼はプロデューサー時代の友人、そしてカレー屋を訪れてくれる友人たちに声をかけ、子供たちとともに、銀幕署と対策課共同で作成したバリケード一覧図を元に解体作業を引き受けた。
 そして、そこにはシンジの姿もある。
 彼は友人たちを誘い、自分たちの後始末は自分たちでつけると言わんばかりに、ときどき不安そうな表情を覗かせながら関わってくれた。
 幸い、トラップのほとんどは手動だ。
 致命傷レベルの悪質なものも多かったが、幸い専門的かつ高度な技術はほとんど駆使されていなかった分、作業は思いの他スムーズに進んでいった。
「おお、派手だなぁ」
 笑いながら悟郎が見やった先には、なぜか撮影現場のバイトから借り出されたジェイクの姿がある。
 彼は相変わらずのパーカースタイルで、けれど驚くほど慣れた手つきで鉈を振るっては頑丈なバリケードを解体していく。
「ケガには気をつけてくれよ」
 刃物を扱うのに危うげなところがないにもかかわらず、つい声をかけずにはいられないほど、ジェイクの鉈を振るう姿はためらいがなく潔い。
 その彼は、悟郎の心配する声に片手をあげて応えると、単純作業にひたすら没頭する。
 がすん、がしがしがし、がつっ。ばき。
 どこかリズミカルに、けれど黙々と彼は仕事をする。
 頑丈なはずの机も椅子も電化製品も角材もなにもかもいっしょくたになって粉砕されていく。
 いっそ清々しい。
 一通り破壊して持ち運び可能な大きさにしたところで、ジェイクは作業の場所を移す。
「……ごめん……」
 すれ違いざま、かすかな言葉が耳を掠めた。
 思わず振り返れば、そこに同級生の後ろ姿があった。
 相変わらずシゲルはこちらを見ようとしないし、目をあわせることはおろか、できる限り距離を保とうとしているけれど。
 それはそれでなんら問題はない。
 肩を竦める彼のパーカーのポケットの中で、携帯電話がメールの着信を告げた。
 送信相手を確かめるように、彼はソレを取り出す。
 なにはともあれ、ジェイクの日常はおおむね平穏なままだ。



 爽やかな風が木々の合間を、そして銀幕市の街中を吹き抜けていく。
 日曜日の図書館では今日、吟遊詩人のムービースターによる『読み聞かせ』のイベントが行われる。
 不思議な魚の彫刻が置かれた図書館のロビーで、ガルムは他の子供たちと一緒に、少し遅れてやってきたラクシュミを迎えた。
「あ、えと、おねえちゃん、来てくれたの?」
「だって約束したでしょ? あたし、ちゃんと覚えてるんだからね?」
「……ありがとう」
 にっこりと眩しい笑顔でピースサインを出す彼女に、ホッとしたような、泣き出しそうな笑顔を浮かべる。
「よかったよな、ガルム」
「よかったじゃん」
「きてくんないかもって、すっげ心配してたんだよ、こいつ」
「……だって……」
 ガルムの小さな友人たちは、はにかむ彼の肩や背を肘で軽くつつく。
 あの日バリケードに立て子守り、憎悪と不安と恐怖と敵意に満ちていた彼らはもうどこにもいない。
 病院でのカウンセリングがきっとうまくいっているのだろう。
 それはとても幸せなことだ。取り返しのつかない罪を犯す前に彼らを止めることが出来たことを、ラクシュミは心から神様に、そしてあの日共に対峙してくれた個性的で魅力的な『5人』の仲間に感謝したくなる。
「そうだ、リクエストもらったインドのお菓子、腕によりをかけてめいっぱい作ってきたからね。あとでここのカフェルームでお茶しよ?」
「やった!」
「ありがとう、おねえちゃん」
「ありがとう!」
 ラクシュミの言葉に、子供たちの上にパッと笑顔の華が咲く。
 その笑顔の華を更に大きく広げるように、イベント開始を告げる陽気な音楽が、涼やかな図書館に響いた。



 明日とルーファスは、銀幕市立中央病院の研究棟、そのスタッフルームで、共に腰掛け、紅茶を口にしていた。
 目的は同じ。
 ここの実質的責任者である精神科医から、彼なりの見解を聞きだそうというものだ。
 現在が依頼診察中のため、彼の帰りをここで待ちながら、ふたりは今回の事件について語る。
「……取り返しのつかないことにはならなかった……それだけがせめてもの救いなのかもしれないけれど」
 帰る場所のないムービースター。
 望むことすら許されない存在。
 その彼らがこの銀幕市を憎み、侵略するなどという筋書きを、どうして信じてしまえたのだろうか。
 分からない。
 けれど、不安とはもしかすると、そう言うものなのかもしれない。
 一度膨れ上がったら、抑えることは難しいものなのかもしれない。
「それにしてもあの心理状態は異常という他ありませんでしたね」
 そう前置きして。
「どうも、あの文章には力があるようです。特定の相手にのみ発揮される力、それを行使なさったとしか思えませんが……その【本】はいまどちらに?」
「いまはここで管理しているわ。誰がどんな影響を受けるのか未知数である以上は適切な処置を施す必要があるからと」
 丁寧な作りだった、けれど売り物ではない。商業ならば必ずあるはずのISBNの表記がどこにもなかったのだから。
「……少し、気になることがあるの。あの子がもっていたあの本、ああやって〈言葉〉が媒体となる病、まるで洗脳に似ていて」
「書物を媒体とする〈病〉ですか……例えソレがムービーハザードといったものであったとしても、歓迎できるものではありませんね」
 ルーファスは目を細める。
「書物とはすなわち記録であり記憶であり愛すべき知識の結晶なのですから」
 そう言いながら、優雅な仕草で彼は紅茶をひと口、そしてふぅっと香りと味を楽しむように吐息をつく。
「しかし、一体あの子らに【本】を渡したのは誰なのでしょうか……」
「……綺羅星学園」
「はい?」
「……学校の図書室、そこでシンジはあの本を見つけたみたいね」
「彼がそう言ったのですか?」
「ええ。カウンセリングの合間に事情を聞かせてもらって、その時に教えてくれたわ」
 綺羅星学園中等部の図書館、その閲覧席に置き去りにされていたのが、あの本だったという。
 友人たちと一緒に手にした彼は、じわじわと不安に取り込まれて言ったとも証言していた。
 どうしてあんなにもムービースターが怖かったのか、どうしてあんなにも不安定になったのか、いまとなっては分からないらしい。
「ではその本は誰が持ち込んだのか、という疑問は残りますね。いささか座りが悪いと感じるのは、私が少々神経質になっているのでしょうかね?」
「……そんなことは……」
 ふるりと首を横に振り、明日はルーファスを見る。
「やはりムービーハザード、あるいは【本】の実体化、という回答になるのかしら。でも」
「貴方もその説にすら納得できていないようですね」
「ええ……どうしてこんなにも不安になるのかしら。もしかするとあの【本】にあたしも少し影響を受けているのかもしれないけど」
 チカラある言葉を綴った一冊の本。
 人の心を蝕むその本の『出演作』を探すべきなのだろうかと、明日は密かに思う。
 だが、どうやって?
 どうすれば、それをなせるのか、思考をめぐらせ始めたそこへ、
「お待たせしてしまってすみません」
 す、と、空気を変える声、明日にとっては【天啓】とも言える声が、差し込まれる。
 待ち人がやってきた。
 彼に告げたいこと、伝えたいこと、聞いておきたいことがいくつもあふれてくる。
 事件のあと味はけして悪くない、けれど何か漠然とした不安だけが胸の奥にわだかまりとなって残っていた。
 ソレがすっかりと氷解することを願いながら。
 そして。
 そして誰もが誰のことも傷つけず、これ以上どんな罪も犯さずにいてくれたらいいと、そう願いながら、明日はルーファスとともに、精神科医へと今回の事件のあらましを話し始めた。



END

クリエイターコメントはじめまして、こんにちは。この度は当シナリオにご参加くださり、まことに有難うございます。
子供たちが相手ということもあったのか、皆様、比較的穏便な交渉メインのアプローチでございまして。
幸い大きな怪我もなく(…してもすぐに回復し・笑)、想定していたよりもはるかに穏やかなラストをむかえることができました。
お待たせした分も含め、少しでも楽しんでいただけるものになっておりますように。

>ガルム・カラムさま
 子供ならではの感情のぶつけ方が非常に印象的でございました。
 自分のいる場所への不安、そして相手に対する思いが切なくもあたたかく。
 お言葉に甘え、かなりひどい目に遭っておりますが、せめてものお詫びとばかりに、ガルム様には銀幕市に新たな友人が増えた模様です。

>沢渡ラクシュミさま
 差し入れ持参で篭城している子供たちへ接触、そして非暴力不服従の精神という姿勢がとてもカッコよかったです。
 子供たちに寄り添うアプローチにより、すっかり今回の事件で接した子供たちにとってのアイドル的存在になっております。
 きっとこれから、子供たちはときどきラクシュミさまを遊びに誘いにくるのではないかとv

>槌谷悟郎さま
 元敏腕プロデューサー、現カレー屋店主というご職業が魅力的でした。
 カムフラージュのための機材提供から交渉までの流れを含め、お人柄を見込んで(?)コミュニケーションの要にして潤滑剤になって頂きました。
 これからしばらくは、子供たちとともにカレー屋と解体作業で忙しい日々になるのではないかと思っております。

>ルーファス・シュミットさま
 学者さまの視点、考察は実に鋭く、アプローチ方法から思考過程に至るまでとても興味深かったです。
 こそりと小ネタを挟みつつ、単独行動から始まり、情報収集、そしてラストシーンでのお茶会&考察会にて、明日さまとともにトリを務めて頂きました。

>流鏑馬明日さま
 六度目のご参加有難うございますv
 某超人さまへの言及を含め、子供たちの罪に対する刑事としての立ちまわり、考え方、感性の示し方が相変わらず凛々しくてステキでした。
 実は正解に一番近い推理をなさっておりましたので、ルーファスさまとともにあのようなラストをご用意させていただきました。

>ジェイク・ダーナーさま
 先日はプラノベご指名、有難うございました。
 経験者は語る――まさにそんなアプローチに胸を打たれつつ、事情を聞くための容赦のない『手段』っぷりにツボをつかれた次第です。
 なお、今回、間違いなく一番ひどい目に遭っております。
 それでも大丈夫、というところに殺人鬼の殺人鬼たるゆえんがあるといいのですがv


 それでは不安と悪夢がはびこるこの銀幕市で、再び皆様とあいまみえることが出来ますよう、祈っております。
公開日時2008-07-02(水) 19:20
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