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<ノベル>
■近づくな、ケーキが腐る■
黒いオーロラが街中を駆け抜ける直前まで、太助とゆきは上機嫌だった。知る人ぞ知るスイーツショップで目当てのものを手に入れられたからだ。住宅街の中の小さな店で、まだ銀幕ジャーナルはおろか、どんなメディアにも取り上げられていないのだが、銀幕市に住む真のスイーツ好きには口コミでその名が知れ渡っている。和のテイストを取り入れた創作洋菓子が評判で、甘さはしっとり控えめ。別腹に何個でも収まってしまう美味しさだ。
太助とゆきは店内で鉢合わせた。ふたりとも、自分が食べるためにスイーツを買ったわけではない。太助は居候先の老夫婦に贈るつもりだったし、ゆきはお使いだった。広いとは言えない店内で楽しくおしゃべりをしながら、やっと外に出た――そう、上機嫌で。
「……お?」
「……む?」
しかし、子供たちはその瞬間にぴたりとおしゃべりをやめ、銀幕市の空をあおぐ。
おしゃべりで多少時間は食ったが、何時間も店にいたわけではない。1時間もいなかった。30分はすぎていたかもしれないが。
店に入る前まで、空は夏らしい青だった。雲も少なく、立っているだけで汗ばむほどの陽気だったはず。
それが――今は、
「太助。おぬしが化かしているわけではないじゃろ?」
「ああ、うん。……うん」
ぽかん、と口を開けて、ふたりは……夜とは違う闇がうねる、黒い空を眺めていた。
なんだあれは。
舞台の緞帳が空から下りて、ゆらめいているようにも見える……。
「どあ!?」
突然、ゆきの横で太助が転んだ。頭の上に乗せていたケーキの箱が、転げ落ち――なかった。太助、と叫びかけたゆきの右手も、ふっと軽くなる。
甘ったるい、匂い。この匂いは、溶けたチョコレート。こぼれたメープルシロップ。熟しすぎて傷んだイチゴ。
身体を起こした太助はわめいた。兵士だ。ドロドロに溶けかけ、チョコやシロップの雫を垂らしながら、「あのとき」無数に死んだはずのお菓子の兵隊が、太助とゆきからスイーツを奪っていく。
「なんで! な、なんでおまえらッ!?」
風が吹く。
腐ったお菓子の匂いが拭われ、今度は、肉や血や臓物、木、生物の腐臭がやってきた。
「どろぼーっ! どろぼぉおーっっ! こりゃーっ、返さんかー!」
ゆきが両手を振り上げて走り出す。あまりに突然の出来事だったが、スイーツへの強い情熱が彼女を勇気ある行動に駆り立てたらしい。太助は一瞬で銀幕市を覆いつくした死臭に、鼻をこすりながらもだえていたが、ゆきにつられて走りだしていた。
「どろぼー! ちくしょー、返せー!」
「どろぼーっ! ど……」
ふたりの子供は、そこで立ち止まった。
目の前に、フリルがふんだんにほどこされたドレスの、少女が立っていたから。その少女の前に、ケーキの箱がふたつ、ことんと落ちた。箱をかついで走っていた兵士たちが、腐りきり、乾燥して、土や塵のように崩れ去ってしまったから。
「あ……、おまえ――」
黒と白。そんな色彩の少女を見上げ、太助はほんの一瞬呆気に取られた。
太助が彼女の名前を呼ぶのをさえぎるかのように、もっと呆気に取られる出来事が、すぐそこで起きた。
ぼスん、とマンホールの蓋が吹っ飛び、濃い白煙が噴き上がったのだ。その煙をひるがえすようにして、灰のスーツの若い紳士が――現れる。奇術師の登場のようだったが、ただ単にマンホールの真下で爆発を起こして、生じた白煙と一緒に現れただけのようにも感じられた。
「な、なんじゃ!? ……あ、……じゃあなるで見た顔じゃのう」
「やあ、小さなレディとアライグマ君」
「お、おれはタヌキだよ! どっから出てくんだおまえ!」
「ちょっと下水道を散歩していたんだけれど、急に地下が騒がしくなってね。動く死体でいっぱいなんだ。地上のほうはどうなってるかと心配になってね、ちょっとした奇術を使って上がってきたというわけさ」
「いやあれは奇術っつーか発破――」
「ところで、君。素敵なドレスの君は、もしかして死の神さまのお孫さんかな?」
黒と白の少女を見下ろし、紳士はゆっくりと笑む。少女は――紳士を、漆黒の目でじっと見つめているだけだ。紳士の笑みが、はたから見守っているゆきには、ほんの一瞬引きつったように見えた。
「ヘンリーだ。ヘンリー・ローズウッド」
太助が、隣にいるゆきにしか聞こえない小さな声で呟く。
「あいつ、ぜったい子供とかきらいだぞ。まずいなぁ」
犬は犬嫌いな人間を見抜く。子供は子供嫌いな大人を見抜けるか。少なくとも太助は見抜けた。大正解、強盗紳士ヘンリー・ローズウッドは子供が大嫌い。太助、ゆき、そしてトゥナセラという子供たちと偶然鉢合わせてしまったのは、彼にとって不幸だったかもしれない。
太助は辺りを見回す。よくないことが起きそうだ。すでに災厄は起きているのに。
死臭。
黒い空。
その下を、地響きと呻き声が這いずりまわる。まるで銀幕市が、すとんと地獄に堕ちてしまったかのようだ。ゆきが、太助の尻尾をぎゅっとつかんだ。がくりがくりと異様な足取りで、何かが建物の陰から現れ、通りを徘徊しているのが見えたから。
そして街のどこからでも、悲鳴が飛んできている。
■悲鳴と悲鳴と悲鳴と悲鳴、悲鳴、死臭■
トゥナセラを、次にどこへ連れて行こうとしていただろう。
忘れてしまった。
リオネはそして、動けなくなっていた。鼻が曲がるような、食べたソフトクリームを吐いてしまいそうな、凄まじい悪臭。それは、ただ固まってその場に立っているだけのリオネを、すっかり包みこんでしまっている。
ハ、ぁぁぁぁぁぁ。
ぁぁぁぁぁぁぁぁ。
腐った死体は毒ガスのような吐息をつきながら、腐汁と皮がしたたる両腕をのばし、リオネに向かってのろい歩みを進めていた。濁った目玉に飛び出した眼球、うつろな意識が、身動きの取れない『子供』をとらえている。
そこに、銃声。
立て続けの銃声。銃声銃声、弾丸。
リオネの金縛りは解けた。夢色の少女は叫び声を上げて頭を抱え、その場にしゃがみこむ。動く屍がどうなったかは、見なかった。そのほうが子供の情操教育上都合がいいだろう。
銃撃者は、シャノン・ヴォルムスは、ちゃんとそこのところを考えていたのだ。この街に来てから、苦手だった『気遣い』を学べたのかもしれない。
ゾンビどもはまず両足の膝を撃ち抜かれて地面に倒れた。次に頭を砕かれた。グロテスクな表情は、大口径の銃撃をまともに受け、木っ端微塵になった。
シャノンはさらに火でもつけてやろうかと思ったが、幸い、ゾンビは『死ぬ』とミイラ色の塵と化し、すぐにさらさらと崩れて、空気に溶けていった。子供が見ないほうがいいものは、綺麗さっぱりなくなってくれた。
「まったく……面倒なのか都合がいいのかわからん……」
周囲の屍を一掃したことを確かめ、シャノンは足早にリオネに駆け寄った。大口径のリボルバーはしまったが、オートマチックは抜いたままだ。
顔を上げたリオネの目は、真っ赤になっていた。
「あまり大丈夫じゃなさそうだな」
大丈夫か、と聞こうとしたシャノンは訂正した。リオネは首をふるふると横に振って、立ち上がる。
「り、リオネ、泣かなかったよ」
「うん、えらいえらい」
リオネの頭を撫でて、彼女を褒めたのは、シャノンではない。
肩で息をしながら駆けつけてきた、取島カラスだった。得物の龍水剣は抜き身だったし、リュックは開いていて、中からバッキーの黒刃が顔を出している。
こいつのほうが自分より子供の扱いがうまいだろう、と判断したシャノンは、無言でカラスにリオネを任せた。リボルバーを抜き、廃莢し、1.5秒で全弾をリロードする。
「トゥナセラ君と一緒じゃなかったの?」
「さっきまで、いっしょだったよ。あそんでたんだけど……、セーラちゃん、きゅうに怒って……」
「ゾンビをばら撒いていった、か」
念のためオートマチックの弾倉も交換し、シャノンはため息をつく。
「セーラ君が怒りだした理由に、心当たりはないんだね」
カラスは優しく、リオネの不思議な色の瞳を見つめながら問いかける。リオネは口をへの字に曲げて頷いた。
「じゃあ、セーラ君を見つけて、理由を聞かないと」
「うん……」
「怖かったら目をつむってるんだよ。怖いものはお兄さんたちが何とかするから。ね?」
リオネはまた頷くと、不意にきょろりと目を動かし、銀幕市の西の方角に顔を向けた。
「セーラちゃん、あっちにいる。リオネ、わかるの」
「そうか。じゃ、ナビを頼むよ」
カラスはリオネの手を握った。悪意と攻撃はリオネに触れることすらできない。取島カラスは、神の子にとっての脅威ではないと見なされたようだ。
「……お兄さんたちが何とかする、か。やれやれ」
シャノンは軽くかぶりを振って、リオネとカラスの後ろについた。
歩き出しがてら、植えこみの陰でふらふらしているゾンビを見つけた。ほとんど反射的に銃を構えたが、
「『弾』」
ぼン、
シャノンが撃つ前にゾンビの頭が砂になった。
その屍は無力な市民を襲おうとしていたところだったようだ。足をもつれさせながら逃げていく女性の姿があった。
リオネと手をつないだまま、カラスも振り返る。
「やはり、リオネさんが絡んでいましたか」
どこか不自然だが、ぱっと見では綺麗な微笑。それを伴ってつかつかと歩み寄ってきたのは、宝珠神威なる暗殺者。シャノンは片眉を吊り上げ、神威も彼に向かって笑顔で会釈した。
「ムービーハザードとは少し雰囲気が違うと思っていたところです。ちょうど死の神の子供とやらもこの街に来ているようですしね」
淡々と話す神威の目が、リオネに向けられた。
カラスとつないでいるリオネの手に、少しだけ力がこもる。カラスはそれを受けて、神威をまじまじと見つめてしまった。
不自然な笑みに、感情のこもっていない言葉、男にも女にも見え、成人にもほんの少女にも見える容姿。そして……死臭。シャノンとは知り合いのようだが、リオネがおびえている。全面的に信頼していいものか、カラスは迷った。
「私もお手伝いします。大勢が迷惑していますからね。この馬鹿騒ぎを早く終わらせるとしましょう」
「まあ、戦力が増えるのはいいんだが……」
「なにか問題でも?」
「……いや」
シャノンは言葉を濁し、神威は笑顔で首をかしげる。
リオネが、南西の方角を指さした。
「セーラちゃん、あっちだよ」
「動いてるのか。急いだほうがいいな」
カラスが歩き出した。
■惨劇の幕は閉じられた のか■
トゥナセラを見下ろしていたヘンリーが、突然振り返った。
どこからいつの間に取り出したのか、その右手には銃がある。
「は」
紳士は笑った。目を見開き、歯をむき出さんばかりに唇を広げ、凄惨に。凄絶に。
「は、は、は、ハ、は、凄い! これは素晴らしい! これが神の力か、ハハハ、は、ああああああァアアアあ゛あ゛あ゛あ゛!!」
振り返ったその先に向かって、ヘンリーは立て続けに発砲した。ゆきはその場にかがみこんで耳を押さえ、太助はゆきのかわりに惨劇を見届けた。ヘンリーがめった撃ちにしたゾンビは、太助もジャーナルで、街角で、見たことがあるような顔だった。だがそれは、太助の記憶が確かなら、すでに殺されたはずの男である。他ならぬ、ヘンリーが殺したのだ。銀幕ジャーナルにはそう記されていた。
自分が殺した男を、ヘンリーがまた殺している。
そんな理不尽を呼べるのは、神の力くらいのものか。
はははははははははははは はははハハハハハハハハ刃はははは爬はははははははははハハハ ハハハハハハハハハははははははははははははははははは!!
ヘンリーは撃っていた。もう弾がないのに。銃はカチリカチリと呟いているだけ。十数発を空撃ちして、ようやく気づいたヘンリーは、笑いながら右手を振り上げた。いつの間にか、銃が消えている。アスファルトのあちこちが、ボふ、とくぐもった爆音をもって同時に砕けた。種も仕掛けもなさそうな奇術が、ふらふらと徘徊していた屍をばらばらに吹き飛ばす。ゆきのすぐそばに、腐った手首が落ちてきた。顔をゆがめて、ゆきは立ち上がる。ふと顔を上げれば、じっとこの喧騒を見つめているトゥナセラが目に入った。
トゥナセラがヘンリーの奇術から目をそらした。もう見る必要はないと踏んだかのように。
行ってしまう。
「あ、まて。まつんじゃ」
ゆきはトゥナセラを追いかけ、手を伸ばし、死神の孫娘の腕を、取った。
はっとしたように目を見開いて、トゥナセラが振り返る。
「おぬしは、つ、『つなせら』じゃな」
「……言いにくいなら、セーラってよんでいいわよ」
「セーラ」
お言葉に甘えて、ゆきは呼び直した。
「へたにうごかんほうがよいぞ。はぐれたのじゃろ? リオネと」
「ちがうわ。……どうして、そんなふうに思うの?」
突っぱねるようにして否定したトゥナセラは、深淵の目で、じっとゆきを見つめ返してくる。深い目だ。吸いこまれて、魂ごと闇に溶けてしまいそうだ。
ゆきはほんの少しだけたじろいだが、すぐに意を決して答えた。
「さびしそうに見えたからじゃ」
「ああ、俺にもそう見えたなぁ。他にもたくさんおまえの同級生来てて、みんな仲良くやってんのにさ、おまえだけ、ひとりぼっちなんだもん」
太助もゆきの言葉に乗った。それを聞いたトゥナセラは、むっと口をきつく結んだ。図星を指されたようでもあり、頭ごなしに否定したがっているようにも見える。いずれにせよ、彼女はそれほど素直な子供というわけではないらしかった。黒い瞳の奥には、どんな感情が秘められているのか、よくわからない。
「ほら、ケーキでも食ってさ。リオネとはぐれたんなら、探してやるから」
「……ちがうったら……」
トゥナセラは奥歯に物が挟まったような、はっきりしない否定をする。太助の頭の上のケーキ箱にちらりと目をやっていたのを、ゆきは見逃さなかった。
やっぱり、子供だ。彼女は、神さまの……子供だ。甘いものが好きにちがいない。
ゆきは太助の頭からさっとケーキ箱をさらうと、ふたを開けた。トゥナセラに差し出すために。
しかし、箱を空けて中を見たとたん、ゆきと太助は「どぁ」と悲鳴を喉につまらせた。
ついさっき買ったばかりのはずのケーキは、日陰に6日間置いたあとのような有り様だった。アクセントとしてあしらわれたハーブやフルーツは腐り、チーズクリームとアンコは半ば溶け、スポンジとクラッカーにはカビが生えていたのだ。
「……おいしそうね」
箱の中を見つめたトゥナセラが、初めてまともな子供になった。
彼らの後ろで、ゾンビの頭が吹き飛び、腐ったはらわたがちぎれ飛び、皮膚が破れ、骨が舞っている。
太助とゆき、そしてヘンリーは「その声」を聞くまで、ゾンビの群れが挟み撃ちにされているとは知らなかった。
その声。
「『いた』」
■見ぃぃいいいいい っけ■
「『いた』」
神威が言霊を切り替えた。それまで彼女は、『弾』とささやき、叫び、吹き飛ばし続けていた。
幸いゾンビたちの動きは往年のゾンビ映画を基準にしているかのようなのろさで、銃撃と言霊、地獄産の剣をもってすれば、さほどの脅威でもなかった。差し伸べられるかのような腕や牙をかわすのにも、慌てる必要はない。ただ、油断さえしなければいいだけだ。
カラスの剣が、ざりッ、と屍の顔を顎の下から真上に切り裂く。
「『いた』か! どこに!」
「1時の方向」
「よかった、すぐ見つかって」
崩れるゾンビには目もくれずに安堵したカラスだったが、
「おい、気をつけろ!」
シャノンにその後ろ襟をつかまれ、後ろに倒れかけた。束ねた髪もわずかに引っ張られ、顔をしかめるカラスの目に、銃を乱射している奇術師の姿が映る。一応ゾンビを狙って発砲しているようだが、リオネを連れてきた3人の姿は見とめていないらしい。
「まったくあいつは、どうしたんだ、一体」
思わず呆れた独白を漏らし、シャノンはオートマチックをヘンリーに向けて目をすがめた。
鉄爪は引かれた。ためらいもなく。
「!」
その場にいた誰もが一瞬驚き、あるいは焦ったが、ヘンリーはほぼ無傷だった。だが、シャノンが弾を外したわけではない。シャノンが撃ち抜いたのはヘンリーの銃だけだ。武器を奪われたヘンリーは凄まじい形相でシャノンを睨みつけたが、すぐに我に返って、カラスが手を引くリオネに気づいた。
ヘンリーの碧眼にまた暗い炎が揺らめいたのだが、それに気づいた者はいない。
「セーラちゃん!」
リオネが真っ先に駆けだした。危うくカラスは手を離すところだった。子供に引っ張られながら、カラスは走る。
「まったく」
リオネとカラスを追う前に、神威がぽつりと呟いたのを、隣にいたシャノンは聞き逃さなかった。
「あ、リオネだぞ。ほら、探してたみたいだ」
「ほれ、再会をよろこばんか」
太助とゆきにくいくいドレスの裾を引かれても、トゥナセラは動かなかった。黒い目でリオネを見つめて――いや、睨んでいるだけ。リオネはほっとしたような笑顔。トゥナセラの目が、ぎろんと動く。今度は、リオネを連れてきた3人を見つめていた。
まるで、品定めしているようでもあり……監視しているようでもあり……無為に見つめているだけのようであった。
「セーラちゃん、どうして。どうしてきゅうに、怒ったの?」
子供の問いかけはストレートだった。取島カラスと一緒に再確認した質問と、わずかの違いもない。リオネがまだ、トゥナセラの怒りの原因を突き止めていない証拠でもある。
太助とゆきはトゥナセラのドレスから手を離して、なんだ、と小さくため息をついた。
「ケンカしてたのかよ」
「たしかに、はぐれたわけではなかったということかの」
「……そんなくだらない、子供のケンカに巻きこまれたせいで、この有り様ですか?」
神威が笑顔で吐き捨てた。
おい、とシャノンが軽く神威につっこむ。
「まあ、確かにもっともだが、これ以上あいつを怒らせるな。面倒が増えるだろう」
「果たして本当にくだらないケンカだったのかな。それはわからないよ。お二人の神の子にうかがってみないことには。もしかすると、とてもすごく非常に素晴らしく、高尚な理由があっての決別だったのかも?」
ヘンリーが茶化し、肩をすくめた。
そしてトゥナセラが、
「『どうして』?」
どぅ、っ。
「なによ。リオネだけじゃなくて、あなたたちもだれも覚えてなかったのね。ひとりくらいは覚えてると思ったのに。みんなみんな、この子が見せてるへんな夢でおかしくなったんじゃないの?」
漆黒の目を見開いて嘲笑いながら、死の神の孫は冷ややかな言葉を7人に浴びせた。
空がまた黒く濁り、かげり、軋みだす。ずっと鳴り続けている地響きが、大きく胎動する。
「オネイロス様は言ったはずよ。『リオネには償いをさせる』って。この子は罰を受けてここにいるの。自分がどんなにひどいことをしたか、悪いことをしたか、反省しなくちゃならないのよ。こんなに街が狂っちゃうくらいのことをしでかしたのに、あなたはなに? どうして笑ってるのよ。なんでそんなに楽しそうなの。あなたは泣くのよ。泣いて泣いて反省するのよ、オネイロス様にあやまるのよ。ひどいことになった街を見て、苦しまなくちゃならないの。それが神として受けるべき罰なのに。なによ、こんな街。ただ狂ってるだけじゃない。どうして笑えるの。あなたがこんなふうに引っかきまわしたのに。どうして怒られてるのに笑ってるの。あなたバカじゃないの。あなたも狂っちゃったのかもしれないわね。あなたなんのためにここにいるのよ。あなたがこんなにどうしようもない子だったなんて、知らなかったわたしもバカだったけど!」
「やめろよ」
「やめろ」
「やめてくれ」
太助とゆきとカラスの制止を受けても、トゥナセラが呼んだ死臭は衰えず、空は黒く、リオネは……驚いて見開いた綺麗な目に、いっぱいの涙をためていた。
そうだ、トゥナセラの言うとおりだ。彼女の怒りがくだらないものだったのかどうかはわからない。人間や、かりそめの生命にはきっとわからない。神には神のルールがあって、恐らくそれは、人間たちが己に架しているものよりも桁違いに重いのだ。リオネは禁忌を犯し、それを償うために銀幕市に来ていた。
誰もが、リオネまでも、それを忘れていた。
ほんの子供のトゥナセラだけが、それを覚えていた。
「もう救いようがないわ。この街はバランスを欠いてるし、リオネはちっとも反省してないし。そうだ、リオネ、この街が好きなのよね。だったら、この街があなたのせいで滅びるところ、見せてあげようか。それがいいよね。バカで狂ったあなたでも、それならさすがに泣くわよね!」
「やめて! なにするの、セーラちゃん。やめてよぅ!」
「やめろったら! も、もう、リオネなら、泣いてるだろッ!」
地響きが、迫ってくる。
シャノンが、カラスが、自分の足元を見た。神威も。ヘンリーの目はリオネを睨み、その口はリオネに嘲笑を向けている。
それにしても、なんだ、この地響きは。何かがせり上がってくるような――。
「……キノコ……」
太助が、鼻を一度すすって、固唾を呑んだ。
「腐ったキノコの匂いが……」
ま゛ァアアアアァアアあああぁぁぁ……!
■死者の祭り/望まれぬ邂逅■
アスファルトを、ケーキショップを、消火栓を、車を、その背で持ち上げながら……巨大な腐乱死体が、地中から現れる。死体は死体でも、人間の死体ではない。それは怪獣の死体。死んだはずの死体。喰われて跡形もなくなったはずの。
「テオナナカトル!」
「厄介なやつを喚んでくれたな」
カラスの背中のリュックから顔を出していたバッキーの黒刃が、へんな声を上げて、リュックの中にもぐりこんだ。腐ったものは食べたくないらしい。
巨大なキノコ怪獣は、食べごろをすぎたエリンギとマイタケの、酔いを誘う腐臭を発していた。だが、腐りすぎていたようだ。脚も身体もその突起も、大部分が自重に耐えきれずに崩落した。テオナナカトルゾンビが巻き上げる煙は、胞子なのか、かれの肉の粉末なのか、さっぱり区別がつかない。
しかしそれはまさに、ゾンビの粉。ただの灰のようにも見えるが、目をこらせば、細かな粒子のひとつひとつが、骨のかたちを成していることに気づくだろう。
「……もう一度死ね」
カラスが、喉の奥から唸り声を絞りだす。
「もう一度俺たちに殺されろ!」
龍水剣を振りかざして走りだしたカラスを、ため息混じりに神威が援護する。
「『弾』」
ぼン。
「『弾弾弾』」
ぼぼぼン。
「『弾弾弾弾弾弾弾弾弾』!」
鬱憤を晴らすかのような勢いで、神威は言葉の弾丸をばらまいた。ゾンビパウダーが、周囲を灰と白に染めていく。まるで大規模な火山噴火でも起きたかのような光景が、銀幕市の片隅に広がっている。
テオナナカトルはアスファルトをくつがえし、日の光を忘れた土を舞い上げていた。建物と車、消火栓が、怪物の足元に飲みこまれていく。テオナナカトルは地獄の淵から這いのぼってきたのか。ムービースターにも、「地獄に落ちられる」ほどの魂があるということなのか――。
それともこれは、まぼろしか?
テオナナカトルは地上に現れたところで、その身体の大部分を失いつつあった。かれは人間の屍よりもずっと脆くなっている。かつて銀幕市に脅威としてあらわれた頃よりも、ひとまわり以上小さくなってしまっていたし、胞子の幻覚作用も消えているようだった。
だが巨大なキノコは自壊をつづけながらも、緩慢にもがきながら、その身体のすべてを地上に引きずり出そうとしていた。
マ゛ああああぁぁぁ……!
いつかの日に銀幕市を震わせた咆哮は、すっかり干からび、歪んでいた。ただその声は、聞く者の皮膚をつめたい波動で逆撫でする。
崩れながらも振りかざされる突起や脚をかいくぐり、取島カラスの剣が怪物の身体を切り裂いていた。さきまでリオネを気遣い、手を引いていた男と同じ人間だとはとても思えない。再び死ねと怪物を罵り、美しい剣で腐った身体を削っている。彼のまわりでは、灰と肉の花が咲き乱れていた。シャノンの銃、神威の言霊が炸裂しているのだ。
トゥナセラは屍粉の雨の中で、ひとり、すっくと立っている。この街をその黒い目で見つめているだけ。もはやリオネを責めることもない。リオネはタトゥナセラとは対照的に、地面にへたりこみ、トゥナセラの背中を穂埋めたように見上げて、ぼろぼろ涙を流しているだけだ。死んだ怪獣の粉を浴びて、リオネの目や髪やドレスから、いつもの夢のような色彩が消え失せてしまっていた。
そう、誰もが灰と白。
シンデレラ!
「ゆき、リオネを見ててやってくれ。俺もこうなったらやるしかねえよ」
「なにをする気じゃ。ふまれたらケガではすまんぞ!」
ゆきの口ぶりは「タヌキふぜいになにができる」とでも言いたげで、太助はすこしだけむっとした。けれども、彼女が自分を心配して言っているということもわかっている。だから、皮肉で返すことにした。
「ふまれなきゃケガしないだろ」
太助も一度、あの怪獣と戦ったことがある。
そのとき、踏まれる心配などしなかった。
なぜなら、あの怪獣と同じくらいの大きさに化けたのだから。
白い屍の粉を吹き飛ばして、どろん、と効果音つきの煙が生じた。吼えるキノコに、茶色い毛皮のかたまりが体当たりを仕掛ける。
「タヌキ!」
撃ち方をやめて、シャノンが声を張り上げた。
「お前は穴に落ちるなよ!」
『穴ァ!?』
ぼろぼろと崩れているキノコ怪獣に組みつきながら、太助はシャノンに聞き返す。穴とはなんだ。今の自分が落ちる穴など、よほどの大きさだ。そんな穴など――
あった。
暗黒が……
底知れぬ深淵が、テオナナカトルの足元でぱっくりとその大顎を開いていた。穴の下からは恐るべき風が噴き上がってきている。なんだこれは。どこにつながっているのだ。本当にこの怪物は、地獄から来たのか。死臭がする。
こいつを落とせ。
太助のみならず、テオナナカトルと対峙していた者のすべてがそう考えた。太助は牙を剥いて唸り声を上げ、寄り切ろうとする腕にさらに力をこめる。以前取っ組み合ったときよりも、はるかにキノコ怪獣は軽いのだが、それでも、太助ひとりが転がせるほどではない。
テオナナカトルの脚が一本、アスファルトに食いこんでいる。このキノコは、根を下ろしたつもりにでもなっているらしい。
「『 弾 』!」
宝珠神威が、これまでよりも強く大きく、声を張り上げた。
テオナナカトルの『根』は、ロケット弾の直撃でも食らったかのように大爆発を起こした。大量の粉塵が舞い、視界が閉ざされる。ちい、とシャノンとカラスがそれぞれの持ち場で舌打ちをした。この状況では、テオナナカトルに攻撃が当たるかどうか、ふたつにひとつだ。
太助は押した。
「『 弾 』!」
また爆発が起きた。
ゾンビパウダーの中心で何がどうなっているのか、もう、太助にもわからなくなっていた。ただ、彼の両腕にかかっていた負荷が、ふいに軽くなり――
あの声が、遠ざかっていった。
煙と死臭が、テオナナカトルについていく。まるで怪獣にしがみついていたかのように、一緒になって、深淵に向かって落ちていくのだ。
「終わりだ。終わった。ははは、『感動の再会』ショーは終わり……終わったんだ。いい気味だ! みんなみんな、死んだくせに、ははは!」
穴の淵でヘンリー・ローズウッドが哄笑している。
安堵のあまり尻餅をついた太助は、いつものサイズに戻っていた。
■第13章■
深淵を見下ろしているのはヘンリーばかりではない。
トゥナセラは、いつの間にか、ぽっかりと開いた大穴のふちに立っていた。彼女の怒りはおさまったのだろうか――相変わらず空模様は黒くぐずついているのだが、街から死臭は消えていた。
「気が済んだのかい、将来の死神様」
「なんだ。だれも死ななかったのね」
それまであまり銀幕市民には感情を示さなかったトゥナセラが、ヘンリーに声をかけられて振り向き、憮然とした声色を聞かせた。
「だれか死ねば、リオネがもっと泣いたのに。つまんないわね」
彼女はムービースターはおろか、銀幕市民に対しても、親愛のような感情を持ってはいないらしい。神にとってはひとつの生命など細微なものにすぎないのか、それとも、ただ単に彼女が『子供』だから、個々にまで目が向かないのか。
ともあれ、トゥナセラのその言葉は、6人の心の隙間にナイフを入れたも同然だった。
「――これだからガキは嫌いなんですよ。自分勝手で」
なにを誰に言われようが、恐らくこの神威の主張と笑顔は曲げられまい。太助が「あちゃあ」と前脚で額を抱え、シャノンが小さく呆れたため息をついた。
「気が合うね。僕もなんだよ」
ヘンリーが楽しげに笑って同意し、子供嫌いふたり組は仲良く頷きあった。
「あのなァ、お前らさァ。そーゆーの、『大人げない』ってゆーんだぞー」
仔ダヌキは呆れ顔でとりあえず言ってみた。言ってどうにかなるような問題でもなさそうだと、はなからわかりきっている。それに、トゥナセラの言葉には彼もほんの少しだけ腹が立った。だから、『とりあえず』。
「神威」
「なんでしょう、シャノン」
「そういうふうに思ううちはまだガキだ。……時と場合くらい考えろ。特にお前の言葉は取り扱いに注意が要るんだからな」
せっかく騒動が収まりつつあるのに、トゥナセラがまた怒り出したら。ヘンリーは愉快犯にして確信犯だが、神威はただ素直なだけなので余計に始末が悪い。シャノンはそう思って、知人をいさめた。
神威が笑っている。目をわずかに開き、歯をむき出さんばかりに唇を広げ、凄惨に。凄絶に。シャノンは動じなかった。ただ、言うだけ無駄だったと、力なくかぶりを振った。
いっぽう、ガキだと斬り捨てられたトゥナセラは――
神威とヘンリーをまっすぐに見つめ、ふん、とせせら笑った。
「なんとでも言えば。どんなにえらそうなこと言ったって、あなたたちはどうせ死ぬのよ」
死
ぬ
のよ。
死
ぬの 死 し 死し死し死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死
死死死死
死。
それは、恐怖や畏怖、無情と無関心、微笑や呆れ、生命のすべての感情を超越した黒いオーロラ。黒い未来。そうだ生物は、恐れる恐れないにかかわらず、必ず死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。
死ぬのよ。
「トゥナ……セラちゃん、今……なんて……?」
自然とカラスは固唾を呑んでいた。彼とて死ぬ。いつか必ず。それが70年後なのか1秒後なのかはわからない、だがとにかく死ぬ。けれども、トゥナセラの死の宣告が、何十年も先の未来に向けられたものではないような気がしたのだ。根拠はなかった。ただ、彼がそう思っただけ。
太助も、自分の毛並みがなぜかぞわぞわと勝手に逆立っていることに、今気づいた。余計にぞっとしてしまった。次の瞬間、いきなり彼はゆきに抱え上げられていた。太助は身体をよじり、ゆきの顔をうかがう。ゆきは――真っ青になっているように、見えた。
トゥナセラを笑顔で睨む神威とヘンリーも、呆れ顔だったシャノンも、自分の肌がふつふつと、感情や意思に逆らって粟立っていることに気づくのだ。
死ぬから。
自分たちは必ず死ぬから。
しかも、近いうちに。
「それは貴方が私たちを殺すということですか?」
「じぶんで考えれば。あなた、えらそうなこと言えるんだからわかるでしょ?」
トゥナセラはそっぽを向いて、くるりときびすを返した。
銀幕市のすべてに、彼女が背を向けたのだ。
だから誰も知らない。
トゥナセラが唇をかんでいたこと。リオネを睨みつける黒い目の中に、とほうもない、人間の魂すら超越した感情が煮えたぎっていたこと。リオネがそれをまともに受け止めてしまったこと、
トゥナセラの殺気がすべてに向けられていたこと。
誰も死 らない。
死の神の孫娘は、散歩でもするかのような足取りで、歩き去っていく……。
ゆきが、ぎゅう、と太助を抱く腕に力をこめる。ちょっと息苦しくなったが、太助はなにも言わない、言えない。黒い空が落ちてきそうで、怖かった。
カラスは、沈んだ顔で泣きじゃくるリオネを、無言で抱え上げる。ヘンリーはすでに姿を消していた。シャノンと神威は、さきのやり取りも忘れたように、連れ立って歩き出していた。
ねぎらいと別れの挨拶を、皆、忘れていたかもしれない。
ケーキは腐った。
リオネは泣いた。
空は黒い。黒すぎる。
死臭は眠りに。
神さまたちの夏休みが、終わった。
〈了〉
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クリエイターコメント | 諸口正巳です。当初の予定よりダークになってしまった特別シナリオをお届けします。 うーん。 トゥナセラの台詞にもあるように、今回ご参加のPCさん全員が、「リオネがこの街に堕ちてきた理由」をお忘れになっていたようです。プレイングには、トゥナセラの問い=「どうして?」の正解が見当たりませんでした。ひとりでも正解者がいれば、もしかすると……彼女はこれほど怒らなかったかもしれません。それと、怒っている子供を余計に怒らせちゃうよーなこと言うのはこの状況だとさすがにキツいですよう(笑)。 ゾンビ騒動は終結、トゥナセラは帰ってしまいましたが、この問題はまだまだ続きがあるようです。今後の銀幕市の動きにご注目くださいませ。 |
公開日時 | 2007-08-23(木) 23:30 |
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