★ 【カレークエスト】カレーでタクシー・カー・チェイス ★
<オープニング>

 おお、見よ。
 聖林通りを地響きを立てて駆けているのは、なんとゾウだ。
 そのゾウには豪華絢爛たる御輿のような鞍がつけられており、その上に乗っているのがSAYURIだと知って、道行く人々が指をさす。彼女はいわゆるサリーをまとっており、豪奢なアクセサリーに飾られたその姿は、インドの姫さながらである。
 きっと映画の撮影だ――誰もがそう思った。
「SAYURI〜! お待ちなさい! あまりスピードを出しては危ない」
 彼女を呼ぶ声があった。
 後方から、もう一頭のゾウがやってくる。
 こちらの鞍には、ひとりの青年が乗っていた。金銀の刺繍もきらびやかなインドの民族衣裳に身を包んだ、浅黒い肌の、顔立ちはかなり整った美青年である。
「着いてこないで!」
 SAYURIが叫んだ。
「いいかげんにしてちょうだい。あなたと結婚する気はないと言ったでしょう!」

 ★ ★ ★

「……チャンドラ・マハクリシュナ18世。インドのマハラジャの子息で、英国に留学してMBAを取得したあと、本国でIT関連の事業で国際的に成功した青年実業家。しかも大変な美男子で、留学時代に演劇に興味をもち、事業のかたわら俳優業もはじめて、インド映画界ではスターだそうですよ」
「はあ……。で、そのインドの王子様がSAYURIさんに一目ぼれをして来日、彼女を追いかけ回している、とこういうわけですね」
 植村直紀の要約に、柊市長は頷いた。
「事情はわかりましたが、そういうことでしたらまず警察に連絡すべきじゃないでしょうか。ぶっちゃけ、それってムービーハザードとか関係ないですよね?」
 植村がすっぱりと言い放った、まさにその時だった。
 低い地響き……そして、市役所が揺れる!

 突如、崩れ落ちた対策課の壁。
 その向こうに、人々は一頭のゾウを見た。
 そしてその背に、美しいサリーをまとったSAYURIがいるのを。
「♪おお〜、SAYURI〜わが麗しの君よ〜その瞳は星の煌き〜」
 彼女を追って、別のゾウがやってきた。誰あろうチャンドラ王子が乗るゾウだ。
 王子がSAYURIに捧げる愛の歌を唄うと、どこからともなくあらわれて後方にずらりと並んだサリー姿の侍女たちによるバックダンサーズ兼コーラス隊が、見事なハーモニーを添え、周囲には係(誰?)が降らせる華吹雪が舞う。
「♪私のことは忘れてインドに帰ってちょうだい〜」
 SAYURIが、つい、つられて歌で応えてしまった。
「♪そんなつれないことを言わないで〜」
「♪いい加減にしてちょうだいこのストーカー王子〜」
「なんですか、この傍迷惑なミュージカル野外公演は!」
 SAYURIの騎乗したゾウの激突により、壁が粉砕された対策課の様子に頭をかかえながら、植村が悲鳴のような声をあげた。
「おや、貴方が市長殿かな?」
 チャンドラ王子が柊市長の姿をみとめる。
「彼女があまり熱心に言うので、それならば余としても、その『銀幕市カレー』とやらを味わってやってもよいと思うのだ。期待しているよ。……おや、どこへ行くのかな、わが君よ〜♪」
 隙を見て、ゾウで逃走するSAYURIを追う王子。
 あとには、壁を破壊された対策課だけが残った。
「あの……市長……?」
「……SAYURIさんから市長室に直通電話がありまして。王子との売り言葉に買い言葉で言ってしまったらしいんですよ。この銀幕市には『銀幕市カレー』なる素晴らしいカレーがある。だから自分はこの街を決して離れない、とね――」
「はあ、何ですかそりゃ!?」
「チャンドラ王子は非常な美食家でもあって、中でもカレーが大好物らしい。それで『カレー王子』の異名をとるくらいだとか。……植村くん。市民のみなさんに協力していただいて、あのカレー王子をあっと言わせる凄いカレーが作れないだろうか。そうしなければ、SAYURIさんがインドに連れ去られてしまうかもしれないし……」 

 そんなわけで、今いち納得できない流れで緊急プロジェクトチームが招聘されることとなった。ミッションは、極上のカレー『銀幕市カレー』をつくること、である。

 ★ ★ ★

 そして、銀幕広場には壮大なキッチンスタジオが用意されていた。
 濃赤色の絨毯の上に、ピカピカ光る銀色のシステムキッチンが扇形にセッティングされ、その上には様々な食材が並んでいる。それを八方から照らすのは、眩しいまでのスポットライトだ。キッチンの側面には中華風の極彩色の華美なロゴマークがその光を浴びてキラキラと輝いていた。
 それは“食聖”の二文字だった。
 キッチンの中央には白いコック服を着た若い男が直立不動で立っている。
 一人、である。
 テレビ各局の中継車も出ており、それぞれのAD達が集まった観客に向かって、拍手のタイミングや番組のスケジュールを大声で説明していた。
 この様子を見れば、子どもでも状況が分かるだろう。
 真ん中の若い男が、料理映画に出ていたムービースターか何かで、きっと中華料理の達人で。これからテレビで生中継をしながら、凄いカレー、すなわち『銀幕市カレー』をこの場で作り上げていくのだろう、と。
 正午までにはまだ時間がある。広場には段々と人が集まりつつあった。

 そんな中、ふと、若い料理人は空を見上げた。しばらく。
 やがて──彼はスポットライトから外れるように、そっとキッチンを降りた。
「ジェフリー、どうした?」
 舞台の袖にいたマネージャーらしき男が近寄ると、料理人は伏せていた顔を上げた。
 蒼白、だった。
 ──忘れた。と、ぽつり。彼は言った。
 え? と、マネージャーが聞き返すと、若き料理人ジェフリー・ホーは、今にも失神しそうな顔色で言葉を吐き出した。
「──考えてきたカレーのレシピを全部忘れちゃったんだよ!」

 その数分後。
「ジェフリー、いいか。落ち着くんだ」
 タクシーの後部座席で、スーツ姿の男が携帯電話に向かって唾を飛ばしていた。
「今日の晴れ舞台は、お前が二代目の食聖になったことを内外に宣言することも兼ねているんだぞ。しっかりしろ! お前が失敗したら、それは親父さんこと一代目の食聖の顔に泥を塗ることになるんだからな」
 男はそんな調子で、電話の向こうの相手を叱咤している。
 ──なんだか大変そうだな……。
 運転席のハンドルを握りながら、御先行夫はバックミラーに映る男の様子を伺っている。サラリーマン風の男は、とにかく急いでくれと御先のタクシーに乗ったのだが、料理教室か何かに向かっているようだ。それでどうして急ぐ必要があるのか。御先にはさっぱり分からなかったが。
「あ、ちょっと運転手さん、停まって!」
「は、はい」
 言われた通り、車を停めると、道の脇から男が一人走り寄ってきた。手には青いクーラーボックスを抱えている。車の中の男が手を挙げるのを見ると、二人は知り合いか。
 彼は勝手にドアを開けて半身を外に出して、そのクーラーボックスを受け取ろうと手を伸ばしている。
 ああ、なるほど。届け物なのかな。と、御先がそちらに視線をやろうとした時。
 ──銃声が、した。
 タン、タン、と乾いた音と、ギャアッという悲鳴が二つ。
「えええ!?」
 見れば、男が二人とも足を押さえて呻いている。どこからか撃たれたのだ。
 驚いている御先の視線の先で、最初に乗っていた男が地面を這いずって何かに手を伸ばす。
 クーラーボックスだ。
 彼は、それを抱き寄せるようにして持つと、あろうことか御先のタクシーの後部座席にそれを載せたのだ。
「運転手さん、頼む!」
 男は足を引き摺りながらも立ち上がり、言った。
「それを、銀幕広場のキッチンスタジオに届けて欲しいんだ。報酬は現場の者が払う」
「えっ、何ですかコレ」
「伝説の料理人、一代目“食聖”ことスティーブン・ホーから託された食材だ」
 男がそう言うと、ビルの脇から黒服の男たちが現れ、こちらへ走ってくるのが見えた。もちろん手には物騒な銃器を手にしている。
「ちょっ、何!? ええええ!?」
 うろたえまくる御先に、男はまくしたてるように説明した。
「一代目の料理は神の領域に達しているんだ。彼の作った粥を食べた者は10才若返り、彼の作った水餃子を食べた者は寿命が50年伸び、彼の作った五目炒飯を食べると不老不死を得られるという──」
「はあ!?」
「だから、彼は自らの腕を封印したんだ。そして食聖の称号を息子のジェフリーに譲ることにした。それが今日だ。それなのにジェフリーは──」
 が、彼は追っ手を振り返り、間に合わないと思ったのか。言葉半ばにして、タクシーのドアを閉めてしまった。
「頼む! 運転手さん、ジェフリーを助けてやってくれ!」
「ぜんぜん意味分かんないんですけど!」
 それでも、御先はアクセルを踏んだ。スーツ姿の彼が殴られ、黒服の男が彼のタクシーのドアに手を掛けようとしたからだ。
「ひぃぃぃ!」
 ビシッ、と車に被弾する音。御先は、恐怖に襲われ、ワケも分からないままアクセルを全開に踏み込んだ。
 急発進したタクシーは、タイヤをきしらせながら角を曲がり、追っ手をまくように猛然と走り出した。

 結局、事情はさっぱり分からなかったが、分かっていることが二つだけあった。

 一つ。このクーラーボックスを銀幕広場のジェフリー何某に届ければ、この追っ手から開放されること。
 二つ。こんな目に遭うんだったら、幽霊でも乗せていた方がマシだったということだ。

種別名シナリオ 管理番号659
クリエイター冬城カナエ(wdab2518)
クリエイターコメントこんにちわ。冬城です。

こちらのシナリオは、すこし毛色が違いまして。
お料理そのものをつくるシナリオではありません。

緊張のためか(?)、直前になって料理のレシピを完全に忘れてしまった若き料理人ジェフリー。その彼を助けようと、父スティーブンが伝説の食材を用意しました。
それを無事、息子ジェフリーに届けるというシナリオです。

可哀想な御先さんはよく分かっていませんが、
どうも謎のクーラーボックスの中身は、すごい食材が入ってるらしく。
様々な犯罪組織の連中が、これを奪おうと襲ってきます。
というわけで、カーチェイス風アクションが主体です。

派手にバカバカしいの、またやりましょう(笑)。

プレイングの方向性としては、
・御先さんのタクシーに乗るなどして、追っ手を撃退する。
・うっかりタクシーに乗せられてしまい、御先さんと一緒にヒドイ目に遭う。
……の2パターンあたりかと思います。
戦闘のできない方も大丈夫ですよ。

また、
ストーリー的に御先さんのタクシーを中心に追い続けるノベルにする予定なので、
タクシーの居ない場所を想定した別の場所でのプレイングは採用率が低くなることを先に申しあげておきます。
(※タクシーに乗らずに別の車で併走したり、近くのビルから狙撃などしてフォローするのは有りです)
基本的にカー・チェイスすることになると思っておいてください。

みなさんのプレイングによって、
ギャグにもシリアスにもいかようにもいたします。
楽しい(または寒い)プレイングをお待ちしております。

参加者
信崎 誓(cfcr2568) ムービースター 男 26歳 <天使>
桑島 平(ceea6332) エキストラ 男 46歳 刑事
ガーウィン(cfhs3844) ムービースター 男 39歳 何でも屋
シャノン・ヴォルムス(chnc2161) ムービースター 男 24歳 ヴァンパイアハンター
<ノベル>

 
(1)ホール・ショット【hole shot】
 ──レースにおいて、スタート後、最初のコーナーに先頭で入っていくこと。


 南無阿弥陀仏か、アーメンか? エロイムエッサイム……あ、それ逆か。
 ──何でもいいから神サマ助けて! 
 そう心の中で悲鳴を上げながら、御先行夫はハンドルを握り締めている。
 謎の客から渡されてしまった後部座席のクーラーボックス。それを狙って、銃器を手にしたおっかない人たちが彼のタクシーを銃撃してきたのだ。思わずアクセルを踏み込み路地から逃れてきたものの……。普段から小さい彼の心臓は恐怖に縮み上がり、消えてなくなる寸前である。
 なんとか、銃器を手にした男たちを振り切ることが出来たようだった。バックミラーに目をやり、ホッとする御先。
 しかしそれも、ほんのつかの間だ。
 前方の交差点を、猛スピードでターンしてくる黒塗りの車が視界に入ってしまった。
 ヒッ、と御先は息を呑んだ。どうしようどうしようどうしよう、と言葉が彼の頭の中を踊り狂う。
「左!」
 その時、後ろから突然、若い男の声がした。
「えっ?」
「──いいから早く、そこ左に曲がって!」
 御先はバックミラーで相手を確認する前に、とにかく言われた通りに左脇の道へとハンドルを切った。タクシーは、ぐるんと大きく揺れて、後部座席のクーラーボックスが遠心力でドアに叩きつけられそうになる。
「おっと」
 その青いプラスチックの箱に伸ばされたのは、黒い手袋をした手。
「危ない危ない」
「あっ、あなたは?」
 角を曲がり終えた御先は、ようやく、バックミラーに一人の青年が映っていることに気付いた。
 それは黒髪の青年、信崎誓(シノザキ・セイ)であった。ハードボイルド映画『X.Y.Z.』の登場人物でありムービースターであり、さらに言えば、彼は暗殺者だった。
「い、いい、いつの間に、この車に?」
 相手が答えないので、御先はどもりながらも質問を加えた。誓は軽く後ろを振り返りながら、クスと微笑む。
「名前は、信崎誓。おれはただ、銀幕広場に行くタクシーを捕まえたかっただけなのに」
 とんだ厄介ごとに巻き込まれちゃったなあ。と、膝の上のクーラーボックスの蓋を撫でながら、御先を悪戯っぽく睨む。
「す、すいません、気付かなくってぇ……」
 つい謝ってしまう善良なるタクシー運転手。いつの間にか客を乗せてしまったらしいと結論付ける。
「あのっ、確かに銀幕広場には、行きます」
「知ってる」
「すいません、こんなことになっちゃって。他の車に乗せてもらえるよう今、無線で──」
「めんどくさいから、この車でいいよ」
「エッ、い、いいんですか?」
驚いたように御先。「おわ、追われているんですよ、謎の人たちに!」
「いいよ。これを広場のジェフリーなんとかって人に届けるんだよね」
 涼しい顔で答え、誓は、ポンとクーラーボックスを叩く。
「知ってるんですか?」
「料理人だよ、きっと。インドの金持ち王子が来日しててさ、カレーを作るイベントを街のあちこちでやってるから。だから、こいつはカレーの元になる食材ってことさ」
 なるほど、と言いかけた御先は、目を見開いた。ギャギャギャッ、とタイヤをきしらせながらこちらに向かってくる車が目に入ったのだ。
 さきほどの黒塗りの車が、もうこんなところまで! 御先は慌てて前へと向き直った。
「ごめんね、運転手さん。あのさ」
対する誓は、ひょうひょうとした口調のままで続けた。「ちょっと、この子が使い物にならなくなっちゃいそうだけど。後ろの連中は何とかしてあげる」
「ああっ、助けていただけるなら、もう何でも!」
 この子とはタクシーのことか。御先は叫ぶように応えを返す。
「それから。おれ、カレー好きなんだよね。広場についたらカレー奢ってね」
 言いながら、誓はどこからともなくリボルバーを取り出す。それをうっかり見てしまった御先は、この人に必要なこと以外は聞いてはならない、と、直感した。
「というわけで、あの交差点はノンストップでよろしくね」
「──りょ、了解いたしましたッ」
 ぐんとスピードを上げたタクシーは、赤信号を公然と無視し、交差点の中へ飛び込んでいった。


(2)ローリング・スタート【rolling start】
 ──マシンをゆっくり周回させている状態からレースを開始する、スタート方式のこと。


 まったく……。ケーサツを何だと思ってやがるんだ。
 銀幕署の刑事である桑島平は、軽く毒づきながら車のハンドルを握っている。彼はダウンタウン南の住宅地を抜けた交差点で、信号待ちをしているところだった。
 会社員の男性が毒物か何かを食べ死亡するという事件が発生し、休日の昼間に出張ってみれば。何のことはない。腐ったカレーを食べてしまったというだけで、しかもその男性はゾンビ映画の出身者だった。
 ──最初から死んでるだろお前! と、桑島はツッコンでから帰路についた。
 署に戻ったら、溜まった書類でも片付けるか……。そんなことを思いながら、彼は口に煙草を咥え、左手でゴソゴソとライターを探す。
「ええっと……どこにしまったっけ」
 彼は、手を伸ばしダッシュボードを開けライターを取り出した。探し物は見つかったが、そのせいで彼は、交差点に猛然と飛び込んでくるタクシーに気付けなかった。
 煙草の煙を逃がそうと、のんびりと窓を開ける桑島。
 御先行夫のタクシーと遭遇するまで、あと数秒。

 一方、桑島が煙草に火を付けた時。彼の右方から、一台の車が交差点に進入してきた。
 黒塗りのシボレー・トレイルブレイザー。運転しているのは、シャノン・ヴォルムスだ。
 SFアクション映画出身のヴァンパイア・ハンターである彼は、この街に実体化してからセキュリティ会社を経営しており、今はその仕事を一件こなした帰りだった。
 車のラジオからはニュースが流れていた。インドのチャンドラ何某というスーパースターが銀幕市に来日し、各地で記念イベントが開かれていることと、銀コミなるイベントが、あの穴の跡地である『銀幕市平和記念公園』で開催されること……などである。いずれもシャノンの耳には珍妙に聞こえた。
 現代が舞台とはいえ、カレーもコミケも、彼の映画には出てこなかったからだ。
「まあ、何にしても盛り上がるのは悪いことじゃないがな」
 そう独りごちた時、キキキィッという甲高いブレーキ音と、エンジンを唸らせて車が近付いてくる気配がした。──右方だ! まさか、こちらが青だぞ、とシャノンはそちらに顔を向ける。
 彼が見たのは、まさに、一台のタクシーが突っ込んでくるところだった。
 自分が乗る、この車に向かって。

 銃声がした。

「ほえ?」
 間抜けな声を上げて、ガーウィンは顔を上げた。彼は愛馬の赤いバイク──“レッド・ファイアー・GINMAKU”略してRFG、またの名を“まさきんぐ”にまたがっていた。
 このやたら長い名前を持つ大型バイクは、実体化してから、友人とともにジャンクパーツを拾い集めて、自分でチューンナップした彼のお気に入りである。今日もその調子を確かめるために、軽く近所を流していたところだった。
 スーパーまるぎんにでも寄って、カップ麺でも買って帰るか──。男やもめの一人暮らしの悲哀さながら、ガーウィンはバイクを駆り、店でどんなジャンクフードを買い込もうかと思いを馳せていた。
 そんな矢先だった。どこからともなく銃声が聞こえたのだ。
 見れば、彼のすぐ前を走っていた黒塗りの車が被弾したようだった。誰か通行人がキャーッと悲鳴を上げている。
 ──なんだ、トラブルか!?
 思わず目を見張れば、その車からニョキニョキッと人が生えた。窓という窓から、拳銃を手にした黒服姿の男たちが上半身を突き出したのだ。
 彼らは一斉に銃を撃ち始めた。さらに前方にいる車──タクシーに向かって。
「おおっ、マジかよ!?」
 ガーウィンは狂喜ともいえる声を上げた。ドタバタアクション映画『進入禁止!』から実体化した彼は、まさに自分の映画さながらのアクションシーンを目の前に、テンションが一気に上がってしまったのだ。
 ぐっと、グリップを握りこむガーウィン。失踪する二台の車に続いて、交差点に侵入しようとして、ふと彼は視線を横へやった。ニヤリ。サッとバイクのハンドルを切って方向を変える。
 ──そこには、縁石が、あった。


(3)スロー・イン・ファスト・アウト【slow-in, fast out】
 ──コーナリングの際、ぎりぎりまで奥に入ってからターンし、直線的に加速すること。


「たっ助けてェェっ!!」
 悲鳴を上げ続ける御先。誓は、後続車を狙った撃った弾が弾かれたのを見て不服そうだ。運転手を狙ったのだが、生意気にもフロントガラスは防弾仕様だったらしい。
 すぐに相手の車から四人ほど人が顔を出し、銃を乱射し始めた。
「どんだけ、乗ってんだよ。……って、運転手さん、頭低くしてて!」
 一発だけ撃って顔を引っ込めた誓は、御先に指示すると、少し眉をひょいっと上げてみせた。ちょうど交差点を横切ろうとしているシボレー──シャノンの乗った車の側面が目に入ったのだ。
「右!」
 こりゃダメかもな。そんなことを思いながらも短く指示する誓。
 だが、それでも気の小さいタクシー運転手の助けにはなった。盛大に悲鳴を上げたまま、御先はハンドルを右に切る。
 タイヤも悲鳴を上げ、タクシーは旋回しようとする。
「チィッ」
 一方、走行中だったシャノンは、舌打ちしながらブレーキを踏み込んだ。ハンドルを切る方向は──左だ。
 交差点の中央で、半円を描くように二台の車が並んで旋回する。伴奏は、地面とタイヤが奏でる甲高いスリップ音だ。
 キキキキッ──ドン! 振り切れず、シャノンの車の尻がタクシーの後扉にめり込んだ。その一撃が、前に出ていたタクシーを押し出すような格好になった。タクシーはわずかに加速し、シャノンの車はUターンするように交差点の反対側に停車する。
「すいませんすいません!」
 御先は悲鳴のような謝罪のような声を上げた。後部座席で、涼しい顔をしたままクーラーボックスを抱えている誓を乗せ、タクシーは大きく横に振れつつも、交差点を渡ってしまっていた。
 何とか前方に向き直るものの、スピードは死んではいない。
 そして次なる障害物は、反対側で信号待ちをしていた車──桑島の乗る車だった。
「──オオオイ! 何なんだ!」
 運転手同士、目が合った。
 桑島は相手が幽霊タクシーの運転手、且つ、銀幕ジャーナル常連の御先行夫であることを確認する。
「何してんだお前エェッ!」
 桑島は叫びつつも、咄嗟にギアをRに入れアクセルを踏んだ。
 ガクンッ。飛びのくようにバックへ走る桑島の車。
 ──間一髪。ギュルルルッと、その鼻先をかすめるようにタクシーが恐ろしいスピードのまま旋回しながら横切り、そして桑島の脇をすり抜けていった。
 その間、約3秒。
 ホッと胸をなでおろしつつも、後部座席に黒髪の青年が乗っているのを見た桑島は窓から顔を出した。後ろを向いて、走り去るタクシーを見る。
「また事件に巻き込まれやがったのかよぉ!」
 ──チュンッ。
 その時、桑島の耳下を何かがかすった。エ? とばかりに視線を戻せば、交差点を黒塗りの車が──現在進行形で、銃をブッ放している男たちを乗せ、猛然とこちらに向かってくるところだった。

 彼の咥えた煙草が、ぽろっ、と地面に落ちた。

「御先行夫のタクシーか!」
 一方、シャノンは車から顔を出し、成り行きを大方確認した。発砲したての銃がその手にある。咄嗟に数発の弾丸を撃ち込んだ車からは、どう見ても良からぬ連中が顔を出していた。絵に描いたようなヴィランズ達だった。
 ニヤ、とシャノンは笑った。
「随分と巻き込まれ易い奴だ。とりあえず、助けてはおくか」
 ──まあ、後で色々と請求する事にはなるがな。そう心の中で付け足して、シャノンは車のアクセルを踏み込んだ。
 急発進した車は、ヴィランズの車を追って交差点を後にする。
 交差点の入口で、窓から顔を出し目を剥いている桑島を見ると、軽く親指を突き立ててみせ、そのまま走り抜けていく。
「任せとけってことか?」
 メッセージを受け取り、目をパチパチやる桑島。

「──おっさん、どいてな!」

 タクシーを追おうかどうしようか迷った時、彼の頭上から声がした。そして地面に映る、大きな影。
 頭上か!気付いた桑島は慌てて首を引っ込めた。
 ドォン、と、車とスレスレのところに、空から落ちるが如く着地したのは、真っ赤なバイクだった。その上には茶髪の男、ガーウィンが乗っていて。これまた、ビッと親指を突き立ててみせた。
 ガーウィンは交差点の直前で、縁石に乗り上げて大きくジャンプし、シャノンの車やその他様々な車を、やり過ごしたのだった。
「ちょっと待て! 俺は警察だ、何なんだありゃあ!?」
 桑島は警察手帳を片手に、事情を聞こうとする。が、ガーウィンはそんなヒマは無いとばかりに軽く肩をすくめた。
「見りゃ分かるだろ、善良な市民がヴィランズに襲われてるのさ」
 ガシャッと担いで見せるのは、ごついバズーカ砲だ。ブッと吹き出す桑島。
「……つーわけで、俺忙しいから。またな」
 いきなりアクセルを吹かし、加速するガーウィン。見る間もなく、その姿が後方へと消えていく。
 ヤバイ。連中に任せたら、どう考えてもヤバイ。桑島はそう思った。
「ちくしょう、しゃぁねぇな……ッ。乗りかかった船だ──いや、待て。俺の方が警察じゃねえかッ。市民の皆さんを守るのが仕事なんだよぉお!!」
 そう吼えると、桑島はギアに手を伸ばした。
 少々くたびれた車は、唸りを上げてUターンし、末尾でレースに加わった。


(4)オープニング・ラップ【opening lap】
 ──周回コースのあるレースにおける、1周目のこと。


「あれ、なんか車が増えてるな……。ま、いっか」
 誓は相変わらず緊迫感のない口調でつぶやき、リボルバーを構えたまま、後部座席に身をひそめている。さすがに相手の人数が多すぎて、なかなか隙をつかめないでいたのだ。
 ガシャン、バリッ。銃撃により、とうとうリアガラスが吹き飛んだ。
「ヒィィッ! 悪霊退散、悪霊退散!!」
 おー、涼しくなった。と誓が言う前で、御先が恐怖におののき叫んでいる。その声が一段と大きくなった。
「ああっ! ま、前から別のが来ましたよォッ!」
「あ、ホントだ」
 誓はひょいと顔を上げて、前から迫ってくる新たな車を見た。挟み撃ちにする気であろう。彼は視線をサッと辺りにめぐらせる。
「ハイ、じゃあ次のところを右に曲がってね」
 まるで、タクシーに自宅の場所を指示しているような口調である。
「えっ、どっ、ドコですか?」
「そこだよ。その“銀幕ふれあい通り”って書いてあるアーチだよ」
「いいんですか、商店街ですよ? 今、歩行者天国の時間ですよ!」
「そっか。じゃあ人を轢かないように、気をつけてね」
 しれっと言う誓。
 そんな! と悲痛な声を上げる御先。だが迷っている時間は無かった。タクシー運転手はギュッと目をつぶり、商店街の入口へとハンドルを切った。

「新手か!」
 前方からこちらに向かってくる車に気付き、シャノンは一端、車の中へと身体を戻す。
 追いかけていた車から乗り出している連中のうち、一人が彼の車へと撃ち返してきたが、彼の車は防弾仕様だ。すこし傷がつく程度で割れはしない。
 銃からマガジンを落として、ダッシュボードから替えのマガジンを取り出してセットする。身を乗り出して銃撃しようとするが、なかなかどうして、相手もムービースターだ。車を蛇行させて、シャノンの銃撃をうまくかわしてしまう。
 チッ、と彼が舌打ちした時。脇からサッと赤い影が躍り出た。
「おっす、シャノン。ご機嫌だなァ?」
「──ガーウィンか!」
 影の正体は、大型バイクに乗ったガーウィンだった。シャノンとは、以前あの『穴』の探索において一緒にチームを組んだ仲だ。
「あん時みたいな、すげぇ重火器は今日は無しかい」
「当然だろう。ここは街中だ。あんなデカいのは──」
 シャノンの言葉が終わる前に、ガーウィンはウィンクとともに肩に担いだバズーカ砲を構えた。その様子に、さすがのシャノンも固まった。
 まさかここでそれを──。止めようとしたが遅かった。

 ガーウィンは、撃った。

 ドォン! と威勢の良い音を上げて、戦車も吹き飛ばす砲弾が、前方の車のトランクあたりにブスリと突き刺さった。
 しかしその絵が見えたのは一瞬だけで、次の瞬間、車は爆発、炎上した。
「ヒットォォッ!」
 ガッツポーズをとったガーウィンは左へ。シャノンは右へとハンドルを切り、炎上する車を避けた。
 ちなみに乗っていた者たちは全員、爆発とともに車外へと飛び出して逃れていた。その光景は、香港映画もしくは日本の特撮もの、さらにはガーウィンの出ていた映画で頻繁に見られる“ありきたりの”ものだった。
 サッと合流する二人。
「やってくれたな?」
 苦笑するシャノン。ニッと笑うだけでそれに答えるガーウィン。
「何か壊しちまったら、市役所のあの課に請求しちまえばオッケーだろ」
「あそこ、か」
 眉を上げ、意気投合した二人はそのまま商店街へ。タクシーとヴィランズを追っていく。


(5)シケイン【chicane】
 ──コースに設置される障害セクションのこと。半径の小さい小カーブなどの形態をとる。


「ギャッ、こら離せ!」
 車を失ったヴィランズ達は、後続の桑島の車に飛び付いていた。
 慌てた桑島は数人を振り落とすが、しぶとい一人が、がっつりと側面に張り付いている。
 黒いスーツの若い東洋人である。端役で雑魚であろうに、恐ろしい身体能力だ。きっと香港映画出身者に違いない。
 それでも桑島が商店街の入口へとターンすると、男は足で後部座席の窓を割り、するりと車の中に侵入してきた。
「わっ、おい、よせっ! 警察だぞ!」
 そんなことを言っても無駄だった。すかさず、男は桑島の後ろから腕を回して、彼の首をガッと締め上げた。
 ──ギェエエ、く、苦しい!
 もがくように、桑島は片手で男の手を外そうとする──。

 そして奮闘している桑島の数メートル先では、悲鳴と銃撃戦が猛スピードで移動していた。
 銀幕ふれあい通りは、御先の言う通り歩行者天国中だった。昼前ではあったが、そこは買い物客たちで賑わっていた。ベビーカーを引く主婦たちや、犬を連れた初老の男性などがのんびりと道路を歩いている。
 そこへ突然現れた暴走タクシーだ。
 一気にパニックに陥った人々は、キャアキャアと逃げ惑い、車は道路上の花壇をはね飛ばす。
「ごめんなさい、許してくださぁい!!」
 恐怖と混乱のあまり、涙を流しながら、御先は商店街の中を突っ切っていく。もちろん後ろからの銃撃も続行中だ。
 その時、蜘蛛の子を散らすように、両脇に走っていく人々の中で、一つだけ残った影がいた。
 足がすくんで逃げ遅れた老婦人だった。買い物袋を手にしたまま、道の真ん中に立ち尽くしている。
 御先は目を見開いた。
「ヒァアャッ!!」
「落ち着いて、そこの角を左!」
 またもや誓の的確なアドバイス。御先は無我夢中でハンドルを切った。タクシーは『スーパーまるぎん』とある建物の角をキキキキッと激しいブレーキ音をさせながら曲がっていった。
 キャーッと、悲鳴を上げて、建物の前にいた主婦たちが飛び退くように散開する。ほとんどの者が手に買い物袋を持ったままである。
 二人は知らなかったが、実は彼女たちは、まるぎん名物の地獄のタイムセールを生き残った猛者たちであった。
 中には買い物袋をどこかにぶつけたたり、落としてしまう者もいて。彼女たちは一斉に不満の声を上げた。
「危ないじゃないの! 卵が割れただろーが!」
「歩行者天国って書いてあんのが見えねーのか!」
「今どれだけ卵が値上がりしてると思ってんだ、タコ!」
「死ねボケ! カス!」
「お前もこの卵と同じにしてやるぞゴラァッ!」
 怒れる主婦軍団は、すぐに実力行使に出た。
 割れてしまった卵を次々に投げつけ、近くにあった石や壊れた花壇を掴み、手当たり次第に投げつけてくる。
 タクシーはとっくに通りすぎていたため、代わりにヴィランズの車が標的になった。ガンガン投げつけられた卵や石を頭に受けて、一人が車から落ちると、ワッと主婦達がむらがるように飛び掛かった。
 オラー! オラー! とか、ゴスッとか、バキッとかいう音が商店街にこだまする。
 それは世にも恐ろしい光景だった。
「ヤベえ。マジ気ぃつけよっと」
 その主婦たちのバイオレンスぶりに、思わず震え上がりながら脇を通過するガーウィンとシャノン。彼らは被害に合わないよう、他人の振りをしてまるぎんの前を走り抜けていった。

 不運に遭ったのは、最後尾の桑島だった。

 片手でハンドルを操りながら、彼は何とかタクシーについて行こうと商店街の中を車を走らせている。
「くそッ」
 桑島は、後ろから組み付いている男の腕にガブリと噛み付いた。男が怯んで力が緩むと、咄嗟に腕を取り、身体を反転させる。そのまま、男の側頭部を拳で殴りつけた。
 ゴツッ。にぶい音をさせて男は反対側のドアに頭をぶつけ、静かになった。今の一撃で気絶したようだ。
 パッと身体を戻してハンドルに手をやりながら、桑島はハアハアと荒く息をつき呼吸を整える。
 ──今のアクション凄くねーか? 俺。アクション映画のスターみたいじゃね?
 だが、そんなことを思ったのもつかの間だった。目の前に人影があるのに気付き、桑島の背筋が凍りつく。
 小さな男の子の手を引き、買い物袋を提げた黒髪の女だ。彼の車を見て目を見開いている。
 まずい! 人だ!
 慌ててハンドルを切った。
 が、間に合わない──! 桑島は、駄目だ轢いちまったとばかりに車に伝わる衝撃に耐えようと、一瞬目を閉じた。
 しかし、人を轢いた感覚は伝わっては来なかった。
 そこは『スーパーまるぎん』の角で、結果的に彼は最後尾でカーブを曲がっていた。
 恐る恐る目を開き、前方と辺りを確認する桑島。
 轢きそうになった少年が、後方の街路樹にしがみついているのを発見する。不自然なほど離れた場所だ。かなり飛び退いたのだろう。その足元には買い物袋の中身と思われる野菜と卵が散乱していた。いや、それはそうと、母親はどこに──。
 ──居た!
 桑島の進行方向に。道のど真ん中に、女が仁王立ちしていた。
 両手に、銀色に光る出刃包丁を構え、恐ろしい目つきで桑島を睨んでいる。
「ええええ! 嘘ォっ!?」
 ブレーキを踏むとか、よけるとか、そういう行動をとる間もなかった。
「よくも、このクソ野郎、死ねッ!」
 女は叫びながら、出刃包丁を放った。
 ──シュッ。ドガッ。
 一本は、フロントガラスを突き破り、桑島の顔のすぐ横に突き刺さった。ビィィィン……と、頬の隣りで振動する刃に青ざめるが、不運はそれだけに終わらなかった。
 ボスッ、という音とともに、急にハンドル操作が効かなくなったのだ。
 タイヤをやられた! そう気付いた時には、桑島の車はスピンしながら女の脇を抜けて、八百屋に鼻先を向けていた。店先にはたくさんのダンボールが積み上げられている。
「どわあああっ!」
 悲鳴空しく、彼の車は八百屋に突っ込んでダンボールを次々に跳ね飛ばした。そしてたくさんのキャベツを空に舞わせながら、ようやく車は、プスン、と止まった。


(6)ブラックアウト【blackout】
 ──カーレースにおいて、スタートの赤信号が消えること。スタートの合図。また、ドライバーが意識を失うこと。


 先頭は、相変わらず御先のタクシーだ。
 敵の車が、スーパーまるぎんの角を曲がり終えたところで、誓は車窓から身を乗り出す。相手が主婦の攻撃を受け、混乱している隙を狙ったのだ。
 タンッ、タンッ、と彼の的確な射撃は、相手の車の前輪を見事に撃ち抜いた。
 キキキキィーッ。車はバランスを失って、脇の街路灯に正面から激突してクラッシュした。ニッと笑う誓だが、ヴィランズ達は異様な身軽さで車から飛び出して脱出している。
 彼らの追撃は、まだまだ終わらなかった。
 ヴィランズ達はクリーニング屋の前に停まっていた車に駆け寄った。ピンク色のワゴン車だ。運転席のドアを開け、乗っていた店主を引きずり出そうとしている。
「そこまでだぜ!」
 そこへ、ガーウィンのバイクが滑り込んできた。
 すぐ後ろにシャノンの車もいる。右手にハンドル、左手に銃を構えて。彼は車の影に隠れたヴィランズたちを狙って、ピンク色のワゴン車に容赦なく銃撃を加えた。
 やめてぇぇ! と叫ぶ、哀れな店主。
「んん……」
 誓はその光景を見て、思案した。バイクに乗った男はバズーカ砲まで持っている。さらに後ろには、追っ手が加わったようだ。最後の一台は、見つけたそばから八百屋に突っ込みクラッシュしていたが。
 天使と呼ばれた暗殺者は、チラと自分の銃に目を落とした。
「これじゃ、弾が足りないな」
 ──不幸だったのは、彼がシャノンとガーウィンが味方であることに気付かなかった、ということだ。誓の目には追っ手が増えただけにしか見えなかった。
「……仕方ないね」
 この局面をしのごうと。誓は、両手を上へ。空を仰ぐように見上げる。

 ふわり。一枚の白い羽が、天から舞い降りた。

 一瞬のうちに、商店街が寂れた路地に変化した。都会の繁華街にありそうな、暗い湿った路地裏。ビルの谷間から差し込む光だけが人々を照らし──。
 光以外のものが、横から凪ぐように視界を走った。それは雨のように振り注ぐ鉛の銃弾。まるで横打ちの雨のように、無数の銃弾が、その場にいる者たちを襲う。
 ──誓の、ロケーションエリアが展開されたのだった。
 彼の一存で、タクシーはこの銃弾が当たらないようにしてあったのだが、運転手は当然そんなことなど知らなかった。
「ギャアアアア! し、死ぬー!!」
 目の前から振り注ぐ銃弾の雨に、フロントガラスにヒビを入れられ。もう避けられないと思ったのか、御先はガクンと頭を垂れた。──彼は恐怖に耐えられず、とうとう気絶したのだ。
「おっと」
 まるで質量を感じさせない動きで、するりと横からハンドルを手に取る誓。クーラーボックスを足元に押し込むと、後部座席から乗り出した格好のまま、車を操作しようとする。
 御先の足は、アクセルの上に乗ったまま、だった。

「ムッ!?」
 シャノンは銃弾の雨に、さっと身を伏せてやり過ごすことを選んだ。外ではガーウィンが派手な悲鳴を上げながら、雨の外へと走り出ていく。レッド・ファイヤー(以下略)は、見事な機動力をもっており、うまく逃れることに成功したようだ。
 しかし、彼と入れ替わりでこの雨の中に侵入してきた者たちがいた。
 赤、青、黄、緑、黒……。色とりどりのスクーターだった。先ほどバズーカで車を破壊された者たちだろうか。黒服の男たちは、その辺の金物屋で仕入れた鍋やフライパンを手に、銃弾を注意深くガードしながら、雨の中を突っ切ろうとしている。
 何て奴らだ! シャノンも身を低くしたままアクセルを踏む。
 スクーターの5人のうち、2人が銃撃を受けて倒れ、フィルムになった。
 が、残り3人は雨をしのぎながら、タクシーに迫っている。
「敵ながら、なかなかやるね」
 そう呟いた誓は、わざとハンドルを横に切る。タクシーは、靴屋の店先に頭を向けた。店頭ではミントグリーンのワンピースを着た色の浅黒い女(?)が背中を見せて立っている。
「ごめん! どいて!」
 誓の声に、ミュールサンダルを手にしていたその人物は振り返り、キャッ! と野太い声で叫んだ。買い物中のオカマちゃんだったらしい。彼女(?)は素晴らしい反射神経を見せ、サッと店の中へと飛び退いてみせる。
 そこを、えぐるようにタクシーが、猛スピードのまま走り抜けた。柱を擦り、火花まで上げている。
 イヤン! と、スカートをめくられたオカマが悲鳴を上げた。
 誓は器用にも窓から手を伸ばして、店頭に出してあった商品のワゴンを引っ掛けた。そこに積み上げられていた靴や木箱が、一気に崩れて道に散乱し、後続のスクーターの進路を阻む。
 赤いスクーターが木箱を踏み、スピンした。道の真ん中で派手に転倒している。黒いスクーターに乗った人物が、怒ったような声を上げた。
 これで追っ手は二人になった。
 まだ追ってくるのか、しぶといな。誓は眉を上げ、前方に顔を戻す。
 商店街が終わり、次には正面に大きな建物が見えてきている。“市民プール”という看板が建物の上の方に掛けられていた。
 その建物の両脇に伸びる形で、道が続いている。いわゆるT字路だ。
 さて、右か、左か──。そう思い、彼はフッと笑った。
 誓は、銀幕広場が“どの方向”にあるのかを思い出したのだった。


(7)ピット・スタート【pit start】
 ──マシンにトラブルが発生し、マシン整備をするピットからスタートをすること。


「不老不死になれる料理!? んなアホな」
 桑島は、自分の車に乗り込んできた男を手錠で拘束してから、事情を聞きだしていた。道路に散乱させてしまったキャベツの弁償代を、自分の給料から差っ引かれたらどうしようなどと思いながら。
 軽いビンタ二発で、聞き出せたところによると、御先のタクシーには銀幕広場に届けられる予定の料理が乗せられており、それは伝説の料理人“食聖”の称号を持つスティーヴン・ホーが作った特別なものだという。
 何しろ、それを食べると不老不死を得られるというのだ。
 荒唐無稽な話だった。
「嘘つくなら、もっとマトモな嘘つけよ」
 そう言うと、男は怒ったようにまくしたてた。
 自分たちは、武侠料理映画である『食聖』を撮った監督の、別のカンフー映画から実体化しており、悪の秘密結社である彼らの首領は、“食聖”の料理を食べ、実際に不老不死になった怪僧なのだそうだ。
「つまり、お前らのボスは不老不死じゃない状態で実体化して? それで映画ン中みたいにその料理を狙ってるってことか」
「──まァ、にわかには信じがたい話だが、横取りはいけねえな」
 そこへ、ひょいと脇から顔を出した者がいた。バイクに跨ったガーウィンだった。彼は銃弾の雨を避けるため、ここまで戻ったついでに、ちゃっかり事件の背景を聞いていたらしい。
「何だよお前、いたのかよ?」
 振り向き、眉を寄せる桑島。
「厄介者みたいな口調で言うなよ、おっさん」
「おっさん言うな」
「タクシー追いかけるんだろ? 乗せてやってもいいぜ」
ニッと笑うガーウィン。「俺のバイクの後ろは、相棒や女の子限定にしたいとこなんだが。今日だけはおっさんに開放してやるよ」
「俺だって、野郎と2ケツなんて性に合わねえよ」
 桑島は立ち上がった。
「──けど、好意は素直に受け取るのが男ってモンだ」
 肩をひょいとすくめるガーウィン。
「“最短距離”で連中を先回りするけど、構わねぇよな?」
「コースは、お前さんに任せるよ。とにかくあの可哀相な運転手を助けてやろうぜ」
「よっしゃ、乗りな」
 話は決まった。
 桑島は居心地悪そうに、バイクの後部座席に腰掛けた。シートの脇に付いていた取っ手(?)を掴み、こんな乗り方でいいのかな、と座り心地を確認する。
 が、ガーウィンは、同乗者に対して最低限の気配りしかしなかった。
 すなわち、出発の合図をするだけだ。
「じゃ、行くぞ」
「どわぁっ!」
 ドルンッ! いきなり急発進するバイクに、桑島は首をもぎとられそうなほど仰け反った。
「──ちょっ! もう少し穏やかに……」
「何? 聞こえねえって」
 必死にしがみつく桑島を乗せて。ガーウィンの赤いバイクは商店街を疾走し、みるみるうちに加速していった。あ、これスピード違反だよね。警察車両用の回転灯、持ってくればよかったな……。桑島がそんなことを思ったのもつかの間。
 バイクは突き当たりの市民プールを目前に、また縁石に乗り上げてジャンプした。
「ドェエエエィィイイ!!」
 悲鳴を上げる桑島をよそに、ガーウィンは冷静に着地点を見据えている。プールの建物の脇にある塀の上、だ。
「や、やめて!! 無理だって! 絶対通れないって!」
「うっせえなあ、おっさん。試してみないと分かんねえだろ」
「ギエエエエ!」
 ドンッ。見事に塀の上に着地したバイクは、そのまま細すぎる道を爆走した。民家の庭を走り、柿の木を抜け、蜂の巣を突っ切り、池を飛び越え、屋根の上を疾走する。
 ヒュウ、とご機嫌で口笛を吹くガーウィン。
「うぉおおお! 頑張れ俺ぇえ!!」
 その後ろで叫びながら、桑島はようやく、ガーウィンにコースを指定しなかったことを深く後悔した。


(8)エスケープゾーン【escape zone】
 ──コースの外にあるエリアのこと。コースアウトした場合の待避所でもある。


 銀幕市市民プールは、併設されたゴミ焼却炉の熱を使った温水プールである。
 冬も温かく水泳を楽しむことができる市民の憩いのスポットだ。今はシーズン真っ盛りとあって、夏休み中の子どもたちや、中高年男女の健康マニアが、50mプールなどで思い思いに泳ぎを楽しんでいる。
 ここには飛び込み専用の深いプールもあった。そこでは高校生ほどの少年が、恐る恐る水面を覗き込んでいる。下で、彼女らしき少女が、早く飛び込んじゃいなさいよ! と発破を掛けている。
 少年は、そっと飛び込み台に足を伸ばした。
 勇気を出して、飛び出そう。──そう、彼が覚悟を決めた時。

 轟音とともに、大きな窓をつき破って、タクシーが飛び込んできた。

「でぇえええ!?」
 少年が驚き、皆が目を疑う中、タクシーは綺麗な放物円を描いてプールサイドに、ドン! と着地した。
 それと同時に、キャーッと悲鳴が上がった。タクシーは止まらず真っ直ぐプールサイドを暴走した。車の進行方向にいた者たちはプールに飛び込んだり、脇へと逃れたり、皆すれすれでタクシーをかわしている。
 運転席には気絶したままの御先と、横からハンドルを掴んでいる誓がいる。彼は、はいはい、ごめんねー。などと言いながら、巧みに運転をこなしていた。
 すぐに青と黒のスクーターが、壁の向こうからプールに飛び込んできた。彼らも見事なジャンプだった。プールサイドに着地すると、鍋やフライパンをタクシーに投げつけながら、追いかけてくる。
 次に、四番手でプールサイドに飛び込んできたのはシャノンのシボレーだった。
 ギャギャギャッ!
 着地するなり、シャノンはハンドルを切りながらサイドブレーキを掛けた。派手なスリップ音をさせて、車は尻を滑らせ反転した。ドリフト走行というやつだ。
 まるで次に飛び込んでくる者を脇から迎え撃つように、割れた大窓を見るシャノン。
 ──彼の読み通りだった。
 次の瞬間、銃創だらけのピンクのワゴンが五番手として飛び込んできた。ワゴンがプールサイドに着地すると同時に、待ってましたとばかりにシャノンはアクセルを全開で踏んだ。
 ドガッ!!
 派手な衝撃音をさせて、シボレーがワゴン車の左後部に激突した。スピードと方向を読んだ体当たりだった。

 ヴィランズの乗った車は見事なジャンプを見せた。──飛び込み用の深いプールの中へ。

 少女が悲鳴とともに逃げ出した直後に、盛大な水しぶきを上げ、車は頭からプールの中に飛び込んだ! 
 そのままブクブクと沈んでいく中で、慌てて男たちが車から抜け出している。
「オリンピック級の演技だな」
 そう言って、口端を歪めて笑うシャノン。
 しかし彼は止まらずに加速した。前方ではタクシーとスクーター二台がカーチェイスを繰り広げている。
 間に合うか──!
 シャノンは、またアクセルを強く踏み込んだ。ぐんと加速した車は、青いスクーターの背後に一気に迫った。
 轢いた! 運転者が跳んだ!
 スクーターと、男は、跳ね飛ばされて別々に宙を舞った。わああっという悲鳴が上がる。両方とも、うまくプールに落ちて二つの水柱をつくった。プールの中は大混乱だが、怪我人は出ていない。
「なあんだ、あの車は味方なんだ」
 誓は、シャノンの行動を見て、ようやく加勢に気付いた。
 いずれにせよ、残りは一人だ。黒のスクーターに残ったのは、パンチパーマ風の髪型にサングラスをかけたメタボ風小太りの人物で、あまり素早そうには見えない。こいつを振り切れば、あとは銀幕広場に行くだけだ。
 さて。
 誓は目前に迫る大きな窓を見る。気絶している御先を起こすのは、これを突き破ってからにしよう──。
 そう決めて、彼はハンドルを握った。


(9)ショート・カット【shortcut】
 ──目的地まで、短い時間で行くことができる道やコースルートのこと。近道。


 もう一度、市民プールの窓を突き破って、屋外に飛び出したタクシー。
 停まっていた自転車を跳ね飛ばし、駐車場を蛇行運転しながら公道に飛び出してみれば。
 そこは広い直線道路になっていた。市内を走る幹線道路の一つである。タクシーは何事もなかったかのようにカーブを切って、アスファルトの上を走り出した。
 道はすぐに川を渡る大きなアーチ橋に続いており、このまま行けば、直線で銀幕広場に着けるのだ。
 この橋さえ越えてしまえば──。
 うまくカーブを切り、橋へと入っていくタクシー。向こう岸まで約1,000メートル。対向車の姿もほとんどない。
 今だ気絶したままの御先を横に、誓は一人残った敵の姿を確認しようと首をめぐらせた。このままいけば御先を起こす必要もない。あのメタボ男のスクーターのタイヤを撃ち抜いてやれば、それで終わりだ。
 が、敵の姿を見て、さすがの誓も思わずギョッとした。

 メタボ男は、両手を合掌し、バイクのシートの上に直立不動で立っていたのだ。

「何だあれは!?」
 後続のシャノンも橋に乗り入れたところで、異様な敵の様子に眉を寄せた。合掌し念仏を唱えている様子だが、走行中のスクーターの上に立つとは、ある意味、並大抵の人物ではなかろう。
 すると、晴れた空にどこからともなく急に黒い雲が押し寄せた。
 ──これはまさか、ロケーションエリアか!? 誓とシャノンがそう思った時、雷が一筋、天から落ちスクーター上の男を打った!
 ピカッ。閃光とともに爆発が起こった。
 そして、まばゆい光が消えると、そこには山吹色の袈裟をはためかせ、頭には黒い僧侶帽を被った僧侶の姿があった。彼は合掌したままスクーターの上におり、瞳を閉じたまま、南無阿弥陀仏とぶつぶつ繰り返している。
 あのメタボ男は、変身後の格好から察するにどうやら僧侶だったらしい。
「なんで、坊さんがそこに!?」
 誓がもっともなことを言うと、その怪僧は前方を指差した。途端にスクーターが弾丸のように加速した! 突風のような背負い風が吹いて、彼の背を押したのだ。
 あっ、と思った時にはすでに遅し。スクーターは、タクシーのすぐ後ろに迫っていた。
 かわそうとハンドルを切る誓。だが、その動きが仇になった。
 少し横向きになったタクシーの後部ドアに──最初にシャノンが車をぶつけた箇所に、スクーターが正面から突っ込んだのだ。ドガガッッ。当たりどころが悪かったのか、タクシーの扉が根元から折れてしまう。
 するっ、と誓の足元を影がよぎった。
 手を伸ばすが届かず、怪僧がクーラーボックスを手に車から離れていくのが見えた。
 ──上か! 天井に伝わる衝撃音を聞いて、誓は悟る。横転しクラッシュしたスクーターを乗り捨て、怪僧はタクシーの上に逃れたのだ。ひょいと覗けば、敵は橋のアーチの上に飛び移ろうと、手にした布を上空に放っているところだった。
「小童(こわっぱ)め! この“芝麻桃包”は拙僧のものだ!」
 大きな声で笑う怪僧。
「芝麻桃包? 何それ」
 そこへシャノンの撃った銃弾が飛んできて、怪僧はヒョイヒョイと軟体動物のようにそれをかわした。デブのくせに、その動きはやたらと機敏だった。
「泣いて悔しがるが良いわ!」
 メタボ僧は、サッと跳躍した。橋のアーチに巻きつけた布を頼りに、タクシーの背から宙へと身を躍らせる。タンッと側面に足をつくと、まるでアーチの側面を走るように掛けてその上へと乗ってしまった。
「やるね。でも返してもらうよ、それ」
 その様子を見届けてから、誓は首を引っ込めた。まずは御先を起こすのだ。
 ピシピシと御先の頬を軽く叩いて、運転手さん起きて、と声を掛ける。ものの数秒で、御先は、えっ? あっ? などと言いながら目を開けた。
「運転手さん、寝ちゃだめだよ運転を──」
 と、誓は続く言葉を飲み込んだ。
 バックミラーには、アーチの上に立つ怪僧の姿がある。それに背後から迫る赤い影。アーチの上を爆走してくる、あれは。
 赤い炎のようなそのバイクには、二人の人物が乗っていて──。

 高笑いしていた怪僧を、赤いバイクが背中から轢いた。
 ひゃっほーう! という声と共に。

 さすがに後ろから襲われるとは思わなかったのだろう。怪僧とクーラーボックスは、アーチ橋の上から、仲良く宙を舞った。
 だがその衝撃からか、クーラーボックスの蓋が空中で大きく開いてしまった。
 中から飛び出したのは、一枚の料理の皿だ。円盤のように水平に回りながら優雅に飛んだそれは、ゆるやかに地上へのダイヴを開始する──。
「ああっ!」
目覚めたばかりの御先が声を上げる。「預かった届け物が!」

「──おっと!」

 太陽の光を遮るように、影が空を切った。
 ブルゥゥン! と、地上に降り立ったバイク。ガシャンという音は無かった。大事な届け物である料理の皿は──バイクの運転者の手にあった。
 それはガーウィンだった。
 ニッと笑う彼の後ろでは、桑島が目を回したように片手で自分の額を押さえていた。それでも成り行きを見届けようと、ふらふらしながらも気丈に彼はバイクから降り立つ。
「やったの……か?」
 その桑島の姿は、見るも無残に変わり果てていた。
 ズボンは片足が膝下からちぎれ、穴の開いた靴下が見えている。靴も片方がどこかにいってしまっていた。もともとくたびれていたジャケットは、裾が裂けてワイルドさをバージョンアップ。頭はなぜか爆発したようなアフロヘアになり、チャームポイントのように、そこに子猫が一匹しがみついていた。まるでそこが自分の住居であるかのように。
「終わった──ようだな」
「まったく」
 それを見て、タクシーもシャノンも車を停めた。彼らは、ようやく戦いの決着が付いたことを知ったのだ。
 ワンテンポ遅れて、ドタッ、と大きな音がした。
 皆が振り向くと、そこにはメタボな怪僧が道の真ん中に大の字になって倒れていた。


(10)トロフィー 【trophy】
 ──入賞記念品のこと。おもに優勝者に授与する杯や盾、像などのことを指す。


「あっ、わりぃ。メチャメチャになってら」
 自分の周りに集まってきた面々を迎えながら、ガーウィンはポツリと言った。彼の視線はラップを掛けられた料理の皿に注がれている。
 えっ、とばかりに桑島が料理を覗き込んだ。
 すぐに安堵の色が顔に広がる。
「ん……。驚かせんなよ。これはこういう料理なんだよ。つか、メチャメチャにされたのは俺の方なんだけど!」
「ま、間に合ったからいいじゃんかよー」
 キレかかる桑島をなだめるように、まあまあと手を上げながらガーウィンが言う。
「これは、何という料理だったかな」
 シャノンも横から皿を覗き込んだ。実体化してから中華料理店で食事をする機会を得ている彼だったが、確かにこんな料理を何回か見たことがある。
 彼は、ついでに桑島の様子に目をやり、とくにそのヘアスタイルあたりに視線を漂わせた。
「──ところで、あんたはどこかでコントにでも出演してきたのか」
「──そう見えるかい?」
 諦めたような口調で応じる桑島。
「え、カレーの食材じゃないの? 変なの」
ひょいと誓も首をかしげて皿を見る。「じゃあ、それって、坊さんが言ってた桃のナントカってやつなのかい?」
「──違う!」
 例の怪僧がふいに叫んだ。彼は、桑島の手錠で手足を拘束された上に、少し離れたところに放置されていたのだが、それでも料理の種類が分かったようだ。
「桃包じゃなかったのか! そんな……」
 絶望したように蒼白になる僧侶。彼は今の段階になって、自分たちが追いかけていたものが見当違いだったことに気付いたようだった。
 その様子を見つつ、桑島が、ああ、と声を上げる。
「桃包って、桃まんのことか。……桃の形した餡まんで、縁起がいいって言われてるやつだ」
「へえ。おっさん物知りだな」
感心した様子でガーウィン。「確かにこりゃあ、甘い料理には見えないな」
「と、いうかだな。それは、中華丼だよ」
 少し気を良くして、桑島が続けた。
「ご飯の上に八宝菜のあんかけが乗ってる料理だよ」
「あー……、ど、どうでしょうか……、あの」
 そこで、おずおずと口を挟む者がいて、皆、声のした方を振り返った。
 ボロボロのタクシーの前に立っていたのは、御先である。
「それ、中華丼ではないと思います、よ」
「知ってんのか、運ちゃん?」
 意外そうに桑島が問うと、御先は困ったように頭に手をやって、恐る恐る続けた。
「いや、それがその……。名前を思い出せないんです。何て言ったかなあ……、香港映画出身の同僚から教わったことがあるんですが……」
 自分に視線が集まると、御先はおののいたような素振りを見せた。
 しかし彼はハッキリと言い切った。
「──とにかく、名前は中華丼ではないはずです」


(11)シャンパン・ファイト【champagne fight】
 ──スポーツの表彰式などにおいて、優勝したり勝利した選手たちがシャンパン等を掛け合って喜びを表現する行為のこと。


「これは──!」
 若き料理人ジェフリー・ホーは、その皿を受け取るなり目を丸くした。
「これは“的士飯”です」
「的士飯?」
 おうむ返しに尋ねたのは桑島である。
 なんだかんだで銀幕広場まで駆けつけてみれば。確かに言われた通りの料理イベント準備中で、今か今かと料理人の青年が、父からの届け物を待ち構えていたのだった。
 時刻はもう5分で正午になる頃である。
 イベント会場には、数十人ほどの人々が集まっており、料理ショーが始まるのを待っていた。
 その観客を背に、ジェフリーは皿を見つめていた視線をようやく上げて、この料理を届けてくれた面々を代わる代わる見た。
 緊張とストレスで汗だくだった彼の顔が、いつの間にか涼しげな表情に変わっていた。届け物の料理から何かを感じ取ったのだろうか。
 その視線が、最後に御先のところで止まる。
「的士……というのは、タクシーのことです。あなたのような忙しいタクシー運転手の方々が、短い時間で美味しい料理を食べることができるようにと、香港で考え出された料理が、この的士飯なんです」
 ああっ、そうです。それそれ。と、相槌を打つ御先。

「──父からのメッセージが分かりました」

 何か、悟ったような顔をしてジェフリーは、ゆっくりと料理に掛けられていたラップをはがしていった。ゴマと牡蠣油のいい匂いがあたりに広がった。
「父は、一度、料理界から追放されたことがあるのです。大げさな演出を責められてバッシングを受け、全てのメディアから追い出されました。──僕が、まだ5才の時の話です」
 彼は取り皿を用意して、その場にいる人数分に、的士飯を小綺麗に取り分けていった。
「折りしも、母が病気で他界する直前の話でした。お見舞いの帰りに、二人で乗ったタクシーの運転手の方が、テレビに出ていた父のことを覚えていて。それで、行きつけの屋台でその的士飯をご馳走してくださったのです」
 もうすぐ自分の出番の時間になるであろうに、ジェフリーはそれを気にした様子もなく、取り分けた的士飯をそこにいた5人に一人一人手渡した。
「先ほども言いましたが、この的士飯はタクシー運転手の方々のために作り出された料理です。父は屋台でそのシンプルな味に触れて、目を覚ますのです。“食聖”は美味しい料理を、食べてくれる人のために作っていたのだという原点を思い出すのです」
 そう言って、最後にジェフリーは自分の的士飯を一口だけ食べてみせた。
「──僕は、自分の料理の技を磨くことだけに、目が行き過ぎていました。本来、料理は人々に美味しく食べてもらうためのものであり、それ以上でも、それ以下でもないのです。父はこの的士飯を僕に届けさせ、僕を戒めてくれたのでしょう……」

「わっ、これ、マジ美味いぜ?」
「んー、まあまあ、かな。おれはもっと辛い方が」
「うめぇな、コレ」
「む……。これは、この街で食った中華料理の中では一番だな」

 ぜんぜん自分の話を聞かずに、的士飯に没頭する面々の様子を見て、ジェフリーはクスッと笑った。
「皆さん、本当にありがとうございました」
 自分の皿を置き、丁寧に頭を下げてみせる。
「あと数分でイベントが始まります。僕は、これから創作カレーを作るわけですが、これを届けてくれた皆さんへの感謝の気持ちを込めて。皆さんのためのカレーをこの場で作り上げようと思います」
 彼はにこやかに、一人一人の顔を見た。
「皆さんは、どんな味のカレーがお好きですか?」
 そう問われ、皆は顔を見合わせた。

「──とにかく辛いのがいいな」
 と、誓。彼は味覚障害の気があり、辛さを美味しさと感じるクチだった。
「──肉がメインで、味がしっかり付いてるものが好みだ」
 と、シャノン。野菜は入れないか、完全に食感を無くしてくれればオーケーだ、と付け加える。
「──いろいろ具が入ってて、それでもちゃんとウマイんならいいよ」
 と、ガーウィン。自分が先日作ってしまったカレーらしきものを思い浮かべながら言う。
「──庶民の味ってーのか? 俺はオーソドックスなカレーが好きだな」
 と、桑島。彼は、ただ、高い食材を使ったのを食べた事がないだけなのだが、それは黙っておくことにした。

「分かりました。しばらくお時間を下さい。──これから作ってきますので」
 ジェフリーは微笑んだまま、皆に背を向けた。彼の前方には輝くキッチンスタジオがある。それはすでに頼れる男の背中になっていた。
 ふと、振り返り彼は最後に一言、付け加えた。
「まだ作っていないですけど……。完成した料理の名前はもう決めてあるんです」
「? 何て?」
 ガーウィンが尋ねると、彼は、ひょいと首を傾けてみせた。
「秘密です。後のお楽しみですよ」
 そう言って、料理人はステージへと上がっていった。
「大丈夫そうだね、彼」
「ああ」
 誓が言い、シャノンが応じる。
 そして──イベントが始まった。


(12)アムネジア【amnesia】
 ──物事を覚えていられなくなること。またはそれが常態化してしまった状態。記憶喪失。健忘症。


 20分後、パフォーマンスとともにジェフリーが作り上げたのは、一口に言うとシーフード風カレーだった。海老やイカ、豚肉などの具の入ったシンプルなものだ。それに唐辛子が丸ごと入っているのが見える。
 野菜は一見入っていないが、ルーをスプーンですくってみれば、どろどろのペーストの中に様々な野菜の欠片が見えた。ジャガイモやニンジンの味は、ルーの中にしっかりと閉じ込められていたのだった。
 この場で作られたカレーは、例のチャンドラ王子に献上される前に、集まった観客たちに振舞われた。当然、タクシーとともにカー・チェイスを繰り広げた4人と御先もご相伴に預かっている。
 最後にジェフリーは、恥ずかしそうにマイクを握りながら、このカレーの名前を発表した。
 『的士カレー』だった。
 タクシーの運転手のように、忙しい人たちでも短い時間で美味しいカレーを楽しめるように。いろいろな味を楽しめるように。ジェフリーはそんな思いを料理に込めたのだった。

「そうそう、こういうのだよ! 庶民的な味だよ」
 桑島が喜々とした様子で、むしゃむしゃとカレーに食いついている。隣りでガーウィンも、むさぼるように料理を口に運んでいた。
「あー、幸せだー、俺」
 誓とシャノンはもう少し上品に食べていた。
「うん。いいね。いい感じ」
 辛いものが好きな誓は、唐辛子を集中的に食べている。まるごと入った唐辛子をかじれば自分で辛さを調節できるように工夫されているのだ。
「味もしっかりついているな」
 シャノンがそう言うと、隣りで御先がうんうん頷きながら同意した。
「ヒドイ目に遭いましたけど、これ本当に美味しいですねぇ。あぁ、良かったぁ……」

「すごいのね。彼、やっぱり天才なんだ」

 ふと、そばにいた若い女が誰ともなく言うのを聞いて、桑島は何気なくそちらを見た。
 観客の一人であろう。白いフレアスカートのワンピースを着た女だ。カレーも食べずに、ステージを見つめていた黒い瞳が、ゆっくりとこちらを向く。
 綺麗な顔立ちをした女だった。それが第一印象だ。サラサラの黒髪をボブにしているが、年齢がさっぱり読めない。若くも、それなりの年にも見える。
 さらに、彼女が腕に真っ白なバッキーを抱いているのが見えた。ムービーファン、か。
「でも。彼は結局、考えてきたレシピは思い出せなかったんでしょう? そうなんでしょ」
 自分が話しかけられているのだろうか。桑島は応えようとして、おや、と彼女のバッキーに目を落とす。
 彼は相棒の女刑事からバッキーを預かることがしばしばあった。ピュアスノーの真っ白なバッキーだ。
 しかし、このバッキーはピュアスノーより、白かった。
 オフホワイトとでも言うべきか。
「思い出なんて覚えてるだけ無駄なのにね。あーあ、つまらなかった」
女は、抱き上げたバッキーの頭を撫でた。「ねえ、アムネシオス。帰りましょうか」
 微かな不安に似た気持ちに襲われ、桑島が声を掛けようとすると、彼女はくるりと踵を返して歩いていこうとする。
「待った、お嬢さん」
 ひた、と彼女は足を止め、斜に桑島を見る。
「何?」
「君は、食聖が的士飯を食べて、自分の道を思い出す、というエピソードを知ってたのかい?」
「もちろん」
 そのまま、彼女は答えた。「わたしムービーファンだもの。この街のムービースターのことなら誰のことだって、何だって知ってるわよ」
 彼女は、アハハ、と笑った。奇妙なほどに空虚な笑いだった。
「あなたはムービースターじゃないけど、銀幕ジャーナルに載ってるから知ってるわ。桑島さん。銀幕署の桑島平さん」
 桑島は遅れて気付いた。彼女は、面白くもないのに、ただ笑ったフリをしているだけなのだ。
「またね」
 不思議な色のバッキーを連れた女は、名乗ってから、ゆっくりとその場を去っていった。

 彼女は自分の名前を言った。
 だが、不思議なことに、桑島はそれを覚えていることが出来なかった。




                  (了)
 

クリエイターコメントお読みいただいてありがとうございます。
何だか、カレーのためにみなさんいろいろ頑張ったのですね、ということで。
料理づくりではない部分に参加していただき、一風変わった苦労を味わっていただきました。
お疲れさまでした(笑)
「的士カレー」がチャンドラ王子に気に入られることを、願っております。

>信崎 誓様
実は御先さんのタクシーに乗り込むというプレイングは貴方様だけでして。
いい感じに助けていただきました。ありがとうございます。
ひょうひょうとした感じが表せていればよいのですけども……。
今回のストーリーは誓さんのプレにあったルートが一番多かったように思います。

>桑島 平様
ご希望通り(?)、
いろいろヒドイ目に遭わせてさしあげることになりました(笑)。
巻き込まれ属性とツッコミ属性は、いつも本当に助かります。ありがとうございました。
オヤジのくたびれっぷり(笑)がうまく出ていれば良いかなと思っています。

>ガーウィン様
バイクでのご参加、ありがとうございます。
ドタバタっぽいアクションを担当していただいたつもりなんですが、いかがだったでしょうか。。
ノリのいい、やんちゃ坊主(オヤジ?)っていいですね(!)

>シャノン・ヴォルムス様
いつもご愛顧をありがとうございます。
アクションと、ちょっとしたクールなセリフを書かせていただくのが、いつもとても楽しいです。
オリンピック級の感謝を(笑)。


p.s.ちなみに、最強の主婦と、靴屋でサンダル買ってたオカマは、名前を出しませんでしたが、二人とも当方のNPCです。
公開日時2008-08-16(土) 13:00
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