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<ノベル>
ACT.1★失楽園
もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、
真理は私たちのうちにありません。
――ヨハネの手紙より
「状況はわかった。まずはユダという神父のことを、ある程度把握しておかねばならないな」
「そうですね。その所在を特定するための、事前調査として」
「SAYURIさんがお知り合いなのなら、どんな事でもいいから聞かせてほしいです」
「うん、俺もそうおもう」
「私…も、聞きーたい…、こと……が、あり…ま、す」
植村から説明を受けたシャノン・ヴォルムスが、ルーファス・シュミットが、紀野蓮子が、来客用ソファのSAYURIを振り返る。
この事件が掲示される前から市役所に遊びに来ていて、受付カウンターで住民登録案内などをちょっぴり手伝っていた太助も、真剣なおももちでその中に加わる。
静かな影のように現れた西村は、すでにSAYURIの前に立っていた。
「俺は別に、事情なんかどうでもいい。興味もないね」
整った顔を歪め、吐き捨てるように言ったのは来栖香介だった。リハーサルをさぼって『楽園』付近をふらふらしていたところ、偶然通りかかったリゲイル・ジブリールに捕まり、引っ張ってこられたのだ。
「そんなこと言わないで香ちゃん。話を聞こうよ。SAYURIさん、お願いします」
香介の腕を掴んで揺らすリゲイルの視線を受け、SAYURIは頷く。
7人の協力者の反応を見た植村は、彼らを会議室に通し、特別にSAYURI専用茶葉を用いて人数分の紅茶を用意した。
ニルギリの新芽特有の、繊細な甘い香りが立ちのぼる。
一瞬、彼らは、ここが対策課の殺風景な一室ではなく、スイートルームでの優雅なお茶会に招かれたかのような錯覚に陥った。
「撮影中の事故とやらについて詳細が知りたい。何か関係がありそうな気がする」
席に着いたシャノンは、テーブルの上でその美しい指を組み合わせる。
「それは重要だと思います。アロイス・デュンケルというアクターが引退するに至った理由ですしね」
道楽博士ルーファスの、知性的な瞳に輝きが宿る。興味深い冒険に旅立つ下準備でもしているかのように、その表情には屈託がない。
「あの……。極端ですよね、とても。ハリウッドの人気俳優さんが、いきなり神父さんに転身するのって。いくら資格をお持ちだったからって……。だからきっと、その事故は衝撃的だったんだと思うんです」
蓮子は華奢な手を、抜けるような白い頬に当てる。年若い巫女の金の瞳は揺らぎ、自分の内面をも覗くように伏せられた。
14歳の蓮子は、友人たちと一緒に暮らしている。経済的な面では、どうしても彼らに頼らざるを得ない。
家事を精一杯がんばってはいるけれど……、彼らに依存しすぎてはいないだろうか。
そんな想いが拭えなくて対策課に出向き、この案件に遭遇した。
(神父さんが優しいひとなら、助けたい)
今はただ、そう思う。
「俺からの質問はとくにないなぁ。みんなが言ってくれたから、聞き役にまわるよ」
太助はソファに正座していた。口を挟まずにじっくり話を聞くかまえである。いつも活発で元気な子狸は、今日は大人びた一面を見せた。
「そう…ですね、神父ーさ、ん…に、ついて、は…もう……」
西村も言葉少なに、太助と同様のことを伝える。
「俺はパス。聞いたってしょうがない。起こってしまったことに対して、俺たちは何も出来ない」
そっぽを向いた香介の横顔を、リゲイルが身を乗り出して覗き込む。
「だけど……、それが今起こっていることの原因だったら、知ることは無駄じゃないと思うな」
「――そうね。香介の言うとおりではあるの。起こってしまった事故はどうしようもないし、それに、アロイスだけの問題ということでもなかった。強いて言えばスタッフ全員の連帯責任ね。……ねえ、リゲイルさん。香介」
「……はい?」
「何だ?」
SAYURIは並んで座っていたふたりにだけ、改めて呼びかけた。リゲイルと香介は訝しげな表情になる。
「ムービーファンのあなたたちに聞くわ。映画って、好き?」
「それは、……はい、もちろん……? ここ2年は、全然見てないけど……」
ますます不思議そうにしながらも、リゲイルは肯定する。傍らの『銀ちゃん』が、保護者につられて首を縦に振った。
「でしょうね。その大きなバッキーを見ればわかるわ。香介、あなたは?」
「……さあ。どうなんだろうな。何でそんなこと聞く?」
「この街に魔法が掛かる前の気持ちに戻ってみて。もしも、あなたがたにとっての大事なひとが、映画制作に関わっていたことが原因で命を落としたら、どうかしら。それでも映画を楽しみ、映画関係者と親しくすることが可能かしら?」
「わかり、ません」
問われたことの思わぬ重さに、リゲイルは肩を振るわせる。
「だってわたし……、よく覚えてないけど、両親は映画が原因で死んだ訳じゃないと思うし……。それに……、友達で家族だった大事なひとと出会ったのも……、亡くした、のも……魔法が掛かってからのことで……」
泣くまいと、赤毛の少女は唇を噛む。
香介は腕組みをし、SAYURIを睨んだ。
「魔法が掛かったあとのこの街を、俺は気に入ってる。ここでどんなことが起っても否定はしないし、だから今さら、それ以前のことを持ち出されて仮定の質問をされても、答えられねぇ」
「酷なことを聞いて、悪かったわ。だけどこれは、そういう話でもあるの」
映画撮影は、時として危険と隣り合わせで――そして、アロイスに起こったことは、わたしを含めた、アクターと呼ばれるひとびとに、等しく起こりうる可能性をはらんでいるから。
SAYURIはそっとティーカップを置いた。
――3年前。
ある、大作映画がクランクインした。ベストセラーのファンタジー小説を原作とした、魔界と天界と人間界を縦断する壮大な物語である。数多い登場人物が、それぞれの世界で群像劇を織りなす構成だった。
アロイスは、魔界に於いて特に残虐で名高い一族の、王子の役をあてられた。SAYURIは、混沌とした人間界諸国の取りまとめに苦慮する、大国の女王の役回りである。
そして、彼女が――ヒロインのひとりとして、一般公募で選ばれた18歳の新人女優がいた。
役は、王の密命を受けて魔界に潜入する、天界の娘。それまで、普通にハイスクールに通う学生だった彼女は、この幸運に有頂天になり、役に打ち込んだ。
その天界の娘は、魔界の王子と出会い、許されぬ恋に落ちることになっていたから、なおさらである。彼女は在学中からアロイス・デュンケルの大ファンであり、ヒロイン募集に応募したのも、アロイスと会いたいがためであったのだ。
悲劇は、撮影中に起こった。
総毛立つほど、シンプルな事故だった。
魔族を根絶やしにするために派遣された娘は、城をひとつ炎上させる。
そのとき初めて、そうとは知らずに炎の中で王子と出会い、惹かれるものを感じ、ふたりで逃げようとする。
――そのシーンで。
入念に打ち合わせを重ね、安全管理を施していたはずなのに、事故は起きた。
炎を演出するために仕掛けられた爆発のタイミングが、ずれたのだ。
アロイスの足元で炸裂するのを察知した彼女は、
彼を突き飛ばし、
我が身を犠牲にした。
★ ★ ★
「とてもつらい、いたたまれない事故だった。アロイスは、異変の発生を彼女よりも早く察知できなかった自分をひどく責めて、もうアクターはできないと言い出した。だけど、誰もアロイスだけの責任を問うたりはしなかったし、むしろ彼を引き留めることに懸命だった。ただ――彼女の父親だけが」
妻に先立たれ、男手ひとつで彼女を育ててきた父親は、アロイスを、そしてスタッフを許さなかった。
葬儀への出席さえ拒み、列席者たちの目前で、彼を罵倒した。
おまえのせいだ。何もかも。
その禍々しいほど美しい容姿で、私の娘を惑わせたのだ。
おまえは、悪魔だ。
おまえが演じてきた、数々の役と同じに。
あの子は、平凡な私の人生に与えられた、唯一の至福だった。
おまえたちに、聞きたい。
――映画とは、こんな犠牲を払ってまで、撮らなければならないものなのか。
あの子を奪い去った、
おまえを、
映画を、
私は、憎む。
★ ★ ★
「なるほど。そういうことであれば、故郷の銀幕市に戻る理由としては十分だと思います。聖職についたのも頷けますね」
ルーファスは眼鏡をつと押し上げる。
「事情はわかったが、それが今回のこととどう繋がるのかは、まだ不明だな。……神父は今、何処にいるのか……」
シャノンは組んだ指を解かずに呟く。
じっと聞いていた太助は、絞り出すように声を発した。
「俺、ここは『やりなおし』の街だっておもうんだ。過去にどんなことがあったとしても、ムービースターはこの街で別の自分をみつけることができる。それはスターだけの話じゃない。人間であっても同じことだ。だから神父さんはここに帰ってきたんだ。……助けてあげたいよ」
「太助君」
リゲイルがそっと手を伸ばし、太助をぎゅっと抱きしめる。
香介は、憮然としたまま宙を見つめ、
「……なんか、気に入らねぇ」
ただ、それだけを言った。
「私は、もともと、神様の為だけに生きるよう育てられてきたんです。だけど、銀幕市に来てからはそれがなくなって……。自由ではあるんですが、寂しさも戸惑いも感じています」
頬に手を添えて、蓮子は慎重に言葉を選ぶ。
「やはり、信仰は私の支えのひとつなのだと思います。だから、神父さんに会って話を聞いてみたい。私と神父さんとの信じている神様は違うけれども、だからこそ……。そのためにも、頑張ります」
「それにはまず、神父の居場所を特定しなければならないな」
「では、私たちはそろそろこちらを出て、行動に移るとしましょうか」
シャノンの言葉を受け、ルーファスは提案した。
彼にはもう、その算段も出来ているようだった。愛用の仕込みステッキを手に、立ち上がる。
「さしあたってはユダ神父の行動範囲と、普段の生活サイクルについて、教会の方にお聞きしましょう」
「でも」
リゲイルが、ためらう。
「教会には、他のひとっていないんじゃ? 神父さんは、ひとりで切り盛りしてたって……」
良いところにお気づきですねと、ルーファスは微笑む。
「聖ユダ教会の司祭は、たしかにユダ・ヒイラギ氏おひとりだけなのでしょう。植村さんから聞いたところでは、教会挙式を催行するときもご自身のみで行なわれていたようですしね。ですが、広い庭の手入れやラベンダーの世話、ラベンダーを使用した教会謹製商品の受注や発送など、どうしても他に人手は必要です。どなたか身近に手伝ってくださるかたがいるのだと思いますよ」
それがね、と、SAYURIは思案顔になる。
「助手のような立場で教会勤めをしてるひとというのは、いないのよ。募集はしていたようだけど、なかなか決まらなかったみたい」
「でしたら、神父さんの交友関係などは、教会の近くにお住まいのひとに聞いたほうがいいのでは?」
蓮子が真剣なおももちで考えを巡らす。それに触発されたように、SAYURIが頷いた。
「……そうだわ。ユダはローティーンのころからとびきり素直で優しい子で、ご近所の奥さまやおばあさまたちからは『ユダ坊や』なんて呼ばれて、それは可愛がられていたのよ。だからそういうひとたちは、ユダが神父として戻ってきたのをとても喜んで、何かと世話を焼いていたはずだから……」
「そうか。ご近所の奥さんとおばあちゃんか。うんうん! 俺、そういう聞き込みとくいだぞ!」
太助は俄然張り切り、先頭切って会議室を飛び出した。
シャノンとルーファスと蓮子が後に続く。
「俺は別行動を取らせてもらう。ここまでつきあったんだ、もういいだろう」
リゲイルに引き止める時間を与えずに、香介はさっさと退出した。
「香ちゃん。……うん、わかった」
その背に何かを感じ取り、リゲイルは見送る。太助たちの後を追おうとして、ふと、立ち止まった。
「あの、SAYURIさん。神父さんのファミリーネームがヒイラギってことは、市長さんと何か関係が……?」
「ええ。遠縁にあたるのよ。柊家は銀幕市の旧家だから親族も多くて、柊姓は珍しくないの」
「そうですか」
それ以上は聞かず、リゲイルは退出する。
本当に聞きたいのは、そういったことではないような気がするのだが。
今は、うまく言葉にできなかった。
ACT.2★告解
6人が会議室を退出してからも、西村だけはその場に残った。
情報提供者としてではないSAYURI個人に、聞きたいことがあったのだ。
「ユダ、神父の、ファミ…リーネー、ムが…柊、である…理由は、わかり…ました。でも…あなたー、はなぜ、神父ー、の、少年、のころを知っ…ているので…すか? ユダ、神父ーは銀幕市…の出身です。あなた…も、そうなので…はない、でー、すか? 彼と…は、ハリウッド…で仕事ーを、する…ずっと、前から…親ー、しい…のでは……?」
「あなたにはかなわないわね。可愛い死神さん」
レヴィアタン討伐作戦が一応の成功をおさめ、穴が埋めたてられ、市内の復興に余念がなかったあのとき。
不意に部屋をたずねた西村を迎えた、あの表情でSAYURIは答える。
「そのとおりよ。わたしはこの街で生まれ育ったわ。ユダとは、彼が14歳のとき知り合ったの。わたしと、――さんの結婚式の、たったひとりの列席者として」
大女優が発した、その名前。
可憐な死神の、漆黒の瞳が見開かれた。
★ ★ ★
「あらま。かわいい狸ちゃんにお嬢さん。ユダ坊やのお友だちかしら?」
聖ユダ教会は、人家から離れた場所にぽつねんと、杵間山麓を背にして建っている。
では、一番近い住宅街はどこかといえば――綺羅星ビバリーヒルズだ。
つまり、聞き込み対象のご近所さんとは、高級住宅街のマダムやグランドマザーであったのだ。
教会に一番近い位置――とはいえ徒歩だとかなりの距離があるのだが――の豪邸を、一同は最初のターゲットに定めた。
警戒心を持たれぬよう、リゲイルに抱えられた太助がチャイムを押す。突撃かわいこちゃん作戦は功を奏し、上品な老婦人はにこやかに応じてくれた。
「まだ友だちじゃないんだけど、なかよくなりたいなって思ってるんだ」
「えっと。わたしたち、教会で素敵なラベンダーグッズが買えるって聞いて。ね? 蓮子ちゃん?」
「そう、なんです。でも、たずねてみたらお留守だったので、どちらに行かれたのかしらって……」
太助は愛嬌たっぷりの目をくるくるさせ、リゲイルは機転を利かせて蓮子を振り返る。蓮子はそれを受け、さりげなく核心に触れる質問をした。
「まあ、せっかくいらしたのに残念だこと。行き違っちゃったのねぇ。ユダ坊やは、SAYURIさんからの特別注文を銀幕ベイサイドホテルに納品しなければって言ってたから。……うふふ、とてもいいできばえなの。私もお手伝いしたのよ」
品良く笑う老婦人に気づかれぬよう、一同は視線を見交わす。
どうやら調査の出だしは好調だ。貴重な情報を持っている人物に早々と行き当たったようだ。
ここはルーファスの出番である。帽子を取り、考古学博士は紳士的に一礼する。
「このかたたちとは、偶然、教会の前でお会いしたのです。私、実はSAYURIさんに依頼されまして。どうやらまだご注文の品を受け取られてないようで……、いえ、怒ってはおられないのですが、いつごろになりそうか、確認だけしてきてほしいと」
「あらまあ。SAYURIさんを待たせちゃいけないからって、ずいぶん早くに出かけたはずなのに。……そうね、むしろ早すぎるくらいに教会を出たということは、昴神社にご挨拶に寄るつもりだったのかも知れないわ」
「昴神社……」
耳慣れぬ名を、シャノンは反芻する。
「ええ。小さいけど由緒のある神社でね。宮司さんのお人柄を慕って、きれいな巫女さんが7人もいらっしゃるのよ。ユダ坊やは時々クッキーを差し入れしていて、とても喜ばれていたの。もしかしたら歓迎されすぎて、引き止められているのかしらね」
★ ★ ★
(死ぬのも生きるのも、好きにすればいい。ひとがどんな選択をしようと、どうだっていい)
――ただしそれが、そいつの意思なら。
香介は単身、昴神社に向かっていた。
黒いコートが、ひとつに結わえた髪が、秋の風に翻る。
聞き込みに向かった5人とは別のルートから、香介は昴神社に照準を合わせた。
ごく最近、ふらりと銀幕ジャーナル編集部に立ち寄ったとき、七瀬灯里が奇妙なことを言っていたのを聞いたからだ。
「昴神社の宮司さんのバッキー、すごく珍しい色なので取材に来てほしいって、巫女さんから要請があったんですよ。
さっそく行こうとしたら、編集長に止められたんです。きな臭いからもう少し調べてからにしろって……。でも、含みや裏があったら取材要請なんてしないじゃないですか。ううーん、残念。セルリアンブルーのバッキーの写真、撮りたかったのに」
ありえない色のバッキーに、編集長が過敏になるのも当然だ。
しかしなぜ、神社側は取材に来い、などと言うのか。
……呼び寄せたいのか。
灯里を? あるいは盾崎を?
いったい、なんの目的で?
それにしてもこの事件は、なんとも言いようのない不快さだ。
外出した神父が、まだ戻ってこない。
表面上はそれだけのことなのに。
……神。神。神神神。
おぞましくも大いなる何かの、哄笑が聞こえてくる気がする。
香介の本名はクルスである。
その意味は――十字架。
《クルス、お前は私達の罪そのものだ》
霧のようにけむる記憶のなかで、男が言う。
《この、彼の贈り物も罪なの》
《だから、ねぇ、クルスにあげるわ》
《あたしは悪くないもの。これであたしはもっと奇麗だもの》
幼い香介の首に銀のロザリオをかけ、彼岸を見る目で、おそらくは心を病んでいる女が……、ささやく。
13歳以前の記憶が曖昧であろうと、あの男が、あの女が誰であったのか、おそらく香介は知っている。
そしてそのロザリオを未だに持っている。今もコートの中できらめいている。
――こんなもの捨ててやる。
何度も何度も、そう思ったはずなのに。
ひとはそれぞれ自分の欲に引かれ、
おびき寄せられて、誘惑されるのです。
欲がはらむと罪を生み、
罪が熟すると死を生みます。
――ヤコブの手紙より
ACT.3★神曲
香介が昴神社に到着したとき、太助、リゲイル、蓮子、ルーファス、シャノンの面々もそこにいた。
琥珀色の髪の巫女と、押し問答をしながら。
「ユダ神父はこちらにはいらっしゃいませんのよ。どうぞ、お引取りくださいな」
エレクトラと名乗った巫女は、穏やかで丁重な、しかし有無を言わせぬ口調で慇懃に頭を下げた。
「そんなはずはない」
シャノンが食い下がる。
ここに向かう途中、急遽ヴォルムス・セキュリティの従業員に連絡を取り、昴神社の背景を調べあげていたのだ。
主祭神は大国魂神(おおくにたまのかみ)。宮司の名は昴光一郎。
7人の巫女たちの名は、鳥園あんず、風塚めぐみ、月由えりか、花咲まゆ、星玄たえ、夢澤けい、織原ありす。
温厚な人柄で評判の良い宮司だったのだが、このところ、彼の人格や身辺、その行動様式に顕著な変化が見られる。
家族同様にあたたかく接していた7人の巫女たちを、なぜか本来の名前とはちがう名で呼び、小間使いのように扱ったり、巫女装束を黒一色にしたり、親しかった人々に冷酷な態度を取ったりなどしているらしい。
そして、一番の変化、いや、異変は、セルリアンブルーのバッキーだった。
銀幕市に魔法が掛かったそのとき、昴光一郎は、バッキーを与えられてはいなかったはずなのである。
「なら、とりあえず、宮司に会わせてくれないか?」
「それもできかねます。あいにくと、席を外しておりますので」
「……頼む。えりか」
巫女たちの本名と容姿の特徴も知り得たシャノンは、エレクトラを月由(つきよし)えりかと特定し、呼びかけを試みた。
エレクトラの表情に、ちらりと動揺が走る。しかしすぐに平静さを取り戻し、ゆっくりと首を横に振るばかりだ。
――そのとき。
何かを訴えるように、鴉が鳴いた。
カァ……!
羽音が空を打ち鳴らす。黒い羽がふわりと舞う。
西村の鴉だ。
「みな…さん、その、かた…は、お留守番ーしてい…るよう、です。神父ーさ、んも、宮司さ…んも、他の…巫女、さんもここに…はいま…せん」
「ユダはもう、教会に戻ったようなの。思い詰めた様子で、彼らと一緒に。……危険だわ。急がないと」
「西村さん……! SAYURIさんも。どうしてここが?」
リゲイルが目を見張る。
「ヴォル…ムス・セキュ、リ…ティの従業ー員さ、んが…連絡し、てくれ…ました。だか…ら、鴉く…んが、先回りーして、ここ…の出入り、を偵察…してた…んです」
「行きましょう」
一同を促し、SAYURIはいつにない駆け足になる。
昴神社の前には、すでにタクシーが2台、横付けされていた。
★ ★ ★
タクシーから降り立った彼らが見たのは――
教会を背に立つ、7つのシルエットだった。
――宮司と、6人の巫女の。
まるで、観客の訪れを待つ舞台俳優のような。
この幕切れを、たのしむかのような。
「おや? 聖ユダ教会にようこそ。銀幕市のみなさん、ならびに、大女優どの」
「「「ようこそ」」」
「「「そして、ごきげんよう」」」
つるばらが、燃えている。
花の盛りを終え、乾き始めた蔓は、彼岸の花に似た紅蓮の炎を吹き上げて――
「力なき人々よ。教会の炎上を心ゆくまでご鑑賞ください。私どもは帰らせていただきます」
「「「さようなら」」」
「「「ご縁がありましたら、またお会いしましょう」」」
言うなり、宮司たちは踵を返す。一瞬後には、彼らの背は遙か遠くにあった。
普通の人間だとはとても信じられない早さだった。
「待って。待ってください。あなたは……本当の宮司様じゃないでしょう?」
リゲイルが叫ぶ。叫んで走り出す。
「宮司様と巫女さんを操っているんでしょう、そのバッキーで! どうしてこんなひどいことするのよ?」
ぎろり、と。
宮司が振り返った。
(小娘が、余計なことを)
その目に、刃のような光が走る。肩のうえのバッキーが、尾を持ち上げた。
そう――セルリアンブルーのバッキーには、悪魔の尻尾に似た尾があった。
頭には、角のような突起物もあった。
「力が…無いー、者が…守り…たいもの、を持つ…ことは、罪なの…ですか。力が無ー、ければ…大切、なもの…を作って…はいけない、と…いうの…ですか」
そっとリゲイルの横に立った西村が、静かな――静かでつよい声で、訴える。
「だめだ、ふたりとも。今は追いかけちゃあぶない」
駆けてきた太助がリゲイルの背に貼りつき、西村をも見た。
「俺たち、あいつらのことを知ったばかりだ。だからたぶん、今はまだ、早いんだ。もっと調べてじゅんびしてからのほうがいい。……それより」
サイレンの音が聞こえてきた。
ルーファスが、消防車を呼んだのだ。
「火災の被害はまだ、建物の表層部分――つるばらが焼けた程度で留まっています。銀幕市の消防隊員は優秀ですから、鎮火は彼らにまかせましょう。適材適所です」
同様に、と、ルーファスは教会入口を指さした。
「おそらく、放火したのは神父さんご自身です。燃え方を見るに灯油などは用いておらず、燭台の火のみで点火したのでしょう。彼はまだ、燭台を持って中にいるはずです。今なら間に合うでしょうし、今しか間に合いません」
――説得と救出は皆さんにお任せして、私は外で鎮火状況を見守ることにします。適材適所、ですからね。
そう言ったルーファスに軽く頷くなり、シャノンが走り出す。
「わかった。神父は必ず助ける。失敗は俺の矜持に関わる」
「はい……! 神父さんの救出に専念します」
蓮子が後を追う。
「止めてくれてありがとう。……行こう! イエロー!」
「おう、レッド」
太助を背中に貼りつかせたまま、リゲイルも駆けた。
宮司と巫女のすがたは、もう見えない。
無惨に焼けこげ、地に落ちたつるばらの枝を、SAYURIは拾い上げる。
「……17年前、この教会で敏史さんと結婚式を挙げたの。わたしは20歳になったばかりの、駆け出しの女優だった」
彼らに続こうとした西村が、SAYURIの独白に振り返る。
「家庭が複雑だったから、敏史さんにはふさわしくないって柊家の親族から大反対されて、誰も式には出ないって言われて……だけど、ふたりだけの式もいいものですよと、この教会の、前任の神父さまが仰ってくれた。そして、親族の中でたったひとり、祝福してくれたひとがいた」
――ぼく、かなり遠縁だけど、親族代表として出席していいかな? ふたりだけのほうがいいんなら、邪魔しないけど?
「14歳だったユダだけが、そう言って笑ってくれたの。……彼ね、声はいいのに音痴なのよ。アクターだったときも、ミュージカルはとても無理なくらい――だから、式のときも調子っぱずれの賛美歌を聞かされて、神父さままでが吹き出しちゃって、わたしも敏史さんも、祭壇の前で大笑い」
SAYURIはそこで、言葉を切った。
しばらく無言が続く。
やがて女優は、聞き取れぬほどの小さな声で、その願いを発する。
「……助けて。ユダを助けて。お願い、西村さん」
「……努…力は、しま、す」
ACT.4★復楽園
消防車のサイレンが鳴り響く、少し前――
香介は単身、教会内部に足を踏み入れていた。
暗い礼拝堂に、燭台の火だけが、ぼうと明るい。
「私は……償わなければ」
見ればその燭台は、虚ろな目をしたユダが持っていた。
その炎をゆっくりと――我が身に近づける。
「爆風に焼かれた彼女の苦しみを、この身をもって」
「……気にいらねぇ」
言うなり、香介はコートを脱ぎ、放り投げた。
黒い翼のように宙を舞ったコートは、燭台のうえにばさりとかぶさり、火を消し止める。
「――もし兄弟が罪を犯したなら、彼を戒めなさい。そして悔い改めれば、赦しなさい。かりに、あなたに対して1日に7度罪を犯しても、『悔い改めます』と言って7度あなたのところに来るなら、赦してやりなさい――ルカの野郎は、そう言ってんじゃねぇのかよ」
すらすらと、香介はルカの福音書を引用する。
「なあ、神はどこにいると思う? あんたは、何を信じてるんだ?」
「……私……、私は……」
焦点の定まらぬ瞳を、火の消えた燭台に向けたとき。
シャノンが、蓮子が、リゲイルが、太助が、西村が、礼拝堂に駆けてきた。
彼らは切々と、神父に言いつのる。
その、想いを。
「罪を犯した俺が言うのも可笑しい話だが……。自分が死んで赦されるというのは自己満足でしかない。罪を罪と自覚し、それを購い生き続ける事が贖罪となるだろうに」
「死なないで……! 生きてください」
「宮司様たちは操られてるの。ひどいこといったのも、本心じゃないの。死んじゃったら、本当の宮司様も巫女さんもきっと哀しむ。だから、死なないで」
「神父さんは、神父さんの神様が決めた日まで生きるんだ。どうしてもあやまりたいんなら、向こうがわにいったとき直接あやまればいい。だってゆるすのは……あいつらでも神様でもない。『彼女』なんだ。そしてたぶん、彼女は最初から、神父さんをせめちゃいないんだよ」
太助はすたっと飛び上がり、ユダの頭に身体ごと乗っかる。
……もっふり。
ふかふかのおなかに視界を遮られ、ユダは燭台を取り落とす。
「自分を殺すことは、神父さんの神様が決めた罪のひとつじゃないのか? 罪をかさねることは、つぐないにはならないんだぞ!」
「死は……断罪、の…手段、じゃない!」
西村が、聖女のように指を組み、毅然と言い放った。
「人、はいつか死…ぬ、生物ーは、いつか必…ず死ぬ。それ、は掟。決し、て変えら…れぬ運命。それを早め、るか…遅くする…かが、罪の…裁きに…などなる筈ー、があり、ません。そんな…ものは自ら…死を選、ぼうとする、ニンゲン…の驕り…にすぎない。人に神の…教えー、を諭す…立場でありな、がら、そんな事ー、も判らな…いので、すか」
「なあ」
再び、香介が口を開く。
「あんたは――何を信じてるんだ? あんたは、誰だ?」
「……私、は。ユダ――です。そう、タダイの聖ユダと同じ名を持つ……」
ユダはようやく、自分の言葉を発した。
「タダイの聖ユダは、イスカリオテのユダと混同を避けるために冷遇されてきたんですよね。だから、絶望者・挫折者・末期患者の守護者って言われてて……」
クリスチャンのリゲイルが、話題を繋げる。彼のこころをこちら側へ、引き戻すべく。
「絶望者の守護者」
今度こそ、ユダの語尾が明瞭になった。
言葉に、力と聡明さが蘇る。
「そうでした。私は先日、教会がムービーハザードに襲われたとき尽力くださったかたがたに、そう申し上げたばかりでした。『絶望を知るものは、絶望者の救い手にもなれると信じている』と」
ユダは居ずまいをただす。
そこにはすでに、いつもの――
生真面目で穏やかな、説教が長いのが玉に瑕の――銀幕市民の教会利用者が少ないことを嘆く、聖ユダ教会の神父がいた。
西村は、問いかける。
「おし、まい……にー、しますーか? ……つづけまーす、か」
「続けます」
そう答えたユダ神父の頭には、まだ太助が乗っかっていたので……、
それまで皆から離れ、固唾をのんでいたSAYURIが、
くすくすと、笑った。
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クリエイターコメント | お待たせしました。そして、お疲れ様でした! 西村さま、シャノンさま、ルーファスさま、太助さま、蓮子さま、リゲイルさま、そして香介さま。 皆様のご尽力で、無事ユダ神父は救出されました。ありがとうございました。 (プレイングを拝見して、ちょっぴり涙ぐんだことはヒミツです)
実はアンケート結果は巫女さんズの容姿や口調に反映させていただきました。 外見設定はあえて白紙にしておりましたのです。作中ではエレクトラ(byシャノンさま)のみの描写ですが、今回いただいた内容をもとにした設定は、今後も使用させていただきたく思います。
ところで、聖ユダ教会では、焼けてしまったつるばらを植え替えるべく、ボランティアを募集中です。 お手透きの時にお顔を見せてくだされば、神父も喜ぶでしょう。 ただし、お礼にラベンダーグッズあれこれを山のように持たせられることになりますけれども。 |
公開日時 | 2008-10-12(日) 14:00 |
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