★ 【Zodiac】〜Jack the Ripper〜 ★
<オープニング>

 まわる。
 まわる。
 くぅるくる。
 はしってまわってそまってる。
 まわる。
 まわる。
 くぅるくる。
 はしってまわってそまってく。
 なにしてそまる。
 ゆめみてそまる。
 ゆめみてそまってまわってはしった。
 はしってまわってそまってわらった。
 まわる。
 まわる。
 くぅるくる。
 どうけはにこにこわらってる。
 くぐつはしめしめわらってる。
 まっかにそまったきっさきをにこにこしめしめわらってる。
 まっかにそまったきっさきを。
 にこにこしめしめわらってる。
 ゆめみてそまったきっさきを。
 にこにこしめしめわらってる。


 リオネは飛び起きた。
 ようやく暑さも和らいで涼しくなったというのに、リオネは体中が燃えるように熱かった。喉の奥がひりついて、カラカラに乾いている。耳には空気を斬り裂くような甲高い音が残っている。息苦しさからか、熱さからか、リオネは肩で息をして、ボロボロと涙を零していた。
 廊下を走ってくる音がする。ノックの音がして、心配そうに柊が顔を出す。柊はリオネを見て、慌てて水を持ってこさせた。顔はまるで血の気がなくなってしまって青ざめているのに、体は燃えるように熱い。柊はリオネのベッドに腰掛けて、涙を拭い、その背中をさすってやった。
 また足音がして、水の入ったコップを持った女が入ってくる。コップを受け取ろうとして、手が震えていることに気付いた。柊が手を添えてやって、ようやく喉に流した。水は喉に心地よかった。
 寒いのか、熱いのか。
 苦しいのか、切ないのか。
 それが、なんという名前なのか。
 リオネには、わからなかった。
 ただひとつ、わかることは。
「リオネ……たいさくかに、いかなきゃ」

 ◆ ◆ ◆

「ですから、どうしてそれが対策課なんです」
 植村直樹は疲れた眉間に皺を寄せた。
 ただでさえやることは山積している。事件やイベントの事後処理、予定しているイベントもあれば、現在進行中の事件まであるし、とにかく天手古舞なのだ。
「我々にも事情というものがある。そして対策課に依頼し、市民に協力を得ることが最前と考えた。よって、こうして私自ら頼みにきている」
 植村に対するは、銀幕市警察署刑事課長、佐伯真一郎である。
「犯人の性別は男、推定年齢三十五、六、身長は百八十前後。得物は刃渡り約二十四センチの出刃包丁だ」
「ずいぶん詳しいことがわかっているんですね」
「目撃者がいる。すべて男だがな」
 すべて男性、と呟くと、佐伯は小さく溜息を落としながら眼鏡を外した。途端、市役所内で、黄色い声が上がる。植村は何事かと思わず振り返るが、佐伯はまるで気にしていないかのように続けた。
「私が殺人を扱っていることは知っていると思う。現在追っている事件は、君も新聞を読んでいるならば知っているだろうが、連続通り魔事件、Jack the Ripper……切裂きジャックだよ」
 言われて、植村は先日も見た紙面を思い出す。
 それが現れるのは突然で、手にした刃物で滅多斬りにするというものだった。狙われるのは女性ばかりで、カップルで歩いていても男には眼もくれず、女性だけを切り刻むという。情けなくも逃げ出した男もいるが、もちろん女性を救おうと駆けた男もいた。しかし、男は突然視界が真っ暗になり、気が付いた時には眼も当てられぬ無惨な姿と変わり果てた女性が、鮮血に染まっているという。
 女性ばかりを狙うことから、紙面には、切裂きジャック現る、という煽りが付いた。
「警察内部では、当初は当然、連れの男を疑った。しかし、その後多くの類似事件が起きた為、警察は同一犯による猟奇事件と判断し、調査を続けた。そして、こんな記事を見つけた」
 佐伯が差し出したのは、銀幕ジャーナルだった。それは、六月の記事。問いかけるように佐伯を見ると、佐伯は日付と名前が羅列された紙を差し出す。
「これは、被害者の一覧だ。六月の欄を見てくれたまえ」
 言われて、植村は目線をすべらせる。
 祠堂楓。
 植村は顔を上げた。
「これが、対策課へ依頼する一つの理由だ。もう一つは、目撃者である男が、尽く気を失っているという点」
「犯人は、ムービースターの可能性がある、ということですか」
「その通りだ。だが、そうでない可能性もある。ムービースターである場合、警察だけでは手に負えない。ムービースターでない場合は、市民を危険に晒すだけとなる。警察でも議論は紛糾したが、結果としてはこの通りだ」
 佐伯は肩をすくめてみせた。それに、植村は神妙に頷く。
 そこへ、白い手袋をした手が伸びてきて、ことりと二つの湯呑みを置いた。視線をやると、グレーのスーツを着た赤沼がいた。
「お話が、長引きそうだったので。……お邪魔でしたか?」
 佐伯はいや、と小さく首を振った。張り詰めた空気が、ほんの少し和む。これも、彼女の職業柄からなのだろうかと、なんとなく思った。多忙を極める対策課に置いて一人、どこかのんびりとした雰囲気を持つ女性に微笑んだ。
「ありがたく、いただこう」
 それに微笑み返して、赤沼はお盆を抱えて行った。
「依頼をするにあたり、もちろん資料は渡そう。まず」
「ナ、ナオキ……」
 佐伯の言葉遮るようにして、ずるずると這うように入ってきたのは、赤銅の肌を持つ盗賊セイリオスだった。佐伯が眉根を寄せるが、その腰にリオネがくっ付いているのを見て、眼の色が変わった。
「どうしたんです?」
「知らねぇよ、歩いてたら捕まったんだ。よくわかんねぇことブツブツ言ってるし」
 セイリオスがげっそりと言うと、リオネは顔を上げた。その紫の眼がまるで熱でもあるのか揺れていて、植村は思わずカウンターを出た。
「まわってるの」
 言葉に、佐伯がぴくり眉を動かす。
「わらいながら、まわってるの。くるくるまわって、まっかっかになるの」
 佐伯は眼鏡をかけると、おもむろに大きな紙を取り出した。覗き込むと、まるで円を描くように赤い丸のシールが貼られた、銀幕市の地図だ。セイリオスが嫌そうな顔をする。
「なんだ、コレ」
「詳しいことは植村くんに聞いてもらうとするが、……これは、被害者の発見場所だ」
 リオネが息を呑んだ。
 それを見て、佐伯が小さく頷いた。
「それでは、宜しく頼む」
「はっ!?」
 肩をポンと叩かれて、セイリオスは佐伯を睨み付ける。
「残念ながら、警察は別件でも動いている。君は確か、セイリオスくんと言ったな、ジャーナルは読んでいるよ。色々と事件に関わり解決をしているようだし、是非とも解決してくれたまえ」
「どんな理屈だよ、わけわかんねぇ!」
 突然のことにセイリオスが叫ぶが、佐伯は表情を変えずに口を開いた。
「幸運にも目撃者は多く、遺体の発見された場所から、犯人の行動範囲がわかった。詳細はそちらの資料及び植村くんに聞いてくれ」
 バサバサと封筒やらファイルやらをカウンターにおいて、踵を返す。
「待て、オレは命令されんのが大嫌いなんだよ。断る」
 セイリオスが言うと、佐伯は足を止め、淡々とした口調で言い放った。
「くれぐれも、捕まえるようにしてくれたまえ。スターかそうでないかの判断がついていないことも一つだが、聞きたいことが山ほどある」
 眼を眇めた佐伯の眼に、鋭い光が宿る。セイリオスはそれで、ただ事ではないということを理解した。それは盗賊としての性か、人間の危険信号への本能か。
 セイリオスが小さく舌打ちをすると、佐伯は頷いて踵を返した。
「あ、あの、」
 リオネが声を上げる。振り返ると、リオネは不安そうに見回した。
「あのね、ゆめにね、わらってるかおが二つあったの。にこにこわらってるのと、しめしめわらってるのと、ふたつ」
 植村は頷いて、リオネの頭をくしゃりと撫でた。

 ◆ ◆ ◆

 男は笑った。
 鮮血に染まった包丁を手に、そのぬらぬらと光る刃をべろりと舐めて。
 ひたひたと夜の街を歩く。
 まるで魚のように捌ける体の心地よさ。
 すぅと刃の通る感触。
 ああ、なんと艶めかしい。
 ああ、なんと悩ましい。
 この身に降る生暖かな鮮血の、なんと甘美なことか。
 耳を突き刺す絶叫も、ただただ体を打ち振るわす。
 ああ、なんと。
 ああ、なんと。
「……どうして誰も、やらないんだろう?」
 男はひたひたと夜の街を歩く。
 白い装束を真っ赤に染めて、男は虚空に笑った。

種別名シナリオ 管理番号775
クリエイター木原雨月(wdcr8267)
クリエイターコメントこんばんは、当シナリオをご覧頂き、誠にありがとうございます。
木原雨月です。

当シナリオは、全三作となる『一話完結型』のシリーズ第一弾ということになります。
どこからご参加いただいても大歓迎ですし、また全てに参加しなければならない、ということもありません。
ご興味ありましたならば、是非にいらしてくださいませ。お待ちしております。
以下、市役所に残された警察側の資料です。
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1,犯人の男は、銀幕市に円を描くように出没し、犯行を重ねている。
2,今までの行動から次に現れるのは、銀幕市南部の【ベイエリア】工業地帯と推測される。
注意事項:
 ・多少の怪我はやむを得ないと考えるが、『確実に確保する』こと。
 ・男は犯人を見ると何故か気を失ってしまうので、なんらかの対策が必要。
  ※上記に関する具体策は無し。また、ムービースターの男も気絶したという情報有り。
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調査、罠の設置、いや真っ正面から真っ向勝負、などなど、その他なんでもアプローチしてください。そして、どうか、この事件を止めてください。

なお、セイリオスはご希望があれば同行いたします。協力は惜しみませんので、馬車馬のように駆け回らせるも有りです。
それでは、どうかよろしくお願いいたします。

参加者
仲村 トオル(cdmc7442) ムービースター 男 25歳 詐欺師探偵
ジナイーダ・シェルリング(cpsh8064) ムービースター 女 26歳 エージェント
太助(czyt9111) ムービースター 男 10歳 タヌキ少年
霧生 村雨(cytf4921) ムービースター 男 18歳 始末屋
<ノベル>

 仲村トオルは、今この時に市役所を訪れてしまった事を激しく後悔した。特に用事など無かった。ただなんとなく、自分という証明をしている場所に、足が向いてしまっただけである。彼にとって、佐伯真一郎がそこに居たというのはまさしく、不幸としか言いようがないかもしれない。
「おや、君は」
 ちょうど踵を返した男は、一言で言えば容姿端麗だった。年は三十といったところか。すらりと伸びた手足は長く、眼鏡の奥の理知的な眼は鋭い。それでいて人を食ったような笑みを浮かべる。一見中肉中背といった風情だが、スーツの下はほどよい筋肉で引き締められている。それはまったく無駄のない動作から計れるというものだ。しかも、纏っている雰囲気。これは、トオルが最も関わりたくない人種であるに違いない。
 そう判断すれば、長居は無用である。
「待ちたまえ、仲村トオルくん。いや、」
 ぐい、と肩を引かれてトオルは僅かにバランスを崩す。耳元で囁かれた名前に、トオルは目を見開いた。何故、その名前を、自分の顔を見て、言えるのか。
「さて、そうとわかれば早速君にも仕事をして貰おうか、探偵くん」
 良い笑顔でポンと肩を叩く男に、
「なんでボクが! 探偵でもないし! それに、人に物事を頼むなら自己紹介から始めたらどうなんだい」
「ああ、これは失敬。私は銀幕市警察署刑事課課長の佐伯真一郎というものだ。たった今、対策課にある事件の解決依頼をしたところでね。ぜひ君にも協力していただきたい」
 この若さで刑事課長とは、なんというキャリア組か。刑事課でキャリア組と言えば嫌がられるものだが、この胡散臭い笑み。これで切り抜けてきているに違いない。キザで有能で天才肌、まったく世の中には嫌みな存在がいるものである。
「詳しい事は植村くんと資料を参照するように。……もちろん、協力してくれるね」
 君が協力してくれるなら、君が今までにした行為、今回は特別に見逃してもいいんだけれど。
 肩に置かれた手をぱしりと払って、トオルは笑う。
「なんのコト? もしボクを逮捕したいんだったらー、証拠持ってきてくださいー」
「逮捕、ね。なるほど、君はそういった行為を施行されるような事を為出かしているわけだ」
 こっ……!
 喉まで出かかって、トオルは息を吐いた。癖っ毛の髪を軽く掻いて、黒縁眼鏡を押し上げる。とにかく今は相手が悪い。くつりと笑った顔を一別して、トオルは植村たちの前に広げられた資料に目をやった。
「なるほど、協力すれば何かしらのメリットが得られるわけだ」
 声に、佐伯は振り返る。そこには十八、九に見える少年が立っていた。言っている事はまぁ間違ってはいないので、佐伯は黙って少年を見返した。
「俺は霧生村雨。あんたらの言う、ムービースターってやつでな。俺の御付も実体化したはずなんだが、これが見当たらない」
「なるほど、それで警察に借りを作っておきたいというわけだね」
 言うと、村雨は笑みを深める。佐伯は肩をすくめた。
「警察というのは、市民の味方だ。もっとも、協力してくれるならありがたい。もしもの時は、口を効くぐらいはしてやろう」
 不遜に笑って、佐伯は村雨の肩を叩く。微かに目を眇めて、村雨は植村たちの方へ向かった。それにくつりと笑って、佐伯は顔を真剣なものにする。念を押すように口を開いた。
「くれぐれも『確保』してくれたまえ」
 四人が振り返る。
「ヤツは、我々が裁くべき、犯罪者だからね」
 その眼が鋭く光って、トオルは微かに身体を震わせた。佐伯がドアの向こうに消える。トオルはそんな自分に軽く笑って、やれやれと首をかいた。
「まったく、なんでボクが。謎も嘘もないんじゃないのコレ」

 ◇ ◇ ◇

「ぽよんすー」
 知っている声に、セイリオスは振り返った。その姿に、微かに笑みさえ浮かべる。
「おう、タスケか。久しぶりだな」
「セイリオスもいたのか。うん、久しぶりだ」
 タヌキ姿の太助は、ほてほてと歩いてくる。その後ろに知らない顔を見て、セイリオスは眼を細めた。
 整った顔立ちの長身の女性だが、何より目を惹くのはその手に持った獲物である。刀身が波打っている、変わった細身の片手剣。剣の事はよく知らないが、波打つ刃は切り裂かれれば止血は困難であろう。傷も治り難いはずだ。スレンダーな身体にシャツにジャケット、ジーンズという何ともラフな格好には、禍々しい剣は似付かわしくない。しかし纏っている雰囲気のせいか、不思議と調和していた。
「フランベルジェ、か。これはまためっずらしいのを持ってる人がいるもんだねー」
 言ったのは、トオルだ。それから、どーも、と人懐こい笑みを浮かべて見せ、名を名乗る。村雨も名乗って、女は、白い煙を吐き出して携帯灰皿に押しつける。腰まで伸ばした灰色の髪を掻き上げた拍子に、右耳のルビーの付いたピアスが光った。
「ジナイーダ・シェルリング。事件の事は新聞で知り、解決依頼が対策課へ入ったと聞いて来た。よろしく頼む」
 凜とした声はハスキーヴォイスで、声と喋り方だけでは男性と聞き紛う者もありそうだ。
「外で会ってな、対策課に用があるって言うから、一緒に来たんだ」
「へぇ。ってことは、タヌキくんもこの事件に関わるって事かい」
 太助が補足すると、トオルは興味津々に太助を見る。太助は当然、というように頷いた。
「犯人は女の子ばっかり狙ってるんだよな?」
 確認するように聞いて、太助は頷いた。
「俺の利点は「女の子に化けられること」。これを利用しない手はないだろ?」
 言って、太助はたんと地面を蹴ってくるりと回転する。着地する時にはくりりとしたいたずらっぽい瞳も愛らしい、長い巻き毛の少女に変身していた。ぽかんとしている面々に、太助はにっと笑った。
「どっからどう見ても、女の子だろ?」
 太助はひょこりと耳を動かす。それで耳と尻尾が隠れきっていない事に気付き、帽子を被って耳を隠し、ちょっと寒いしとスカートの丈を伸ばして尻尾を隠した。これで万事オッケーである。
「なるほど、私一人で歩くよりも効果的かもしれないな。……さて」
 ジナイーダはちらりと面々を見渡す。
「依頼を受けるに当たって、詳しいところを知りたい」
 ジナイーダの言葉で、場は瞬時にして張り詰めたものになる。植村の計らいで、市役所内にある一室を借り受ける事が出来た。先に資料を読んでいたトオルが、植村の話と資料とを併せて簡潔かつ平明に説明をする。思わぬところで秀逸さを披露してしまったわけだが、少しばかり抜けている彼はそんなことには気付かない。警察なんぞと関わってしまった以上、犯人をさっさと引っ捕らえてしまい一心ある。
「……成程、それで現代に蘇った切り裂きジャック君と言った所なんだな。マスコミも上手い事を言う」
 事件のあらましを一通り聞いたところで、ジナイーダが口を開く。
「実際の切り裂きジャックが狙ったのは売春婦ばかりのようだが……カップルでいても女性だけを狙う事から、女性への何らかの感情があったというのは疑いの余地はないと考えても良さそうだ。死者は……十一人か、ずいぶんと多い……。何某かの理由があって、と言うよりは、自分が愉しみたいと言った所に由来していると考えた方が良いかもしれない」
 意見を述べるように視線を上げると、トオルは小さく肩を竦めて笑った。
「犯罪者の心理なんて、ボクに理解できるわけないでしょ」
 そもそも、トオルは人の死というものが嫌いである。人を騙して悪いと思う心はない。むしろ、自分の想い描いた通りに事が進み、結果詐欺行為が上手くいけば快感すら感じる。しかし、それとこれとは彼の中では別問題であって、詐欺以外の犯罪に手を出そうとも思わないし、例え脅されたって手を出す気は毛頭ないのだ。
「犯人の動機なんて、興味ないよ。それを知る事に意味があるとも思えないし、警察の仕事でしょ? ボクらは如何にして確実に犯人を捕まえるか、それを考えるだけで十分」
 言い切って、ぽん、とセイリオスの肩を叩く。地図に見入っていたセイリオスははたと顔を上げた。
「そう言うわけだから、映画と、過去の事件について調べてきてね、アシスタントくん」
 トオルのものすごく良い笑顔に、思わずセイリオスは顔を引きつらせる。
「だっ……誰がアシスタントだ!」
「アレ、違うの?」
 協力は惜しまないと聞いたんだけど。付け加えて首を傾げると、セイリオスはぐぅと唸る。
「銀幕市での連続した事件がないか、終わり方はどうなったか、モデルケースとして調べてみたらいいかもね。後は現場近くの監視カメラをダビングして貰ってきて。犯人が映ってればラッキーだし。それから、犯人の目撃者たちのも話を聞いてきてね」
 トオルの息を付かせぬ早口に、セイリオスは瞬きもせずに固まった。顔には脂汗が滲んでいる。
 それなら、と村雨が口を開いた。
「俺は今までの現場でも一巡りしてみようと思ってたんだ。目撃者からは俺が話を聞いてこよう。……どう見たって、交渉が得意には見えねぇしな」
 言われて、セイリオスは更に唸る。返す言葉もない。
「それに、犯人が円上のどういう場所を好み、どういう場所で襲ってるのか……それがある程度予想できれば、罠にかける事も出来る」
 それにはトオルも頷いた。
「まー無駄かも知らんけど、ボクもストレートに罠でも張ろうと思ってたんだ。それがわかれば、多少は効果的に張れるかもねー」
 佐伯の残した資料を見れば、犯行時刻は夕刻以降。これはほぼ間違いないだろうという事で、それまでは情報を集めるということで話はまとまった。
 セイリオス一人がぶつぶつと何か言いながら、脂汗を流している。トオルはやれやれと息を吐く。
「ま、全部は無理だろうから、ここは市役所なんだし、過去の事件の事はボクが調べるよ。外回りはヨロシク」
 いささかほっとしたような顔をして、セイリオスは無言で頷く。
 と、コツコツコツとドアを叩く音がした。太助ことひまわりが開くと、茶盆に湯気の立つ茶と茶菓子を持った赤沼が立っていた。
「ずいぶんと籠もっていらっしゃるので、一息でもと思って」
「おう、サンキュー……っとと、ありがとう」
 言い直して、可愛らしく小首を傾げて微笑むと、赤沼はくすりと微笑んだ。差し出された茶盆を受け取って広げた書類をどかして置くと、乱暴にセイリオスが席を立った。
「え、おい、どこ行くんだ?」
「チョウサとやらに行くんだろう」
「一杯もらってから行こうぜ、せっかく持ってきてくれたんだからさ」
 太助が食い下がる。赤沼が申し訳なさそうな顔をして、セイリオスは目を眇めた。
「なぁなぁ、セイリオスー」
「俺は血の臭いが嫌いなんだよ」
 赤沼を睨め付けて、セイリオスは部屋を出て行った。それに、村雨も続く。太助は迷うようにおろおろとして、茶菓子を一つ取って、赤沼ににっかと笑って、二人を追い掛けた。
 ぽかんとそれを見送った後、思い出したようにトオルはジナイーダに顔を向けた。
「えっとー、ジナイーダさんは残ってくれるよね? 流石に一人じゃキツイからー」
 人懐こい笑みを浮かべて首を傾げるトオルに、ジナイーダはふつと呆れるように笑った。

「おーい、セイリオスー」
 ぱたぱたと駆けてくる太助を振り返って、セイリオスは足を止めた。風が少し冷たいが、セイリオスにはあまり影響のないものだった。
「何があったか知らねぇけどさ、人のしんせつはありがたく受け取るもんだぞ」
 眉根を寄せる太助に、セイリオスは息を吐いた。
「お前らに、あいつがどんな善人に見えてるか知らないけどな」
 言いかけて、セイリオスはもう一度息を吐いた。確かに、言い方は悪かったかもしれないと思い直す。お頭や兄弟のような奴らがいたならば、きっと同じように注意されたに違いないのだ。
「……戻ったら、謝っとく」
 気に入らないけど、という言葉を飲み込んでおく。ぶす、としながらも言ったセイリオスに、太助は笑った。
 眺めていた村雨は、それじゃ、という風にセイリオスの肩を叩いた。
「おい、あんた付いてこい」
「はぁっ!?」
「荒事は得意じゃねぇんだ。あんたは、情報集めるの苦手だろ?」
 そう言われてしまえば、セイリオスに反論の余地はないわけで。変身は気合いがいるからと、変身を解いたタヌキ姿の太助を頭に乗せて、セイリオスは村雨と共に歩き出した。

「えーと、成り行き上引き留めちゃったけど、何かやりたいことあった?」
 赤沼が置いていった最中を頬張りながらトオルが言うと、ジナイーダは軽く首を振る。
「やらせようと思っていた事は、霧生がやってくれそうだからいい」
 それに少しばかり安堵したように笑って、トオルは再びジャーナルや新聞、映画などに目を通していく。
「そういえばさー、似たような連続殺人犯が居なかったっけ」
 ふと口を開くと、ジナイーダはそれに片眉を上げてみせる。トオルは皮肉げに笑った。
「ほら、警察署に電話して犯行を知らせた、気違いなヤツがいたじゃない。丸の上に十字の印を書いたさ」
「アメリカのサンフランシスコで起きた、ゾディアック事件の事か」
 煙草の煙を吐き出しながら言うと、トオルは頷く。
「なんで丸を描くのかなって思ってさ、そしたらなんとなくそれを思い出しちゃって。まぁ、今回の犯人は警察に電話とかしたわけじゃないし、単純に丸を書いてるっぽくしてるだけだし」
 それなら、とトオルはジャーナルを示す。
「こっちの方が、関係はありそうかな」
 それは、先月の記事である。連続放火事件で唯一死者を出した一件、その後幽霊として残ってしまった娘と飼い犬を浄化したというものだ。その際に、ここ一年間に起きた火事の記録があり、見れば北から銀幕市に向かって広がっているという。ジナイーダは細く煙を吐き出して、灰皿に押しつける。
「放火魔と殺人犯……か。接点は連続犯という事だけだな」
 ヘビースモーカーのジナイーダは、もう次の煙草に火を付けている。ロスマンズ・ロイヤルというイギリス煙草らしい味で、少々辛みがある。120mmという長さがジナイーダは気に入っていた。近頃にしては珍しい煙草を吸っているものだ、とトオルは思いながら、伸びをする。
「連続犯、かぁ。ああ、ゾディアックって連続殺人の代名詞になったっけ」

 その頃、村雨たちは襲われた男性宅を訪問していた。宅は佐伯が置いていった資料の中にあり、調べ回る必要もなかったのである。
 村雨が男と向かい合って座り、その後ろでセイリオスが壁により掛かって聞いている。太助はセイリオスの頭の上だ。
「覚えていること、っていっても……顔は、全然覚えていないんだ。確かに見たはずなんだけど、顔だけがぼんやりとしてしまって」
 青褪めた顔をして、男は身体を震わせた。おそらく、その後の惨状を思い出したのだろう。村雨は小さく頷いて、肩を叩いた。
「無理に思い出さなくていい。変わりと言っちゃなんだが、コイツを少し潜らせたいんだが」
 言って、村雨はぼんやりと揺らぐ魚を示した。男は眉を潜める。
「別に、悪いもんじゃねぇ。痛くもねぇ。あんたが無意識のうちに消そうとしちまっている記憶を、ちょいと見せて欲しいんだ。犯人を、捕まえるためにも」
 最後の言葉に、男は頷いたようだった。一つ息を吐いて、目を閉じる。村雨は氷魚と呼ばれるアヤカシの一種であるそれに力を注いだ。
 氷魚は、記憶を喰らって生きている魚のアヤカシである。普段は村雨の周りをぼんやりと揺らいでいるそれは、村雨の力と記憶を喰らうという性質とを利用して記憶を辿る事が出来る。また、氷魚に特定の記憶を食べさせる事で消去することも出来るのだ。
 村雨は男の記憶を辿っていく。
 村雨は疑問に思っている事がある。何故男性だけが気絶するのか。もしくは、男性しか気絶させられないのか。もしくは両方気絶させているが、女性だけ殺しているから気付かなかっただけなのか。どの段階で気絶させられているのか、それが解ればまた対処の仕方は変わってくるだろう。
 やがて、記憶は女性と二人で歩いているところに行き着いた。村雨はゆっくりと進行していく記憶を見ていた。
 夜だ。楽しそうに、微笑み合いながら二人は腕を組んで歩いている。女を家に送る途中なのだろうか、やがて二人は住宅街へと入っていった。他愛無い話に花を咲かせて、それでも彼女と共にいる至福の時なのだ。ふいにひたひたと足音がして、二人は振り返った。そこで男はギラギラと光る凶悪な刃と迫り来る恐ろしいものを見る。息を呑んだ次には、ただ白と女の悲鳴になり損ねた息が漏れる音が聞こえただけで、目の前が真っ暗になった。どれだけの時が過ぎたのか。何か生温いものを髪や頬に感じて、目を開く。投げ出された白い腕が見えて、飛び起きた。男は目を疑った。呼吸すら忘れて、男はそれを凝視していた。暗闇の中、人工的で無機質な白い外灯に照らされて浮かび上がったのは、真っ赤に染まった塊。顔すらも解らぬほどに切り刻まれ、めった刺しにされた、女の死体だった。
「…──っ!」
 村雨は荒い息を吐いて目を開いた。男もまた血の気の失せた顔で、肩で息をしている。村雨は頭を下げて礼を言い、それからすまない、と言って宅を出た。
「おい、何かわかったのか」
 逃げるように宅を出た村雨を追って、セイリオスが口を開く。村雨は額に浮かんだ汗を拭って、首を振る。なぜ、目撃者がいるにも関わらず、犯人が捕まらない理由はわかった。
「直接記憶を覗いたはずなのに、犯人には顔がなかった」
「はぁ?」
 顔がない人間がいるものか。不審そうに見ていると、村雨は息を吐いた。
「顔が解らないのは登録前のスターだからかと思ったんだが、そうじゃねぇみたいだな。犯人は記憶がいじれるのかもしれない。顔がぼやけちまって、わからねぇんだ」
 それに、太助が腕を組む。
「んじゃあ、スターの可能性が高いのか?」
「いや、それはわからん。だが、あの服装は……」
 村雨は少し考えるように言葉を切って、二人を見た。
「板前だと思う」
「いたまえぇ?」
 思い切り不審がる眼に、村雨は頭を掻いた。そう言われても、見えたものはそう見えたのだから仕方がない。
「寿司屋なんかで着るような、あんな感じの白い服だ。性別、年齢、身長はなんとなくだが、資料にあったぐらいで間違いないと思う。凶器もそうだ。それから、気絶する時、……そうだな、殴られた感じじゃあねぇ。何かに覆い被さられたような、そんな感じだ」
 見ると気絶する、というより、傍にいると気絶させられる、という方が正しいだろう。犯行現場を捕らえた、もしくは犯人と思しき男は残念ながら監視カメラでは見つける事が出来なかった。しかし、なんとなくの推測ではあるが、例えばカメラ越しに男を見たとして、気絶するような事はない気がする。ただ、女の方が気絶しているかどうかは、よくわからなかった。
「なぁ、犯人は刃物に魅入られてるって可能性はねぇかな?」
 太助の声に、村雨は振り仰いだ。セイリオスの頭に短い手をちょこんと乗せて、太助は続けた。
「リオネが言ってたんだろ、笑ってる顔が二つあったって。にこにこ笑ってるのと、しめしめ笑ってるの。犯人は殺す事に満足してて、刃物はそうやって操れる事を楽しんでるってことは、ねぇかな。ええとだから、にこにこ笑ってるのが犯人で、しめしめ笑ってるのが刃物ってことな」
 あの死体を見れば、そうかもしれない、と村雨は思った。あまりに無惨な姿だった。
 女性への何らかの感情。ジナイーダが言っていた事を思い出す。
「……男は、マジで眼中にねぇ、って感じだったな。女だけに、向かってった」
 あれを、どう表現したら伝わるのか、村雨は思い当たらなかった。
 村雨は見た目こそ十八歳頃だが、実年齢は百を数える。元々、少しばかり変わった高校生ではあった。しかし、ある時消えかけていた魚……氷魚と出会い、その身に宿した事がきっかけで、アヤカシに近くなってしまったのだ。魚を消して人の道を生きることも出来たが、村雨はアヤカシの生を選んだ。
 だから、生ける者として大抵の事には出会ってきている。それなのに、あの何とも形容しがたい狂気は、実際に経験してみないとできないだろうと、そう思った。
「とにかく、次の目撃者の所に行ってみよう。次の所はムービースターだから、また違う情報が得られるかもしれない」
 それに頷いて、セイリオスは村雨の後を追う。
「あのな」
 ぺしぺしとセイリオスの頭を叩いて、太助。首を軽く回して見上げると、太助は真剣な眼で深紅の瞳を覗き込んだ。
「もしもな、俺の予想が当たってた場合、絶対刃物に近付くなよ」
 無言で見返していると、太助はぎゅうと黒い髪を握りしめた。
「俺、ともだちを殴って止めたりしたくないぞ!」
 セイリオスは目を見開いた。ぽかんと黒い瞳を見上げて、それから笑い出した。
「な、なんだよ、俺、すっげー真面目に言ってんのに!」
「はっ……はは、いや、悪ぃ……まさか、そんな風に言われるとはな」
 なんだよもー、と太助はぺいぺいと頭を叩く。
 ──まさか、自分にそんな風に言うヤツが、この街にいるなんて、思わなかったんだ。
「わかった、近付かねぇよ」
 笑って、太助の頭をわしゃわしゃとかき混ぜた。

 陽が傾き始めた午後五時頃。会議室として使っているドアが開いて、トオルとジナイーダは顔を向けた。
「オカエリ、収穫は?」
 トオルが軽く言った。猟奇系統の映画を片端から見たが、これといったものは見つからなかったのだ。軽く伸びをして聞いたが、村雨たちは青い顔をして黙ってしまった。尋常じゃないそれに、ジナイーダは煙草をもみ消し、椅子から立つ。
「何があった」
 ただ一人、平然とした顔をしているセイリオスを見やると、セイリオスは口を開いた。
「ムービースターは襲われないって事が解っただけだ」
 それに、トオルも立ち上がる。
「なんだって?」
「ムービースターは、襲われない」
 村雨が唇を噛みしめ、太助はセイリオスの頭の上でうつむいた。

「どうしてだよ、なんでそんなに平然としていられんだ!」
 ムービースター宅へ行った時である。太助は思わずセイリオスに掴みかかった。セイリオスは淡々と言葉を続ける。
「凶器も残ってねぇのに、なんで凶器が解ったのか、わかんねぇのか?」
 言われて、村雨ははっとした。
「……死体が、残っていたから」
 それに、太助は呆然とする。セイリオスは頷いた。
「スターは死んだら、フィルムとかいうのになるんだろう」

 部屋がしんとする。
 トオルがジャーナルをめくり出した。紙をめくる音だけが、ただ響く。
「ある……あったはずだ、スターでも遺体が残っていた記事が」
「死んだ女たちのミモトは、わかってるんだろ。全員スターじゃない事は、確認済みってワケだ」
 トオルが唇を噛む。そしてはっと資料をめくりだした。被害者の名前。祠堂楓。 それと一致する、六月のジャーナルの記事。佐伯は、なんと言っていたか。
 ──くれぐれも『確保』してくれたまえ。
 ──ヤツは、我々が裁くべき、犯罪者だからね。
 彼が、しつこい程に言っていた言葉の意味が、今更ながらに理解できた。何故か自分が腹立たしくて、トオルは拳を握った。
 ジナイーダは眉根を寄せ、それから煙草に火を付けた。自分を落ち着かせるかのように、細く長く白い煙を吐き出す。
「……他に、解った事は?」
 絞り出すような声に、村雨が応えた。
「犯人がビデオに映っている様子は無い。目撃者たちの記憶を見て、犯人は板前のような服を着ている事が判明。身長・年齢・性別・凶器については、警察の資料通りで間違いないだろう。犯行現場は、いずれも見通しが悪い。気絶する条件は、犯人を見る事ではなく、近付く事にあると推測される。それから、太助の推察と、リオネに話を聞いて確信したのは」
 言葉を切って、二人の顔を見やる。
「犯人は、二人いる」
 二人が眼を細める。息を吐いて、トオルは椅子に座った。それに促されるように、村雨たちも椅子に座る。口を開いたのは、村雨だ。
「太助の推測は、犯人は刃物に魅入られているのではないか、という事だ。つまり、犯人は殺す事を楽しみ、刃物はそうやって操る事を楽しんでいる。そして、リオネが夢を見た時」
 小さな手でスカートを掴み、小刻みに震えている夢の神を、村雨は思い出す。
「二つの顔は、違うものだそうだ。だが、非常によく似ている。片方に、もう片方が似通ってきている、という感じらしい」
 ──リオネができるのは、ムービースターが関係してる事件を予知することだから。
「なるほど、太助クンの推理を当てはめれば、……まあ、包丁がスターかどうかは置いとくとしても、取り憑いている系統っていうのは、あながち外れていないかもね」
「だが、まだ解らないのは、もう一人の犯人がスターか否か、という事」
 それには、トオルが応えた。
「それは、捕まえてみなきゃわかんないねぇ。リオネクンが見る夢はムービースター関係の事件だけど、言い換えれば関係していれば見るって事、でしょ」
 村雨が頷く。
 ジジ、と煙草が焼ける音がする。再び細く長く息を吐いて、ジナイーダは立ち上がった。
「……ともかくも、ベイエリアの工業地帯に行こう。我々は、犯人を捕まえるために、いるのだから。罠を仕掛けるんだろう、先回りしないでどうする。太助、変身しておけよ」
 声に、太助は顔を上げる。でも、と口ごもって、うつむいた。ジナイーダはドアに手をかける。
「女性を狙う事に、変わりはない。どうやってスターとそうでないのを見分けているかは知らないが、気を反らす事ぐらい出来るかもしれない。女に変身する以外にも、何か考えていたのだろう」
 言われて、太助は口を一文字に引き結ぶ。セイリオスの肩を蹴って、くるりと回転して着地する。帽子を被った、ロングスカートの女の子が現れる。
 それに頷いて、ジナイーダはドアを開け放つ。
「行こう。新たな犠牲者が、出る前に」

 ◆ ◆ ◆

 日が暮れた、ベイエリア工業地帯、その倉庫群の一角。
 ジナイーダは自分の獲物を隠すために、薄手のロングコートを羽織って歩いていた。季節外れかもしれないと危惧したが、日が暮れてからは急激に気温が下がり、コートを着て丁度良い程度であった。その隣を、女の子に変身した太助が歩く。
 その、後ろを。
 ひたひたと追い掛ける、男が居た。
 警戒しているのも、スターだということも既にわかりきってしまっているのかもしれない。男は男はくつくつと笑みながら、歩いているのだった。
 それをカメラ越しに監視しているのは、トオルと村雨。別行動をするのなら、とジナイーダが渡した小型無線機で、カメラ越しの二人の声も届くようになっていた。ジナイーダと太助は無用なところで疑いをかけられぬようにと、傍受専用のイヤホンだけをしている。
 四人は、男に不信感を抱いていた。
 格好は、村雨が言う、白い板前のような服装である。手には、隠そうともしない、凶器。倉庫群からは既に人影は消え失せ、ただ三人だけが奇妙な距離感を持って歩き続けている。
 ジナイーダと太助が男の存在に気付いたのは、奇妙な会話が聞こえてきたからである。先に気付いたのは、太助だった。立ち止まって、内緒話をするようにジナイーダをしゃがませる。身長がまるで違うから、それは妹が姉に内緒話をしているように見えたかもしれない。
「……スター? なんだ、じゃあ別にしよう」
「……そう言って、あわよくば俺を乗っ取ろうってつもりかい?」
「……わかったよ、今まで楽しませてもらったからな」
「……そう、今回はおまえの言う事を聞いてやる」
「……俺から離れないでくれよ」
「……スターとはいえ、感触は俺の手に残るんだからな」
 奇妙な間と、男の声と。そこまで聞こえて、二人は再び歩きだした。トオル達が気付いたのは、その時だった。男はまるで唐突とも言える風に、忽然と姿を現したのだった。
 三人は、奇妙な距離感を持って歩き続ける。やがてジナイーダ達は、ある倉庫の中へ入っていった。男は少し考えるように立ち止まった。トオルは息を呑む。
 来い。来い。来てくれ。
 祈るように画面を食い入るように見つめている自分に気付いて、トオルは自嘲した。
 男が、動いた。倉庫の中へ、入っていく。トオルは村雨を振り返る。頷いて、村雨は麻酔銃を構えてそっと眼下を覗き込んだ。
 トオルたちがいるのは、ジナイーダ達が入ってきた倉庫の入り口の真上である。そこは複雑に足場が組まれた場所だった。セイリオスが勝手知ったる場所だから、と提案した所である。
 そこは、映画の撮影現場である。倉庫での決闘、ど派手な爆発。そう言ったものを撮影する場所であるらしい。セットとして組まれたそこはドラム缶やら梯子やら何やらが乱雑に置かれ、一見すればただの倉庫である。それを指摘すると、そういうセットなんだよ、とセイリオスは頭を掻いて言った。
 そのドラム缶の影に、ジナイーダと太助は身を隠す。丁度入り口がはっきりと見える場所があったのだ。それは、事前にチェック済みである。
 男が、暗い倉庫の中に足を踏み入れる。きらりと光るものが見えて、男は口端を大きく引きつり上げてそれに向かった。ギラギラと光るそれを振り上げ、振り下ろす。ガラスの割れる音が、倉庫内に響き渡った。男はつまらなそうに息を吐く。
 それは、トオルが置いた鏡である。傍にいることで気絶する、というのが村雨の言だったが、もしも犯人を「見る」ことで気絶するならば、自分の姿を見て気絶するのではないかと考えたのだ。しかしそれは効果はなかったらしい。
 村雨は、その背中に照準を合わせる。暗い中で、男はきょろきょろと辺りを見渡している。夜目は利かないのだろう。引き金に指をかける。
 途端。
 ぐわと男が振り返り、村雨は目を見開いた。
 あれだ。あの時の、あの感覚。
 歯を食いしばって、引き金を引く。ずんと頭が重くなって、目の前が霞む。抗いがたい暗闇が目の前を覆ってくる。唇を噛んだ。鉄の味が口の中に広がる。
 下で、出刃包丁を振り上げる男が見える。ジナイーダが、フランベルジェで男の凶刃を払いのける。凶器が手から離れた瞬間、太助の姿が一変した。足であったものはザワザワと鎌首を擡げる無数の蛇の群れへと変じ、男を雁字搦めに捕らえたのである。刃の方は、ジナイーダがフランベルジェを振り下ろして真っ二つに叩き斬った。男は狂ったように奇声を上げた。
 瞬間、倉庫が昼間のように明るくなった。セイリオスの炎である。村雨は唇を噛みしめ、弾を変える。霞む目の前を、黒い影が走るのを見た。引き金を引いた。乾いた音と、何か断末魔のような叫び。口端を持ち上げたところでぐいと後ろに引かれて、村雨は仰向けにひっくり返った。
「力仕事させないでよね、ボクは頭脳労働派なんだから」
 大げさとも言える程に肩で息をして、トオルは汗を拭った。どうやら本当に力仕事には向かないらしい。村雨は笑って、もう頭が重くない事に気付く。口端を拭ってトオルと二人、下へ降りていくと、太助がトオルが仕掛けたもう一つの罠に男を放り込んだところだった。
 鉄独特の高い音がして、男は檻の中で茫然自失としたように虚空を見つめているだけだった。

 ◆ ◆ ◆

 やがて工業地帯は騒がしくなった。パトカーの赤灯が暗い夜を照らしている。男は手錠をかけられ、警察官に言われるがままに大人しく従って、パトカーに乗り込む。女性警察官ばかりをよくぞここまで集めた、といった光景に、トオルは半ば呆れにも似たため息を吐いた。
「ご苦労だったね、君たち」
 眼鏡を押し上げながらやって来たのは、佐伯真一郎である。太助はじろりと佐伯を見やる。
「あのな、被害者たちがムービースターじゃなくって、元々ここに住んでる人たちってこと、なんでちゃんと教えてくれなかったんだよ」
 佐伯はさも驚いた、という風に肩を竦めた。
「私は警察官だよ、タヌキ耳のお嬢さん」
 トオルは奥歯を噛みしめた。
 一つ息を吐いて、佐伯は口を開く。
「お疲れの所すまないが、君たちが集めた情報、警察資料等を返してくれるかい。対策課にあるなら、送るけれど」
「ボクは先に帰るよ。犯人は捕まった事だしね」
 踵を返すトオルに、佐伯は小さく息を吐いた。
「仲村トオル君。私は、ミステリ・サスペンス映画が好きなんだ」
 声に少しだけ足を止めて、トオルは振り返る事もせずにそのまま夜の闇に溶けていった。

 ◆ ◆ ◆

 後日、村雨、ジナイーダ、太助、そしてセイリオスの四人は銀幕市警察署へと来ていた。トオルはどうやっても連絡が付かず、結果として四人だけが佐伯の元へと集まったのである。
 四人が案内されて行った場所は、本来ならば関係者以外立ち入り禁止の区域だろう。四角いガラスはマジックミラーであるらしい。その向こうには、痩せこけて眼だけが胡乱に飛び出している切裂きジャックが座っている。佐伯は村雨たちを監視室の方へ案内してから、男の前に座った。
 佐伯がする質問に、男は従順に応えているように見えた。
「では次だ。何故、女性を選んで殺害した」
 声に、男はぎょろりとその眼を持ち上げた。男の口端が歪む。
「肉を切る瞬間、あんたは快感を覚えた事はないかい」
 佐伯は肩を竦めてみせる。くつくつと笑って、男は背もたれに寄りかかった。椅子が軋む。
「肉を前に、包丁を翳す。これと決めた場所に、すぅっと包丁が入っていく。とても気持ちが良いと思わないかい。俺は、それで板前になった」
 男は身を乗り出して、口の前で手を組んだ。
「料理人ってのは、あらゆる肉を切り分けるエキスパートだ。最も、俺の専門は魚だけどな。だが、試した事がないものがある。それは、なんだと思う?」
「さて、なんだろうね」
 佐伯に、男はくつくつと笑った。それから、にぃ、と口端を釣り上げる。
「人間だよ。人間の肉は、切った事がない。さて、人間の肉はどうなんだろうな? 手は料理人の命、流石に切るわけにはいかない。それじゃあと足を切ってみた。だが、どうも男は駄目だ」
 言いながら、男はズボンの裾を捲って見せた。そこには、刃物で切られたと思われる跡がはっきりと残っていた。裾を直して、男は続ける。
「それで、女を切ってみた。初めは公園にいた女の子だったかな。ちょっと腕を切らせて貰ったんだよ。そうしたら、どうだ。手に吸い付く肌の感触、刃の入る感触……これだと思ったね。あんまり泣くんで親が来ちまって、その時はそれで終わりにしたが」
 男は残念そうに息を吐いた。
「成程、君の趣向はわかった」
 それに、男はげらげらと笑い出した。
「わかった! わかっただと? はは、綺麗な顔のおまわりさんよ、あんたはわかっちゃいないよ、あんた、人殺した事ないだろう?」
「君は私をなんだと思っているのだね。君の言う、おまわりさんだよ」
 返すと、男はさらに笑う。
「そりゃそうだ、おまわりさんが人を殺しちゃっちゃあ、本末転倒だ」
 一通り笑って、男は笑みを引っ込めた。
「なあ、おまわりさんよ、この銀幕市ってぇのは、おかしいと思わないのかい」
「さて、どこがおかしいかな」
 男は大仰に腕を振って見せた。
「あちこちさ! ムービースターとかいうのが闊歩し、エキストラは何をしているんだ!」
 男は立ち上がる。
「エキストラはエキストラらしく、画面の端っこにいるしかないのか? そうじゃないだろう! それじゃあダメだ。忘れているじゃあないか」
 佐伯は黙って聞いていた。男は声を張り上げる。
「なあ、おかしいだろう。忘れられちゃあ、困るんだよ。あんた、警察官ならわかるだろ? 毎日テレビ見てるだろ? 新聞も読むだろ? 世の中、毎日血みどろなのに、この銀幕市だけ妙に小綺麗だ。忘れているからさ、この俺を!」
 男は口端を釣り上げて笑った。
「俺みたいなヤツを忘れてる、この街は腐ってる! 夢の街? くそ喰らえだ! だから俺が現実に戻してやるのさ! 非日常を受け入れちまったら、この街はとうとう終わりだ! だから俺が思い出させてやるんだ、俺はエキストラだからな!」
 言い切って、男は椅子に腰掛けた。肩で息をして、息を整える。やがて男は身を乗り出し、口の前で手を組んだ。
「俺はね、おまわりさん。初めはこんな事考える男じゃなかったんだ。怖かった。センセイはよく相談に乗ってくれてな、ずっと馬鹿しちゃいけねぇと思ってた。だが、俺はアイツと出会ったのさ。それが、俺を駆り立てた」
「アイツとは、誰だね」
 飛び出した目玉に、異様な光が宿る。
「アイツは、鉄砲を持ってたヤツに粉々にされちまった。俺から離れて、自分だけ逃げようとした罰さ。いい気味だ」
 くつくつと笑う男に、佐伯はもう一度同じ質問をする。
「アイツとは、誰だね」
 男は机に乗り出して、大真面目な顔で言った。
「──悪魔だよ」
 言って、男はゲラゲラと大声で笑い出した。腹を抱え、机を拳で叩き、床を蹴飛ばした。
 佐伯は笑い続ける男をしばらく眺めていたが、やがて軽く頭を振ってその部屋を出た。男の声は、廊下まで響き渡っている。
 隣の部屋から、村雨たちも出てきた。
「佐伯、さん。あいつは」
「聞いての通り、エキストラさ。片割れはスターだったようだが、どうやら君が粉々にしてしまったようだね」
 村雨は思わず俯いた。あの時は必死で、ただよくないものが向かってきた、と思ったのだ。
 その肩を叩いて、佐伯は眼鏡を押し上げる。
「今日、君たちを呼んだのは、彼の事は、協力者たる君たちには伝えるべきだと思ったからだ。良い思いは、しなかっただろうがね」
 佐伯は太助を見やる。太助は視線に気付いて、それからふいと目を反らした。
 それに小さく息を吐いて、ともかくも、と佐伯は四人を見渡す。
「諸君の協力に感謝する。お陰で犯人は捕まえられた。ありがとう。……仲村君にも、もし会えたならば伝えてくれたまえ」
 頷いて、四人は佐伯に連れられて警察署を出た。
 空には鱗雲が流れている。

クリエイターコメントこの度は、キャンペーンシナリオ【Zodiac】第一話に参加いただき、誠にありがとうございました。
木原雨月です。

情報の出し方がまずかったかな、と反省しつつ、お届けします。
口調や呼び方など、何かお気づきの点がございましたら遠慮なさらずにご連絡くださいませ。
それではまた、何処かで。
公開日時2008-10-28(火) 19:10
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