★ 【崩壊狂詩曲】天空の贄を見よ Vol.2 ―SAYURI― ★
<オープニング>

 なんという歌声。
 神が愛でるあまりに、彼をさらい、天上へ連れていきはせぬかと思うほどの。
 赦しの木漏れ日、癒しの羽毛が、虹の旋律となってその場を満たしていく。
 心地よい響きは大いなる翼を得て、青空に溶け、太陽と同化する。
 ――来てよかった。
 神音の屋外コンサートに招待を受けたSAYURIは、最前列で耳を傾けていた。
 酔いしれるままに時は過ぎていく。
 秋空の色が次第に濃度を増し、しずしずと夕闇へ変わっていくことにも気づかぬほどに。

 FahrenSire,Fahren Sirene Vidare Je Nahme.
(愛しい人よ、あなたはどこに)
 FahrenSire,Fahren Sirene Ahdal Je Nahme.
(愛しい人よ、あなたは誰)
 Nahme Je Il Signowerta,Da Ar Rila Nieme.
(あなたが沈黙だとしても私はあなたを愛する)
 Tiera! Nahme Je Che Fosteallia Re Che Grouvia,Da Ar Rila Nieme.
(そう、あなたが終焉だとしても)
 Ar Rila Nieme,Zare Arle,"Ar Rila Nieme Un Ar Theche Nieme Yelt Rilate."
(私に愛を教えたあなたを)

 ――ソリティア・ウィステリアの献身。
 今、歌われている曲はSAYURIにとっても印象的な、ある映画のテーマだった。
 孤独な“知の魔王”リアティアヴィオラと、誇り高く誠実な“黒の勇者”ジグノヴェルトの戦い――公開されてから何年も経っているはずなのに、まざまざと映像が蘇るのは、他ならぬ語り部を演じた神音の歌声のちからだろうか。
 たゆとう響きに、浮かぶ物語に、SAYURIは身をゆだねる。
 常に何かに挑んでいるごとく、強い意思がきらめく女優の瞳が、つかのま閉じられたとき――

 仕掛けられていた罠が、牙を剥いた。
 邪悪な神の手が、パンドラの箱を無理にこじ開け、「希望」を逃がす。

 制服姿の少女がゆらりと立ち上がったことに、気を止めるものはいなかった。
「始末、しなくちゃ……」
 そう呟いた彼女の手から本が滑り落ち、代わりに1本のナイフが握られたことにも。
「あたしを殺さないで……」
 レディMに似た金の髪の女に背後から近づいて、そのナイフを振り上げたことにも。
「殺さないで殺さないで殺さないで――っ!」
 ステージに設置されていた巨大モニタが観客席を映しだすまでは。

 鮮やかな血飛沫が、悲鳴とともに巻き上がる。
 華やかで美しい女は少女の手で切り裂かれ、血まみれのプレミアフィルムに変わる。
 高性能のモニタは残酷な鮮明さで、一部始終を伝えた。
 駆けつけた警備員とスタッフが、少女を取り押さえ、連れ去ったところまで。

  ★ ★ ★

 あの少女は、どうなるのだろう。
 中央病院で眠っている、愛しいのぞみと同じ年頃のあの子は。
 誰かに、裁かれるのだろうか。でも……誰に?

 SAYURIは、昴神社に出向いた。
 コンサート会場から帰る、その足で。
「あなたのいったとおりかも知れないわ、昴さん。わたしの罪は、赦されない」

  ★ ★ ★

「SAYURIさんが、ホテルに戻っていないようなんです。コンサートはとうに終わったと聞いたのですが」
 ラベンダーの花束を抱えたまま、対策課に異変を伝えたのはユダ神父だった。
「今日のバスタイムに使いたいから、摘みたてを届けて頂戴と頼まれまして。気まぐれなところのあるひとなので、そういう気分ではなくなったのならかまわないのですが……胸騒ぎがして」
 以前の私のようになっているのではないかと、ユダ神父は懸念を口にする。
「昴神社を調べて頂ければと思うのですけれど、なにぶんにも危険ですので」
 もし、向かってくださるかたがいらっしゃれば、事前に教会へお越しくださるようお伝えください。
 なにがしかの、お力になれればと思います。
 ――そう、付け加えて。
  
  ★ ★ ★

 "Your children are not your children. They are the sons and daughters of Life's longing for itself."
「あなたの子どもは、あなたの子ではない。生そのものが自らを渇望する、その渇望の息子であり娘であるのだ」 
                          ――ハリール・ジブラーン

種別名シナリオ 管理番号783
クリエイター神無月まりばな(wwyt8985)
クリエイターコメントなっんと、この度、高槻ひかるWR、犬井ハクWRの胸をがっつりお借りする機会に恵まれまして、3名によるコラボ企画とあいなりました。
皆様もびっくりでしょうが、私もびっくりです。

シリーズ2回目でもあるこのシナリオのテーマは、前回と同じです。
過剰な「罪の意識」に囚われた誰かが、自らを裁いてしまう悲劇を扱います。
前シナリオにおいてご尽力くださったかたがたのおかげで、ユダ神父は生きることを選択したのですが、今回、罪悪感の罠に囚われてしまったのは、皮肉にもユダの救出を求めたSAYURIです。

どうやら昴神社に関わると、PCさまの「罪の意識」が増幅する危険があるようです。
もし宜しければ、出発前に聖ユダ教会にお越しください。
何か心の整理をしておきたいことがらや、過去のとても苦しかった出来事、あるいは、増幅されたら辛いかもしれない、他人にとってはささやかでもご自身には罪と思われる気がかり、そういったものをお持ちでしたら、ユダ神父が個別にお聞きします。
ユダは、内容によっては助言のようなものができるかも知れません。
できないかも、知れません。
また、その必要がないと思われたかたは、教会にお寄りいただかなくともかまいません。
影ながら、祈らせていただきます。

SAYURIに対してどう思い、どう対処するかは、皆様のご判断におまかせいたします。

*お願いとご注意点*
今回の3シナリオはすべて、同時系列による事件でございます。
同一PC様による複数参加はご遠慮くださいませ。
また、募集期間も短めの4日間となっておりますゆえ、よろしくお願いいたします。

それでは、対策課にて、ご尽力くだるかたをお待ちしております。

参加者
リゲイル・ジブリール(crxf2442) ムービーファン 女 15歳 お嬢様
ルースフィアン・スノウィス(cufw8068) ムービースター 男 14歳 若き革命家
太助(czyt9111) ムービースター 男 10歳 タヌキ少年
ギリアム・フーパー(cywr8330) ムービーファン 男 36歳 俳優
西村(cvny1597) ムービースター 女 25歳 おしまいを告げるひと
近衛 佳織(ctfb9017) ムービースター 女 15歳 魔女・侍
吾妻 宗主(cvsn1152) ムービーファン 男 28歳 美大生
<ノベル>

ACT.1★夢の神を呪いしは――

 肌に痛いほど、夕暮れ時の空気は澄んでいる。
 秋と冬の狭間を象徴する高い空は暮れなずみ、紅葉の始まった杵間連山が彩る。
 茜色の空の下、黒髪を靡かせて、鴉を連れた死神は走っていた。

 カァ。カアァーー!

 鴉が羽ばたくたびに、闇に染まった羽根が降りこぼれる。
 大ぶりの筆を勢いよく振るった墨跡のように、ふたつの影は疾走を続ける。
 急ぐ。いそぐ。
 昴神社へ。
 詳しい事情を西村は、知らない。
 市役所に足を踏み入れ、遠くから耳にしただけだ。
 ユダ神父が植村に話した、ほんの最初のあたりを。
(SAYURIさん、が……囚われ…た)
 ただその想いが、西村の心を占めている。
(助けー、なく…ては)

 急ぐ。いそぐ。
 誰にも気づかれないままに。
 行く手に待ち受けているものが、臓腑をえぐる罠だとしても。
 永劫の時の中、地獄ならばいくらでも見てきたのだから。

  ★ ★ ★  

 聖ユダ教会の赤煉瓦は未だ火事の爪痕を残しているという。つるばらの焦げ跡は痛々しいが、しかしそれは「取り戻せる」範疇のことであるのだと、吾妻宗主はあるムービーファンから聞いていた。
 宗主とは実の弟のように親しい交流を持つその青年は、自らが関わったその事件と、また、調べた範疇において、今回の顛末は昴宮司が連れていた異様な色のバッキーに起因すると特定していた。あのバッキーは宮司を操り、人々の『罪の意識』を増幅させているのだと。
 そして、『神』に関する符丁が多すぎて不愉快だ、とも。
 ならば、宗主が偶然出向いた『対策課』で、当のユダ神父がSAUIRI失踪の報を告げる場に居合わせたのも、何かの符丁だろうか。
「SAYURIさんが戻らないなんて、ただごとじゃないですね。俺、お手伝いしますよ」
「ぴゅあいあー」
 やわらかな口調で話しかけてきた宗主と、肩のうえでぴっと片手を上げたピュアスノーのバッキーに、ユダは目を見張り、次いで破顔する。
「ありがとうございます。吾妻宗主さんと、そちらは、ラダさん」
「あれ? 俺の名を? ラダのことまで。初対面ですよね?」
「以前、SAYURIさんが話してくださったことがありまして、一方的に存じ上げています。歓迎パーティでお話がはずんだことや、ベイサイドホテルのスイートルームで開催したお花見にご参加くださったことなどを」
「ああ、綺羅の宴。すごく懐かしい感じだな。まだあれから1年半くらいしか経ってないのか。あのとき俺、花魁『銀蘭太夫』になって、花魁姿のSAYURIさんと剣の手合わせをして――禿ふたりと花魁道中もしましたっけ」
 束の間、宗主は想いを馳せる。
 桜のムービーハザードの下での、宴だった。どこまでが夢でどこまでがうつつだったのかさえも判然としない、幻惑に満ちた光景。
 桜吹雪が渦を巻く中、ふたりの禿はSAYURIを見やり、消え去る間際にこう言った。

 ――皆様、どうか、その方をお願いしんす。
 ――哀しい演技を、今も続けてありんす、その方を。

「あのときは『哀しい演技』が何のことだかわからなかったけど、今思えば、のぞみちゃんに関してのことだったんですね。心配だったに違いないのに、それをおもてには出さないで、華やかで気まぐれな大女優としてふるまっていた」
「のぞみさんの病気について詳しいことは、ごく最近まで私も聞かされていませんでした。弱みなどないように見えるSAYURIさんの、聖域にも似た弱点がのぞみさんだったのでしょう」
「かなり危険ですね。のぞみちゃんに対しての負い目がSAYURIさんの罪の意識で、それを今、過剰にかきたてられているのだとしたら」
 すぐに昴神社に向かいます、と宗主は言い、同時にラダも、ぴゆあ、と、胸を叩く仕草をする。
 微笑んで礼を述べながら、しかし神父は気遣わしげに宗主を見た。
「宮司と相対すると、あなたの罪の意識も増大してしまいます。もし気がかりをお持ちであれば、いったん教会でお聞きいたしますが」
「うーん。そこまでしてもらわなくてもいいかなぁ。昔、父親と揉めて、この父親がまた無茶で豪快な提案をして、俺は死線すれすれで身体に熱鉄線の傷を作ったりもしましたけど。それは罪って感覚じゃないんですよね」
 宗主はゆっくりと首を横に振る。凄惨な過去を乗り越えた者特有の、色香さえ漂う静謐さで。
「理解を得られなかったのが不愉快で悲しかったから、自分の意志を貫くことにした。それだけです。愚かだと言われようと、俺は夢を追いたかったんです」
「明快ですね。吾妻さんなら大丈夫でしょう」
 ユダは頷いて、ラベンダーの花束を宗主に託す。
「お荷物になって申し訳ありませんが、SAYURIさんに会えましたら、あなたの手でこれをお渡しください」
「わかりました。『遅いわよ、もう、バスタイムに間に合わないじゃない!』って怒られてきます」
「……どうか、よろしくお願いします。くれぐれもお気をつけて」
 深々と頭を下げる神父に一礼し、宗主は歩き出す。
「SAYURIさんもたぶん、夢を追うひとなんでしょう。俺は、夢そのものを実体化させたようなこの街がとても好きです」
 そう呟いて。

  ★ ★ ★

「美原のぞみさんがSAYURIさんの実の娘だというのは本当でしょうか? そして、編集長はそれをご存じだったのですか?」
 ルースフィアン・スノウィスは銀幕ジャーナル編集部にいた。
 面会を申し込まれた盾崎時雄は、乱雑に資料が積まれたデスクを申し訳程度に片づけて、少年と向かい合う。
 すべらかな雪花石膏の頬に、新雪のかがやきを持つ髪をはらりと散らし、ルースフィアンはかくも深い青の瞳を盾崎に向ける。
 白く透きとおった彫刻のような少年と、たった今、記者渾身の原稿をボツにして破り捨て、何本目かの煙草をねじり消した鬼編集長が向かい合うさまは、それ自体が不思議な物語のようだ。
 ルースフィアンもまた、対策課で直接ユダ神父から概要を聞いたひとりである。だが、あえて教会には寄らない旨を告げ、ここに来たのだ。神父さんのお手をわずらわせるのも申し訳ないので、と、言い添えて。
 ルースフィアンに教会で語るべきエピソードがなかったわけではない。
 たとえば、実の両親を殺めたこと。
 義父母を、殺めたこと。
 どちらもこの手で行ったことだ。自分の判断と責任に於いて。
 しかし――何をもって罪と呼ぶのか。
 そしてそれに拘泥するのか。
 その基準は、環境にも内因にも左右される。
 もしも今、昴宮司に対峙したならば、それを罪と感じ、少しはちくりと胸が痛むかも知れない。
 だが、たぶん、それで済む。
 さまざまな感情を乗り越えて、ここにいるのだから。
「少し調べればわかることだからな。しかし本来、オープンにする筋合いでもないだろう」
 少年のたぐいまれな美しさに気を遣うでもなく、盾崎は新米記者に対するような無骨な調子で答える。
「では、事実なのですね」
「事情が事情だから公開しないわけにはいかなくなったが、これはSAYURIのプライバシーであり、美原のぞみは個人情報を保護されるべき一般人で、しかも未成年の難病患者だ」
「賢明な対応だと思います。こちらの世界の表現にならうなら、情報公開することだけがジャーナリズムの使命ではありませんから。ところで」
 ルースフィアンも事務的に返し、編集部の資料棚から抜き出してきたバックナンバーを銀幕ジャーナルのバックナンバーを広げ、当該ページを指し示す。
「先日の、聖ユダ教会炎上事件と神父の自殺未遂についての記事ですが、このセルリアンブルーのバッキーについてどう思われます?」
「そう思うも何も、あからさまに怪しいだろう、それは」
「同感です。このバッキーが昴宮司の精神を乗っ取って操っているのだと思いますね。7人の巫女さんがプレアデス星団の名を割り振られているので少し混乱しますが、こちらのほうは乗っ取られた宮司が、二次的に巫女さんたちを洗脳したと考えてよいでしょう」
「そうだな。たしか巫女のひとりの……」
 言いかけた盾崎の言葉を、新たな面会者が引き取る。
「エレクトラ」
 ルースフィアンと同様に、教会へ向かうことを固辞した近衛佳織だった。
 対策課で話を聞くなり、編集部まで箒に横座りして飛んできたため、移動は早かった。 
「エレクトラと呼ばれていた月由えりかが本名での呼びかけに動揺したことから考えて、巫女たちの洗脳は比較的弱い。彼女たちのほうは、直接青いバッキーに操られているわけではなくて、宮司にそれぞれの罪を把握され、支配されているのだろう。どいつもこいつも罪だの罰だの、忙しいことだ」 
 黒い三角帽子に手を添え、揺るぎない口調で断言する。
 罪というものには実態がない。それが佳織の考えである。
 罪は、それが罪であると認識するところから始まる。
 過去に縛られるくらいなら、未来への希望を掴み取るべきだと思う。だから佳織は、教会へは行かなかったのだ。
「アロイスの次はSAYURIか。青いバッキーはまるで、映画関係者に恨みでもあるみたいだね」
 資料棚から、快活な男の声が聞こえてきた。珍しいことに、ロイ・スパークランドである。
 意外なものを見た、という風な佳織の視線を受け、ロイは照れくさそうに頭を掻く。
「ボクだってSAYURIが心配なんだよ。もちろん銀幕市のことも。このシティに脅威を及ぼしている存在が『神』を名乗っているとしたら、昴宮司を操っているのはさしずめAtlasかな? ボクたちが知っている神話の登場人物とは似て非なるモノだろけど」
「――アトラース」
 佳織は復唱する。
「昼と夜の間で天空を支える巨人と同じ名の、邪(よこしま)な何かということか。大女優を篭絡して三文芝居を演じさせるとは小賢しくも無骨なことだ。あの【赤い本】をばらまいたもののような周到さもなさそうだな」
 ちらりとロイと、そして盾崎を見て、魔女は予言のように言い放つ。
「この街は映画関係者だらけだ。おまえたちも例外ではない。気をつけろ」

ACT.2★中庭のマドニーナ

 聖ユダ教会を、夕日が染めている。
 杵間山のイロハモミジとドウダンツツジが、鮮やかな赤と黄をその背後に添える。まるで失われたつるばらの代わりとでもいうように。
 この時間は同様に、杵間山麓に立つ昴神社も、赤い夕日と豊かな紅葉を纏っているはずだ。
 夢に呪われたこの街の、そこここに悲劇の枝は伸ばされ、鮮血の葉は散らされているけれど。
 ――それでも。
 今日もまた、世界は泣きたいほどに美しい。

 リゲイル・ジブリールは、神父は今、協力者への助言のため教会で待機していると説明を受け、駆けてきた。
 知り得たばかりの事実と、「あのとき」蘇った記憶に震える足を叱咤しながら。
 この街からも、この世界からも、母親のあたたかな腕からも遮断され、眠り続けている少女のために。

「神父様。わたし、すごく吃驚しました。SAYURIさんがのぞみちゃんのお母さんだったなんて……」
 見開かれた青い瞳に、紅葉が映し込まれる。真珠の頬は青ざめ、動揺と憔悴をたたえている。
「SAYURIさんを一刻も早く救出するべきなのは、わかります。だけど……、だけど……その前に……、わたし、理解できないんです。市長さんとSAYURIさんが元はご夫婦で、のぞみちゃんと親子だったとか、そんなことより、こんな近くにいるのに、どうしてのぞみちゃんをひとりぼっちにしておくのかって……」
「リゲイルさん」
「のぞみちゃんはたったひとりで、病院のベッドで眠ってるのに! SAYURIさんは銀幕市に来てすぐに、華やかな歓迎パーティーを開いてもらったり、ホテルで暮らして本田さんに色々とわがままを言ったり、バスタイムに使うラベンダーを神父様に届けさせたり、楽しんでるように見える」
「……リゲイルさん」
「こういう言いかた、よくないのかも知れないけど、本当は娘のことなんてどうでもいいんじゃないの。なぜ、『どうしてわたしだけ』なんて思いを娘にさせてしまうの……。のぞみちゃんが可愛いなら、愛しているのなら、そばにいてあげればいいのに……」
 教会の入り口に立ったまま赤毛の少女は話し続けていたが、やがて感情の噴出に耐えかね、両手で顔を覆った。
「ごめんなさい。わたし、いやな子かも。そういうのはSAYURIさん本人がいちばんわかってて、だから罪の意識に囚われたんだと思うのに。SAYURIさん、あのセルリアンブルーのバッキーの影響で、つらいことを思い出したり、必要以上に自分を責めたりしてるんですよね……、情緒不安定なときに誰かにこんなこと言われたら死にたくなっちゃうよね……」
「あなたはとても思いやり深いかたですね。ご自分のことは後回しにしていらっしゃる」
 じっと聞いていたユダは、リゲイルの肩にそっと手を添える。
「あの後、太助さんが教えてくださいました。私が教会に火を放った折、あなたと西村さんが、昴宮司と巫女たちを追いかけ、問いつめたことを」
 そのときにあなたもまた、当時の私や今のSAYURIさんほどではないにせよ、罪の意識を増幅させられ、辛い過去を思い出されたのではありませんか……?
 リゲイルはびくりとし、顔を覆ったまま、ゆっくりと肯く。
「少しお話をしましょう。どうぞ、こちらへ」 
 ユダはリゲイルに、礼拝堂でもなく信徒用の告解室でもない場所を指し示した。

 ――列柱に囲まれた中庭である。

 庭の中央には、12角形の台座と12角形の屋根を12本の柱で支えたモニュメントがあった。
 東屋のように小さな建物には、幼子を抱いた聖母マリアのフレスコ画が飾られている。石の床は美しいモザイクがあしらわれていた。
「……マドニーナ」
 それが、ヨーロッパの古い街でよく見かける「街角のマリア」の一種であることにリゲイルは気づく。祝別されたうえで、ここに設置されたのだろう。
「教会を現しているんですね。屋根の12は天の教会。台座の12は地上の教会。床のモザイクはアベ・マリス・ステラ(海の星)」
「はい。実はこれは、さして古いものではないのです。先代の神父のときにSAYURIさんのご寄付により置かれました。彼女は高額の寄付とマドニーナ設置の理由を『気まぐれ』だと仰ったそうですけどね」
「SAYURIさんが……」
「そもそもSAYURIさんが銀幕市に来たのは、昏睡状態に陥ったのぞみさんを見舞うためなのです。人目につかないようにして銀幕市立中央病院をよく訪ねていることは、ドクターDがご存じのはずです。ホテル暮らしが長引いているので、そろそろ住居の購入も検討しているようでした。のぞみさんが目覚めるまでは、ハリウッドに戻るつもりはないのでしょう」
「わたし、SAYURIさんはのぞみちゃんの存在を世間から隠しているんだと思って、それで」
「ご本人としては特に伏せるつもりもなかったようです。SAYURIさんくらいになりますと、さしたるマイナスイメージでもありませんので。ですが、ことさらに騒ぎ立てられるのは避けたかったでしょうし、マスコミや事情を知る人々も、のぞみさんが難病であることに配慮したのですね」
「……だから、盾崎編集長も今まで記事にはしなかったし、ロイ監督やベイサイドホテルの支配人さんは『気まぐれ』な大女優の歓迎パーティを開いたりしたのね……」
 リゲイルは涙を浮かべた瞳を、聖母子のフレスコ画に向ける。
「神父様。わたし5歳のとき、両親を亡くしたんです。具体的なことは全然覚えてなくって……、誰も教えてくれないし……、ただ、お腹に傷跡があるから、これって何か関係があるんだろうなとは思ってて」
 赤いミニドレスの上から左脇腹を押さえ、少女は呟く。
「両親は強盗に殺されたんだって、知らされました。使用人のひとりが口を滑らせたんです。13歳になったばかりのころで、そのときからずっと」
 リゲイルはずっと罪悪感を抱いていたのだと言った。自分だけが、生き残ったことに――
「だって強盗が両親とわたしを撃ったのだとしたら、わたしも死んでなくちゃおかしいもの。わたしひとり生き残ったのはふたりが庇ってくれたからじゃないかって、わたしを助けるために、ふたりは殺されたんじゃないかって」
「昴宮司に対峙したとき、当時の記憶が蘇った……?」
 心配そうに問われ、リゲイルはかぶりを振る。
「思い出したわけじゃないんです。ただ『お前を庇って両親は死んだんだ』っていう声が、どこからか聞こえてきたの」
「それはさぞ――おつらかったでしょう」
「……ううん。誰にも相談できないことだから、神父様に聞いてほしかっただけ」
 涙をぬぐい、笑みさえも浮かべたリゲイルに、ユダは頷きを返す。
「リゲイルさんのつらさを救える言葉を私は持ちません。ですがおそらくご両親は、大切な娘さんが生き残ってくれたことを感謝なさっていると思います」
「わたし、小さいころに死に別れたせいか、お母さんって綺麗で優しくていつも一緒にいてくれるひと、みたいなイメージしかないから、SAYURIさんにもそうあってほしいって思いこんでるのかな。……今、SAYURIさんに会ったらやっぱり文句いっちゃうかもしれない。もっとのぞみちゃんのこと考えてよって。それって逆効果ですよね?」
「SAYURIさんは気丈で誇り高いひとですが、現在の心理状態が掴めないので、呼びかけによる自己回復がどこまで可能か判断が難しいところではありますね。敵は邪悪で狡猾なようですし――さて」
 どうしたものでしょう、と、ユダは腕を組む。思案してのち、腕組みを解いて微笑んだ。
「神父にあるまじき発言で恐縮ですが、こちらも少々、狡猾になりましょうか?」
「ええ?」
 目を丸くするリゲイルに、神父は声音を落とす。
「つきましてはリゲイルさんに、ひとつご提案が」
「わたしにできることですか?」
「はい。あなただからこそ、可能なことです」

  ★ ★ ★

 がんばります! と元気に宣言し、リゲイルは携帯をにぎりしめて駆けだした。
 その背を見送ってから、ギリアム・フーパーは中庭に足を踏み入れる。
 程よい信仰心を持つクリスチャンである彼は、今までひとり礼拝堂にいて、慣れた調子で祈りを捧げていた。ころやよしと、マドニーナ前に移動することにしたのである。
「やあ神父様。赤毛の美少女とわるだくみの打ち合わせなんて、隅に置けないね」
 軽く片手を挙げ、気さくに笑いかけるハリウッドスターに、ユダは微苦笑で答える。
 かつてアロイス・デュンケルであったころ、ギリアムとは何度か共演したことがあり、知らぬ仲ではなかったのだ。
「人聞きの悪いことを。……3年ぶりですね。ご無沙汰しております」
「まったくだよ。何という神の試練だろう、アロイスの凄みのある悪役っぷりを拝めなくなるなんて! おっと、もうこう呼んじゃいけないのかな?」
「かまいませんよ。その名で生きてきた軌跡もまた事実ですので。ギル――まだ、こう呼んでもよろしいでしょうか?」
「もちろんかまわないとも。正直、きみが神父服を着ていることにまだ馴染めないな」
「あまり、似合ってないでしょう? 私もあなたに相対すると、美女の生皮をコレクションした猟奇殺人者として銃弾を受けなければならない気持ちになります」
「そんなこともあったね。きみの出演作としては珍しい現代物のアクションで、いい演技だった。きみはいつも、洗練された嘘をついていた」
「あなたにそう仰っていただけると、少し安心します。あの日々は無駄ではなかったのだと。……ときに、奥様はお元気ですか? よろしければ日曜のミサにご夫婦でおいでくださればうれしいのですが」
 聖ユダ教会のミサは、毎週日曜日の朝10:30から行われる。どこかのスーパーのタイムセールときっちりバッティングしてしまい、銀幕市の善意あふるる奥様がたはたいてい、聖体拝領よりは世俗の特売品を選んでしまうという事情がある。
 我が愛する妻がどちらを選ぶかについては言葉を濁し、ギリアムは天を仰いだ。
「ジーザス! いきなり神父モードかい? そうそう、昴神社へSAYURIを助けに行く前に、きみに告解をしたほうがいいんだったね?」
「お祈りを済ませられたのですからその必要はないような気もしますが、もし何か、懸念などありましたら――」
「善良に生きてきたつもりなのでね。罪というものには縁がないはずだが」
 慎重に言葉を選びながら、ギリアムもまたフレスコ画を見やる。
「強いて言えば、プロフェッショナルでいつづける覚悟を決めたうえで家族を養っていることかな。おそらくSAYURIもそうだろうから、その懊悩が俺には理解できる。家族と仕事のどちらかを選べと問われれば、俺は仕事を選ぶかもしれない」
 だけどそれが罪かどうかは、天におわす主以外のものが決めることじゃないよ、と、ハリウッドスターは肩をすくめる。
「いかにも、あなたらしいですね。そういえば、SAYURIさんの失踪が表沙汰にならないよう、尽力くださったかたがいると植村さんからお聞きしました。秘密裏に手を回してくださったのですね。ありがとうございます」
「SAYURIの動向は世界中が注目してるからね。こんなことで大輪のカトレアに影を落としてはならないと思っただけさ。俺はまだ一度もSAYURIと共演したことがないんだよ? それどころかSAYURIと一緒にコンサートにも行きそびれた。せっかくお誘いがあったのに」
「それではあなたのもとにも、神音さんのコンサートの招待状は届いていたのですね?」
「まあね。都合が合わなくて応じなかったのは良かったのか悪かったのか。SAYURIをエスコートできていれば違う展開になったかもしれないが――」
「別の悲劇が起こった可能性もあります。コンサート会場に閉じこめられてしまった人々もいるようですので」
「やれやれ」
 大仰にため息をつきながら、ギリアムはマドニーナの前を離れる。
「わかりにくいね何もかも。錯綜にもほどがある。こんなに映画に近しい街なのに、なかなか『映画のように』はいかないものだ」

  ★ ★ ★

 愛嬌のある瞳を曇らせ、ふっさりした尻尾を力なく垂らして、太助はラベンダーの庭をいったりきたりしていた。 
 教会を誰かが訪ね、また、辞していくたびに花影にひょいと身を隠し、しかし訪問者の顔ぶれはそっと背伸びして確認しながら。
 リゲイルが、ギリアムが、そうやって出入りするのを見届け、しかし太助自身は、教会に入ろうとはしなかった。
 聞いてほしいことなら、ある。
 だけどそれは……、気分のいい話ではないのだ。
 話してどうなるというものでもないし、聞いた者の気持ちを滅入らせてしまう。ユダを困らせるだけかも知れないと思うと、ためらってしまうのだ。
「太助さん……? どうして隠れていらっしゃるんですか?」
「おわ?」
 いつの間にやら背後にユダがいた。太助はわたわたと両腕を上下させる。
「え、えっと。リガっちがここ寄らないで昴宮司と直接対決しちまったらどうしようとか気ぃ回したんだけど、よけいなお世話だったなあはは」
「……本当に、この街のかたがたは、ひとの心配ばかりなさって」
「さゆりんの悩みってなんだろう、っていうか『どれ』だろうとかも思ってて。でもま、わかったっぽいからいいや。じゃ、俺、そろそろ神社へ」
 その場から走り去ろうとした太助は、しかしユダに捕まり、あっさり抱き上げられた。
「おわーー!!」
 じたばたする子狸を、神父は小脇にかかえて運ぶ。
 やがて太助は、マドニーナ前に置かれた木製のベンチに座らされた。
「私に言いたいことがあるのでしょう? さあ、白状して楽になりなさい」
 神父の強引っぷりに、太助は目をぱちくりさせる。
「あのさあ、ユダっち。みんなにはすごい丁重なくせして、なんか俺にはアバウトじゃね?」
「魔性のおなかで私を誘惑しておいて、何を仰いますやら」
「へ?」
「冗談です。親愛の情のあらわれですよ」
 ユダは片膝を落とし、太助の顔を覗き込む。
「無理にとは申しません。誰かに話したほうがよい場合もあれば、話すことによってつらさが増してしまう場合もありますからね。まして、あなたのように明朗快活なかたの心に、暗い根を下ろしている何かがあるとすれば、それは余程のことなのでしょうし」
 子狸は項垂れる。影を落とした表情で。
「俺、約束を守れなかったんだ。たったひとつの約束だったのに。ずっと待ってるって言ったのに」
 悲痛な声が絞り出される。親しい者でも聞いたことがないような慟哭をにじませて。
「撃たれて――はくせいにされちゃったんだ……」
 ユダは静かに頷く。
「特別版DVDにあるエピソードですね。あなたは主人公の少年と約束を交わし、ずっと彼を待つと言った。けれど、成長した少年が見たのは、剥製になったあなたのすがただった」
「どうしてそれ……」
「先日、助けていただいて以来、私はあなたのファンですのでね。あなたの登場作は全部拝見していますし、銀幕ジャーナルでのご活躍も網羅しています。神に仕える身には、ひまわり嬢の愛くるしさも向日葵嬢の艶姿も少々刺激が強すぎましたが」
「うわー!!」
「あなたは、約束を破ってなどいませんよ」
「……え?」
「ちゃんと待ってたじゃありませんか――剥製になってまでも。成長した少年が哀しく思うとしたら、あなたが受けた衝撃を悼み、もうあなたと交流できないという、ただその点においてです」

 久しぶりだね、太助。
 人間が大好きな君が、人間に撃たれて吃驚したろう? 痛くて辛かったろう? 
 ――それなのに、待っててくれて、ありがとう。

 DVDのどこにもないはずの、成長した少年の台詞が、神父の口からこぼれる。
 アロイス・デュンケルの3年ぶりの演技だった。
 狂気に侵された異形の役以外は、あまり自信がないのですけど、と、苦笑するユダにしがみついて、太助はしばらく泣き続けた。
 
ACT.3★幸福へのアンダンテ

 夕日が落ちる。
 西村が昴神社に到着するのを見計らっていたかのように。
 黄昏時の神社に、人影はない。境内を通り抜け、社務所に足を踏み入れる。
「SAYURI…さ、ん……?」

  カ、カアアー!

 もっと奥の部屋を探そうとした、そのときだった。
 今まで従順に西村に付き従っていた鴉が、主の前に回り込んで行く手を塞ぎ、何かを訴えるように激しく羽ばたいた。

  カア。カアァァァー!

「どう…したの? 鴉、くん」
 凄まじい悪意の予兆に、鴉はこれ以上の探索をやめるよう求めているのだ。しかし西村は、それと察しながらも首を横に振る。
「……ごめー、んね。SAYURIー、さん…を助けた、いの……」
「昴神社へようこそ。可憐で愚かな、死神のお嬢さん」
「「「お待ちしてましたわ。どうぞ、ごゆっくり」」」
「「「大女優は中にいらっしゃいます。お話してあげてくださいな」」」
 気配もなく、ゆらりと現れたのは、青いバッキーを連れた昴宮司と6人の巫女――
(6人……?)
 西村は怪訝な表情になる。
 巫女の数が、足りない。
(エレク、トラ……。月由ー、えりか…さん、が、いない)
 そういえば、先日、聖ユダ教会が炎上したときも、月由えりかだけは神社で留守番をしていた。
 あのとき彼女は呼びかけに動揺し、洗脳脱却の予兆を見せていたが……。

「「「「「「さあ、奥へ、どうぞ」」」」」」

 部屋の前で、西村は立ちすくむ。
 20畳ほどの広い和室の中央に、ぽつねんとSAYURIは座っていた。
 流れるように艶やかだった黒髪は精彩を失い、強い意志を秘めていた瞳は、焦点さえ合っていない。
 身につけているドレスはいつもどおりのエレガントなものであるのに、華やかさの一片も感じられなかった。
「……あら、西村さん。こんにちは」
 抑揚のない、感情のこもっていない声。
「わたし、やっと、気づいたのよ。のぞみが目覚めないのは、わたしのせいなの。わたしが女優だったから、わたしがそばにいてあげられなかったから、あの子の病気が重くなってしまったの。あの子の生命力を奪い、あんな風にしてしまったの」
「それは…、ちが、う。自分ーを、責め…ないで」
「あの子はきっと、わたしの命と引き替えに目覚めるの。それって、素敵なことじゃなくて?」
「ちが、う」
「ふふ、これでやっと、母親らしいことができるわ。……ねえ、西村さん。あなたにもいるでしょう? 自分のせいで、理を歪めてしまった存在が」
「……!」
 西村は思わず、息を呑む。
 それは、まぎれもなくそのとおりで――
(鴉、くん……)
 そう思ったときは、すでに引き込まれていた。

 あれは、いつの時代の戦場だったろう。
 土埃と血と火薬の臭いにむせかえる場所で、一羽の鴉が兵士の屍肉を啄んでいた。
 彼にとっては、それは普通の食事だった。
 しかし、生き残った兵士がそれを嘆いて厭い、鴉を撃ったのだ。
 鴉の命は、そこで潰えるはずだったのだが。
 
 ――おしまいにしますか?
      つづけますか?――

 まだ死にたくはないという意志を鴉は示した。
 だから、西村は死にゆく鴉の翼に口づけを与えて蘇らせ、自身の使い魔とした。
 それからずっと、鴉は西村のそばにいる。
(鴉、くん……)
 しかし、自分は本当に、彼の意志を尊重したのだろうか?
 彼の理を歪めたのは、ただ自分が寂しかったから――永遠に傍にいてくれる存在が欲しかっただけだからではないのか?
「これ、は…、私…の罪……。鴉、くん…を、死ねなく、して…しまった」
「償いましょう。自らの死をもって」
「償わ…なけ、れば……」
 SAYURIの囁きが、甘美な響きを伴って聞こえてくる。
 どうすれば死神が死を迎えることができるのかはわからない。
 だが、そうしなければいけないのだと思いかけた瞬間。

  カア! カアァァァー!
         「……ることはない。俺はしあわせだ。……いてくれ」

 鳴き声にしか聞こえなかった鴉の声が、たったひとことだけ、明瞭に聞き取れた。
 落ち着きのある、青年の声で。
「鴉くん……!」

 激しい衝撃を受け、
 そして西村は我に返る。

  ★ ★ ★

「間に合ったー! おぉぉーい、西村っち。無茶すんなよぉー!」
 ぽふん、と、柔らかい何かが、顔を覆う。
 太助だった。
 心の整理がついてすぐ、昴神社に駆けつけてきたのだ。
 西村は放心し、ぺたりとその場に座り込む。
「大丈夫?」
「ふむ。怪我はないようだね」
 合流したリゲイルとギリアムが、両側から支える。
「下調べなしの単独行動は、あまり感心しませんね」
 気遣いを押し隠すように、ルースフィアンは言い、
「……SAYURIさん。探しましたよ」
 ラベンダーの花束を抱え直し、宗主は一歩、大女優のもとへ踏み出す。
 ふと蘇る過去――燃えた倉庫が照らし出す赤い空の記憶を、軽く首を振って打ち消しながら。

 ――皆から少し離れていた佳織は。
 じわりと、自らが罪と思う意識に囚われかけていた。
 佳織は武家の父と魔女の母の間に生まれた。それぞれが名門故に父母間での教育方針は対立し――両親の不仲へと繋がってしまった。
 何も言わずに、家を出たこと。
 そして今は主に迷惑をかけていることなどが、次々に心を苛む。
「……くっ、これしき」
 ぎりり、と、佳織は唇を噛んだ。
 罪などというものには実態がないと断じたのは、他ならぬ自分ではなかったか。

「我が身に宿る鬼の力、我が主たる鬼の血よ、我に力を与えたまえ」

 佳織の髪が、燃え立つような赤い色に変化する。
 妖怪化能力の使用により、迷いを断ち切ったのだ。
「私を罪の鎖で奴隷にしようとしても無駄だ。私は仕えるべき主を見つけたからな」
『羅刹鬼』となった佳織は、その姿のまま、未だ迷いの解けぬSAYURIに歩み寄った。

ACT.4★カトレアよ、咲き誇れ

「逃げてください、皆さん! ここにいちゃいけない。SAYURIさんも皆さんと一緒にここを出て、早く!」
 ひとつ奥の部屋の襖が、突然に開け放たれた。
 セーターとジーンズ姿の若い女性が、転がるように出てくる。
 巫女服を着ていないので別人のようだが、リゲイルと太助と西村は、その琥珀色の髪に見覚えがあった。
 月由えりかだ。
 見れば、えりかの両手首には、今まで拘束されていたと思われる痕が残っている。
 彼女は自力で正気を取り戻したようだ。
 明晰な声音と聡明な瞳が、一同とSAYURIに向けられる。
「……いやよ……。わたしはここにいる。罪を償うの……」
 しかしSAYURIは、力なくいやいやをするばかりだ。
「お前が自らを罰したところで、誰かが喜ぶわけでも無いだろうに。何故そこまで固執するのだ」
 鬼となった佳織の、揺るぎのない声が飛んだ。
「罪の意識に縛られ続けることが贖罪だと思わないで頂きたいですね。迷惑です」
 ルースフィアンが厳しくも透きとおった、氷の粒のような言葉を投げる。
 その冷ややかさで、目が覚めるようにと。
「貴女が大事だと思うひとの顔を思い浮かべてみて下さい。その人たちから目を背け、責任を押し付けて、それでも逃げ出したいと思いますか」
「大事な、ひと……?」
 呟いたSAYURIの傍に、西村が近づく。
「罪のー意識、を…抱くこと、は、人間が、人間ーである、以上。しょうがない、と思い…ます。けれど…それーを、清算しよ…うとする、ならば、やり方ーと、いうもの、がある…はず、です。私にーは、まだ、その正し…いやり方は、判ら…ない。けれ…ど、貴女ーの…やっている、ことが、正しい…やり方だ、とは思わ…ない。貴女ーが、死んで…も、彼女が…目覚め、ない…以上、それは…ただの自己ー、満足に…過ぎませ、ん」
 太助は、たたた、と、助走をつけてぴょんと飛び上がり、SAYURIの頭に、もっふりと乗っかる。
「もしも償いがあるのなら、きっと待つことが償いなんだ。いなくなってしまうってことの方が……、悲しいよ。それは償いになんかなんない。のぞみっちが目覚めるまで、待っててあげなよ」
「SAYURI、そろそろ俺にエスコートさせてくれないか?」
 レッドカーペットを進むような足取りで、ギリアムがゆっくりと歩み寄る。
「あまりいい話ではないけれど、俺たちが動くとき、何億ドルもの金も一緒に動く。そんなたくさんの金を動かすのは、たくさんの人なのさ。世界に対して顔を売っている俺たちは、ひとりであって、ひとりだけのものじゃない。消えようとしても消えられないんだよ」
「消えられ、ない……?」
「そうともSAYURI。きみはそれを覚悟してこの世界に来たんだろう。どんな理由があっても、一度立てた誓いを破るのは恥ずべきことだ。きみは俺と同じプロなんだぞ! 俺たちが支えているものは家族の他にも山ほどある!」
「自己…満足、に、すがるほど、カトレア…の花はー、弱いもの…でし、たか。目を…覚まし、て、SAYURI、さん」
 ラベンダーの花束を差し出して、宗主は微笑む。
「神父さんからお届けものですよ、SAYURIさん。帰りましょう。ラベンダーの花言葉って『あなたを待っています』ですよね?」
「……ユダ」
 SAYURIの瞳がまたたいた。ゆるやかに焦点が結ばれていく。
「のぞみちゃんも、待ってますよ」
 リゲイルがやさしい声で――まるで彼女のほうが母であるかのような響きで、語りかける。
「お見舞いに行きましょう、SAUIRIさん。きっと、のぞみちゃんは待ってる。お母さんが来てくれるのを、眠りながら待ってる。こんなところにいる暇があったら、中央病院に行きましょう」
 さあ、と、リゲイルはSAYURIの手を取る。
 ためらうSAYURIを立たせ、その手を引いて、昴宮司と6人の巫女をかき分けるように歩き出す。
 月由えりかが、毅然とその後に続く。
 そして、一同も。

 宮司と巫女たちは、制止はせず静観していた。
「まあいいでしょう。どうせこの街は、罪人に事欠きませんから」

  ★ ★ ★

 長い一夜は既に明け、日はとうに高い。
 境内を抜けて、おもてに出るなり――
 馥郁とした花の香りと、目にも彩な真紅の洪水が、一同を包んだ。
 
 カトレアの海が一面に広がっている。
 およそ100万本、と表現しても決して誇張ではないほどの華やかな洋蘭が、沿道を埋め尽くしているのだ。
「……こんなに。なんてことなの! いったい誰が」
 驚きに目を見開き、歓声を上げたSAYURIの顔が、カトレアに負けじと輝く。
 その瞬間、大女優は完全に自我を取り戻していた。
「わたしです。昴神社から銀幕市立中央病院までの道を全部、埋めてみました」
 悪戯を見つかりでもしたように、リゲイルが照れくさそうに笑う。

 一同の前に、タクシーが止まる。
 ゆうに10人以上は乗れそうな、ワゴンタクシーハイヤーだ。
 運転席の窓から、 御先行夫が顔を出す。
「毎度ありがとうございますぅ。こちら銀輪タクシー自慢のハイヤーです。中央病院まで、ベイサイドホテルのラウンジ顔負けの乗り心地をお約束しますよぉ」
「足手まといになりそうなので同行は自粛いたしましたが、タクシーを呼ぶくらいはさせていただこうと思いまして。……皆様、この度はSAYURIさんがお世話になりました」
 降り立ったユダは仰々しく一礼し、一同を中へといざなう。
「……ふうん」
 何事かに気づいたように、SAYURIは、ユダとリゲイルを見比べる。
「この派手な演出。リゲイルさんはユダにそそのかされたのね?」
「えっと、そう、なるのかな?」
「とんでもない。リゲイルさんの真摯なお気持ちと卓越した調達能力の賜ですよ」
「……ああそう。若い女の子に入れ知恵して散財させるなんて、けっこうな悪徳神父だこと」
「そういう口が利けるのであれば、いつものわがままで気まぐれなSAYURIさんですね。安心しました」

 その日、その時間。
 銀幕市一帯は、カトレアの芳香で満たされた。
  
ACT.5★崩壊狂詩曲

 中央病院の受付には、ドクターDが待っていた。
 のぞみの部屋まで案内してくれるよう、神父が車中から連絡を入れたのである。

 SAYURIはまっすぐに顔を上げ、ドクターDを見つめる。
 娘の容態を聞き、同時に――彼なら知っているであろう、あの少女の事件の顛末を知るために。
 
 今後、この街に何が起ころうと、すべてを受け止め、踏み出すために。

クリエイターコメントこんにちは、神無月まりばなです。
この度は高槻ひかるWR、犬井ハクWRとのコラボシナリオ、【崩壊狂詩曲】にご参加くださり、誠に有難うございました。
罪の意識に囚われたSAYURIの顛末は、このような着地となりました。
皆様の深いお心に涙しながら、書かせていただいた次第です。

ラストの百万本のカトレア・ロードは、実はどなたのプレイングにもなかったシーンなのですが、皆様の心情と行動をジクゾーパズルのピースのように組み合わせましたところ、鮮やかに浮かんできた「絵」です。
貴重な機会を与えてくださいました皆様と、胸をお借りした両WRに改めて感謝申し上げ、結びの言葉としたいと思います。

最終回であるVol.3まではしばらく間が空いてしまいますが、ほんの少し伏線を張っておきました。
さて。次にセルリアンブルーのバッキーの犠牲となるのは誰でしょう……?
公開日時2008-11-22(土) 23:50
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