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<ノベル>
ACT.0★想い
「ああもう! 姫さん! 源内! ペス殿!」
俺達は、おしまいの日まで笑って、笑わせるために生まれてきたんだぞ!
――泣かせたらだめだろっ!
到着するなり、太助は叫ぶ。涙でぐしゃぐしゃに濡れた顔で。
「ねえ珊瑚ちゃん。源内さん。ペスちゃんも。わたし、怒ってるの。……責めないよ? もしもわたしが同じ立場だったら、きっと同じことをしてたって思うもの。だから責めないけど――怒ってる」
まるで彼らが目の前にいるかのように、リゲイル・ジブリールは呟く。
……誰かを守るっていうのは、自分を犠牲にするっていうことじゃ、ないんだよ?
「同感ですね。普段であれば、自ら犠牲を望むようなものは見捨てるところです。死に急ぐ権利というのもあるでしょうから、皆を庇って華々しく散りたいのなら好きにすればいい。……ですが」
ルースフィアン・スノウィスはスルト・レイゼンと一緒に、リゲイルの部屋に招かれていた。ここに来たのはその流れであったから、率先して依頼を受けたわけではない。だが、終わらせたいとは思っていたところだった。絶望に由来する、一連のおぞましい出来事の数々を。
「珊瑚姫には、ちょっとした恩がありますのでね」
この街で学んだことは多い。たとえば、見返りを求めない、手を差し伸べる優しさ――
「彼らを、助けたい」
そう言ったのはスルトだ。リゲイルとルースフィアンに並び立ち、半円状のネガティブゾーンを見つめる。
「……あれは、ハロウィンだったかな。珊瑚姫や源内と初めて会ったのは。お菓子を食べただけで動物の耳が生えて、大層びっくりしたよ」
スルトが実体化してすぐのタイミングで行われた、賑やかなお祭りだった。あのとき、とても楽しくて嬉しかったことを、今でも覚えている。
「あきらめたら終わりだ。できることはまだ、あると思う。ジズはお不動くんをあっさり破壊できるほど強力な敵で、ネガティブゾーン内ではスターの能力は制限されるにしても」
「彼等なら……、きっと大丈夫よ。早くジズを倒さなければ。せっかく抑えてくれた被害が拡大して大変な事になるわ……」
「ああ。ここで希望を無くしたら負けだ。彼らは必ず生きている。そう信じるんだ」
流鏑馬明日とエドガー・ウォレスは、対策課で依頼を受けるなり、ともにここに向かった。
「ネガティヴゾーンも、ディスペアーも、全て人の心が作り出したもの――でも、良い所も悪い所も含めて人間だ」
「信じなければならないわね……。ムービースターを産んだ母体も、絶望を産んだ母体も、私たちの心なのだから」
「珊瑚姫も源内もペスも、この街を、人々を愛している。そして、俺達もまた――」
――大丈夫。
彼等なら、きっと大丈夫。
明日は、何度も繰り返す。
祈るように。
白木純一は見届けていた。
ランチイベントの来場者の中に、学生時代の友人の姿があったことを。
彼が無事に、避難を終えていることを。
無茶な特攻をしたムービースターに、いろいろと言いたいこともあるけれど。
彼らに会えたら、まずは深く頭を下げ、礼を述べるつもりだった。
(……ありがとう)
たぶん、わたしたちはもう、知っているのだ。
絶望と闘うために、何が必要であるのかを。
ACT.1★心中阻止
「お不動くんは珊瑚姫の特攻時、ジズに破壊された。現在はバラバラになったまま、ネガティブゾーンの中にある。爆発炎上などはまだ確認されていない。対策課でそう聞きましたが、その後、変化はないですね?」
メモを手に、純一は流星に向き直る。
「はい。ぼくの見た限りでは」
「源内さんは『何か』を持って中に入ったそうですが?」
「遠目でよくわからなかったんです。何となく、レトロな丸いボタンのリモコンスイッチのように感じましたけれど……」
流星は、はっとして純一を見た。彼が何を言わんとしているのかがわかったのだ。
純一が頷く。
「源内さんはお不動くんの設計者ですよね。珊瑚姫の生存を絶望視したうえで、『心中』という言葉が出てくるということは」
「自爆スイッチか!」
エドガーが厳しい表情になった。明日が息を呑む。
「そんな……」
「ともかく、急がなきゃだな」
涙をぐいと拭った太助が、空中で一回転する。
たぬバスが、出現した。
ふかふかの柔らかな毛皮で構成されたこの乗り物が、対クロノス戦――『業苦の楽土』クロノスのダイモーンが三体の怪物と化したとき、救助活動に活躍したことは記憶に新しい。
たぬバスは大きさを絞った軽自動車サイズとなった。ネガティブゾーン内での負荷軽減のためだ。
「みんな乗れ! 突入するぞぉ。心中なんてさせるかぁ!」
「よし」
純一が中に入る。彼はディレクターズカッターと応急処置用救急箱を持参していた。
「やはりファングッズが鍵だろうな。これが有効かどうかはわからないが……」
スルトの手にあるのは、刀と、レヴィアタン討伐の折に習得した銃。この武器は、リゲイルの部屋にあったものを借り出したものだ。
「……急ぎましょう」
「ああ」
明日とエドガーもその後に続く。明日の武器はディレクターズカッターと銃。バッキーのパルは定位置のヒップバックに入っている。エドガーが持っているのは愛用の日本刀だ。
「わたしに出来るとしたら、遠距離からのサポートかな……」
リゲイルは対策課からスチルショットを借り出していた。
「無理はしないでね……?」
明日が気遣わしげに言う。
「うん、わかってる。できる範囲のことを精一杯しようと思うの」
「まったく、銀幕市にはお人好しが多くて世話の焼けることです。彼らに少しでも息があるようなら、さっさと病院に叩き込んで徹底的に治療してもらいましょう」
肩をすくめ、ルースフィアンが乗り込む。氷のように冷ややかな口調に、春風の柔らかさを秘めて。
雪花石膏の白い手にあるのは――指輪。
(あの人を悲しませたくはない。足手纏いにならぬように――そして帰る。絶対に。あの人のもとへ)
6人を乗せ、たぬバスの発車準備は整った。
「りゅーせー! ユダっち! まだホテルのお客さんがそこら辺で逃げおくれてないか、たしかめてくれ。それと、姫さんと源内とペス殿を助け出せたら、すぐ病院につれてけるよう手配をたのむっ」
わかりました、と、流星とユダが頷く。
「搬送車が必要よね。場合によってはヘリのほうがいいかも。それはわたしにまかせて」
リゲイルは携帯を取り出して、すぐに怪我人の搬送手段を確保した。次いで市内の各病院の状況確認を行う。
12体ものディスペアーが飛来し、各地で応戦と避難誘導が行われている。治癒能力を持つムービースターたちは皆それぞれの戦いに挑んでおり、待機してもらうことは難しい。襲来地点に偶然居合わせ、負傷した一般市民が次々に運ばれてきている現状、どの病院も対応に追われているはずだ。
「……はい、はい……、そうです、救出次第、そちらへ。いえ、救急車が出払ってるのはわかってますので、搬送はこちらで行います。はい、ありがとうございます!」
しかしリゲイルは、その難しさをクリアした。だが……。
「搬送さえすれば、中央病院で対応してくれるって。珊瑚ちゃんと源内さんは、それで何とかなるとしても……」
「問題は、ペスですね」
同様に流星も、携帯で動物病院に連絡を取り続けていた。
しかし状況ははかばかしくない。市内の混乱に巻き込まれて怪我をした犬や猫は思いのほか多かったのだ。
どの動物病院も救急患畜で手一杯で、怪我の状態も不明なグレーハウンドの加療待機をする余裕はないと、断られてしまった。
「最後の頼みは、ペスが子犬のころからお世話になっている『あまのがわ動物病院』の天之川先生なんですが……。ずっとかけ続けているんですけれども、電話が繋がらず……」
あまのがわ動物病院は、市長邸のあるアップタウン住宅街――綺羅星ビバリーヒルズの外れに位置する。
その一帯も、ジズの突然の来襲と攻撃を受けていた。
市長秘書の上井が対策課に入れた報告によれば、高級住宅街に住まう人々は恐怖のあまりパニックを起こしてしまい、人を押しのけて我先に逃げだそうとするほどの混乱ぶりを見せているらしい。
本来ならば、この地区の住民は利己心が少ないのだ。ゆったりと並ぶ豪邸を見ても、たしかに、裕福な社会的成功者が多く住まう地区ではあるのだが、得た利益の社会への還元に積極的な人々が多いのも、綺羅星ビバリーヒルズ住民の特徴である。市長に代表されるような、福祉的精神の持ち主もいる。人手の少ない聖ユダ教会のこまごまとした作業や事務は、この地区の女性たちのボランティアによって支えられている。
そういった人々の心さえも、絶望の闇に堕とす、天からの災厄――
「もしかしたら、治療をお願いするどころではない状態なのかも知れません。あまのがわ動物病院の建物に異変が起きたか、あるいは天之川先生に何か……」
「あきらめちゃだめだよ、本田さん」
青ざめる流星を、リゲイルが鼓舞する。
「ペスちゃんはきっと生きてる。わたしたち、探すから。探して、助けて、連れてくるから。だから、あきらめないで」
たぬバスは走る。ネガティブゾーンの中へと。
流星は、電話をかけ続けた。
何度も。
何度も。
ACT.2★惨劇の森
赤。赤。血のいろの赤。
林立する樹木は、ぬめるような赤い葉をつけている。
白。白。骨のいろの白。
樹木の幹と枝は、乾いた白骨で形づくられている。
どこまでが血で、どこからが葉なのか。それとも全てが血糊なのか。
足元の草は、吸血植物のように伸びては絡みつく。
そのおぞましさに、たぬバスが総毛立った。
「血と白骨で構成されたネガティブゾーンか……」
エドガーが呟いた途端。
林立する樹木からぽたりぽたりとしたたっていた血は、突然に凝固して蔓のように伸びた。
……ぴしゃ……、ん。
ひゅ、ん……――!
触手めいた鮮血の鞭だ。
剃刀にも似た切っ先を備えている。
樹木に見えたそれらはすべて、小型ディスペアーだったのだ。
この森に侵入したものたちを絡め取っては引き裂こうと、四方八方から触手を伸ばし――
「太助くん。危ない!」
たぬバスの窓から身を乗り出し、リゲイルがスチルショットを放つ。
ディスペアーの動きが止まった。
駆け下りざまに、スルトが銃を放つ。触手が5、6本、まとめてちぎれ飛ぶ。
日本刀をすらりと抜いたエドガーが、目にもとまらぬ早さで、ディスペアーの林を駆け抜ける。
小気味よい音とともに、血糊の鞭は白骨の枝ごと、続けざまに切り落とされた。
地に落ちてなお、ぴくりぴくりとのたうち、なおも攻撃を加えようと蠢く触手は、ルースフィアンの魔法が青く凍らせ、とどめを刺した。
明日と純一は、チャージを終えたディレクターズカッターを横なぎに振るう。
太く強固な白骨の幹が、チーズでも切るように滑らかに切断され、どうと倒れた。
「さんきゅ、みんな!」
子狸の姿に戻った太助は、くふん、と、鼻を鳴らす。
「血の匂いがきつくてわかりにくいけど、なんか、あっちから姫さんっぽい香りがする」
太助が指したのは、樹木がなく、草だけが蠢いている一帯だった。
見ればたしかに、そこここに、機械らしきものの残骸が散らばっている。
「これは、珊瑚姫くんのカンザシじゃないかな?」
見覚えのある簪を、エドガーが拾い上げる。
だが、珊瑚姫の姿は見あたらない。
「珊瑚ちゃん? どこ? 珊瑚ちゃーん? ……きゃ」
リゲイルが呼ばわり、何かに足を取られてつまずく。
それは、つややかで豊かな、黒々と長い――
「髪の毛……」
根元から切り落とされたとおぼしき、珊瑚姫の髪だ。
明日が蒼白になり、膝を落とす。
「あれは、まさか」
純一の表情が強ばる。
不動明王型ロボットの残骸が散乱する、その中心に――大きな血だまりができていた。
そして。
手、が。
少女のものらしい、右腕が。
血の海に咲く花のように、指先を広げている。
何かを、掴み取ろうとでもするかのように。
脚、が。
太腿から下を、ちぎり取られた左脚が。
白く、浮かんでいる。
血糊にまみれて、ぽっかりと。
「そんな。珊瑚ちゃん……。いやだ、いやよ、嘘よ、こんなの!」
両手で顔を覆い、リゲイルは叫ぶ。
「……しっかり、リゲイルさん。幻影に惑わされてはいけません」
ルースフィアンの青い瞳が、何かを射抜くように辺りを見据えた。
「幻影……?」
おずおずと、リゲイルは顔から手を離す。その肩を、スルトがそっと叩いた。
「ここはネガティブゾーンだ。推測だが、ここにいるディスペアーは『見たくないものを見せる』力を有しているのかも知れない。リゲイルさんが言ってくれたみたいに、俺も言おう。あきらめちゃだめだ」
「僕も絶望になど屈したりはしませんよ。この指輪と、あの人の想いに誓って」
ルーフィスアンが指輪に手を添える。エドガーもまた、肯いた。
「これだけは忘れないでほしい。諦めないで。何があっても」
――We shall never surrender.
祈りに似たことばが、血と白骨の森に静かに響く。
無惨にちぎれた腕と脚のまぼろしは、薄れて消えていき――
ほどなく……。
ひどく弱ってはいるが、生来の朗らかさを失わぬ少女の声がした。
「……はて……? 何やら……懐かしげな声が聞こえますが……。妾は……夢でも見ておりますかのう……?」
そこに横たわっていたのは、肩に裂傷を負い、両足を複雑骨折し、ウエイトレスの制服はずたずたに裂け、みどりの黒髪を切られてしまってはいたけれど――生きている珊瑚姫だった。腕も脚も、ちぎれてはいない。
「珊瑚ちゃん! よかった……。生きてた。うわーん! 心配したよぉ」
リゲイルはぽろぽろと泣き出した。緊張が解けたのだ。
「珊瑚ちゃんの馬鹿! むこうみず! こういう時は戦っちゃだめなんだよ! 珊瑚ちゃんはいつもどおりに笑ってカフェ・スキャンダルでキノコスパゲッティとか作って待っててくれなくちゃ! そしたら、みんな頑張って珊瑚ちゃんのところへ帰ろうって思えるんだから! わたしも珊瑚ちゃんの料理、もっと食べたいんだから!」
「……う、うむ。りげいるを泣かせてしまうとは、面目ない限りですぇ〜。……して、べいさいどほてるの来客は、皆様ご無事でしたかの……?」
「被害は最小限に抑えられてる。俺の学生時代の友人も、おかげで命拾いをした。……心から感謝します」
純一に深々と頭を下げられ、珊瑚姫はおろおろした。
「いやなに、妾やら源内やらぺす殿やらの命を拾いに来てもらう羽目になって、かえって申し訳ないですのう……」
「それは気にすんな。珊瑚姫には甘いものを御馳走になった借りがあるし、おあいこだ。ところで」
わざとおどけて言ったあとで、純一は表情を引き締める。
「源内さんとペス殿はどうなっている? どこにいるかわかるか?」
「それそれ。……まったく、あのすっとこどっこい連中は……」
珊瑚姫は上体を起こし、森の奥を見た。
遠目にも、みっしりと樹木型ディスペアーが密集しているのがわかる。
そして、その中心に、
ひときわ目立つ巨木がそびえているのも。
「あのばかでかい木が、親玉ですえ。自爆すいっちを持ちこんだ源内は、ぼろぼろのこっくぴっとにあったお不動くんの『核』を抱えて、あやつの元まで走っていきました……。ぺす殿もその後を追いかけて行って……。妾が見たのは、そこまでですえ。……もし源内が存命であったなら、心中なぞまっぴら御免だと伝えてくだされ」
「わかったわ、珊瑚姫。あたしは源内さんのところへ行く。だからアナタは早く病院へ……!」
明日が大きく頷き、森の奥へと走りだす。
「俺も行こう。間に合えばいいが」
スルトもその後を追う。
「お大事に、珊瑚姫。全て片付いたら、みんなにホテルのケーキバイキングを奢ろうと思ってるんだ。もちろん君にもね」
エドガーはスーツの上着を脱いで、珊瑚姫に着せかけた。
くるりと背を向け片手を挙げてから、巨木に向かって歩き出す。
「……ほんに銀幕市の皆様は、殿方も娘御も男前ぞろいで……」
苦笑する珊瑚姫の肩に、純一が救急セットから取り出した包帯を巻く。止血くらいしかできないけどな、と言いながら。
「少し、熱が出ているのではありませんか?」
ルースフィアンが白い手を伸ばし、額に触れる。
「……ひんやりと、心地よいですのう。よもや、るーすふぃあんがここまで来てくださるとは、思いもよりませなんだ」
「何処かのお人好しさんに救われる人間だっているのだから、そのお人好しさんを救う誰かが集まったって何ら可笑しい事ではありませんね」
冷静な表情を崩さぬルースフィアンに、珊瑚姫はふっと笑った。
「ひとの手には癒しの力があるのだと……、それは時として、触れるだけでよいのだと……、それゆえ治療のことを『手当て』と云うのだと……源内から聞いたことがありますのう……」
そしてそのまま、目を閉じる。全身の力が抜け、上体はまた草に埋もれた。
「珊瑚姫……? どうしました?」
「大丈夫。気を失っているだけだ」
純一が、その背に手を添える。
「よぉし。まずは姫さんから病院に運ぶぞぉ!」
言うなり太助は一回転し、『車椅子』に変化した。
ぐったりした珊瑚姫を腰掛けさせて、ネガティブゾーンの外に出る。
★ ★ ★
「ユダっち! 姫さんをたのむ」
「はい。中央病院までお連れします」
車椅子から珊瑚姫を受け取ったユダは、軽々と横抱きにし、庭園を抜けて、直通エレベーターへと急ぐ。
ホテルの玄関前には、リゲイルが手配した搬送車が既に待機しているはずだった。
★ ★ ★
「太助さん。源内さんとペスはどんな……?」
「おう、りゅーせー。ついさっき、いそうな場所がわかったところだ。何とかして連れてくるよ。ペス殿の病院は見つかったか?」
「……それが」
流星は、厳しい表情で携帯を見る。
「動物病院のほうではなく、天之川先生個人に連絡を取れないものかと、以前お聞きした携帯アドレスにメールしましたら、幸い返信をいただきまして。『わしにできることなら、何でもするぞ』と」
「やったね。あまのがわのじいちゃんって名医なんだろ。ジャーナルで見たことあるぞ」
「ええ。ですが先生は、今、銀幕市にはいないんです」
「何だって?」
「学会にご出席なさるため、東京にいらっしゃるそうです。小動物の先端医療についての事例研究だと仰ってました」
「そっか。……だけど、何とかなるよ。なんとかしなくちゃ」
「そうですね、希望は捨てません」
方法を考えてみます。
そう流星は言い、太助はまた、とんぼを切る。
子狸が変化したのは――今度は――戦車だった。
ドイツ軍の重戦車ティーガー2。別名、キング・タイガー。
重装甲、重武装。強力な主砲。
ネガティブゾーンへ戻ろうとするいかめしい戦車に、流星の背後から声が掛けられた。
「ありがとう。そして、君も、……君たちも、どうか無事に帰ってきてほしい」
支配人であった。
その横にホテルスタッフたちも揃っている。それは、一般客の避難誘導がすべて完了したことを意味していた。
「祈ってて」
戦車は応える。あどけなく幼い、少年の声で。
祈ってて。
バッキー砲のときみたいに。
俺たちは希望のかたちだから。
もうだめだじゃなくて、まだいけるって思ってて。
たぶんそれが、俺たちの力になるから。
ACT.3★わたしたちの光
きゅうううん……。くぅん……。
ジズの根元に、身体を丸めたグレーハウンドがいることに、真っ先に気づいたのはリゲイルだった。
触手に絡め取られたうえで、地に叩きつけられたようだ。背中には刃物でえぐられたような裂傷がある。
「ペスちゃん!」
スチルショットを放ってから、リゲイルは駆け寄った。
「きゅうん……」
「よかった……。息がある。もう大丈夫だからね」
ペスはその口に、自爆スイッチのリモコンをくわえていた。
源内から、奪ったのだ。
地響きを立てて近づいた戦車が援護する中を、抱きかかえて運ぶ。
少女の力では骨の折れる作業に、一同が手を貸した。
戦車の中に横たえてから、リゲイルはグレーハウンドの頭をそっと撫でる。
「ペスちゃん……。だめだよ、無理しちゃ。ペスちゃんはほんとは優しくておとなしい犬なんだって、前に本田さんが言ってたよ」
「きゅう……。きゅうん(訳:でもね……。だってね、リガ。……ここだったの。この庭園だったのよ。あたしが漆に付き添ってもらってお見合いしたのって。あのとき、あたしたちね、すごいコンビネーションで悪者たちをやっつけて……。楽しかったなぁ。お見合いは大失敗だったけど)」
ここにくるたびに、思い出せたのに。
――桜が散る。
そしてみんな、去っていく。待ち続けるグレーハウンドを残して。
★ ★ ★
源内は、ジズが伸ばした触手に、幾重にも絡め取られていた。
お不動くんの『核』を、両腕に抱えたまま。
その脇腹を、触手がざっくりと貫通している。
重傷どころではない。あばら骨が見えるほどにその傷は凄惨だった。
明日は歩み寄る。これも幻だろうかと思いながら。
「源内さん……!」
「来るな、明日。俺に近づくな。ここから離れろ。離れて攻撃するんだ……!」
その確かな声。間違いない。本物の源内だ。
「源内さん。だめよ……」
「見ての通りだ。俺はもう助からない。この『核』を爆発させれば、ジズを倒せる」
「源内のあほう! 姫さんは生きてんだ。心中なんてまっぴらだっていってたぞ」
「そうか……、助かったか。ありがとう。……ならなおさら、思い残すことはない。せっかく持ってきた自爆スイッチはペス殿にふんだくられてしまったが、キングタイガーの大砲があれば十分だな」
――太助。俺ごとジズを撃て!
「ばっきゃろー! 泣かせんなっていってんだろー!」
太助は、泣きながら撃った。
源内に当たらぬよう、足元を大きく外し、巨木の根元を。
(いいえ、撃っても無駄です。あきらめてください)
源内の声に、別の誰かの声が重なる。
(もう銀幕市は終わりです。今までありがとうございました)
(残念だけど、仕方ないっすよね)
(市役所は壊滅しました。対策課員は誰ひとり生き残っていませんよ)
(さようなら……。皆さん。私は塩の柱に戻ります)
(おまえらもさっさと逃げちまえよ! 高級住宅街のやつらみたいに、自分のことしか考えないのが利口ってもんだぜ!)
(銀幕市の皆さん。私はもう、市内にはおりません。最後のご挨拶もできませんでしたが、なにぶん、このような状況でしたので)
白骨の幹に、ぼうと浮かび上がる、顔、顔、顔。
植村の、山西の、邑瀬の、汐の、上井の――そして、柊市長の顔。
大きくため息をつき、進み出たのはルースフィアンだ。
「不愉快な幻影を見せないでほしいものです。僕たちは騙されませんよ。対策課の皆さんや市長が、そんなことを言うはずがありませんから。……リゲイルさん、スチルショットを」
「うん!」
そのつもりで、リゲイルはスチルショットをチャージしていた。
エネルギー弾が炸裂し、ジズの動きも、源内の動きも止まる。
明日はその間にディレクターズカッターで、源内を拘束している触手を薙ぎ払った。
地にくずおれた源内を、スルトと純一とエドガーが、戦車の中へと移動させる。
「……もう助からないって言ってるのに……」
「そんなことない。助けてみせる」
薄く笑った源内の手を、明日は握りしめた。
「大切な人達が傷つくのなんて見たくない……。皆で笑顔でまたお花見したいじゃない!」
これを……、と、明日は、肌身離さず持ち歩いていた宝玉を――プリマヴェーラの花冠祭でレ−ギーナから貰った【森の神気を凝縮した宝玉】を、未だ血が噴き出している源内の傷口にそっと置く。
いつか、ドクターDが危険にさらされることがあったら使用しようと、ずっと携帯していたのだが。
今は、そんなことは言っていられない。
「俺なんかのために、そんな大事なものを使うな」
源内が、宝玉を使わせまいと身じろぎをした。
「これはドクターのために使ってくれ。知ってるだろうがあいつは、自分の身にどんな危険が迫ろうと、静かに笑ってるような男だ。感情を露わにしないまま、散ってしまうかもしれないあいつのために、使ってやってくれ」
「いいえ! 今使わないと、きっと後悔する。だから……!」
宝玉が光を放ち――砕けた。
傷口が、少し、ふさがった。噴出していた血も、ゆるやかなものになる。
完全な治癒ではなくとも、致命傷を裂傷へと変えることができたのだ。
★ ★ ★
ルースフィアンがジズに向き直る。
「もう、容赦しませんよ。これ以上の犠牲など望んでいませんし、これ以上、僕の友人を傷つけられたくありませんのでね」
スルトが、巨木の幹に銃口の焦点を合わせる。
「大切なものを、渡しはしない」
エドガーが刀を構える。
「桜は、いずれ必ず散る。だが、木を無理に揺らして華を散らすのは――無粋だ。散るにはまだ早い」
「あたしは右から行くわね……」
ディレクターズカッターを振るうため、明日は腰を落とす。
汗ばんだ手で、純一もまた、ディレクターズカッターを握りしめた。
「じゃあ俺は左から。ま、こういうのはチームワークが大事だからな」
そして――
幾筋もの『光』が放たれて……。
銀幕ベイサイドホテルの日本庭園に、ジズはもういない。
ACT.4★親愛なるものへ
「……ちょっと待てドクター。何であんたがここにいる?」
「珊瑚姫を搬送した車が戻るついでに、乗ってきただけです。私がこちらに出向いたところで何の役にも立てないのですけれども、肩くらいはお貸ししますよ?」
「ああそうかい。んじゃ頼む」
「明日」
「……は、い?」
「怪我はないようですね。あなたまで病院に搬送されることがなくて安心しました」
「……素直に心配だって言えばい……あいててて」
「その減らず口を閉じていただけますか? せっかく明日が軽減してくれた傷が悪化しますよ」
★ ★ ★
庭園を復興する際に植える樹木は、やはり桜にしようと思うんですよ。
今度は、ソメイヨシノではなくて、実のなる桜を。
そうすれば花が散ったあとも、お客様に楽しみが提供できると思いませんか?
――来年には、きっと。
そう呟き、損壊いちじるしい庭園を見回す支配人に、エドガーは目を細める。
「来年の桜か……。見れるかな……」
★ ★ ★
「本当にありがとうございます、リゲイルさん。何から何まで」
「そんなこと。東京の動物病院で天之川先生が待機してくれることになって、良かったですね」
負傷したペスを抱いて、流星はリゲイルとともにヘリに乗っていた。
東京に向かうためだ。
リゲイルのバッキーは、移動の間、親しいムービーファンが預かってくれることになっている。
天之川老医師が、
「そういうことなら、東京で手術したほうが早そうじゃな。知り合いの動物病院に話をつけたから何とかしてペスを連れてこい。わしひとりで不十分なら、学会に集まった医者連中を総動員するぞ」
と、言ってくれたのだ。
ペスは、眠っている。
すう、と、寝息を立てている愛犬を見て、流星が微笑む。
「実は先日、家族で話し合いをしましてね。もう一匹、犬を飼うことにしたんですよ。まだペスには内緒なんですけれど」
「やっぱり、グレーハウンドですか?」
「ええ。ペスの淋しさは、人間たちでは補完できないような気がしましたのでね」
「じゃあ、子犬を?」
「いいえ、ペスの親友になってくれそうな成犬がいいのではと思ったんです。それで……、ナショナル・グレーハウンド協会(NGA)に登録していたドッグレース用の犬の、引退後の里親募集の記事を見て、これはと思いまして」
「ドッグレースを引退した犬……」
「全盛期は時速100kmのスピードを記録したこともあったそうですよ。つま先や関節を痛めて引退したそうです。ペスが回復したら一度会わせてみて、相性が良さそうであれば引き取ろうと思います」
漆黒の毛色の犬なんですよ。
名前はラッカー(Lacquer)。……漆、ですね。
ヘリはまだ、銀幕市上空を通過中だった。
あちらこちらに、ジズの爪痕と――
今が盛りの、桜が見える。
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クリエイターコメント | 7名さまには、ご協力、ほんとうにありがとうございました! おかげさまで、一命を取り留めております。
おぼつかぬ足取りながら、全力でダンスのお相手を務めさせていただきましたが、記録者の銀幕市での役目も、そろそろ終焉に向かっています。 珊瑚姫、源内、ペス殿共々、たくさんいただきました愛情を、少しでもお返しできていることを願うばかりです。 今まで、ご参加くださったPCさま。およびPLさま。 そして、もしかしたら弾いてしまったかもしれないPCさま。およびPLさま。 読んでくださった皆さま。 全ての銀幕市民のかたがたに、感謝いたします。 おつきあいくださいまして、ありがとうございました。
今は、銀幕市の行く末を、皆さまとともに、息を詰めて見守りたいと思います。 私たちの祈りが、どうか届きますように。 |
公開日時 | 2009-04-22(水) 23:00 |
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