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<ノベル>
1
「やはり空から、か」
レオンハルト・ローゼンベルガーは、そう言って静かに高空へと視線を投げる。
もうひとつの太陽から、さらに分かたれた翼ある怪光が、こちらを目指して飛来せんとしていた。そしてそれに向かって飛んでいく影は――心もとないほどに小さく見える。
「えーっ、マイティ、ゴールデングローブも付けずに行っちゃったの!?」
大声をあげたのはクラスメイトPだった。七瀬から事情を聞いて青ざめる。
「ど、どうしよう……! でも、編集長もまだ会社にいるんだよね」
Pは、ジャーナル社の社屋と、空とへ交互に目をやり、あわあわと不安を口にした。その肩のうえで、メカバッキーが、きょときょととあたりの気配を探っている。
「ンとに、世話が焼けるわね。あたし、行ってくるから、Pは編集長のほうへ行ってあげて」
「あ、浅間さん!」
耳慣れた声に驚いて振り向く。
スチルショットをかついだ浅間縁と――朝霞須美だった。
「ジャーナル社には私も行くわ」
落ち着いた様子で、須美が言う。
「ん。Pのこともお願い」
「ええ」
小声で言われた言葉に、須美はうっすらと笑みを浮かべた。
「ちょ、ちょっと待ってよ、浅間さん! だって、あんな高いところだよ!」
「だいじょーぶ」
ぐい、と浅間が見せたのは、いわゆる羽団扇――昔話の天狗が持っているアレだ。
見れば、そこに風轟の姿があった。彼の羽団扇を借りれば、誰でも空が飛べる道理である。
もうひとり――、その背に青く美しい翼をそなえたムービースターの姿があった。彼と風轟、そしてレオンハルトは対策課から話を聞いて急行した助っ人である。銀の髪に端正な顔立ち、古代日本のそれを思わせる装束の、有翼の男は名を玻璃水という。
「行くぞ。あまり時間がなさそうじゃわい」
風轟が促し、玻璃水が頷く。
「そ、そんな、浅間さんっ」
Pが慌てて、縁を呼び止めたが、しかしそれ以上何と言っていいか、彼にもわからないのだった。
須美が、何も言わずに――だが何よりも饒舌に、Pの肩にふれた。
「あ、あの」
それでも何か絞り出さずにはいられないといったように、Pは言った。
「こ……っ、こ」
「『これが終わったら九十九軒でラーメンセットおごるよ』とか言ったら、あんた“向こう一週間赤ちゃん言葉の刑”だからね」
「これが終わったら九十九軒で――ハッ!?」
見事、不穏なフラグを封じた縁は、もはや振り返ることはなかった。
「あ、あさ……」
その背中を、今は信じて見送るしかないのだ。
「……わかった。僕はここで――がんばりまちゅ」
「『あれ』の力を使う機会がこれほど多いとは。まったくもって最悪の場所だ」
レオンハルトが吐き捨てると、どこかでなにものかの含み笑いが聞こえた気がする。
だが致し方ない。
すう――、とそのおもてから怜悧な表情が消え、威厳と尊大に満ちた笑みがあらわれる。同時に、哄笑に近い笑い声がほとばしった。
「それだけここは……地獄に近いということであろうよ」
なにかに吊られでもしたように、レオンハルトの身体が空高くに舞い上がっていく。
そのあとを追うように、風轟と玻璃水はおのれの翼で、そして縁は天狗の羽団扇の力で飛び立った。
「わお!」
プロダクションタウンの街並みを眼下に、風を切って飛ぶ感覚に、縁は声をあげた。
「ははは、なかなか筋がいいな。ワシに弟子入りするか!」
と風轟。
「だがあんまりはしゃぐとパンツが見えるぞ!」
「冗談! ……まずマイティ捕まえて――それからどうする?」
『この戦闘は長引かせるべきではない』
縁の問いには声なき声が応えた。
それはレオンハルトの、テレパシーのようなものであるらしかった。
「ワシも同感じゃなあ」
「なら速攻ね」
「みなでこう……くの字になって飛んで、あの中心を突っ切るというのはどうじゃ」
「真正面から吶喊か」
玻璃水が薄く笑った。
「勇ましいな。だが気に入った」
そうこうしている間にも、マイティハンクの赤いマントが翻る様子が見えてくる。
「ちょ、マイティ速い! こんなとこだけ高性能!」
縁は羽団扇の力で追いつこうとするが、マイティハンクのスピードはかなりのものだった。
「縁と言ったな。私の肩に足を」
玻璃水が、まるでドッグファイトの戦闘機のように縁のうしろにつけた。
「いいの?」
「よい。下着が見えるが許せ」
「非常時だから許可するわ!」
言いつつ、どちらもあまり気にしていないようだった。縁を玻璃水が後押しするような格好だ。玻璃水の青い翼が風を切る。藍玉のように深い青から、透けるような銀にまで、なだらかなグラデーションを見せる玻璃水の翼は、まるで工芸品のように美しいものだった。だがそれがうみだす推力はジェットエンジンのそれにも匹敵する。
瞬時に、距離が詰まった。
そしてその浅間ロケット1号が、マイティハンクの首ねっこをがっしりと掴んだ!
2
一方――。
七瀬をその場に残し、須美とPはジャーナル社のビルのエントランスをくぐったところであった。
「エレベーターはダメよ」
須美はPを引きとめて、階段を指した。
「衝撃があったとき止まるかもしれないから」
「そうか……。落ち着いてるね」
「そう? これでも焦っているつもり」
ふたりは階段で上を目指した。
編集部のフロアへ駆けあがり、ドアを開けた。
七瀬たちがとるものもとりあえず逃げ出したあとのフロアは、発つ鳥たちの濁したあとで、床に書類が散乱し、ファイルやらCD−ROMやらが投げ出され、コンピュータはつけっぱなしになっていた。ひっくりかえっているイスもある。
「編集長ー!」
Pが大声で呼ばわったが、いらえはなく、そして見まわしても人影はない。
須美は窓を背にした奥のデスクに寄ると、灰皿にまだ煙のたつ吸いがらを確認する。
「近くにいるわ」
飲みかけのコーヒーに、折りたたまれた新聞。赤字でチェックの入った誰かのゲラ。
「近くっていっても……、トイレとか!?」
「まさか。……編集長は何のために残ったのかしら」
須美は椅子のうしろへ回り込んで、ブラインドをあげ、そしてぎくりとする。あの光球――ジズが、あきらかに接近してきていたからだ。だがその周囲を飛ぶ影も見える。今はかれらを信じるよりない。それより編集長だ。もう一度、思考を引き戻す。
「……」
須美は振り返った。
Pが編集長を呼びながら、フロアのドアというドアをかたっぱしから開けて回っているのを尻目に、須美の瞳は外の、プロダクションタウンのビル街を見渡す。
「上よ!」
「え?」
「屋上!」
彼女は見た。道路を挟んで向かい側のビルの、ガラスにうつるジャーナル社の社屋……、その屋上で光を反射するものの存在を。盾崎のカメラのレンズだ。
「はいはい、忘れもんだよ! っておっと!」
驚いてマイティハンクが減速したので、勢い余って縁のほうがつんのめりそうになる。
「なにをしてるんだ、危ないじゃないか」
「マイティこそ!」
「ワシは杵間山の風轟じゃ!」
そこへ、風轟が追い付いてくる。
「マイティハンクとやら、いざ共に参らん!」
「さ、ゴールデングローブつけて。あの光ってるの、ネガティヴパワーの反応があるってさ」
「しかし、それでは」
ゴールデングローブを装着することで力が鈍るのを懸念するのだろうか。眉を曇らせるマイティハンクに、玻璃水が言った。
「おまえに、この街の敵に回ってもらっては困るのだ、ただでさえ手が足りていないのだから!」
むう、と唸って、観念したように金の腕輪を嵌める。
『くるぞ、気をつけろ』
レオンハルトの声だ。
かれらは見た。その眼前に迫る眩い光球。そして奇怪な翼が羽ばたく。
「っ!」
縁がスチルショットの引き金を引いた。射出されるエネルギー弾の反動にのけぞる身体を、玻璃水が抱えてさらに高空へとさらった。彼は、猛スピードで通り過ぎるジズから他の面々も逃れるのを確認する。
「なんという硬さじゃ!」
風轟が忌々しげに唸った。すれ違いざまに刀で斬りつけたが、光の鎧に弾かれてしまったと毒づく。
『これは……』
レオンハルトも、思案げに呟く。
「……生半可な力では傷さえつけられぬようだな」
その口が、彼自身のものではない言葉を紡いだ。
『……』
「人の子よ、何を躊躇う必要がある?」
その声は苛立っているようでもあり、レオンハルトをからかっているようでもあった。
ジズが、ふいに減速し、空中に静止した。
その翼が、大きく開かれ――
『いかん』
破壊の波動が、解き放たれた。
3
揺れがきた。
須美とPは、てすりにしがみついてその衝撃から身を守った。ぱらぱらと、埃が天井から落ちてくる。
「だ、だいじょうぶだよね、このビル……!」
「祈ってちょうだい」
大丈夫かどうかは、状況と、建物の耐震強度によるだろう。
それ以上揺れないのを確認して、須美は再び階段を駆け上がり始める。
大きな音を立てて、屋上への鉄扉を開け放った。
「盾崎さん!」
「編集長ーーー!」
屋上の端にいた男が、驚いて振り返った。
「なんだおまえたち」
「状況がわかってるなら、私たちの言いたいこともおわかりだと思います」
「はやく避難しましょうよ!」
「……」
困ったように眉尻を下げて、尻ポケットから煙草の箱を取り出した。
盾崎はシャツもネクタイも脱ぎ棄ててしまって、上半身はシャツ一枚だった。それで望遠レンズのついたカメラを三脚に立て、ジズの来る空を狙っていたのだ。
「別に死ぬつもりじゃない。こないだ昴神社で散々説教されたからな。……ただ、まだ時間はあるんだ。蔵木のやつが飛んでったときぁどうなるかと思ったが、無事、応援も間に合ったようだしな」
ジッポの火をひらめかせながら、そう言った。
「対策課から派遣があるのを見越して?」
「当然だろう」
「……」
須美は息をつくと、微笑んで言うのだった。
「わかりました。なら、私も手伝います」
「えええええええ!」
Pが叫んだ。
「……さあ、もたもたしてられないしょう。何からやればいいですか」
盾崎はやれやれといった表情で、カメラから記録用のデータチップを抜き取る。
「ならこれを持って逃げてくれ。もしもの場合、写真だけでも助かるようにな」
それがていのいい厄介払いなのはあきらかだったので、須美は一瞬、眉をひそめたようだが、すぐに頷き返した。そしてチップを受け取ると、駆け出していくのだった。
Pは彼女を追うかどうか迷ったようだったが、やがて意を決したように、その場にとどまった。
「逃げなくていいのか」
ファインダーを覗きながら、盾崎が訊いた。
「僕には、僕のやるべきことがありますから」
『無事か! そちらの状況は!』
「えっ? ああ、レオンハルトさん……?」
七瀬は、心に直接響く声に顔をあげた。
「私は平気です。でも今、なにか地震みたいなのが……ああ、ガラスが割れた建物もあるみたい」
物陰から顔を出し、プロダクションタウンの様子を見回す。
『保護の結界を張り巡らせてはいるのだが……完全とはいかないようだな』
声に表情があるのなら、それはレオンハルトにしては珍しいほど、残念そうだった。
当人は――今その肉体を御するものが別人であるがゆえに、酷薄な笑みで周囲を見下ろすばかりだ。
だが彼のゴールデングローブが、鈍い音を立てている。作動しているのだ。
「ふん」
風轟もそれに気づいて、鼻を鳴らした。だがそんなものに怖気づくはずもない。それは他の面々も同じだった。
「ね……、光が、すこし薄くなってない? なにか、その下が透けてみえるような」
縁が言った。
「そうか。攻撃に力を振り分けているのだな」
と玻璃水。
「なら今が好機というわけじゃな!」
5人が編隊を組んで旋回する。
縁は敵からの反撃や牽制を警戒するが、地上を破壊することのほうに関心があるのか、ジズは反応していない。目に見えない衝撃波が、立て続けに下に向かって放たれている。それが深刻なダメージを与え始める前に決着すべく、かれらは空を翔けた。
気合いの雄叫びとともに、先陣を切ったのは風轟だ。
その刀が、居合いの構えで光の鎧を裂く。
そこへマイティハンクが飛び込んできた。
光の防護が切り裂かれた内側は、あやしい色彩の混沌だった。その傷口に、マイティハンクが自身を肉体ごとわりこませ、屈強な全身をつかってつっかえぼうをしたのである。
玻璃水が、手にしているのは予備に用意されたゴールデングローブだった。それがディスペアーの力を抑制すると、他ならぬ銀幕ジャーナルが教えてくれたではないか。彼は傷口にゴールデングローブを投げ込みはじめた。
レオンハルトが生み出した火炎が、そのあとを追った。
ゴールデングローブが抑制した敵の防御を越えて、地獄の業火が相手の内部からダメージを与えられれば、あるいは――!
その瞬間。
コウモリに似た敵の翼が、ずるりと、光球の中にひきずりこまれる。
そしてジズの全体が、まるで収縮するように……
「!」
縁が息を呑んだ。
光の殻の傷口を広げようとしていたマイティハンクを、その収縮が巻き込んだからだ。
青いスーツが光にまぎれ、そして、なにもかもが白く、閃光にかきけされ……、衝撃が、きた。
4
誰もが一瞬、意識を手放していたようだった。
唯一、屋内にいた須美だけは、衝撃に転んだだけで済んだ。それでも彼女は握りしめたチップを放すことはなく、そして、すぐに起き上がると、編集部に飛び込んだ。
窓から見える外の風景は、異様なものに変質していた。
でたらめに絵具を流したような空。窓の隙間から、言いようのない嫌な臭いが流れ込んできていた。だが須美はその光景をよく観察するよりも、他の仕事を優先する。むしろ、すぐに外に飛び出さなかった自分の直感が正解だったと確信し、自信さえ深める。
チップを挿しこみ、ソフトを立ち上げる。
盾崎の依頼はこの写真データを守ることだ。ならば、ここからネットの海へ放ってしまえばいい。
須美の指がキーを叩く。
盾崎のパソコンには、銀幕ジャーナルのありとあらゆるデータが保存されていた。
毎号毎号、ここから印刷所に送られ、刷り上がったものが銀幕市中に配送されていた。
盾崎がこの場所を去らなかったのは、写真撮影だけが理由だったのだろうか。
なんとなく、それだけではないような気が、須美にはしている。
このデータも今どきのことだから、当然、バックアップはある。仮にこの建物が灰燼に帰したとしても、銀幕ジャーナルのバックナンバーを復刻することはそう難しいことではないのかもしれない。
それでも――
編集長のデスクに置き去りになったままのゲラ刷りが目に入った。
七瀬や盾崎は、ほとんど泊まり込むようにして、この場所で記事をつくりつづけていた。
須美は本が好きだ。
だからその作り手たちに、彼女は惜しみのないリスペクトを贈りたいと思う。
だからその場所を、このような理不尽な災厄によって失うことは、避けたいのだ。
ジズへ立ち向かった面々は、今頃戦っているだろう。
その戦いに、自分もこうして参加しているのだと、思う。
「こいつぁまた、派手なことになってきたぞ」
あちこちにシャッターを切りながら、盾崎が言った。
「編集長、血が出てますよ!」
「眼鏡にヒビ入れたやつに言われたかぁないな」
「僕、逃げませんからね!」
「……それは勝手だが……」
じゃあ何のためにいるんだ、などという言い方はひどすぎる気がして、盾崎は言葉を呑みこんだ。
屋上から見るプロダクションタウンの姿は、本来の銀幕市の風景と、ダリの描く絵画の世界のパッチワークのようだった。でたらめに、空間の一部が、形容しがたい色の、軟らかいなにかに変質し、どろどろと溶けだし始めている。
ひゅうん、と空気を裂く鋭い音がしたかと思うと、盾崎はあやしい色合いの空から、地上へ向けて燃え盛る隕石が落ちるのを見た。落ちた場所で爆炎があがる。
「さすがにやばいか」
いい加減撤収するか、と言いかけたそのとき、まるで狙ったかのように、自らの頭上に燃える星が降る。
「!」
身をすくませた盾崎の頭上数メートルのところで、ふいに隕石は方向転換した。
「ギャーーーーーーーー」
「おい!」
Pだ。
まさか!
盾崎は倒れているPに駆け寄る。
どかん、と音がして、隕石が隣のビルの屋上を削った。すれすれのところをかすっていったらしく、Pの前身から焼け焦げた匂いがするものの、とりあえず無事なようだ。
「……だいじょうぶ。編集長には……あたりませんよ……。主人公だから」
「おまえ、まさか」
「本当は……ロケーションエリア使えればいいんだけど……」
「そんなことしたらおまえは確実に消し飛ぶ。くそ……、そのために居残ったんだな。無茶しやがって」
肩腕でPを抱き起こし、もう一方の腕で、カメラを構えた。
「こうなりゃ……最後まで見届けてやる」
「あ!」
縁はがばっと身を起こす。
「怪我はないか」
付き添ってくれていたのは風轟だ。
となりに、マイティハンクがよこたわっているのに気付いてぎくりとしたが、彼も気を失っているだけのようだ。
「ここにおって、見てやってくれな」
それだけ言い置いて、風轟は翼をはためかせ、飛び立っていった。
その先を目で追って、
「なにあれ」
思わず縁の口からそんな言葉がこぼれた。
たえまなく形を変える、触手のかたまりとでもいえばいいだろうか。いや、本当に触手なのか……、それは手のようにも見えるし、蛇の鎌首のようにも、蟲の節足のようにも、獣の蹄のある脚のようにも、機械のアームのようにも見えた。それが建物のあいだをでたらめに転がりながら、触手だか何だかをふりまわして暴れている。
閃く雷光の矢のようなものが、そいつめがけて降り注ぐのは、あれは玻璃水の術のようだ。
遠目に見ても、その翼はきれいだ。
「ここ……、ネガティヴゾーンなの?」
周囲を見回す。
銀幕ジャーナル社はどうなっただろう。そして編集長は。須美は。……。
ぐっ、と唇を噛んだ。
いつだっただろう。あの騒がしい編集部に見学に来たことがあったのは。
そのあと、何度となく出入りして……。最初はただ、希望の進路のひとつとして考えていて、でもマイティとダイノランドに行ったり、七瀬さんと遊びに行ったり、それから……。
「……エン、大丈夫よね」
カバンの中のバッキーの無事を確かめる。スチルショットもチャージされている。
そして彼女はおもむろに、伸びているマイティハンクの腹に、どすんとエルボーを落とした。
「ぶふぉああっ!?」
「ほーら、いつまでも寝てないの! 今こそヒーローの出番でしょ! さあ、行くわよ!!」
5
『やむをえんか』
「汝の欠点は決断が遅いことであるぞ。いや、皆まで言うな。慎重なだけだと言うつもりであろう。だが、人間の一瞬の逡巡の間に、神と悪魔は万の業を成し遂げると知るがよい!」
レオンハルトの背に、3対6枚の翼があらわれた。
同時に、凄まじい勢いの炎の壁が立ち上がり、彼を取り囲む。
文字通り、それは地獄の業火であった。火は、蛇のようなかたちをとって、うねりながらジズへと襲いかかる。
玻璃水は、レオンハルトがそれまでにも増して強い力をふるうのを、その青い瞳にとらえる。
それが清浄な属性のものでないことはわかる。
だが、それゆえにこそ、その力が野放しにならぬよう、レオンハルトが多大な犠牲を払って御していることも、察せられた。
鮮やかな刀さばきを見せる風轟は、これは、比較的、翼神に近しい存在であると感じられる。マイティハンクや、ジャーナル社のほうへ残った青年などは、これはまたまったく別種の存在だ。
「愛しいものだな」
雷の槍を操りながら、ぽつりと唇に上せた言葉に気づいたものがいたかどうか。
「様々な在り様が、この街では許されている」
戦いのさなかとも思えぬ、穏やかな微笑を、彼は浮かべた。すでにその感覚は後方から急接近してくるものに気付いている。
すなわち、弾丸のように飛んでくるマイティハンクと、その背に片ひざをつき、スチルショットを構えた縁とをだ。
「おまえたちが守りたいという思いが伝わってくる……ヒトとはやはり愛しきものだな」
玻璃水が並んで飛びながら言った。
「まあ、みんながこれくらい『守りたい!』って思わなきゃ、とんでもないことになっちゃう街も珍しいけどね!」
「私はまだここの住民になって浅いが、私もこの街が好きだぞ、縁。たくさんの命が、さまざまな彩りで持ってこの小世界を輝かせている……それは、生命の相応しい在り様だろうと思う」
かれらが前方のジズに接近すると、数本の触手が長く伸び、かれらをとらえようと虚空をうねった。
「命を守護する翼神の務め――忘れる訳には、行かぬ」
風だ。
目にも止まらぬ速さ、などといえば陳腐になる。
だからそれを――触手の群れを迎え撃った玻璃水の動きを活写するなら、ただ、風が吹いたとだけ言おう。
その涼風の中を、縁とマイティハンクは飛ぶ。
「なんじゃ、おまえらは休んどらんでいいのか!」
ジズの胴体に近い場所では、風轟が奮戦していた。
大天狗は、その巨体に似ぬ素早い動きで触手をかわし、また、力任せに薙ぎ払いながら、その刀で、胴体に斬り込んでいる。彼の刀の与えた傷からは、不気味にビビッドな色の体液のようなものが流れだし、ジズの気勢を着実に削いでいるようだった。
「おじいちゃんばかり戦わせとくわけにいかないでしょ!」
「言いおるわ、お嬢ちゃんが」
大天狗は笑った。
「ワシのカッコいいところを、とくと見ておれ!」
ごう、と大気がそれに応えるように巻き上がり、唸りをあげた。
風轟は切っ先を敵に突き刺したまま、一気に袈裟掛けに切り裂いていく。
「どうだぁ!」
白刃を抜き、振り返って大見えを切る風轟。
そのときだ。斬られた傷から、新しい触手のようなものが生えたかと思うと、尋常ならざる速さで、風轟の背を狙った。
「ッ!?」
一瞬、回避が遅れた。
だが――
光の弾丸が、炸裂する。
縁のスチルショットだった。
それが正確に標的を撃ち、ジズの触手の動きを静止させたことが、風轟を救った。
返す刀が、その触手を斬り払う。
それは、敵にとってなにか重要な器官だったのだろうか。ジズの全身が、ぐずぐずと、歪み、崩れ始めた。
レオンハルトが、その機を逃すはずはない。
さきほどから彼の心の声が聞こえなくなっていた。「彼自身」はよほど、その力の制御に集中せねばならないようだ。だから今のレオンハルトの力の使いように遠慮はなく、他の面々は急ぎ退避せねばならなかった。
かろうじて4人が範囲を逃れたのと前後して、圧倒的な熱量がジズを包み込む。
原子炉に匹敵しようかというエネルギーが白熱し、すべてを融解させていく。
レオンハルト自身の姿さえ、その熱がもたらす陽炎の彼方にかすんで……。
轟音。
悲鳴をあげなかった須美は、その気丈さを讃えられていいだろう。
建物がまるごと、嵐の海に投げ出されたような衝撃だった。
最初の一撃で床に投げされたが、須美はすぐにデスクの下にもぐりこみ、残りの時間を耐える。
さすがにその瞬間は、いろいろなことが頭を過ぎりもしたし、何人かの顔が頭に浮かんだことも否定はするまい。なんとなく、癪な気もするけれど、本当に危機的な局面にこそ、人は自分の真実に直面するものなのかもしれない。……とりあえず、そういうことにしておく。
「……大丈夫、リエート」
バッキーは気絶していたが、無事では、ある。
そっと顔をあげる。デスクの上はぐちゃぐちゃだったし、それは編集長のデスクにとどまらなかった。しかしとっさにひっつかんで彼女が胸に抱えたゲラ刷りは無事だった。
横倒しになったデスクや、ずり落ちたパソコンのモニターもある。
だが、窓の外は……、台風一過のような屋内の様子とは対照的に、青空から陽光が射している。
さっきまでの、地獄のような風景が、嘘のようであった。
「無事か!」
盾崎が飛び込んできた。ぐったりしたPを背負っている。
「ええ」
さすがに疲労をおぼえて、ひっくりかえったイスのひとつを立て直し、須美はそこに腰かけて、編集長を迎えた。
「ひどい有様だな」
「データは無事です」
「何?」
「写真はもちろん、おもだったものは、すべて転送してありますから」
「あ、ああ……」
「それで」
トリックは以上です、と解説を終えた名探偵のように、彼女は続けた。
「あとは何をお手伝いしましょうか?」
*
「見事だと言っておこうか、人の子よ。第六圏より呼び出した炎をこれほど御した人間などおるまいて。その報いに、おのれの死後の行先には気をつけることだな。地獄の炎は汝の名を覚えたゆえに…………」
そこまで言って、レオンハルトのおもてに浮かんでいた表情が、すっと変った。
「……」
「具合が悪そうじゃな」
風轟がその背を支えると、それを待ってでもいたかのように、レオンハルトの身体から力が抜けた。
「ジズはこの日のための供物だ。審判の日は……、まだ終わっていない……」
うわごとのように、言い残して。
玻璃水が、青さを取り戻した空へ目を遣る。
ジズは消えたが、「もうひとつの太陽」は、いまだ、天にある。
「うわーーーーん、浅間さーーーーーん」
「だ、だいじょうぶだよ、七瀬さん……あはは」
抱きついてくる七瀬の背を、縁はかるく叩いた。
「よ、よかった……」
「編集長たちは」
「あ、ほら」
指したほうから、当人たちが歩いてくるのが見えた。盾崎が、かるく手をあげるのも。
縁と七瀬が、駆け出していった。
(了)
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クリエイターコメント | お待たせしました。『【終末の日】ドゥームズデイ・ヘッドライン』をお届けします。 以上がその日の、ジャーナル社周辺の様子の記録となります。
今回は、一定のチェックポイントをクリアできるかどうか、まずみなさんのプレイングを機械的に見させていただくという手法をとりました。それによって、展開や結果を分岐させていますが……これはかなり最良に近い結果です。正直、マイティハンクについては死ぬことも覚悟していたので、ご参加のみなさんには感謝を述べたいと思います。
銀幕市民の最終決戦は、まだすこし続く模様です。 リッキー2号もまた、記録者という名の市民として、かたずをのんで、見守りたいと思います。 |
公開日時 | 2009-04-22(水) 19:30 |
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