 |
|
 |
|
<ノベル>
2006年12月31日。
地獄と銀幕市とをつなぐ巨大な門の前には、動きやすい衣装に身を包んだ七人の人間と、千切れんばかりに尻尾を振る二匹の巨犬が佇んでいた。
地獄門の番人にして紅蓮公の異名を持つ地獄の貴公子ゲートルードが企画した『地獄一望年越しツアー』の参加者六名と、そのナビゲーター役を押し付けられたゲートルードの義弟唯瑞貴、地獄の巨犬ケルベロス・オルトロス兄弟である。
「では、出発だ。"冥王の野"の方ではまだ忘年会が催されているようだ、邪魔をしないように別のルートから行くぞ」
今回の旅の先導者、というよりはもしかすると一番の被害者かもしれない青年が、いつも通りの、一般的には普段着というより武装と呼ばれそうな衣装の裾を揺らして踵を返すと、
「おうよ。んー、楽しみだなァ。忘年会も楽しかったけど、こっちはもっとワクワクする」
金の体毛を持つ獅頭の獣人、トト・エドラグラが、草原のような翠の目を細めて喉を鳴らした。首から上だけ見れば、機嫌のよい百獣の王そのものだ。
「まったく楽しみだな。八大地獄山ってのはどんなとこなんだろうなぁ。しかしトト、あんたの着てるそれはいったい何なんだ? 初めて見るが、何かの皮か? えらく綺麗な光沢だが」
白銀の目で地獄の向こう側を見遣ったあと、トトの衣装に目を向けて理月が言う。彼はいつも通りの漆黒の武装に身を包み、腰には『白竜王』を佩いている。
しかしトトは少し違った。
いつもはもう少し普通の――といってもファンタジー映画的『普通』の、だが――服を着ていたはずなのだが、今の彼は、サファイアのようにきらめく小片が幾何学的に張りついた、腰蓑かスカートを彷彿とさせるそれだけを身につけていたのだ。
「あ、あたしも思ったー。すっごく似合ってるけど、そんな布、銀幕市には売ってないよね」
言って物珍しそうにトトの腰蓑を見つめるのは、褐色の肌ときらきら輝く目が美しい、小柄な少女。サリーを着せればボリウッド女優だがその実中身は大和撫子、沢渡ラクシュミである。
「ん、オレたちって、こういうハレの舞台では、自分が今までに仕留めた最高の獲物から取った皮で作った服を着るんだよ。それができて一人前、ってわけだな。これはオレが何年か前に壮絶な死闘の末仕留めたブルードラゴンの皮なんだ」
「へえー、すげぇな。死闘ってとこが特にスゲェ。触ってみてもいいか?」
浦瀬レックスが興味津々といった表情でトトに近づくと、怖い外見に似合わず気のいい獣人は、
「おう、いいぜ」
スカートの裾をつまむような動作で、ブルードラゴンの皮を示してみせた。長い指先でそれに触れたレックスが感心したように頷く。
「思ったよりすべすべしてるんだな。生きてたときのこいつが見てみたい」
「すごーい。『暁の大地』で大きな行事に出るときのトトさんがいつもそれを履いてたのはそういうことなんですね! あ、あとでいいんでサインくださいね。それと、出来ればその鬣(たてがみ)も触らせてほしいなぁ。ねえ山下さん、すごいですよねぇ」
スタンダードのごとくにサイン帳を抱き締めた七海遥が目を輝かせると、
「本当にすごいですね。とっても素敵です、似合ってますよ、トトさん」
巫女の山下真琴が清楚な美貌をほころばせて言った。
それに重ねるように、ラクシュミがまたすごいを連発する。
トトの緑の目がふにゃんとやわらかくなる。照れているらしい。
「やめろよー、恥ずかしいじゃねぇかよー」
雄々しくたくましい、まさに戦士といった趣の獣人の、ある種可愛らしくすらあるその姿に誰もが笑った。動物好きの理月など、本気で目尻が下がっていたほどだ。
「さあ、んじゃ行こうぜ、ここでごちゃごちゃ言ってても仕方ないもんな。唯瑞貴さん案内よろしく! まずは八大地獄山だっけ?」
仕切り直し、とばかりにレックスが言うと、黄金の瞳孔のある不思議な赤瞳を細めた唯瑞貴が小さく頷いた。
そして、ケルベロスとオルトロスを手招きする。
わん、と鳴いた二匹の背には、人がふたりほど乗れそうな座席が据え付けてあり、その座席からはいくつかの荷袋が下がっていた。
「八大地獄山、正確には連山なんだが、あそこまでは結構時間がかかる。男どもはおあつらえ向きに戦闘系映画出身のムービースターのようだから思う存分長距離走を楽しんでもらうが、女性陣は彼らの背に乗ってくれ。心配せずとも彼らはよい乗騎だ、快適な旅を約束しよう」
「うわー、やった! ケルベロス、オルトロス、よろしくねー!」
「ケルベロスちゃんの背中に乗せてもらえるなんて感激! ねえねえ、私を覚えてる? お土産にオヤツと玩具を持って来たの、あとで一緒に遊ぼうね!」
「得難い経験ですね、これは。……少し怖いような気もするけど、でも、楽しそう。ケルベロスさんオルトロスさん、どうぞよろしくお願いします」
ラクシュミに身体を撫でられたオルトロスが目を細めて喉を鳴らし、千切れんばかりに尻尾を振ったケルベロスは三つの首で遥と真琴の顔を舐めた。くすぐったげな笑い声が上がる。
女性陣とわんこ二匹が友情を温めている中、男性陣はやや微妙な顔つきをしていた。
なにせ、扱いが違いすぎる。
「って、なんかすげぇ差別ぶりだな。快適さが天国と地獄だ」
「ん、理月は脚に自信がないタイプか? 無論楽しい旅を苦行にしたいわけでもない、辛いなら背に乗ってくれて構わない」
淡々とした唯瑞貴の言葉に、理月は肩をすくめた。
「んなわけねぇだろ、こちとら百戦錬磨の傭兵様だぜ。脚だの体力だのに自信を失っちまったら、もう傭兵とは名乗れねぇよ。――トトとレックスはどうだ? 別にどうってことねぇよな?」
「当然じゃねぇか。三日三晩不眠不休で王をお守りしたオレの体力、舐めんじゃねぇぞ?」
「オレもトトさんに同じ。つーか、運動したらメシも美味いだろうしな! よし、んじゃ乗りなよ、ラクシュミ、遥、真琴。早速行こうぜ」
レックスが声をかけ、男性陣全員で少女たちを巨犬の背に乗せる手伝いをする。
ケルベロスの背には遥、オルトロスの背にはラクシュミと真琴が腰かけた。三人は、案外安定感があり、座り心地がいいことに驚く。
「よし、完了だな。唯瑞貴、まずはどっちだ?」
「……南へ一時間ばかり行く。まっすぐ進めばいいだけだから、迷うことはないだろう」
「よっしゃ、理月さん、レックス、唯瑞貴。競争しようぜ!」
トトの言葉に男全員がにやりと笑った。
「……いいね」
同意の言葉と同時に、四人と二匹は走り出した。
まさに風のような速さで、あっという間に地獄門を遠ざかる。
――こうして、地獄を巡る短い旅は始まった。
目を疑うようなスペクタクルと数多くの喜び、物騒な混乱の予感を孕んで。
一行が八大地獄連山の入口に辿り着いたのはそこから小一時間が経過した辺りだった。
やはり戦闘系ムービースターの体力脚力たるや大したもので、八大地獄連山に到着するまで、彼らは一度も足を緩めなかったし、休憩を必要ともしなかった。
少女たちは、思いの他揺れの少ない巨犬の背で、移り変わる地獄の景色、とてもここが罪人への責め苦のためだけに存在するとは思えない光景をうっとりと眺めていた。
「結局勝負はつかなかったか。……あんたらも大概すげぇな、俺の故郷で傭兵やったらきっと売れるぜ。で、ナビゲーター、ここは?」
「普通に唯瑞貴と呼んでくれ、気が抜ける」
「そりゃすまねぇ。んじゃ唯瑞貴、ここは何だ?」
「ここは等活(とうかつ)地獄山だ。生前に無闇矢鱈と生き物を殺した者が落ちるとされる地獄の名を冠している」
「えっ、じゃあ鬼さんたちに責められる罪人さんがいるの? あたしそれはちょっと見たくないんだけど……」
「確かにあんまり楽しそうじゃないよね。サインももらえなさそうだし」
「オレとしてはもし書いてくれるなら地獄の罪人にもサインをもらうのかとすげぇ突っ込みてぇんだが。まぁでも、可哀相だもんなぁ」
「心配は要らない、ここに罪人はいないから」
「あ、そうなんですか。よかった、罪を犯したとはいっても、人が苦しんでいる姿を観たくはありませんものね」
「……銀幕市からお客人を招くということで、今は違う場所に移されて責め苦を受けている。忘年会とツアーが終わり次第元に戻されるだろう」
「え」
「うわ」
「嘘っ」
「それが地獄というものだろう。他の地域もそうだが、外界からの客人たちにそのような見苦しいところを見せるわけには行かないからな、ここしばらくは静かなものだ」
淡々とした唯瑞貴の物言い、罪人に何の慈悲も持たないそれに、一同しばし言葉を失う。
彼自身は自分を普通の人間だと言っているが、地獄と長い間付き合っている所為で、そういう意味での人間的な常識とはかけ離れてしまっているのかもしれない。
その辺りの齟齬が何のトラブルにつながるか判らないから、肝に銘じたほうがいいな、と男三人は胸中につぶやき、少女たちは唯瑞貴が唐突にまったく見知らぬ存在になってしまったかのような目で彼を見つめた。
ほんの一瞬の沈黙のあと、
「まぁいいや、とりあえず登ろうぜ! せっかく来たんだ、楽しまねぇと」
気を取り直して等活地獄山へ踏み込んだのはレックスだった。
苦笑し、肩をすくめた男ふたりがそれに続き、巨犬たちの背から降りた少女たちが恐る恐る――しかし珍しげに――男性陣にならう。
少女たちを守るように巨犬二匹がその脇を歩き、ナビゲーター唯瑞貴は殿(しんがり)を慣れた足取りで進んだ。
そこはそれほど急ではない、わりと登りやすいなだらかな山道で、一行はリラックスし、他愛ない会話、たとえば学校や仕事の話、対策課に出されていた依頼の話、自分が今までに参加した依頼のことや、銀幕ジャーナルを読んだ感想などを交わしながら山道を歩く。
「……とっても怖い場所なのに、綺麗だね。あたし、こんな風景見たことない」
周囲を見渡してラクシュミがつぶやいた。
「本当に。ここが地獄だなんて、言われなければ判らないわよね」
「私も驚きました。罪のない人間にとっては美しいだけの世界なのかもしれませんね、地獄というのは」
少女たちが溜め息のような感嘆の言葉をこぼすとおり、等活地獄山は美しかった。
そもそもは、手に刃が生えた状態でここに落とされた罪人たちが、互いに掴み合って傷つけあい、ついには死ぬが、何度でも甦ってしまうという地獄なのだが、そんな血生臭い光景は一切なく、そこは、水晶のような幹に、白刃を彷彿とさせる葉がきらめく、幻想的な樹木によって彩られていた。
空から陽光が差し込むたびに、触れれば切れてしまうだろう葉がきらきらと輝き、またそれが幾重にも反射して、地獄の凄惨さどころかある種の神秘性、神々しささえ醸し出しているのだ。
「……幹は石か。この葉っぱ……刃は刃なんだな。争い合って我を失い、逃げ惑えば身体を切り裂かれるってわけか。残酷な罰だ。観てる分には恐ろしく綺麗だが」
幹に触れ、葉を指先で確かめた理月が言い、高々とそびえ立つ樹を見上げる。きっと、彼らがいない普通の日には、罪人たちがぶつかり合い、突き刺さって、あちこちが赤く染まっているのだろう。
「葉だって上を向いてるんだから、静かな気持ちでゆっくり進む分には問題ないんだろうな。これに刺さっちまうくらいテンパってるって、地獄に落ちた罪人ってどういう気持ちでいるんだろう」
「……気になんのかい、レックス」
「そりゃ気になるさ。トトさんは気にならねぇの? 人を殺すっておっかねぇことなんだなって、ガラにもなく思っちまうよ」
「あぁ、なるほどね。オレの世界じゃ、死は母なる大地神の御許に行くだけだからな。殺すも殺されるも流れのひとつだ、死は結果に過ぎねぇ」
あっけらかんとしたそれは、厳しい大地で生きるか死ぬかの日々を送っていた種族としては相応しいもので、レックスは苦笑してそうか、と返した。世界の違いは死生観にも大きな差異をもたらすようだ。
そのままどんどん登って行き、頂上に到着したのが一時間後だ。
といっても等活地獄山は八大地獄連山で一番低い山らしく、頂上に到着したところで新しい景色が見えるわけではなかったが。
そこから更に一時間ほど下ったところで別の地域に到着した。今度は黒い線のようなものが垂れ下がった、沈鬱な雰囲気のある地域だった。あまり進んで踏み込みたくはない印象だ。
右手には、ごつごつとした岩や鉄塊で覆われた、荒涼としてはいるが比較的明るい山が見える。
「ここは黒縄(こくじょう)地獄山。殺生と盗みの罪を犯したものが落ちる、第二の地獄の名を冠している」
「質問です先生! あの黒い線? は何ですか?」
「……遥。出来れば名前で呼んでほしいんだが。ものすごく珍妙な気分になるから。さておき、あれは罪人の身体に線を引くための、墨に似た液体をしみこませたものだ。罪人はあれで身体中に線を引かれ、獄卒たちによって線の通りに切り刻まれる」
「グロっ。うわーいやなもん想像した。やっぱ地獄なんだなぁここ」
「当然だ」
「なんか、あんまり踏み込みたくねぇんだけど、俺……」
「往路に踏み込む必要はない」
「どういうことだ?」
「どうせ復路に寄るからな。地獄菌類は主にこの黒縄地獄山で採れる。無間(むけん)地獄山を見学したあと、ここで狩ってもらうぞ」
「うわ、マジかよ」
「マジかよもなにも、そうしないと晩飯の食材がない」
「あのー、唯瑞貴さん。私たちも狩るんですか、それ。極殺神喰い茸みたいなものすごいのを倒す自信は一切ないんだけど……」
「っていうか反対に狩られそうな気がするな、あたし。その時はオルトロスに助けてもらおう」
「必須と仰るなら努力しますが、兄もいませんし、ちょっと不安ですね」
女性陣、まだ十代の少女たちの少し不安げな声に、唯瑞貴は首を横に振った。確かに、以前銀幕市を震撼させたあの巨大茸を目にした者なら、まず間違いなく不安になるだろう。
あれは所詮変異体だ、地獄においてあれほどのものが発生することはないが、か弱い少女たちに命の危険を伴う肉体労働を無理強いするほど唯瑞貴も鬼ではない。
――男たちには無理強いして悔いない辺りは鬼かもしれないが。
「幸いここには戦闘系ムービースターが集っている。そこの三人が何とかするだろう、あなたたちはケルベロスとオルトロスに乗って見学しているといい」
「うお、拒否権なしっぽい発言。ってか唯瑞貴、あんたは手伝わねぇのかよ。仮にも客だぞ、俺たちは」
「どうしようもないなら手伝うが、私ごときの手を必要とするほど弱くもないだろう、あなたがたは」
「む、そう言われると当たり前じゃねぇかと返すしかない自分がいるんだが」
「いざとなればトトさんに狂戦士化してもらえばいいんじゃねぇの? 何とかなるって」
「オレとしては、ロケーションエリア展開は【憤怒の雄牛】にとっておきてぇんだけどなぁ。まぁ、必要ならやるから心配すんな、オレ様がいるからにゃなんとでもなるさ」
偉そうに胸を張ったトトが金色の髭を動かして言うと、理月もレックスも納得したように頷いた。
ラクシュミが頑張ってねーなどと無邪気に言い、記念すべき一枚をおさめるためにデジタルカメラを取り出す。遥はちょっとホッとした顔でよろしくねと笑って手を振り、真琴はどこまでも物静かに、優雅な所作で一礼した。
「では決まりだな。ひとまず無間地獄山へ向かうぞ。先は長い、ラクシュミ、遥、真琴はケルベロスとオルトロスの背に乗ってくれ。残った山は通り過ぎるだけにする。途中レテ川を超えねばならないが、間違っても落ちて記憶を失うなよ。そのまま輪廻の輪に放り込まれるぞ」
唯瑞貴の、淡々としているがゆえに真実と判る、洒落にならない脅しとともに、一行は更に奥へと分け入る。
次に通ったのは衆合(しゅうごう)地獄山だ。殺生・盗み・邪淫の罪を犯したものが落ちる地獄の名を冠したこの山は、別名を堆圧地獄というように、罪人を押しつぶす責め苦を与える場所であるという。
そのため、山は大きな岩や小山の鉄塊に覆われており、罪人たちはこれによって身体中を砕かれるらしい。
荒涼と広がる、寒々とした無機物の山は、どこまでも白く冷たく、身動きするものひとつなく沈黙していた。
四番目に通ったのは叫喚(きょうかん)地獄山。殺生・盗み・邪淫の罪に加えて酒の売買を行ったものが落ちると言われる地獄の名を冠している。
ここには、金色の頭、目から火を噴き出し、赤に衣服を着た巨大な獄卒がいた。いつもは罪人たちを追いかけまわし、弓で射ているらしいが、今日はびっくりするほど愛想よく手を振ってくれた。凶悪な顔に満面の笑みを浮かべてくれるのはいいのだが、正直ちょっと怖い。
ここは山というよりなだらかな丘陵といった趣の場所だったが、異様なのはその大地のあちこちに大きな穴が空いていることだろう。
穴は鍋を彷彿とさせ、その中はぐらぐらと煮えたぎる湯や蝋や鉄でたっぷりと満たされている。
叫喚地獄とは、罪人が様々なもので煮られて苦しめられる場所なのだ。
もうもうと上がる湯気を避けるように、一行は次へ進む。
五番目に通ったのは大叫喚(だいきょうかん)地獄山だ。殺生・盗み・邪淫・酒の売買を行った罪の他に、嘘をついたものが落ちるという地獄の名を冠している。大叫喚の名を聞けば判るとおり、ここには叫喚地獄山を更に大がかりにしたような風景が広がっていた。
やはり山というよりもなだらかな丘のような場所に、叫喚地獄山の十倍近くある穴がいくつも掘られ、そのなかで煮えたぎった湯や金属がごうごうと音を立てている。
ここに落ちた罪人たちは、等活・黒縄・衆合・叫喚地獄の十倍もの苦痛を味わわなくてはいけないという。
恐ろしい顔の獄卒たちが満面の笑みで見送ってくれる中、一行は足早に次の地へ向かう。
六番目に通ったのは焦熱(しょうねつ)地獄山だ。殺生・盗み・邪淫・酒の売買・嘘の他に、邪見の罪を犯したものが落ちるといわれる地獄の名を冠しているこの山は、その名が示すとおり全体を火に包まれていた。
しかし、地獄の業炎が生身の人間である一行を焦がすことはなく、それはただ肌をざわめかせるような熱気を伝えるとともに、赤々と、煌々と辺りを照らし、風景を幻想的に揺らめかせた。これが罪人たちを焼き焦がし、永劫の苦しみを与えるのだとはとても思えない美しさだった。
この山にも樹があり、それらが大地から噴き上げる火を受けて輝く様は感動的ですらあった。
幹はルビーやガーネットを彷彿とさせる深い深い赤に輝き、葉はすべてが真紅の炎だ。風に遊ぶかのように揺らめき、流れ、たわむ火の葉が、深紅の幹をさらに輝かせる。
視界すべてが赤に染まったかのような風景だった。
忘却の川レテを無事に通過し、一行が七番目に通ったのは大焦熱(だいしょうねつ)地獄山だ。殺生・盗み・邪淫・酒の売買・嘘・邪見の罪の他に、清く聖なる存在を犯した者が落ちるとされる地獄の名を冠している。大焦熱の名からも判るように、ここの風景は焦熱地獄山とよく似ており、山は全体を火に包まれている。
しかしその火の規模は焦熱地獄など及びもつかぬほどで、噴き上がる炎は天を焦がすかのようだ。
罪人たちはこの火に、地獄に落ちた瞬間から、ほぼ永劫に近い時間を苦しめられ続けることになるが、その火が一行を襲うことはなく、深紅に染められて揺らめく世界を、彼らは感嘆とともに見つめた。
現実味など欠片もない、無慈悲で凶悪だが、たとえようもなく美しい風景だった。
そしてついに一行は、最奥部へと到達する。
「ここが無間地獄山? 山って言うには平坦だけど」
言葉もなく大焦熱地獄山を通り過ぎた後、ようやく到着したそこで、ラクシュミが不思議そうに首をかしげた。
「なんだか、あそこで途切れてるみたい。唯瑞貴さん、どうしてここが『山』なんですか?」
遥が、八大地獄山最奥部、無間地獄山と称される場所の端を指差した。確かにそこから先には何もなく、ただ切り立った崖のようになっている。
「ここは確かに無間地獄山だ。だが、またの名を無間大峡谷という。……端から覗いてみるといい。ただし、くれぐれも気をつけてな」
そう言われて、慎重に端まで進み、下を見下ろした六人は、
「……これって……底なしなのかしら」
「うわ、すごっ。そんなに高いところまで登ってきた気もしなかったのに、なんでこんなに深いんだろう」
「なんじゃこりゃ。おっかねぇ……尻尾の毛が逆立ったぞ」
「恐ろしいという言葉しか浮かびませんね」
「俺は別に高所恐怖症ってわけでもねぇが、ちょっと足が震えるな、これは。戦いとか死への恐怖とはまったく別の怖さを感じる」
「え、ここ落ちたらオレたちも地獄の罪人扱い? てか戻って来られなさそうだな……」
息を飲み、めいめいに嘆息めいた言葉をこぼした。
「ここはもっとも重い罪を犯した者が落ちる。ここから投げ落とされた罪人は、底につくまで二千年かかるという。地獄とともに百代の時間を生きてこられた義兄上も、自らこの中を確かめたことはないそうだ」
「じゃあ、底がどんなものなのかは判らないんですか?」
「あそこに勤める獄卒は、冥王陛下のお力で地上と底とを行き来しているそうだが。中は火と悪鬼に満ち、大焦熱地獄ですら天国のように思えるほどの責め苦が与えられるという」
しかも責め苦は永遠以上の永遠の時間をかけて行われ、それはなんと、一辺が一由旬(一由旬は七マイルとも九マイルとも言われている)もある大きな石を百年に一度だけやわらかな布でさっと拭うという作業を繰り返し、石が摩滅してなくなるまでの時間よりも長いという。
それほど恐ろしい、それほど罪深い場所なのだ、ここは。
「だが、ここは美しいだろう」
唯瑞貴の、どこか誇らしげな声に、顔を見合わせた一行が苦笑して頷く。
ケルベロスとオルトロスが尻尾を振り、わんと吼えた。その声が峡谷に反響してうわわん、と響く。
「うん、なんでこんなに綺麗なんだろうって思った。等活地獄山のときも思ったけど、あたし、こんなに綺麗な景色、生まれて初めて見るよ」
「ホント、心の底からすげぇと思う。こんな場所もあるんだな。オレの故郷にも、こんなすげぇ場所はあったんだろうか」
無間地獄山、またの名を無間大峡谷と言うそこは、どれだけ目を凝らしても、あるべき底が見えないほどに深かった。どこまでもどこまでも続く虚ろな穴に、じっと下を見つめていると眩暈すらするほどだ。
しかし、厳しく切り立った岩山と、目にしみるほどの深い青空、はるか上空を飛んでゆく大きな鳥と雲、それらの調和は素晴らしかった。
今まで誰の目にも触れたことのない秘境の、誰も到達したことのない断崖絶壁。そう言われても信じてしまいそうな、ただただ静謐で神秘的な空間がそこには広がっていた。
どこまでも、終焉すら見出せぬほどの広大さで続いていた。
決してこの世のものではありえない、絶景というのも馬鹿馬鹿しいほどの絶景が、一行の目の前に広がっているのだった。
「……カメラなんかじゃ、きっと、この景色を見て感動したって気持ちは残せないんだろうな」
つぶやきつつも、ラクシュミがデジカメのシャッターを切る。
カシャリ、という人工的な、聞きなれているはずの音が、この場では滑稽にすら思えた。
帰途。
一行は再度黒縄地獄山の前にいた。
男性陣は山菜取り(と書いて猛獣狩りと読む)の準備体操に勤しんでいるが、戦闘人員ではない少女たちは、ケルベロスとオルトロスに守られて、山の入口で留守番となった。ちなみに、適材適所だ、と嘯(うそぶ)いていた唯瑞貴も狩りメンバーに強制参加である。
「さーて、んじゃ、今夜のメシの材料を狩るとするかー」
ごきごきと首を鳴らすのはトトだ。
「おうよ、腕が鳴るぜ。あ、オレ多分能力使いまくるから、周囲には気をつけてくれよな」
「そっちが気を遣ってくれ、頼むから俺たちを巻き込むなよ」
「……判った、頑張る」
「頑張らなきゃ出来ないようなことじゃねぇだろ……」
溜め息をついた理月が、『白竜王』を片手に、黒い線が下がった森の中へ踏み込んでゆく。
森とはいっても木々は白骨のように枯れ果てており、視界を遮られるということはなかった。枯れて折れた葉や枝が、理月のごついブーツに踏み締められてさくさくと音を立てる。
「……なんか、乾ききった骨を踏んでるみてぇな気分になるな」
「正解だ」
「え」
「これは白骨ノ木という。果てた亡者の骨から生えたと言われる木だ」
「なんつー不吉なもんを踏ませんだ、あんたは!」
「大丈夫、何百年もこのままだから、黴菌などはついていない」
「そういう問題じゃねぇだろ!」
俺こいつの常識が判んねぇ、と胸中に溜め息をついた理月だったが、言っても無駄な気がして口をつぐんだ。
そのまま、注意深く周囲を伺いながら森の中を進む。
しばらく行くと、それまで無音だった森に、がさがさ、ごそごそという物音がし始めた。
「……囲まれたな」
トトがつぶやき、同時に、鮮やかな緑の目を猛々しい戦意に染めて細めた。
「ああ、でも、いい匂いだ。パスタやグリルにしたら、美味いだろうな」
くん、と匂いを嗅いだレックスの身体のあちこちに、刺青のような薄い模様が浮かび上がった。
「数は……二、違うな、三か。おまけにでけぇ。あんだけありゃ、夕飯にゃあ事欠かねぇんじゃねぇの?」
『白竜王』の柄を握り直し、理月は冷静な目で周囲を伺う。
ぱきんっ、と音がした。
誰かが枯れ枝を踏み割ったのだ、と皆が理解するより早く、
「しゃしゃしゃしゃしゃっ、しゃげえええええええええええっ!」
この世のものとも思えない、恐ろしい咆哮が響き渡った。
同時に、何か巨大なものが地を蹴る、重々しい震動がこちらまで伝わってくる。
「はっ、来やがったな?」
トトが笑い、背に負った大剣を軽々と引き抜いた。
「しかし、こんな簡単に出てくるとは思わなかったな。ま、手間が省けていいけど」
レックスの周りを風が渦巻く。
「いつもこんなに群れてんのか、あいつら。全然幻の珍味っぽくねぇな」
理月は四方から突進してくる巨大なそれらを、特に慌てるでもなく見据えながらつぶやいた。
唯瑞貴が首を横に振る。
彼もまた剣を抜いていたが、あまりやる気は感じられない。三体なら三人に任せればいいと思っているのかもしれない。
「普段はもっと奥の、水分の多いところにいる。仮にも菌類だからな。彼らは本来、迷い込んだ獣や亡者を食っているが、忘年会とツアーのためにここの罪人を移動させたからな、それで腹を減らして出てきたんだろう。餓えた地獄菌類は手負いの猛獣より恐ろしいぞ、気をつけてくれよ」
唯瑞貴がそう言ったところで、最初の一体がトトに向かって突撃した。
かたちはエリンギ、色は焦げ茶色、軸の真ん中にホオジロザメのような牙がついた巨大な口。全長は三メートル。褐色の四肢で地面を踏み締めたそれを、トトは楽しげに見つめた。
そこに、獰悪なケダモノへの恐れは一切感じられない。
「唯瑞貴、これはなんてキノコだ?」
「爆殺人喰い茸の一種だ。ヤツらの生態はほとんど解明されていないが、身体の色の違いは生息地の微妙な差から生まれるのだろうと言われている」
「へえ……んじゃ、食ったら美味いってことだよな!」
言うなりトトはそいつの間合いへひょいと入り込み、巨大な剣を唸らせて、剣の腹を爆殺人喰い茸に叩きつけた。
べにょっ、という奇妙な音と手応えがあって、巨体と巨大な剣、双方に似合わぬ俊敏な動きについていけず、頭と思しき部分を強打されたキノコはよろよろと倒れた。
脳震盪などというものがこの生き物に存在するのかどうかは微妙なところだが、どうやら目を回したらしい。
「一丁上がり〜」
トトが明るく笑った向こう側では、風の塊を作り出したレックスが、それを別のキノコにむけてぶつけるところだった。
「ま、あんま傷つけると不味くなりそうだし?」
キノコは爆殺人喰い茸に角が生えたような姿をしており、色は鮮やかな紫色だ。サイズはやはり三メートル。匂いこそ大層かぐわしいものの、ビジュアル的には怪しさ満載の、本当に食えるのかどうかすら定かではない代物だったが、
「瞬殺鬼喰い茸だな。この世の果てが見えるんじゃないかというほど美味いらしいぞ」
唯瑞貴が言うように、やはりどうやら食用であるらしい。
恐ろしく不吉で強面な名前のそいつも、しかし、レックスが何度も風の塊をぶつけると、大きな口から泡を吹いて引っ繰り返った。ひくひくと四肢を痙攣させている。
「よし、大物大物。あとは理月さんだけだぜ、頑張れよ!」
キノコというより鰐のようなそれの脚に紐を巻きつけつつレックスが言うと、瞬殺鬼喰い茸に鱗が張りつき、更に棘つきの尻尾まで生えたようなかたちの、金色がかった茶色のキノコと向かい合っていた理月が頷く。
「滅殺竜狩り茸まで。すごいな、あなたたちは運がいい。きっとこれも魔王陛下のご采配だろう」
それはもはやキノコというより竜だったが、様々な存在と刀を交えてきた理月には特別怯えるような存在でもない。低く唸りながらこちらを伺い、また威嚇するそれの強さを侮ることこそないが、理月は相手に怖じて背を向ける無様をさらすほど腰抜けではなかった。
「こいつを狩らねぇとメシにありつけねぇんだよな。なら、とっとと始末するか……」
言うと同時に、『白竜王』をきらめかせて滅殺竜狩り茸へ突っ込む。
キノコはこどもくらいならひと呑みにしそうな口で咆哮し、理月に向かって跳躍した。巨体に似合わぬ俊敏さは、確かにこれが地獄の存在なのだと教えてくれる。
だが、理月は十数年を戦場で過ごした猛者中の猛者だ。
「は……ッ」
彼が、滅殺竜狩り茸とすれ違い様、低い呼気とともに『白竜王』を一閃させると、キノコは前脚と後脚の真ん中で真っ二つになり、ぼとぼとと地面に落ちた。
「うし、採集終了。持って帰ろうぜ」
息を乱れさせることもなく腰に刀を戻し、理月が言う。
「お見事。やはり私の出る幕はなかったな」
「つーかあんたは最初からその気もなかっただろ」
「いやー、でもすっげいい匂い。はやくあいつらにも見せてやろうぜ。これで何作る?」
「これだけありゃあハラ一杯食えるよな。"冥王の野"にいる連中にもあとで差し入れしてやろうか」
「あ、それいいな」
キノコを抱えて戻った野郎どもに、少女たちが惜しみない拍手と賛辞を送ったのは言うまでもない。
そして最終ステージである。
八大地獄連山を出た一行は、今宵の晩餐のために、地獄一の美味と言われる肉の確保に挑んでいた。
場所はゲヘナ平原。
青々とした緑が延々と続く、サバンナを彷彿とさせる地域で、"冥王の野"に近いタルタロス大平原ほどの大きさはないが、滋味深い、美味な獣が獲れる場所として、地獄住民たちに愛されている場所だ。
そのすみっこで、ラクシュミは枯れ枝で自分の身長ほどもある櫓(やぐら)を組んでいた。
といっても、突起の多い枝ばかりなので、好きなように重ねてゆくだけですぐ大きな山になる。その隙間に更なる枝を引っかけ、どんどん大きくしてゆくのだが、これが案外楽しいのだ。パズルに似ているかも知れない。
「えーと、まずは火を熾(おこ)すんだよね。――あ、遥ちゃん、たくさん取れたね、こっちに持ってきて」
夢中で櫓を組んでいたラクシュミは、冬にもかかわらず鮮やかな緑色を保っている草の山を抱えて戻ってきた遥に向かって手を上げた。うなずいた遥が、運んできた草を櫓の中に詰め込んでゆく。
「うん、沢渡さん。これでたくさん煙が出て、その牛さんをおびき寄せてくれるかな? あっ山下さん、火の準備OKですか?」
「ええ、大丈夫ですよ。つけていいですか?」
「うん、よろしく」
真琴は火の準備を任されていた。油をしみこませた布を太い枝に巻きつけるとマッチで火をつけ、燃え上がるそれを櫓へそっと差し込む。ちりちりちりっという音がして、櫓は盛大に燃え上がった。
もちろん、類焼しないように、草や可燃物のない土の上で燃やしている。いくら生木や生きた植物は燃えにくいといっても、三百六十度を草で覆われたこの場所で火が燃え広がったら恐ろしいことになってしまう。
思った以上の火力で櫓は燃え、もうもうと煙が立ち昇り、三人は思わず咳き込んだ。目に煙が入って涙が出る。
「わわっ、ちょっと燃えすぎたかも……!?」
「危ないですね、ちょっと避難しておきましょうか。これで牛さんが来てくれるといいんですが……」
「っていうか、狩りの皆はちゃんとスタンバイしてくれてるのよね? これで牛さんだけ突っ込んできちゃったら私たちぺっちゃんこだよ。あ、山下さんは弓持ってきてるんだっけ」
「持っていますが、できればあまり使いたくはないですね。そもそも、地獄の猛者の皆さんが十人がかりで仕留めるような大物を、私ひとりで何とかできるはずもないですし」
困ったように笑った真琴が、念のためにと持参した弓を手にしたまま周囲を見渡す。そこには、先導者唯瑞貴を始めとした男たちはおろか、ケルベロスやオルトロスの姿もない。
【憤怒の雄牛】と呼ばれる最高級の肉の持ち主をおびき寄せるために少女たちが火を焚き、男たちはそれを待ち伏せて狩るべくあちこちに身を潜めているのだ。ケルベロスとオルトロスもしかりである。
少女たちが、ごうごうと煙を噴き上げて燃える櫓を見つめること十数分。
不意に地面が震動した。
「あれ?」
「今、揺れましたよね」
「牛さんが来たのかな……って、ふたりとも、あれ!」
平原の向こう側を見晴るかした遥が息を飲んで指差す。
遥にならって同じ動作をしたラクシュミと真琴も、次の瞬間絶句した。
呆れたといってもいい。
「……あれはどう考えても牛じゃないと思うんですが……」
「共通点、角だけじゃない?」
「角だけ見れば確かに牛っぽいけど。そもそも何ていう生き物なんだろう。『天獄聖大戦』シリーズは何度も観てるけど、あんな生き物がいるなんて知らなかったなぁ。うーん、勉強になる!」
でもさすがにサインはもらえないよね、とつぶやく遥の視線の先には、身の丈五メートル、体長にして十メートルもの、巨大な黒い獣が佇んで、ごうごうと燃える櫓を見据えている。
毛は黒、目は深紅、角は黄金。目が三つ、脚は六本、角は五本。
脚には蹄、口には牙、尻尾はトカゲ。
異形の竜と牛の合いの子のような、とてもではないが草食動物とは思えない生き物の登場に、場が一気に緊迫した。小ぶりの獣たちがそそくさと逃げてゆき、驚いた鳥たちが、ギャアギャアと鳴きながら空へと飛び立ってゆく。
「せっかくだから写真撮っておこ」
何やかや言いつつ結構暢気に、【憤怒の雄牛】にデジカメを向け、ラクシュミがシャッターを切った。
――それが気に食わなかった、というわけではないだろうが、ゴオオッ、と咆哮した『牛』が、地面を踏み鳴らして櫓へ向かってくる。
距離にして三百メートル。到達まではあっという間だ。
だが、少女たちがそれに恐怖する必要はなかったし、事実、彼女らは悲鳴など上げもしなかった。
何故なら、次の瞬間には、木の陰や草むらから飛び出してきた男たちが、めいめいの武器を手に【憤怒の雄牛】を取り囲んだからだ。最初からそういう手はずだったのだ。
更に、血色の双眸を細めたケルベロスとオルトロスが、舌なめずりをして『牛』ににじり寄る。
『牛』が、ゴオッ、と吼え、前脚でゴツゴツと地面を引っ掻く仕草をする。
そして平原の闖入者たちへ突っ込んでゆく。
最初の標的は――トトだ。
トトはにやりと笑って大剣を構えた。
「来いっ!」
獅頭の獣人は轟と吼え、地響きを立てて突っ込んできた巨大な『牛』と真っ向から組み合うが、ごっ、という鈍い音がしたかと思うと、トトの身体は宙を舞っていた。【憤怒の雄牛】の鼻面が、彼の身体を激しく弾き飛ばしたのだ。
「うぉ、お……ッ!?」
トトはくるくると宙を回転したのち、鈍い音とともに着地した。吹っ飛ばされた際に切ったのか、口の端から血が垂れている。
だがトトは怯むことなく、むしろ楽しげに笑った。
「くそ、やるじゃねぇか! ならこっちも本気で行くぜえぇえ!?」
剣を投げ捨て、トトが咆哮すると同時に、空の色が朝焼けに変わった。
風景そのものはあまり変わらないが、ここはトトの故郷と同じような環境なのだから当然かもしれない。
グルル、という獣そのものの唸り声がトトの口から漏れ、鮮やかな緑の目は、今や戦意一色に染められている。
「おおおおおおおっ!!」
雄々しい咆哮を上げてトトが跳躍した。ぎらり、と爪が、牙が輝く。
さっと揮われたそれに顔の一部を切り裂かれ、【憤怒の雄牛】がまさに怒りの咆哮を上げた。顔から血を噴き出しながらも地面を踏み鳴らし、無礼な闖入者たちを踏み潰さんと狂乱する。
だが、もちろん、他の面々も黙ってはいない。
同じく自分のロケーションエリアを発動した理月が、白銀に染まった髪をなびかせて【憤怒の雄牛】に突っ込み、軽く数メートルを跳躍すると、【憤怒の雄牛】の横腹辺りを切りつけた。
ぱっと血が飛ぶ。
痛みと怒りに吼える【憤怒の雄牛】に、今度は、高濃度化された風の塊が激突し、その巨体をぐらりとよろめかせた。
身体のあちこちに不思議な痣を浮かび上がらせたレックスが、余裕のある笑みとともに、両手で空気をかき混ぜるような仕草をすると、また風の塊が生み出され、『牛』を打ち据える。
そうして、執拗に攻撃を加えること十数分。
全身を傷だらけにして、がおう、と『牛』が鳴いた。
不利を悟ったか、身を翻そうとした彼を、唐突に盛り上がった土が、まるで檻のように押し留める。
唯瑞貴もまたロケーションエリアを展開していた。
いつもターバンで隠されている額に、第三の、黄金の目が顕れ、【憤怒の雄牛】を睥睨している。彼が手を宙に突き出すと、第三の金眼がまぶしく光り、更に大地を震動させて、『牛』の目の前に巨大な壁を創り出した。
その後ろ足にケルベロスとオルトロスが噛み付き、動きを封じる。
忌々しげな咆哮が響く。
「おおおっ、うおおおおおおっ!」
『牛』の咆哮をかき消すほどの声で吼えたトトが、十メートル以上の高さを跳躍し、爪の輝く右手を、【憤怒の雄牛】の脳天に叩き込んだ。『牛』の頭に、トトの拳がずぶずぶとめり込む。
ぱっと血塊が散った。
それはまさに致命的な一撃で、『牛』の身体がビクン! と跳ねる。
しばらくの間、それは弱々しい痙攣を続け、なおも踏ん張ろうとしていたが、すぐにそんな力も失って、【憤怒の雄牛】は地面へと倒れた。
ずううぅん、という、恐ろしく重々しい地響きがする。
櫓の向こうで少女たちが歓声を上げていた。ラクシュミと遥が盛大な拍手をし、真琴はほっとした表情で弓を片付けている。
「お疲れさん、皆。ナイスアシストだったな」
「おう、お疲れ。あんたのその能力は便利だな、攻撃にも足止めにもなる」
レックスが痣を納め、理月は刀を腰に戻した。
「……ふう」
息を吐いた唯瑞貴がロケーションエリアを消失させ、ターバンを額に巻きつける。
「さて、ではこれを持って帰って……」
唯瑞貴の言葉が途中で切れたので、訝しげに彼の視線の先を負ったレックスは、その理由を心底理解して沈黙した。
グルル、という低い唸り声と、戦意にぎらぎら輝く緑の目。
トトは、ロケーションエリアを展開すると完全に狂戦士化するのだ。三十分が経つまでは、敵も味方も関係なく襲いかかるという。
「……どーすんの、あの人」
レックスがつぶやくと、
「俺に任せろ」
妙に自信たっぷりな声で理月が請け負った。
「がああッ!」
吼えたトトが理月めがけて突っ込んでくる。
しかし理月は慌てず騒がず、懐から何かの粉を取り出すと、トトの拳をひょいと避けつつ、その鼻面にその粉をぶちまけた。ぱっと白い煙が上がる。
たたらを踏み、トトが立ち止まった。
と、次の瞬間には、
「ひゃほーウ! マタタビマタタビ――ィ。うひひひひ、ちくしょう、たまんねぇゼこんにゃろメー。にゃほほーウ!」
恐ろしく呂律の回らない声でむにゃむにゃと間抜けなことを叫び、ふにゃふにゃーっと相好を崩して、トトはごろんと横になった。ゴロゴロと気持ちよさそうに喉を鳴らすと、ライオンが背中を地面にこすりつけるような仕草で、腹を見せて転がっている。
「……そっか、マタタビに弱いんだっけ、この人。うわー、効果覿面だなぁ。なんかもうさっきとのギャップが激しすぎて何を言えばいいやら」
「おう。前に教えてもらってな、こんなこともあろうかと思って持って来た。というか、こんなことがなくてもいっぺん使ってみようと思ってたんだけどな、観てみたかったから。やー、しかし可愛いな」
どうやら本気らしく、目尻を思い切り下げて理月が言う。レックスは眉をひそめた。
「え……可愛い? それどういう美的感覚?」
「え、どういうってあんた、猫がマタタビに酔っ払ってゴロゴロ言ってんだぞ。これが可愛くないなんて言えるか?」
「トトさん猫じゃねぇじゃん。ライオンじゃん」
「似たようなもんだ。あー、心が和む。ずっとこうして眺めててぇ……」
うっとり、というのが相応しいだろう理月に、レックスは諦めの溜め息をついた。何を言っても多分無駄だろうと思ったからだ。
気を取り直して、もはや物言わぬ物体となった巨大な獲物を見る。
「これにて食材集め終了、だよな。オレもうハラ減っちまったよ、早くメシにしようぜ」
ケルベロスとオルトロスが、先刻採集した地獄菌類が詰め込まれた大きな袋を担いでくる。
唯瑞貴は頷いた。
「では、魔王ヶ原に場所と料理人を待機させてあるから、そちらまで。なに、ここから十分くらい全力疾走すれば着く」
「また走るのかよ……」
実は結構疲れていたレックスは思わず呻いたが、そこに辿り着ければ念願の食事なのだ。一行に否やのあろうはずもなかった。
魔王陛下の館が近いことからそう名づけられた魔王ヶ原では、牛頭馬頭を始めとした獄卒たちが忙しそうに――ひどく楽しそうに立ち働いていた。
とっぷりと暮れた大地のあちこちに、銀で編んだ美しいランプがいくつも掲げられ、辺りを幻想的に照らしている。空には金色の月が昇り、同じ色の星がちらちらとまたたいて、ここがどこなのかを判らなくする。
ここでの時間の感覚は地上とは少し違うようだが、恐らく、もう平均的な夕餉の時間は過ぎているだろう。
何せ獲物が大きすぎて、下ごしらえに時間がかかってしまったのだ。
六人の招待客は、風除けの天幕に囲まれた美しいテーブルを前に、少し改まった面持ちで、高級そうな造りの椅子に腰かけていた。
ナビゲーター・唯瑞貴は、ケルベロスオルトロスとともに、少し離れた場所で、小さな椅子に腰かけて周囲を伺っている。客人に害を及ぼす存在を警戒しているらしい。
「バーベキューって聞いてたから、自分たちでやるもんだと思ったら。なんか、リストランテみてぇな雰囲気だな。シェフは牛頭鬼馬頭鬼だけど」
「ああ、最初はその予定だったらしいんだが、"冥王の野"の方で、皆で料理をしていただろう。それを見た獄卒たちが是非自分の腕を披露したいということでこうなった」
「地獄に来て豪華なディナーが食べられるなんて感激! あとでシェフさんたちにもサインもらわなきゃ!」
「ううん、美味しそうな匂い! 匂い嗅いだだけでおなかがきゅーってなっちゃう。楽しみだね、真琴ちゃん」
「ええ、そうですねラクシュミさん。とってもいい匂いです。どんなお料理が出てくるのかしら」
「ハラ減った! メシメシ、肉っ! 肉食わせろー」
「トト、あんたもしかしてまだ酔っ払ってんのか?」
「え、いや、素だけど」
「へぇ、それも可愛いな」
「何だよ、照れるじゃねぇか」
「……理月さんの『可愛い』が判んねぇ、オレ」
「動物は何でも可愛いぞ、レックス」
などと、他愛ない会話を繰り広げていると、白いエプロンを――幸いにも、目にしみるような凶悪フリフリデザインではなかった――身にまとった牛頭鬼がふたり、皿の乗ったワゴンを押して現れた。
罪人を責め立てるだけに存在するわけではないらしい、洗練された手つきだった。
「では、始めさせて頂きます」
まず最初はアンティパスト、すなわち前菜だ。
皿に入っていたのはスープである。
「地獄野菜と爆殺人喰い茸のスープ、シェオール風でございます」
野太い声で説明され、ごつい手には似合わぬ優雅さで皿が置かれる。
細かくカットされてやわらかく煮込まれた色鮮やかな野菜と、薄くスライスされたキノコとが、金色のスープの中で気持ちよさそうに泳いでいる。
六人は歓声を上げて両手を打ち合わせ、スプーンを手に取った。
「いただきまーす!」
「おお、美味いな。苦労して採った甲斐があるってもんだ」
「へえ、これが地獄菌類の味なんだ。繊細なのに味わい深いな。確かに珍味だ……この味つけ、絶妙だよ」
「美味しいですね……。食べ物でこんなに感動するってすごいことかも」
「うん、美味しい! でもトトさんはちょっと食べにくそうだね」
「だなぁ。口が人間とは違うからな。まぁ、でも、美味いぜ」
次に運ばれてきたのはプリモピアット、最初のご馳走である。
皿には、ソースが絡まったパスタがこんもりと盛りつけられている。
「地獄豚のパンチェッタと瞬殺鬼喰い茸のリングイネ、トロメーア風でございます」
大ぶりに切られたパンチェッタ、すなわち生ベーコンと、霰切りにされたキノコに生クリームソースが絡まり、えもいわれぬ味になっていた。一同、空腹の絶頂だったこともあり、言葉もなくパスタと格闘する。
次に出たのはポテトのニョッキ、血の色トマトソース和え。
次に鰐ナスのマリネ、骨片玉蜀黍をつかった焼きポレンタに、口の中を爽やかにする眼球オレンジのサラダ。
次がセコンドピアット、第二の御馳走だ。ここで肉が出るわけだ。
出てきたのは【憤怒の雄牛】のフィレ肉のソテー、玉葱とアンチョビソースかけと、骨付き【憤怒の雄牛】ロース肉のグリル、地獄野菜及び滅殺竜狩り茸のソテー、六道風味。
ほどよく火の通った肉にナイフを差し込むと、まるで沈むかのように通ってゆく。驚くほどやわらかい肉だった。
同時に肉汁が多く、色は鮮やかで、香りもいい。噛み締めれば噛み締めるほど、滋味深い旨みが滲み出てくるのだ。
「わあ、やわらかい! あんなに大きくて強かったのに、こんなに食べやすい味なんだね。うわ、どうしようものすごく美味しい!」
遥が大興奮する横で、無言のまま肉にかじりつくのはトトだ。
リストランテの後継ぎだったというレックスは様々なものを確かめるようにじっくり噛み締め、理月は味は見かけによらねぇんだな、などとつぶやき、ラクシュミと真琴は美味しいね、美味しいですね、と笑い合いながらフォークを繰った。
誰もが大満足のひとときだった。
すべての皿が空になったあと、最後の一品、ドルチェすなわちデザートを待ちながら、
「ツアーに参加して本当によかった。今日は一日楽しかったね。あたし、人生初の経験ばっかりしちゃった」
「そうね、沢渡さん。私も申し込んで本当によかった。皆さん、唯瑞貴さん、今日は一日どうもありがとうございました。っていっても、まだもう少しあるけどね。こんな素敵なところで年が越せるなんて、ラッキーだったなぁ」
「私もお礼を申し上げなくてはなりませんね。最初はとても不安だったのですが、皆さんのお陰で楽しく過ごせました。景色も狩りも食事も、本当に素晴らしかったです」
「まったくだ、俺も楽しかったぜ。トトの可愛いとこも観られたしな」
「可愛い云々はともかく、オレも参加してよかったと思う。この料理はマジですげぇよ、オレも頑張らねぇと」
「暴れられたし美味いもん食えたし、もちろんオレも大満足だ! ありがとな、唯瑞貴。それからケルベロスもオルトロスも、あとあとそっちのシェフさんたちもー!」
一同が次々に、賑やかに礼の言葉を口にすると、唯瑞貴の、それほど表情豊かではない顔に緩やかな微笑が浮かんだ。ケルベロスとオルトロスはぶんぶんと尻尾を振り、獄卒たちは凶悪な顔に似合わぬ邪気のない笑みを浮かべて首を横に振った。
「あなたがたのような人たちが来てくれれば地獄も活気づく。いいことだ」
穏やかに言った唯瑞貴が、地獄の名シェフたちを見遣り、では次を、と口にしようとしたとき、巨犬二匹が唐突に立ち上がった。そして、天幕の向こう側をぎろりと睨み、低い唸り声を上げる。
ほぼ同時に、唯瑞貴も腰の剣を抜き、天幕の向こう側を睥睨していた。
少女たちが驚いて目を丸くし、面倒ごとか、と立ち上がりかける戦闘系ムービースターたちを、獄卒たちが制する。
「我々にお任せください」
その言葉と同時に、悪鬼と称するのが相応しいだろう姿かたちの男たちが数人、どやどやと天幕へ踏み込んでくる。
「……蒼氷公配下の悪鬼たち」
唯瑞貴がつぶやき、溜め息をついた。
彼らは、紅蓮公ゲートルードと敵対する地獄の貴公子配下の悪鬼たちだった。横槍を入れに来たものであるらしい。
呼ばれた方は忌々しげに唯瑞貴を睨んだあと、縦に瞳孔の切れた目で六人をじろじろ見つめる。その目には明らかな敵意が宿り、嫉妬や羨望の含まれた光をちらつかせていた。
「何かご用か。我々は今、客人をもてなすことに忙しい」
牛頭馬頭が悪鬼たちに向かって一歩踏み出す。
雰囲気は違えど、恐ろしさに変わりはない連中が睨み合う。
「何が客人だ、人間などこんな場所へ入れて!」
「神聖なる地獄を人間の毒で穢す気か、獄卒ども!」
悪鬼たちが轟と吼えれば、獄卒たちも負けじと吼え返す。
「穢れは命そのものだ。罪かも知れぬが、否定は出来ぬ。人間ほど素晴らしい生き物はない……人間のお陰で我らが存続できたことを忘れたか!」
「我らがお世話になっている都市からの客人に無礼を働くなど、魔王陛下は貴様らをお許しにならぬぞ!」
「うるさい、黙れ! 人間などと馴れ合ってどうするのだ、毒されるだけではないか!」
「黙るのは貴様らだ!」
徐々に熱を帯びてゆく口論を、一行は黙って聞いていた。
ただでさえ混沌とした、折衷に折衷を重ねた世界なのだ。一枚岩ではありえない以上、歓迎されないこともあるだろう。歓迎してくれた住民たちの心遣いが嬉しかったから、彼ら彼女らは、それで地獄を嫌いになることはないと、半ば断定形で思っていた。
それでも、そのうち殴り合いにでもなりそうな雰囲気に、そろそろ止めないと、と男三人が思った辺りで、
「喧嘩は駄目――――ッ!」
びっくりするほど高らかに響いたのはラクシュミの声だった。
声の大きさに驚いて、獄卒も悪鬼も思わず動きを止める。
幼さを残した端正な顔に、悪いことをした小さな子をしかるような表情を浮かべて、ラクシュミはつかつかと悪鬼たちに歩み寄った。歩み寄ってこられるとは思っていなかったのか、悪鬼たちが怖じたように一歩下がる。
「あのね、悪鬼さんたち。あたしたち別に、地獄をどうかしようなんて思ってないよ?」
「む……」
「悪鬼さんたちは地獄が好きなんだよね。それって、あたしたちが銀幕市を好きなのと同じだと思う。だったら、それでいいじゃない」
凶悪な顔の鬼たちを恐れることもなく、ラクシュミがきっぱりと言い切る。
「仲良くしようよ、せっかく出会えたんだもの。一期一会っていうんだよ、そういうの。銀幕市も地獄も、どっちもここにあることは変わりないんだから、それは変えようがないんだから、だったら判り合えるように頑張るしかないじゃない?」
きらきら輝く、強い意志を載せた目に、悪鬼たちは言葉を口にすることすら出来ずにいるようだった。もともと、地獄の面々は、罪のない人間に対して強くは出られないのだ。
その人間が抱いた罪の重さが、地獄の住民たちを凶暴にするのだから。
「だから、ね」
にっこりわらってラクシュミが手招きすると、まるで操り人形のように悪鬼たちはテーブルへと導かれた。
ラクシュミの意図を察知して微笑んだ真琴が、サイン帳を出して来て目を輝かせている遥とともに椅子を運んでくる。
「仲良くなれるように、一緒にお茶しようよ。そしたら何か、判るかもしれないでしょ?」
「むむ……」
悪鬼たちが唸り、顔を見合わせた。
そこからは敵意や悪意が削ぎ落とされてしまっていた。彼らは困惑すらしているようだった。
唯瑞貴はかすかに笑うとシェフたちに合図を送った。
微笑した牛頭馬頭たちが、お茶とデザートの準備を運んでくる。
レックスがウィンクとともに手招きする。
「お近づきのしるしに、一杯やろうぜ。どうせ長いつきあいになるんだ、喧嘩してたって面白くねぇだろ?」
トトは満面の笑みを浮かべて両手を広げた。
「オレだって馴染んでるんだ、なんにも難しいこたねぇよ! 楽しいぜ、きっと!」
「私も、親しき隣人として、あなたたちとお付き合いできるよう祈ります。この出会いに敵意しか存在しないなんて、寂しすぎますもの」
長い睫毛に彩られた目をそっと伏せた真琴が、牛頭馬頭から受け取ったお茶を、渋々というか恐る恐るというか、そろそろと椅子に腰かけた悪鬼たちに手渡す。
その白い指先から、まるで壊れやすい宝物でも授かったかのようにティーカップを受け取って、悪鬼のひとりがぎこちなく笑った。
真琴の笑みが深くなる。
「握手して、サインしてください皆さん! 私も仲良くなりたいです、だってこんな素晴らしいこと、銀幕市でしかありえないんだもの!」
遥が物怖じせずに手を差し出すと、悪鬼のひとりがおずおずとその手を握った。遥が明るく笑う。
――思いが通じることに安堵して。
「難しいこと考えんのは別にあとでもいいじゃねぇか。今こうして笑顔を見せてくれる女の子たちの善意以上に重いもんがあるかい?」
飄々と言った理月が、乾杯の仕草でカップを天に掲げた。
獄卒たちが顔を見合わせ、心からの安堵の表情で笑う。
色鮮やかな地獄フルーツで彩られた特大のタルトに、輝くナイフが吸い込まれる。
――そこから先は、もう、語る必要もないことだろう。
徐々に更けて行く地獄の大晦日を、親しき場に集い、喜びを分かち合う人々を、空に輝く黄金の月と星が、慈悲すら覗かせて見守っていた。
そんな、年の暮れだった。
――ちなみに、地上の人間には奇妙な副作用をもたらしもする地獄食材によって、今回のツアーの参加者たちにどんな不思議な効果が出たのかは、各人のご想像にお任せする。
|
クリエイターコメント | こんばんは、あけましておめでとうございます。 新年第一弾シナリオ「地獄一望年越しツアーへようこそ」をお届けします。
ほんの少し、忘年会と連動したシナリオとなりました。毎度のことながら長くなり、プレイングを全て採用することが出来ず大変申し訳ありません。しかし、皆様の好意的なプレイングのお陰でとても楽しい旅に仕上がったのではないかと多少なりと自負しております。これに懲りず、また参加していただければと思います。
ともあれ、個性あふるる色彩豊かな地獄の旅、少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。
それでは、本年もどうぞよろしくお願いいたします。次のシナリオでお会いしましょう。 |
公開日時 | 2007-01-04(木) 20:40 |
|
|
 |
|
 |