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<ノベル>
1.手練れたちは集う
「うわああああッ!」
絶叫とともに、製菓用と思しき白衣に身を包んだ中年の男が、琥珀に輝く剣の鞘に殴り飛ばされ、吹き飛ぶ。
事務所の近くの路地裏で誰かがお菓子の兵隊に襲われていると聞きつけ、マネージャーの制止を振り切って飛び出した片山瑠意がそこに到着したのは、まさにその瞬間だった。
「危ないっ!」
吹っ飛んだ男を間一髪で抱き止めると、瑠意にすがりつくようにして何とか立ち上がった彼は、殴られた際に切れたのか、頭から血を流しながらぶるぶる震える手で前方を指差した。
「うう……あ、あれを取り返さないと……!」
そのまま再度突っ込んで行こうとする彼を瑠意は制止する。
男の足取りは不確かで、危なっかしい。このまま突っ込んだところで返り討ちにあうのは目に見えている。
「武器も持たずに無茶ですよ、パティシエ! 怪我だってしてるじゃないですか!」
「だが、あれはうちの娘のウエディング・ケーキの材料なんだ。結婚式は明後日なのに……このままでは……!」
チョコレート兵が担いだ粉砂糖や糖蜜漬けの果物、食紅で色付けされ、薔薇の形に細工されたマジパン(アーモンドの粉を使った飾り菓子)、生クリームなどを指差しては悔しげに歯噛みする男を、琥珀の剣を手にした異形の存在が睥睨している。それは明らかにヒトではなかったが、明らかにヒトと同じ種類のオーラを発散していた。
――そう、敵意、戦意という名の。
様々な甘いものを略奪し、キングスファクトリーと呼ばれるあの異様な要塞へ運ぼうとするたくさんの兵隊たちの前に、それらは佇んでいた。
紛れもない、手練れの気配をにじませながら。
それが判らないわけではないのだろう、先ほどしたたかに殴られたばかりなのだから。だが、男にも、退けない理由というものがあるだけなのだ。
ならば、瑠意が言うべき言葉はひとつしかなかった。
「俺がやりますから!」
手にした黒い剣が、ずしりという重みとともに自己主張をする。
「……君が?」
「幸い、慣れてます。そもそも、娘さんの結婚式のためにケーキを作るんなら、尚更怪我をするわけにはいかないでしょう、お父さん。お店で待っててください、ちゃんと届けに行きますから」
きっぱりと瑠意が言うと、男は何度か瞬きして、美貌と言って差し支えない瑠意の顔を見つめてうなずいた。
「……頼む。三丁目にある『Saphir(サフィール)』という店だ」
「あ、知ってます、そこ。何回か食べたことがある。淡雪のシュー・ア・ラ・クレームと胡麻と練乳のブランマンジェが好きだな」
「お得意様だったか。すまない、ことが終わった暁には御礼もする、だから頼む」
瑠意の物言いに少し和み、落ち着いたらしく、男は口元を笑みのかたちにして深く一礼した。瑠意はにっこり笑ってうなずく。
「『Saphir』のパティシエを助けられたなんて、スイーツ好きには結構名誉なことですよ。うん、娘さんのためにも絶対取り返しますから、パティシエはお店で待っててください。約束です」
「……ああ。ありがとう」
言って踵を返した男の姿が路地裏から消えるのを見守って、瑠意はひとつ深呼吸をした。
それから、先日某所で行われた忘年会で取得してきた得物、天狼という名を持つ剣を、漆黒の鞘から引き抜く。柄の中央にはめ込まれた、真珠のような色合いと光沢を持った石が、滑らかにゆるりと光った。
「……でも、正直、俺だけじゃキツい、かも……?」
路地裏に集合したお菓子の兵士たちはざっと数えて百体ほど。
まだ群れをなして動き出さないところと、お菓子を担いだ同属が、そこかしこからぱらぱらと姿を現すところから見て、部隊として全員が集まるのを待っているのだろう。
それだけなら、いい。
チョコレートで出来た小さな兵士たちは、数こそ多いものの一体一体の攻撃力は低そうだ。目の前にいるのがチョコレート兵たちだけなら、瑠意は躊躇せず剣を振りかぶり、突っ込んで行っただろう。
「なんだろ、すごく、重い気を感じる」
しかし、目の前に佇む敵、三体の『彼ら』は、とても油断していいようには思えなかった。
――それらはとても美しい姿をしていた。
黄金を髣髴とさせる色調の、透き通ったクリスタル・ガラス。そんな印象の材質で出来た『彼ら』は、ギリシア神話に出てくる神々の像のごとくに美しい造作をしている。
甲冑やマントまで精巧に形作られたその姿は、毅然とした立ち居振る舞いもあって騎士そのもの。手にした琥珀の剣は、材料が菓子であることなど想像もつかないほど鋭く、凶悪な光を放っている。
『彼ら』からふわりと漂う甘い、素朴な匂いは、砂糖を煮溶かして作る鼈甲飴のものだ。
上空から差し込む日光が、騎士たちを美しく……やわらかに輝かせ、奇妙な非現実味を際立たせていた。
騎士たちにはもちろん顔もあり、それはコーカソイドを髣髴とさせる彫りの深いものだったが、そこに表情らしきものはなく、瞬きなどの動きもないようだった。無論、呼吸もしていない。
呼吸を読めないとなるとなかなか難しい戦いになりそうだ、と瑠意が思っていると、
「よう、何か楽しそうなことやってるじゃん。オレも混ぜてくれよ」
聞き慣れた、ひどく心に残る声がした。
「くるた……じゃなくて、来栖」
気配も何も感じさせずに隣に立ったのは、しなやかな長身を漆黒のコートに包んだ来栖香介だ。カラーコンタクトで赤く染めた目は挑戦的な光を宿して鼈甲の騎士を見つめ、中性的に整った美貌には、ただただ事態を面白がる表情が揺れている。
手には深紅に輝く剣。
刃渡りが四十センチ程度なので、長剣ではないが、短剣、ナイフと称するにはあまりに猛々しい代物で、これは、香介が、とあるムービースターからもらったという業物だ。
手首に輝くシンプルな銀環は、彼が先日参加した忘年会で獲得してきたアイテムだろう。
「今なんか妙なこと言おうとしなかったか? ん?」
「や、気の所為だよ気の所為。でもなんでこんなとこに? コンサートか何か、あるんじゃなかったっけ?」
「の、リハだ。問題ねぇ。こっちのが面白そうだから抜けてきた」
「……うわー、マネージャーさん、かわいそー」
「そういうあんたはどうなんだよ、俳優さん?」
「やー、いい天気だね今日も」
「明後日な誤魔化し方すんなっつの。あんたもオレのこと言えねぇじゃん」
「まぁ、実はそうなんだけど」
「そんなわけで、手伝うぜ」
「……うん、了解。正直ホッとした。ひとりで三体はさすがにキツいかなーって」
「二対三ならまぁ何とかイケるだろ」
にやりと笑った香介が、【明熾星(あかしぼし)】の銘を持つ短剣を、非常にこなれた、慣れた手つきで握り直したとき、
「……あの、すみません」
背後から、静かな声がかかった。
ふたりが首だけわずかに動かしてそちらを見やると、黒髪に黒目の、少年から青年への移行期、といった顔立ち、身体つきの人物が、細い杖のようなものを手に、こちらへ歩み寄ってくるところだった。
やはり気配も何もない、幻のような登場だったが、人外魔境、規格外の連中にあふれた銀幕市においては、それも決して珍しいことではなく、ふたりは顔を見合わせて目配せをしただけだった。
鼈甲の騎士たちが、自分からは仕掛けてこないことを確認した後、再度彼を見やる。
少年はかすかな目礼とともに口を開いた。
「私にも、お手伝いさせていただけますか」
「……あんたは?」
「古森凛といいます」
「ムービースターか」
「はい。本当は、あの、要塞を目指そうとしていたのですが、『声』が」
「あん?」
「人々の嘆きが聞こえたもので、こちらに」
そこに、物理的な『音』ではない意味合いを感じ取り、瑠意はまた香介と顔を見合わせる。
「君は……ヒトの、心を?」
「はい、今はこの勾玉で封じていますが。しかし、その封じを凌駕するほどに強い嘆きの『声』が」
「力尽くでお菓子を奪われた人たちの心の声、ってとこかな。一口にスイーツって言ったって、色んな事情があるもんね。さっきもいたよ、そんな人」
「はい……とても悲痛な『声』でした」
「じゃあ、君はそれを察して、こっちに助太刀に来てくれたってことだね。助かるよ。ああそうだ、俺は片山瑠意っていうんだ、よろしくね。そっちは来栖香介、ふたりともムービーファンだよ。ま、来栖に関してはほんとにただのムービーファンなのか時々判らなくなるけどね」
「うるせぇ、あんただってヒトのこと言えたクチかよ」
「やだなぁ、俺なんか普通すぎて困っちゃうくらい普通だよ? ……ふむ、じゃあ始めようか。このままじゃ向こうさんも退屈するだろうから」
「おうよ。で、どーする? どうせ好きにやるだけだが……ま、個別に撃破、ってのが一番無難なセンか? あのちいせぇ兵隊を巻き込みながら戦えりゃ手間が省けるが……正直、」
「正直、どうされました、来栖さん」
「……ん、面倒くせぇだろうな、って思っただけさ。その方が面白ぇけどな。あいつら、相当出来るぜ」
「そのようですね。筋の通った武人の気配がします。……菓子から作り出されていながら何故ああも鋭いのか」
「油断は禁物ってことか」
「だな。んじゃまぁ、行ってみようぜ」
「気をつけてね、ふたりとも」
「そういうあんたもな」
気心の知れた友人同士である瑠意と香介が、淡々と、しかしどこか楽しげに声をかけ合うのを、凛は静かな眼差しで見つめていたが、しばらくすると懐から一本の笛を取り出した。
「わずかではありますが、助けになれば」
小さく告げて、口を当てる。
ふわり、と穏やかに澄んだ音色がこぼれ出た。
凛の故郷である世界の、旧い旧い森の樹の一部から作られたそれは、何の変哲もない棒きれにすら見えたが、それが凛によって奏でられると、足元から身体が温かくなってゆくような不思議な感覚をふたりにもたらした。
地面から、足を伝って、世界が力を貸してくれるような、そんな感覚だ。
「……へえ」
静かに、やわらかく、どこか甘く、周囲を巡る笛の音に耳を済ませていた香介は、自分の身体がいつにも増して軽く、また力に満ちていることに気づいて目を細めた。
瑠意は、自称一般人である自分の身体に、限界を凌駕する強い力が流れ込んだことを理解した。これならきっと、平凡な一般市民(自称)たる瑠意も、ふたりに遅れを取らない戦いが出来るだろう。
「ありがとう、古森」
「いいえ。――ご武運を」
穏やかに微笑し、凛は笛を懐へ戻す。
そして、鋭い刃が仕込まれた杖を利き手に持ち直した。
「じゃあ……行くよ」
天狼の名を持つ剣を隙なく構えた瑠意が、無駄のない足運びで走り出す。
香介は戦いへの愉悦に唇を舐め、【明熾星】を手に地を蹴った。
凛はどうしたって負けるわけには行かないと心に誓い、仕込み杖を強く握った。
――そうして、それぞれの戦いが始まる。
2.手練れは舞う
毅然と、悠然と立つ鼈甲の騎士たちは、三人の邪魔者が武器を手に突っ込んでくるのを目ならぬ目で見て、そしてめいめいに琥珀の剣を構えた。陽光を受けたそれらが、危険だと判っていても思わず見惚れてしまいそうになるほど美しく、幻想的に輝く。
凛はそのうちの一体、一番近くにいた騎士と対峙した。
騎士は凛を倒すべき相手と認識したようで、凛以外を見ることはなかった。同じような認識でいるのだろう、残りの騎士たちが、一体ずつ香介や瑠意と向かい合う。
凛は滑らかな動作で仕込み杖から刀を引き抜き、正眼に構えた。
「妖しの森の剣鬼、とうきの弟子が一人、古森凛、推して参る!」
名乗りは静かだったが、強い。
騎士が、それに応えるかのように一歩踏み出す。
にじみ出るのは紛れもない戦意だ。
「……行きます」
低く告げて凛は脚に力を込め、騎士の間合いに向かって踏み込んだ。
「は……ッ」
鋭い呼気とともに放たれた一閃は、しかし琥珀の剣によって造作なく受け止められる。
がきり、という硬質的な音。
飴で出来ているとは思えないような、恐ろしく硬い手応えだった。鬼の骨から削り出した、無二といって過言ではない刀の一撃にも、ひび割れるどころか欠けもしない。
がっきと組み合うと、砂糖を煮溶かして作られた飴の、独特で香ばしい、甘い香りが漂ってくる。
それは平和ですらあった。
「……なんと、そぐわぬことだろう」
独白し、凛は後方へと跳び退く。
着地と同時に地を蹴り、騎士に突っ込む。
手の中でくるりと踊った刀が、正確無比に騎士を襲う。
菓子で出来ている関係上、おそらく痛覚は存在しないだろうから、『彼ら』を止めたかったら完膚なきまでに叩き壊すしかない。そうなると、被ダメージ面積の広い胴体を狙うことがもっとも手っ取り早いだろう。
そう考えて、騎士の身体を破壊せんと突き出された切っ先は、しかし騎士の剣によって巧みに受け止められ、力の方向性を変えられて、滑らかに流されてしまった。
そのまま、幾度となく獲物を翻して数十合。
飴でできた剣とは思えぬ硬度のそれと、高らかに刃を合わせて数分。
滑らかでよどみのない凛の剣技は、まるで優美な舞のようにも見える。
再度組み合った後、凛は後方へ飛んで間合いを取った。
手に痺れが残るほどの攻撃は、凛でなければあっという間に武器を弾き飛ばされていることだろう。
敵ながらやる、と感心する暇もなく、今度は騎士が凛の間合いに踏み込み、凶悪と称するのが相応しいだろう琥珀の剣を鋭く薙いだ。
ヒョウ、と、空気が切り裂かれる音がする。
剣閃は速く、容赦も躊躇もなかった。鼈甲の騎士は明らかに凛を排除すべき敵として認識し、その命を終わらせるべく動いていた。その彫りの深い面に、何の感情も浮かんではいないことが不気味だった。
「っと……」
正確に首を狙って揮われた剣を紙一重で避けたところへ、更に騎士が踏み込んでくる。
手練れそのものの、驚くべき判断力であり、素早さだった。
それは凛が捉えきれないほどに早かった。
――不味い、と思うより早く、無造作に、無慈悲に揮われた琥珀の剣が、凛の手元を強かに打ち据え、刀を取り落とさせてしまった。
一体どれほどの力が込められていたのか、刀は遠くへ吹き飛んで、からん、という音を立てた。手がびりりと痺れ、呻く間もなく、ビョウと空気を揮わせた鼈甲色の脚が、凛を激烈な勢いで蹴り飛ばす。
「う、あ……ッ!」
脚は凛の脇腹を激しく打ち据え、彼に苦痛の声を漏らさせた。
なすすべもなく吹き飛び、硬いコンクリートの地面に激突して、それでも何とか体勢を整えるべく飛び起きた凛の目前には、すでに騎士の姿がある。凛が飛ばされると同時に、『彼』もまた凛を追って動いたのだろう。
ぎらり、と、琥珀の剣が輝く。
騎士との距離はわずかに数メートル。到達まではおよそ数秒。
本能が激烈な危険を叫んだ。
――しかし。
騎士が唐突に動きを止め、逆に背後へ跳んだ。
「……?」
そう思った瞬間、凛の周囲から紫炎が噴き上がり、彼の周囲を渦巻いた。
まるで蝶や花のようにたおやかに、優雅に美しく凛の周囲を舞い踊るそれは、常に彼を守る神秘の火だ。かの森の住民たる鬼の角から作られた勾玉が孕む守りの力だ。
騎士はこれに気づいて攻撃の手を止めたのだろう。
驚くべき勘というしかなかった。
凛は膝を払って立ち上がった。幸運にも、吹き飛ばされたのと同じ方向だったらしく、すぐそばに刀が落ちていたので、騎士の様子を伺いながら拾い上げた。
それから、手首にはめられた数珠をそっとはずし、ジーンズのポケットにしまう。
「己を制限していては、勝てぬ相手のようだから」
つぶやくと同時に、彼を孤独にし、また様々な存在と出会わせる根本ともなった『悟り』の能力が開放される。周囲から、生きとし生ける存在の、多種多様な思考、思い、感情が流れ込んでくる。
目で見ずとも、少し離れた場所で、瑠意と香介が、凛と同じように鼈甲の騎士と渡り合っているのが判る。瑠意からは強く真っ直ぐな決意と意志を、香介からは強い破壊願望と愉悦とを感じる。
凛は騎士に目を向けた。
――騎士からは、ほとんど何も伝わってこない。
凛は人形などからも、製作者の意図や思惑を読み取ることが出来るが、この鼈甲の騎士、チョコレートキングの尖兵からは、それを読み取ることも難しかった。
「……違う、そうじゃない」
否、何も読めないのではないのだ。
ただ、
「何故……それほどまでに、強く」
『彼』が、『彼ら』が、あまりにも強く、この責務を果たすことだけを、存在、根本全体で念じているがゆえに、そればかりが『彼ら』の中を渦巻いているがゆえに、そのほかの思考を、思惑を感じ取ることが出来ないのだ。
これまで、数多の心を読んできた……感じ取ってきた凛には、稀有なと表現するしかない経験だった。
「だが……だとしたら」
他者の心を感じ取ることで一歩先んじるという戦闘方法は使えない。
空気の動き、騎士の仕草、地面から伝わる強弱。
それらのものを読んで、騎士の攻撃に備えるしかない。
――騎士がこちらを伺っている。
殺意、敵意、凛を屠るという意志がわずかに漏れ出て凛に伝わる。
騎士との距離は、およそ二十メートル。到達時間にして、わずかに数秒。
凛は一瞬思案したが、すぐに刀を、杖を模した鞘へと戻した。それから、硬い地面を踏みしめて身体を低くし、居合い抜きの構えを取る。凛にとっては一撃必殺の、攻撃方法としては最大の手段だ。
疲れや痛みを知らぬ騎士と、一般という言葉からはかけ離れてはいるものの、人間というカテゴリに分類される凛が長時間戦うことは難しいし、得策ではない。時間が経てば経つほど、凛は不利になるだろう。
それゆえの、その手段であり、判断だった。
上段に構えた琥珀の剣を輝かせ、騎士が凛をまっすぐに見つめ、微笑した――もっとも、表情は一切動いていなかったので、そう見えた、そう感じただけなのかもしれないが――。
地を蹴ったのは、ふたり同時だった。
周囲に風が渦巻くほどの速さで、双方へ向かって突っ込む。琥珀の剣がきらりと光を反射した。
騎士の剣は上段から、凛の刀は中段から。
「ふ……ッ」
鋭い、低い呼気とともに、凛は刀を抜き放った。
神速の、神技の一閃。
それはまるで解き放たれた雷(いかずち)のように中空を走り、空虚を斬りながら騎士に迫り、鼈甲飴でできたその胴に、四分の一ばかりめり込んでから向こうへ抜けた。
かしり、という硬い音がして、騎士の身体にひびが入る。
だが、致命傷ではない。破壊するには至らない。
凛は確かに、胴を両断するべく刀を揮ったつもりだったが、とっさに身体をひねって避けたのだろう。凛の初太刀を避け得るものは希だった。皆無ではなかったが。
しかし。
凛の居合いはそれで終わりではない。
凛は初太刀が完璧ではないことを理解している。自分が決して、それだけで相手を屠ることの出来る豪腕ではないことを自覚している。
それゆえに。
ゴッ、と、空気を震わせて第二の力が行く。
すなわち、弓手(ゆんで)に携えられた刀の鞘が。
鬼の肉体の一部から作られたそれは、凛によって揮われれば、鬼の腕の一撃と変わりない。
それは、狙い過たず、騎士の胸を打ち据え、深々と打ち砕いた。
がしゃん、という、飴というよりはガラスの破砕音に似た音がして、騎士の胸から腹にかけての身体が粉々になった。腰のひびから亀裂が広がり、つなぎとめるものを失って、上半身がぐらりとかしぐ。
――だが、それで終わり、では、なかった。
驚くべきことに、騎士の剣は、腕は、攻撃の勢いを失わず、刃は凛に迫っていた。
避ける間もなかった。
もともと、居合い抜きというのは、放った後の隙が大きい攻撃手段だ。だからこその一撃必殺なのだ。
「ぐ……!」
幸いにも、上体がかしいでいたお陰で剣の方向が少しずれており、刃に身体を両断されることはなかったが、鋭い、重い切っ先に左肩から右脇腹を激烈にひと撫でされ、凛は後方へ吹っ飛んだ。
がしゃん、と再度音がして、割れて砕けた騎士の上半身が地面に落ちる。
下半身が地面へ倒れたのはその一瞬後のことだった。
服地が刃の勢いを削いだか、それとも先刻の打ち合いのお陰で琥珀の剣がわずかなりと削られていたのか、剣が肉に食い込む感覚はなかったから、打ち据えられたというべきだろう。
それでも、それが激烈な一撃であり、ダメージとなったことに変わりはなく、たたらを踏んでなんとか体勢を整えつつ、凛は肩で息をしていた。目もくらむような痛みが全身を苛むのが判る。
――同時に悟っていた。
騎士は凛が何か仕掛けてくることを理解しながら敢えて受けたのだ。
もろともに倒れるつもりで。
己が身を斬らせると同時に、凛も砕くつもりで。
「なんという、覚悟……!」
心が、魂がないから出来たことだとは、とても思えぬ何かを、凛は感じ取っていた。
「く……」
ばらばらに砕けて、もはや動かなくなった騎士の残骸を見下ろし、凛は低く呻いた。
そう、騎士の思惑は成功したといっていい。
一歩踏み出すだけで激しい痛みが身体を襲い、嫌な汗が流れるのが判る。凛は、薄汚れたコンクリートの壁に手をついて呼吸を整えると、動悸が治まるのを待って、瑠意と香介を探す。
菓子から作られた騎士に、ここまでの強さを与えたチョコレートキング、彼の真の目的が気がかりで仕方なかった。
3.手練れは奔(はし)る
鼈甲の騎士は瑠意を視界に――とはいえ、顔についた『目』で見ているのかどうかは非常に微妙なところだが――入れるや否や、琥珀の剣を凶悪に輝かせて突っ込んできた。精緻な彫刻のような、身体と同じ鼈甲色であるはずの目が、ほんの一瞬赤く光ったような錯覚を覚え、瑠意は眦を厳しくして天狼剣を抜き放つと迎え撃った。
強く地を蹴り、走り出す。
その速さに、耳元で風がざわざわと騒いだ。
……チョコレートキングの思惑は気になるし、彼がそうなるに至った経緯も気がかりだ。
この世界に実体化したムービースターたちは、もちろん多少の変化を強いられ、映画の中いたころのままではいられないものだが、それでも、穏やかな性質だったというチョコレートキングが、何故人々に牙を剥く存在になったのか、その理由を知りたいと思う。
「でも、まずは」
目の前の難敵を退けないことには始まらない。
約束したからには、勝たねばならない。
娘のためにウエディング・ケーキを焼くというパティシエのため、様々に大切な理由をはらんだスイーツを、あの兵士たちに奪われた人々のためにも、瑠意は力を振り絞るしかない。それが、この場に居合わせた自分の使命なのだと、瑠意は生真面目に思っていた。
そして、肉薄する騎士の姿を恐れるでもなく見つめ、空気を薙ぎ、瑠意に迫る剣を冷静に伺う。
「うわ、っと」
優れた動体視力でもってそれを避け、瑠意は天狼剣を振りかぶった。すると、剣から風が渦巻いてほとばしり、刃となって騎士を襲う。
先日、地獄で行われた忘年会に出席した際、魔王陛下が好きなものを持って行けと開放してくれた宝物庫にあったこの天狼剣は、使用者が剣を揮うと、その剣閃とともに風刃を打ち放つ性質を持っているのだ。
「助かるね、こういうときには」
風の刃と同時に、瑠意は天狼剣を一閃した。
しかし騎士は、非常識にも手にした剣で風刃を打ち払うと、上段から振り下ろされた瑠意の剣を、返す刃で弾き飛ばし、瑠意の上体がわずかに浮いたのを見逃さず、そのまま間合いをつめてきた。
下段から刎ね上げられた琥珀の剣が、頚動脈を狙って飛来する。
瑠意はそれを間一髪で避け、天狼剣を力いっぱい薙いだ。
読んでいたらしく、騎士が後方へ跳んで避ける。非常識な跳躍力のお陰で、一気に間合いが十メートル近く開いた。
その後をいく筋もの風刃が追うが、それらもまた騎士の一閃で吹き散らかされた。
「……すごいなぁ」
瑠意の口から漏れたのは素直な感嘆だった。
銀幕市のあちこちで、お菓子の兵隊たちによる同じような事件が起き、様々なメンバーがその解決に携わっていると聞くが、お菓子で出来た兵士たち、戦士たちのすべてがこのような手練れなのかと、だとしたらチョコレートキングは何を望んでそんな存在を創り出したのか、と思うと、興味と不審双方の感情がわいてくる。
しかし、感嘆しているばかりでは仕方がない。
風の刃を消滅させた騎士は、すぐにこちらへと向かってくる。
瑠意は天狼剣を構えなおした。
「もう少し、強い風が出せればな」
そうすれば、騎士の体勢を崩すことも出来るだろう。
卑怯だとか他力本願なとか、言っている場合ではないのだ。
アクション系映画を好み、スタントなしでアクションをこなせる俳優でもあるがゆえに、瑠意の身体能力は高く、戦闘に対する勘もいいし、戦いを恐れる気持ちも薄い。
だが、それでも、彼は生粋の戦士ではないのだ。
彼がなすべき、果たすべき最たることは戦いではなく、彼の生きる理由、意義は戦闘のためには存在しない。戦いの結果得られるもの、勝利によって守られるものこそ、瑠意が求め目指す到達点なのだ。
瑠意のプライドはその到達点にこそ帰結する。
そんな瑠意が、美しい、伝統に則った戦い方や、戦士としての儀礼云々にこだわらないのは当然のことだったが、望むような、望むだけの力が使えないならば致し方ない。
「ま、地味に頑張りますか……」
ぽつりとつぶやき、瑠意は天狼剣をしっかりと握ると、鼈甲の騎士に向かって走り出した。
耳元で風が楽しげにビョウと鳴き、瑠意に笑みを浮かべさせる。
――まるで、激励されているようだった。
「じゃあ……行くよ……!」
鼈甲の騎士が目前に迫る。
『彼』もまた琥珀の剣を揮おうとしていた。
陽光が、剣を凶悪な黄金に輝かせる。
びゅ、と唸った瑠意の天狼剣が、中段から水平に騎士の胴を狙う。
痛覚や疲れとは無縁そうな騎士の動きをまず止めようと瑠意が考えたのは当然のことだったが、当然のことゆえに読みやすかったのか、剣は騎士の琥珀に受け止められ、軽く流されてしまった。
ぢぎっ、と、二色の剣が鳴く。
瑠意は攻撃の手を休めることなく、中段から振り抜いた剣を、手首を返して横薙ぎにした。
狙ったのは騎士の左上腕だったが、しかし、騎士が咄嗟に右へ跳んだので、切っ先はほんの表面をかすったにすぎなかった。
「……面倒くさい相手だなぁ」
瑠意はぽつりとつぶやいた。声には呆れすら含まれている。
甘いものを愛する身として、たかが、と言ってしまうのは抵抗があるが、それでも甘味のひとつに過ぎない鼈甲飴から作り出された騎士の、その恐ろしいまでの勘には感服するばかりだ。
無論愚痴をこぼしていても始まらないので、瑠意は間髪入れずに踏み込んで、上段から唐竹割りを髣髴とさせる縦一直線の攻撃を繰り出した。
鋭い剣閃はとても素人のものとは思えず、よどみなく滑らかだ。
それはまるで空を奔る風のようだ。
騎士は初め、その一撃を得物で受けようと、琥珀の剣を掲げかけたが、途中でそれを危険だと判断したらしく、後方へ跳んで避けようとした。しかし、それが一瞬の遅れとなり、瑠意の天狼剣はがりりという音を立てて騎士の頭部を削る。
刃は、硬い手ごたえとともに、額半ばから目元を抉り、こめかみの辺りまでを粉々にして抜けた。
ぱらぱらと飴の欠片が散る。
しかし。
瑠意が次のモーションを起こすよりも速く、騎士は身をごくごく低くし、瑠意の間合いに向かって踏み込んできた。先刻与えられた一撃など、微塵も堪えていない風情の動きだ。
痛みを感じず、身体の一部が欠けたところで問題にもならないお菓子の兵隊だからこそできた芸当だった。
「く……!」
わずかに遅れて揮われた天狼剣が、鼈甲色の肩を削ったが、それで騎士の動きが止まるはずもない。渦巻いた風は、ただ、騎士の硬い身体の表面を滑って消えただけだった。
下段から伸び上がった騎士の、表情なき顔に、優越感と喜悦とがきざしたような気がして、――臓腑が冷えた。
騎士の身体は、抱擁すら交わせそうなところまで迫っていた。
「まず……っ」
瑠意が、すべて言い切るよりも、早く。
騎士の、硬い、鋭い肘が、瑠意の脇腹に突き込まれていた。
「ッ……は……!」
咄嗟に――むしろ半ば無意識に、腹筋に力を入れていたお陰で、内臓や骨が傷ついた様子はなかったが、それでも、瑠意を襲ったのは、目のくらむような、激しい衝撃だ。
一体どんな工程で、どんな材料を用いて作られればそうなるのか、剣を持たずとも騎士の膂力はすさまじく、瑠意は軽々と吹き飛んで、薄汚れたビルの壁に激突した。
「いっ……つ……」
背骨がみしりと鳴ったのが判る。脳天に光る棒を差し込まれるような痛みに、思わず漏れそうになる悲鳴を噛み殺す。脇腹は火が点いたかのような鋭い熱を伝えてくる。
肩を激しく打ちつけて、腕に強烈な痺れが走った。
それだけのダメージにも、瑠意が悲鳴を堪えたのは、みっともないと思ったから、ではない。
痛みに絶叫し、喚き散らせば、それだけで不利になる。戦意が、集中力が鈍るのだ。
瑠意はそれを本能的に理解していたし、覚悟もしていた。その程度のことで泣き言は漏らすまいと。
吹き飛ばされつつも天狼剣を手放さなかったのは半ば意地だった。
琥珀の剣を手にした騎士が突っ込んでくる。
しかし、瑠意の体勢は完全には整っていない。
――瑠意の決断は早かった。
一直線に瑠意の急所目がけて突き入れられた刃を、その切っ先を絡め取るべく、天狼剣をさっと持ち上げたのだ。
そこに、吸い込まれるがごとくに一条の死が突き込まれ、鋭い切っ先が、がちりという音とともに柄の中心を強打し、柄の中央を飾っていた柔らかな宝石を貫いた。
あっ、と思う間もなかった。
ぱきいぃいん!
琥珀の剣はやすやすと石を貫き、甲高い音を立てて石が砕け散った。
「……!」
しかし。
その瞬間、天狼剣から、今までの比ではない激烈な風が噴き上がり、騎士の身体を捕らえて遠くへ弾き飛ばした。
「え……?」
どこかから声が聞こえた気がして、瑠意は現在の状況も忘れて辺りを見渡した。
《礼を言うぞ、強き人間よ》
ゴウ、と、瑠意の周囲で風が渦巻いた。
彼を守るかのように。
《我が名はメガ・ゲネイオン。大いなる顎(あぎと)。疾風の王メラン・テュエッラに仕えし古(いにしえ)の天狼の一体なり!》
再度聞こえた声は、ひどく力強く、そして歓喜に満ちていた。
瑠意は吹き飛んだ騎士と、手にした剣とを交互に見やり、かすかに首をかしげる。タイミングと物言いからして、言葉の主は瑠意の手の中の剣以外にありえない。
ふと見やると、真珠色の石が埋め込まれていた場所には、漆黒でありながらまぶしく輝く不思議な宝石が鎮座していた。真珠色のあれは、おそらく、この黒い石を覆っていたのだろう。
「今のは……君なのか、天狼剣」
瑠意が問うと、剣は一瞬震えた。
《いかにも。我が封印を解きし者、我を揮う資格を持つ者よ。我は汝がために奮おう、さあ……我を使え、片山瑠意。汝が願いに、決意に、覚悟に応えよう、さあ、さあ、さあ!》
――騎士が立ち上がった。
瑠意は『彼』が、笑っているような気がした。
心を、難しい思考を持たぬはずの、お菓子の騎士が。
強き者との戦いに歓喜しているような、気がしたのだ。
「ああ」
溜め息がひとつ、こぼれる。
瑠意は、己が背筋をぞくぞくと這い上がるそれが、武者震いと呼ぶべき代物だということを言葉なしに理解していた。ごうごうと音を立てて瑠意の周囲を渦巻く風が、先刻の凛の演奏のように、瑠意の身体を軽く、熱くし、傷の痛みを遠くする。
「……うん」
今このときにおいて、彼の願いはひとつだけ、彼の決意はひとつだけだ。
勝つために征くのだ。
「行こう……天狼剣。メガ・ゲネイオン、大いなる顎よ。俺を勝利に導いてくれ、俺に約束を果たさせてくれ」
静かに言葉を落とす。
剣はひときわ強く震え、
《無論!》
きっぱりと断じた。
瑠意は、それを聞くと同時に走り出した。
騎士もまた、剣を輝かせながら突っ込んでくる。
「はあ……ッ!」
鋭い呼気とともに瑠意が天狼剣を揮うと、彼の周囲で竜巻のような烈風が渦巻き、騎士へと襲いかかった。そこに一瞬、吼え猛る狼の姿が見えたような気がしたのは、単なる錯覚だっただろうか。
ごおおぉう!
唸った風に激突され、鼈甲飴の騎士は大きくよろめいた。
風の刃に強打された琥珀の剣がわずかにひび割れる。
瑠意はそこへ突っ込んだ。
「おおおッ!」
気合一閃、天狼剣を騎士の胴体へ叩き込む。
硬いものにひびが入る音がした。
戦いに充足を求めるばかりの生など虚しいだけだと思うものの、手に伝わってくる心地よい痺れを否定することは出来ない。
瑠意は剣を一旦引くと、上段から振り下ろされる琥珀の剣を、わずかに身をひねって避け、
「これで……終わらせる!」
そして、水平に保った剣を、渾身の、全身全霊の力で持って前へ振り抜く。
刃は、研ぎ澄まされた集中力によって、やすやすと硬い飴を切り裂いた。
しゃああん、こおん!
甲高い、澄んだ破砕音。
ひびの上から更に鋭利な刃を叩き込まれ、次の瞬間、騎士の身体は真っ二つになった。
ぐらりと揺れた上半身が地面に倒れたところへ、止めとばかりに天狼剣の切っ先を突き入れ、粉々に砕く。甘い飴の香りが立ち上り、現実味と非現実味の奇妙な融合を思わせた。
ぐらぐらよろめいていた下半身は、粉々になった上半身を追うように倒れると、そこで動かなくなった。
「……ふう」
深い息を落とし、瑠意は額の汗をぬぐう。激しく動いたための汗なのか、痛みによる脂汗なのかは判然としなかったが、戦いの興奮が鎮まってくると同時に、肉体が疲労を、苦痛を訴え始めたのは判る。
手の中の天狼剣を見下ろす。
「ありがとう、助かった」
言うと、剣が震えた。
今度は、笑ったらしい。
《汝が望みなれば、全うしよう》
瑠意は笑ってうなずき、剣を鞘に戻した。
そして、じくじく痛む脇腹を庇いつつ、くたびれた身体に鞭打って、目的を果たすためにまた歩き始める。
4.手練れは吼える
香介はチョコレート兵たちの集合地点にほど近い、路地の奥まった場所で鼈甲の騎士と対峙していた。
騎士に合わせて移動しているうちに、瑠意や凛が戦っている場所がどこなのか判らなくなった。もちろん、心配はしていないが。
そろそろ集合完了なのか、さまざまなスイーツやその材料を抱えた兵士たちは、見事に統制立った、まさしく規律厳しい軍隊そのものといった整列を見せており、この分だといつでも出発できそうな様子だった。
もっとも、香介は甘味を奪還するためにこの戦いに参加したわけではないので、手応えも面白みもなさそうなチョコレート兵にはまったく注意を払っていなかったが。
「さーて、始めるとしようぜ」
香介が言うと、鼈甲の騎士が琥珀の剣をゆっくりと掲げる。
興奮と期待に、香介は凶悪に微笑んだ。
彼の手には、深紅に輝く【明熾星】がある。それをだらりと下げただけの無造作な構えだが、そこに隙と呼ばれるものは存在しない。
「表情も呼吸もなし、ものを考えてるのかどうかも微妙、と。心理戦は無駄で無意味だな、真っ向勝負と行くか」
ざっと脳裏に算段し、香介は地面を蹴った。
頭上高くから強い陽光を受けた【明熾星】が、周囲にまばゆい赤を撒き散らして輝く。それは稀有な宝石のようでもあったし、同時に、禍々しい血のようでもあった。
「……」
瞬く間に騎士の元へたどり着くと、香介は非常に無駄のない動きで騎士に斬りかかった。
空気を裂く音とともに、短剣が騎士の腕を狙う。
しかし騎士はそれをわずかな動作で避け、軽いステップで一歩退くと、香介の首を狙って琥珀の剣を一閃した。
「っと……」
ビョウ、という凶悪な一閃を、こちらも軽やかなステップで避け、再度【明熾星】を揮うと、騎士もまたすぐに攻撃に移っており、まったく同時に揮われた双つの剣が、ふたりの中間で激突する。
琥珀の剣は、飴からできているとは思えない、恐ろしく硬く重い手応えを香介に与えたが、
「は……やるな。だが、生憎、こいつは特別製でね」
獰猛に、かつ楽しげに目を細めた香介がにやりと笑う通り、彼が細身に似合わぬ力でもってぐいと押すと、琥珀の剣の、【明熾星】と噛み合った部分に細かな亀裂が入った。
【明熾星】は、とあるムービースターが所有する、百人を斬っても刃こぼれひとつせず、また、時には岩すら断つという業物の、兄弟のような剣なのだ。いかに鋭利であろうとも、飴ごときに負けはしない。
しかし相手もさるもので、鼈甲の騎士は己が剣にひびが入ったこと、対峙している相手の持つ得物が危険な代物だということを認識するや、恐るべき瞬発力で香介の剣を弾き、ぱっと後方に飛び退いた。
そして、着地と同時に地を蹴り、一瞬で香介の懐へ入り込むと、凶悪な黄金に輝く剣を下段からはね上げる。
刃の軌道には――右手があった。
ちりり、と、背筋を……思考を、焦燥めいた感覚が灼く。
「ちっ」
香介は舌打ちして身体をひねった。――【明熾星】で受けることは考えなかった。
刃が掠めていった頬が、熱い液体を噴きこぼしたのが判る。
香介はまた目を細めた。
痛みにはまったく怯まず、一歩踏み込んで【明熾星】を揮うと、がつりという硬い手ごたえがあって、騎士の胸の辺り、甲冑を模した一部が切っ先に削られてはね飛んだ。
追撃し更なるダメージを与えようとした香介だったが、上段から振り下ろされていた琥珀の剣が頭上に迫ったので、身を屈めてそれをやり過ごした。風に舞った黒髪が数本、刃に巻き込まれて斬り散らされる。
わずかに重心のずれた上体を立て直そうと脚に力を入れるより速く、さっと翻った剣が今度は下段から首を狙って飛来し、香介は舌打ちをして後方へトンボを切る。
顔面に走った鋭い痛みは、琥珀の剣の切っ先が、香介の鼻をかすったからだろう。大した傷ではないが、面白くもない。
「木偶(でく)の分際で、味な真似、してくれるじゃねぇか……」
コートの裾で、無造作に鼻を拭って毒づく。
とはいえ、香介は、自分の顔が傷ついたことには何の感慨もない。
香介は自分が確かに美形、美貌と称される顔立ちをしていることを知っているし、時にはそれを便利に使いもするが、しかし、顔などというものは、彼の本質、根本にとってどうでもいいもののひとつでしかない。
戦いで負う傷は、香介の喜悦、興奮を高める。戦いの場にあっては、傷の痛みすら恍惚のアイテムでしかないのだ。
騎士は無言のまま更に剣を揮った。
びゅう、びょう、と、恐ろしい音を立てて、長く鋭利な剣が、一瞬前まで香介の立っていた場所を薙いでゆく。避ける方も命がけだが、香介の白い面(おもて)には存外楽しげな表情が浮かんでいる。
それは速く、激烈なまでに鋭く、時に香介の上腕や肩、太ももの辺りをかすっては、彼に小さな傷とわずかな痛みを与えた。
「……くそ」
【明熾星】を片手に、騎士から距離をとりつつ香介は毒づく。
主に、自分に。
らしくない戦い方だと自分でも判っているのだ。
これでは埒が明かないということも。
だが、あの琥珀の剣が、ぎらりと凶悪に輝くたび、あの刃が迫るたび、ほとんど無意識に、身体が手を庇ってしまうのだ。あれに斬り裂かれては、きっともう二度と、楽器を扱うことは出来なくなるだろうと。
それゆえに、彼の動きは鈍る。
「こんなもの、なくなっちまえばいいなんて、思うのに。でも、結局、どうしても捨てられねぇのかよ、オレは」
赤い目に苛立ちが揺れる。
まずそちらに意識が行ってしまうようでは、戦いも充分に楽しめない。
そんな香介の葛藤に、騎士が気づいていたかどうか、『それ』が、騎士の意図したものであったかどうかは、香介にはわからない。
先刻と同じく、恐ろしく速い動作で踏み込んできた騎士が、目にも留まらぬ速さで一閃した剣を回避しようとした香介だったが、中途半端な思いでいた所為なのか、それとも騎士の攻撃が速すぎたのか、手を引くタイミングがほんの一瞬遅れてしまった。
あっ、と、思う間もなかった。
ざくり、という、肉の断たれる感覚。
右の手首に刻まれたのは、斜め一文字の切り傷。
血がほとばしり、あふれ出し、零れ落ちる。
「――……ッッ!!」
目の前が真っ白になった。
わけの判らない言葉、思考、記憶が脳裏をぐるぐると回る。
クルス、と、誰かが呼んだような気がした。
慈悲深い、やさしい、穏やかな、反吐が出るような笑顔で。
「て、」
香介はぎりぎりと奥歯を噛み締めた。
「ッッめ、ええええぇぇッ!!」
次に訪れたのは激烈な怒りだ。
視界が真紅に染まるほどの。
視線だけで人を射殺せそうなほど眦を厳しくし、香介は、なおも執拗に攻撃を加えようとする騎士に向かい、吼える。
「――――砂糖の塊ごときがッッ!!」
彼の声には力がある。どうしようもなく他者を魅了し、縛り、打ち据える力が。
轟と響いたその声、渦巻いた想念に絡め取られでもしたかのように、騎士の、感情を持たぬはずの身体がびくりと震え、一瞬動きが止まった。
香介はそれを見逃さなかった。
獲物を狙う肉食獣さながらの速さで騎士に突進する。
――【明熾星】が低く唸る。
「くたばれ……!」
もはや躊躇も逡巡もなく揮われた深紅の短剣が、騎士の片腕にやすやすと潜り込み、あっけなく破壊し切断する。がらん、がしゃん、という硬い音を立てて腕が落下し、砕けるより早く、中段からはね上げられた香介の第二撃が騎士の左側頭部をふっ飛ばした。
普通の人間なら、ここで死んでいるところだが、騎士は、腕を失い、顔の一部を失ってもなお、香介の前に立ちはだかり、剣を揮い続けた。
【明熾星】が騎士の太ももを貫き、真ん中から断ち割る。
片足を失った騎士は、バランスを崩し、倒れそうになりながらも、まだ、剣を揮うことをやめようとはしない。
そこに、そう作られたからという事実以上の切実さ、必死ささえ感じ取り、眉をひそめた香介は、騎士の向こう側に、今まさに出発しようとしているチョコレート兵たちの姿を認め、唇を引き結んだ。
騎士が、わずかに笑った、ような錯覚を覚える。
――そう、それは確かに矜持だった。
砂糖の塊にも意地があり、プライドがあることを、騎士は身をもって証明していた。それが、造物主たるチョコレートキングの思惑通りであったのかどうかは知らないが。
「ちっ」
香介はまた舌打ちした。
怒りの半分を持っていかれたような気がする。
「……一瞬で決めてやる」
宣言は、彼なりの敬意でもあった。
もはや身動きもままならぬ騎士に向かい、【明熾星】を一閃する。
斬り飛ばされた頭部が地面に落ち、砕け散るのを待たず、ぐらぐら揺れて倒れ掛かる身体を、上段から斬り下ろした一撃で真っ二つにし、最後に横薙ぎの一閃で粉々にする。
動かなくなったそれは、もはや、素朴で懐かしい匂いを漂わせる駄菓子のひとつに過ぎなかった。
「……ふう」
ひとつ溜め息をつき、香介は短剣を鞘に戻した。
手首の出血は止まっていた。
感覚から言って、痕や後遺症が残るほどの傷ではなかったようだ。
傷を見下ろし、無事な方の手でロザリオを弄びながらぽつりとつぶやく。
「これじゃ、ホントにしばらく弾けねぇな。……怒るかな。あいつ」
安堵と苦悩のない交ぜになった複雑な声を聞くものは誰もいなかった。
――いつの間にか、チョコレートの兵士たちは、半分ほどに減っていた。
騎士の意地と矜持が、同胞を巣へと送り届ける力になったのだ。判らないことだらけの今回の事件の中、それだけは確かな事実だった。
路地の向こうから、満身創痍と言うのが相応しい状態の瑠意と凛がやってくるのが見える。
香介は複雑な息を吐いてふたりを待った。
5.再度、手練れたちは集う
全員が万全とはいえない状態だったが、残ったチョコレート兵たちの掃討には十分もかからなかった。
「……取り戻せたのは半分くらいか。まぁ……仕方ないかな」
殲滅されたチョコレート兵の、甘い匂いが漂う路地裏で、その辺りから調達してきたカゴや袋に、スイーツや製菓材料を突っ込みながら瑠意はつぶやいた。結婚式に間に合いそうですよお父さん、と胸中に報告しながら。
香介はそれを手伝うでもなく、かといって自分の傷の手当をするでもなく、瑠意の手際のいい片づけを眺めている。
「来栖さん」
そこへ声をかけたのは凛だ。
「あん?」
「よければ、治療しましょうか、その傷」
「ん、ああ……」
ムービースターらしく、様々な能力を持つらしい彼のその言葉に、香介はかすかに笑って首を横に振った。瑠意はどうやら癒してもらったらしいが、香介にはその気はなかった。
凛が不思議そうな顔をする。
香介は謳うようにつぶやいた。
「The Pain Makes Me What I Am」
「……え?」
「いや、なんでもねぇよ、忘れてくれ。大したことはねぇみてぇだから、自然に治るに任せるさ」
「そうですか、判りました」
穏やかな笑みとともにうなずくと、凛は懐から笛を取り出し、吹き口に唇を寄せた。
静かで、穏やかで、やわらかい、しかし痛切に胸を刺す美しい音楽が流れ出し、ゆったりと心を満たす。聴いているだけで、傷の痛み、重苦しい胸の痛みがやわらぐ。
音楽は風に乗り、遠くまで運ばれることだろう。
そして、今回の事件で哀しい思いをした人々の心にも届くだろう。
「さて」
言って立ち上がった瑠意は、たくさんの製菓材料が入ったカゴを抱えていた。
「俺は約束があるからもう行くよ。お疲れさん」
「ああ、お疲れ」
「お疲れ様でした」
「来栖、病院行きなよ?」
「……気が向いたらな」
「言うと思った。まぁいいや……それじゃ」
「おう、またな」
「さようなら、瑠意さん」
ごくごく普通に手を振って、笑顔さえ交わして三人は別れた。
何の変哲もない、日常のひとコマのように。
――もちろん、それですべての事件が解決したわけではないのだろうが。
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クリエイターコメント | ご参加どうもありがとうございました、「【チョコレートキングの挑戦!】鼈甲の騎士と琥珀の剣」をお届けいたします。
今回もライターの趣味大炸裂で、バトル主体のお話となりました。バトルの中にもそれぞれのドラマや感情をこめたつもりですが……楽しんでいただければ嬉しいです。
何はともあれ、参加者様のアツくカッコいいプレイングに感謝するとともに、すべてのプレイングを採用できなかったことにお詫び申し上げます。
それではまた次のシナリオでお目にかかりましょう。 |
公開日時 | 2007-02-15(木) 13:00 |
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