★ プロローグノベル ★


〜 はじまるよ、魔法のロードショウ 〜

written by 諸口正巳


 彼女は見てしまった。
 きらきらと輝く賑やかな街を。
 光はカメラのフラッシュ、レフ板が弾く蛍光、そして人々の瞳の中にあった。見る者のこころをたちまち繋ぎとめてしまう、眩しくて美しい光の粒だ。
 彼女のこころも、きっとその光に捕らえられてしまったのである。
 夢中になって身を乗り出せば、聞こえてくるのは情熱の声。メガホンで増幅されただみ声。美しい女が発する、鈴の音のような小さなすすり泣きも、マイクがしっかり拾っている。

『行ってみたいの』

 彼女は、そう思った。
 行ってみたが最後、二度と忘れられない騒動に、自分が巻き込まれてしまうことも知らないままに。
 そして、自分がその禍の中心になることも、知らなかった。


「そう。じゃ、そのゆめ、かなえてあげる」

★ ★ ★

 銀幕市が漁師とその家族しか住まない小さな町であったのは、もう過去のこと――。

 ゆるやかなカーブを描く灰色のハイウェイ。それは、杵間山の山中に忽然と姿をあらわす。このハイウェイを走る車は一台もない。このハイウェイはどこにも繋がっていない。
 このハイウェイからほんの少し足を伸ばせば、山の木々や草木が切り開かれていて、赤茶色に焼けた荒野に出ることになる。牛の骨や赤い岩が転がっていそうな荒野だ。しかしこの荒野も、しばらく歩けばたちまち終わり、昼なお暗い鬱蒼とした杉林が始まる。
 あやしい山小屋がぽつんと佇むこの森も、少し歩けば終わってしまう。そして、アメリカ西海岸と日本の市街地が融合したような、不思議な街があらわれる――。

 それが現在の銀幕市であった。中心街には観光客や撮影スタッフ、そして俳優陣の寝食を確保するためのホテルが建ち並んでいる。駅前は映画オフィシャルグッズとDVDや廃盤ビデオを販売するショップで賑わい、映画技術専門学校やプロダクション事務所が軒を連ねていた。潮と魚介の匂いは消えた。海辺には南国ばりの白い砂浜まで造られている。
 誰が初めにこの銀幕市を第二のハリウッドにしようと言い出し、そして実行に移したのかは、市民にとってもはや些細なことでしかなくなっていた。四方を海と山に囲まれた陸の孤島が、こうして賑わい、成長してゆくのは、喜ばしいことだったからだ。新しい波は次々に押し寄せてきた。はるばる都会から、映画に夢を託す若者たちもやってくる。

 銀幕市は眠らない都市になりつつあった。
 しかし、その夜――ほんの数秒だけ、銀幕市のありとあらゆる灯が消える。
 ほんの数秒だった。
 それは、照明が落ちて、スクリーンに光が当たるまでの、わずかな暗闇のようだった。
 多くの者は眠っていたし、停電はすぐに、まばたきのうちに回復した。だから、灯が消えても、誰もさして気にも留めなかった。あっという間の暗闇を、誰も覚えてはいなかった。
 誰が見ただろうか、一瞬のうちにすべてが黒い帳に覆われた銀幕市を。
 その上で輝く無数の星を。
 流れた星ぼしを。
 無音で弾けた虹色の光を。

★ ★ ★

 窓の外で起きたものすごい轟音に、浦安映人(うらやす・えいと)は叩き起こされた。気がかりな夢をみていたところだった。だがその夢を反芻する前に、何ごとかと目をこすりながら、映人はカーテンを開けて外を見る。
「……は!? ちょっ……!?」
 そこには、夢のつづきかと見まがうような光景が広がっていた。映人の自宅前の車道に恐竜がいるのだ。T−REXだ。最近の学説では、あの暴君竜は俊敏に動けなかったのではないかと言われているが、そんな科学的根拠などどこ吹く風で吼えている。走っている。地面が揺れている。いやそれ以前に、恐竜はかなり昔に絶滅したのではなかったか。
 あんぐりと口を開けて、映人は車道の恐竜を見ていた。
 次の瞬間、窓ガラスがけたたましく震え、反射的に映人は耳を塞いでいた。
「撃て! 撃て撃て撃て撃て撃て!!」
 どこからともなく響いてくる、勇ましい軍人の号令。そして銃声。飛んでいく弾丸弾丸レーザーと弾丸。一斉掃射を受けて、恐竜はたたらを踏み、ゆっくりとアスファルトに倒れた。地響き。それから、陽気な歓声と口笛が上がる。見れば、指揮をしているのはアメリカ人の鬼軍曹だったが、銃を撃ちまくっていたのは二丁拳銃のカウボーイとレーザーライフルを持った未来警察だ。彼らは勝利を讃えあい、ハイタッチや握手を交わしている。
「……こんな近くでロケあるなんて、聞いてない……」
 映人は自他ともに認める映画マニアで、銀幕市での大がかりな撮影のスケジュールは大体把握しているつもりだった。空砲だとしても、往来で銃を使った撮影があるならば、知っていたはずだ。しかもこんな、自宅の近くで。しかも恐竜はCGで表現するのが今では当たり前ではないか。地響きさえ立てるほどの、リアルな恐竜のロボットを撮影に使うとは――
 おかしい、
 奇妙だ、
 何かが起きているのではないか。
 いや、撮影だったとしたら、もっと近くで見なくては。
 混乱した頭で、映人は慌しく着替え、バッグをつかんで寝室を飛び出した。居間では、コーヒーカップと新聞を持った彼の父と、パンとバターナイフを持った彼の母が、呆けた表情で窓の外を見ていた。


 外はサイレンと悲鳴と轟音で埋め尽くされていた。
 映人の前を、どこかで見たようなカウボーイや未来警察が駆け抜けていく。映人はのろのろと周囲を見回した。
 恐竜の姿がない。アスファルトには巨大な足跡が残り、ところどころがめくれ上がって、激しい戦闘があったことを物語っている。だが、恐竜の姿はない――。
 恐竜が倒れていたところには、ケースに入った一巻のフィルムが落ちていた。……それだけだ。
 爆音を上げて、一台の黒いバイクが車道を走り抜けていく。恐竜が踏み砕いたアスファルトの穴を、あざやかに、縫うように避けながら。
『止まれ! そこのバイク、止まりなさい!』
 スピード違反で取り締まるつもりなのか、パトカーがバイクを必死で追っている。
 そのバイクと、バイクに乗っていた女性の金髪、黒いツナギを見て、映人は息を呑んだ。
「レディM!? 嘘だろ!」
 あれは、スパイアクション映画の主人公ではなかったか。新作クランクインの話など聞いていない。映人は顔色を変えて、猛スピードで走り去るバイクを追おうとした。
 歩道を歩いていた誰かに激突し、彼はあえなく吹っ飛んだ。
「だあッ!」
「おいこらァ!! どこ見て走っとんじゃボケ!!」
 ぶつかってしまった相手を見て、映人は青褪めた。これまた、どこかで見たことがあるような……言ってしまえば典型的な、ヤクザさんたちだ。しかも運の悪いことに、映人がぶつかったのは偉い人だったらしい。恐ろしい形相の取り巻きが何人もいた。ぶつかった当の本人は平然と煙管をふかしている。
「す、すんませんッ!」
「なんじゃそらァ!? ワレェ、こン方誰やと思っとんじゃこらァ!!」
「やめィ。ちゃんと詫びとるやろが。行くぞ」
 怒り狂うチンピラを一言で諌め、煙管のヤクザは歩き出していた。ぞろぞろとついていくチンピラたちに睨まれながら、映人はやはり、呆然としていた。
 なぜか、そしていつの間にか歩道にスーツの男たちが並んでいて、煙管のヤクザに頭を下げている。
「あ、あれ、ひょっとして……ドウジ親分じゃ……」
 映人の混乱はとどまることを知らない。スパイアクション『エレガントエージェント』の主人公と、任侠映画『ドウジがゆく』の主人公が、どうしてカメラも回っていないところにいるのだろうか。恐竜はどこへ消えたのか。あの寄せ集めの軍隊はなんだったのか。
 町のあちこちから、悲鳴と爆発音が上がっている。煙も見える。空を小型バトルシップが飛んでいく。
 映人は持っていたバッグを取り落とし、ただ、立ち尽くした。
「何が、……何が、どうなっちゃって――」
 もぞり。
 映人は、はっと視線を落とす。地面に落としたバッグが動いたのだ。慌ててファスナーを閉めることも忘れていたバッグの中から、もそりもそりと、何かが、姿をあらわす。
 それは、小さな、水色のバクだった。

「……!」

 今朝方に見た夢が、映人の中に、
 銀幕市の人々の中に、
 きらめきながらもどってくる。

★ ★ ★

「バカモン!! なんてことをした!!」
「えふぅ、えっ、うぇぇぇん、ちがうもん、リオネわるくないもん、ふぇぇえぇぇん!!」
「嘘をつくんじゃない、またパパの道具で悪戯をしたんだろう!」
「ちがうもん! ゆめみせてあげようとしたんだもん、うぇええぇぇん!」
 雷のような叱咤。甲高い泣き声。
 綺麗な銀髪の女の子が、父親らしき男にこっぴどく叱りつけられている。
 いつのことなのか、どこにこの親子がいるのか、わからない。ただ、この世のものとも思えないオーロラと夜が、シルクの光のようにふたりの周囲でうねっていた。
「自分の力を使ったのか。まだお前は加減もうまくできない子供なんだぞ!」
「えぅ、ひっ、だって……だって、かわいそうだったから……」
「黙りなさい! パパはまだお前に魔法を使う許可を出してないだろう!」
「うぇぇぇぇぇえん!! ごめんなさぁぁぁぁあい!!」
「まったく、忙しいときにとんでもないことをしてくれた。罰としておまえを、おまえがめちゃくちゃにした町に降ろすぞ。そこで事の重大さを見てきなさい!」
「えぇえぇッ、やだぁ!」
「おまえも神の端くれだ。自分がやることには責任を持ちなさい。――さあ、おまえに魔法をかけてやろう。おまえは魔法が使えなくなるが、おまえの身に危険が及ぶことはない。自分が蒔いた種が芽吹き、花を咲かせ、そして枯れ落ちるまでを見届けないかぎり、おまえの罪が赦されることはない!」
 男はさっと手を振った。星のような光がその手の動きを追い、少女の短い悲鳴が起きた。すぽん、と少女の足元の床が抜けたのだ。銀色の髪の少女は、まっすぐに落ちていく。
 落ちる落ちる、その先は……
 寝静まることを忘れ始めた、銀幕市だった。
 男は自分の娘が町に落ちていく様を見守り、深くため息をつく。しばらく彼は、頭をかいたり、うろうろと歩き回りながら困り果てていた。
「あの子の悪戯は、今に始まったことではない。しかし、……これほど派手に暴走するというのも妙な話だ。人間の力だけでは対処しきれないか。あの子のせいで、もし町がひとつ破滅するとなれば……それは問題だ! あの子ひとりでは背負いきれない問題だ」
 ぶつぶつと呟く男は、やがて、どこからともなくひとつの箱を取り出した。虹色に輝く、美しい箱だ。彼はその蓋を開けた。
 箱の中から、パステルカラーの飴玉のようなものが飛び出す。飴は転がり、少女が落ちた穴に向かっていった。
 きらきらと光る飴玉は、空を落ちながら、次第に――四つ足のいきものの姿に変わっていく。むくむくと膨らみ、きょとんとした顔で落ちていく。


(我が娘には償いをさせよう。自らが引き起こした禍の最期を見届けさせる。いま、この夢をみる者よ。おまえたちには、夢を喰らう獣〈バッキー〉を授ける。この災厄が終わり、我が娘の罪が償われるまで。身に降りかかる火の粉は、その獣で払うが良かろう)

★ ★ ★


 揺れる銀幕市の中、両手に乗るほどの大きさのバクと出会って、幾人もの夢みる人間たちが、顔を上げた。
 銀幕市の上空は、うねるオーロラに覆われている。しかし、それは虹のように、彼らが見ている前で、ゆっくりと消えていった。
 ほんの一瞬で夢を思い出したのか。それとも、多少なりとも時間は経っていたのか。銀幕市はほんの少し、落ち着きを取り戻しているようにも見えた。
 パステルカラーの奇妙な生物は、ひょこひょこと映人の腕をよじ登り、肩に乗って、小さく鼻を鳴らす。
「な……、なんか、なんか有り得ないけど……、とんでもないことになったぞ」
 どういうわけか、映人の口から乾いた笑いが漏れた。あきらめか、苦笑か。それとも胸が高鳴っているのか。自分でもわからない笑みの真相を探るために、映人はバッグを拾って、銀幕市の中心へと走りだしていた。

〈“Dance with Films” to start shooting!〉





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