★ ウェルカム!銀幕市 ★


 見上げれば、空には宇宙船。得体の知れない怪獣。マントをなびかせるヒーロー、そしてビルからビルへと飛び移る獣面をつけた忍者。忍者は老婦人を背負い、大荷物を両手に下げていたが、まるで獣のようにしなやかに、音もなく、飛んでいた。いや、跳んでいた。彼は『陰陽師 蘆屋道満』に登場していた斑目漆ではないか。
 フラッシュが閃き、斑目と、その背中で失神している老婦人がフィルムに収められた。
 だが人々は、あんぐりと口を開けて銀幕市の異常事態を見つめているものの、その忍者だけを注視しているわけではない。雑誌社を飛び出した記者同様、一体どこに目を向けて驚けばいいのか、見当もついていないからだ――。
 そんな彼らの足元を、ドレス姿のハムスターが、ポップコーンを抱えて走っていく。なぜかそれを、バクに似た生物が追いかけていた。


「不思議な夢を見たよ」
 汚れた眼鏡を拭きながら、薄野鎮は銀幕ジャーナルの取材に応じた。
「夢の神だか何だかが出てきた。どうも夢の神の子供がこの町に魔法をかけたらしいよ。……普通なら、夢なんか真に受けないんだけどね。でも、目が覚めたらこいつが机の上にいたんだ」
 彼がすくめた肩の上に、漆黒の奇妙な生物が乗っている。バクに似た小さな生物は、げふり、とゲップをした。
「神様の話だと、こいつはバッキーって言うらしいよ。ついさっき、早速役に立ってくれた。何かの映画のエイリアンがヨダレ垂らして歩いてたんだ。……僕は思いっきりヨダレかけられてね。そしたら、こいつ……そのエイリアンを頭から食べちゃったんだよ」
 彼は一巻のフィルムを取り出し、薄く笑いながらひらひらと記者に見せつけた。
「で、これを吐き出したんだ。ただのフィルムじゃなさそうだろ? ……まだこの辺は大騒ぎだけど、市の対応はましなほうだと思う。なんでも、対策課が設置されるとか――」

「気づいたらここに居た」
 むっつりと、壮年の浪人は答えた。彼はファミリーレストランの窓辺の席で、小汚い老人と一緒に、真っ昼間から、むっつりと酒を呑んでいた。
「伴を追い、江戸に出向いたはずなのだが……どこをどう間違えたのか、異国に辿り着いてしまったらしい」
「ほっほ、まあ、こやつはこう云いながらも楽しんでおるぞ」
 赤鼻の老人が横槍を入れ、浪人の盃に酒を注ぎ足した。日本酒の瓶はそのひと注ぎで空になり、老人はつまらなさそうに吐息をついた。
「のう、お侍さん。もう一杯おごってくれんかのう? さすれば、それ、あすこを歩く物の怪を倒す技を伝授しよう」
「いや、老師。拙者はあいにく持ち合わせが……」
 むっつりと答えを返す浪人と、落胆する老人の目は、ふたりを取材している若い記者に向けられた。

 同ファミリーレストラン勤務の竹崎淳也は、浪人と老人を遠巻きに見ながら話す。
「あのふたりは――岡田剣之進さんとパオ老師は、大人しいほうで助かりますよ。言葉が通じる時点でほんとに助かるんです。もう、お二人が出てる映画をもう一度観る気になりますよ」
 彼の苦笑とため息からは、異変が起きてからの苦労がにじみ出ていた。
「急に店が彩り豊かになったというか……普通じゃ考えられない問題が続いてましてね。カートゥーンのキャラクターも実体化してましたよ。マンガみたいにお皿まで食べちゃうんです。それと、ゴキブリ型宇宙人のご来店にはほんとに参りました」
 彼の肩にはゆで卵を髣髴とさせる色合いのバッキーがいて――、腹をぱんぱんにふくらませていた。
「でも、そのうち慣れるんじゃないですか? ……というより、皆さんもうだいぶ慣れ始めてると思いますよ。それに……、この状況、結構『いい機会』だと思いませんか? 好きな映画の登場人物と、会えるかもしれないんですから」

 ファミリーレストランの向かいにあるケーキ店――その周囲は、なぜか呻き声に包まれていた。黒服の、いかにも悪役といった男たちが、急所を押さえたり血を流しながらうんうん呻いてうずくまっているのだ。そんな男たちをまるで無視し、パステルピンクのエプロンを着た美女が掃除をしている。
『ロシアより弾丸を込めて』に登場した凄腕の殺し屋、リカ・ヴォリンスカヤその人だ。
「ああ、そこの負け犬ども? あとで完璧に片づけておくから気にしないで」
 恐る恐る記者が近づくと、リカは末恐ろしい――もとい、可憐な笑顔で取材に応じた。
「映画でわたしが悪役だったからって、スカウトしてくるヴィランズが多いのよ。たまったもんじゃないわ、ほんとにウザいんだから! せっかくこうして現実に出てこられたんだから、わたしだってごく普通の日常を楽しみたいのよ」
 しかし彼女は、そんな望みを口にしながら、記者の背後めがけてナイフを投げた。
「何人来たっておんなじよ!」
 悲鳴が上がり、さらに彼女はナイフを投げた。倒れて呻く男の数は、確実に増え続けている。

 異変が起きてから、一体何時間が経っただろうか。映画が実体化するという前代未聞の報告は、朝が来るか否か――住民の夢が終わるか否かといった頃から、警察に寄せられていたらしい。
 町はまだ夢の中にあるようだった。しかし、町はただ破壊され、混乱の渦に呑まれているわけではない。この状況を自分なりに理解しようとしている者もいたし、わけがわからないながらもとりあえず困っている人を助けている者もいたし、普段とあまり変わらない生活を送ろうとする剛の者もいた。

「俺なんか、今の状況が楽しくなってきちまった。悟りを啓いちまったんだ。どうせなら楽しもう、ってさ。こんなこと、そうそう体験できないだろ? 逆に俺たちはラッキーだったんだよ!」
 そして、友永勇護のように前向きな者もいる。
「映画から出てきたやつらは妙な力を持ってるみたいだ。ファンタジー映画……俺も端役で出たんだけどさ……その主人公を見た。そいつが気合入れて叫んだら、周りが森になっちまったんだよ! 俺も、一瞬でその映画に出てたときの格好に変わっちまってさ」
 興奮した様子で話す彼の後ろで、突如爆発が起きた。ひとりの少年が少女を抱きかかえながら派手に吹っ飛ぶ。しかし、ビルさえ吹き飛ばす爆風に吹き飛ばされながらも、少年はなぜか無傷だった。少年の周りでは爆発が続いている。どこからともなくレーザーや銃弾やグレネードが飛んできているらしい。
「ほら、あの爆発も多分あいつのせいなんだ。あれ誰だっけ……、確か『大怪獣ルドラ』の……、小此木だ、すげえな!」
 凄まじい爆発の中を無傷で逃げまどう少年。それを見る勇護の目は輝いている。映画を観ている人間の目だ。
「俺が演った人間も、ああいう風に出てきてたらな……。いや、主役クラスでないと出てこないのかもしれない。だったら俺は頑張るよ。こうやって現実になりそうなほど濃い役を演る! じゃ、俺は現場に行くから!」
 爆風と土煙の中に、勇護は走っていった。彼はただ前向きなだけではなかった。剛の者だ。

「誰かが『これはムービーハザードだ』って言ってましたよー。えっと、偉い監督さんだったかな? スターだったかもしれないや。とりあえずサインもらっちゃったんです」
 七海遥は、なぜか2冊のサイン帳を持っていた。一方はしとど濡れたあとに乾かした痕跡があり、ぼろぼろで、怪しい色に変色している。
「あ、こっちですか? これ、ヨダレ垂らしてるエイリアンさんにサインもらったらぼろぼろに溶けちゃって。あちこち溶かしながら歩いてましたよ。私もヨダレかけられちゃって。あ、私は溶けませんでした。だから危ないエイリアンさんじゃないなーって思って、大したことじゃないなーって思って……お別れしたんですけど、まずかったですかねー……?」
 ほんの少しばつが悪そうに肩をすくめた彼女だったが、記者の後ろをひとりの少年がふらふら歩いているのを見て、悲鳴のような歓声を上げた。
「ジョシュ・オーレイ! きゃー! 『悪魔の血しぶき』の! 信じられない! すいませんサインしてください!!」
「……ち……近づくなあッ、うぐがああッ、十字架だ、十字架を突っ込め! 殺してやる!」
「ひゃー、おんなじだ、すごーい! 感激です! お願いしますサイン!」
 少年が目を金色に光らせ、がくがくと激しく首を振っても、いつの間にか晴天の空が分厚い雲に覆われて稲光と雷鳴が辺りを包んでも、遥はひるまず歓声を上げ続けた。
 記者は突然の雷雨の中で、呆然と立ち尽くしながら、ICレコーダーをふたりに突き出していた。
 しかしその不吉な天候も、ジョシュがはっと我に返ると同時に晴れた。彼は怯えたような、暗い目で辺りを見回し、それから遥や記者の姿を見止めて、小さな声で話し始める。
「……ごめんなさい。僕の中の『彼』も興奮してるんだ。早くここに慣れたほうが、皆に迷惑かけないですみそうなんだけど……。ごめんなさい、驚かせたみたいで……」
「全然気にしないで! ベリアルって悪魔が憑いてるんですよね!」
「え、知ってるの……?」
「できれば中のベリアルのぶんのサインもして下さい!」
「あ……うん……」
 ジョシュはおずおずとペンを取り、遥の真新しいサイン帳を開いた。

 銀幕広場はどういうわけか森と緑に囲まれていた。きょろきょろと辺りを見回す七瀬灯里を見つけ、じゅには自ら取材を受けようと彼女に近づく。
「やあ!」
 しかし、そう明るくじゅにが声をかけたというのに、振り返った灯里はぎょっとしたあと、何となく迷惑そうな表情になっていた。
「あの……何か用ですか?」
「何か用か、って――君、取材してるんだろ? 君に協力したくてさ」
「ごめんなさい、私、女性スター担当なんです」
 つっけんどんにそう言い捨てて、灯里は森と化した広場を走り去っていく。本当に迷惑そうだった。じゅにはしばらく、むっと口を尖らせてその場に佇んでいた。
「……何だよ、もっと元気で取っ付きやすいコだって思ってたのにな……」
「あの! すいません! 銀幕市の方ですか? それともスターの方ですかっ?」
 がさあっ、と枝葉をかき分けて、ICレコーダーが――いや、眼鏡の女性記者がじゅにに突進してきた。じゅにの目は点になった。彼女もまた、七瀬灯里だったからだ!
「……? ……! ……、……!?」
「ああっ、混乱されてるんですね! 私も同じです! だからこそ、今の町の現状をまとめて、市の皆さんにお伝えしないと……! ご協力お願いします!」
「いや、あの……いや、さっき……あれ? え? な、何だったんだあ……!?」
 その日、銀幕市に七瀬灯里がふたり存在した――無愛想だった灯里は、ベオウルフ・北沢という 『なりきり師』が変身した姿だった――その真相をじゅにが知るのは、まだ先のこと。銀幕ジャーナル特別号が、銀幕中にばら撒かれるまで、彼もただ驚くだけ。しかもじゅには、灯里を見てまた驚いた。彼女の頭に茶色の耳が生えて、細長いヒゲが生えて、尻尾が生えて、まるでタヌキになっていたからだ!
「……? ……! ……、……!?」
「だははは! でへっ、だははは! 似合ってる似合ってる! でははは、お似合いのおふたりさん!」
 木陰から姿を見せたタヌキが、じゅにと灯里を指さして大笑いしている。
 彼は『タヌキの島へようこそ』の太助だ。灯里はようやく自分が半タヌキ化していることに気づいて悲鳴を上げ、じゅに(彼も今やタヌキの耳と尻尾つきだった)は太助に向かって声を張り上げた。
「こらっ、何するんだ! 彼女を元に戻せ!」
「やあ、おこった! 子供のケンカにおやが出たぞー、おっかねえや、やあい!」
 タヌキの太助が、がさりと茂みに逃げこもうとした、そのとき――
 ぼうっ、と太助を中心にして、波紋のような風が吹いた。風は銀幕広場の森と草花を撫で、半タヌキ化したじゅにと灯里を撫でていく。
 風が通り過ぎたあと、そこには普段どおりの銀幕広場があった。
「……ありゃ? あれっ?」
「そうか、制限時間があるのか、あいつらの力には。……これ重要だからちゃんと記事にしてくれよ、灯里ちゃん!」
「あ、はっ、はい!」
 じゅにはもう少し彼女と話したかったのだが、その言葉に後押しされたように、灯里は広場を飛び出していった。どこかで見かけた何かの登場人物を見つけたらしい。

「あー! やっと耳とシッポが取れた」
 森を失い、本来の姿を取り戻した広場で、浅間縁が安堵のため息をつく。それまでタヌキ耳と尻尾がついた姿を木陰に隠していたが、ようやく彼女も取材を受ける気になったのだ。
「でもあのタヌキ君は悪気ないんだと思うし、うちのエンに食べてもらうほどじゃないよ。朝起きたら、何かのホラーの寄生虫が家に入ってきてて大変だったの! エンが丸呑みにしちゃってびっくりしたけど、助かったわー。確かアレ、寄生した宿主を操っちゃうやつだったから! ……出てくる映画のタイトル忘れちゃった。もー、だってホラーなんかどーでもいいんだもん!」
 彼女がそう言って振りかざしたのは、『エレガントエージェント』のパンフレットだ。
「虫なんかよりレディMに会いたいのよー! ね、記者さん、情報誌出すんなら、レディMのコーナー作ってよ。お願い!」

 誰が初めに呼んだのか。映画から飛び出した登場人物のことを、あれは『ムービースター』だと。そして、映画から飛び出した災厄を、誰が初めに『ムービーハザード』と呼んだのか。
 高名な監督ではないか。いや、映画界に夢を抱く者だろう――町には憶測が乱れ飛んだ。
 そして、バッキーという生物を連れた人々は、一様に口を揃えた。
 今朝方、妙な夢を見た。町には魔法がかけられたのだ、と。
 夢を信じる彼らは例外なく、映画をこよなく愛していた。だからなのか、誰かが彼らを真の『ムービーファン』と称したという。

「銀幕市のみんなは大変ね! でも、覚えといてほしいんだ★」
 カメラを構えた記者の前で、魔法少女スター★シルクがポーズを取っている。とても慣れた調子だったし、どの角度がいちばんかわいく映えるか、しっかりバッチリ心得ているようだった。
「いろんなスターがこうやってひとつの世界に集まるのって、オトナの事情とかあるから、フツーじゃ考えられないの! だからこれだって、チャンスなのよ★ どこで何が起きるかわかんないし、ワタシたちだってうかうかしてられないわ。ワタシ、すっごくワクワクしちゃってる★ これからよろしくねっ、銀幕市のみんな!」


 そして、銀幕市は慣れてしまったのか、あきらめてしまったのか――。戸惑い、恐怖する者の姿はなりをひそめ、奇妙な落ち着きを取り戻していく。
 市は夕方5時頃、映画実体化問題対策課を設置した。
 映画から飛び出してきたスターたちも、居場所を見つけたのだろうか――街に響く破壊音は、若干大人しくなっている。
 超絶急ピッチで刷り上げられた銀幕ジャーナル特別号が町を舞うのも、そろそろだ。






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