★ 神隠し温泉ツアー ★
イラスト/キャラクター:晏嬰亮 背景:入江ささ


「『迷泉楼』――、ここですね」
 柊市長は、その建物を見上げる。
 古々しい、東北地方の古民家を思わせる日本家屋であった。入口に掲げられた木の看板に、古風な書体で、右から左へその名が書かれてあった。
 それは市長が――いや、今はプライベートであるから柊敏史と呼ぼう――彼が久々にとった休暇の日であった。
 そのつもりはなかったが、周囲が、ここ最近の一連の出来事で、彼の顔色がいっそうすぐれなくなってきたのを慮って、半ば強制的にとらされた休暇だった。よい部下をもったことを、彼は感謝する。
 そしてそこ……「岳夜谷(がくやだに)温泉郷」は、杵間連山中にひっそりと拓けた温泉地であり、銀幕市の奥座敷と呼ばれる知るひとぞ知るひなびた観光地であった。正直、観光地としてはあまり流行っているとはいえないようで、人出は静かであったが、それが今の彼には心地いい。今日はリオネも家政婦とミダスに(!)任せ、バッグひとつを手に持って、気ままな一人旅だ。
 久々に、浮き立つ気持ちを胸に、彼は、その旅館の門をくぐった。
「予約していた柊ですが」
「いらっしゃいませ」
 和服の女将らしき女があらわれて、にこやかに、彼を迎える。
 艶やかな黒髪と抜けるような白い肌――楚々とした所作が控えめでありながらどこか艶めいた風情を醸し出す女だった。
 緋色の唇が、笑みをつくった。
「ようこそ『迷泉楼』へ――」

 ★ ★ ★

『おかけになった電話は、電波の届かない地域におられるか、電源が入っていないため……』
「つながらないな」
 小首をかしげて、電話を切る。まあ、いいか、様子を聞こうと思っただけで、用があるわけでなし。植村直紀は、携帯をしまって、パソコンに向きなおった。
「植村さん、岳夜谷に大きな温泉宿のムービーハザードができたの、ご存じでしたか」
 ――と、灰田が話しかけてきたので、それに応えて口を開く。
「ええ、知ってます。『神獣の森』から温泉の湧く森が出てきたんですよね。それで、いっしょにあらわれたムービースターの方が営んでいるとか。評判いいそうじゃないですか。これで岳夜谷のほうも活性化するといいですよね。そうそう、それで、ちょうど今――」
「その温泉宿なんですけど、ちょっと気になる話を聞いたんです。ここ数日――」
 植村と灰田の次のセリフは、ほぼ同時に発せられた。

「市長におすすめして、休暇で出かけておられるんですよ」
「その宿に泊まったひとたちで行方知れずになる人がいるらしくって」

「え」
「……市長が、その宿に?」
 眉根を寄せる灰田汐。彼女の目の前で、植村の顔色が変わっていった。
「あの……植村さん?」
「ええと……胃薬の買い置き、あと何箱ありましたっけ……?」


「……と、いうわけで、対策課主催で岳夜谷温泉郷へのツアーを企画しました。どうぞごゆっくり、温泉を楽しんできてください」
 満面の笑みで、植村は市役所を訪れた人々に、強引に「旅のしおり」を手渡していく。
「旅行のついでにですね、先に現地入りされているはずの市長を探し出して無事を確保――いや、あの、挨拶でもしてきてもらえると嬉しいなーと思います。よい報告、お待ちしておりますので」



植村 直紀:
……という感じではじまった温泉事件……。一時はどうなることかと思いましたが、無事、市長も見つかりましたし、神隠しに遭っていた市民のみなさんも、皆、救出されたようです。なにはともあれ、大事に至らなくてよかったですね。

市長は、ムービーハザードの温泉の効能で記憶喪失になっておられたんですけど、温泉に居合わせたSAYURIさんが、記憶を取り戻すのに一役買っていただいたそうですよ。

事件の記録は、『雑誌社』でキーワード【神隠し温泉ツアー】で検索できます。
雑誌社の記録を探す





戻る